凪ぐ輝石 3



我の想い、汝の元に具現化せよ。







  あの町を出てから数日後の夜。





 小さな村の端にある無人の水車小屋。そこを宿がわりにすると決め、は人気がなくなるまで建物の間で隠れていた。
 村には宿屋、道具屋、防具屋しかない。この村で装備を整えるのは、無理だ。だが、町を出てから少しずつ食料もなくなってきていて、この先のことを考えるなら、村や町に入っていくことが可能な今のうちに整えておくのが得策。
「私の持っているのが左手にある『火の紋章』だけじゃ・・・ちょっと頼りないなぁ」
 水もしくは風の紋章があれば回復もできてちょうど良いのだが、それを求めるには金が足りない。
 火の紋章は自分が買ったわけではなく、気づいたときには左手にあったのだ。町の人が言うには、彼らがを見つけたときにはすでに宿していたらしい。
 ふぅ、とため息。
 そのとき、聞こえてきた言葉に、は自らの耳を疑った。

『町が一つ、燃えたらしいぜ?』
『あぁ、そうらしいな。町の人間は無事だったそうだけど・・・』
『でも、町長は・・・』
『――町人は逃げていて無事だったけど、町長の首は切られてしまったらしいな』

 町が燃えた?
 はこみあげてくる不安を抑えることができない。

『身体は燃やされ、首は暫くその町に掲げられていたって言うぜ? ひどいことをするもんだ』

 まさか。
 は彼らが自分の前を通り過ぎるのを待ち、陰から姿を現した。
 その町の名前が出ることはなかったが、たぶん――が思っている場所と、まず間違いはないだろう。
 戻るか? だが、戻ってどうする? 自分が戻ったとこで、彼らにこれ以上の迷惑をかけるわけにはいかない。自分が逃げたせいで招いた結末。あのとき、兵士についていけばよかったのか。ついていけば、町長は殺されなくて済んだのだろうか。
 ぐだぐだと考えていても仕方がないと割り切ることができない自分に、は苦笑を禁じえない。
 フードを頭からかぶったまま、水車小屋の中に入る。
 今日は眠ることさえ出来ないだろう。それでも、身体は横にしておかなければ、先へ進めない。

 

 

 

 

 

「むごいことを・・・・・・」
 神官服に袖を通しながら、彼は小さく嘆息する。
「ヒクサク様は彼女にご執心ですから、やはり、手元からなくなったことが許せないのでしょう」
「こんなことをすれば余計に戻ってこなくなるのに」
「剣だけでも戻ってくれば、まだ救いもあるのでしょうけど」
 髪を整え、最後に服をチェックして迎えに来たという彼を見やる。
「僕に何をしろというのだろう・・・・・・」
「さぁ・・・それはわかりません。あなたの意に背かぬものなら良いのですが――・・・」
「それを求めるには、無理がありそうだね」
「――まったくですね・・・・・・ササライ様」

 

 

 

 

 

 次第に外気が暖かくなる。それは、暗闇に陽がさしてきたということ。
 ――やはり一睡もできなかったな。
 ごろりと寝返りを打ちながら、胸中で苦く呟く。
 自分のせいで、彼は死んでしまった。その事実が、に重くのしかかる。
 ゆっくりと上体を起こし、立てた片膝に額を置いてため息を漏らす。それでも、自分は進まねばならない。それが、誰かに後ろ指を指されることでも。
 気力を振り絞って立ち上がる。剣を確認し、フードをかぶりなおし、行く宛もなく、ただ人のいる場所を探して進んでいく。
 自分とかかわった人すべてに災いが起きるとは限らない。だが、起きないと言い切れない限りは、最低限の接触にとどめる。のその思いが、次第に人との距離を置き始める。

 夜に移動して昼に眠る。そんなことを繰り返すようになった、あるとき。

「ようやく見つけた」
 青い神官服をつけた男が、の前に現れた。
「ずいぶんと探したよ」
 何人かの兵士を従えてやってきた彼は、一歩、へと歩む。それに彼女はフードをかぶったまま、革の手袋をはいた右手を握ったり開いたりをさせながら彼を見つめる。
、君はきっと僕が誰かもわかっていないんだろうね」
「――あなたが彼を殺したの?」
「・・・・・・僕じゃない」
「だけど、関係はある、ということ?」
 彼の口ぶりからそう判断したは、右手を腰にさげている剣の柄へ伸ばした。
 スラリと抜き身にした刃を無造作に持ち、は目の前の彼に剣先を向けた。そして、片足で踏み込み剣を横凪にする。軽く後ろへ退き剣先が触れるのを逃れた彼に、踏み込んだ勢いのまま剣先を突きつけて走りこむ。両手で柄を握り、突き出す。
 横へと逃れた彼の神官服のすそがひらりと切れた。
「ササライさま!」
 ササライ。それが彼の名前ね。
 神官服を見れば、彼が紋章を所持していることがわかる。そして、先ほどの剣先を逃れる動きはそちらが専門でないにしろ、慣れている風にも見て取れた。
 片膝をついて動きを止めササライを見れば、その手に光が宿っているのがわかった。
 あれは土の紋章?
 視界にそれを入れながら、紋章が発動される前に逃げるか、もしくは紋章の詠唱をキャンセルさせるかを考える。前者はとてもではないが無理そうだと判断する。
「君を傷つけることはしたくなかったんだけれど・・・・・・仕方がないね。僕の紋章を防ぐことができるのは、たぶん、その手に持つ光炎剣だけ」
 ササライの手にある光が眩くなっていく。
「ササライさま、今の彼女ではその術は防げません・・・!」
 やめてください、と兵士たちから声が聞こえる。
 ササライの味方である彼らは、なぜ、彼のやることに反対しているのだろう。そう思うが、には目の前のササライから逃れる方法を考えることが優先だ。
 この術は――・・・!
 詠唱に時間がかかっている。それは、上位の紋章であるということだ。土の紋章は守り中心の魔法だ。その中で唯一、攻撃呪文と言えば一つしかない。
 火の紋章では太刀打ちできないだろう。自分の右手にある剣を彼は『光炎剣』と言っていた。それが、この状況を打破する鍵となる。だが、剣は剣だ。それ以上でもそれ以下でもない。勿論、やれることも限られてくる。
 詠唱が完成しつつある。
 長く考えてはいられない。
 咄嗟に答えを出した結論がどう転ぶかはわからない。だが、やれることをやるしかないのだ。
「踊る火炎!」
 彼の詠唱と自分の詠唱を比べて、まずは早いものを選択して放つ。意表をついた攻撃に、ササライの詠唱が一瞬止まる。
「火炎の矢!」
 続いて、威力は小さいが詠唱時間の一番短いものを選択し放ち、もう一度、続けざまに同じものを放った。二重に放たれた魔法がササライを包む。
「――・・・震える大地」
 詠唱を二度も止めなければならなくなった彼の魔法が、不完全なものとなったのはラッキーだとしか言いようがない。
 魔法の威力を身体に感じながらは唇をかみ締め、剣を地に刺し、耐える。
 やはり、この魔法をまともに食らえば意識がなくなるのは当然――。
 そんなことを頭の片隅で思いながら、は混濁する意識を保とうと試みる。だが、前に傾いでいく身体が重力に逆らえるわけもなく。
『火よ、我の思いを具現化し、かの者を滅せ』
 どこからともなく、そんな詠唱が聞こえてくる。はじめて聞くそれに、ササライも驚いたような表情だ。
『大爆発』
「守りの天蓋」
 ササライを中心に魔法が放たれた。これは火の紋章の上位魔法だ。守りの天蓋で事なきを得た彼だったが、放った人物が意外なものであるとわかり、少し嬉しそうに笑みを浮かべた。
『何を喜んでいる? ササライ』
 が剣を携えたままゆっくりとたちあがる。だが、その瞳は焦点を失ったまま。
「光炎剣、その声を聞いたのは何年ぶりかな」
『私の声が聞けたのがそんなに嬉しいか』
「嬉しいよ。君がようやく解放されて、嬉しくないはずがない」
『おまえは相変わらず、ヒクサクに仕えているようだな』
 生きていくには仕方のないことだからね、とササライは諦めたように表情を硬くする。
『私を起こしてくれたことには礼を言おう。だがこれ以上、この娘を傷つけるなら・・・・・・私は全力を持っておまえを倒す』
「その心配は無用だよ」
 ササライはゆっくりとへと近づき、その頬へと指を滑らせる。
「君を起こすにはこれしか方法がなかった。だから、ちゃんと『土の紋章』だっただろう?」
『真の紋章を所持するおまえに真なる土の紋章を放たれれば、我らはひとたまりもないだろうな』
 真なる土の紋章の後継者であるササライは、真なる紋章ではなく、封印球である土の紋章を選んで放ってくれたのだ。
『この娘しかいない。――「閃の紋章」を宿す私を所持し得る者は』
「だからはハルモニアから飛び出したんだね」
『閃の紋章はおまえたちの持つ真の紋章より特殊なうえ、剣術と魔力とを必要とする。しか・・・いない』
「そう・・・。それなら僕は、もう少し君たちの様子を見ることにするよ。ただし、ヒクサク様の機嫌を損ねない程度にね」
 彼には彼なりの理由がある。存在し得るためには、我慢をしなければならないこともある。
『礼を言う、ササライ』
「どういたしまして」
 ササライは敵である仮面を捨て、今は意識のないにそっと微笑んだ。