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最終更新日03/04/11

コラム

コラム51

目に見えないもの

 タイトルを幽霊とかで捉える人もいるので(笑)、初めに言いますが人の見えない部分についてを話したいと思います。
目で人を判断している事については外観とかで話していますが、目で捕らえる情報が普段は中心になっています。
でも実際には視覚以外の聴覚などから多くの情報を得て人を判断しています。

人間性と言うものは目では分らないものなので他の感覚で見て捉えて行くしかない事だと僕は思っています。

感覚で捉えられる情報すべてを人間は当り前になっているので無意識で判断しており、肝心な事を見逃している気がします。(自分ごとですが(苦笑))
人の外観に左右されたりする事が多いのは視覚の影響が大きいと言えます。
本来の人間性は五感で判断するのであり外観良いけど、性格はちょっと・・・といわれるのはその他の感覚で判断した結果だと思います。
所が、人間は案外不安定な生き物なので精神状態、環境などの不得的要素によってあまりにも変化します。
感情の生き物だと言われる由縁ですね。

この頃、自分自身が「コラム」を書くようになってちょっぴり考えながら人と接していると今まで見えなかった事に気付くと改めて考えさせられたりしてます。
恐らく、視覚から得られる外観は人間の特徴のほんの一端にすぎなく、人の人間性はちょっとぐらい接しても何も分りません。

長い時間で多彩な接し方をしても、人のすべてを見抜くことは出来ないでしょうし一時の判断で、人を決める事もまた難しいですね。
人を判断しようとしても、あまりにもさまざまな要因が多すぎで、結局判断できません。
よくあるのが、「こんな奴じゃなかったとか」、「こんな人だとは思わなかった」と言うのはその人の内面を知らなかった時にでる言葉ですし、その背景に、自分が相手に期待しすぎた時、相手を理解しているつもりの時にそう思ったりしました。

同じ様に相手にも同じ事を思われている事も有るでしょうから、人間同士が本当の意味で理解しあうのは難しいかも知れませんね。
でも、それでも接する事で理解できたりするので繰り返しの中で目に見えない人間性、精神、心や考えなどを見えればいいんですが、見えないから逆に面白いと言う人もいますし・・・な〜んか・・・考えさせられます。

人間同士がお互いに精神面での付き合いをするのは、ほんの一握りなので逆に考えると、そこまでの付き合いが出来る人に会えたら儲けもんかも知れません(笑)

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