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ファイナル・オペラ/山田正紀

2012年発表 ハヤカワ・ミステリワールド(早川書房)

 謡曲『隅田川』のモチーフ――“子を失った母親の悲しみ”が、それを下敷きにした『長柄橋』にも引き継がれるだけでなく、さらに発展させて本書のテーマに仕立ててあるところがよくできていますし、それが当初はそれほど強調されることなく、黙忌一郎による『長柄橋』の“探偵小説的解釈”を通じて一気に浮かび上がってくるところが巧妙です。

 その“探偵小説的解釈”でまず面白いのが、オーソドックスなミステリらしい“ハウダニット”(どうやったのか)ではなく、いわば“ハウドゥイット”(どうやるのか)――“犯人”視点かつ“未来形”の謎となっている点で、『火神を盗め』などのような“難攻不落の標的をいかにして攻略するか”をテーマとしたゲーム小説の名手である山田正紀ならではの、ユニークな手法といえるでしょう*1

 そして、標的である信夫藤太が僧侶たちに囲まれた“不可能状況”に対する“解決”として、最初に提示される“物狂い”は詭弁めいて物足りなく感じられますが、後に示される“物の怪に取り憑かれたための物狂い”には(『長柄橋』の時代を考えれば)それなりの説得力があるといえますし、それが明比家と縁の深い“アオムラサキ”につながってくるところがお見事。さらに、シテとして花御前を――“アオムラサキに取り憑かれた物狂い”を演じる(なりきる)ための、“アオムラサキの視覚の再現”としての(心理的な)色覚異常*2に至っては、完全に通常のミステリの範疇を超えた奇想天外な“解決”であるにもかかわらず、思わず飛びついてしまうほどに魅力的です。

 一方、その“不可能状況”から“二つの観念の衝突”という構図*3が導き出され、ついには秘能『長柄橋』そのものの、命を奪われたすべての子供たちに対する“贖罪能”という“真の姿”があらわにされるところまで行き着くのがものすごいところ。またその過程で、『隅田川』における“死んだ子供の姿を見せる”特異な演出に、新たな解釈が与えられているのも見逃せないでしょう。

 “贖罪能”を演じる役割を担った明比家に伝わる“あめゆめみえし てふ ゆきて”という言葉の中から、“てふ”の文字が重ねられて“子”の文字が現れてくるところなどは、正直なところ読んでいて鳥肌が立ちそうだったほどに鮮やかですし、“物狂い”を引き起こす“物の怪”として“アオムラサキ”が選ばれることにある種の必然性が加わっているところにも脱帽です*4

 同じように“1/2+1/2+1/2=1”という数式が“子+子+子=一人”と再解釈されるところもよくできていますが、少なくとも“母と子”というテーマが前面に出された時点で、事件の真相もおおよそ見当がついてしまうのは否めないところではあります。が、“贖罪能”というバックグラウンドを得て真相に重さが加わっているのは確かですし、“贖罪能”のために子供の命が奪われかけるというあまりに皮肉な発端が強烈な印象を残します。

 冒頭の不可解な台詞――“八月六日午前八時十五分――に戦争は終わった。”(9頁)という、明らかに史実と異なる台詞の意味が明らかになる「終の段」は、目の前の悲惨な“現実”と、それに対して花科が作り出した“幻想”との、壮絶な戦いととらえることができるでしょう。用意されている幕切れは残酷ではありますが、それでもそこに込められた“祈り”は伝わり、受け継がれ、希望となり得る――のではないでしょうか。

*1: “犯人視点”とはいっても、一般的な倒叙ミステリとは大きく異なることにご注意ください。
*2: 私自身が軽度の赤緑色弱なので、ミステリでしばしばみられる色覚異常の“現実離れ”した扱い――実際の見え方と違ってミステリに都合のいいように描かれる――には不満があるのですが、本書でのこれは面白いと思います。
*3: さらにそれが、“現在”の明比家と軍部との対立に重ねられるところも巧妙です。
*4: “今朝、子”が消えた――ひいては“三人の子供のうち一人が消えてしまう、ということが暗喩されている”(318頁)といった解釈は、花科が十四年前に体験した出来事へのこじつけといわざるを得ないところもありますが……。

2012.03.28読了