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コラム298
接点 |
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昔のコラム264で友達が出来るきっかけを、近所だったから、趣味が同じだったから、学校が同じだったから、と言う共通点によって始まる事を書いた事がありますが、学生の友達はお互いに社会人になる事で交流が遠のき、結婚などでさらに交流が減ります。
そしてそれらの理由によってお互いの距離が置き、そのまま交流自体が無くなっていく。 また、逆の理由で知り合いになっていく人も新たに出来ます。 私なりにこれらの交流関係を考えて見ると人間が他人との交流を繋ぐきっかけは、学校や趣味などの共通点から始まるものの、そこから長く交流が続くのは、人と人の結びつきなので人間性が大きく関係してくると考えます。 例えば仕事柄対人関係の付き合いが多い人も仕事をやめたら人の交流が減ってしまったと言う事があるとすれば、あくまで仕事による結び付きが大きく影響したので仕事と言う接点が無くなったら交流関係も減ってしまったと言う事は、対人関係で人と人を繋いでいる共通点はあくまで仕事であったので、仕事の接点が無くなった事で交流関係が消えてしまったと言う事です。 人間は根本的に人と接する事でストレスを感じるので仕事のような強制的な繋がりである場合は無理しても対人関係を保とうとします。 その為、仕事などの立場上の交流ではなくプライベートで交流を保つとしたらそれは共通点だけではなく、お互いの人間性による思いやりや配慮などをしなければ交流は続かないように感じます。 ただ人間を繋げる共通点である近所、学校、趣味、仕事を取り払うと残るのは血の繋がり(家族)だけです。 だからと言って血が繋がっていても夫婦などは他人から始まっているので血が繋がっていない関係であり遺伝子を引き継いでいる子供ですら半分であるので血のつながりだけではなく一緒に住んで時間を共有化した事が「情」としてお互いを繋いでいるようにも感じます(何か冷めた言い方かもしれませんが・・・)。 こんな事を昔はまったく考えませんでしたけどね(汗)。
そうすると人と人を繋いでいるのは社会的なものであり、交流がずっと続くのは本当にお互いの人間性とか相性とか人への考え方が問われるような気がします・・・。 恐らく遠距離恋愛が続かないと言われているのはすでに話した近所と言う事から来る孤独でしょうね・・・・その為、近所の人に乗り換えると言う話が実際に見ていますが・・・・・。 ここで話したような共通点が無いと他人と知り合えない、他人と接する切っ掛けが案外ない・・・・・。考えるとすごく不思議なのは、社会の中で人が沢山居るのに知り合いになって友達になる事が当たり前のようで当たり前じゃない ただ気になるのは孤独を感じても気を使ってまで他人と接する事をしない人も多く他人と接する事自体が精神的なストレスに繋がるので人との付き合いを閉鎖的にするのも事実なのでしょう。 そうなると最終的に孤独になっていく・・・(今言う引きこもりの要因の一つなのかもしれません・・・)。 人間独りが自分の持っている時間を割いて他人と接する事が出来る時間も限られます。 自分が色々と交流が無くなったことを「寂しい」と感じて色々考えて見ましたが、私自身が交流関係を広げるにしてもそれをする時間が限られていますし、昔と違ってそれらの交流を広げる術(連絡を取ってもすぐ会える友人達が減った)が減ってきています。 結局、色々なしがらみや社会的な事に時間を取られ自分自身の時間すらなくなっていく・・・恐らく他人との交流を作る以前に、時間が無い事が最大の問題かもしれません(苦笑) ただ、人間が他人と交流を大切にしようと思う人同士でなければ交流は保てません。 片方が思っても片方がそう思わなければ交流は続かない・・・難しい話です。
こんなコラム書いていると感じるのですが、自分で書いて自分で読む為に自分の記録を残しているに過ぎない気がします。 |
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当たり前に人は存在していますが、ほとんど他人であるのは事実ですからね・・・。 |