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パンチとジュディ/C.ディクスン

The Punch and Judy Murders/C.Dickson

1937年発表 白須清美訳 ハヤカワ文庫HM6-13(早川書房)/(村崎敏郎訳『パンチとジュデイ』ハヤカワ・ミステリHM485(早川書房))

 ホウゲナウアのスパイ疑惑、アントリム医師の家での薬瓶のすり替え、ウィロビーの偽札事件、サーポスによる意味不明な盗難、そしてホウゲナウアとケッペルの不可解な死と、一見するとバラバラな事件がこれでもかというほど詰め込まれる一方で、全体をつなぎ合わせる“真の事件”が隠されるという謎は、やはり非常にユニークです。

 もちろん、ホウゲナウアを殺害するために薬瓶がすり替えられたことは明らかなのですが、そこにほぼ同じ状況下のケッペルの死が組み合わされることで、不条理な二重殺人の様相を呈しているところがよくできています。ついでにいえば、通常は不可能犯罪を演出するトリックとして使われる――密室トリック*1やアリバイトリック*2の類型の一つとされる――“遠隔殺人”が、本書では不可能犯罪とはまったく無縁な形で使われているのが興味深いところです。

 チャーターズ大佐を事件の中心に据えてみると、途端に不可解きわまりなかった事件の全体像が浮かび上がってくる*3のは確かです。しかしその真相は、一つには語り手のブレイクと探偵役のH.M(及びチャーターズ大佐)とが終盤近くまで切り離されていることで、容易には見えなくなっています。つまり、語り手のブレイクが任務を受けて単独行動するという本書の設定が、真相を隠蔽するトリックの一つとして機能しているのです。

 旧友のチャーターズ大佐が犯人であることを見抜いたH.Mは、友人を思いやって最後の最後までなかなか口を開こうとしませんが、そのH.Mが(読者の視点では)安楽椅子探偵に近い立場に収まっていることで、探偵役としての不自然な態度*4が完全に隠されているところも見逃せないでしょう。

 そして終盤の、推理合戦の趣向がまた秀逸。チャーターズ大佐自身が“犯人”を名指しする“探偵”の立場となることがミスディレクションとして機能しているのももちろんですが、推理合戦を始めたH.Mの狙い――真相を見抜いていることをチャーターズ大佐に知らせて逃亡の機会を与える――は、実に巧妙なものだといえます。さらに、推理合戦の途中でチャーターズ大佐がその場から“退場”することで、読者としてはなおさら真犯人だとは考えにくくなっている感があります。

 かくして、ついに真犯人が明らかにされる場面では当の犯人が不在、しかも名探偵自身がその逃亡を促したことが暴露されるという前代未聞の形となっています。殺人犯を見逃してしまうという決着は意見の分かれるところかもしれませんが、決して出番の多くなかったH.Mの人間味あふれる人物像が強く印象づけられる、個人的には好みの一場面です。

 H.Mに強引に呼びつけられて一晩の間に散々な目に遭ったブレイクですが、最後の最後まで愉快な騒動に巻き込まれることに。この結末に関しては、本書の冒頭にカナダから古い学友を引っ張り出してきて、今は牧師だか主教だかをやっているその親友に式を執り行わせることにしたというのだ。”(ハヤカワ文庫10頁)と、そして中盤には“わたしはトロントのセント・ジョーゼファス教会で二十二年にわたり主任司祭を務め――”(ハヤカワ文庫163頁)*5といった具合に、オチにも伏線がきちんと張ってあり、カーらしいといえるかもしれません。

*1: 例えば、カー自身の『三つの棺』中の“密室講義”(拙文「私的「密室講義」」に引用)を参照。
*2: 例えば、有栖川有栖『マジックミラー』中の“アリバイ講義”を参照。
*3: 任務のためにブレイクに貸し出された泥棒用具までが事件につながってくるのが見事です。
*4: もっとも、H.Mの(一見)意地の悪い性格からすれば、真相解明をじらしてもさほど不思議はないのですが。
*5: ハヤカワ・ミステリ版(村崎敏郎訳『パンチとジュデイ』)ではそれぞれ、“カナダから大へん仲のいい昔の学校友達を呼びよせることにした……いまでは有名な牧師だか主教だかになつているその人に儀式を執行してもらおうというわけであつた。”(10頁~11頁)及び“わしはトロントの聖ジョウシファス教会の牧師を二十二年間勤めて――”(122頁)

1999.11.06読了
2009.11.04再読了 (2009.11.28改稿)