そこは真っ暗だった。何もない空間は、恐怖を心に植えつける。はそっと息をつき、右手で前髪を払う。
「光炎剣、どうしようか?」
『私に聞くな。この空間から出るには、風の子の言うとおり、魔力でなければ出られないだろう』
わかっていたとはいえ・・・無謀だったかな。
がそう呟くのに、光炎剣は呆れている。
「魔力を凝縮するつもりですればできるって、随分前ルックに聞いたことはあるんだけどなぁ・・・」
一点に魔力を凝縮して行きたい場所を脳裏に思い描く。そこへの道を開けるつもりで――とルックは簡単に言ったが、それはルックだからできることだ。
『とりあえず今は、私との協調が必要だろう。まだの魔力は小さい。一人では無理だ』
「言われなくてもわかってるよ」
は目を閉じる。腰にさげていた光炎剣を両手で握り、息を整える。いち、に、さん・・・と大きく息を吸ったり吐いたりしながら心を落ち着かせ、光炎剣に魔力を流すつもりで意識する。
ゆっくりゆっくりと自分の魔力を光炎剣を握る手に流しながら、自分の鼓動を感じ取る。はふと、胸の奥にある高揚感に気づいた。
――これが、もしかして。
その奇妙な高揚感に意識を集中すれば、なぜか光炎剣の鼓動を感じることができた。
『の中にある私を見つけたようだな』
「――え?」
『私は光炎剣としての前にいるが、それは仮の姿でしかない。閃の紋章とは――己の中にある光だ』
心の中にある希望が光となり、それが形となって力になる。それがたまたま紋章をかたちどるのだと、喋る剣は語る。
『私を見つけたなら――大丈夫だ。魔力を解放しろ』
は言われたとおりに、光炎剣を握った手に力をこめてルックを思い浮かべた。
目の前が一瞬白くなり、無意識に目を閉じていたは、空間の違いを感じて目を開けた。
「早かったね」
もっと時間がかかると思っていたのに。
ルックの言葉は冷めていたが、驚いているのが感じ取れる。
「装備はずすとできないだろーけど」
は言い、苦く笑う。それにルックは「それでもその早さでできるようになるのは、素質のある方だよ」という。
「少しは楽な旅ができるかなー」
「それは無理だね。空間移動するには、自分の知っているものがなければならないんだから」
そっか、そうだったな。
は昔会ったビッキーという女の子を思い出していた。よくテレポートしてもらったと胸中で呟く。
「これができるようになれば、僕は必要ないね」
「そうでもないかもな」
「僕は『その時』が来るまで関わらないと決めたんだ。邪魔しないでくれる?」
ルックは本気で嫌そうな表情を刻む。昔からそういうやつだったと先の戦争での記憶を辿り、は諦めたように両肩を竦めた。
「でも、これをはずさなければ、僕がどこにいるかわかるんだろ?」
は「これ」と言いながら光炎剣についた組紐を揺らす。
「必要以上に気配を探ったりしないよ」
ルックはそれだけを言い置き、姿を消してしまう。
「まったく・・・相変わらず素直じゃないね」
そういうの口元は笑っている。本当に関わりたくないのなら、組紐をはずしてしまえばいい。だがそれをしないのは、心配しているから。それを口に出すのは嫌だから、彼は遠まわしにそう言ったのだ。
「さあてと」
両肩をぐるぐると数回まわしたあと大きく伸びをしたは、すっきりとした表情でドアへと足を向ける。
「ビクトールとフリックに会って・・・それから星辰剣に礼を言わないとな」
『礼など言う必要はない』
「そうはいかないだろ?」
ドアを開けては外に出る。黒の上下に革靴、腰に光炎剣をぶら下げて、彼は二人がいるであろう二階を目指す。
『ならば、私と二人だけにしてくれ』
「大丈夫なのか?」
『星辰剣には私たちが何をしているのかお見通しだろう』
「そっか」
は腰から光炎剣を抜くと、手に持ったまま階段をあがっていく。その後姿に声がかけられた。
「、ようやくおきたか」
声の主へ振り返ると、そこにはビクトールがいた。
「朝から酒とは、さすがの僕も思いつかなかったよ」
呆れた口調で言い、数歩あがっていた階段をおり、彼の側へ歩み寄る。
『ようやくか』
星辰剣の声が、光炎剣に向かって発せられた。
『仕方ないだろう?』
「ビクトール、悪いんだけど二人にしてやってくれないか?」
『私からも・・・頼む』
光炎剣は言い、星辰剣と二人で話がしたいと言った。
「わかった。俺ぁに用事があるしな」
――外へ出ねぇか?
ビクトールの提案に頷き、は先に歩き出した彼の背中についていく。
外に出た二人とは各々の剣を壁にたてかけ、少し離れた広場で向かい合っている。
「手合わせするのは何年ぶりだ?」
「先の戦争でも手合わせしたのは一度か二度だね」
は答え、光炎剣をさげていた左腰ではなく、右腰に備えてあった短剣を手に取った。
「それで俺と手合わせか?」
ビクトールの手には両手剣がある。それに比べれば小さすぎるかもしれないの持つ短剣だが、使い慣れたものがいいと彼は言う。
「緋閃のの実力、見せてくれよ?」
「当然」
ビクトールの嬉々とした表情には口元に微笑を浮かべ、短剣を逆手に持って地を蹴った。
キン・・・と高い音を響かせながら二人が手合わせをしている姿を目の前にして、二本の剣は沈黙したままだ。そして、暫くののち、光炎剣はゆっくりと語りだした。
『私のせいで、の時間が止まりはじめている』
『――それだけ、光の紋章との距離が縮まっているのだろう』
『そうだ。昨夜の獣の紋章との戦い、先ほどの風の子との修行・・・・・・そのたびにの魔力が私に近づいている。――私は止めねばならぬ身であるのに、止められずにいる』
人であるならば、光炎剣はきっと憂鬱な表情か自嘲しているだろう。それほどに、憂いを帯びた声だった。
『はきっと「真の紋章のために光炎剣と一緒にいるわけじゃない」と思っているだろう』
『あぁ・・・そのとおりだ。だからこそ、私は――苦しい』
という人間が好きだ。だからこそ、不老という呪いを与えたくはないと呟きが落ちる。
『継承者ではないの距離が縮まっても、継承しなければ呪いは与えられない。――まだ、時がある。・・・早まるな、光炎剣』
『――そうだな・・・』
光炎剣がそう呟いたあと、沈黙がその場に落ちた。星辰剣は多くを語らぬ剣だから尚更だ。
『見ろ、光炎剣』
星辰剣は二人を見ろと光炎剣に言った。
は短剣を逆手に持ったまま、ビクトールが剣を振り上げた瞬間を狙って懐へ突っ込んでいく。それを予測していたのだろうビクトールは振り上げた剣を構えきる前に振り下ろす。は地面を横になって転がり彼の背後へ回り込む。転がったまま右足で彼の足を引っ掛けるが失敗し、完全な構えをとったビクトールの振り下ろした剣を瞬時に立ち上がって地を蹴り飛び退いた。
「その大きさの剣を振り回して、なんでそんなに小回りができるんだよ」
少しばかり息を切らせたは、そう呟きを落とす。乱れた赤い髪をそのままに、短剣を握りなおす。
「おまえもその小せぇ短剣で、俺の懐に怖がりもせず入り込むなァ」
ビクトールも言いながら、剣を握りなおす。
「紋章使えば、また違った動きができるけど?」
ビクトールが紋章を持っていないのは昔からで、だからは短剣だけで勝負しているのだと言う。
「それだけは遠慮してもらいてーな」
『おまえには紋章は無理だな』
「てめぇに言われなくてもわかってるっつーの。・・・・・・剣が握れりゃ傭兵はやってけんだよ」
『確かに、違いない』
星辰剣の言葉にビクトールが悔し紛れにそう言えば、光炎剣が相槌を打つ。
「てめぇら・・・結託してんじゃねぇよ」
ビクトールは低く唸り、やめたやめたと剣を鞘におさめた。
「剣の癖に口だけは達者なんだからな」
「剣とはいえ、僕らより長く生きているからね、年長者の意見は耳にいれとくべきだよ」
「殊勝な心がけだなぁ、」
『褒めるな、ビクトール。・・・の場合、耳に入れてはくれるがその端から流していくから聞いていないのと一緒だ』
光炎剣はきっと諦めてしまっているのだろう、のことをそう言う声は少し苦い。
『身も蓋もない』
星辰剣の一言に、ビクトールとは顔を見合わせ、そして苦く笑ったのだった。
「今日は楽しかったなぁ」
うきうきと呟くに、光炎剣は無言だ。
「久々にビクトールと手合わせしたし、フリックと一緒にお酒も飲んだし」
ほろ酔い気分のに、光炎剣は仕事を忘れてはいまいな?と声をかければ、彼はわかってると苦く言った。
「明日の早朝、出発する。今回はちゃんと二人に言って行くよ。今夜は久しぶりに安心して眠れるしな」
この砦は本当に居心地がいい。
呟きは少しだけ悲しみを含んでいる。いずれはここも戦場になるだろう。そのための砦でもある。
ベッドへ横になりながら、は壁にたてかけた光炎剣を見る。
『なんだ?』
「・・・・・・いや、何でもない。明日からはまた二人きりになるなと思っただけだ」
『そうだな。――仕事を片付けて、会いにくればいい』
「違いない」
光炎剣の言葉に薄く笑って、は目を閉じた。
「おはよう」
旅支度を整え一階へ上がると、酒場で食事をとっているフリックの姿があった。その姿に声をかけると、彼は口元に笑みを浮かべて椅子から腰をあげた。
「あぁ、そのままでいいから。食事中だろ?」
「出るんだろう? ここで見送るわけにはいかないだろう」
「別に見送らなくていいって。――ビクトールは?」
「もうすぐ来るはずだ。昨日、急ぎの書類を片付けさせたから、今頃潰れてるさ」
「誰のせいだ」
フリックの言葉に反論があった。――ウワサをすれば、だ。
「お前が放っておいたからだろう!」
フリックの言葉が正論なのだろう、ビクトールがわっはっはっと大きく笑う。困ったときにはこういう風にごまかした笑いをするのだ、この男は。
「今度会うときも夫婦漫才聞かせてよ」
「誰が夫婦だ!」
フリックが怒る姿に笑いながら、はビクトールを見上げる。
二人を交互に見ながら、彼は言った。
「もうそろそろ行くよ。ビクトール、フリック――色々ありがとう」
すっかり身支度を整えた彼は、赤い髪を手櫛で整え、フードを被る。
「行くのか。――どこまで、と聞いていいか?」
「聞く前に言えよ、その台詞」
フリックに突っ込まれ、「そりゃそーだ」と大きく笑う。ビクトールを見て、はただ「ごめん」と。
「それじゃ・・・馬の世話もありがとう」
砦の入り口で立ち止まり、馬を受け取る。連れてきてくれた二人の部下にも礼を言うと、その背に飛び乗った。
ゆっくりと出て行く小さな背を見送りながら、星辰剣がぽつりと呟く。
「また星が集う・・・か」
その声は近くにいた者たちには聞かれることなく、宙へと溶けていった。
「少しとばすか」
『そのほうが良いだろう。次はどこだ?』
「次はトゥーリバーだな。・・・・・・急ごう」
馬を走らせながら、フードを取る。スピードを出している間はフードをしていてもすぐにはずれてしまう。視界も悪くなるし、危険を察知しづらい。
赤い髪をなびかせ、前に進む。
サウスウィンドゥまで進んでいたが、獣の紋章のせいで傭兵隊の砦まで戻ってきてしまった。それだけのロスを取り戻すには、しっかりと前に進まなければならない。
暫く走ると、ラダトが見えてくる。前回は傭兵隊の砦からナッシュが一緒だった。小手先の器用な、けれどその取り得が消えてしまうくらい、運の悪い青年――。
ラダトの街を馬で走り抜けるわけにはいかず、馬を下りる。
ゆっくりと馬の手綱を引いて歩いていれば、背の低い男がこちらを見ていた。
『ん?』
「感じるか」
『まぁな。嫌だというわけではないが――あれは探偵の目だ』
は馬を川のそばへ連れて行くと、ゆっくりと毛並みを撫でる。鼻先をへ近づけて小さく鳴き、それから川の水を飲みはじめる。その動きを背を撫でながら見やって、光炎剣に呟く。
「シャツの中にいるのは・・・犬?」
『いや、猫だろう』
猫?
ちらっと見ただけでこれだけの会話をする二人のことをどれだけ知っているのかはわからないが、とりあえず、光炎剣とは知らぬふりをすることにする。
馬は満足したのか鼻先での腕をつついた。行こうと促されているようだ。
「本当に賢い馬だな」
その黒い毛並みをを撫で、彼は手綱を持つ手に力をこめた。
ラダトの中心を東西に通っている道を西へ歩きながら、周囲に注意を向ける。先程の探偵と思われる男の気配がするが、今は構っている暇がない。とりあえず害はないだろうと無視をし、ラダトの街を出たところで馬に乗る。
「さぁ、もうひと頑張りしてくれな」
川を越えたところからトゥーリバー市国になり、川の向こうに見えるのがコボルト村。それを北に行けば、これから向かうトゥーリバー市、その東にはレイクウエストの街がある。
トゥーリバー市の前までくると、馬をおりる。この市は少し他とは違い、三院制というシステムを起用しているらしい。市は人間エリア、コボルトエリア、ウィングボードエリアの三つにわかれていて、それぞれのエリアから一人の代表が選出されて自治をしている。全権大使となっているマカイという人物を中心として執り行われているらしい。アナベルからの説明では、その全権大使となっているマカイに書類を渡せば良いことになっている。
市に入ったすぐに宿屋がある。とりあえず馬を休ませるために、宿を取った。厩で十分に休養を取り、明日も走ってもらわねばならない。
馬を預けて歩いていると、市庁舎へ向かう階段の手前で、一人の少年とぶつかった。
「痛ってぇっ!」
ぶつかってきた少年をは軽々と受け止めたため、転ばずにすんだ。だが、ぶつかったのが革の胸当てをしているところだ、きっと顔面は痛かっただろう。
「大丈夫か? すまないな、僕も前をよく見ていなかった」
「オレも見てなかったし・・・じゃあな!」
軽く言って走り去ろうとするその肩を捕まえ、は口元に笑みを刻む。
「その手にあるものを置いていけ」
彼はいつもよりずっと低い声で言いながら、肩を掴んでいない手を差し出す。
「何のことだよ?」
「大人しくいうことを聞かないなら、力づくで返してもらうだけだ」
「わっ・・・わかったよっ」
大人しくその手に乗せたものは、の財布だ。
ぶつかった瞬間に抜き取ったのだろう。もしかすると、ぶつかってきたのもわざとかもしれないが、ウィングボードの少年の意図など、彼にはどうでもよい。ただ、手元に戻ればそれでいいのだ。
「さて、行くか」
は今まで少年を脅していた雰囲気を一転させ、ふぅとため息をついた。そして、市庁舎を見やって顎を引き、ゆったりとした足取りで向かう。それはきっと自分の心を落ち着かせるための行為だったのだろう。
彼は門番に全権大使のマカイに会いたい旨を伝えると、背を伸ばして姿勢を正した。
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