バイカーズ・ステーション

01年6月10日


 

ホンダF1の中村良夫さんが

亡くなられた時の追悼文

1995年3月号

エディターズ・オピニオン

 
 バイカーズ・ステーション編集長にしてその発行社である遊風社社長の佐藤康郎さんは、1978年創刊の別冊モーターサイクリストの編集に創刊間もない頃から参画し、1987年にバイカーズ・ステーションを立ち上げました。つまり別冊モーターサイクリストが最も価値があった頃の別冊モーターサイクリストを支えた人です。(こういう言い方って角があるのでしょうか?) いろいろな記述から推察して年齢はどうも私と同じ昭和22年生れのようです。

 佐藤康郎さんは中学生の頃からオートバイに親しみ、60〜70年代の月刊モーターサイクリストのファンとなり、当時の編集長であった橋本茂春さんに手紙を送った事が縁で八重洲出版に入りました。当時の同期に後にライダースクラブ副編集長となった氷山育生さんがいて、私は当時の別冊モーターサイクリストでは佐藤さんと氷山育生さんのファンでした。

別冊モーターサイクリスト8周年記念として企画された「ホンダRC物語」(神田重巳)(1986年11月号より)は価値のあるものでしたが、これは佐藤康郎さんがかなり力を入れて作られたと後に書いています。なお佐藤さんは確か佐藤画伯のご子息と当然の事のように覚えていますが、このページの作成に当ってその事を調べましたが明確な記述は見つかりませんでした。(こうした些細な事の調査が大変なんですよね) 

 佐藤さんを一言で言えば生粋のオートバイ雑誌編集者と言うことになるでしょう。
この人は常に雑誌の価値ある事に努め、良い誌面を作ることを第一に考えています。
その事は佐藤さんがバイカーズ・ステーションに毎号書いている「エディターズオピニオン」を読めば分かります。オートバイ雑誌と言うものはオートバイが大好きな人間が作るべきものだ、と深く信じているようです。そんな事は当たり前、と思われがちですが、資本主義が高度に発達した現代の日本では必ずしも当たり前ではなく、私などは貴重な人だと思っています。

 佐藤さんは毎号「エディターズ・オピニオン」を書いて読者に自分の考えを知らせる努力をしています。これはどうもご自身が若い頃にモーターサイクリストの橋本編集長が丸々1ページの編集後記を毎号書かれていた事に習っているように思いますが、こういうオートバイ雑誌はバイカーズ・ステーションだけでしょう。しかも話題は多岐に及び、通常オートバイ雑誌と言うものは自動車の話題を避けるものですが(それは自動車雑誌に読者をとられないようにするためのようですが)、そんな事は関係なしに自動車の話もどんどん出てくる辺りが他の雑誌とは違うところです。

 記事はメカの話が多いので若い人に受けているようです。オートバイ雑誌と言うものは昔から記事(特に力学に関するもの)の間違いが多いものですが、バイカーズ・ステーションに付いてはそうした点はほとんど見られず、また文章が正確な事も特徴の一つです。ただ私などの好みとしてはもう少し総合オートバイ雑誌的な誌面(つまりオートバイ雑誌界のCARグラフィック)を望んでいますが、これは出身誌である別冊モーターサイクリストと競合するので意識的に避けているのかもしれません。オートバイ雑誌界のCARグラフィックを作れる人は佐藤康郎さんしか居ないのですから、これはちょっと残念です。

2009.12 追記

上でちょっと触れた佐藤康郎さんの父君の佐藤画伯のことですが、これはどうも戦後の工業デザイナーの草分けのお一人とも言われている佐藤章蔵さんではないかと思われます。この点ネットで探したんですが確認できませんでした。ご存知の方がいらしたらご一報いただけると幸いです。

佐藤章蔵さんについてご説明すると、この方はポピュラー・オートモビルと言う雑誌に寄稿していて、カーグラフィックの小林彰太郎さんは「小林彰太郎の世界」の中で「日本におけるクルマの師といえば浜徳太郎先生と佐藤章蔵先生です」「佐藤先生みたいな文章を書きたくて真似したこともあるほどでね」といってます。大変な方なんですね。

 
メカの記事が多い

2000年9月号

 

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