|
コラム249
追い続けるもの |
|
この頃、変な事を感じます。昔は自分に何か「出来る事」、「したい事」をただ追いかけていました。 自分の好きな事をする、それが実益を兼ねなくて自分がも自己満足出来ればそれでいい。 それが趣味であり夢であり、自分の目標とするものでした。 それらの行動も結果として見れば自分の理想とは違うものです。それは現実と理想(夢)の違いを知るからになりませんが・・・・。 何かを「したかった」と言う漠然の気持ちの中で他人と「ワイワイ」していたのだと思いますが、結果として何も変わらずただ年を取っただけかもしれないと感じる事があります(悲)。 年齢が若い時は「若さ」と言う逃げがあります。 会社に行って。週末、プライベートで友達などと遊んで・・・・・それの繰り返しのまま歳を重ねていった。 この話の内容は真面目に話すとなると相手を選びますし私が思う限り人はこんな話を好んでしない、どちらかと言うと誰もが感じているようだけど考えないようにしたり触れないようにしているようです、または考えもしないようです。 これらの話も人間が趣味(自分のしたい事)を追求することは、生活上の生きていく事に必要なものと一線を超えており普通に生きて行くだけの行動と比較して考えると、これらすべては甘い考え方であると言えます。 こう言う考え方は圧倒的に男性に多い考え方で女性は男性より現実的です。 ここでの話も過去コラムで夢などを話している内容と結果としては同じですが自分がしたい事が結果にならないまでも何かに夢中になる事自体が無くなって来て・・・・妙に覚める時を感じるので「寂しい」と思うわけです。 自己満足といいながらも自慢する、内容を話せる相手が「居る」「居ない」は趣味を継続していく上で大きいようです。 結果として、私は10年前と同じ事を今でも継続していますが、これは考えて見れば一般的に普通とは言い難いようです。 私個人としては好きな事をその歳その歳で追求して探求する事をずーーと繰り返しているに過ぎないと思います。 社会や家庭に関しない個人の追求を行う環境や時間は昔から見れば減ってきています。 結局こんな事を言いながら好きな事で小さいことでも何かを達成すれば個人的に喜んでいるわけで、それの繰り返しの中に寂しさを感じているだけでしょうけど |
|