沙蘭の迷路/R.ファン・ヒューリック
The Chinese Maze Murders/R.van Gulik
まず“密室の殺人”(*1)は、ジョン・ディクスン・カーの“密室講義”(→拙文「私的「密室講義」」を参照)でいうところの“機械仕掛けの殺人”で、犯人の出入りが問題にならない点で密室ものとしては少々面白味を欠いています。しかし、筆を利用した仕掛けそのものは、特に時代や舞台を考えれば――いわば“バネ”仕掛けである点など――なかなかよくできている(*2)というべきだと思いますし、一見すると死者による殺人という真相にそぐわない状況となっているところも見事です。
また、倪{ユー}都督による犯行に加えて、被害者の息子・丁{デイン}秀才によるもう一つの殺意が組み込まれているところが巧妙で、事件の様相を複雑にするだけでなく、“丁将軍を殺害した犯人はなぜ(不発に終わった)毒李を持ち去らなかったのか?”、さらには“なぜ凶器の筆には(毒李と違って)呉{ウー}を示す偽装が施されていないのか?”、といった疑問をもとに真相が導き出されていく過程が非常によくできていると思います。
“隠された遺書”の中心となっているのは別荘に築かれた迷路ですが、“虚空楼閣”という文字が浮かび上がるという香印をもとにしたデザイン(241頁)が、いかにも中国らしく印象的です(*3)。そして何といっても、倪都督が遺した山水画(74頁)が迷路の地図になっているという趣向、とりわけ“道が通じていない家”という手がかりが非常に秀逸です。
“首を取られた娘”については、狄判事らが迷路の奥で死体を発見する場面はインパクトがあるものの、殺人事件の発覚(正確には“発生”か)がかなり遅いのは難点ですし、犯人そのものも唐突に感じられてしまうのは否めないところです。ある意味で異様な動機にこそ注目すべきなのかもしれませんが……。
銭茂を操っていた黒幕の正体については、作中でもいくつかの手がかりが挙げられていますが、最も重要なのはもちろん銭茂の最期の言葉です。が、海外ミステリ(特にダイイングメッセージもの)の邦訳の宿命ともいえる言語の問題が難しいところで、本書で“行{ゆ}けば……”
(99頁)や“「(前略)行{ゆ}けばわか……」/「ああ、倪継{ユーキー}さんが!」”
(192頁)とされているのは、多少苦しいながらもまずまずといっていいのではないでしょうか(*4)。
ところで、同じく迷路が盛り込まれている泡坂妻夫『乱れからくり』と本書を比較してみると、本書では(以下伏せ字)山水画が迷路の道順を位相的に示す手がかり(ここまで)となっているのに対し、『乱れからくり』では(以下伏せ字)迷路の道順が地下の洞窟の道順を位相的に示す手がかり(ここまで)となっています。
また、両作品にはもう一つ(以下伏せ字)死者による殺人(ここまで)という大きな共通点があるのですが、『乱れからくり』の(以下伏せ字)馬割宗児殺しの仕掛け(ここまで)は本書と類似していながら、(本書と違って)(以下伏せ字)目撃者の眼前で仕掛けが作動してしまった(ここまで)ことが重要なポイントとなっています。
そのような関係を踏まえると、『乱れからくり』が本書を念頭に置いてひねりを加えた作品だという可能性も十分あり得ると思えてくるのですが、いかがでしょうか。
本書は中国の三つのすじ書き、すなわち*2: もっとも、巻末の「著者あとがき」によれば作者自身の考案ではないということですが、それはそれで――かの「金瓶梅」にまつわる故事だという点も含めて――驚かされます。
『密室の殺人事件』
『隠された遺書の事件』
『首を取られた娘の事件』
によって創作された推理小説である。
(さし絵も著者えがく)
(魚返善雄訳『中国迷宮殺人事件』(講談社文庫)2頁より;強調は筆者)
*3: 本書の英語版が刊行された際にはどのように処理されたのか、個人的に気になるところです。
*4: 魚返善雄訳『中国迷宮殺人事件』(講談社文庫)では、倪継の名前に“げいけい”という読みが当てられているため、同じ箇所が
“「エー……」とそれっきりでかれの声は消えた。”(同書127頁)、
“「(前略)わたくしは、エー……。」/「ホウ、倪!」”(同書252頁)と訳されているのですが、本書よりも文字数が減らされている分、手がかりとして弱くなっているのが難点です。
2001.12.23 『中国迷宮殺人事件』読了
2009.04.14 『沙蘭の迷路』読了