「まったく、ルックは相変わらずだな」
「僕だけじゃないだろ」
ルックとレックナートが去っていったあと、が呟いた何気無い一言に、あるはずの声が返ってくる。
「君だってひとつも変わってないじゃないか」
声だけが語りかけてくる。声だけで誰が言ったのかは想像の範囲内だが、出来れば姿を見て話がしたい。だが、すぐに現れてくれそうもない。
いつもより口数の多い風が、の頬を撫でる。
「何か忘れ物でもしたのか?」
の問いかけには答えず、風はゆっくりと姿を映していく。
緑色の魔法衣、右手にはロッド。艶のある髪質は昔と少しも変わっていない。外見だけで判断するならば美少年。だが、その唇から発っせられるのは、意地の悪い言葉ばかり。
「今持ってるのは火と土だね」
「さすがルック。本当は風があればよかったんだけど」
風は攻撃も回復も出来て便利なのだが、今までの町や村にはなかったのだ。・・・いや、もしあったとしてもそんな暇はなかっただろうが。
「風はいらないよ。君には攻撃魔法があれば十分」
「それってどういう意味? 猪突猛進だからとか言わないだろうな」
その言葉に、彼は意地悪い笑みを真顔に変えた。
「暫くは僕がいるんだから、必要ないよ」
ロッドを持たない左手が、30センチにも満たないところにいるにのばされる。
驚くの頬にルックの冷たい指が触れたが、肌の温もりが伝わる前にそれは離れていった。その自らの手に、ロッドが軽く振られる。
『私の気配を便りにを探すことは出来るだろうが、それだけでは心細くないか?』
突然の声に驚くことなく、ルックは更に言葉を紡ぐ。
「ちゃんと用意した。少し違和感があるだろうけどすぐ慣れる」
ルックは言い、魔法で出した左手にあるものを光炎剣の鞘につけた。
赤と白の組紐が風に揺れている。
「この組紐に僕の魔法をかけてある。どんなところにいても、僕はこれの気配をたどって君の元へ来ることが出来る。ずっとそばにはいられない。・・・その時期でもない。だから、絶対になくさないでよ」
光炎剣を手放さざるをえないときは、はずして自分が持っているように言い、ルックは右手のロッドを軽く振って風を起こした。
風の中に姿を消しながら、ルックは思い出したように呟く。
――無茶はしないでよ。・・・前のように死ぬ気じゃないならね。
声だけを残して、ルックは姿を消してしまう。低く呟くようなそれは、の表情を曇らせた。
「あのときは本当に・・・・・・どうかしてたよ」
馬鹿だと罵られても文句は言えない。それほど僕は、君に迷惑をかけた。そして、君にも危険を侵させた。
の呟きは、誰の耳に聞こえることなく――静かに落ちていった。
「お兄様!」
「来るな」
一人の女性が、一人の男性に向かって叫ぶ。兄と呼ばれた彼は、鋭く一言を投げかけただけで、彼女を見ようともしない。
「俺はまだ・・・大丈夫だ」
まだ、この『紋章』を抑えていられる。
「でも! お兄様のその傷・・・!」
左腕から滴るのは、鮮血。
「早くこの部屋から出て行け」
「でも・・・!」
「いいから、出て行け!」
怒鳴るような声で言われて、彼女は泣きそうな顔をしながら部屋を出て行く。
扉が閉まった音を確認すると、彼は滴る鮮血を見やりながら息苦しそうに大息をついた。
「ひとつだけ気配が暴れている。・・・・・・今はまだなんとか制御できているが、いずれは――」
この身ではこの荒れ狂う紋章を制御できないだろう。
この、血を好む『獣の紋章』は・・・・・・。
「?! ・・・・・・獣の気配がする」
ルックの去ったあと、は全意識を集中させながら呟く。先ほどは光炎剣しか感じなかった獣の気配を、今度は自身で感じ取る。それに光炎剣も相槌を打った。
『だが・・・少し乱れているな。――紋章が暴走して出てきたものだろう。、主の意思の届かないヤツを相手をここでするのは拙い』
獣の紋章から勝手に出てきたそれは、きっと持ち主の意思など無視しているに違いない。光炎剣だけを持ってきたことを少し後悔するが、今更何を言っても仕方がない。気配を気にしながら、一端部屋へ戻ることにする。
戻るとナッシュはベッドの上にいた。眠っているフリをしているのを承知で、は眠るためにはずしていた胸当てをつけた。その上から黒いシャツを着、その上からマントを羽織る。勿論、腰には光炎剣。
完全に旅立つ準備をしてから、手に持った麻袋の中から何枚かの札を取り出した。
「悪いな、ナッシュ。どうやら巻き込まれてしまったらしい。――・・・時は満ち、近いうちに星が集う。そのときにまた会おう」
は手にある札をテーブルに置くと、荷物を持って部屋を出て行く。一階へおり、宿主に二人分の一泊代金とナッシュの朝食分の食事代を支払うと、外へ出る。
暗闇の中に吹く風は冷たい。
フードを被ったが目指すのは、風の洞窟。この街の西に位置している。
獣が主の手から離れて暴走しても、あの洞窟なら被害は最小限で抑えられるはずだ。もし失敗したとしても、洞窟の破壊に伴い、自分がそこに埋もれるだけ。
は腰にさげた光炎剣の鞘にある組紐を揺らしながら、サウスウインドゥの街を出て行った。
「ルック、が動き出しましたよ」
「わかっています。・・・・・・獣の紋章が暴走しているのを止めようとしてるんでしょう、どうせ」
「よくわかりましたね」
は単純だから、とルックは苦く呟いてロッドを手に取った。
「行くのですね」
「のところじゃありませんけど」
「そう・・・彼らもまた、星の廻りの中にある者たち。私は星見の間より、廻り合わせが彼らにとって幸ある力になることを祈っていましょう」
レックナートは言って部屋を出て行った。
「そして、僕もまた、星の廻りに巻き込まれる。――厄介だな・・・」
ルックは苦く小さく呟き、風に掻き消えた。
厩の番をしていた仲間が走り込んでくる。
「ビクトールさん、フリックさん!」
慌てたようにやってきた彼に、落ち着けよとビクトールが言いながら肩を叩く。
「世話を頼まれたあの馬が、暴れて言うことをきかないんです」
その馬はおとなしい種類の馬で、アナベルに聞いたところによると、とても頭が良いらしい。その馬が暴れることになるとは思わず、彼は困惑し慌てたということのようだ。
ビクトールは見に行くと言い、それにフリックもうなずいて同意する。
砦の二階から一階へおりて外へでる。厩をのぞくと、確かに暴れていた。数人の仲間に取り押さえられているが、それでも暴れているのをとめられない。
フリックはその中心へ足を踏み入れる。
「どうやっても止まらないんです・・・!」
「らしいな。・・・どうした?」
言葉の最後は、馬に向けたそれだ。馬は暴れるのをやめ、じっとフリックを見つめている。少し潤んだ瞳は、何かを感じとっている風に見えた。
フリックがゆっくりと右手を差し出す。馬の背に手を置くが、馬はおとなしくしている。
「どういうこった、これは」
あとからやってきたビクトールがフリックに問い掛けるが、フリックにわかるはずがない。
「おまえ、もしかして・・・の側に行きたいのか?」
ビクトールの問いがわかるはずがないのに、馬がまぶたを閉じた。すぐに開いたその動きは、まるでビクトールの言葉を肯定しているようだ。
・・・良く気が付いたね。
突然、声が聞こえてくる。それにビクトールとフリックは視線を交わし、人払いをする。戸惑いながらも去っていく仲間たちが厩から出たところで、静かに姿を現した声の主。
「やっぱりおまえか」
「ルック、久しぶりだな」
「悠長だね、羨ましいよ」
そう言ったルックの表情を見れば、言葉が本心ではないことが一目瞭然だ。
「で、どういうことなんだ?」
「さっきのアレは」
二人がかりで問いかけられ、ルックは不機嫌な顔を更に苦く歪ませ、口を開いた。
「それは・・・・・・」
――が真なる紋章の欠片と対峙しているからだよ。
「気配の一つの行方をくらましたか」
白い鎧に身を包んだ男が苦悩に喘ぐ。
「この俺でも――この紋章は御せぬか」
ソファへと身を沈めた男は、皺になる青いマントに気を止めず、両の瞼を閉じた。
――アンタなら出来ると、僕は思うけどな。
二年ほど前に聞いたその声は、大人の男にしては高い印象を受けたが、黒いフードを深々と被った彼は顔を見せることなく目の前から消えた。
不意に思い出したそれに、自然と目元が綻んだ。
フードの下からチラリと見えたのは、紅。長い前髪と後ろ髪。この男の目が見てみたいと思い、実行に移す直前に言われたのがさっき思い出したセリフだ。
――戦場で会わないと・・・・・・祈っている。
最後に一言呟いた名も知らぬ男は、それでも自分の中で安らげる存在だったと今でも思う。
「今ココに居てくれればなどと・・・俺も随分と弱気になったものだな」
彼は呟き、深い深いため息をこぼした。
「ここにアイツがいたら、随分と楽なんだけどな」
苦く笑いながらの呟きに、光炎剣が『今は何を言ってもはじまらん』と諭す。
黒髪の背の高い男。白い鎧はマントの青を引き立たせていた。その姿を思い出しながら、は光炎剣を握る力を強めた。
「多分、封印は無理だ。アイツが出来ないものを僕がしようなんて、間違っても言えない。けど、追い返すことなら――」
は左手にある火の紋章を表面に出したまま、唇を噛む。
『、よく聞け。――アレと力をあわせることが出来る方法がある。私が真なる紋章の力で、出来る限りお前の姿を投影させる。アレに届けるということは、その間にいるだろう星辰剣やルック、レックナートにも見えてしまう。どこにあるやもしれぬ真なる紋章が勝手に発動する可能性もある。・・・・・・それでもやるか?』
「勿論。アイツの持つ真なる紋章が今のところ一番厄介だ。それに、久々だし?」
最後は軽く笑みを浮かべて。それに光炎剣は呆れている。
『おまえはフードを深く被って顔を伏せていろ』
跳ね除けていたフードを深く被り、はすっぽりと頭を隠した。
『いくぞ』
「真なる紋章と!?」
ルックの言ったそれに、ビクトールとフリックが叫んだ。
「あいつは何でも自分ひとりで片付けようとする・・・!」
「らしいって言やぁそうなんだけどなァ」
ビクトールは呟きながら、憤怒しているフリックを見やる。その視線に気づいた彼は、腰にさげている愛剣オデッサに触れた。
「場所はどこだ?」
「風の洞窟」
『風の洞窟か。ならば馬を駆ればいける距離だな』
星辰剣は知っている口ぶりだ。
「言ったコトがあるみてぇだな?」
『おぬしと違って長く生きているからな。――ルック、紋章は「金」か「銀」か?』
「――・・・・・・銀だよ」
銀、か。
星辰剣が呟く。思案をはじめた星辰剣を背中に背負ったビクトールは、ルックを促す。
「とりあえず、そこへ行こうぜ」
『待て、ビクトール』
ビクトールがの馬の背を撫でてから足を砦の外へ向けたとき、星辰剣より止められる。
・・・・・・!
「――おまえは・・・」
目を見張る。見えるはずのない姿に、彼は心底驚いていた。
「久しぶりだな」
二年前より髪が短くなっている気がする。
白い鎧に青いマントの彼は、黒いフードを深く被った赤毛の男に向かって、短く声をかけてから胸中で呟く。
「あんたは僕の言葉を忘れてるみたいだな?」
『――アンタなら出来ると、僕は思うけどな』
脳裏に浮かんだ言葉に、鎧の音を響かせて彼は勢いよく持っていた剣を天へ掲げた。
「貴様に言われたことは忘れてはおらん」
「だが限界、か。――アンタが正気でいられるうちに会えてよかったよ、と言いたいところだが、この術のせいでアンタの紋章は暴れ始める。勿論、他にあるはずの真なる紋章にも影響が出るし、この剣にも影響が出るだろう。ま、今はアンタの『ソレ』を封じるのが先決だから、アンタは責任取って頑張ってくれ」
高飛車な態度のに、彼はフン・・・と鼻息を荒くした。
「貴様に言われるまでもない」
「そりゃよかった」
彼には見えないけれど唇を引き上げ笑ったのを雰囲気で感じ取って、鎧の音を響かせて天へ掲げていた剣を地へと突き刺した。
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