アカイヒカリ 4







「おはよう、光炎剣」
 はうーん・・・と唸りながら両手を伸ばして背伸びをする。その光景に、光炎剣が呆れたような、感心したような、どちらとも取れるため息を漏らす。
「何だよ?」
「いや・・・」
「光炎剣の言いたいことはわかってる。だけど、しょーがナイだろ」
「警戒しすぎるのも考えものだが、警戒しなさすぎるのもどうかと思うが?」
 砦の外から微かな気配を感じているのに、はしっかりと睡眠をとり、そして先ほどの緊張感のない伸び。それが光炎剣を不安にさせているのだ。
「ここで襲ってくる奴なら力量はたかがしれてる。・・・状況を的確に判断し、冷静かつ早急な対策を練れるなら――」
 ベッドで上体を起こしたままだったは、ベッド脇に立て掛けている光炎剣に向かって笑いかけた。片膝ををたて片肘を乗せたは、片方の口角を引きあげ、言った。
「勝負はこれからだ」
「それが本音か」
「当たり。あの気配は間違いなく剣術にたけた者。ここを出たら来るだろうね」
 来ないなら引きずり出すケドね。
 はそう言葉を繋げながら腰をあげた。
 胸当てをし、腰にベルトをつけて光炎剣を装着する。椅子の背にかけてあったマントをかけて留め金をし、全身を覆う。
「さて、行くとしますか」
 部屋の扉を開け、肩越しに部屋内を見渡す。忘れ物がないかチェックをしてから出て、音をたてないように扉を閉めた。
 自らの気配は、扉を開ける前に消した。急に消えた気配に、敵は少なからず動くだろう。
『やはり、挨拶なしで去るか』
『仕方ないだろ』
 光炎剣が音なき声で聞けば、がため息交じりに答える。
『ビクトールとフリックは気付いているかもしれないけど』
『――おまえが望むなら、力を貸すが・・・どうする?』
『そんなことか出来るのか?』
 今まで一度たりと、光炎剣は助けてはくれなかった。なのに、なぜ?
『今まではの力量があれば心配なかったからな。だが、今回は・・・星辰剣がいる。できれば私も知られたくない』
 利害が一致した、ということのようだ。
 貸してくれるならばと、は小さく頷く。瞬時に張られた結界は、と光炎剣を包み込んだ。
『んー? 気配が動いたね』
 倉庫の前を通り過ぎ、地下から一階へあがる。階段をのぼった先にあるカウンターに人がいないことを確認して、表へ向けて歩をすすめた。
『開かないな』
『それに見張りもいる』
 外への扉はひとつしかない。仕方なくは戻り、二階へとのぼっていく。
『二階は二人がいるから来たくなかったのになぁ』
『たぶん彼らの策だろう』
『やっぱり?』
 はそっと扉を開け、外へと滑り出る。ベランダというには狭いそこからは、開けた土地が見渡せた。勿論、出入口を見張る兵士も丸見えだから、振り向かれたら自分も丸見えだ。
『ロープないから・・・飛び降りる?』
『私に聞くな』
『そりゃ失礼』
 は柵に脚をかけ、ひょいっと飛び降りた。鈍い音がしんと静まりかえったその場所に響いたが、見張りの兵士には気付かれずに済んだようだ。片膝をついて着地した体制のまま、は肩越しに建物を振り返る。
 ビクトールとフリックの眠っているのだろう気配を感じ取る。
『星辰剣は気付いているようだ』
 光炎剣が苦々しく呟く。だが、星辰剣の気配は動かない。
『借りを作りたくないのだが・・・』
『諦めが肝心』
『・・・そうらしいな・・・』
 星辰剣は二人を見逃すため、二人の眠りを少しだけ誘導してくれたらしい。
『――?』
 は見上げていた建物から、視線を森へ向ける。
『どうした?』
『二人に増えた・・・?』
 の呟きに、光炎剣が意識をそちらに向ける。
『そのようだ。・・・戦闘の意思はないようだが』
 どちらにしても、ここからは離れないと。
 立ち上がり、森の方へ歩き出す。表から出られないため、裏にある森を抜けるしかない。諦めに似た気持ちを抱えたまま、は気配を消して足を運ぶ。
 暫く歩くと、先程から感じていた気配の主が視界に入った。あちらも気配と姿を隠しているが、光炎剣の結界がこちらの能力を手助けしてくれているようだ。
 無理な戦闘はしない方がよい。加えて、日数が限られているから時間の無駄は避けたい。
『逃げるが勝ち?』
 逃がしては貰えないだろう雰囲気の漂う中、そんな呟きをがこぼす。
『この状況下で、よくその台詞が吐けるな』
『僕一人ならどーにでもするんだけど、預かり物があるからなー』
 大事な預かり物。依頼主は、あのアナベル市長。なんとしても依頼を成功させなければならない。
 慎重に歩をすすめながら、は腰にある光炎剣に手をかけた。手袋をした手と視線は動かさず、意識だけを研ぎ澄ます。
 ガサッと草を分ける足音。そちらへ意識を向ければ、金色の髪が見えた。長いコートのような上着の下からちらりと見えたのは、二本の剣。左腰に短剣が据えられているが、これを生業にしているわけではなさそうだ。
 はそこまで瞬時に検分する。
「逃がすか!」
 若い男の声と、それを制止する低い男の声。
 ――感じる気配が三つになってる?
『やばいな』
『これはもしや、一対二でやりあってる? ってことは、早いトコ退散したほうが身のためか』
 光炎剣の呟きに胸中で返答し、は木陰に隠れた。
「深追いはよせ」
「煩ぇな。せっかくイイトコロだったのによ」
 もう少しで決着がつきそうだったのに。
 そう吐き捨てながら赤い髪の男が舌打ちする。その背後にやってきた銀髪の男は、彼を諌めて戻るように言った。
「ところで、そこで隠れてるヤツ、諦めて出て来な」
 見つかっちまったな・・・。――でも、出てこいと言われても出ていくヤツはいないよ。さて、どうしたものか・・・。
「出て来ねぇなら、引きずり出すぜ?」
 赤毛の男は、それは嬉しそうに笑う。その余裕のある笑みが気に喰わないが、限界まで我慢しようと心に刻む。
「雑魚に構う必要はない」
 言ってくれるね、まったく。こちらを挑発して煽る作戦には乗らないよ。
 は唇を引き締め、息を殺す。と、背後に気配を感じてゆっくり振り返ると、先ほど逃げていた金髪の男が片膝を地につけて身を潜めていた。
 彼は無言で唇の両端を引き上げ、袖から手の中に滑り込ませた何かを二人に向かって放り投げた。
 投げた右手を見上げたの肩を左手で抱き込むように地面に伏せる。途端に溢れる白煙。
「煙り玉?!」
 されるがままだったは伏せた状態のまま顔だけをあげる。
「逃げるぞ、こっちだ!」
 金髪の彼が抱いていた肩を放し、背中を叩く。それに弾かれたようには立ち上がり、彼の後ろ姿を追っていくのだった。





 どれぐらい走っただろうか。先に走る男の後姿を見やりながら、はぼんやりとそんなことを思う。男はこのあたりの地理がわかっているように思われるが、実はそうではない。は脳裏に、昨夜見せてもらったこのあたりの地理を反芻する。
「このへんまでくれば大丈夫かな。――・・・大丈夫か? ・・・えっと・・・・・・」
 立ち止まり振り返った男は、の名前を聞いていないことに気づいて語尾を小さくする。それに小さく笑い、は彼の傍まで近づいていく。
「人に名前を聞くときはまず自分から。――そうは教わらなかったのか?」
 乱れる息を整えながら言えば、彼は「ああ、そうだったな。悪い」と誠意のない言葉と自らの名前を名乗った。
「俺はナッシュ。で、あんたは?」
 ナッシュという名前に聞き覚えがあった。ここへ来る前にいた土地で自分を助けてくれた人物が一度だけ見せてくれたことがあった写真。その中にこの金髪の男がいたはずだ。
。仕事でこっちへ来てる。あなたも仕事みたいだね?」
「ま、そんなトコだ。はどっちへ向いて仕事に出るんだ? 俺はラダトに向かおうと思ってたんだけど」
「ラダトならもう少し先だな。それで?」
「へ?」
「巻き込まれた人間としては、その経緯を聞く権利があると思うけど?」
 この男は確か、ハイランドと交友関係のあるハルモニアの人間だ。――情報収集するにはちょうどいい。
「やっぱりそう言うと思ったんだよなぁ」
 ナッシュは右手でぽりぽりと頭をかき、歩きながら喋ろうと言ってを促す。
「俺の仕事は『真の紋章』の調査。調査だけだから安心してたんだけど。――なぁ、は何か知らないか? ちょっとしたことでもいいんだ」
 ナッシュは横を歩くを見やって問いかける。背の低いの歩調に合わせてくれている彼が、両手を合わせて拝む体制をとる。
「ナッシュはどれだけの紋章を知っているんだ?」
「知っているのは、トラン共和国であった戦争――門の紋章戦争のときに参加した人間のうちの数人が持ってたものだけだ」
 解放軍の主であった、・マクドールの持つ生と死を司る紋章『ソウルイーター』。
 レックナートも持つ『門の紋章』。
 バルバロッサの持っていた竜王剣が宿す『覇王の紋章』。
 竜騎士団長ヨシュアの宿す『竜の紋章』。
 風来坊ビクトールの持つ星辰剣が宿す『夜の紋章』。
 ネクロードの持つ『月の紋章』。
 ――もし、知っているならばこれぐらいのものだろうか。
 そこまで脳裏で考えて、ふと思う。門の紋章戦争を知っているならば、自分のことも知っているのではないか――と。
「僕が知っているのもナッシュが知ってるのと大差ないけど」
 あとは僕の持っている光炎剣が宿している『閃の紋章』とルックの持っている『風の紋章』。あとは、ルカ・ブライトの持つ『獣の紋章』。だけど、今は言えないな。
 胸中で呟きながらナッシュを見やれば、彼はの腰にある剣に視線をやったところだった。
「その光炎剣も――だろ?」
 それも、と言いつつ指差したのはまさしく光炎剣。どうやら彼はそのあたりのことも知っているらしい。
 ――要注意人物だな。
は光炎剣をどこで手に入れたんだ?」
「さあな」
「覚えてないのか?」
「あぁ、さっぱり忘れてるんだ。僕に聞かなくても知ってるんじゃないのか? 調べてるんだろう?」
 皮肉げに言ってやれば、ナッシュは空を仰いで苦く笑う。両肩を落とし、ふぅとため息。
「調べさせてもらったよ、当然。門の紋章戦争以前の記憶がないらしいな。――ハルモニアにいたはずの自分の記憶も・・・・・・っと、やばっ」
 チャキ、と抜き身の光炎剣の刃がナッシュの喉元に当てられた。殺気を放つに、ナッシュが両手をあげて「すまん」と謝る。
「そこまで調べる気はなかったんだ。本当だ。信じてくれよ」
 横目でちらりと見やる目は、確かに嘘をついている風ではない。だが、この男はハルモニアの人間。それも、真の紋章を調べているという。自分にとっては敵と認識するのは当たり前だ。
「ハルモニアに自分が居たことは知ってるんだな?」
 その反応は間違いなくそうだよな?
 確認のように問いかけてくる男に、は刃を押し付ける力を強める。もう少し力を入れれば、間違いなく肌に刃が食い込むはずだ。
「命は必要ないらしいな? 余計なことを言えば容赦なく――斬る」
「ちょっ・・・ちょっと待ってくれよ。本当にそれ以外は知らないんだ。なんで光炎剣を持ってるのかとか、どうして記憶を失っているのかとか、今、なんでコッチに来てるのかとか――そういうのは一切知らないし、調べてない。本当だ! だから剣をのけてくれ」
「信用できないな」
 細めた瞳は冷静そのもので、今まで普通に喋っていたものとはまるで違った。それはまるで感情のない人形の目のようにも見えた。
「――じゃあ、どうしたらこの刃をのけてくれるんだ? 命以外で取引しよう」
 命以外とこの状況下で言えるあたり、度胸はあるようだ。は仕方なく刃を離す。だが、構えは解かない。
「こっちの戦況をどれだけ知っている? 知っているならばその戦況。知らないならば、ハイランドについて教えてもらおうか。それで手を打つ。――どうする?」
「こっちの戦況は、来たばかりでわからない。知っているのは、に真の紋章が集いはじめているということだけだ。ハイランドは専門じゃないから詳しく知らないが、ルカ・ブライトの持つ紋章がヤバイものらしいってコトぐらいだ」
「真の紋章が集い始めている、か」
 光炎剣、やっぱりあの祠の気配は真の紋章みたいだな?
 ――あぁ、多分『始まりの紋章』だろう。
「それ以外には知らないのか?」
「――はコッチのことを何も知らないんだな」
「何もってわけじゃないが、来て3日と経ってないんでね」
 ――この男は使える。ハルモニアの工作員だ。道連れにすればいい。
 光炎剣の声が聞こえ、はにやりと口元に笑みを作った。
「貰うほどの情報じゃなかったな。やはり、殺しておくか?」
「おい! 約束が違うだろう!」
「工作員の癖にこれだけの情報しか持っていないとは思えないからな。――言いたくないなら、暫く僕に付き合ってもらおうか」
「脅したってこれ以上の情報はないぜ? 本当にこれだけしか知らないからな、俺は」
 仕方ないな、と呟き刃を下ろす。剣を鞘におさめて、ナッシュをおき去り歩き出す。
 ――道連れにしないのか?
 心配しなくても大丈夫さ。
「おいっ、待てよ! っ」
 ――・・・・・・ナルホド。
「何のようだ。また刃を向けられたいのか?」
 冷たい視線を投げれば、そのような反応をされると思っていなかったのだろう、ナッシュが慌てたような声音と態度で駆け寄ってくる。
「俺も一緒に行く」
 駆け寄り隣に並んだナッシュの顔が必死だったから、は思わず笑ってしまった。
? もしかして、騙したな」
「騙してなんかいない。たとえ誰であっても――僕の行く先を邪魔するヤツには容赦しない。・・・・・・ナッシュのことは前から知っていたしな」
「前から知っていた?!」
「直接会ったのははじめてだけどな、写真を見たことがある」
「写真?」
「僕のような赤の他人に言われるのは心外だろうと思うんだが、言葉にしてほしいか?」
 この言葉に、ナッシュが驚いたような目をして、それから苦く苦く息を吐く。
「妹に会ったんだな」
「あぁ。トランからこの地にくる前に、ハイランドとハルモニアに行っていた。そこで少しだけ世話になった。――これで喧嘩両成敗だな」
 はナッシュの過去を知っていた。そして、ナッシュもの過去を知っていた。これでチャラにしようということらしい。
 そんな会話をしながら歩いていれば、川が見えてきた。
「ここがラダトだ。ここを出て南に行けばサウスウインドゥ」
「ふぅ・・・ようやく到着、か。まったく、今日はとんでもない日だった」
 ナッシュが心底疲れたように言うから、は笑いを誘われてしまった。
「まだ日は高いぞ? 今から疲れていては、僕の傍にはいられないよ」
 ここで止まる気はない。最低でもサウスウインドゥまで行かないとな。
 笑いながらもそう言って、渋るような顔をしたナッシュの背中を叩く。本当は馬で移動のはずだった自分が、ひょんなことで徒歩になってしまった。二週間の期限を設けてくれてはいるものの、出発して二日目でまだ一つの街にも到着していないとなれば、急ぐ気持ちにもなろう。
「サウスウインドゥについたら一息入れよう。――それまでは無理にでも足を動かしてくれ」
 急ぐ仕事だからな。
 言って、後ろから仕方なくついてくるナッシュの姿を確認してから足を動かすスピードを速めた。