「待たせたね」
暫くして戻って来たアナベルは、手に持ってきた一枚の紙切れをテーブルに置いた。
「契約書という公文書ではないが、一応、目を通してくれ」
空になったワインボトルとグラスを横にのけてスペースを確保し、書類を受け取る。
簡単に内容を説明すればこうだ。
契約期間は明後日より一週間。もしその間に仕事を放棄した場合は、それに見合うだけの謝礼金を、依頼主に支払う。
依頼の完了は、各々に受け取った旨のサインをもらい、それを依頼主に渡し終えたときのことを言う。
道中に起きた事故においては、自己の責任とする。ただし、損害の状態によって考慮する。
と、まあ、こんなものだ。
「中途半端な内容だな」
「やはりそう思うか・・・」
損害の状況とはどこまでが範囲になるのか? 個々によって考え方が違うのだから、本当はきっちりと書いてしまった方が良いのだが。
「実は金銭的にギリギリでね、どこまでを請け負えるかわからないんだ」
こつらの都合で悪いが、頼めるだろうか?
「あんたの器量に惚れたんだ。・・・だから、請け負うよ」
はそう言い、ゆったりと微笑んだ。
アナベルの用意してくれた宿屋は、この街の入り口近くにあった。
こじんまりとまとまった部屋。窓を開けても木々が見えないのが残念ではあったが。
「光炎剣、さっきは彼女に捕まって鍛冶屋に行けなかったから、行ってみるか?」
『そうだな。明後日に出立するのならば、今日中に預けておいてもらえたほうが私としても助かる』
「なら早速」
は光炎剣を腰にさげたまま、荷物をベッド下において部屋を出る。
「お出かけですか?」
「あぁ、鍛冶屋まで」
「いってらっしゃい」
宿屋の主に見送られ、夕方になってから増えてきた酒場に集う人たちの端を歩いて外に出る。
中央の通りを市庁舎前へと行き、ジョウストンの丘を見やる。
「ハイランド――か。厄介だな」
『アガレス・ブライトは温厚な人物だと聞いた。皇都ルルノイエも綺麗な街だ。――あの方が慈悲なきことをするとは思えん』
「そうだな。悪い噂を聞いたことがない。――それに比べて」
その息子である、ルカ・ブライト。
「息子も悪い噂ばかりではなかったんだが・・・」
『あぁ・・・』
見上げた丘の反対側に鍛冶屋がある。視線を丘からおろして目的地へ向け、足を向ける。
「こんばんわ」
鍛冶屋の中へ入ると、剣を打つ音が耳に入る。心地よいその響きに、光炎剣が小さく感嘆をあげた。
『気に入った』
は頷き、主に声をかけた。
「手入れをお願いしたいんだが」
「いらっしゃい。見せていただいてもよろしいかな?」
「あぁ」
腰から光炎剣を抜き、店主へ手渡す。
「これはこれは・・・・・・なかなかの逸品でございますね。――手入れも行き届いていらっしゃる」
手入れをしないと煩いからな。
両肩を軽くすくめ、胸中で呟く。意思を持っているぶんだけ、手入れには口煩い。自分の体と置き換えれば頷けることではあったから、文句を言うこともなく、彼の望みをかなえている。
「これならば明日の昼頃には出来ますよ。――・・・? 何か紋章をつけられていますね」
見たこともない紋章ですが。
検分する店主に「それは大切な友人からの貰い物でね、詳しいことはわからないんだ」と本当のような嘘を語る。
「――もしかして、貴方は『』様ですか?」
「僕の名前は確かに「」と言うが、それが?」
興味がない、という口調で自らのことを言った彼に、店主は少しだけ驚いた風な顔をして。
「アナベル様が言うことがようやく理解できました」
「彼女が何か?」
彼女のことだから、人を欺くような吹聴はしないだろうと思ってはいるが、一応聞いてみることにする。
「様が鍛冶屋に来られたら、優先するようにと」
この市に大切なお客様だと聞いております。
「気持ちはありがたいが、僕は市長に雇われた身。市長の客人ともてなされるのはいい気分がしない」
そう言いきれば、豪快な笑い声がその場に響いた。
「この声――・・・、アナベルがいるのか?」
雇われ身と言いながら、彼女の名前を呼び捨てにして、それでも鍛冶屋の奥から出てきた彼女は咎めはしない。面白そうに笑う彼女は、の前までやってきて更に笑った。
「やはりあんたは面白い」
「あんたは笑い袋のようだな」
あまりに笑われるのに気分を害して冷たい声音が出てしまう。仕事の話をするときも面白いと笑われ、ここでまた笑われれば、堪忍袋の緒が切れるのも当たり前だ。
「悪かったね。あんたが私の聞いていた『緋閃の』とあまりにも違っているから」
「噂なんてものは尾ヒレがつくものだ。そのままの言葉を信じるような頭を持つなら、僕は仕事を放棄するが。――どうする?」
腕組をし、アナベルを見やる。真剣そのもののの瞳は、ここでアナベルの返答次第で本当に仕事を捨てるだろう。
「、あんたを選んでよかったよ、本当に。――その言葉が聞きたかったんだ」
仕事への思い入れ、自分への態度。それを再度確認するために、彼女はここへ訪れたのだ。
「――やられたな」
自分が庁舎前で引き止められたときと、まったく同じことをアナベルはしたのだった。
夜は酒場を営業しているらしく、鍛冶屋から帰ってきたを出迎えたのは、喧騒と雑踏だった。
「酒場はここしかなくて、いつも夜はこうなるんですよ」
宿屋の主はそう言い、客の相手をするためにカウンターを出て行く。
それを暫くみやってから、店主のいるカウンターへと足を運ぶ。
「部屋の中に持ち込みはOKなのか?」
「あぁ、勿論だよ。この状態じゃ、どう考えても無理だしね。何にする?」
「ビールでいい。ジョキ一つくれればそれでいいから」
「わかった。ちょっと待っててな」
店主はカウンターの奥へ消え、すぐにやってくる。
「はいよ、ビール。それと、悪酔いしないために、つまみも」
「ありがとう」
右手にジョッキ、左手につまみの入った小さな籠を持って二階の自室へと戻る。
「一人の夜は久しぶりだな・・・」
感傷的になる自分がいるのに気づいたが、それでも明後日からの一週間は怒涛のような生活になるだろうと予測できるから、今はこの気分を満喫することにした。
丸いテーブルに両手のものを置き、マントをはずしてベッドの上へ放り投げ、椅子に腰掛けた。
「あぁ、そうか」
思い出したように腰をあげ、ベッドの下に置いてある荷物の中から地図を取り出す。
「まさか、こんなところで役にたつなんてな」
テーブルの上に置いたジョッキとつまみを端にのけ、その上に地図を広げる。
この地図は、この地方に入る前に購入したものだ。トラン共和国とハイランド、そして、今いるが描かれてある。
「ミューズから一番近いのがマチルダか。だが、あそこのトップがいただけないらしいからなぁ。すんなり受け止めてもらえるだろうところから進むか」
となると、マチルダ騎士団領を最後に回すのが得策だな。
はひとりごち、ビールを一口飲んだ。
「――マチルダを最後に回すなら、反対側から攻めるか。サウスウィンドウ、トゥーリバー、ティント、グリンヒル、マチルダの順で行けばなんとかなりそうかな。・・・あとは、物資か」
ビールをあおって喉の奥に流し込み、コトリと小気味良い音をさせてテーブルに置く。窓の外を見やれば満月で、思わず目を細める。
「綺麗な月を見上げる余裕があるのも明日までってか」
月からまたテーブルに戻す。地図のところどころに手書きで書かれたものは、が書き足したものだ。
「サウスウィンドゥに行くには、船が一番か。でも馬だと無理だな。そうなると、一周回ることになってしまうけど――・・・ま、仕方ないか。トトの村、傭兵隊の砦もあるって聞いたし、一泊ぐらいさせてもらえるだろう」
は地図をたたんでから、一気に残りをあおる。
明日は札と特効薬を手に入れておかないとな。
装備を一通り確認する。自分の身につけるものは基本的に変わらない。一つ二つ細かいものは増やしたり減したりするが、装備は変えないようにしている。大きく変えると動きづらいからだ。
椅子から腰をあげ、ベッドの上に放ってあったマントをたたんで椅子の背にかけ、革のベルトを取って、黒いシャツの下につけてあった革の胸当てを取る。薄くて丈夫なそれは、強く突き出された剣先を完全に防ぐことは出来ないが、少々切りつけられたものは防げて、なかなか重宝している。ブーツも抜いでラフな格好になる。今は頼りの光炎剣が手元にないから、護身用の短剣を枕の下に隠す。
いつ狙われるとも限らない自分には、きっと安らげる場所などありはしないのだろうと、そんなことを思いながら苦く笑って気持ちを切りかえる。
次の日、は光炎剣を迎えに行く前にあらかたの用意を済ませようと、道具屋へ向かった。
「いらっしゃい! 何にいたしますか?」
「札があれば欲しいんだが」
「すみません。札はこれだけしかないんです」
出て来たのは『火炎の矢の札』。
火は必要ないな・・・。
は呟き、苦笑する。
「ありがとう、それは間に合ってるから、ほかをあたるよ」
道具屋を出て紋章師のいる場所へ歩く。途中、小さな男の子がにぶつかってきた。
それを軽く受け止めると、彼は「すみません!」と深々と頭をさげた。
「よそ見してると危ないぞ?」
「気をつけます。・・・あ、そうだ!」
彼は自分の持っていた鞄から一枚の札を取り出した。
「これはお使いしたときに貰ったんですけど、僕にはまだ使いこなせないから。よければ貰ってください」
その札は『守りのてんがいの札』だった。
「ありがとう、遠慮なくいただくよ」
小さな男の子は嬉しそうに笑うから、もそれにつられてしまった。
「それじゃあ」
「あぁ。・・・ありがとう」
子供と別れてから、光炎剣を預けている鍛冶屋へ向かう。
「こんにちわ」
「さん、お待ちしてましたよ」
店主は笑みを浮かべて出迎えてくれる。
「世話になったな」
店主が奥の棚からの剣を取り出し、手渡す。
鞘から抜いたその刀身は、綺麗に磨がれ、柄に描かれた模様さえも磨かれていた。
「凄いな」
『あぁ、久々に良い思いをさせてもらった』
脳裏に響いた声は本当に嬉しそうだ。
金色の刀身を鞘へおさめる。
「感謝するよ」
は続けて値段を聞くが、店主の答えに眉を寄せた。
「それだけで本当にいいのか?」
それ以上は受け取らないと言い張るので、は仕方なくその金額だけを渡す。
「毎度ありがとうございました!」
1000ポッチで良いと言った店主は深々と頭をさげる。
「何かあったら言ってくれ。いつでも力になる」
は光炎剣を携え、鍛冶屋をあとにした。
『、装備の準備はどうだ?』
「正直、駄目だな。おくすりと毒消し、札は火だけしかないから買わなかった。今から紋章師のところには言ってみるけど、どうだろうなぁ」
この調子では、火の紋章しかないと言われそうだと苦笑する。
「こんにちわ」
「いらっしゃいませ。何をお求めになりますか?」
「火以外の紋章を探してるんだが」
紋章師は水と土があると言った。
「それじゃあ、土を貰えるか? 」
「はい、4000ポッチになります」
では、右手を――。
紋章師はの左手に火の紋章があるのに気付いていたらしい。彼女の言葉に従い右手を出したとき、光炎剣が待ったをかけた。
『右手より額にしてくれないか?』
突然、彼の声がその場に響く。だが、紋章師は驚きをみせない。
「右手は貴方と対なる紋章の為に必要なのですね」
彼女は、の腰にある光炎剣に視線を向けて言った。
『私が何者か――知っているらしいな』
「真の紋章の中でも特殊な存在ですから。剣の持つ補助力を最大限に引き出すことが出来たとき、はじめて対なる紋章が現れる・・・・・・と」
光炎剣から小さな溜息が漏れ聞こえてくる。
『』
「何だ?」
『――いや・・・何でもない』
光炎剣の声は小さい。それには答えず、は右手をおろした。
「頼む」
「わかりました」
紋章師の両手が、彼女の前にある球に触れた刹那、の額に土の紋章が光り、そして、それは霧散した。
「ありがとう」
はそう言い置き、そこを後にした。
夕刻が近づき、宿屋へ戻る途中、アナベルの秘書をしているジェスが声をかけてきた。
「どうした?」
ジェスの姿は庁舎の中でちらりと見たことがあったから、は名前も聞かずに切り出した。
「あなたにこれを渡すように頼まれました。宿屋に帰ってから開けるように、と」
「わかった。確かに預かったよ」
白い封筒を受け取り、ジェスに向かってそれを軽くあげる。懐に仕舞いこむのを彼は見届けてから、頭を軽くさげて去っていった。
宿屋の自室へたどり着いたは、言われたとおり、部屋に入ってから封を切った。勿論、部屋に入ったときに部屋中の窓や扉の鍵は確認した。
【ハイランドがハルモニアと手を組むのではないか、との噂が流れてきた。確かな証拠はないが、まず間違いないだろう。一週間という期限では無理かもしれない。よって、文書で申し訳ないがもう一週間の期限を追加しようと思う】
流れるような綺麗な文字ではあったが、どこかしら焦って書いたふうにも思えた。
【道中、狙われ傷つくことも数多くあるだろう。同封した札は、私が友人から貰い受けたものだ。剣術はピカイチの癖にまったく魔法ができないやつでね、捨てるようにくれたものだが、には必要だろうと思う。貰ってやってくれ。封印球を札に変えたものだそうだ】
守りのてんがいの札3枚、優しさのしずく札5枚、ねむりの風の札3枚、天雷の札2枚の、合計13枚が入っていた。
【明日、こちらに来てもらう予定だったが、そうもいかなくなった。明日、早朝に出るだろうことを予想して、馬の準備もさせてもらっている。庁舎に来る必要はない。馬は宿屋の主人に頼んで置かせてもらっている。それを使うといい】
途中で文字の動きが変わっているのが気にかかる。少し間を置いてから続きを書いたのだろう。仕事の合間で書いたのか、それとも・・・。
【面倒なことを押し付ける結果となったが、できうる限りのことをさせてもらう。――よろしく、頼む】
ハイランドとハルモニアが手を取り合うということは、自身にも厄介ごとが増えるということだ。
「光炎剣、これは用心しないといけないみたいだな」
『あぁ。ハイランドは問題ないが、ハルモニアとなるとさすがに、な・・・』
とハルモニア。何か因縁のようなものがあるらしいが、自身には過去の記憶がない。だが、トランの戦いで自分を襲ってきたハルモニアは、・という人物をよく知っているらしかった。
「今夜は早いとこ、眠ったほうがよさそうだな。明日は朝早くに出立する。――あぁ、先に主人に言っておかないとな」
は部屋を出て、宿屋の主人に朝早く出立する旨と馬のことを聞き、早々に眠りについたのだった。
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