凪ぐ輝石 2



静喋らぬ金色と共に、向かうは先のない道。



戦は戦を呼ぶ。はるか遠くにある戦いに乗じて始まる戦もある。

無名なこの町になぜかやってきた――兵士たち。

だが、彼らの動きは少しおかしい。

なぜ?

それは、土足で踏み込むけれども、切りつけることをしない。

――そう、まるで、探し人をしているかのよう。







「何か用?」
 バン!と扉が開かれ、の家に土足で入ってきた兵士に、彼女は少し驚いたように尋ねる。
「おまえがか?」
「そうだけど?」
 だから、何?
 そんな言葉が続きそうになるのを、はぐっと我慢する。こんな得体の知れない兵士――たとえ一人と言えど――侮ってはならない。
「おまえを連行する」
「連行? 理由が聞きたいんだけど」
「行けばわかる」
「私を無理矢理連れて行けばいいじゃない?」
 兵士にそういえば、彼はチッ・・・と舌打ちをした。
「おまえのことを、少し調べさせてもらった」
 それで?
 はそう言いながら、椅子から腰をあげた。
「おまえは今、記憶を失っているそうだな」
「そうだけど?」
 あげた腰を落ち着けることなく、は寝室へ向かう。背後の気配は気にしたまま。
「自分が何者か、知りたくはないか?」
「知りたくない。――知る必要もない」
 寝室のベッド前まで行き歩みを止めると、は枕の下から短剣を取り出し、自分の背後までやってきていた兵士へと振りかざした。
「貴様・・・!」
 反射的に剣を抜き切りかかってきた兵士の剣をかろうじてながら受け止めた
「女のくせに、剣術に長けているとは・・・!!」
「女だから何? 男にだって剣の出来ない人がいる。だったら、女に剣術が出来る人がいても不思議じゃないわ」
 別に女だから得したこともないし。
 さらりとそう続け、は膝を折って腰をかがめた。兵士の剣が受け止められていた力を失って空振りする。その刃を低い姿勢のままするりと避け、右足で兵士の足首を蹴り飛ばすと、大きな音をさせながら兵士が前向きに倒れこんだ。手からは剣がこぼれ、は彼がそれを手にする前に拾い上げ、そして、すぐにそれを上向きに転がった兵士に突きつける。
「私を放っておいてくれるように、あなたの主に伝えてくれる?」
「それは・・・無理だ」
「だろうね。――それじゃ、あなたをここで・・・・・・殺す」
「――おまえでは無理だ」
 兵士はにやりと笑った。女の手では限界がある。そのことを知っているからだろう。
「あなたの言うとおり、私にあなたを殺せるだけの手腕を持っていない。――残念だけど」
 けれどね・・・。
 は突きつけた剣を振り上げて。
「命はとらない。けれど、代償は必要よね」
 そして、ためらいもなく振り下ろす。
 肉を突き刺す感触がする。気持ち悪いと思わず手をはなしそうになるが、唇をかみ締め我慢する。兵士の方へ刃を突き刺し、引き抜いたそれには血がてらてらと光っていた。
 カラン・・・とは剣を手放し、見上げてくる兵士を見下ろす。
「どうしてあなた一人で来たのかは知らないけれど――・・・主のところへ帰るといいわ。さっき言ったこと、必ず伝えてね」
 あぁ、それから。
 は付け足すように。
「私、あなたがこの町を出たらここを出るわ。どこへ行くかは決めていないけど――・・・・・・探す気力があるなら、がんばってね。きっと造作もないことでしょうしね。ただし、この町の人たちに危害を加えたら、地の果てまで追いかけ、必ず――仕留める・・・!」
 よろよろと立ち上がる兵士を見ることなく、は他人事のようにそう言い、寝室にあるクローゼットを開けた。
 そこには一本の剣。
 ここへ来るまで持っていたという剣。自分にはその記憶がないけれど。
 今、わかった。兵士を突き刺したのは、ほとんど無意識だった。致命傷にはならないが足止めが出来る。それができる私が『私』なのだと、自覚した。

 

 

――私は、追われていたのだ。――

 

 

 逃げて逃げて・・・・・・力尽きた私は死を覚悟して。けれども、なぜ、私は逃げていた?
 はその剣を取り上げ、鞘から引き抜いた。
 金色の鞘と金色の刀身。細身のそれは、まるで自分を携えて逃げろと言っているように思えた。
「おまえ・・・やはりそうか。――今日はおとなしく退く。追っ手がかかるか否かは、俺たちの主よりもっと上のヤツらが決めることだ」
 兵士は赤く濡れた右肩を左手で押さえ、彼女へと背を向けた。

 

 

 

 

 

 長い髪は結構気に入っていたが、切ることにした。赤い髪は短くすれば、長いときよりかは目立たなくなった。
 スカートをはくときも稀にあったが、すべて捨てた。逃げるには不向きだからだ。
 剣を携えるために長い布を腰に巻く。手短にあったのが赤だったから、それにした。
 身軽に動ける方が良いから、装備は最低限。ただ、剣があまりに特殊だから、外套だけはつけることにして、ついでにフードのあるものにした。――赤い髪を隠すために。
 黒いシャツに黒いズボン。革の手袋とブーツは茶色。
 食料になるようなものはあったが、生ものは持っていけない。乾燥させたパンがいくつかと水筒。有り金を全部、懐にしまいこみ、麻袋にはホウアンから貰ったメモと薬を詰め込んだ。
 そして、彼女はその荷物を持って町長のところへ向かう。
「どうしたんだい? そんな格好で」
「お世話になりました、私は今からココを出ます」
「――そうか」
 彼は理由も聞かずにただそう言って頷いた。
ちゃんはきっと、ココを出て行くと思っていたよ」
「――町長さん・・・」
 すみません。
 そう頭を下げて謝り、それから、と言葉をつなげた。
「私のいた家――・・・燃やしてもらえますか?」
「燃やす?!」
「私はこれから追われることになるはず。道があれば追いつかれる。――この町にも迷惑がかかる」
 お願いします。
 それだけを言い、は彼の返答も聞かずに外へ出る。
 空を仰げば、雲に覆われた灰色。
 自分の心を代弁しているようだと、胸中で呟き苦く笑う。

 

 

 なぜ、自分が追われているのか。――この剣がきっと、答えをくれるはず。

 

 

 彼女は赤い瞳で、前を見つめた。

 

 

 

 

 

「彼女はどうした?」
「それが――・・・」
 右肩を赤くして戻ってきた兵士に、彼は問いかける。
 包帯を巻かれた右肩の傷は、間違いなく痕が残るだろう。
「そう・・・。やはり彼女が持っていたんだね、あの剣を」
 記憶をなくしているというのは、幸か不幸か。
「記憶を失ってはいますが――・・・剣術はそのままです」
 剣術は体術と同じで、体で覚えることが多い。
「――無意識のなせる業、か・・・」
 少々てこずることになりそうだね。
 神官服を着た彼は、兵士に下がるように命じた。
 兵士ではなく隊長に行くように言えば、彼女を捕らえて連行できただろう。けれども、それは――彼の本意ではない。
「戻ってきて欲しいとは言わないけれど――・・・せめて、あの剣の紋章を発動させてほしいな・・・」
 紋章の気配があれば、あの剣の行方も安易に見つけ出すことが出来るのに。
 彼は、誰もいなくなったその場で小さく愚痴り、深くため息を吐き出した。