アカイヒカリ 3







 早朝。
 は宿の主に礼を言い、宿代を払って街の外へ出る。少し離れたところに簡易に厩が出来ていた。明らかにの馬の為に用意されたものだ。
 ミューズから東に向かって馬を走らせる。馬の上では紅の髪を隠すことはできず、フードははずしたままだ。
 預かった書類は懐の更に奥にしまいこんである。自らが斃れたとしても、その書類が敵の手にわたらないよう、できるだけわかりにくい場所に。
 東へ向かうと川があり、橋を越えたすぐそこに小さな村がある。
「これがトトの村・・・」
 寂れた村だと思ったが、人の想いの溢れた場所だと気づいた。
「結構落ち着けそうだな」
 落ち着けるものなら、一日二日、養生がてら宿に泊まってみたいと思ったが、そういう状況ではない。諦めをため息として吐き出す。
 ピンクの服をきたかわいい女の子がいる家の東に、小さな祠があった。馬を下りて覗き込むと、光炎剣がぼそりと呟く。
『この祠には寄らぬ方が良い。何やら不吉な気とそうでない気が交じり合っている。――ここには真の紋章が眠っているのやもしれん』
「真の紋章が?」
『可能性としては否定できん。だが、真の紋章の力としては、少々弱い気もするが』
「どちらにしても、寄らない方が身のため、と」
『先を急ぐ身ならば余計』
 光炎剣の意見を尊重し、は好奇心を押しとめて馬に乗った。




 トトの村を、南へ走っていく。昼になって太陽の照らしがきつくなってきた。
「あまりモンスターと遭遇しないな」
の力の方が強いからだ』
「光炎剣もいるし?」
『まぁ、そういうことだろう』
 馬の歩調を弱め、は太陽の光を手のひらで遮りながら見上げる。
「まったく、たまんないな・・・」
 呟きを落としてから馬を止めた。リューベの村に到着したのだ。
 馬の手綱を引いて中へ入る。宿屋には厩がないから、ここでは泊まることはできないだろう。
「やはり、傭兵の砦に頼み込んで止まらせてもらうか」
 は仕方ないと呟き、馬を引いたまま中まで入っていく。ちょうど広場のところで三人の芸人が、人を集めているようだった。
「ふーん」
 太陽の光を遮るためにフードを被ったは、感想もなく眺める。
 自分も剣舞をしていたことがある。踊り子だって見たことがあるし、実際に踊ったこともある。火ふきもナイフ投げも珍しくはない。だがそれでも見てしまうのは、それが懐かしい人物だったからだ。
 トランを出てからこの仕事を請け負うまでに、二度、目にしたことがあった。名前を名乗った記憶もあるが、顔を隠していれば見つからないだろう。
 こんなところで道草をしているわけにもいかず、懐かしいと思いつつも逃げるように姿を隠す。
 広場から離れて鍛冶屋と道具屋、防具屋と見て回ったあと、やはりここで宿を取るのは無理だと確信する。
「仕方ないな。男所帯に踏み込むのも気が引けるんだけどな」
 自らは男であると思っていても、そうできぬ状況もある。――風呂というのが一番のそれである。
「風呂ばっかりは脱がずに入るわけにもいかないしなぁ」
 女である以上、胸があるのも男にあるものがないのも仕方なく。
『諦めろ』
 光炎剣が一言、低く呟く。
「まったく、その通りだね」
 諦めの悪い自分に叱咤して、は馬に飛び乗った。





 リューベの村の南西に、傭兵の砦があった。馬の歩調は少し緩やかに、砦の入り口へとやってきた。
「ここは傭兵の砦?」
 馬をおり、手綱を持ったまま入り口に立つ二人の兵に聞くと、肯定が返ってきた。
「申し訳ないが、一夜だけ宿を貸してはいただけないだろうか」
「私どもではお答えいたしかねます。少々お待ちいだだけますか?」
 おい、隊長か副隊長に伝令してくれ。
 左右にいた兵のうちの一人が、敬礼してから砦の中へ消えた。そちらの方が後輩なのだろう。
 暫くすると。
「歓迎するぜ! と言いたいとこだが、こっちもそれほど物資がねぇ。たいしたもてなしはできねぇが、良いか?」
「結構だ。馬小屋でもどこでも、雨風が凌げればこちらは文句ない」
 フードを取らずに答えれば、彼はを値踏みするように眺めやる。
「その金色の剣、どこで手に入れた?」
「譲り受けたものだ。その主がどこで手に入れたものかは知らない」
 あまり顔を見せたくないため、軽く俯き加減で喋れば、遠くにあった影が自分の目の前にあることに気づく。
 ――気配が探れなかった?
 戦士にとって気配を取れなければ致命傷だ。そして、気配を消すことも然り。ということは、目の前にいる彼は腕のたつ剣士、ということになる。
「顔を知られるのは好まねぇのか? そんな格好じゃ、余計に怪しまれるぜ?」
 多分、彼と剣を交えれば、間違いなく自分が負けるだろう。そう判断し、はフードを勢いよく取り払った。視線もきっちり、まっすぐと彼を見据える。
「あ!」
「おまえ!」
 の声と、目の前の彼の声が重なった。
じゃねーか」
「ビクトール?!」
 紅の髪をかきあげ、は驚きに目を見開く。
「光炎剣に似てたから質問してみたんだが」
 ビクトールは、その剣を誰かに譲った可能性も考えて聞いてきたらしい。
「ビクトールがここの隊長?」
「ま、仕方なくだけどな。隊長ってガラでもねぇんだが、ま、しゃーねぇわな。アナベルに頼まれちゃ、俺も断れねぇし」
 アナベルに頼まれたら断れない? ということは、それなりに交流があるということ。
『よく土産でこれを貰ってねぇ』
 そう言って、トランの葡萄で作られた酒を出してきたアナベル。
「ビクトールとアナベルは知り合い?」
「あぁ、そうだが・・・」
「ビクトールがアナベルに土産だと渡した逸品、僕も飲ませてもらったよ。美味かった」
 それだけで彼はどういう経緯でアナベルのことを知ったのか、理解したようだ。
「おまえだったんだな。アナベルから連絡は貰ってたんだ」
 今日、もし黒い馬に乗ったフードを被った傭兵が宿を頼んできたら、一夜だけ貸してやって欲しい。
 そう言って、朝も早いうちから連絡があったのだと、ビクトールは語る。
「本当はリューベで宿を取ろうと思ったんだが、馬がいるんでね」
「いいってことよ。もう一人、懐かしい人物と対面もできるしな」
「懐かしい人物?」
 会えばわかるさ。
 ビクトールは豪快に笑い、を招き入れた。





「レオナ、悪ぃけどコイツになんか食わせてやってくれ」
「ビクトール、僕は別に宿さえあればそれでいい」
「急ぐ旅なんじゃねぇのか? だったら、次、いつ食えるかわからねぇ。ここの守りは鉄壁とは言えねぇが、ミューズの三分の一の武力規模を誇ってる。少々のことじゃへこたれねぇぜ?」
 だから、一夜だけとはいえ、ゆっくりしていきな。
 ビクトールは笑って、大きな手をの頭に置く。
「頭に手ぇ置くな! チビって言われてる気がして腹が立つ」
 ビクトールに比べれば、背は低い。男と女の差は、やはりこんなところにも出てくる。
 噛み付くような勢いでが言えば、驚いたような顔をしたビクトールが「ワリィワリィ」と、それでも悪びれた様子は一つもない声で更に笑う。
「何を騒いでいるんだ?」
 人に書類ばっかり押し付けやがって。
 呟きながら二階から階段で降りてきた声が、ビクトールを咎める。
「ビクトール、半分残してあるからおまえがしろよ!」
 言ってから、彼の隣にいる紅の髪の細身の男に視線をやる。
「市長さんが言ってた人か?」
「アナベルの言ってた人物だ。ちなみに、おまえ、コレが誰かわかるか?」
「コレとはナンだよ」
 舌打ちしそうな声音で言い放つ後姿と、鮮やかな紅の髪。その腰にある金色の剣。
「――?」
 その声に振り返り、はしかめっ面だった表情を変化させた。
「フリック!」
「久しぶりだな」
 その声に、階段からゆっくりと歩いてきた姿に歩み寄る。
「本当に久しぶり」
「おいおい。俺と会ったときとじゃ、えらい違いじゃねーかよ」
「仕方ないだろ。砦の隊長に連絡入ってるとは思ってなかったし、アナベルと仲良いとも知らなかったし」
 顔だけを肩越し振り向いてそう言い、フリックに向き直る。
 優男のような外見だが、それは見かけだけ。中身は相当な頑固者で、戦士として申し分ないほど力もある。
 ビクトールもフリックも、にとっては尊敬できる人間だ。
、ちぃっと頼まれごと、されてくれねぇかなぁ」
 フリックと並んでレオナのいるカウンターまでやってくると、ビクトールがそう言って両手を合わせてを拝む。
「宿代安くしてくれるなら」
「宿代も飯代もいらねぇよ。そのかわり、書類の手伝いしてくれ」
「てめぇ!」
 フリックが叫ぶが、ビクトールは頼む! とをいまだ拝んでいて。
「仕方ない。そのかわり、書類を片付けるついでにこのあたりの地理と状況を抑えさせてもらうが?」
「それでいい」
 カツン、とカウンターにビールが三つ、置かれる。
「レオナさん?」
 が問いかければ、彼女は笑って言った。
「同窓会のようだからね、特別だよ。それと、あんたにはこれ」
 揚げ出し豆腐と焼き鳥。
「つまみと食事を一緒にするには、それぐらいがちょうど良いだろ?」
 彼女の行為に感謝をしつつ、はビクトールにすすめられるまま、椅子に腰を落ち着けた。






「さすがだなぁ、
 ビクトールの感嘆に、フリックが「おまえが出来なさすぎるんだ」と毒づき笑う。
「それにしても、何年ぶりだ?」
「そうだなぁ・・・・・・トラン以来だから3年ぶりか」
「二人は相変わらずの夫婦っぷりで」
「誰がだ!」
 のとぼけた言葉にフリックが大きく反論する。対して、ビクトールは大笑いして涙まで流している。
「あははははは! そりゃ言い得て妙だな!!」
「笑いごとじゃないだろう!」
 ビクトールは笑いを収めることができずにいる。それにつられるように笑って、は片手に持っている地図の乗っている書類をみやった。
「このヘンもそのうち戦火を浴びるんだろうな」
 大らかな、とてもよい場所だと思う。少しも陰気なところがない。勿論、この砦も含めてだ。
「仕方ねぇよ、そればっかりは。それに、砦はそのためにあるんだからな」
 が持つ書類の中にある地図は、ロックアックス城。
「ところで、マチルダの白騎士団のゴルドーとかいう男、彼の良い噂を耳にしたことがないんだが、本当のところを知ってる?」
「いや、俺は知らないな」
 の問いにフリックが申し訳なさそうに答える。
「アナベルも結構、あいつには苦労させられてるみてぇだぜ? 噂は本当、と思っていたほうが良いと俺は思う」
 対して、ビクトールはそう簡潔に答えた。
「やはりそうか。――厄介だな」
 最後の呟きは、口の中で消えていく。
「さて、もうそろそろ寝かせてもらっても良いかな」
 は時計を見ながら言う。夜十時に就寝は早い気もするが、この先の動きを考えれば仕方ないだろう。
「あぁ、バーバラに言って用意してもらった。一階の倉庫の隣が宿だ」
「わかった、遠慮なく使わせてもらう」
 は椅子から腰をあげれば、それに続いてフリックが壁に寄りかかっていた体を起こした。扉へ向かうためにビクトールとフリックに背を向けたあと、二人の視線が交錯する。それには気づいていたが、気づかないふりをした。
 扉を開けて出る前、彼は肩越しに振り返って言った。
「僕は全力を尽くすだけだ。――気に入ってしまったからな・・・この国を」
 幾つもの選択肢を選び、それでも駄目ならば。――自分の命一つで助かるのならば、この命さえも投げ打つだろう。
「じゃあな、おやすみ」
 右手をあげて軽く振り、振り向いていた顔をまっすぐ前へ向け足を進める。
 部屋を出たの後姿を眺めやりながら、ビクトールとフリックはもう一度、視線を絡ませあった。





「ありがとう、バーバラ」
 倉庫に寄りバーバラに部屋を聞き、使えるようにしてあるという言葉にはそう礼を述べた。そして、あぁ、と思い出したように腰にぶら下げていた革袋の中をゴソゴソと手探り、小さな箱を取り出した。
「これ、貰ってやってくれないかな。宿代は要らないって言われたんだけどね、僕の気がすまないから。プレゼント、ということで」
 バーバラの右手を自らの左手で持ち、手のひらを向ける。その上に箱を置いて握らせる。
「じゃ、寝かせてもらうよ。明日は早いから挨拶できないだろうからね、言っておくよ」
 ありがとう、世話になったな。
 小さく笑いかけ、呆然としているバーバラをそのままに部屋へ入る。ベッドと一つの椅子しかない部屋だが、綺麗にメイクされている。
 腰にぶら下げていた革袋と光炎剣をはずし、マントをはずして椅子の背にかけ、防具をはずす。それらをすべて椅子に置き、光炎剣を頭元に置いた。
「大人しかったな、光炎剣」
 この砦に入ってから一言も喋っていない喋る剣に、は珍しいと問いかける。親しい間柄であるはずの星辰剣とも言葉を交わしていない。
「――彼らと言葉交わせば、と違って私はボロを出しやすい。任務をはじめたばかりというのに、それでは迷惑をかけるだろう」
 それでなくともこの旅には不可解なことが多い。
 どこから現れるかわからない敵、どこから漏れるかわからない情報。この砦の中でさえも、油断ならない状態。
「私はをパートナーと選んだ。私を私として見てくれる人間はがはじめてだ。だからこそ、私は大切にしたい」
「僕が『はじめて』でも、次はたくさんいただろう?」
「・・・あぁ。嬉しかったよ、本当に。だからこそ、巻き込みたくない」
「そうだな。それならこの話はここで打ち止めだ」
 はそう言い、区切りをつける。
『もう一つだけいいか?』
 珍しくも、饒舌な光炎剣には驚きを隠しつつも、目線だけで言葉を促す。耳に聞こえてくる音ではなく、脳に語りかける声である以上、こちらも音に出すわけにはいかない。
『あの二人は、私たちを警戒している』
 その声に頷きで答える。
『気づいていたか。だが、が何を知り、何を依頼されているかは知らないはず。本来ならば即刻ここを出るのが良いのだろうが・・・』
 それもまた、逃げるようで癪だな。
 は胸中で呟く。と同時に、光炎剣からも同じ言葉が降ってきた。途端、くっくっくっと喉の奥で笑うと、はにやりと唇の片端を引き上げた。
『警戒は私たちだけではないらしいな』
 砦の裏には森がある。その森の方から、微かな人の気配。
『これに彼らが気づいていればいいのだが――・・・どうだろうな』
 さぁな。僕ならばそのまま放っておくね。
 胸中の呟きが光炎剣に届くと、そちらからも小さな笑い声。
『確かにな。気配は玄人、ゆえに一人で襲ってくることはないだろうということだな』
 こちらにも小さな頷きでは答える。答えながら、ベッドの上に寝転がる。
『さて、どうする? 朝までここで過ごすか?』
 勿論、このまま休ませてもらう。ま、思ったより早い出立にはなるけど。
「そうか。ならば私も休ませてもらおう」
「あぁ、おやすみ」
 最後は声に出し、ここで休むということを強調する。そして、は瞼を閉じた。