九孔の罠/三津田信三
他の「年長組」が例外なく翔太朗への疑いを示す中で、およそミステリではあるまじき(苦笑)〈最も怪しい人物が“犯人”〉という真相が明かされるのに、まずは唖然とさせられます(*1)。“死相が出てるのが、所長と主任、そして年長組”
(152頁)という唐突な失言が、それなりに目立つ手がかりとして用意されてはいるものの、まさか“そのままの真相”とは思いもよらず。もっとも、これはむしろ“ポイントが“犯人”以外のところにある”ことを読者に暗示する、“メタ手がかり”の一種というべきかもしれません。
本書の眼目となっているのはいうまでもなく、呪術〈九孔の穴〉による一連の殺人(未遂)がすべて、探偵役の俊一郎自身まで騙された“フェイク”の事件だったという豪快な真相です。“フェイク”の事件が中心に据えられた作品としては、思い出せる限りで国内長編に四つの前例があります(*1)が、それらと違って本書では、事件が完全な“フェイク”ではない――計画に加担していない“犯人”は殺害を成功させたと確信しており、俊一郎(と読者)のみならず“犯人”まで騙されているのが大きな特徴です。
もちろん、“犯人”、ひいては“黒衣の女”を騙すのが“フェイク”の目的ではあるのですが、実のところこれは、現実的な殺害手段では成立させるのが難しい(*2)わけで、本書では“犯人”を騙す仕掛けを支えるために考えられた特殊設定が見逃せないところでしょう。すなわち、“犯人”の手口と犯行の機会の露見につながる〈九孔の穴〉の段階的な手順と作用、そして適切な偽装を施す手段となる看優の“幻視”の能力とが相まって、“犯人”自身さえ騙される“フェイク”の犯行を可能としているのです。
最後に俊一郎が挙げているように、数々の細かい手がかりが用意されている(*3)とはいえ、“フェイク”を見抜くのは少々困難。例えば冒頭の沙紅螺の“死視”など、詳しく説明されている看優の“幻視”の能力をそのまま使ったシンプルなトリックですが、これまでの作品にも通じる“いかにもな”死相ということもあって、そこに疑いを向けるのは難しいでしょう。そして“沙紅螺が死視の結果を尋ねなかった”という最大の手がかりについても、読者に対しては俊一郎の視点で死相が描かれているため、沙紅螺への説明の欠如に気づきにくくなっているのがうまいところです。
そして何より、俊一郎以外の人物に視点が据えられた章――「四 沙紅螺」はともかくとして(*4)、「十 看優」と「十二 雛狐」での(“フェイク”を仕掛けた側である)[犯人]視点の描写が、ミスディレクションとしてあまりにも強力です。それぞれの内面でも“フェイク”の計画が隠蔽されているのはもちろんのこと、“犯人”の襲撃への恐怖が真に迫って描かれる(*5)ことで、完全に“被害者”としか思えないのが実に巧妙。これもまた呪術の設定を生かした、ホラーミステリならではのユニークな仕掛けといっていいのではないでしょうか。
シリーズ恒例の俊一郎による“一人多重解決”がない点で、かなりの異色作といえる本書ですが、この真相であればそれも当然。また、関係者たちを集めての謎解きでないのは、犯人と“黒衣の女”が会う現場を押さえるため――かと思いきや、騙された三人だけでの謎解きだったというのが心憎いところです。ということで、捜査陣や関係者のほとんどが加担した“フェイク”ですが、“黒衣の女”を捕らえる罠となれば大がかりな仕掛けにも納得。〈九孔の穴〉をもじった“九孔の罠”という作戦のネーミングも気が利いていますし、それを伏線として堂々と題名に示してあるのにはうならされます。
その“黒衣の女”の正体が、シリーズ第一作『十三の呪』の依頼人・内藤紗綾香だったのには驚かされましたが、久々にその名前が出てきた(161頁)ことが、さりげない伏線となっているのがお見事。また、紗綾香が『十三の呪』の結末で“退場”した後、すぐ次の第二作『四隅の魔』から“黒衣の女”が登場してきたあたりも周到です。
前作『八獄の界』の結末での別れから、思わぬ形での再登場となった〈小林君〉の今後も気になるところですが、“黒術師”の正体について愛染様が口にした“どやろ”
(276頁)という意味ありげな言葉は……?
*2: 刺殺や撲殺といった直接的な犯行の場合、“犯人”を騙すのはまず無理だと考えられます。ある程度の距離からの射殺(人形などを“被害者”の身代わりにする)や毒殺(毒を飲んだふりをする)などはまだしも可能性があるかもしれませんが、いずれにしても犯行を事前に察知するのが困難でしょう。唯一見込みがありそうなのは、遠隔殺人(仕掛けを事前に発見する)でしょうか。
*3: 俊一郎の祖父が小説家だと雛狐が知っていた(132頁)あたりは、読んでいて少々引っかかりを覚えたのですが……。
*4: おそらくはこの体験がきっかけで新垣警部に相談することになったのですから、この時点ではまだ“フェイク”の計画は立てられていないと考えられます。
*5: “綾津瑠依”(苦笑)こと愛染様に守られて実害はないとはいえ、“犯人”の襲撃に怯えるのは当然でしょう。
2020.01.30読了