兇人邸の殺人/今村昌弘
まず、不木玄助と剛力京が出会った場面の最後、“その後の犯行のすべてを見ていたのは、黒猫の置物の赤い瞳だけだった。”
(78頁)という一文が目を引きます。前段で、剛力が不木を殺したことが早々に読者に明かされるのはいうまでもありませんが、後段では、直前の“赤い目をした黒猫の置物”
(77頁)が再び繰り返されることで強調され、それが手がかりとして使われることが暗示されているといえます。
案の定、“碧眼の黒猫の置物”
(152頁)という描写を経て、黒猫の目がおなじみ(?)アレキサンドライトであることが明らかになり(157頁)、“黒猫の目に使われていた、赤いやつかな”
(169頁)という“失言”で犯人が特定されるところまで予想どおり(*1)。むしろその前の、“巨人には不木の首を運べなかった”とする推理が鮮やかで、
(1)アリが殺されてから朝まで、鉄扉が一度しか開いていない → 巨人はアリを殺した後で不木を殺しに戻っていない
(2)アリはスキンヘッドで不木も髪の毛が少ない → 片腕しかない巨人は、アリと不木の首を同時に持つことができない
(3)不木の首には白い塵が付着していない(142頁) → 不木の首は地下で地面に置かれていない
という、三段構えの手順がよくできています。また、“不木の私室の監視カメラで巨人の首斬りを知り得た”と、(事実と異なるとはいえ)一応の説明がついてしまうのもうまいところです。そして比留子が謎を解いた理由が、犯人を脅迫して羽村の命を守るため、というのもなかなか強烈です。
不木殺しに加えて冒頭の独白(6頁~7頁)(*2)、さらに“剛力京”といういかにもな名前(*3)とくれば、剛力が“施設の子供”
・“事故の生き残り”
(150頁)だと思わされそうになる反面、メモを書いた時点で不木が剛力を事前に目にしていない――“奴ら”
(150頁)の一員ではない――ために、剛力が“生き残り”ではないことは明らか(*4)なので、どうもちぐはぐな感がなきにしもあらず。いずれにしても、剛力の独白で不木の首を斬っていないことが読者に明かされると、首を切断したもう一人の犯人/“生き残り”に焦点が移っていくことになります。
さて、不木の首の切断については、死亡時刻との時間のずれがまず気になるところです。午後十一時に〈兇人邸〉へ侵入してからの描写をみると、遅くとも午前零時前後には不木が殺されたと考えられますが、首の切断は剛力が現場を出た後なので死後六時間程度経過しているはず(*5)。そうすると、“大きめのホールケーキくらいの血溜まり”
(99頁)ができるほど出血するのか少々疑問ですし、(雑賀殺しの場合と同じように)血液の乾き具合で経過時間が推定され、巨人の仕業ではないことが早々に露見しそうです(*6)。
またそれ以上に、不木の首を首塚へ運ぶ機会が問題で、剛力が推測しているように“皆で手分けして生存者を探している最中”
(180頁)と考えるのが妥当(*7)で、探索の間に一人になるチャンスがないこともない(*8)のも確かです。しかしながら、作中では“アウル、マリア、阿波根が地下の捜索をしていたし、鉄扉の音がしても気にはなるまい。ライトで人の動きも知れる。”
(254頁)とされてはいますが、首塚に人がいるかどうか外から確認できないのがネックで、タイミングが悪ければ首塚で出くわすおそれがある(*9)――鉄扉の音のせいで、中にいる人に気づかれずに侵入することも不可能――ことを考えると、心理的にはまず不可能といわざるを得ません。
後に比留子は、“首斬りの効果”を“剛力さんから疑いの目が逸れたこと”
(258頁)としていますが、不木殺しの時点では、“巨人の仕業ということでひとまず丸く収まって全員が協力できる”というのが最大の効果であることは明らかで、物語を進めるための作者の都合があからさまになるきらいはあるものの、登場人物にとっても都合がいいのですから、首斬りの理由にそれを加えてもよかったようにも思われます。しかしそれを加味しても、不木の首を手にしているところを目撃される危険には到底引き合いませんし、“剛力をかばうため”だけならばなおのこと、そこまでの危険を冒す必要は見当たりません。
*1: “色の問題”よりも先に“カーテンの問題”を持ち出すことで、言い逃れできない状況に追い込む手際はお見事です。
*2: “人の気配の絶えた深夜。”
(6頁)という表現は、集団での侵入にはそぐわないので、これは“生き残り”ではなく剛力の独白と考えていいでしょう(終盤で明らかになる、“ケイが生きている可能性を捨てきれなかった”
(336頁)という“生き残り”の心情が、“あの人はあそこで待っている”
(7頁)という確信と整合しない、というのが“答え合わせ”です)。
*3: 『屍人荘の殺人』・『魔眼の匣の殺人』での登場人物の名前ネタを参照。
*4: 剛力の内面描写をみると、不木が発見した“生き残り”に気づいた様子がないので、“さらに別の生き残り”という可能性も否定できます。
*5: 剛力が“目が覚めた時には窓の外が明るくなっていた”
(178頁)ということで、“日の出が六時半頃”
(230頁)ですから、切断は早くとも六時以降になるのではないでしょうか。
実のところ、“朝七時前”
にマリアがすでに“広間にいる”
(93頁)ことを考えると、首を切断して広間のホールクロックに隠す時間があるかどうか、かなり微妙にも思われますが……。
*6: もっとも、不木殺しが巨人の仕業でないことを隠そうとしている――とまではいえないとしても、誰が不木を殺したかを問題視していないボスとアウルからすると、血液の乾き具合に気づいても口に出すことはないかもしれませんが。
*7: それより前だとすると、首をホールクロックに隠す間もなくいち早く地下に下り、ボスや葉村をやり過ごしてから首塚へ行くことになりますが、ボスや葉村より後に地下から広間に上ってきた人物はいないので、この可能性は否定できます。
*8: 葉村とともに一階を調べていた裏井も、通路の分岐で一旦葉村と別れています(104頁)。
*9: アウル、マリア、阿波根の中の一人であれば、探索場所の分担次第でリスクを下げることも可能かもしれません……が、もしも都合のいい分担を主張した人物がいれば、巨人の仕業でないことが発覚した時点で真っ先に疑われるのは確実でしょう。
続く雑賀殺しは、巨人の犯行ではないことが明らかで、なおかつ剛力が犯人でもないので、必然的に“生き残り”の犯行ということになりますが、殺害から時間をおいた工作――首斬りが不可能状況となっているのが面白いところ……ではあるのですが、巨人への対処が差し迫っている上に、比留子も謎解きにあまり積極的でない(259頁)(*10)こともあって、あまり強調されていない感があるのがややもったいないというか何というか。
トリックについては、“困難の分割”
(287頁)という原理が強調されている中にあって、殺害・切断というわかりやすい二分割ではなく、不可能状況の中核をなす出血を偽装として切り離した三分割となっているのが実に巧妙。細かいことをいえば、“生き残り”の回復力の程度がわからない(これについては後述)ので想定しがたいトリックではあります(*11)が、他に可能な手段が見当たらないのも確かなので、アンフェアとはいえないのではないでしょうか。
とはいえ、全体的に結果オーライがすぎるのは大きな難点。まず、首斬りが完全に巨人の気分次第(?)でコントロールできないのが苦しいところで、もし巨人が雑賀の首を斬ってくれなければ血溜まりだけが残って偽装工作が丸見えになり、容疑者が一気に絞られることになってしまいます。また、巨人が隠し通路に入っていった時刻も絶妙で、偽装された出血と矛盾しない時刻だったとすれば巨人が首を斬った可能性も残り、そこから偽装工作が露見するおそれがあった――と考えていくと、“どこまでも運がいいのね、犯人は”
(327頁)と剛力が評するのも当然でしょう。
もっとも、(前述のように)不木の首斬りの際には血液の乾き具合を度外視していた“生き残り”が、ここへきて突然、血液の乾燥による不可能状況の演出まで目論んだとも考えにくいので、巨人が雑賀の首を斬ってくれれば“儲けもの”程度――“生き残り”自身はさほど幸運を当てにしていたわけではなく、偽装工作が露見しようが“剛力以外の犯人”を示すことができれば十分という、破れかぶれのトリックだったと考えるべきかもしれません。
そもそも、隠し通路の引き戸が“開けっ放し”
(229頁)でなければ巨人が隠し通路に入っていく可能性は低い――たまたま“壁”(引き戸)を壊す可能性もないではないですが――ところ、剛力が死体を発見した後に引き戸がどうなっているか確認できないので、首斬りは完全に“ダメ元”だったということではないでしょうか。そう考えると、“生き残り”の意図と結果の落差が大きすぎるので、あまりにも作者に都合よく組み立てられているという印象が拭えないところです。
*10: 趣旨はわからなくもないですし、“謎を解くのは、自分の命を守るため”
(154頁)という比留子の姿勢とも合致しているとは思うのですが……。
*11: 比留子も“可能な人がいるかもしれません”
(321頁)と、やや弱気(?)な態度になっています。
“生き残り”を特定する比留子の推理では、まず雑賀の首斬りのハウダニットから[条件1:夜に主区画を移動できた人物]が導き出され、ボス、マリア、裏井の三人に絞られます。そして、[条件2:不木の首を切断して首塚に運んだ人物]によって、首を斬る機会がなかったマリア(*12)と首を運搬する機会がなかったボス(100頁・105頁)が除外され、〈“生き残り”は裏井〉と結論づけられています……が。
前述のように[条件2]には怪しいところもあるものの、少なくともマリアとボスが首の切断と運搬の両方を実行できないので、ひとまず除外できるのは確かです。しかしその前の[条件1]がまた困ったところで、時間の余裕があるボスとマリアはいいのですが、不木の私室を離れたのが“五分くらい”
(270頁)しかない裏井には、偽装工作のすべてを行うのはどう考えても無理ではないでしょうか。
- ・偽装工作の立案
成島が中華包丁を手に飛び出して“機会”と“手段”が揃ったのは完全な僥倖にすぎず、事前に具体的な計画を立てていたとは考えにくいものがあります。せいぜい、引き戸の小部屋の窓から不木の日記を落としておく程度だったはずで、中華包丁が手に入ったところから、巨人が首を斬る可能性を想定した血液の偽装工作をすぐに思いつけるかどうか――と考えると、立案と決断に若干の時間はかかったと思われます。
- ・偽装工作の実行
引き戸の小部屋の窓に腕を突っ込んで血管を切るのはいいとして、首斬りの偽装ということは死体の首元にうまく血液を垂らす必要があるわけですから、動脈から勢いよく噴出させるのではなく、血がダラダラ流れる程度でなければならない――とすると、偽装工作自体にもある程度の時間を要することになります(ちなみに状況は違いますが、400ミリリットル献血でも(体感で)数分程度はかかります)。
- ・偽装工作の後始末
最終的にトイレに行って腕の血を洗い流す一手間を別にしても、単に傷からの出血が止まるだけではなく、それなりに深いはずの傷がごく短時間で跡形もなく……とはいわないまでも、後で傷口が開いたりワイシャツ(*13)の袖口まで血がにじんだりしない程度には治らなければならないわけですから、折れた鼻が
“三日で治った”
(88頁)のと比べてもはるかに桁違いの速度(*14)で、現実的な生命現象の延長である限りはとても間に合わないでしょう。
ということで、[条件1]・[条件2]だけではどうも不十分で、[条件1’:偽装工作を実行する時間があった人物]を追加して、裏井を容疑者から除外せざるを得ない――というのが現実的(?)な推理ではないでしょうか。もちろん、[条件1]・[条件1’]・[条件2]のすべてを満たす人物はいなくなってしまいますが、そこで再び“困難の分割”の出番。つまり、[条件1’]を満たすボスかマリアが“もう一人の生き残り”だとすれば、時間の余裕があるので偽装工作の実行は可能でしょう(*15)し、裏井が入手した中華包丁を届ける(*16)という連係もできます。
孫のために巨人の血液を持ち帰ろうとしている(282頁~283頁)ボスは“生き残り”にはそぐわない(*17)一方、マリアも“肋骨を傷めているように見える”
(248頁)のがネックかもしれませんが、そもそもの負傷の程度がわからないのでさほど問題にはならないでしょう。したがって、マリアの方が“もう一人の生き残り”で、前述の不木の首の運搬の問題を考えれば、裏井が切断してホールクロックに隠した首を、マリアが首塚へ運んだというのが妥当でしょうか。“生き残り”が増えると物語としてややこしくなるかもしれませんが、推理としてはこちらの方が納得しやすいのではないかと思います。
いずれにしても、裏井に与えられた時間が短すぎるのが問題なのは明らか。作中で阿波根が“勇んで出ていったのに、すぐに戻ってきて”
(236頁)と評しているところをみても、例えば“成島が戻ってくるのを待っていた”といった口実で、もっと長い時間(三十分程度まで?)地下にとどまっていても不自然ではなかったでしょうし、(巨人が雑賀の首を斬った場合に限り)“副区画に入れなかった”という“アリバイ”が成立するのはボスやマリアと同様で、読者からみて露骨に怪しいということもなかったと思うのですが……。
*12: 比留子は、“初日の夜、マリアさんは雑賀さん、阿波根さんと一緒に隠れていた”
(329頁)という理由でマリアを除外していますが、ここは少々言葉足らずで、死体発見時に“使用人たちに案内させて不木の私室に向かった”
(98頁)――それまでずっと一緒にいた(と考えられる)ことで初めて、“首斬りのアリバイ”が成立します。
*13: 裏井は“ビジネスマンらしいスーツ”
(21頁)を着ています。
*14: 逆に、それほど治癒が速ければ、切ったそばから傷口がふさがっていき、何度も切らなければ血がうまく流出しないおそれがあります。
*15: 裏井が葉村に対して、雑賀の首の切断の詳細を告白しなかった(342頁)ことが、裏井自身が実行したのではないことを示唆しているのです(嘘)。
*16: そこまでやって“五分くらい”というのが、時間的には自然ではないでしょうか。
*17: 巨人ほどではないとはいえ、“生き残り”も常人とは異なるのですから、ボスが“生き残り”であれば自分の血液で十分ではないかと思われます。
裏井の正体が《追憶》に登場するコウタだったのはいいとして、巨人がケイだったという真相は、ある程度予想できなくもない(*18)とはいえ、やはりショッキングです。裏井の推測(337頁~339頁)を裏付けるように、ケイの視点で描かれた「第九章」冒頭では、幻覚こそあれ“ケイとしての意識”を持っているようですが、普段もその調子であれば他の子供たちがいないことに違和感を抱きそうなので、満月の前後(あるいは“猿”が現れた時)にのみある程度“正気”を取り戻す、という状態ではないでしょうか。
しかしすべてが明らかになっても、裏井の行動の意味がよくわからないのが大きな難点。前述のように、不木の首を斬った理由にもかなり微妙なところがありますが、雑賀殺しについては何がしたかったのかまったくわかりません。“ケイと同じ罪を背負う”といいつつ、それで人を殺して何になるのか意味不明ですし、ケイが“一人たりとも人を殺していないのかもしれません”
(337頁)という認識に至っているのであればなおさらです(*19)。結局のところ、“殺されても仕方ない人物”のように描かれている雑賀の配置も含めて、登場人物が作者の都合で動いていることが露骨すぎるので、まったくいただけません。
それでも、最後の鍵の移動トリック(?)は非常に秀逸。“首を切断して首塚まで運ぶ”という巨人の習性を、“特殊ルール”として利用するアイデアがユニークでよくできていますし、それを実現する具体的な手段の凄絶さが強烈なインパクトを残します。そしてもちろん、コウタとケイの再会を描いた一幕は――それまでの裏井の行動が釈然としないとしても――やはり胸を打ちます。
結末での、重元(→『屍人荘の殺人』)のまさかの再登場には驚かされましたが、今後どのような形で物語に絡んでくるのか気になるところです。
*18: 《追憶》の主役であるケイが、現在の物語にまったく関わってこないとは考えにくいところ、該当しそうにない男性陣と剛力・阿波根を除外すると、候補者は限られてしまいます。
*19: ケイが“人を殺していない”のであれば、“同じ罪”とは“猿”殺し――すなわち、悪くいえば雑賀を“猿”同然と見なしているようにも受け取れます。