1/2の騎士
[紹介]
アーチェリー部の主将をつとめる女子高生“マドカ”こと円裕美が、密かに“サファイヤ”とあだ名をつけていた一目惚れの相手は……。
街の中学生たちの間で、色とりどりの“幸運の猿”を探すのがはやっているという。その背後には“もりのさる”と呼ばれる謎の存在が……。
ネットで噂の“ドッグキラー”が街に現れた。盲導犬を飼い主の目前で殺害するという残忍な犯罪者の魔の手が、マドカの周囲に迫り……。
一人暮らしの女性の部屋に侵入し、得体の知れない気配だけを残す“インベイジョン”。不可解きわまりないその目的は、何なのか……?
「あめはやんでいるのか?」という言葉は、毒物を散布する“ラフレシア”の犯行予告なのか? 一方、街の天気を予報する“ハロ”は……。
人間を灰に変えてしまうという“グレイマン”の噂が流れる中、実際に人々が消息を絶つ事件が相次ぐ。そして奇妙な贈り物が届いて……。
[感想]
本書は、第22回横溝正史ミステリ大賞受賞作『水の時計』でデビューした作者の第三作(*1)で、女子高生マドカと奇妙な相棒サファイヤのコンビが、街に忍び寄る異常な犯罪者たちと対決していくストーリーを軸に、“現代のおとぎ話”とでもいえそうな雰囲気と社会的な問題に光を当てたシリアスなテーマとを同居させた(*2)、独特の味わいのある作品です。
冒頭ではマドカとサファイヤの出会いが描かれていますが、あだ名の元になった『リボンの騎士』を意識して“ぼくなら、きみを守る本物の騎士になれる”
という台詞を口にするようなところも含めて、ファンタジーに通じるサファイヤの造形が、現実から一歩逸脱したような印象を物語に与えています。またそこから始まる本編は、それぞれ独立した事件を扱った五つのパートに分かれており、“敵”となる犯罪者たちのある種キャラクターらしいネーミング(*3)も相まって、一つずつステージをクリアしていくゲームを思わせるところがあります。
その一方で、異常犯罪者たちの犯行はいずれも――その動機はさておき――きわめて現実的な手段によるもので、どこか“おとぎ話”めいた雰囲気に包まれた物語を“リアル”なものに感じさせています。そして、次々と起こる事件が様々な形で浮かび上がらせていくのは、いわゆる社会的弱者/マイノリティの存在で、やはりある面で弱者/マイノリティの一員であるマドカとサファイヤを通じて、困難な立場に置かれた中での生き方に温かい視線が向けられているのが印象的です。
本編最初の「もりのさる」は、「騎士叙任式」と題されているところにも表れているように、サファイヤがマドカの“騎士”になり得るかという、いわば“小手調べ”のエピソード。“幸運の猿”という記号の謎を探っていく暗号ミステリ風の展開の果てに待ち受ける真相は、“小手調べ”だけあって若干軽めともいえますが、思わぬ助力を得ながらも自分の手で事件を解決しようと奔走するマドカの姿が印象に残ります。
続いて「序盤戦」と題された「ドッグキラー」では、飼い主の目の前で盲導犬を殺すという残忍な事件が扱われていますが、冒頭に置かれた“ドッグキラー”の独白に表れた心理が、事件の救いのなさをさらに際立たせている感があります。一方、“ドッグキラー”を探すシンプルな展開かと思いきや、事件の裏に隠された意外な事実を明らかにすることで、関係者の心情に焦点を当てていくプロットが秀逸です。
「中盤戦」の「インベイジョン」では、部屋に侵入した気配だけを残す謎のストーカーの行為が興味の中心となります。“違和感”としか表現しようのないものの正体に迫っていく推理も圧巻ですが、ありがちな盗聴などとは一線を画した途方もない真相と、そこからにじみ出てくる凄まじい悪意が実に強烈。構成の上からは作者にとってやや不本意なのかもしれませんが、本書の中で最もインパクトのあるエピソードとなっているのは間違いないでしょう。
いよいよ「終盤戦」に突入する「ラフレシア」では、毒物散布犯“ラフレシア”と対峙させる形で、街の天気を高精度で予報する人物“ハロ”の存在――その生き方がクローズアップされており、心に残るエピソードとなっています。そして、不可能とも思える犯行を可能とする意表を突いた手口と、二転三転の末に悲哀に満ちた狂気を漂わせる結末が何ともいえません。
最後の「一騎打ち」となる「グレイマン/灰男」に登場するのは正統派(?)のサイコキラー“灰男”で、色々と見えやすくなっている部分があることもあってミステリとしては少々物足りなく感じられますが、サスペンスとしてはやはりなかなかのものですし、物語が進むにつれて変化を見せてきたマドカとサファイヤの関係が風雲急を告げるものになっているのも見逃せないところでしょう。
すべての事件が決着した後の「後日談 ふたりの花」では、事件を通じてマドカが関わってきた人々の新たな出発が描かれ、物語は見事な幕切れを迎えます。もちろんマドカとサファイヤも例外ではなく、しっかりと成長を遂げたマドカの力強い姿が予感させる未来――やや形を変えて再生されるであろう二人の関係――がまぶしく映ります。色々な意味で、非常によくできた作品といえるのではないでしょうか。
*2: この点に関しては、「『1/2の騎士 harujion』(初野晴/講談社ノベルス) - 三軒茶屋 別館」の
“おそらくは少しでも社会派性を中和したいという意図があってのことだと思うのです”との指摘が興味深いところです。
*3: それだけに、作中のある人物による
“この街にいるのは、隠れるのが得意で卑劣な毒物散布犯だ。ラフレシアという記号じゃない”(466頁)という台詞にはっとさせられます。
2010.03.05読了 [初野 晴]
屍の命題
[紹介]
信州北部の山間、焔水湖のほとりに建てられた別荘・美島館。数年前に大雪で遭難して行方不明となった美島総一郎教授の遺志を受け、残された夫人の手で落成に至ったその館に、教授のかつての教え子である篠原綱次郎、蓑田良治、真標京華、さらに教授の友人の雅野大輔と鷹舞宏、そして雅野の患者である阿武澤邦夫の六名の客が集う。折悪しく事故に遭ったという招待主の美島夫人が不在のまま、六名はそれぞれに思惑を抱えながら館に滞在することになったが、やがて降り積もる雪の中、外部への脱出も連絡も不可能となり陸の孤島と化した館で、一人、また一人と次々に殺されていき……そして誰もいなくなった(*1)のだ……。
[感想]
本書は、第7回鮎川哲也賞(1996年)の最終候補となった『唖吼の輪廻』を改題して自主出版した『死の命題』(新風舎;1997年)を、全面的に改稿して(*2)再び新たな題名で刊行した作品です。が、そのような来歴が本書自体に一切示されないまま、あたかも純然たる新作であるかのような体裁となっているのは、どうもいただけません。とりわけ(本格)ミステリでは、しばしばトリックなどの前例の有無が取り沙汰される(*3)わけで、“いつ発表されたのか”が重視されるはずなのですが……。
それはさておき肝心の内容はといえば、まずいきなり巻頭に置かれた「読者への挑戦状」から、何とも異様で不可解な場面が描かれた「プロローグ」へと続く、冒頭のインパクトは十分。設問そのものも一風変わっている「読者への挑戦状」は、実のところ“挑戦”というよりも本編の趣向を匂わせて読者の興味を引くもので、イレギュラーな配置もうなずけます。そして特筆すべきはやはり「プロローグ」に登場する“兜虫の亡霊”で、怪奇小説ばりの奇怪で禍々しいそのイメージは、わずか2頁弱の描写にもかかわらず強烈な印象を残します。
そこから始まる「第一幕 山荘の惨劇」は、上の[紹介]でもおわかりのようにベタすぎるほどの“雪の山荘”ものであり、また同時にアガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』を踏まえた“全滅型”のプロット――三津田信三がいうところの〈テン・リトル・インディアン型ミステリ〉(*4)――となっており、全体的に古典的なスタイルを踏襲したオーソドックスな本格ミステリの色合いがかなり強くなっています。しかしその中にも、作者ならではともいえる複雑怪奇な謎――雪密室での不可能殺人や前述の“兜虫の亡霊”など――がしっかりと盛り込まれ、その持ち味が存分に発揮されている感があります。
その「第一幕」は、ほぼ交互に二人の人物の視点で進んでいく形となっていますが、その二人がそれぞれに事件に関する手記を残すという工夫により、最後に“誰もいなくなった”後に登場する捜査陣――ひいては作中の探偵役に対しても、事件の進行に関して読者と同等の情報が与えられているのが巧妙。本書の場合、6名のうち誰が最後まで生きていたのかが現場の状況からも明らかであるため、“最後の人物が犯人”という安直な決着に落ち着きかねないところを、二人の手記の存在により(ある程度の)客観性を担保しつつ事件の謎を伝達して、割り切れない部分をしっかり残してあるのがうまいところです。
かくして、「第二幕 蜘蛛手登場」では『建築屍材』にも登場した建築士探偵・蜘蛛手啓司が事件の解決に乗り出し、残された手記を手がかりに真相に迫っていき、「第三幕 解明」においてついに事件の謎を解き明かすことになりますが、まさに奇天烈な真相の連打というべきその解決は圧巻。特に、雪密室での不可能殺人の豪快すぎる真相ととんでもない凶器には唖然とさせられますし、“兜虫の亡霊”の想像を絶する真相はもはや衝撃を通り越して“笑撃”の域に達しています。
さらに、個々の殺人についての解決を積み重ねていくことで描き出される、事件の途方もない全体像は――事前にある程度予想できる部分もあるものの――これまた圧倒的。実をいえば国内作家の長編に類似の前例もあるのですが、そこからさらに一段ハードルを上げた趣向が凝らされているのが見事で、結果的にぎくしゃくした部分も見受けられるとはいえ、空前絶後のネタに仕上がっています。“傑作”や“佳作”などではなく“怪作”と評するのがやはり適切だと思われますが、惜しげもなく盛り込まれた凄まじい奇想には、間違いなく一読の価値があるでしょう。
“そして、誰もいなくなった”と“予告”されており、ネタバレではありません。
*2: 原書房の担当編集者・石毛力哉(rikiyaishige)氏による、
“私家版『死の命題』の全面改訂版です。”とのコメント(「(近刊案内)年末から年明けにかけてのお仕事 - 素行迷宮」コメント欄より)を参照。ちなみに、「Amazon.co.jp: 本: 死の命題」では、改稿前の目次や本編冒頭の数頁が確認できます。
*3: 例えば、第27回江戸川乱歩賞選考会において、受賞を逃した岡嶋二人『あした天気にしておくれ』に対して
“メイン・トリックに、他の作品の先例があった”(講談社文庫版「あとがき」より)との指摘がなされたことなどは有名でしょう。
*4: 三津田信三『作者不詳 ミステリ作家の読む本』や『シェルター 終末の殺人』を参照。
2010.03.19読了 [門前典之]
さよならの次にくる 〈卒業式編〉/〈新学期編〉
[紹介と感想]
『理由あって冬に出る』に続く、某市立高校美術部の葉山君を主人公に“高校生探偵団”の活躍を描いた学園ミステリの第二弾で、それぞれ〈卒業式編〉・〈新学期編〉と題された二分冊となっています。主要登場人物は、葉山君の他に友人の演劇部員・ミノ、ヒロイン(?)の演劇部部長・柳瀬さん、そして探偵役の文芸部部長・伊神さんなど前作と同様ですが、〈卒業式編〉で三年生の伊神さんは卒業し、〈新学期編〉では葉山君の後輩が新キャラとして登場することになります。
一応は連作短編集の体裁を取っていますが、思わせぶりな「断章」が挿入されていることからも明らかなように、東京創元社らしい(?)仕掛けのある〈連鎖式〉の形になっており、当初からは予想もしなかった真相が〈新学期編〉の終盤で明かされていくのが見どころです。
- 〈卒業式編〉
- 「第一話 あの日の蜘蛛男」
- 小学校の卒業式の帰り道、初恋の相手に渡せなかったラブレターが強風に飛ばされ、見当をつけたビルの屋上まで探しに行ったものの手紙は見つからない上に、友人の悪戯でそこに閉じ込められてしまった――結局僕はそこから無事脱出し、隣のビルの屋上に移動して手紙を探したのだが……。
- “密室状況からの脱出”が扱われた葉山君の小学生時代のエピソードですが、“犯人”である葉山君が“真相”を語ろうとするのを制止してまで謎解きに挑む伊神さんには苦笑を禁じ得ないところ。脱出トリック(?)はかなり無茶なものですが、(男子)小学生らしい無謀さといえるのかもしれません。
- 「第二話 中村コンプレックス」
- 演劇部のミノや柳瀬さんらとともにコンサートの手伝いに行った女子高の吹奏楽部に、コンサートにも客演した市立高校吹奏楽部の東さんを「嘘つきで女たらし」と非難する怪文書が。一同が騒然とする中、犯人として名乗り出たのは吹奏楽部のオーボエ奏者・渡会千尋――僕の初恋の相手だった……。
- 「あの日の蜘蛛男」の続編というか何というか、せっかく再会のきっかけを得た初恋の相手がちょっとした事件に巻き込まれ、その無実を証明するために葉山君が懸命に真犯人を探すという話です。怪文書とそれに添付された写真を手がかりに容疑者を絞り込んでいく過程はなかなか面白いものですが、終盤の展開の(ある種の)意地悪さが何ともいえないところです。
- 「第三話 猫に与えるべからず」
- 三年前の冬、中学生の僕は公園で伊神さんの謎解きに立ち会った――公園に住み着いたジャックという猫に時々会いにくる、名前も知らない「お姉さん」と話すのを楽しみにしていた僕。そこに突然現れて、ジャックとも「お姉さん」とも親しげな様子を見せたのが伊神さんだった。そしてある朝、ジャックが……。
- 今度は一転して、中学生時代の伊神さんが現在と同じように謎を解くエピソード。真相の一部は(読者には)かなり見えやすくなっていると思いますが、ある意味ではポイントはそこにはないともいえるでしょう。
- 「第四話 卒業したらもういない」
- 市立高校の卒業式。東京の大学に進学するという伊神さんに、僕は「卒業しても遊びに来てください」と挨拶するつもりだったが、その伊神さんの姿がなかなか見つからない。ようやく姿を見かけたかと思えば、なぜか僕から逃げるように武道場の一室に入っていき――そこで消え失せてしまったのだ……。
- このエピソードではミステリとしての面白味よりも、伊神さんの不可解な消失によって葉山君が抱く強烈な喪失感に重きが置かれています。探偵役の消失をワトスン役の視点から描いたという意味では、シャーロック・ホームズの「最後の事件」になぞらえることができるかもしれません。
- 〈新学期編〉
- 「第五話 ハムスターの騎士」
- いよいよ新学期。二年生に進級した僕は、曲がり角でぶつかったことがきっかけで、かわいい一年生の佐藤さんと知り合いになった。入学してから怪しい男に後をつけられているという佐藤さんのために、僕は柳瀬さんら演劇部有志の協力を得て、ストーカーを撃退しようと作戦をめぐらせるが……。
- 曲がり角でぶつかるというベタな出会いには、柳瀬さんならずとも突っ込まざるを得ないところ。とはいえそこから先は、“日常の謎”的なささやかな“事件”が多いこのシリーズにしては珍しく、ストーカーという犯罪行為がメインとなっていきますが、演劇部の面々も巻き込んだ(?)“ストーカー撃退大作戦”はどこかコミカルな印象を与えています。
- 「第六話 ミッションS」
- ミノの紹介で、システム管理室から危険な忘れ物をこっそり回収したいというパソコン研究同好会会長の依頼を受けた僕は、掃除当番の際に職員室にあるカードキーを偽物にすりかえることになった。だが、先生たちの目を盗んでミッションを遂行するのは困難で、メールでミノに助けを求めてみると……。
- 何だかんだと“便利屋”として使われる葉山君ですが、今回は何ともしょーもない原因による“ミッション”をスパイもののノリでこなす羽目に。窮地に陥った葉山君を救う手段が実に愉快で楽しめますが、最後に印象に残るのは佐藤さんの切れ者ぶりだったり。
- 「第七話 春の日の不審な彼女」
- 何者かから奇妙なメッセージが届き続ける中、演劇部の泊りがけの出張公演の手伝いに駆り出された僕は、宿の部屋で奇怪な事件に遭遇する。ドアにも窓にもきちんと鍵がかかっていたはずなのに、朝目覚めてみると演劇の小道具のマネキン人形が運び込まれ、首をもがれていたのだ……。
- 全篇のクライマックスにふさわしいというべきか、のっけからの(ミステリ的な意味ではない)盛り上がりにニヤニヤさせられます。その中で起きる事件のトリックはさほどでもありませんが、そこから物語の裏に隠された思わぬ真相が明らかにされていく怒涛の展開は、圧巻の一言です(*)。
- 「第八話 And I'd give the world」
- 「春の日の不審な彼女」に続いて、全篇を通じた謎――というよりも隠された物語が明るみに出される、“解決篇”の第二段階。エピソードの間に挟まれていた「断章」のみならず、各エピソード内にもさりげなく配されていた伏線が一つにつながり、形作られた真相は実に見事なものといえるでしょう。
- 「第九話 「よろしく」」
- 物語を締める後日談。すべてが収まるべきところへ収まった感のある、非常に後味のいい結末です。
“「これはすごい」と「これは酷い」が錯綜しています(笑)。”との評に同感です。
2010.03.23 / 03.26読了 [似鳥 鶏]
六蠱の躯 死相学探偵3
[紹介]
顔立ちは普通だが、大きくて形のいい“美乳”の持ち主である当山志津香は、このところ会社からの帰宅途中に奇妙な視線を感じるようになっていた。だが、薄気味悪さに後ろを振り返ってみても、怪しい人物は誰もいない。折しも都内では、若い女性が薬をかがされて意識が朦朧としている間に服を脱がされるという、不可解な襲撃事件が相次いでおり、志津香の不安は高まるばかり。そして今度は、やはり若い女性があまりにも残虐な手口で命を奪われる猟奇殺人事件が立て続けに発生する。死相学探偵・弦矢俊一郎は、曲矢刑事からの依頼を受けて事件の謎を探り始めるが、やがて〈六蠱〉と名乗る犯人の犯行声明文がネット上に公表されて……。
[感想]
他人の死相を視ることができる“死視”の能力を生かして探偵事務所を営む青年・弦矢俊一郎を主役とした、“死相学探偵”シリーズの第三弾。今回は、〈六蠱の躯〉なる儀式がホラー/オカルト要素として物語の中心に据えられながらも、事件の方は若い女性ばかりを狙った猟奇的な連続殺人であり、はっきりとシリアルキラーものの様相を呈することで、前2作とはやや違った趣になっています。
序盤から、奇妙な視線に怯える“美乳”の持ち主の不安をよそに、俊一郎のパートでは猫の“僕”や前2作にも登場した曲矢刑事との愉快なやり取りで楽しませてくれますが、しかしその曲矢刑事の依頼は俊一郎の“死視”の能力の守備範囲外で、事件への入り方からして定型を外れています。そこで浮上してくるのは、島田荘司『占星術殺人事件』の“アゾート”を髣髴とさせる(*1)〈六蠱の躯〉という儀式ですが、犯人の犯行声明文(*2)によってその推測があっさりと裏付けられている――犯人の目的が早い段階で明示されているのもシリーズとしてはやや異色。
そもそも、前2作では限定された人間関係の中での事件のため、関係者に表れた死相を視る――被害者を特定するという“死視”の能力が有効でしたが、今回は事件の性格上、被害者候補を絞り込むのが難しい(*3)わけで、中盤にうまく見せ場を一つ作ってはあるものの、物語における“死視”の能力の扱いは一歩後退しています。また、スプラッターになりそうな殺害場面も(分量のせいもあってか)至極あっさりと済まされており、儀式とその背後に見え隠れする強敵“黒術師”の影を除いて、いつになくホラー色は控えめといえます。
結果として、前2作よりもかなりミステリ寄りになっているのが本書の大きな特徴。特に後半は、シリアルキラーを相手にしたサスペンス風の展開をみせながらも、(犯人の目的がすでに明かされていることで)“次に狙われるのは誰なのか?”がさほど重視されることなく、本格ミステリ的な“あるテーマ”を絡めたフーダニットを軸として進んでいくのが見どころです。実をいえば、そのあたりの処理には某国内作家の前例とよく似た部分も見受けられはするのですが、読者をミスリードする仕掛けが一つ加えられているのが巧妙です。
最後にはもはやシリーズの定番ともいえる、関係者一同を前にした解決場面となりますが、『厭魅の如き憑くもの』などの〈刀城言耶シリーズ〉に比べるとだいぶ薄味とはいえ、なかなか見ごたえのある謎解きになっています。むしろ〈刀城言耶シリーズ〉よりもポイントがシンプルな分、解決の手順が際立っているといえるかもしれません。最後の最後になって“死視”がうまく使われているのも見逃せないところで、“怖さ”はかなり減じているものの面白い作品に仕上がっていると思います。
2010.03.28読了 [三津田信三]
災転{サイコロ}
[紹介]
悪辣な金融業者の“総裁”の墓石が、あり得ない形で曲がっていた。墓石を作った碑工師がその責を問われて痛めつけられた末に、師匠の「碑墓屍屋ヒョージ」こと飛崎漂二が調査に乗り出すことになったが、車を運転中に“爆死”したという当の“総裁”をはじめ、奇怪な死を遂げた人々の存在が浮かび上がってくる。体の内側から刺された傷、内臓に棲みついた怪物、空中から降ってきた死体、そして隙間なく生えてくる無数の顔――相次ぐ怪現象に、霊力を研究する美人巫女・九能空美と協力しながら真相を探っていく飛崎だったが、その行く手には“サイコロ”の謎が……。
[感想]
“バカミスの帝王”霞流一の角川ホラー文庫初登場となる本書は、やはり霞流一ならではの凄まじい“バカホラー”。ミステリファンはもとより、ホラーファンにもどの程度受け入れられるのか心配になってしまうほど、ひたすら(笑えるというよりも呆気にとられるという意味で)バカなネタ(*1)がふんだんに盛り込まれ、正統派ホラーのイメージからはまったく外れた作品となっています。
角川ホラー文庫というレーベルを意識したためか、これまでの作品でも時おり垣間見られた悪趣味でグロテスクな部分が全開で、バカトリックの考案に向けられてきた労力がほぼすべてそちらに注ぎ込まれたかのように、極限に挑戦した奇天烈なアイデアの産物(*2)が満載。そしてそれが、これまたホラーを強く意識したような、いつになくシリアスなストーリーと相まって、何ともいえない独特の味わいにつながっている感があります。
もっとも、得体の知れない怪現象を“謎”として提示し、“探偵役”がその“真相”を探っていくというプロットがミステリ風味であることは確か。もともと霞ミステリにはほとんど怪現象に近い奇怪な謎が登場していますし、その中でも定番の“見立て殺人”――いわば、異様な死体の姿で“お題”を表現したもの――が、本書では様々な怪現象の背後に共通する伏せられた“お題”を解き明かす趣向に形を変えて生かされているともいえるわけで、ある程度までは怪奇ミステリ風の読み方もできるように思います。
その“お題”が明かされてからの物語は、一気にホラー色を強めます。一連の怪現象の根源にある凄惨な秘密が暴露されるあたりのおぞましさはなかなかのものですし、“サイコロ”にまつわる因縁話がしっかりと練り込まれているのも秀逸。しかしその一方で、クライマックス付近の“あるイベント”やアクション場面がいかにもB級ホラーらしさを感じさせるあたりは、やはり霞流一というべきかもしれません。
しかして最後に用意されている結末は……実にさらりとものすごいことが示されているのにも唖然とさせられますが、とある謎に関する“仰天の真相”――ミステリのロジックという“枷”を捨て、奇想を自由に羽ばたかせて生み出された、常軌を逸しすぎている真相には脱力かつ呆然。どう考えても確信犯なので“ツッコんだら負け”(*3)という気もして、どう反応していいのか困惑せざるを得ないのですが、そのインパクトはやはり強烈。忘れようとしても忘れられない、何とも凄まじい怪作です。
“B級からZ級のホラー映画ばっかり見ていて小説なんてマトモに読んだこともないのに何故か将来の夢は直木賞作家という妄想を抱いてるアンポンタン中学生が生まれて初めて書いた小説、みたいな苦笑至極なバカネタ”という表現には、苦笑させられつつも納得せざるを得ません。
*2:
“メタルナマコ”だの
“タチュー”だのといったネーミングも絶妙です。
*3: しかし心情的には、「『災転』霞流一 - くつしたのスープ」の
“ラストに至っては「誰か!誰かツッコめ!『いやいやいやいやそりゃねーよ!!』ってツッコめ!」って全力で念じてしまったし。”にまったく同感です。
2010.04.10読了 [霞 流一]