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最終更新日03/04/04

コラム

コラム97

メール

携帯とインターネットの普及に伴ってメールでのやり取りが会社、私生活で当たり前になってきました。
このメールはすごく便利で使い方次第ではとても役に立ちます。
だけど、今一、使いづらい所があります。その理由について私の経験で話したいと思います・・・・。

私は話し好きです、話し出すと止まらないとか言われます(笑)苦手だった文章を書くのも今では好きです。
会話
でも話していますがメールはあくまでコミニケーションの手段であって会話の目的では在りませんね。メールは会話の変わりにはならないと言うことです

所が今、確実にメールが人との会話の中で多く使われています、それが僕としては怖いです。

普通にメールでやり取りしている分には充分OKです。
本人がメールをリアルタイムで取らなくても、記録として残るので確実に相手に伝わるし、パソコンではなく携帯に送っていれば、本人が手元に持っているから約束事や身近な会話をメールでやり取りできる状況が日常で当たり前になった事は良い事だとおもいます。

所が、直接話す会話よりもメールでやり取りする方が楽になってしまい、手段と目的が入れ替わってしまう事が会話や仕事などで実際にありました。
怖いのは、メールと言うのは一瞬リアルタイムでメールのやり取りをしているように勘違いしやすいんですが、会って話す事の半分も伝えたい事が出来ない事が多いのです。それは文章の受け止め方の難しさを意味しています。
ましてや会った事がまったく無い人だとメールの受け止め方が難しいです。文章からその人を想像する事が困難になるからですね。
もちろん、会話の内容によりますが・・・・。
例ならば怒らせるつもりで書いたわけじゃないのに読んだ人が不機嫌になったとか、とらえる側で受け止め方が変わってしまう事が自分事ですがありました。

人間のコミニケーションの基本はあくまで会って話す事なんですが・・・・・この事実をメールや携帯で話すことで会って話す事を隠しだしているような気がしています。
パソコンではなく携帯でメールをやるようになった事で、尚更、メールの使用頻度が多くなってしまっているのも事実です。

ですから、僕はメールはあくまで会って話す会話の補助的や物としてメールの書き方に神経を使っています・・・・・。
相手にどう伝わるのか人の表情を伺える会話ほど状況が掴めないからです。気を使うのは私の神経質な性格も影響しているんだと思いますが・・・。
メールのお手軽さが意外な所でコミニケーションの死角を持っているような気がしてなりません。
現に直接話す事が苦手な人でもメールだと話せるという人もいますが、その理由に相手の顔を見なくて良いと言う理由もあるそうです。ちょっと違うような気もするんですよね・・・・・。

私がメールのやり取りをしている人は殆どが直接会った事が一度でもある人ばかりですが、中には会った事が無い人もまたいます。それらの会った事が無い人をメールだけで判断する事を私はとても出来ません(会っても分からないのに)。
メールは手紙と言うものをもっと身近にすぐ相手に届けられるようになったアイテムとしては最高に便利なものですが、基本はやっぱり相手と直接会って会話する事なんですよね。

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