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最終更新日07/03/14

コラム

コラム247

自己愛

前回のコラム246で外観を他人がどう判断するかの一例を話しましたが他人の評価とは別に自己評価があります。
単純に自己愛です。すでに過去コラムでナルシストについて話していますが人間はかならず自己愛が存在しています。

自己愛は個人差が大きいようですが自分から見た自己外観に対してかっこいい、綺麗と言う見方とは自分が好きと言う事になります。

この結果、自分が好きと言う判断から自分の外観に自身を持っている人も多く結果的には自分自身での評価は他人よりも上と言う事は誰もが無意識に持ちえている事のようです。

よく言うナルシストは自分自身に対しての「自己愛性人格障害」を言いますが医学的に到る原因は未だに特定されていません。
私がここで話す事は障害とは違う話になると思いますので初めに断っておきます。

どうやら自己愛は性格とか能力に影響せず単純に自分の顔を見て惚れている(好き、または嫌いじゃないなど)と言うようです。

私は自分の顔を見るのが嫌だったと言う経験を10〜20代にかけてありました。
これは考えて見ると自己の自信の無さにも繋がっていたようです。
そんな中で他人と話をしていると自己自信の一つとして自分自身が好きである事と言う話を聞きました。

自信とは違いますが他人と接する事で自分自身の評価と他人の評価が違う事を知りえました。
自己評価よりと他人の評価は違うのが当たり前です。
しかし、それらは貶されたりほめられたりと様々です。

私は昔、誰にでも好かれなくてはならないと言うような考え方があり他人の目を気にしていた時期があったのですが現実的には無理なので他人の言葉や評価に落ち込む(笑)

誰とでも仲良く親しくなれれば良いでしょうが様々な人間が居ますので自分が接している中で一人でも二人でも仲の良い人が出来ればそれで良いと言う考え方に変化した為です。(10人異性を紹介されて一人と上手く行けば良い方と思うようになったなど色々あります)
又、学生からの友人など特定の友人とばかり遊ぶような時期もあった為、人の交流が閉鎖的な時期も重なり対人関係の接し方が面倒=怖いと思うような時期もあったようです。

そして比較的同姓中心だった頃から異性間の交流が広がった事で同性の評価、異性からの評価によってそれぞれに違う事や会社関係、友人関係以外に、初対面から友達に変わっていく過程など多くの要因や環境があり、曖昧な不特的多数の人間の評価では単純に「これだ!!」と自分の評価を確定する事は出来ない。

しかし、私は喋くりまくるほうだったので印象から他人から違う評価をされていた事も事実でした。

それらの要因が理由で対人関係への自信がない事と外観への自信の無さなどが重なり自分に自信が持てない事から鏡に映った自分が嫌いだったと言う事です。
その事が原因で生んだ親に反発した事もあります。(外観は生まれた時から変えられないから)

今では自分の顔を見ても悲観はしませんが、悲観しながらも私自身も無意識に自分に対しての自己的評価が良くしていたと言う事になります。しかし、今では歳を取ってきた事が伺えるので違う意味で嫌になります(苦笑)。

所が元々自信がある人は私の事例とは逆で自分に自信があるからイケイケの人も多い。
私のような人間には何を根拠が「?」となりますがその定義に自己評価があるようです。
自分に自信があるから強気になる、会話によってはとんでもない事を言う人もいます。

しかも他人の意見に耳を傾けないので自己評価を疑いもしない。しかし、実際には自己の評価と周りの評価に温度差がある。この評価と言うのも何を言っているのかによって変わってしまいます。
ここでは単純に外観を言っていますが、外観だけにしても前回のコラムで話した個人の好みなど個々の違いがある為、非常に曖昧です。

しかし、実際に外観が良いと言われる人はほんの一握りになります。
大体は普通は人の好み次第の問題と言うレベルです。但し、外観が良いか悪いか別にしても自己の外観に自信がある人が必ずいます。
良くないと言うのは他人が思っている事で本人はそう思わない。本人は自分の顔に自信があるのでもてると思う(実際に言葉でそう言う)。
もてると思うのは勝手ですが、もてると言っている事に対して異性間の結果として伴っていないのに外観に自信があるのも変な話だと思いますが・・・・・結果に伴っていればそれを言う根拠も分るのですが何故かこう言う人が結構います。何でだろう?

結局、外観にしても人間性にしても他人によって受け止め方が違うのは当たり前です。

こんな例は別にしても勘違いによる自己自身と違い、誰もがもっと綺麗だったら良かった、かっこよかったら良かったと言う願望は誰にでもあります。

しかし、それでも自分のこう言う所は悪くないと思うような慰めに似た美化を持っている事による自己愛は多くの人が存在します。なので普通の人は外観に対して他人の評価よりも美化をしていると言う事。
そのような自己愛が更にゆがむとナルシストのようなレベルになってしまうのだと思います。

前回のコラムと今回のコラムは話的に重なりますが自分の思っている自分、他人が見ている自分は、外観、性格などすべてに置いて違っています。
その他人の評価の一つに外観が存在しており、それと同じように自分自身での外観評価は他人と違って美化する、又は良い評価にする事で自分自身が好きである理由の一つになっていると思っています。

外観は日々と共に変わっていくものです、歳を取る事で悪くなっていきます。
その為、外観に拘りがあった若い時よりも歳を重ねる事で外観による対する捕らえ方が緩和されていきます(人の事は言えなくなって行く)。
外観を悲観して気にしていた時期から今となってはその影響力を知りながらもどうしようもないことであり、それを気にしすぎてもしょうがない事と認識しています。
しかし、
私自身、今になって昔の出来事を整理して考えて見ると今更ですが当時の考え方が分かって面白いです。

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