ミステリ&SF感想vol.16

2001.02.03
『技師は数字を愛しすぎた』 『仮面の男』 『悪魔のような女』 『呪い』 『死はいった、おそらく……』


技師は数字を愛しすぎた L'ingenieur aimait trop les chiffres  ボワロ&ナルスジャック
 1958年発表 (大久保和郎訳 創元推理文庫183・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 白昼、パリ郊外の原子力工場で銃声が鳴り響き、人々が駆けつけてみると、技師長のソルビエが殺されていた。だが、完全な密室であったはずの現場には、犯人の姿はなく、さらに現場の金庫からは重さ20キロほどの核燃料チューブが盗み去られていた。パリの全人口を放射能で全滅させ得るほどの危険物に、当局は慌てふためく。そして、ようやく容疑者が捜査線上に浮かんできたが……。

[感想]

 緻密な心理描写によるサスペンスを得意とするボアロー/ナルスジャックですが、この作品はボアロー単独の『殺人者なき六つの殺人』にも似た、不可能犯罪をメインとした作品です。密室トリックなどは、まずまずといったところでしょうか。

 サスペンスの方はどうかといえば、核燃料チューブまで登場し、序盤からスリリングな展開となっています。が、惜しむらくは、中盤以降やや盛り上がりに欠けています。その一つの原因としては、視点人物が定まっていないことがあげられるのではないでしょうか(ちなみに、原因はもう一つあると思いますが、そちらはネタバレ感想で)。そのため、一人の登場人物に焦点を当て、丁寧な心理描写でじわじわと盛り上げていくという、他の作品でみられるボアロー/ナルスジャックお得意の手法が、あまりうまく機能していないように思えます。特に、中盤以降の主役となる捜査官・マルイユ警部が、密室からの犯人消失の謎だけに集中しすぎていることもあります。

 傑作……ではありますが、もう一つ物足りないといった感じの作品です。

2000.09.17読了  [ボアロー/ナルスジャック]



仮面の男 Maldonne  ボワロ&ナルスジャック
 1962年発表 (井上 勇訳 創元推理文庫337・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 ヴァイオリン奏者のジャックは、出奔して死んでしまったポール・ド・バエルの替え玉となる仕事を、彼の使用人フランクから持ちかけられる。記憶喪失症患者を装うことで残された妻さえもあざむき、叔父からの遺産を相続しようというのだ。仕事を引き受けたジャックは、ポールの妻ジルベルト、義兄のマルタン、そしてフランクとともに、奇妙な生活を送り始める。ポールという“仮面”を着けたまま、次第にジルベルトに惹かれていくジャックだったが、その仕事の裏には恐ろしい秘密が隠されていた……。

[感想]

 基本的にジャックとジルベルトの日記が交互に登場する構成となっていますが、叙述トリックが仕掛けられた本格ミステリというわけではありません。しかし、この構成によってジャックとジルベルトがそれぞれ抱える秘密が読者には明らかになり、また一方で二人のすれ違いがサスペンスを盛り上げるという趣向になっています。

 読者にとってはほぼすべての謎が早い段階で明らかになってしまいますが、それでもページを繰る手は止まりません。サスペンスとしては十分に傑作といえるでしょう。

 なお、本書はnakachuさんよりお譲りいただきました。あらためて感謝いたします。

2001.01.25読了  [ボアロー/ナルスジャック]



呪い Malefices  ボワロ&ナルスジャック
 1961年発表 (大久保和郎訳 創元推理文庫141-04)ネタバレ感想

[紹介]
 妻のエリアーヌとともに静かな生活を送っていた獣医ローシェルは、近くの島に住むアフリカ帰りの女・ミリアンから、猟豹(=チーター)の診察を依頼される。訪問を重ねるうちに、ローシェルはミリアンの謎めいた魅力の虜となっていった。だが、彼女の前夫が不審な死を遂げたことを知り、不安を抱くローシェル。やがてエリアーヌの身に次々と奇妙で恐ろしい災厄が降りかかってきた。ミリアンがアフリカで学んできた呪術の仕業なのか……?

[感想]

 ほぼ全編がローシェルの手記という形式をとったこの作品は、2人の女性の間で揺れ動く彼の葛藤と苦悩がその最大の見所です。ボアロー/ナルスジャックらしく、ローシェルの心理状態が丁寧に、また克明に描かれているので、読者はいつの間にか彼に感情移入させられてしまい、否応なしに物語に引き込まれていくことになります。

 また、本土と島とを結ぶ、満潮時には水中に没してしまう小道・“ル・ゴワ”という舞台の設定が秀逸です。好きなときに自由に行き来できるわけではないため、アフリカのエキゾチックな雰囲気が漂うミリアンの屋敷と、本土での日常という二重生活を送っているローシェルにとって、“ル・ゴワ”を渡ることは自分の生活を、さらには愛情の対象を切り換えるための儀式として作用しているといえます。また、本土と島の往来に物理的な制限があり、エリアーヌの災厄に関してミリアンが直接手を下したとは考えにくいということが、ローシェルの疑惑を超自然的な方向へと向かわせることになっています。

 真相は比較的わかりやすいかと思いますが、それでもやはりドラマチックな物語であることには変わりありません。印象的なラストもよくできています。

2001.01.29読了  [ボアロー/ナルスジャック]



悪魔のような女 Celle qui n'etait plus  ボアロー/ナルスジャック
 1952年発表 (北村太郎訳 ハヤカワ文庫HM31-3)ネタバレ感想

[紹介]
 しがないセールスマンのラヴィネルに転機をもたらしたのは、愛人の女医リュシエーヌだった。自殺と見せかけて妻のミレイユを殺し、莫大な保険金をだまし取るという計画。リュシエーヌと暮らすためには、他に方法はない。完璧に練り上げた計画は見事に成功したはずだった。しかし、死体発見者となるはずのラヴィネルは、予想外の事態に遭遇する。死体がいつの間にか消失してしまったのだ。さらに、ミレイユの影がラヴィネルの周囲に出没する……。

[感想]

 非常によくできたサスペンスです。いきなり冒頭から展開される殺人計画は倒叙もののような雰囲気をかもし出していますが、うまくいったはずの計画に予想もしなかった齟齬が生じ、さらにスリリングな展開となっていきます。

 そして後半が圧巻です。死んだはずのミレイユから送られてきた手紙、ミレイユが訪ねてきたと主張する兄のジェルマン、そしてラヴィネル自身が目撃した影のような姿。ラヴィネルは次第に亡霊の存在を信じるようになっていきます。このあたりの微妙な心理の変化を描くのは、ボアロー/ナルスジャックの得意とするところです。

 真相が明らかになった後の、最後の一言が痛烈です。

2001.01.30読了  [ボアロー/ナルスジャック]



死はいった、おそらく…… La mort a dit : peut-etre  ボアロー/ナルスジャック
 1967年発表 (大友徳明訳 ハヤカワ・ミステリ1140・入手困難

[紹介]
 保険会社に勤めるローブは、フレッシェル老人の自殺防止協会の事務所に立ち寄っていた。折しも若い女から電話があり、これから自殺すると告げた。フレッシェルの通報を受けた警察は、安全剃刀で自殺をはかった彼女、ズィナという名の娘をホテルの一室で発見した。一命を取りとめたズィナは当初ローブの親切を拒み続けていたが、二人は次第に愛し合うようになっていった。しかし、やがてズィナの周囲には不審な出来事が頻発するようになっていく……。

[感想]

 本格的な事件はなかなか起こりませんが、次々と変事がズィナを襲うことで、読者を飽きさせない展開となっています。ズィナの過去がほんの少しずつ明らかにされていくことも、これに拍車をかけているように感じられます。このようなじわじわと盛り上げていく展開は、ボアロー/ナルスジャックならではといえるでしょう。

 『呪い』『悪魔のような女』にも通じますが、クライマックスを経て真相が明らかにされた後の、物語の幕引きのうまさも彼らの特徴といえるかもしれません。この作品のラストは特に見事です。

2001.02.01読了  [ボアロー/ナルスジャック]


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