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百蛇堂 怪談作家の語る話/三津田信三

2003年発表 講談社文庫 み58-12(講談社)/(講談社ノベルス(講談社))

 まず、文庫版では「十一 飛鳥信一郎の推理」で示されている、前作『蛇棺葬』での百蛇堂からの消失事件に関する推理について。

 まず、龍巳美乃歩の父・直歩が姿を消した第一の消失事件については、直歩が殺害されたことは誰しも予想できるのではないかと思われますが、それによって問題が〈犯人の出入り〉〈遺体の消失〉とに変換されているのが面白いところ。一見すると余計な手間が増えているようでもありますが、“直歩が葬送儀礼の途中で(自発的に)百蛇堂から脱出した”という仮説の難点がクリアされているのは大きいでしょう。すなわち、直歩自身ではなく犯人であれば、翌朝訪れた“民婆”の目を盗んで――百蛇堂の独特な構造を利用して――脱出するのも自然な行動で、棺桶口からの侵入と併せて〈犯人の出入り〉が解決されることになります。

 そして〈遺体の消失〉については、いくつか似たような前例*1もありますし、“何故か足を、腕を、そして首を突っ込みたくなる。”(文庫版『蛇棺葬』378頁)や、“荒縄の束はバラバラにして、残った桶の冷めた湯と一緒に湯灌口の格子穴に捨てた。死の穢れに触れた物は、何であろうと全て格子穴の中に遺棄する。”(文庫版『蛇棺葬』403頁)といった記述が手がかりとなり、比較的わかりやすくなっているとは思いますが、百蛇堂に特有の構造である湯灌口の格子をうまく使った巧妙なトリックといえるでしょう。

 犯人が百蛇堂を犯行現場に選んだ理由は「誰にも邪魔されることなく死体を容易に処分できる」というオーソドックスなものですし、棺桶口の錠前をかけて密室を構成した理由も「錠前をかけたはずの“大叔父”が問い詰められるのを避ける」――ひいては自分に疑いがかかるのを防ぐという、ごく単純なものになっています。もちろんその裏には、百巳家の権力と百蛇堂の怪異(の可能性)のせいもあって家出という曖昧な決着でも受け入れられるという確信があったのでしょうが、犯人のシンプルな行動がミステリ的に不可解な謎を作り出したという逆説的な真相がよくできています。

 一方、義母・刀美の遺体が消失した第二の消失事件では、第一の消失事件と同様に湯灌口の格子を介した〈遺体の消失〉トリックが使われているものの、事件の性質がまったく違っているのがユニーク。犯人たちの目的は対外的に“民婆”の死を隠すことにあり、そのために棺桶を“空ける”べく刀美の遺体を消失させたわけですが、事件を知るのは百巳家の人々のみ。そして〈遺体の消失〉トリックは、龍巳ただ一人に向けて仕掛けられたものであり、第一の消失事件の真相を気づかせないためにあえて奇怪な遺体消失を演出したという、二つの事件の微妙なつながりが面白いと思います。

ここまで

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 ノベルス版では“私”こと龍巳美乃歩が示し、文庫版では上記のように飛鳥信一郎が示した一応の合理的な“解決”を、龍巳の祖母の墓を掘り返して検証するという、ミステリ的にもホラー的にも興味を引く展開が秀逸。そしてその結果、一応の“解決”がはっきりと否定されることで、“マーモウドン”なる怪異が存在感を増していくところもよくできています。かくして物語の流れは一気にホラー側に傾き、再訪した京都の龍巳家でピークを迎えます。とりわけ、文庫版508頁~509頁(ノベルス版352頁~353頁)の見開きの迫力は圧倒的です。

 ところがそこで、殺されたと思われていた龍巳の父親・直歩の登場を機に、消失事件の再検討が行われることに。第二の消失事件については、早い段階から刀美が“マーモウドン”になったことが示唆されているので推理の余地はありませんが、“父親の直歩は祖母のマーモウドンと共に、どこかへ消えてしまったと考えるのが自然じゃないか。”(文庫版522頁/ノベルス版361頁)*2と三津田信三は主張しているものの、直歩は怪異に取り憑かれていた様子がない――龍巳と違って外見が年相応である――ことから、第一の消失事件については怪異と無関係だと考えるのが妥当でしょう。

 そして飛鳥信一郎による新たな解決――刀美が企てた殺害計画そのものは生かしつつ、それを“民婆”が防いだとする推理は、前述の遺体消失トリックがなかったことになってしまうのが少々もったいなく感じられますが、“民婆”から殺害計画を知らされれば直歩も葬送儀礼どころではないでしょうし、“民婆”が龍巳のことを考えての行動だったというところまで含めて、説得力という点ではなかなかよくできています*3

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 さて、とある理由*4で“龍巳美乃歩→たつみみのぶ→みつたのぶみ→三津田信三”という語呂合わせは比較的わかりやすくなっていると思いますし、龍巳がつぶやいた“同姓同名……”(文庫版246頁/ノベルス版183頁)の意味も、また玉川夜須代が残した“たつみつだ ふたりはおなじった”(文庫版459頁/ノベルス版316頁)という文章の真相も同様です。が、それらの行き着くところ――“龍巳美乃歩=三津田信三”という真相は非常に強烈です。

 龍巳が体験した“実話怪談”である『蛇棺葬』をいわば“問題篇”とした、飛鳥信一郎による謎解き――年代の特定と隠された人物(三津田信三)の暴露は、(その真相自体は半ば予想できるとしても)なかなかよくできています。さらに、『蛇棺葬』でやけに力が注がれていた百々山にまつわるエピソードが、最後になって“マーモウドン”とは別個の怪異による入れ替わりという真相につながる伏線として効いてくる、遠大な(?)仕掛けに脱帽せざるを得ません。

 登る人数によって違ってくる百々山の効果については、郷土史家・閇美山尤國という人物が手がかりを示唆するために配されているのが興味深いところ。そのせいで最後の最後まで真相が強力に隠蔽されているということもありますが、本書における飛鳥信一郎ら“探偵役”の使命――三津田信三を“ある方向へと導く役目”(文庫版606頁/ノベルス版417頁)を踏まえてみると、真相に到達する上で重要な手がかりをもたらした閇美山が、実は“そちら側”の一員だったという飛鳥信一郎の“結論”にも、大いに納得させられるものがあります。

 龍巳と三津田の二人が入れ替わっていたという真相が示されてみると、改めて感心させられるのが、本書の随所に挿入されていた『蛇棺葬』の文章――(作中では)龍巳が書いた原稿から抜粋した文章の扱いで、メタフィクション形式では定番ともいえる“作中の現実と作中作の交錯”、すなわち三津田真三が遭遇する“現実”が龍巳の書いた原稿と重なる……と見せかけて、三津田信三の中にあった“龍巳美乃歩”としての過去の記憶のフラッシュバックだった(と考えられる)という趣向が秀逸です。

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 怪異の拡散については、(『蛇棺葬』の中で)“民婆”が口にした、“あれは自分の存在を知った人の下へも行こうとするけ”(本書文庫版102頁/ノベルス版76頁)という“設定”が伏線となっており、飛鳥信一郎の下にまで怪異が現れた時点で三津田信三自身も、その言葉を思い出しながら“やはり原稿に関わった者は、何が何でも逃れられないということなのか。”(文庫版310頁/ノベルス版300頁)と述懐してはいたのですが、最後の飛鳥信一郎からの電話の中で、さらには「蛇足」に登場する龍巳の“妻”の言葉でも示唆されている、三津田信三が必要とされた理由にまで行き着いてしまうところがよくできています。

 ただし、いくら読者とつながるためとはいえ、『蛇棺葬』はまだしも本書『百蛇堂 怪談作家の語る話』は、百巳家の人間である龍巳にとってはそのまま世に出してはまずいもののはず。というのは、三津田信三が送ってきたとされる原稿では、“龍巳美乃歩”の「蛇足」によれば失踪したことになっている三津田信三が、百巳家の座敷牢へ運ばれた結末を迎えているからです。このように、すべてが“現実”とするにはいささか無理があるのですが、さりとてすべてを“虚構”と片付けてしまっては、せっかくのメタフィクションの面白味が損なわれてしまうのは否めません。

 ……というわけで、何とか辻褄を合わせるためにこじつけてみると、「蛇足」を書いた“龍巳美乃歩”が、自分を龍巳美乃歩だと思い込んでいる三津田信三だとすれば――つまり、三津田信三が百巳家の座敷牢で対面した“あれ”に取り憑かれて自分を“龍巳美乃歩”だと思い込み、そのまま「蛇足」を書いたとすれば、“龍巳美乃歩/三津田信三”が対外的に三津田信三として通用する限り、本書『百蛇堂 怪談作家の語る話』の内容がすべて“虚構”だったと“言い繕う”ことも可能だと考えられます。

 「蛇足」で言及される信濃目稜子の動きも、“龍巳美乃歩”が三津田信三であることを示唆しているように思われます*5し、何より“自分の名前を記す際に、何故か私は二度も三津田信三と書いて仕舞ったのである。”(文庫版620頁/ノベルス版428頁)という「蛇足」の最後の一文は、龍巳美乃歩の中で三津田信三としての(幼い頃の)記憶がよみがえったと考えるよりも、筆者が“三津田信三という名前を書き慣れた人物”であることの表れだと解釈するのが妥当ではないでしょうか。さらにいえば、柴田よしき氏による「解説」の不気味なラストも……。

*1: 死体を切断ないし変形させて狭い開口を通じて外部に出すというトリックは、すぐに思いつくところで新本格作家(作家名)綾辻行人(ここまで)の某作品など、いくつかの例があります。毛色の変わったところでは、山田風太郎の某忍法帖短編(以下伏せ字)(「忍者枯葉塔九郎」)(ここまで)もこれに通じるところがあります。
 ちなみに、三津田信三の後の作品『凶鳥の如き忌むもの』における“人間消失講義”では[四のニ:非協力者が現場に侵入し、内部で殺害と処理をし、自分だけが外に出た](同書ノベルス版251頁参照)に該当するもので、実際にそこでも類似のトリックが検討されています。
*2: 以下、引用箇所はノベルス版も併記しますが、大幅に改稿された文庫版とは文章が違っている場合がありますので、ご了承ください。
*3: ノベルス版の『蛇棺葬』では、龍巳による推理を聞かされた“大叔父”が、棺桶口の施錠を刀美に任せたことを実質的に認めている(ノベルス版319頁)ので、推理がより蓋然性の高いものになっています。
*4: もちろん、(以下伏せ字)『忌館 ホラー作家の棲む家』及び『作者不詳 ミステリ作家の読む本』に同じような語呂合わせが登場する(ここまで)ためです。
*5: 『忌館 ホラー作家の棲む家』を参照。

2007.11.16 ノベルス版読了
2013.12.27 文庫版読了 (2013.01.10改稿)