「おい、ビクトール」
「あぁ?」
青いバンダナをつけたフリックが、ビクトールをたたき起こす。
いつになくよく寝たなぁと呟きながら、のっそりと起き上がったビクトールの頭の中は、まだ靄がかかったままだ。
「がいない」
「出て行ったんじゃねぇのか?」
「出て行っただけならいいんだが・・・・・・馬を置いたままというのが、な」
「馬を?」
それでようやく覚醒したらしいビクトールは、立ちながら喋る剣に言った。
「星辰剣、気づいていたとか?」
剣が黙秘を通す。つまりそれは『イエス』ということ。
「なぜ知らせなかった!」
『知らせる義務などない』
「ビクトール、あいつは元から俺たちに何も言わずに出て行く気だったんだろう。まぁ、馬を置いていく気はなかっただろうけどな」
『光炎剣が力を貸していた。自身に結界を張り、気配を消した。そこまでして出て行こうとする彼らを、なぜ止めねばならない?』
口にするのは不本意だ、と雰囲気に紛れさせ、星辰剣はそれきり言葉を発することはなかった。
「仕方ねぇな。馬だけは面倒みてやるか。が無事仕事を終えてココへ来るまで」
ビクトールは寝癖のついた頭をポリポリとかきながら、仕方なさそうに呟いた。
「ラダトの南西にサウスウインドゥ。そこまで行ったら宿でゆっくりしようか」
は言い、ラダトを出る。文句を言うことなく、ナッシュはの横を歩いている。
「ナッシュ、気づいているか?」
「モチロン」
「どうやら先方は僕よりナッシュを所望しているようだけど?」
「そうとも限らないんじゃないか? 相手はハイランドっぽいぜ?」
こんな何もない平原では隠れる場所などありはしない。ところどころにある木々の木陰で体を休めているフリをしている人間は、その殆どが剣を身につけていた。それも、一般人が護身用に使うようなものではなく、戦うための剣だ。
「こんなところで争っても埒があかない。さっさと街に入ってアイツらをまこう」
が言うのにナッシュも賛成する。そのとき、光炎剣がそれに待ったをかけた。
――気をつけろ。いらぬ気配が混じっている。これは、間違いなく獣だ。
「ナッシュ、予定変更。この平原でヤツラをぶっ潰す」
「はあ?! 馬鹿言ってんじゃない。何人いると思ってるんだよ」
立ち止まることなく進みながら、何気なく周囲を見渡す。視界に入るだけで10人はいるであろう、敵。
「ナッシュの知りたがってる真の紋章の『分身』の一つを感じると、光炎剣が言っている。街に入れば被害が大きくなる。選択の余地がない。手伝う気がないのなら、どこかに隠れていろ」
言いながら、は画策する。自分の左手には火の紋章。額には土の紋章。あとは懐にある札が14枚。
「隠れていたいのは山々なんだけどな、隠れるところがないんだよ」
ナッシュは言って、大きくため息。
「俺って運がないな・・・、仕方ないから付き合うよ」
『ナッシュとやら、聞こえているか?』
「聞こえているよ」
『私の声を聞いて驚かないとは、さすがは工作員というところか。ラトキエ家の坊ちゃん』
光炎剣の最後のセリフに、ナッシュの顔が渋くなる。
「その言い方はやめてくれ。気が抜ける・・・」
『それはすまないな。今は何の札を持っている?』
ナッシュが魔法を得意でないことを光炎剣は感じたのだろう、札、と限定して言った。札はある程度の人間なら使いこなすことができる便利な魔法道具だ。
「今は残念ならが『破魔』しかない」
『人にそれは意味がないな』
「悪いな」
ナッシュは札よりも、ちょっとした小技の方が得意だ。は考えた末、小さく問いかける。
「火薬は持ってるか?」
「あぁ、持ってるが・・・・・・どうするんだ?」
「僕らの前面に散らせてくれ」
「散らせて――・・・って、まさか?!」
『そのまさかのようだな、。派手にやってどうする? 自分の居場所を教えているようなものだぞ』
呆れたような、光炎剣の声。
は、この野原に火薬を飛び散らせ、それに火をつけようと考えているのだ。火薬に点火されれば大爆発を起こす。だが、それでは自分たちにも危険が及ぶ。いや、自分たちならば『守りの天がい』を発動させればどうにかなるだろうが、この野原に罪はない。野原を焼野原としてしまうのはいただけない。
「大丈夫、焼く前に火を消せばいいことだろう?」
『簡単に言うな。ねむりの風の札を使った方が安全ではないか?』
「ねむりの風、ね。けど、それじゃあ効かないヤツも出てくるだろ。それじゃ駄目なんだよ。――いざとなったら殺さなければならない。今は出来れば・・・一発でケリがついて、効果抜群なものがいいんだけどな」
の言葉に、光炎剣は呆れるばかりだ。人を殺したことがないわけではない。勿論、自分が殺されかけたことだってある。だが、刺せば痛い、刺されれば痛い。できるだけお近づきにはなりたくない感覚だ。
歩く速度はそのままに、二人と一本の剣は思考をめぐらす。だが、良い案が早々に浮かぶわけもなく。
『この草原で決めるには、やはりそれしかないのか。・・・・・・ナッシュ、できるだけ天高く、出来うる限り遠くへ飛ばせ』
「リョーカイ」
『、火炎の矢を使え。大きい魔法は使うな。すぐに守りの天がいを唱えねばならないのだからな。そちらに関しては、私が補助をする』
「わかってる」
光炎剣はやたらと強い口調でを諭す。
「さぁて・・・やりますか」
の瞳に、嬉々とした色が瞬時に宿る。それに気づいたナッシュが呆れたような顔をする。だがそれと同時に、危機に面しているのにそれが楽しみである自分がいる。これはきっと、真なる紋章を持つ光炎剣とその持ち主であるの動きを間近でみるチャンスだからだろう。
ナッシュは大きな袖から見えている茶色の手袋をはいた右手に力をこめた。手を振って普通に歩いているフリを続けていたナッシュは、不意に右腕を大きく振り上げた。てぐすのような強くて細い糸の先には火薬の入った紙がついていた。それは空へ舞いあがり、風圧に煽られて広がった紙の中から小さな粉末が飛び出していく。それを見届けないうちに、の左手に火の紋章が浮かび上がる。すぐにそれは形となった。
――火炎の矢。
声に出さずに呟くと、それを空へと放り投げた。そして、瞬時に額に浮かぶのは土の紋章。
途端に「散れ!」と叫ぶ声や、「守りの天がいの札」を発動させる者たちの姿が視界に入る。だが、札を発動させているのは数人で、殆どが逃げようと赤く染まる空を見上げなら逃げようとする者たちだ。
『我が主に、真の力を解放する。――守護せよ』
『「守りの天がい」』
の少し高めの声と、光炎剣の低い声が重なる。それはナッシュと自分をひっくるめて、大地へと魔法はかけられた。
魔法が完成した刹那に聞こえた大爆発。火炎の矢が火薬に火をつけ、あちらこちらで爆発を起こしているのだ。一つの爆発が他の火薬を誘発させ、それが次第に大きく流れるように広がっていく。
赤く染まる空は、加速しながら落ちていく。だが、地へと落ちる前にそれは水をかけられたように消えていった。
消えていく火のせいで煙がたちこめる。視界の悪いその中に、片手で足りる程度の人物が見えた。自分とナッシュ。それ以外に見えるのは敵しかいない。
そう判断を下したが、光炎剣を右手に握ってその影へ向かって走り出す。影は驚いた風にを見やり、瞬時に剣を抜いた。だが、抜く前に影の頭上を跳んだが見事その後ろへ着地して、首筋へと手刀を叩き込む。前のめりに崩れる影を見もせず、次の影へと向かっていく。今度は見えていたのだろう、既に剣を構えていた。剣先がの顔面に突き出されるのを膝を折ることで回避し、左足を軸にして右足でその男の脛を蹴る。その勢いに負けて男が倒れこむ間に、剣を逆手に持ち替え腰へ一発の衝撃を叩き込む。
その頃になって、ようやく煙がはれてきた。
紅の髪を乱しながら、は煙の中に立ち尽くす。だが、気配を探るのだけは怠らない。
その姿を見ながら、ナッシュが目を見開いている。火が火薬に火をつけ、それが地に落ちるまでそう時間はかからない。その間に土の魔法のレベル3である守りの天がいを唱えきった。その上、自分たちを含めて、この地上にその魔法をかけてしまったのだから驚くのは当たり前だ。それに関しては光炎剣が力を貸したようだが、それでも大きな力が必要であることには違いがない。
そして、自らを血に濡らすことなく残っていた二人の敵をいとも簡単に倒してしまった、の動き。
「ナッシュ、生きてるか?」
ゆっくりとナッシュの元へ歩いてくるへと彼は振り向き、両肩をすくめてみせた。
「俺はあんまり役にたてなかったな」
「そんなことはない。――小手先の器用さは工作員であるナッシュの方が得意だろ?」
は笑い、「行こう」と先を促した。
『まだ獣の気配は消えていない』
「そりゃそうだろ。あのなかには人間しかいなかった」
『だが、まだ――』
「街中まで襲ってくる危険性は?」
『――わからない』
光炎剣の歯切れの悪さに、はため息をつく。真の紋章を携えた剣とはいえ、万能ではないということだ。
「街中に入って、とりあえず休息を取ろう。まる一日、食べ物にもありつけていないしな。街中で襲ってきたなら、それなりの対処をするだけだ」
「それでいいのか?」
「あぁ、とりあえず――今のところはな」
楽観的な、とはあえず口に出さず、ナッシュはとりあえずの休息と食事にありつけることに安堵を覚えた。
街中に入れば、こちらの方面では一番に栄えているだろう雰囲気を肌で感じる。交易もされているし、宿屋も酒場も比較的大きい。人口はそれほどでないにしろ、武具屋も道具屋もある。この街を出る前に、一度は覗いてみようと思いながら、とりあえず宿屋へと歩を進める。
「ナッシュ、悪いけど部屋を取っててもらえないか。さっさと仕事を済ませてくる」
「わかった」
ナッシュが宿屋に入るのを確認して、は街の奥へと歩を進めた。行くまでの間に盆栽がいくつか並べてあり、その見事さに目を奪われながら、庁舎の入り口に立つ。扉を開けば、それに気づいた一人の男が近づいてくる。
「何か御用でしょうか?」
男は眼鏡をかけた細身を直立不動にさせたまま、にそう聞いてくる。
「こちらの市長に届け物があるのですが・・・お会いできますか?」
男は外見どおりの堅物のようだ。の言葉に少々の不信感を見せた。
「無理というならば、あなたがまず、僕の預かってきたものを見てください。ただ、僕もこれが仕事ですから、市長直筆のサインをいただかなくてはいけませんが」
男の不信感を払拭するため中身の確認をと言えば、の包み隠さず言葉にしたことでOKと認識したらしく、彼は市長であるグランマイヤーのいる部屋へと案内してくれた。
「失礼します!」
一番奥の部屋へと通されたは、案内した男のあとをついて部屋へ入り――市長の年齢の高さに驚く。
――他の市長も似たり寄ったりなんだろうな、きっと。アナベルが若すぎるだけ、か。
そんな胸中は、勿論、表に出したりしない。は懐から書類を取り出すと、グランマイヤーに差し出した。
「僕は・という者です。ミューズ市長の依頼で、こちらにこの書類を預かってきました。お受け取りいただけますか」
「勿論、受け取ります」
「では、お手数ですが――こちらにサインをいただけますか。このサインがなければ、僕の仕事は完了いたしませんので」
もう一枚書類を手渡すと、中身を軽く確認した彼が、流れるような動きでサインをしていく。それをもう一度確認して、彼はへと差し出した。
「これで良いだろうか」
「ありがとうございます。では、先を急ぎますので」
は深く頭を下げ、退出する。
ここの市長は穏やかな性格をしている。喋りも動きも、それが現れている。だが、それでは戦場で生き抜くことは難しいだろう。
庁舎から出て、ようやく息をつく。首を幾度か回して、肩をすくめる。肩が凝る・・・とが呟けば、光炎剣がくつくつとおかしそうに笑った。
『丁寧な喋りができるなら、誰の前でもそうすれば良いだろうに』
面白がっているとわかる、光炎剣の声音。
「僕には向いてない。肩は凝るし。・・・もう笑うのやめろ」
よほど可笑しいのか、珍しく光炎剣が笑いを止めることなく声をかけてくる。
『だが、仕方ないのだろう? まぁ、いつもの口調で喋れば、間違いなく仕事は完了しないだろうが』
いまだ笑いの止まらない剣を無視して、は不機嫌さを滲ませながら歩を進める。宿屋の前までくると、二階の窓からナッシュが外を眺めていた。
「ナッシュ、部屋はあいてたみたいだな」
「あぁ、・・・お帰り。――部屋はあいてたんだけどな、残念ながらココしかないんだ」
「ってことは、ナッシュと一緒の部屋か。ま、仕方ないな」
は宿屋へ入り、二階へとあがっていく。すると、扉を開けてナッシュが待っていた。部屋の場所がわからないかもしれないと思い、待っていてくれたようだ。
「仕方ないって言えばそうなんだが・・・いいのか、俺が一緒で」
「今更どうしようもないだろう? 僕を襲うつもりなら、やめたほうがいい。――ナッシュを一撃で殺める自信があるから」
光炎剣にしこたま笑われたときの不機嫌が、ナッシュの言葉で笑みへと変わった。ただし、とてつもなく怪しい笑みだったが。
「――そのようだな。用心しておくよ」
両肩をすくめて苦く笑ったナッシュは、食事をしないか、とを誘う。それにOKを出し、二人で酒場へと足を運んだのだった。
夜も更けたころ、は静かに上体を起こした。少し離れた隣のベッドからは、ナッシュの規則正しい寝息が聞こえてくる。それを確認してから、は周囲の気配を探るため集中した。
――やっぱりな・・・。
が起きたのは、知る気配を近くで感じたからだ。三年前に会ったっきり、の戦友。戦友というのは大げさすぎるかもしれないし、彼は嫌うかもしれないが、事実、一緒に戦場で戦った仲間だ。
ゆっくりと足をベッドから下ろし、光炎剣を右手に持った。光炎剣も気配を感じ取っているらしく、ただ『外へ出よう』との声だけを発した。も勿論、そのつもりだった。
は静かに扉を開けて部屋を出て行く。部屋の中にが見えなくなった瞬間、ナッシュの目が開く。――彼は、眠ったフリをしていたのだ。
どこ行くんだ? あいつ。
の行動が気になるナッシュはベッドからおりて、閉めていたカーテンを少しだけ開き、外をのぞき見る。がちょうど、外へと出てきたところで、少し歩いた先にある木の陰に入って行くのが見えた。
「ルック、いるんだろう?」
『レックナートもいるな?』
「やはりわかっていましたか、、光炎剣。お久しぶりですね」
光の中から現れたのは、レックナート。ルックの師匠ということになるが、彼女自身も真の紋章を身につけていた。
『星は・・・動き出したか』
光炎剣の呟きに、レックナートが頷く。
「僕はどうでもいいんだけどね、レックナート様がどうしてもに会いたいって言うから、仕方なく来たんだ」
ルックの口調は相変わらずだ。
「今はまだ、小さな動きしかありませんが――・・・いずれ、時が訪れます」
「それをなぜ、僕に? 僕は108星の中には含まれていないし、真の紋章を継承しているわけでもない」
「君はいずれ、その戦いに巻き込まれる。――レックナート様の『星見』でそう出た」
『の仕事である書類の手渡し・・・・・・これが巻き込まれる元凶か』
そう判断するのが正しいでしょう。
レックナートは言いながら、の左手を取った。
「、これを渡しておきます」
の手のひらに落とされた、小さなイヤーカフ。
「これは?」
「あなたの中にある力を引き出すための補助道具です。魔法力に長け、剣術に長けたあなたならば――・・・きっと、それが役にたつでしょう。特殊な紋章がなければできないテレポートも、それがあればできるはずです」
「できれば楽だけど、本か何かが必要だな。――やったことがないから、やりようがない」
テレポートはまたたきの紋章と手鏡が必要となる。それで一対だ。真の紋章を持っているならばテレポートも可能かもしれないが、は持っていない。ましてや、またたきの紋章は選ばれた人間でなければつけることはできないし、このあたりの紋章屋で売っている品物でもない。
「そういうと思いましたから、ルックを連れてきました。一晩で・・・というのは無理でしょうからね」
そっぽを向いて会話に入ってこないルックは、どうやらレックナートの狙いがわかっていたから来たくなかったのだろう。面倒なことは嫌いな主義の彼らしい。
「けれど、どうするんだい? 一緒に旅をしている人間にばれても良いのかい?」
「それは大丈夫。会話は聞こえていないだろうけど、しっかり見ているだろうから」
は自分の泊まっている部屋を見上げた。少しだけ開けられたカーテンの隙間から感じる視線に、自分の視線を強引に絡ませる。その瞬間、相手が驚き怯んだことを感じる。
「今日は当然無理だから、また今度」
「案外、楽観的だね」
ルックの、嫌味の含まれた言葉には小さく笑って、は手のひらにあるイヤーカフを左耳につけながら言った。
「焦ったって仕方ないだろ。戦いはまだ先だ。それまでに覚えられればそれでいい」
「僕は早く済ませたいんだけれどね。――ま、今日はどのみち僕もやる気がおきないから、帰るよ」
ルックは一方的に言って、風をふわりと纏って消えた。
『レックナート、一つだけ聞きたいことがある』
「答えられることならば・・・答えましょう」
『ハルモニアは、出てくるか』
「――ハイランドと友好の深いところですから、おそらくは」
『わかった。肝に銘じておく』
「それでは、私もこれで」
ゆっくりと光の中に消えていくレックナートを見送り、は星空を仰ぎ見る。
ハルモニアが出てくるなら、テレポートを覚えるのは早めの方がいいかもな。
そんなことを思いながら、は宿屋へと帰っていった。
|