ミステリ&SF感想vol.192

2011.12.18

パーフェクト・フレンド  野﨑まど

2011年発表 (メディアワークス文庫 の1-5)

[紹介]
 小学四年生に進級した理桜は、周りのみんなよりちょっと大人に見える利発な女の子。担任の千里子先生からも頼りにされている彼女は、転校してきてからずっと不登校を続ける女の子・さなかの家を訪ねるようお願いされる。理桜は、仲良しの二人――明るく脳天気なややや*1と、おとなしく引っ込み思案の柊子――とともに、さなかの家を訪れるが、姿を現した彼女は、すでに大学で博士号も取った超天才少女だった。母親の希望にもかかわらず、自分は小学校に通う必要性を感じないというさなかに、理桜は学校と友達がいかに大切かを説き、結果、さなかは登校することになったのだが……。

[感想]
 野﨑まどの長編第五作である本書は、これまでとはやや毛色の違う作品となっています。デビュー作『[映]アムリタ』以来、ライトノベルやミステリなど複数のジャンルを意識しつつユニークな作風を作り上げてきた作者ですが、本書は前作『小説家の作り方』よりもさらにミステリ色が薄いだけでなく、これまでの作風をいわば“踏み台”にしたようなひねりが加えられています。というわけで、本書の前に少なくともデビュー作『[映]アムリタ』を読んで、野﨑まどの作風を把握しておくことをおすすめします。

 さて、“友達とは何か”をテーマとした本書の主役となるのは、一人の天才少女が新たに加わった小学生女子の仲良しグループ。恋愛要素をほとんど排除して“友達”について大真面目に考えるにふさわしい年齢ということかもしれませんが、同時に“天才”かつ“世間知らず”というありがちな設定にもある種の説得力――低年齢による社会経験の絶対的な少なさゆえに――が備わっており、超天才少女・さなかが正面切って“友達の必要性”を問うことにもさほど奇異なものは感じられません*2

 さなかを迎え入れる側の仲良し三人組は、登校初日のさなかに対して“友達/友達じゃない/トム*3と立場を異にするなど、それぞれにキャラが立っています。その中で、同級生よりも少し頭がよくて大人びた理桜*4が、自分よりもはるかに頭のいいさなかに対して複雑な思いを抱きながらも、(野﨑まどらしい)傍から見れば愉快なやり取りを重ねるうちに友情が芽生えてゆく――しかしそれをなかなか認めようとしないツンデレ的な態度には、ニヤニヤせざるを得ません。

 “友達”に興味を抱いたさなかが理桜らとの交流を経て導き出す結論は、合理に徹したというか身も蓋もないというか(苦笑)、なかなか面白い思考実験(のようなもの)ではあります。が、本書で重きが置かれているのはそこから先。本書の前半は理桜の視点で進んでいきますが、青天の霹靂のような出来事をきっかけに視点が切り換わり、後半はさなかの側から“友達”に対する思い――こちらも当初とはまったく違った――が描かれるという構成がよくできています。

 最終的にどのあたりに落ち着くかはある程度予想もできるのですが、どうやってそこまで持っていくのか予断を許さない終盤の展開もお見事。しかしてその決着のつけ方は、何とも凄まじい力技ともいえるのですが、最後の最後にこれまた反則気味(?)の結末を持ってくることで、「これならアリかも」と納得させられてしまうのが秀逸。“友達”というテーマについて真剣に考えさせながらも、あくまで楽しく愉快な秀作です。

*1: “ややや”という名前です。
*2: 例えば、前作『小説家の作り方』のヒロイン・紫依代(大学生)の並外れた世間知らずぶり(これはこれでいいのですが)に比べると……。
*3: 未読の方には何だかさっぱりわからないと思いますが(苦笑)、とにかく“トム”です。
*4: “普通の小学生である「ややや」や柊子と、超絶天才少女であるさなかとの間に立つ架け橋的なスタンス”「『パーフェクトフレンド』(野崎まど/メディアワークス文庫)- 三軒茶屋 別館」より)であると同時に、読者にさなかの頭のよさをわかりやすく伝える役割も担っています。

2011.08.31読了  [野﨑まど]

人面屋敷の惨劇  石持浅海

2011年発表 (講談社ノベルス)

[紹介]
 かつて東京都西部で起きた連続幼児失踪事件。警察の捜査や被害者家族らの懸命の努力もむなしく、消えた子供たちの行方は杳として知れないまま、十年が過ぎた。そして今、愛する息子・勇作を失った矢部美菜子をはじめ六人の被害者家族は、当時事件の犯人扱いされた投資家・土佐晴男のもとへ乗り込む。土佐が一人で暮らしているはずの屋敷――通称“人面屋敷”に、土佐のものではない若い人影が目撃されたという手がかりを得て、藁をもつかむ思いで“人面屋敷”に押しかけた美菜子らだったが、そこで予想外の事態に直面することになってしまった……。

[感想]
 『人面屋敷の惨劇』といういかにもおどろどろしい題名ながら、その実体はカバー見返しの“この人面屋敷が綾辻館*1を超えているとはとうてい思えませんが、少なくとも「石持館」にはなっていると思います。”という作者の言葉そのままの作品。すなわち、一応は“館ものミステリ”の一種といえないこともないとはいえ、それはあくまでも作者ならではのもの――『アイルランドの薔薇』『月の扉』など初期作品を思わせる“石持流クローズドサークル”の一環といえるでしょう。

 “石持流クローズドサークル”といえば、関係者がその場にとどまる理由に工夫が凝らされているのが特徴。本書の場合は序盤の意表を突いた、というよりも常識はずれの展開が一つの見どころとなっているので、ここで詳しい経緯に触れることはしませんが、かつての連続幼児失踪事件で失われたわが子(への手がかり)を見出すまでは何が起きても“人面屋敷”を離れることができない、という関係者の心境は切実です。と同時に、そこで起きた出来事について関係者が推理せざるを得ない状況に持っていく作者の手腕は、いささか強引ながらもなかなか巧妙です。

 連続幼児失踪事件の被害者家族という、共通体験に基づくつながりが関係者たちを結びつけているあたりは、ある意味問題作であった『セリヌンティウスの舟』にも通じるところですが、本書ではそちらのような一種異様(?)とも思える一体感はみられません。また、石持作品としては比較的珍しいことに、(奇妙なまでに)冷静で理性的な登場人物ばかりというわけでもない*2ため、事態がどのような展開を見せるか予断を許さないところがあり、派手ではないものの緊張感のある物語となっています。

 そして、作者らしい独特のロジックを積み重ねていく推理は健在。そもそも、“敵地”に強引に乗り込んだという立場ゆえに、失踪した子供たちの手がかりを探す段階からして細かい推理に頼らざるを得ないところがあるわけですが、不測の事態が発生するに至ってますます推理に重きが置かれることになるのが秀逸。少なくとも終盤までくると、物語の展開上見えやすくなっている部分もあり、少々サプライズに乏しく感じられるのは否めませんが、“どうやってそれを導き出すか”には十分に見るべきところがあるのではないでしょうか。

 風変わりな物語の果てに用意されている結末は、これも実に作者らしい“倫理のアクロバット”というか、心情的にはにわかに受け入れがたいものではありますが、ある意味で強烈な印象を残すものになっています。人によっては受け付けないところがあるかもしれませんが、作者の持ち味が存分に発揮された作品であることは確かで、作者のファンには間違いなくおすすめでしょう。

*1: 綾辻行人の〈館シリーズ〉を指しているのはいうまでもありません。
*2: そうでない人物もいる、という程度ではありますが。

2011.09.05読了  [石持浅海]

空想探偵と密室メイカー  天祢 涼

ネタバレ感想 2011年発表 (講談社ノベルス)

[紹介]
 葵大学ミステリ研究会の雨崎瑠雫と宇津木勇真は、親しくしている日下部晃准教授とともに、その妻にして有名な女優・日下部陽子が首筋から血を流して死んでいるのを発見した。ドアも窓も室内側から施錠された密室状況の現場の中には、犯人の姿はおろか凶器さえも見当たらず、他殺なのか自殺なのかも不明なまま。並外れた“空想”力によって自分と勇真にだけ見える“空想の名探偵”を呼び出すことができる瑠雫は、密かに彼女に思いを寄せる勇真や、優秀な捜査能力を持ちながら左遷された訳ありの刑事らとともに、不可解な密室の謎を解こうとするが、やがて新たな事件が……。

[感想]
 第43回メフィスト賞を受賞したデビュー作『キョウカンカク』と続編の『闇ツキチルドレン』に続く天祢涼の長篇第三作は、『キョウカンカク』のシリーズと世界を同じくしている*1ものの、(少なくとも今のところは)直接のつながりがない単発の作品。題名にも“密室”と謳われ、参考文献としてジョン・ディクスン・カー『三つの棺』などが挙げられている密室もので、現場の堅牢な密室状況が物語の中心に据えられているのは確かですが、そこは作者らしく一筋縄ではいかないものになっています。

 本書でまず目を引くのが、ヒロインである雨崎瑠雫が呼び出す――そしてなぜか宇津木勇真にだけ見える――“空想探偵”という設定。謎解きのために名探偵を“召喚”するというのは、主にパロディ作品で色々と前例があったように思いますが*2、本書に登場する“名探偵”はあくまでも瑠雫の“空想”にすぎず、瑠雫自身の能力を超えた推理ができるわけではない*3、ということが序盤ではっきり示されており、どうもあまり役に立たなさそう(失礼!)なのが逆に興味深いところではあります。

 はたして、密室を前にして登場する“空想”のフェル博士はかの“密室講義”を披露するにとどまり*4、肝心の密室の謎はやはり解明されないまま、瑠雫は――勇真や某刑事らの協力も仰ぎながら――自力で事件の謎を解き明かすべく調査を続ける……のですが、特に第二の事件が起きたあたりからは、ある意味で密室ものらしからぬ異色の展開。時おり倒叙ミステリめいた場面も挿入されるなど、作者がどこで勝負しようとしているのか読めないこともあって、クライマックスまで目が離せません。

 そして作者お得意の、大量の伏線が収束する謎解きは圧巻。単純に量だけの問題ではなく、どうみても関係のなさそうな箇所までが伏線として回収されることでサプライズが生じ、想定外の要素が次々と付け加わっていくことで当初の様相からは思いもよらぬ構図が浮かび上がってくるのが秀逸です。正直なところ、密室トリック(ハウダニット)の部分だけを取り出せばさほどでもないかもしれませんが、トータルでは非常によくできているといっていいのではないでしょうか。

 最後にきて、何とも強烈な犯人像――とりわけその凄まじい動機――がクローズアップされるところが実に作者らしいというか、“密室”というコテコテの(?)ガジェットを扱いながらも、全体の雰囲気は『キョウカンカク』シリーズに通じるものになっているのが面白いところで、作者ならではのユニークな作品に仕上がっていると思います。

*1: 作中で、“自殺志願者の声に色が見える銀髪の女”(167頁)“少し前に流行った「Messiah Complex」という曲”(181頁)に言及されています。
*2: とはいえ、すぐに思い出せたのがジョージ・アレック・エフィンジャー『重力が衰えるとき』(レックス・スタウトの名探偵ネロ・ウルフが登場)くらいだというのが、我ながら何とも(苦笑)。
*3: このあたりは、都筑道夫『名探偵もどき』などに近いといえるかもしれません。
*4: 当然ながら、密室トリックの新たな分類ではなくカーの“密室講義”そのままで、そのために(一応伏せ字)ある“ツッコミ”が入っている(ここまで)ところにニヤリとさせられます。

2011.09.08読了  [天祢 涼]

五色沼黄緑館藍紫館多重殺人  倉阪鬼一郎

ネタバレ感想 2011年発表 (講談社ノベルス)

[紹介]
 五色沼のほど近くに建てられた、唐草模様で彩られた黄緑館藍紫館という奇妙な洋館。深い霧と降りしきる雪の中で、館のお披露目パーティが催されるが、館主・宮野川瞬吉が客として招待したのはなぜか、評論家や大学教授らわずか四人。そこはかとなく漂う不穏な空気の中で、やがて相次いで起こる不可能殺人。死ぬ間際に「怪物が……」と言い残した被害者の命を奪ったのは、世界の構造の〈外〉から現れて殺戮を繰り広げるという伝説の怪物なのか……?

[感想]
 年に一度のお楽しみ、恒例となった“倉阪流バカミス”の最新作……ですが、以前の作品を読んだことがないという方には若干注意が必要かもしれません。というのも、近年の“倉阪流バカミス”は一作ごとに独自の進化(?)を遂げており、その現時点での到達点である本書は、ある意味で初心者にはやや敷居の高いものになっているきらいがあるからで、本書よりもまず『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』の方を――できればその次に『新世界崩壊』を――お読みになることをおすすめします*1

 すでに“倉阪流バカミス”の洗礼を受けた方々はご存知のように、そもそも“倉阪流バカミス”を特徴づけているのは、実に凄まじい“バカトリック/バカな真相”もさることながら、〈○○〉として機能しているとはいいがたい〈○○〉とそれを支える(いい意味での)“無駄な労力”であるわけですが、本書では前者――“バカトリック/バカな真相”の破壊力がこれまでの作品と比べると少々物足りなくなっている一方で、『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』以降顕著になっている後者がさらに強力に推し進められています。このあたりが、慣れない方にはおすすめしづらい所以であり、また“倉阪流バカミス”のファンにとっても多少好みの分かれるところではあるかもしれません。

 とはいえ、殺害トリックの一つは誰しも唖然とすること間違いなしの凄まじいもので、本来ならこれだけでも十分に衝撃的。そして単体ではインパクトに欠ける(一応伏せ字)“館”のトリック(ここまで)は、それ以降の仕掛けにつながる布石ととらえるべきでしょう。結局のところ本書では、作中で描かれた事件の謎に加えてメタレベルの謎として盛り込まれた、ある仕掛け――前述の“無駄な労力”がどのように仕込まれ、どのように使われるのか――の方に重心が移された結果、今まで以上にバカミスの領域を突き抜けてしまっているように思います*2

 物語については、「謎解き」以降が全体の半分以上を占めるあたりで「お察しください」というか、謎解きを通じて展開される物語こそが見どころというべきか。脱力もののネタや派手な(?)逃走劇、さらにはまさかの“社会派的バカミス論”なども交えつつ、ついに終幕になだれ込む物語の果てに用意されている、最後の大オチには思わず絶句。人によって評価が分かれそうなところはありますが、立ち止まることなく前進*3し続ける作者の持ち味とサービス精神が存分に発揮された力作です。

*1: さらにできればその前に、『四神金赤館銀青館不可能殺人』『紙の碑に泪を』を、と言いたいところですが……。
*2: その意味で、個人的には“バカミス”というよりも、“無駄な労力”に敬意を表して“お疲れ様ミステリ”(略して“乙ミス”)という呼び名を奉りたいところです。
*3: 少なくとも作者にとっては、それが“前方”であることは間違いないでしょう。万人にとっての“前方”とはいえなさそうなのが残念なところではありますが。

2011.09.14読了  [倉阪鬼一郎]

まもなく電車が出現します  似鳥 鶏

ネタバレ感想 2011年発表 (創元推理文庫473-04)

[紹介と感想]
 某市立高校美術部の葉山君を中心に“高校生探偵団”が遭遇する事件を描いた学園ミステリのシリーズ*1『理由あって冬に出る』『さよならの次にくる〈卒業式編〉/〈新学期編〉』に続く第三作*2です。第一作が長編、第二作が〈連鎖式〉と来て、本書は(各エピソードにつながりのない)オーソドックスな短編集となっています。
 個人的ベストは、色々な意味で破壊力のある中編「今日から彼氏」

「まもなく電車が出現します」
 かつて美術部の領地だったと思しき“開かずの間”をめぐる、鉄道研究会と映像研究会の部室争奪戦に巻き込まれてしまった僕。どちらが使うことになるか決着はつかないまま、翌日、誰も入れないはずの“開かずの間”の中に、なぜか突然鉄道模型――大きなジオラマが出現していたのだ……。
 一風変わった密室もの――“密室からの消失”ではなく“密室への出現”――ですが、現場はもともと“開かずの間”だったわけですから、密室はむしろ犯人にとっての“障壁”であって、それにより“どうしてわざわざそんなことをしたのか?”という謎が強調されているのがうまいところ。意表を突いた真相(+α)もまずまず。

「シチュー皿の底は並行宇宙に繋がるか?」
 調理実習でシチューを作ることに。ところが同じ班のミノが、調理の途中で長々と中座するなどおかしな様子。やがてできあがったシチューを完食したミノだったが、実はジャガイモが苦手らしい。ミノの皿にだけジャガイモが入っていなかったのではという疑惑が持ち上がるが、一体どうやって……?
 ささやかといえばささやかな謎ではありますが、同じ班の中でただ一皿に限定されていることで――“演者”(“犯人”)が明らかなことも相まって――クロースアップマジックのような効果を上げています。そして謎解きの中では、実に鮮やかなトリックとそれを支える(やや都合がよすぎる感はあるものの)周到な伏線、さらに“犯人”の意図が印象に残ります。

「頭上の惨劇にご注意下さい」
 別館前の花壇にいた僕と柳瀬さんのすぐ近くに、突然落ちてきた植木鉢。どうやら四階の窓から誰かがわざと落としたらしい。犯人は見つからないまま翌朝、僕の下駄箱には封筒に入れられたが。僕たちは、植木鉢のあった部屋を使っているボランティア部、ESS、園芸部に話を聞くことに……。
 “日常の謎”どころではない物騒な事件が扱われた異色の一篇。他ならぬ葉山くん自身に向けられた悪意に、自然とただならぬ雰囲気が漂いますが、それを容赦なく一刀両断する伊神さんの解決が、思わぬものを浮かび上がらせるのが見どころで、オチもきれいに決まっています。

「嫁と竜のどちらをとるか?」
 夫と友人の内緒話を偶然立ち聞きしたという、柳瀬さんの従姉妹。夫がとあるレアもののプラモデルをこっそり買ったらしいのだが、聞き取れたのは「いくらしたの」「こんな感じ」「へえ」というやり取りのみ。しかし、伊神さんがそれだけでわかると言い出したので、僕たちも値段当てに挑むことに……。
 安楽椅子探偵、というよりもクイズのような、20頁にも満たない小品。わずかな手がかりだけですぐさま答えを導き出す伊神さんに驚かされますが、答が明かされてみると、“問題篇”がなかなかよく考えられていることにうならされます。

「今日から彼氏」
 映研の映画撮影を手伝った僕は、脚本を担当していた入谷菜々香さんと親しくなり、ついに彼氏になってしまった。慣れないながらも何とか彼氏をこなそうとする僕だったが、色々な出来事があった初めてのデートも結果オーライ。そして数日後、港での花火大会へ一緒に行くことになったのだが……。
 おじさんにはダメージが大きすぎるというか、自分も高校生の頃にこんなことがあったらと妬ましくなってしまう(苦笑)ような、何とも初々しいお付き合いの描写が序盤から続いていきますが、最後にはしっかりと作者の術中に。謎解きの場面では、明らかになる真相そのものもさることながら、ある種“業”のようなものを感じさせるところが、強く印象に残ります。

*1: 本書の帯に書かれた“にわか高校生探偵団の事件簿”というのがシリーズ名になるのでしょうか(→その後、〈市立高校シリーズ〉に確定したようです)。
*2: 作中の時系列では、『理由あって冬に出る』の後から、『さよならの次にくる〈卒業式編〉/〈新学期編〉』と一部重なりながらそれ以降へ、ということになります。

2011.09.19読了  [似鳥 鶏]