冬の星座 1.― 胸の奥の夕闇 ― |
――決して気温の低くない外に比べて、ここは涼しくてあまりにも気持ち良かったから。 自分の身体がゆすぶられるのを感じて、晶はゆっくりと目を開いた。 ふと、我に返り顔を上げる。 「晶」 いささか乱暴に晶の体をゆすっていたのは、松岡だった。 「……あれ」 「目が覚めたか?」 ため息と共に松岡が言うのに、晶ははっとあたりを見回す。周りのざわざわとした雰囲気が、明るいその場所でダイレクトに伝わってくる。 「あれ―――!?」 「あれ、じゃないだろう、さあ、もう出るぞ」 今日は、松岡と共にプラネタリウムに来ているはずだった。会場が暗くなったところまでは憶えているのだが、その後は……。 つまり、始まってすぐに晶は居眠りしてしまったことになる。 「なんだよー。起こしてくれれば良かったじゃんか」 急いで立ち上がりながら、寝こけていた者の態度とは思えないような口調でもって晶が言うのに、松岡は彼の額をコツンと小突く。 「静かな館内に、お前を起こす声が響き渡っても良かったならな」 そんな松岡の物言いに、晶はひょいと彼の顔を覗きこむ。 もしかして、怒っているのではないかと思ったのだが、彼の表情は穏やかだった。少し、苦笑いではあったが。 「悪かったよー。俺から誘っといて」 「別に悪くない。昨日は遅かったしな」 日曜日の今日、気持ち良く出掛けるために、松岡と晶は一緒になって週末の課題を昨日のうちに終わらせていた。松岡の方はさしたる問題はなかったが、晶の方は普段からぎりぎりまで引き伸ばす癖があり、松岡がいるという甘えもあってなかなか進まなかった。 結局は松岡ひとりで(今日のために)二人分の課題を済ませたようなものだったが、それでも晶は寝不足のようだった。 「まあ、カフェテラスのコーヒーで許してやる」 松岡は意地悪く微笑む。 実は結構、晶の寝顔なんかを堪能していたことは秘密だ。 しっかりとカフェテラスにも寄った帰り道、松岡はふと気付いたように呟いた。 「星だったら、本物は冬の方がきれいに見えるぞ。……今度、出掛けてみるか」 いきなりの松岡の言葉に、晶はキョトンとなる。 「うん……?なんだ?」 思わず松岡の顔を覗きこんでしまった晶は、明るい笑顔になってふるふると首を振った。 「いや。いつも俺から誘ってばっかりだったからさ、もしかして、松岡の邪魔になってるんじゃないかと思ってた」 珍しい晶の台詞に、今度は松岡の方が一瞬絶句する。 「俺の性格を知らん訳じゃないだろう。俺は嫌なことには断じて付き合わないぞ」 言い切る松岡に、晶は思わず破顔した。 「そうだよな。別にそんなに心配してた訳じゃないけどさ。じゃあ、絶対行こうな。冬になったら」 「ああ。冬は大気のよどみが少ないせいもあって、星が良く見えるんだ。お前でも知っているような星座が沢山あるぞ」 「なんだよ『お前でも』って」 笑いあいながら、赤みのかかってきた道を歩く。 今日はよく晴れていたから、夕焼けもきれいだ。 朱色に染まるあたりを見つめて、松岡は考えた。 今の自分の状態は、この夕焼けのようなものかもしれないと思う。鮮明な色に遮られて、向こう側をはっきりと見渡すことができない。 胸の奥底の方に、何か形造っているものがあって、それは確かに存在するのに、自分でもそれが何なのかわからなくて。 いや、本当はわかっているのかもしれない。 ただ、自分でそれを直視するのが怖いのだ。 自分の一歩後ろを歩く晶の気配を感じながら、松岡はふと空に視線を向ける。 冬の大気のようによどみの無い心の状態が出来上がったなら、それは空に広がる冬の星座のように、美しいものになっているのだろうか。 ――それが、晶に対する己の想いであっても? 我ながら、おかしな事を考えるものだと思う。 晶との付き合いは、昨日今日始まったことではないし。 しかし心のどこかで、昔とは違う何かが形作られているのがわかる。それは多分、自分でも思いもよらないような姿で。 それを、自身や晶が目の当たりにした時に、一体どんな風に受け取る事になるのか。 想像するのは、少々怖かった。 不意に、晶の家族のことを思い出す。 あの家族――特に長兄は、晶を目の中に入れてもおかしくないほどに可愛がっているが、なるほど、こんな考えを頭の中で巡らせているような人間を晶に近付けたくはないだろうな、などと、いささか自嘲気味な事を考えてしまう。 とても血のつながっていない兄弟とは思えないほどだが、いや、だからなおさら、今、松岡自身が逡巡していることに関しても、より敏感に感じ取っているのだろう。 どんな形であれ、晶を本当に愛するがゆえであろう。 もっとも、だからといって引くつもりはさらさら無いが。 そこまで思考を到達させてしまってから、松岡は一瞬我に返り、思わず笑みをこぼした。 「……何を引かないんだか」 後ろを歩く晶には届かない程度の小声で呟く。 「松岡!」 不意に晶が松岡の腕を取り、己の腕を絡ませた。 「……なんだ?いきなり」 「べーつにっ!」 何がそんなに嬉しいのか、松岡からの誘いでご機嫌なのか謎だが、晶はただ笑って松岡にべったりとひっついていた。 そんな彼の行動は、松岡の中に真綿を敷き詰めるように積み重なる正体不明の陰を、さっくりと掬い上げる。 まるで、松岡の心の深いところにあるものも、何もかも解ってしまっているかのように。 「歩き辛いぞ」 「いいじゃん、たまには」 本気で振り払う気が無いのがわかっているのか、晶はただにこにこと松岡の隣を楽しそうに歩く。 晶は大抵いつも笑顔でいるが、付き合いの長い松岡はその笑顔の奥にあるものを、他の人間よりは、多少敏感に感じ取ることができる。 心によどみがあるのは、自分だけではないのかもしれない。 今の晶を見ていると、そんな風に思えてきた。 彼もまた、ずっと何かに戸惑っているようだ。 たぶん、それをちゃんと形にするのは、器用でない晶には松岡よりも難しいだろう。 寮へと続く坂道にさし掛かって、松岡はゆっくりと晶の腕を外すと、ぽんぽんと彼の頭を軽く叩いた。 そのまま、晶の手を取り、軽く握る。 「腹が減ったな。寮に帰ったら、多少の間食くらいはさせてやるぞ」 「やりっ!」 育ち盛りの晶は、心底嬉しそうに松岡の手を引っ張った。 「じゃあ、ソッコー帰ろうぜ!」 くるくる変わる表情に、松岡は苦笑する。 きっと、晶は松岡に関し、大抵の事は見透かしてしまうのだろう。 たとえばそれが無意識であっても。 それが居心地がいいようにも悪いようにも感じるけれど。 案外――それも悪くないと松岡は考え、自分を引っ張って走る晶を見て、ひとり微笑んだ。 |
校門 図書室 2年A組 |