ミステリ&SF感想vol.164 |
| 2008.08.21 |
| 『十三の呪』 『ハローサマー、グッドバイ』 『グリンドルの悪夢』 『聯愁殺』 『逆説的 十三人の申し分なき重罪人』 |
| 十三の呪 死相学探偵1 三津田信三 | |
| 2008年発表 (角川ホラー文庫 み2-1) | ネタバレ感想 |
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[紹介] [感想] ホラーとミステリの融合を試み続ける三津田信三の新シリーズは、人に取り憑いた死の影を視ることができる“死相学探偵”弦矢俊一郎を主人公とした、作中でも言及されているW.H.ホジスン『幽霊狩人カーナッキ』(『幽霊狩人カーナッキの事件簿』)などのようなゴーストハンター/オカルト探偵ものとなっています。
今までの作品(*1)に比べるとやや軽めの雰囲気になっているのも目を引きます。実のところ、“ホラー”といえるほどの怖さが感じられるのは序盤のごく一部、主人公が自身の能力に気づいた幼い頃を回想する場面にほぼ限られており、他の作品のようなホラーテイストを期待すると肩すかしを食うことになるでしょう。それは一つには、依頼を受けて事件を解決する“探偵”であるという主人公の位置づけによるもので、事件の当事者――怪異の標的――ではなく直接危険が及びにくいという立場上、その恐怖もさほどのものとはなり得ません。 そしてもう一つ、死相が視えるという主人公の能力も微妙なところで、常人離れしたものとはいえあくまでも“視える”というだけなのですから、あまりに強大な怪異は手に余ることになってしまいます(*2)。本書で大量に発生している怪異現象の大半が比較的“軽い”ものになっているのは、主人公の限定された能力との兼ね合いとみることもできそうですし、怪異の背景にあるのが(『十三の呪』という題名からも明らかなように)呪術、すなわち人の意思であることも、事件を“視える”だけの主人公でも対処可能な程度にとどめる上で重要だといえるかもしれません。 このように、一貫して怪異が前面に出されていながら恐怖が伴っていないのは、主人公の造形からして必然といえるもので、もちろん作者としても織り込み済みだと考えられます。結局のところ本書は、怪異(オカルト要素)を題材として扱ったミステリ――オカルトミステリとして読むべきなのでしょう。そしてミステリを軸として考えれば、死相を視ることができるゆえに“死を未然に防ぐ”可能性を持つ探偵(*3)のユニークさが浮かび上がってきます。 ミステリとしては、怪異の元凶である呪術の“仕掛け人”(犯人)を探すフーダニットもさることながら、間近に迫った死を止めるべく“呪術の論理”を理解する――様々な怪異の中に法則性を見出していくことに重点が置かれており、さながらミッシングリンクものの様相を呈しています。そして、オカルト要素であるだけに求められる合理性のハードルが下がり、いわば自由度が高くなっている感があるのが面白いところで、ついに見出された法則とそれを逆手に取った“解決”は、かなりバカミスに近い味わいをかもし出しています。 シリーズ第1作だけに、キャラクター紹介に分量が割かれているのは否めませんが、作者らしからぬ緩さ/軽さも含めてまずまず満足といったところで、今後の展開が大いに楽しみです。
*1: ただし、『シェルター 終末の殺人』と『スラッシャー 廃園の殺人』は未読です。
*2: その意味で、いずれは拝み屋である祖母の助力を求めるという展開も十分に予想されるところです。 *3: その弦矢俊一郎自身が、作中で “本当に必要なのは、それこそ殺人事件を未然に防げる小説の中の名探偵ですよ”(68頁)という台詞を口にしているのがおかしいところです(このあたりについては、「『十三の呪 死相学探偵1』(三津田信三/角川ホラー文庫) - 三軒茶屋 別館)」もぜひご参照下さい)。 2008.07.07読了 [三津田信三] | |
| 【関連】 『四隅の魔』 『六蠱の躯』 | |
| ハローサマー、グッドバイ Hello Summer, Goodbye マイクル・コーニイ | |
| 1975年発表 (山岸 真訳 河出文庫 コ4-1) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] かつてサンリオSF文庫で刊行され、長い間入手困難となっていた幻の名作。冒頭に掲げられた
“これは恋愛小説であり、戦争小説であり、SF小説であり、さらにもっとほかの多くのものでもある。”という作者の言葉の通り、様々な要素が入り混じりながら、それらが見事に一つの物語としてまとまった、SFファンならずとも必読の傑作です。 地球とは別の惑星を舞台とし、登場人物たちも(ヒューマノイドとはいえ)すべて異星人でありながら、どちらも意図的に地球に似せてあるのが目を引きますが、これは読者を物語に引き込みやすくしているだけでなく、一種のミスディレクションとして機能している部分もあるかと思われます(*1)。作中に登場する地名があまり英語っぽくない(*2)にもかかわらず、人名は軒並み英語そのままに近いものが採用されている(*3)ことも、同様の効果を狙ったものといえるのではないでしょうか。 さて、夏休暇を迎えたドローヴ少年が両親とともに港町パラークシへと出発するところから始まる物語は、主人公の日常を完全に削ぎ落として非日常だけを切り出し、その中に少年を成長させるに足るイベントを詰め込んだ“夏休み小説”となっています。どちらかといえば理屈っぽい少年であるドローヴの語り口は比較的落ち着いてはいるものの、ブラウンアイズとの再会への期待に代表される高揚感のようなものが透けて見える感がありますし、少なくとも序盤は隣国との戦争も別世界の出来事であるかのような印象を与えています。 もちろんドローヴの関心の大半は愛するブラウンアイズに向けられているわけで、それ以外のすべてが背景めいたものになってしまうのも当然といえるでしょう。しかし、(とうに青春を過ぎた人間(苦笑)にとっては)ステレオタイプともいえる“若さ”が目について少々気恥ずかしいものにも感じられる二人の恋愛が、同時にドローヴの成長――二人を取り巻く状況に対する視野の広がり――のきっかけともなっているところがよくできています。 時を同じくして、何の変哲もない港町だったはずのパラークシの情勢も大きく変化していき、それまで青春小説/恋愛小説の陰に隠れてきた別の“顔”が前面に出始めます。とりわけ、序盤から中盤までかなり目立たなくなっているSF小説の要素が、終盤になって突如大きくクローズアップされ、一気にスケールの大きな物語に変貌するのが見どころ。かくして、白日の下にさらされた“真実”が、それまでの物語を通じて読者がそれぞれに親しみを覚えた(であろう)人々を容赦なく翻弄し、ドローヴとブラウンアイズもそこから逃れることはできません。 しかし、最後の最後に用意されているのは、山岸真氏が「訳者あとがき」でいうところの “SF史上有数の大どんでん返し”。サプライズもさることながら、数々の伏線が一つにまとまるカタルシスが強く感じられる静かなる“最後の一撃”は、“いかにしてひっくり返すのか?”という興味にもしっかりと応えるとともに、読者が“その後”に思いを馳せずにいられない鮮やかな余韻を残す、非常に秀逸なものといえるでしょう。
*1: その意味で、河出文庫版カバーイラスト(右上画像参照)のブラウンアイズ(多分)が、あえて人間の少女そのままの姿に描かれているのは、作者の意を汲んだ好判断といえるのかもしれません。
*2: パラークシ、アリカ、エルト、アスタなど。 *3: ドローヴ、ブラウンアイズ、リボン、ウルフ、ストロングアーム、シルヴァージャックなど。 2008.07.16読了 [マイクル・コーニイ] | |
| グリンドルの悪夢 The Grindle Nightmare パトリック・クェンティン | |
| 1935年発表 (武藤崇恵訳 原書房 ヴィンテージ・ミステリ) | ネタバレ感想 |
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[紹介] [感想] リチャード・ウィルスン・ウェッブを中心とした二人組の作者“パトリック・クェンティン”の、“Q.パトリック”名義で発表された第5長編である本書は、“読者への挑戦”も盛り込まれたパズラー色の強い第3長編『死を招く航海』と同じコンビ(*1)によるものでありながら、そちらとはまったく違った何ともいいようのない作品となっています。
まず冒頭では、幼い少女の失踪事件が起きていますが、懸命に捜索する村人たちの間にはいきなり異様な緊張が漂っています。それもそのはずで、以前から村で相次いでいた動物たちの惨殺が強力な伏線となって、殺害の快楽を求める犯人の狂気がエスカレートした末の犯行という構図が、当初からあからさまに示唆されているのです。それでいて、その少女が発見されないまま物語が進んでいくことで、登場人物も読者も宙ぶらりんにされたかのような不安定な感覚を抱かされるのがまたうまいところ。 くせの強い登場人物たちが互いに互いを疑い疑心暗鬼にとらわれる中、正体不明の犯人による不条理な犯行は続いていき、サスペンス――というよりもサイコスリラーに近い雰囲気がほぼ全編を覆っています。しかしその一方で、中盤のアライグマ狩りの顛末など、見方によってはブラックな笑いを誘うような場面もあり、全体としてとらえどころのない物語という印象を受けます。このようなとらえどころのなさも含めて、題名に含まれた“悪夢”という言葉は本書の内容を的確に表しているように思われます。 そのあたりをさらに強調しているのが、一人称の語り手である病理学者スワンソンがしばしば発揮する不自然なまでの鈍感さで、わかっててとぼけているのか度外れた天然ボケなのか判然としないその言動は、いわゆる“信頼できない語り手”に通じるものになっています。(一応伏せ字)スワンソン自身に疑念を向けるにはあまりに露骨すぎる(ここまで)ものではあるのですが、それでも読者としては、どこまで信用できるのかわからない不安感を覚えずにはいられないのは確かです(*2)。 終盤には、一見するとタイムリミットサスペンス的な展開も用意されてはいるのですが、これも“信頼できない語り手”ゆえか、直線的にゴールへ向かうサスペンスではなく当てのない迷走という様相を呈しており、オフビートとさえ感じられる味わいが何ともいえません。 森英俊氏の解説では、“Q.パトリック”初期作の特徴として “だれが真犯人でだれが真の探偵なのか最後の最後までわからない”点が指摘されていますが、少なくとも本書では犯人も探偵もある程度見当をつけやすくなっている感があり、真相の意外性という点ではやや物足りないのが残念。とはいえ、その後に待ち受けるすっとぼけた結末こそが、本書の最大の見どころといえるのではないでしょうか。 2008.07.29読了 [パトリック・クェンティン] | |
| 聯愁殺 西澤保彦 | |
| 2002年発表 (原書房 ミステリー・リーグ) | ネタバレ感想 |
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[紹介] [感想] ミステリ愛好者の会合に未解決事件が持ち込まれ、素人探偵たちがその謎解きに挑むという、A.バークリー『毒入りチョコレート事件』の形式――メンバーがそれぞれ独自の“解決”を披露する“多重解決”ではありませんが――を踏襲した作品です。事件の顛末が直接描かれるのは冒頭の20頁弱にすぎず、〈恋謎会〉の面々による“推理合戦”が大半を占めるという、まさに“推理に淫した”ミステリとなっています。
目を引くのが、毒殺事件の犯人探し(フーダニット)である『毒入りチョコレート事件』と違って、本書では推理開始時点ですでに犯人が特定され、“犯人はなぜ一礼比梢絵を殺そうとしたのか?”というホワイダニットが中心に据えられている点です。もともと蓋然性の程度でしか勝負できないホワイダニット(*1)では、推理の厳密性が期待できない反面、(容疑者が限定されたフーダニットと比べて)推理の自由度が高い上に求められる説得力の“ハードル”は低い――つまりは推理の風呂敷を広げやすい(*2)傾向があり、本書のような構成には最適だと思われます(*3)。 そしてその推理は、『毒入りチョコレート事件』のような一人ずつ順番の“発表会”ではなく、個々の推理を叩き台にディスカッション――仮説の構築と破棄――を重ねていく、例えば作者自身の『麦酒の家の冒険』などに近い形になっています。それにより、“解決”(結論)のみならずそこに至る一つ一つのステップ(解釈や仮定など)にもしっかりとスポットが当てられているのが見逃せないところで、思わずうならされるものからかなり無理のあるものまで玉石混交とはいえ、総体的に見ごたえのある推理が展開されています。 連続無差別殺人(未遂も含む)の様相を呈する事件についてのホワイダニットということで、必然的にミッシングリンク探し(*4)に重点が置かれることになりますが、決してミッシングリンク一辺倒になっていないのが意外なところで、事件の全体像を掘り下げていく過程においてミステリの様々な趣向が次々と顔を出しています。“安楽椅子探偵”の形式に近い“推理合戦”に分量が割かれた構成は、どうしても地味な印象を与えがちですが、作者の旺盛なサービス精神(?)がそれを十分に補っている感があります。 それどころか、当初からは予想もしなかったアクロバティックな“解決”が示される終盤のインパクトは強烈で、派手さのない展開がそれまで続いていただけに衝撃が一層際立っています。と同時に、そこにつながる伏線がきっちり張られているにもかかわらず、強力なミスディレクションによってそれを伏線だと気づかせない、作者の優れた技巧には脱帽せざるを得ません。 読後に何ともイヤなものを残す作者の持ち味が、存分に発揮された結末もまた衝撃的。好みは分かれるところかもしれませんが、例を見ない実験的で大胆な試みを見事に完成させているという点で、やはり傑作というべきでしょう。
*1: 作中でも
“厳密に言えば少年の動機なんて本人に訊きでもしなければ判りっこない。”(228頁)とされているように、推理で動機を厳密に“特定”することは不可能で、ひたすら蓋然性の高い解釈を求めていくことしかできません(拙文「ロジックに関する覚書」[謎とロジックの対応]も参照)。 *2: 一般的に“推理=限定(絞り込み)”となるフーダニットに対して、ホワイダニットでは“推理=創造”という性格が強く、新たな推理の材料を次々と補充していくことで、延々と推理(仮説の創造)を続けることも可能となります。 *3: 『毒入りチョコレート事件』(に限らずバークリー作品の多く)では、いわば様々な条件を“緩和する”ことで多様な推理を可能としているのですが、フーダニットにしては推理の厳密性が(標準よりも)低く感じられるのは否めません。 *4: もはやミッシングリンクと不可分(常に併せて検討せざるを得ない)ともいえる、定番の“アレ”も含めて。 2008.07.31読了 [西澤保彦] | |
| 逆説的 十三人の申し分なき重罪人 鳥飼否宇 | |
| 2005年発表 (双葉文庫 と15-01) | ネタバレ感想 |
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[紹介と感想] 『逆説探偵 13人の申し分なき重罪人』を文庫化にあたり改題したもので、『○○的 (+副題)』で統一された作品及び『太陽と戦慄』と同じく、架空の地方都市である〈綾鹿市〉を舞台とした作品です。
綾鹿署の刑事といえば谷村警部補と南巡査部長のコンビが定番ですが、本書で主役を張っているのは五龍神田巡査部長。上司である谷村警部補に密かな対抗意識を燃やし、ホームレスの“じっとく”から得たヒントをもとに独自の推理を披露するのですが、功を焦ってヒントの解釈を誤っていたことが最後に判明するという、少々情けない役どころになっています(*1)。 というわけで本書は、書き下ろしの最終話を除いて12の異なる犯罪を扱い、それぞれの謎に対して二通りの解決を用意する――しかもそれらが同じ一つのヒントに基づいている(*2)――という、二重三重の“縛り”が課せられた連作短編集で、マゾヒスティックにも感じられる作者のこだわりには頭が下がります。後半になってくると定型からの逸脱も見受けられますが、それはむしろ積極的に定型に加えられたひねりだといえますし、同時に(一応伏せ字)連作としての趣向の“仕込み”(ここまで)でもあります。 どちらかといえばトリックよりもロジック、しかも題名の通り“逆説的”なロジックに重点を置いた、奇妙な味わいが楽しめる作品集です。
*1: 最終話「申し分なき愉快犯」で、五龍神田が(一応伏せ字)“本格ミステリの愛読者”・“とりわけG・K・チェスタトンの熱烈なファン”(ここまで)であることが明かされているのが皮肉なところで、A.バークリーの某作品を連想せずにはいられません。
*2: 当然ながらかなり曖昧なものではあるのですが、それでも、解決への手がかりであるとともに“偽の解決”への“偽の手がかり”にもなるという、二重の機能を担っているのが面白いところです。 2008.08.09読了 [鳥飼否宇] | |
| 【関連】 『本格的 死人と狂人たち』 『痙攣的 モンド氏の逆説』 『官能的 四つの狂気』 『爆発的 七つの箱の死』 | |
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