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屍の命題/門前典之

2010年発表 ミステリー・リーグ(原書房)

 本書巻頭の「読者への挑戦状」では、真相が満たすとされる“条件”が次のように提示されています。

 一、雪に閉ざされた山荘に集まった六人の男女。脱出も侵入も不可能な完全密室。
 一、ひとりが殺され、続いて二人目。繰り返される殺人。……そして、誰もいなくなった。
 一、バラバラな殺人方法。
 一、蘇る死者?
 一、それぞれが抱いている殺意。
    (「読者への挑戦状」より)

 まず、第一の条件から館に集まった六名以外に犯人がいる可能性が否定される一方、第二の条件では六名全員が死んでしまうことが“予告”され、アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』を踏まえた趣向――三津田信三いわく〈テン・リトル・インディアン型ミステリ〉*1――であることが示されています。それに対して、第三の条件と第五の条件は複数の、というよりも多数の犯人の存在を示唆するものといえるでしょう。

 この場合、例えば六名のうち四名や五名が犯人という真相であるよりも、六名全員が犯人の方がエレガントなのは確か。そして本編冒頭、産業廃棄物の処理に関する説明の中で“順で廻り最後に再び排出事業者へと戻ってくる”(18頁)という箇所に傍点を振って不自然に強調してあるのを伏線ととらえれば(加えて、後述する前例を知っていれば)、犯人―被害者の関係が順次リレーされていき円環をなしている事件の構図に思い至るのは、十分に可能といえるかもしれません。

 このような、“全員が犯人で全員が被害者”にして“犯人―被害者のリレーによる円環構造”というネタは、国内作家(作家名)泡坂妻夫(ここまで)の長編(作品名)『死者の輪舞』(ここまで)前例があるのですが、それを“雪の山荘”に組み合わせて〈テン・リトル・インディアン型ミステリ〉への新たな解答に仕立ててあるのが秀逸。そして何より、前例では“次の被害者(となる人物)が犯人”という形でリレーが続いていくのに対して、本書では“前の被害者が犯人”という逆転した形でリレーを成立させる趣向が見事です。

 ただし、本書では“円環を閉じる”部分――最後の事件と最初の事件との関係が、前例に比べて少々見劣りしてしまうのは否めません。“犯人→被害者”の順序でリレーが進んでいく前例では、最初の事件の被害者が(一応伏せ字)最後の事件の犯行(のための仕掛け)を済ませてから(ここまで)殺されたため、最後の事件と最初の事件の間でも“犯人→被害者”の順序が維持されているという印象を与えているのですが、本書における最後の被害者である篠原綱次郎については、他の人物のように“殺された後に殺した”という解釈が成立する余地はまったくないため、最後の事件と最初の事件の間で“被害者→犯人”の順序が崩れている感があります*2

*

 すべての事件を大まかにまとめてみると、以下のようになります。

 被害者犯人犯行方法
〈1〉蓑田良治篠原綱次郎絞殺(蘇生した後に溺死)
〈2〉真標京華蓑田良治屋根から転落途中に撲殺
〈3〉鷹舞宏真標京華事前にビタミン剤に仕込んだ毒による毒殺
〈4〉雅野大輔鷹舞宏毒が回りきる前に、ギロチンで斬殺
〈5〉阿武澤邦夫雅野大輔ショックを与えて病死させる
〈6〉篠原綱次郎阿武澤邦夫凶器が見つからず、追い詰められて自殺

 “前の被害者が犯人”という形でリレーを成立させるためには、当然ながら死者もしくは死ぬ間際の被害者が犯人となり得る状況を作り出す必要がある*3わけで、作者の苦心の跡がうかがえます。〈3〉の毒殺は“死者による殺人”の手段としては定番ともいえますし、〈4〉の毒が回り始めてから死ぬまでの間の犯行にもまずまず納得できるのですが、〈6〉については――そもそも殺意があったのかどうかも含めて――こじつけめいた強引な解釈といわざるを得ません。そして〈2〉と〈5〉は、「読者への挑戦状」に示された第四の条件蘇る死者?”で示唆されているとはいえ、無茶すぎる真相であることは確かでしょう。しかしながら、そこに作者ならではの奇想が組み合わされることで、凄まじいバカトリックに昇華しているのが何ともいえません。

 まず〈2〉での真相は、あまりにも豪快な偶然の産物ではありますが、作中で蜘蛛手が“全ての条件を論理的且つ効率的上位に満足させる”(321頁)と指摘しているように、“雪密室”をはじめとする数々の不可解な状況をまとめて片付けてしまう――“二つの殺人とひとつの死体処分、そして凶器湮滅が同時になされた”(321頁)――点がよくできていて、偶然が度重なるよりも説得力があるといえるでしょう。加えて、その場面が(蓑田良治の視点で)予め「プロローグ」に描かれている(8頁~14頁)ことで、読者としては腑に落ちる感覚が強くなり、受け入れやすくなっているのが巧妙なところです。

 一方の〈5〉については、ロッククライミングで鍛えた腕力という伏線がうまく生かされているのが目を引くものの、どう考えても現実的には不可能であることは確か――“酷寒の地ロシアで列車に轢断された男が一時間余りも生きていた”(338頁)例があるとはいえ、腕力を駆使して移動するという重労働はこなせないでしょう――なのですが、これまた「プロローグ」「22/篠原」で予め描かれていることで受け入れざるを得ない部分があるでしょう。もっとも、“兜虫の亡霊”という秀逸な見立てだけで十分に満足できるところではないでしょうか。

 最後には美島総一郎教授が黒幕として登場していますが、その思惑を超えて展開された“奇跡的”な事件の全体像の前に、(卑俗的な動機も含めて)“小物感”が漂うのがご愛嬌。そのあたりは、最後に示される『ミ・シ・マ・ノ・ワ・ナ』及び『シ・ノ・メ・イ・ダ・イ』という暗合にも表れているといえるでしょう。

*

*1: 三津田信三『シェルター 終末の殺人』に示された〈テン・リトル・インディアン型ミステリ〉の条件は以下のとおり。
 一、事件の起こる舞台が完全に外界と隔絶されていること。
 二、登場人物が完全に限定されていること。
 三、事件の終結後には登場人物の全員が完全に死んでいること。
 四、犯人となるべき人物がいないこと。
  (『シェルター 終末の殺人』266頁)
 なお、『作者不詳 ミステリ作家の読む本』では条件〈三〉と〈四〉について、“少なくとも読者にはそう思える”と付記されています。
*2: もちろん、前例とは逆の“被害者→犯人”という順序でリレーが進んでいく以上、致し方ないところではありますし、時系列を無視して役割だけみれば、円環の構図が成立しているのは確かなのですが……。
*3: 被害者となる前に犯行に及んだ篠原綱次郎を除く。

2010.03.19読了