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千秋功罪



毛沢東と林彪が共に写っているこの種の写真は、文革前期の66年末から71年9月13日、林彪のジェット機による国外脱出・墜死までの間、よく見られた。
この頃、中央人民広播電台(広播電台:放送局)からは、毎日、「我們心中最紅最紅的紅太陽毛主席教導我們説:………」と「毛主席語録」(後に「最高指示」というようになる)が出されていた。燃えていた時代である。ただ、燃えすぎて、反革命分子がたくさん出来すぎ、お互いに相手を保皇派とみなして、武闘が繰り広げられ、数多くの犠牲者が出、国中が混乱に陥り、生産も停頓したということである。毛主席の詩(七律「人民解放軍占領南京」)から取った「百万雄師」もその派閥の一である。 「毛主席和林副主席」(和=与:と)と、まるでこれが一語のように言われ続けられ「毛主席的親密戦友」とされてきたが、71年に林彪は、謀反を企てたが、見破られ、12日ジェット機で家族と共にモンゴルの方へ逃げたが、墜落して死亡した。「”五七一”工程紀要」(「五七一」の発音は、「ウ−チーイー」で「武起義」=武装蜂起(起義:蜂起)と声調が違うだけで、通じる)という文献も残っているとのこと。林彪やその妻・葉群、息子・林立果の死体の写真もいくつかの本に載っているが、えぐい。まさかそんな写真は載せられないし……。(「林彪 九.一三事件始末」や「林彪的這一生」等)その結果、「毛沢東語録」の最初のページ・再版前言(林彪識)も破り去られ、完全な形の「毛沢東語録」は、現在中国でお目にかかることは、滅多にない。
  あの事件の真相は、一体どうだったんでしょう。今でもこれらの本に書かれてある事全てがそのまま信じられないような、何だかおかしな事件でした。

 





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