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家庭用事件/似鳥 鶏

2016年発表 創元推理文庫473-07(東京創元社)
「不正指令電磁的なんとか」
 パソ研に有利な条件で契約を結ぶため、印刷すると内容が変化する契約書を作成するトリックは面白いと思いますし、契約書の中の“映像研究同好会”と“パソコン同好会”の箇所だけが入れ替わる現象も鮮やか。正式名称の〈映像研究会〉と〈パソコン研究同好会〉との食い違いから、文字数が重要であることが示唆されるところもよくできています。が、そこから先の具体的な手段――フォントという真相は、知識がなくても現象を正しく把握すればおおよそ見当がついてしまう程度のもので、残念ながらあまり面白味があるとはいえません。

 また、作者としては『理由あって冬に出る』につなげるために*1致し方なかったのかもしれませんが、犯人が葉山君の携帯にウイルスを送りつけたのは、いくら何でもやりすぎでしょう。単に犯罪行為にあたるというだけでなく、物語としても本来は不要*2である上に、犯人にとっても無用な行為だったのではないかという疑念が……。

 犯人が契約書を葉山君に送った場面、“契約書のその文面、メールで送っといてください。(中略)すぐに添付ファイル付きのメールが来た。それを確認して報告すると”(21頁)としか書かれていないので今ひとつ状況がはっきりしませんが、(携帯の画面は小さいのであまり考えにくいのですが)契約書が画像(スクリーンショット)で送られたのであれば、消去する必要があるのは確かです。しかし文書の形式であれば*3、特殊なフォントによって“変換”されていない――つまりは印刷された契約書と同じ文章であるはずで、“携帯で元の文章を参照されると、このトリックはすぐにばれてしまう”(51頁)どころか、むしろ印刷された契約書を補強する証拠になる――最初に確認した内容は“見間違い”で押し通しやすくなる――のですから、犯人が消去すべき理由はなくなります。

「的を外れる矢のごとく」
 “なぜ的枠が盗まれたのか”が重要ではあるのですが、的枠の必要性を考えてしまうと真相が見えにくくなるあたり、葉山君が独白しているように“的ばかり意識してるからかえって中らなくなる”(94頁)が体現されたような構図が面白いと思います。的枠の必要性という観点では、ミノや秋野は弓道部員よりも想定しがたいところがありますが、“的枠が補充されなかった”と考えた途端に、ミノと秋野だけが容疑者として残ることになるところがよくできています。

 読み返してみると、棚から三つなくなっていた的枠のうち、一つが棚の下に落ちて壊れていたこと(69頁)*4が、残り二つの“命運”を暗示する大胆なヒントとなっています。そして、自転車のタイヤの痕が壁に二箇所も残っていたことは、犯人が自転車の運転が得意でない(婉曲的表現)ことを、かなりあからさまに示唆しているともいえるのですが、それでも自転車の練習*5という真相はなかなか意外です。

「家庭用事件」
 ブレーカーが落ちたことによって、葉山君たちがリビングから玄関に移動するという効果があるのは確かですが、(“ピンポンダッシュ”ほどではないにせよ)さほど時間を稼げるわけではなく、あまり大したことはできないのではないか……と思いきや、盗撮カメラというとんでもない真相が飛び出してくるのが青天の霹靂。巧妙なのは、すでに仕掛けられたカメラの回収、しかも葉山家のベランダからの脱出と、事後処理のみに限定されている点で、ブレーカーを落としたことにより稼げる程度の時間でも十分に可能な“犯行”といえるでしょう。

 分電盤がシューズインクロゼットの中にある特殊な配置や、ベランダの手すりがぐらついていたことなど、短い中に配置された細かい手がかりが生かされているところもよくできています。

「お届け先には不思議を添えて」
 返送されてきた箱の蓋に辻さんの字(中略)書いてある”(138頁)のが厄介で、詰め込み~発送時と同じ箱が使われている(ように見える)ために、中身のテープだけがすり替えられたと思わされてしまう、巧みなミスディレクションとなっています。一方で、箱を福本さんの車まで運ぶ途中のミノの動きは露骨に怪しく、すり替えの犯人がミノである*6ことは見え見えなのですが、しかしそのタイミングだけではどう考えてもすり替えが不可能なのもうまいところ。しかして、箱の中身をすり替えたと見せかけて、あらかじめ箱の方に細工を施す――テープを詰め込んだ後で二重箱に仕立てるトリックが、非常に巧妙です。

 問題のテープをめぐって対立していたはずの福本さんと仲宗根さんが、どちらも同じ目的のために動いていたという空騒ぎぶりが愉快ですし、問題の〈ブーメラン・エフェクト〉のライブ映像が、葉山君が疑っていたような“怪我人が出た”何かではなく裸踊り(202頁)だったというオチにも苦笑。

 しかしよく考えてみると、福本さんと玉井さんの動きを中心に、いくつか不自然な点が目につくのも事実です。
(1)不可能状況を作り出すためにやむを得ないとはいえ、“一部(四十本のうち十本(146頁))のテープが駄目になっていたから箱ごと返送する”というのはどうなのか。普通に考えれば、テープが駄目になる原因は箱とは関係ないので、“製造ロット単位で廃棄処分”のような扱いは合理的ではないでしょう。
(2)本来は問題のテープが入っていたはずの箱をそのまま送り返した(だけの)玉井さんは、詳しい事情を知らなかったと考えられますが、問題の映像に関して伊神さんが玉井さんによれば入っているのは③だそうだけど”(196頁)と口にしているのはどういうことなのか。これについては、箱を返送した後に福本さんから事情を聞かされた*7、とも考えられますが……。
(3)問題のテープを(玉井さんを介して)手に入れようとしていたはずの、福本さんの動きが鈍いのは明らかにおかしな話です。発送してから十日間も放置していたとは考えにくいものがありますし、玉井さんに連絡を取って“二〇〇〇年のライブ”のテープを箱ごと送り返したことを知らされれば、少なくとも辻さんに問い合わせるくらいのことはするのが自然でしょう*8

「優しくないし健気でもない」
 被害金額が“マイナス百円くらい”(216頁)という事件の不可解さゆえに、被害者・河戸真菜を怖がらせるだけが目的ということが見えやすくなっている感がありますし、葉山君の受けた印象と足達さんの話との、真菜の人物像の食い違いが背景となっていることも、かなり露骨に匂わせてあります。そして真菜の“バイクで送る、って言ってくれる男もいる”(215頁)という言葉も考え合わせれば、事件の真相も犯人もほとんど見え見えといっていいでしょう。

 しかして葉山君による謎解きでは、容疑者が真菜の難聴と塾通いを知っている身近な人物に限定されるところまではいいとして、“犯人は健聴者である”という条件がまさかの決め手となること――葉山君の妹・亜理紗も含めて関係者の大半がろう者だったことに、さすがに驚愕せざるを得ません。というわけで、この作品には“手話での会話を口話での会話に見せかける”叙述トリックが仕掛けられているのですが、“日本人が「日本語で話しています」といちいち断る”(246頁)ことがないのと同じように、手話での会話であることが自然に省略されているので、真相を見抜くことは困難かもしれません。

 足達さんとの会話の場面(227~233頁)別のフォントが使われているのはいかにも意味ありげですし、葉山君が真菜や亜理紗らの学校を訪ねた場面で、真菜たちが“やたら高速で(中略)と喋っている”(213頁)と表現されている――口話ならば早口でが普通だと思います――のに引っかかりを覚えはしたのですが、河戸姉妹の父・俊介さんの“両親と子供二人、そろって同じ学校で、同じような仕事を世話してもらって、っていうのもよくない気がするだろ?”(237頁)という、かなり露骨な言葉でも真相に気づかなかったのが不覚です。

 ろう者だと明かされている真菜が目立つように補聴器をつけていることが、口話での会話だと思い込まされる一因となっているのが見逃せないところで、真相が明かされるとともに、作中で指摘されているそのままの“補聴器をしているのだから普通に聴こえているんだろう”(248頁)という誤解に気づかされるところがよくできています。そしてもちろんシリーズキャラクターの亜理紗について、これまでの登場で“ろう者であることを匂わせる描写”がなかったことも大きな要因なのですが、読者としては、亜理紗が“優しくもなく健気でもない”(失礼!)ことで“偏見”がなかっただろうか、と考えさせられるところがあります。

*1: “柳瀬さんにアドレスを伝えていなかったことが、このしばらく後に起こる幽霊騒ぎに影響している”(53頁)とありますが、どのように影響したのかは『理由あって冬に出る』をお読みください。
*2: 辻さんが、契約書を葉山君に送るように(21頁)言い出さなければ済む話で、謎解きにも影響はありません。
*3: 携帯で“Word”(35頁)の文章は読めないかもしれませんが、Wordで編集中の文書をテキスト形式で保存して送れば、Wordの画面上では設定したフォントが維持されるはずです。 “それを確認して”(21頁)が“添付ファイルの内容までしっかり確認して”の意味であればアウトですが、印刷された契約書自体をあまり確認していないところをみると、大丈夫ではないでしょうか。
*4: ただしこの場面、“「一つ、ここに落ちてた(中略)……これ壊れてるね」”(69頁)という表現は、少々引っかかりますが……。
*5: 謎解きの場面で、妹の亜理紗も自転車に乗れないことを引き合いに出した葉山君の、“あいつの場合乗れてもかえって危ない”(97頁)という言葉は、最後の「優しくもないし健気でもない」につながる伏線となっています。
*6: ミノは、「的を外れる矢のごとく」でもアリバイ工作をおこなっています――しかも葉山君に“こういう工作が得意なミノ”(102頁)と評されています――し、「シチュー皿の底は並行宇宙に繋がるか?」『まもなく電車が出現します』収録)でも鮮やかなトリックをみせる(←これはネタバレではありません)など、もはや“名犯人”といってもいいでしょう。そしてそこには、(私見では“日常の謎”とは異なる)“ささやかな事件”が扱われることが多い、このシリーズの特徴が表れているようにも思われます。
*7: “犯人はまさに今日、玉井さんのところに届く○の箱を回収するつもりだった”(190頁)ことからすると、玉井さんがすべてのテープを再生して内容を確認する時間的な余裕はなかったはずですが、“二〇〇〇年のライブのテープ”までわかれば確認することもできたかもしれませんし、問題の映像がどのテープに入っているか知らなかった仲宗根さん(201頁)と違って、福本さんの方は発送前に問題のテープを手に取っている(166頁)ので、そこまで知っていた可能性もあります。
*8: (ミノがラベルを偽装したと思しき)“二〇〇〇年のライブ”のテープが“全滅していた”(146頁)ことを、玉井さんがたまたま覚えていて福本さんに伝えたとすれば、それでひとまず安心して放置する可能性もないではないですが、福本さんがミノを疑っていた(195頁)ことを踏まえると、そうそう安心できるものではないと思います。

2016.05.23読了