|
コラム247
自己愛 |
|
前回のコラム246で外観を他人がどう判断するかの一例を話しましたが他人の評価とは別に自己評価があります。 単純に自己愛です。すでに過去コラムでナルシストについて話していますが人間はかならず自己愛が存在しています。 自己愛は個人差が大きいようですが自分から見た自己外観に対してかっこいい、綺麗と言う見方とは自分が好きと言う事になります。 この結果、自分が好きと言う判断から自分の外観に自身を持っている人も多く結果的には自分自身での評価は他人よりも上と言う事は誰もが無意識に持ちえている事のようです。 よく言うナルシストは自分自身に対しての「自己愛性人格障害」を言いますが医学的に到る原因は未だに特定されていません。 どうやら自己愛は性格とか能力に影響せず単純に自分の顔を見て惚れている(好き、または嫌いじゃないなど)と言うようです。 私は自分の顔を見るのが嫌だったと言う経験を10〜20代にかけてありました。 自信とは違いますが他人と接する事で自分自身の評価と他人の評価が違う事を知りえました。 私は昔、誰にでも好かれなくてはならないと言うような考え方があり他人の目を気にしていた時期があったのですが現実的には無理なので他人の言葉や評価に落ち込む(笑) 誰とでも仲良く親しくなれれば良いでしょうが様々な人間が居ますので自分が接している中で一人でも二人でも仲の良い人が出来ればそれで良いと言う考え方に変化した為です。(10人異性を紹介されて一人と上手く行けば良い方と思うようになったなど色々あります) そして比較的同姓中心だった頃から異性間の交流が広がった事で同性の評価、異性からの評価によってそれぞれに違う事や会社関係、友人関係以外に、初対面から友達に変わっていく過程など多くの要因や環境があり、曖昧な不特的多数の人間の評価では単純に「これだ!!」と自分の評価を確定する事は出来ない。 しかし、私は喋くりまくるほうだったので印象から他人から違う評価をされていた事も事実でした。 それらの要因が理由で対人関係への自信がない事と外観への自信の無さなどが重なり自分に自信が持てない事から鏡に映った自分が嫌いだったと言う事です。 今では自分の顔を見ても悲観はしませんが、悲観しながらも私自身も無意識に自分に対しての自己的評価が良くしていたと言う事になります。しかし、今では歳を取ってきた事が伺えるので違う意味で嫌になります(苦笑)。 所が元々自信がある人は私の事例とは逆で自分に自信があるからイケイケの人も多い。 しかも他人の意見に耳を傾けないので自己評価を疑いもしない。しかし、実際には自己の評価と周りの評価に温度差がある。この評価と言うのも何を言っているのかによって変わってしまいます。 しかし、実際に外観が良いと言われる人はほんの一握りになります。 結局、外観にしても人間性にしても他人によって受け止め方が違うのは当たり前です。 こんな例は別にしても勘違いによる自己自身と違い、誰もがもっと綺麗だったら良かった、かっこよかったら良かったと言う願望は誰にでもあります。 しかし、それでも自分のこう言う所は悪くないと思うような慰めに似た美化を持っている事による自己愛は多くの人が存在します。なので普通の人は外観に対して他人の評価よりも美化をしていると言う事。 前回のコラムと今回のコラムは話的に重なりますが自分の思っている自分、他人が見ている自分は、外観、性格などすべてに置いて違っています。 外観は日々と共に変わっていくものです、歳を取る事で悪くなっていきます。 |
|