「どうやら、はじまったみたいだね」
ルックは星辰剣に語りかける。それに『そうだな』と冷静な言葉が返される。その二人の会話の悠長さに苛々しはじめたビクトールとフリック。ビクトールは星辰剣を背負ったまま厩の中を歩き、自身の馬の綱を柱からはずす。それと同時にフリックも、自らの馬の綱を握った。
「風の洞窟の奥には開けた場所がある。――たぶん、そこだよ。僕は先に行っているから」
右手に持ったロッドを軽く振ると、ルックは風を残してその場から消える。
「俺たちも連れてってくれたらいいのにな」
『風の子とて万能ではない。――我らを運ぶには負担が大きすぎる』
「わかってるよ。それより、ビクトール。・・・・・・行こう」
無駄口を叩きながらも、二人は自らの馬の背に鞍をつけて飛び乗る。
「おい!」
二人の動きに気づいた砦の仲間達が、厩の入り口に集まってきていた。それにビクトールが声をかけ、走りぬけながら言った。
「しばらくココは任せた!」
左手をあげて叫んだビクトールが先に走り、その後ろを走っていたフリックが肩越しに振り向いて右手をあげた。
シュル・・・と風を纏いながら降り立ったルックは、洞窟の入り口を忌々しく睨む。入り組んでいるこの洞窟の奥へは、魔法の力でテレポートができない。自力で奥へ進むしかないのだ。魔法使いとしては申し分ないルックだが、体力勝負は苦手だ。だが、この奥に待っているものを考えると、容易に魔法は使えない。――たとえ、真なる紋章だとしても。
しばらく眺めていたが、意を決してその入り口へと足を運んだ。
「金は分身、銀は本体、か」
は小さく呟き、嘆息する。
「――獣以外の紋章は持っているのか?」
「――いや・・・」
「仕方ないな」
は言い、光炎剣に語りかける。
「火と土を一緒に使うことは可能?」
『無理だな。――・・・大きな魔法がどうしても必要か』
銀色の獣は、の目前で息を潜めている。喋る声にも緊張が走る。銀色の炎を纏ったように見えるその獣は、間違いなく『獣の紋章』の自身だ。
「ヤツの目をくらませるには、大きな魔法じゃないと無理だろうな。僕もそろそろ、アイツと目を合わせてられるのも限界だし」
そんな軽い口調で自分の限界を知らせれば、光炎剣は明らかに呆れていて、時折歪む空間の向こうにいる鎧姿の男も呆れをあらわにしている。
互いにあわせる視線にこもる力が弱まった。
獣は咆哮をあげ、に向けて突進してくる。それを間一髪でよけると、光炎剣を握る手に力をこめ、火の紋章を発動させた。
「火炎の矢!」
放つが、それは獣の焔にかき消させる。
「やっぱこれじゃあ無理か」
「無駄に魔法を使うな!」
低い声で言い放たれ、はむっとしたように鎧姿の男に視線を投げた。
「元の原因作ったやつに言われたくないね!」
「!」
突然、聞きなれた声が聞こえてくる。それにがラッキーと呟く。
獣の紋章から見えない位置に隠れた人物は、ロッドの先だけを見せた。そのロッドの輝きが強くなるのを見つけ、は獣から距離をとった。
『ルック、あの男と同じ空間にあの獣を追いやる。紋章を発動させたあと、すぐにあやつを移動させることは可能か?』
『一人では無理だよ。――が使えれば、出来るけど』
『では、無理矢理引き出すとしよう。幸い、ルックが渡したイヤーカフも装備しているようだしな』
には聞こえぬところで話がまとまる。
「!」
ロッドが輝きを一層激しくし、その輝きが最高潮に達したとき、ルックの声がその洞窟一杯に木霊する。
「葬送の風!」
「震える大地!」
の声がすぐあとにして、巨大な竜巻が獣を襲う。
『――真なる力よ、竜となりて風と牙を大地へ突き立てよ。風烈牙』
竜巻で獣の炎を切り裂きつつ、上空より岩石の雨が降る。長く続くその紋章の間に、ルックがの傍らにやってきた。そして、ロッドを力いっぱい振った。
「――――!?」
が声もなく目を見開く。すぐにガクリと膝から崩れ落ちたその身体をルックが抱きとめ、冷や汗を流すの背中を軽く叩く。
『、すまんな。こうでもしないことには、やつを封じることができない』
フードを被ったまま顔を伏せ、両肩で大きく息をするの額から、ぽたりと雫が落ちていく。それから視線をはずして獣の紋章を見れば、そこには跡形もなく、ただ魔法が使われたために広がった穴が見えているだけだ。
「おまえの名前はというのだな」
獣の紋章に意識を持っていかれそうになりながら、それでも鎧の男は不敵に笑いながら言った。消えかけたその空間には、獣の紋章の姿はない。
「おまえたちのおかげで、この剣にもう一度封印することができた。――礼を言う」
ルックがどこの者か、どういう者なのかを理解したうえで、彼はそう言った。
「敵である僕にそんなことを言うなんて、変わり者だね」
ルックは皮肉を交えてそう言い、それでも悪い気はしないといつもの表情をたたえてに視線を向ける。
「顔を見せてくれというのは、おまえには酷な話か」
「ルカ、いずれ会うときが、来る。その紋章をあんたが持つ限り……何度でも」
苦しさに喘ぎながら、は伏せたままそれだけを言い、朦朧とする意識を繋ぎとめていた力を緩めた。気を失ったを抱き上げて、ルックはルカを見る。
「獣の紋章がその手にある限り、と共に在ることは出来ない。獣の紋章の狂気に意識を攫われるのが早いか、がそれを止めるのが早いか。そんなもの、今のあんたを見れば答えはでる。――だから、を巻き込むな」
ルックはきつく言い切ると、ルカの返答を待たずにその空間を閉じた。
「さすがに疲れたよ……。もう金輪際、真なる紋章に関わらないでよ、」
「ルック、は!?」
「遅いよ、二人とも」
もう何もかも終わっちゃったよ。
ルックは腕に抱いたままのを見下ろす。
「眠っているのか?」
「いや、気を失ってる」
「いったい何があった?」
「簡単には言えないよ。本人から聞けばいい、僕は知らないよ」
ルックはビクトールにを預け、気を失った際に落ちた光炎剣を拾い上げフリックに手渡す。
「暫くの休養が必要だろうけど、きっと君は仕事のために立ち上がるんだろうね」
、君は本当に不器用すぎるよ。ビクトールやフリックのように、どこかで生き抜きをしながら戦場に出たほうがいい。
ルックは胸中で呟き、ロッドを振り上げ風に消えた。
「あいつはいつもあぁだな」
「ルックはきっと俺たちには言えない何かを知ってるんだろう。自身が語らなければならない、何かを」
消えていったルックが残した風がの髪を揺らして、そして、静寂を残していった。
砦の宿屋に運んだ体は、見た目以上に軽く感じた。
ビクトールは胸中で呟いたこの言葉を、のちのフリックへ語った。
「ルックの言うとおり、仕事のためにここを出て行くんだろうな」
それも、ミューズの市長であるアナベルが絡んでいるなら、余計に。
「ん・・・」
気がついたのか、が身じろいだ。その拍子に目を隠していた前髪がずれて無防備な寝顔が見えた。
「まったく・・・こうやって寝てるとカワイイのになァ」
「まったくだな。起きていればお転婆すぎて手におえない」
今このときだけでも、安らかな休息を。
そう二人は思いながら、いまだ眠り続けるを見下ろした。
一方、朝になってベッドから起き上がったナッシュは、やはりいなくなったなとため息をつく。昨夜、この部屋から真なる紋章である風と門を見た。とは旧知の仲らしい。二人が消えるまでを見届けたが――はナッシュが見ていたのを気づいていた。そして、ナッシュも当然、気づいていた。
この部屋に入る前、話し声が聞こえた。話の内容からして、先ほどの風だ。風を『ルック』と呼んでいた。トラン共和国での戦争の際にも聞いた名だ。話し声がなくなったと思えば、は部屋に戻ってきた途端に、身支度を整え――
『時は満ち、近いうちに星が集う。そのときにまた会おう。』
そう言い残して、は去っていった。
「あいつはいったい何者なんだ?」
光炎剣は真なる紋章ではないと聞いたことがある。だが、力は真なる紋章に匹敵するという。
ナッシュが一階にある食堂へ向かうと、カウンターにいた宿屋の主が声をかけてきた。
「連れの兄ちゃんは先に出て行ったよ。宿代も食事代も貰ってる。たーんと食べて行きな」
律儀なことだ。
出ていく後姿を思い浮かべながら、ナッシュはテーブルに札を並べた。それはが置いていった札だ。
守りのてんがい、優しさのしずく、ねむりの風、天雷の札が一枚ずつあった。破魔の札しか持ち合わせていないナッシュに対するなりの優しさだろう。もしかすれば、彼を巻き込んでしまったワビかもしれないが・・・・・・。
土・水・風・雷――あと火が揃えばどんな境遇でも粗方退けられる。
ナッシュは今度会ったときには、それ相応の礼をしようと胸に刻んで、運ばれてきた食事に目を輝かせた。
「おはよう、光炎剣」
がようやく目を覚ました。目をあけながら彼は声をかけ、見覚えのある天井を見つめて「あぁ・・・」とため息をついた。
「今、何時?」
ここはどこだと聞かないところがらしいな。
光炎剣は一人呟き「九時少し前だ」と告げた。
「案外寝てないんだなぁ」
サウスウィンドゥから風の洞窟に向かったとき、すでに夜も遅い時間だった。それから獣の紋章と対峙しているのだから、日付がかわっていたはずだ。
「よいしょっと」
体を起こしたは、自分が防具をつけずに寝ていたことに気づく。
「今日はここから出してくれそうもないなぁ・・・・・・」
『自分が無茶なことをしている自覚があるからそう思うのだ』
光炎剣に諭され、は苦く笑うしかない。
黒のシャツとズボンだけの姿で、はベッドからおりると、部屋内を見渡す。
「ん?」
『あぁ、アレか。レオナが着替えにと置いていったものだ』
裸足のままペタペタと着替えの置いてある隣のベッドへ向かうと、そこには、今自分が着ているものをよく似た上下が置かれてあった。
『これはそのまま旅に持って行ってかまわないらしい』
一着しか持っていないというわけではないが、何着あっても邪魔にはならない。は遠慮なく受け取ることにする。
「そういや、光炎剣。今更だけど、ボクの着替えを見ても平気そうだな」
『まぁな。私にも一応性別はあるが、人と違って性欲がないからな』
自分の後継者は必要ないからだろうな。
光炎剣は苦くそう口にする。は脱いだ上下を少し大きめの麻袋に詰め込み、口を紐で閉じた。
「わるかったな」
『いや・・・私はどちからというと、にすまないと詫びなければならない』
「謝られる覚えはないよ」
は言って、腰紐に光炎剣をくくりつける。
「さて、行きますか」
『一応確認だが・・・・・・どこへだ?』
「勿論仕事へ――と言いたいとこだけど、今日は無理だろうなぁ」
なんとも間の抜けた声音に、光炎剣は無言だ。そして、無言は間違いなく肯定だ。
「ま、まだ三日目だし、どうにかなるでしょ」
は言ってから『ぽん!』と手を打った。
「聞きたいことがあるんだけど・・・・・・ルック」
彼は光炎剣ではなく、風の子の名前を呼んだ。その声に、不機嫌そうな声が届く。
「何? これでもボクは忙しいんだよ」
声と同時に現れたルックは、ふわりと風に髪を乱しながら、その場に立った。
「説明してもらおうと思ってさ」
は自分の身に起こったことを、半ばしかしらない。気づけばこの部屋にいたのだから。
「君には知る権利があるね」
ルックは一歩へ歩みより、その両耳にあるイヤーカフに触れた。
「これが光炎剣との力を増幅する動きをしてる。個々の力を強めるんじゃなく、二人の力を同調させて増幅させるんだ」
右手に持つロッドを一振りすると、彼の左手には金色のリングが光っていた。
「これがそのイヤーカフの対となるもの。本当はもう少ししてから渡すつもりだったんだけど・・・渡しておくよ」
ロッドを手から離すと宙に溶ける。その右手での片手を取り、その手のひらにリングを握らせる。
「この二つを合わせたとき、光炎剣と君は最大の力が出せるようになる。ただし、どちらか一方が強引に力を引き出すのも可能になるから、装備するには注意が必要だけれどね」
ルックが言うには、今が装備している金色のイヤーカフは、主に同調させる役割をするらしい。光炎剣はそれを知っているから、昨夜の行為に出たのだ。光炎剣はと同調することで、の魔力を引き出した。あの獣をルカのいる空間へ移動させるためにはそれしか方法がなかったのだと言う。そして、はその引き出された力に耐えられずに意識を失ったのだ。
「もしかして・・・その空間移動を会得するために、ルックが来たってわけ?」
「そうだよ」
ルックは風で移動する。先の戦争で出会ったビッキーという女の子は、紋章とまたたきの鏡で移動していた。
は真なる紋章を持っていないけれど、光炎剣と同調できている。つまり、その素質があるということだ。
「だから、右手に紋章がつけられないんだな?」
ミューズで土の紋章をつける際、光炎剣が言ったことを思い出してに、の言葉だ。
それに肯定の意を示すと、光炎剣はこう言った。
『私の紋章は「光」だ。そして、炎を操る者を選ぶ。光と炎が同調することで、私の対なる紋章が現われる。その紋章の名前を「閃」という』
「いいのかい? 光炎剣。にそこまで話して」
『かまわない。別に隠していたいわけじゃないしな』
は黙って、光炎剣の言葉に耳を傾ける。まるで、ため息一つ聞き漏らさぬように――。
『光は闇に狙われやすい。だから、私は――』
「わかったよ、光炎剣。僕が狙われていた理由も」
昔々、は何度も命を狙われてきた。今はないに等しいが、門の紋章戦争に参加するまで、どこの誰ともわからぬ者に追われたりしていたのだ。それから逃げるための旅でもあった。
「火の紋章は案外扱いやすくて重宝だけど、それだけでは駄目なんだよ。光炎剣の補助力――つまり光の紋章を自分の力と同じように扱えなければ閃の紋章は現われない。光と閃が同調して、はじめて真なる光の紋章になるんだ」
ルックは言い終え、を見やった。困ったふうでもなく、はただ静かに言った。
「僕には素質がある、それだけの話だ。光炎剣のことは好きだし、力がほしくないわけじゃない。ただ、閃の紋章を引き出すために力を使ったりしたくない」
『わかっている。はのやりたいようにすればいい。私は老いることも死すこともない。こうやっての手の中にいるのは、素質だけではない――だからここにいる』
「ありがとう」
は薄く笑うと、ルックは話は終わったとばかりに消えようとする。それをは引き止めた。
「ついでに先生してってくれると助かるんだけど?」
「ここでかい? 熊や青雷がいるから嫌だよ」
逃げようとするのを捕まえ、は強引に引き止める。渋々ながらルックは右手にロッドを携えた。
「僕はこの空間にもう一つの空間を作るから、手助けしないよ。が自分で訓練するしかないんだから」
言うと、ルックは目を閉じ、ロッドを高くかかげて一振りする。部屋ないに出来たもう一つの空間は、真っ暗な闇だ。
「、その中に入って――そして、この部屋に戻ってくるんだ」
またたきの鏡のような媒体のない空間移動は難しい。だが、には光炎剣がいる。少しコツを掴めば、すぐにでも出来るはずだとルックは胸中で思う。
「実戦で体験するのが一番早いよな」
さすがのも少し怯んだようだったが、決心したようにその中へ入って行った。
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