ミステリ&SF感想vol.140

2007.02.13

トーキョー・プリズン  柳 広司

ネタバレ感想 2006年発表 (角川書店)

[紹介]
 戦地で行方不明になった従兄弟の手がかりを求めて日本へ、GHQが認定した日本人戦犯が収監されるスガモ・プリズンへとやってきたニュージーランド人の私立探偵・フェアフィールドは、プリズンの副所長から調査を許可する交換条件として、捕虜虐待容疑で収監されている囚人・貴島悟に協力することを求められる。プリズン内部では、看守の一人が密室状況で、しかも外部からの持ち込みが不可能なはずの毒で死ぬという事件が起きており、副所長は頭の切れる貴島が謎を解くことを期待していたのだ。そしてフェアフィールドの役目は、貴島が失った戦争中五年間の記憶を取り戻すことだった……。

[感想]
歴史ミステリの巧者・柳広司が、第二次大戦終戦直後の日本を舞台に“戦争と狂気”を描いた作品です。ほぼ同じ時代を扱った『新世界』が戦勝国の側から描いた作品であったのに対して、こちらは敗戦国である日本の様子に焦点が当てられていますが、全編がニュージーランド人という(連合国の側であったとはいえ)第三者的な立場であるフェアフィールドの視点から描かれているところがなかなかユニークだと思います。

 そして、物語の真の主役である囚人・貴島悟の造形が非常に秀逸です。無類の頭の切れと意志の強さを備える人物という点では類型的ともいえますが、戦争中五年間の記憶を完全に失っているという設定が絶妙で、戦争から完全に切り離されたもう一人の“第三者”となっているところが見逃せません。結果として、貴島自身は戦争に対して冷静でシニカルな姿勢を見せながらも、本人に覚えのない罪状で裁かれるという奇怪な立場にあり、戦争犯罪というこの時代ならではの罪状が大きくクローズアップされています。

 その捕虜虐待容疑については、告発の根拠となった捕虜たちの証言をつぶさにみてみると、すぐにおおよその見当はついてしまうと思います。が、そこにみえてくる文化の違いによる相互理解の難しさには色々と考えさせられるところがありますし、捕虜収容所所長という地位にあった貴島が直面せざるを得なかった(であろう)困難までが浮かび上がってくることで、現在の立場の悲劇性が一層強調されているところが見事です。

 貴島の記憶を取り戻すことを命じられたフェアフィールドは、貴島の友人である頭木逸男・杏子の兄妹と出会い、彼らと協力して貴島の容疑を晴らそうと努力することになりますが、人探しを中心としたハードボイルド系の私立探偵もののような展開の中で、終戦直後の日本(国民)の様子とGHQの支配の有様がしっかりと描かれているところが見逃せません。フェアフィールドがそちらに専念し、監獄内での事件の解決が貴島に一任されている結果、せっかくの(?)不可能犯罪の影がやや薄くなっているきらいがありますが、これは致し方ないところでしょうか。

 個々のトリックそのものもさほどのものではないのですが、それでも終戦直後という“時”、そして収容所内という“場”をしっかりと踏まえた謎と解決は、“戦争と狂気”というテーマと密接に結びつき、独特の光芒を放っています。そして、謎がすべて解かれた後に残る途方もない重さは、登場人物のみならず読者もまたしっかりと受け止めていかなければならないものでしょう。

2007.01.14読了  [柳 広司]

恋霊館事件  谺 健二

ネタバレ感想 2001年発表 (カッパ・ノベルス)

[紹介と感想]
 阪神大震災の最中に起きた事件を描いたデビュー作『未明の悪夢』と、いわゆる“酒鬼薔薇事件”をモチーフにした『赫い月照』との間に位置する、占い師・雪御所圭子を探偵役としたシリーズの連作短編集です。それぞれ阪神大震災から何日後の事件なのかが冒頭に明示された「紙の家」から「恋霊館事件」までのエピソードを、「仮設の街の幽霊」「仮設の街の犯罪」という対になるエピソードで挟み込んだ形になっており、全体から神戸の人々の心と生活にいつまでも残る「恋霊館事件」は震災から1544日後の物語となっています)阪神大震災の爪痕が強く伝わってきます。
 なお、光文社文庫版には「五匹の猫」というエピソードが追加収録されているようです。

「仮設の街の幽霊」
 阪神大震災により行き場を失った人々が住まう眺星台仮設住宅。その中で、震災離婚した一人の女性が自殺してしまう。その直後から、住宅内で様々な怪現象が続発し、ついにはボランティアの女性が幽霊を目撃する羽目に。そして、自殺した女性に言い寄っていた男が、姿なき加害者に頭を殴られて死んでしまった……。
 お互いに見ず知らずだった人々が、震災によって隣人となることを余儀なくされた仮設住宅。それゆえに生じたトラブルと悲劇が描かれた、震災に翻弄された人々の苦悩を浮き彫りにするエピソードです。様々な怪事は未解決のまま残され、最後の「仮設の街の犯罪」へと続きます。

「紙の家」
 安価な仮設住宅として考案され、ボランティアたちの助力により完成した段ボール製のログハウス。だが完成の翌朝、早速入居したはずの男性が、鍵のかかったそのログハウスの中で首を吊っているのが発見された。警察は自殺と判断するが、死んだ男の妻から調査を頼まれた有希と圭子は……。
 “紙の家”とだけ聞くと脆弱なイメージですが、実際にはなかなか強固な密室となっています。盲点を突いたトリックも巧妙ですが、それが露見してから結末へと至る一連の流れが実に見事。そして悲痛な動機が胸を打ちます。

「四本脚の魔物」
 英国にて、その持ち主が次々と奇禍に遭って命を落としたという逸話の残る“呪いの椅子”。その現在の持ち主である神戸在住の大学教授が、密室状況の書斎の中で、背中に奇妙な金属棒を刺されて殺された。有希は、教授にその椅子を売ったという古道具屋を訪ね、話を聞いたのだが……。
 オカルトで味付けされた密室もので、非常にユニークなトリックが光っています。震災との関連は薄いようにも思えたのですが、本書に収録されているからにはそんなはずはなく、最後に明らかになる事件の背景が何ともいえない印象を残します。

「ヒエロニムスの罠」
 密室状態の喫茶店内で、女主人が惨殺される事件が起きた。やがて、被害者の恋人と以前に交際していた女性が自首してきたのだが、何と遠隔害虫駆除機「ヒエロニムス・マシン」なる怪しげな機械を使って殺害したのだという。事情を聞かされた有希と圭子は、密室の謎を解こうとするが……。
 これはオカルトというよりも“ニセ科学”というべきか。うさんくさい機械を使って人を殺したと主張する人物が登場し、不可解な密室殺人にさらなる混乱をもたらしているのが面白いところです。トリックもシンプルながら巧妙。物語と事件のバランスが崩れている感もないではないですが、本書の中にあってはそれも瑕疵というべきではないでしょう。

「恋霊館事件 ―神戸の壁―」
 夫の暴力に苦しむ妻と、住む者のない異人館“恋霊館”で逢引を重ねてきた写真館の主人だったが、阪神大震災を契機に二人は不倫関係を清算することにした。しかしその最後の夜、“恋霊館”が一瞬にして消え去ってしまう。さらに、震災にも耐えた“神戸の壁”で、夫が殺害される事件が……。
 異人館の消失と、“神戸の壁”で起きた不可解な殺人事件を扱った、本書の中で最長のエピソード。館の消失の真相はかなりわかりやすくなっていますが、メインの謎である殺人事件の方は二転三転し、読み応えがあります。そして結末もまた印象的。

「仮設の街の犯罪」
 眺星台仮設住宅で起きた不可解な事件に関わることになった有希と圭子。二人が解き明かしたその真相は……?
 冒頭に配された「仮設の街の幽霊」の解決編にあたるエピソードで、様々な怪事が合理的に解体されていきます。個々の解決の中には他愛もないものもありますが、それでも仮設住宅という舞台ならではの真相は心に残ります。

2007.01.16読了  [谺 健二]
【関連】 『未明の悪夢』 『赫い月照』

屍衣の流行 The Fashion in Shrouds  マージェリー・アリンガム

ネタバレ感想 1938年発表 (小林 晋訳 国書刊行会 世界探偵小説全集40)

[紹介]
 絶大な人気を誇る舞台女優ジョージアは、俳優の夫と離婚した後に法廷弁護士と婚約したものの、その婚約者は謎の失踪を遂げてしまい、アフリカの植民地総督であるレイモンドと結婚した。そして3年後、元婚約者の行方を追っていた探偵アルバート・キャンピオンは、その白骨死体を発見する。真相解明のためにジョージアに接近したキャンピオンだったが、彼女を取り巻く人間たちの中にはキャンピオンの妹にしてファッション・デザイナーであるヴァルの姿もあった。やがて、華々しく執り行われるレイモンドのアフリカ飛行壮行式典の最中、ついに事件が起こった……。

[感想]
 “アリンガムの最高傑作”とも評されているらしい本書ですが、それもなるほどと思わされる出来ばえ。本格ミステリ的なトリックやロジックに乏しいのは確かですが、それでも全編に大胆に張り巡らされた“仕掛け”は実に見応えがあります。

 純粋に物語としても、今までになく読みやすく魅力的に感じられますが、その原因の一つは探偵役であるアルバート・キャンピオンの立ち位置にあるといえるでしょう。ジョージアの元婚約者を探し出すという依頼を受けて物語当初から事件に関わっているだけでなく、妹のヴァルとジョージアとの関係などもあってキャンピオン自身がどっぷりと事件の渦中にはまり込んでしまうことになり、読者としても物語に入り込みやすくなっています。

 また、人物描写が非常に丁寧で、多くの登場人物の人となりがしっかりと描かれている上に、数々の恋愛模様(キャンピオン自身も例外にあらず)を絡めて興味深い物語に仕上げているあたりはさすがというべきでしょう。のみならず、そこに前述のミステリ的な“仕掛け”をうまく重ね合わせるという手腕は特筆もので、“人間を描く”ことと“謎解き”とを見事に両立させた作品といっていいかもしれません。

 結末がややあっさりしすぎている感がなきにしもあらずですが、それも不満というほどのものではありません。じっくりと読むほどに味わい深い、なかなかの快作です。

2007.01.23読了  [マージェリー・アリンガム]

ひとりっ子 Singleton and Other Stories  グレッグ・イーガン

2006年発表 (山岸 真訳 ハヤカワ文庫SF1594)

[紹介と感想]
 『祈りの海』『しあわせの理由』に続く、日本オリジナルの第3短編集です。
 サイバーパンク風数学SF「ルミナス」を除いて、意志決定とアイデンティティといったようなものをテーマとした作品が並んでいる上に、大半がどこか似たような展開――“どうなるのか?”よりも“どうするのか?”という過程を描くことに重きが置かれている――という、よくいえば統一感のある、悪くいえば金太郎飴のような作品集になっています。
 理解が及んでいないせいもあるのでしょうが、個人的には『祈りの海』・『しあわせの理由』に比べると落ちる印象で、毛色の違う「ルミナス」がベスト。

「行動原理」 Axiomatic
 使用者の神経を一時的に改変し、望み通りの精神状態を作り出すインプラント・テクノロジー。五年前に妻を銀行強盗に射殺された“わたし”は、葛藤の末に特注品のインプラントを購入し、それによって自分を解放しようとするが……。
 次の「真心」とともに、『宇宙消失』に登場した“モッド”やジョージ・アレック・エフィンジャー『重力が衰えるとき』の“モディー”を思わせる、精神をコントロールする技術“インプラント”を扱った作品です。アイデンティティの強制改変という印象も受けますが、それを選んだ(他のものを選ばなかった)のもまた自分であり、極論すれば“インプラント”は手段にしかすぎないということでしょうか。結末には何ともいえない重さが漂いますが。

「真心」 Fidelity
 様々な破局を目にし、また自身も体験した結果、移ろいやすい愛に不安を覚えるぼくたち夫婦は、やがて特殊なインプラント〈ロック〉の使用を考えるようになった。それは、使用者の精神状態の一部を不変とするものだった……。
 奥泉光氏が解説で“身もふたもない”と評していますが、確かにその通り(今にして思えば、『しあわせの理由』の表題作も相当に“身もふたもない”話だったような気も……)。しかし、これもまた自身の選択の結果であって、それを“選ぶ”という行為には意義があるといえるでしょう。その意味で、プロセスを描くことに力が注がれるのは十分に理解できるのですが、結末の手応えのなさは何とも。

「ルミナス」 Luminous
 工業代数社のエージェントにつけ狙われる“ぼく”。その原因は、ぼくが特殊なスーパーコンピュータ〈ルミナス〉へ届けようとしているチップだった。ぼくたちは、数学に潜む恐るべき〈不備〉をあらわにしようとしていたのだ……。
 サイバーパンク風の序盤にニヤリとさせられますが、実態はどこかバリントン・J・ベイリーの一連の作品を思わせる“バカSF”(←ほめ言葉)。作中に登場する架空の理論は、理解できるようでいて(当然ながら)理解できませんが、数学を介した(以下伏せ字)ファーストコンタクト(ここまで)の物語と考えれば、非常に面白く感じられます。

「決断者」 Mister Volition
 通りすがりの男を襲って眼帯{パッチ}を奪い取った“おれ”だったが、非合法のソフトウェアが入っていたために、売り飛ばす前に自分で試してみようとする。〈百鬼夜行{パンデモニアム}という名のそれが見せてくれた映像は……?
 理論(元ネタ)はともかく、イメージ的にも、また概念としてもかなりわかりやすい作品。逆にいえば、元ネタを小説の形で表現してみたという、ただそれだけのものなのかもしれません。

「ふたりの距離」 Closer
 深く愛し合いながら、お互いをもっとよく知るために、ありとあらゆることを試してきた“わたし”とシーアンは、その究極の手段として、〈宝石〉とクローン体を使って一時的に完全に同一の存在となることを試みるが……。
 これもまた“身もふたもない”話で、(一応伏せ字)冒頭の一文で結末は見えている(ここまで)ともいえます。ただ、よく考えてみるとそこから(一応伏せ字)また新たな“分岐”が始まっていく(ここまで)ようにも思えるのですが……あるいはそれが(一応伏せ字)あまりにも小さすぎる(ここまで)のかもしれませんが。
 なお、〈宝石〉については「ぼくになることを」『祈りの海』収録)を参照。

「オラクル」 Oracle
 絶望的な監禁状態から救い出されたロバート・ストー二イは、今では様々な驚くべき研究成果を送り出していた。その陰に“悪魔”の存在を疑う敬虔な英文学者ジョン・ハミルトンは、ストー二イに対して議論を挑んだ……。
 マッドサイエンティストものの雰囲気が漂う、ゲーテ『ファウスト』を下敷きにしたような(?)異色の歴史改変もの……ですが、「編・訳者あとがき」のネタバレ部分を読まないとピンとこないというのはいかがなものか。そのあたりがわからなくても十分に面白い話ではあると思うのですが、やはり少々不親切な印象は拭えません。

「ひとりっ子」 Singleton
 生まれるはずだった子どもを失ったぼくたち夫婦は、自分たちの研究成果を使って、その選択により量子論的な分岐を生じることのない“ひとりっ子”を生み出し、豊かな愛情をもって育て上げようとするのだが……。
 以前にラリイ・ニーヴン「時は分かれて果てもなく」『無常の月』収録)を読んだ時にも感じたことですが、多世界解釈に対する恐怖のような感覚がまったく理解できません。とりあえず、“自分”と異なる選択をする“自分”を、どこまで“自分”と同一の存在と見なすことができるのか(要するに、他の分岐の“自分”の心配をしてもしようがないのでは?)というあたりが気になるのですが、それはさておき。
 選択により分岐を生じないということは、その選択が最善であることを保証するものではなく、“いま以上を望むことは、絶対に不可能”(←本書に収録された別の作品と無理矢理関連づけてみました)ということになってしまう気が。さらに根本的な疑問として、自身の選択によっては分岐を生じないとしても、あらゆる他者の選択によって生じる分岐の影響は排除できないと考えられるので、結果として(受動的に)別バージョンの“自分”が生じてしまうのではないかと思うのですが、(以下伏せ字)結末ではそれが考慮されているにしても(ここまで)、“ぼくたち”がそれについて考えていないというのは、少々お粗末に感じられてしまいます。

2007.02.01読了  [グレッグ・イーガン]

凶鳥{まがとり}の如き忌むもの  三津田信三

ネタバレ感想 2006年発表 (原書房 ミステリー・リーグ/講談社ノベルス)

[紹介]
 怪異譚の収拾に力を注ぐ怪奇作家・刀城言耶は、瀬戸内にある兜離の浦を訪れた。大鳥様を祀る鵺敷神社の巫女・朱音が、沖合の無人島・鳥坏島に設けられた拝殿で十八年ぶりに秘儀“鳥人の儀”を行うというのだ。だが前回の儀式の際には、島に渡った八名のうち、朱音の母である朱名の巫女をはじめ七名が姿を消すという怪事が発生し、ただ一人生還した当時六歳の朱音は妖怪“鳥女”が現れたと証言していた。そして今回もまた、刀城言耶ら立会人とともに島に渡った朱音の巫女が、儀式の最中に密室状況の拝殿から消失してしまう。さらに……。

[感想]
 本書は怪奇作家・刀城言耶を主役とするシリーズの長編第二作で、当初は講談社ノベルスにて刊行されましたが、2009年4月に他の長編と同じ原書房〈ミステリー・リーグ〉から、書き下ろし短編「天魔の如き跳ぶもの」を加えた“特装版”として刊行されたものです。
 その「天魔の如き跳ぶもの」は、後に『生霊の如き重るもの』に収録されたので、こちらに書いていた感想は削除しました。

* * *

 さて、シリーズの前作『厭魅の如き憑くもの』はホラーとミステリがいい具合に融合した作品でしたが、こちらは刀城言耶による「はじめに」“宗教的な神秘と民間伝承的な因習に彩られながらも(中略)逆に最初から何か探偵小説めいた感覚を持って接する羽目になった事件”(5頁~6頁)と表現されているように、全体的にかなりミステリ寄りの作品となっています。

 物語の序盤は、鵺敷神社をめぐる信仰と儀式の説明にかなりの分量が費やされており、神社としては“異端”というべきその内容が薄気味悪く感じられるとともに、(当然ながら)儀式の核心部分が秘されていることで神秘的な雰囲気が生じているのは確かです。さらに、十八年前の儀式の際に起きた得体の知れない怪事――しかも儀式の失敗と直結している節がある――が、今まさに行われようとしている儀式に不吉な影を落としているのもいうまでもありません。

 にもかかわらず、“ホラーミステリ”ではなく“ホラーで味付けしたミステリ”という印象を与えるのは、カバーや帯のあらすじなどで前面に押し出されている密室からの人間消失という不可能状況が、逆説的に*1トリックの存在を強く匂わせることによるのではないかと思われます。加えて、他の長編とは違ってほぼ全編が謎解き役である刀城言耶の視点で進んでいく*2ことで、いわばあらゆる現象に“合理の光”が常に当てられた状態となっているところも見逃すべきではないでしょう。

 そのあたりが端的に表れているのが、巫女が消失した後直ちに始まる事件の詳細な検討で、あえて怪異の可能性を排除しないとしながらも、合理的な説明をつけることを優先する刀城言耶の姿勢は、どこからみてもミステリの探偵役に他なりません。そして、現場の拝殿と消失した巫女をそれぞれ“場”と“駒”とみなしたトポロジー的なコンセプトに基づき、およそ考え得るすべての可能性を一つ一つ丁寧に検討していく、“人間消失講義”ともいうべきディスカッションは質量ともに圧巻で、序盤とは打って変わって完全にミステリの側に力点が置かれている感があります。

 とはいえ、“人間消失講義”によっても巫女の消失の真相は解明されないどころか、さらに一人また一人と姿を消していく不可解な事件が発生し、事態は混迷を深めていきます。終盤になるとようやく、事件の謎が少しずつ解き明かされていくものの、肝心の巫女の消失については依然として不明なまま、残り20頁ほどになって二十個もの疑問点が列挙される有様。しかし、それらの疑問点が最終的にただ一つの真相によって説明されてしまうという、次作『首無の如き祟るもの』にも通じる趣向*3は秀逸です。

 しかしてその真相は……読者によってはかなり早い時点で頭に浮かぶ――そして“ある理由”で捨て去ってしまう――おそれのあるもので、今ひとつすっきりしない感覚が残るのが残念ではあります。それでも、実に豪快な真相なのは間違いないところですし、それを成立させるための様々な伏線も非常によくできていると思います。何より、その戦慄すべき後味が最終的に物語を“怪奇”の側に引き寄せているのが見事で、シリーズの他の長編とはやや違った方向性ながらもホラー的要素がうまく組み込まれた作品というべきでしょう。

*1: 本来は“人間業では不可能”な状況であるはずなのですが、特にミステリを読み慣れた読者であるほど“不可能状況=人間業”という先入観(?)が生じてしまうのはご承知の通り。
*2: 本書は、儀式に立ち会う面々の島からの消失という謎が盛り込まれたクローズドサークルものでもあるため、刀城言耶も最初から出ずっぱりとなる必要があります。
*3: 残念ながら、『首無の如き祟るもの』ほど鮮やかとはいえませんが。

2007.02.06 講談社ノベルス版読了
2009.04.30 原書房版読了 (2009.05.02改稿)  [三津田信三]