小林彰太郎の世界

03年1月5日


 
 正月3日に世田谷のリンドバークで 「小林彰太郎の世界」(ニ玄社) を購入してその日のうちに読みました。CARグラフィックについては昨年4月にこの気ままにトークで書きましたが、この本を読んで小林彰太郎さんがどう言ういきさつで自動車評論をするようになり、またCARグラフィックを世に出すようになったかという事がよく分かりました。

 この本は1992年の発刊ですが、徳大寺有恒さんとの対談を中心にモーターマガジン時代を含めて小林さんが昔書いたものが再現されています。小林さんは東大在学中からモーターマガジンに寄稿し、その後 「事件」 があってモーターマガジンの編集者であった高島鎮雄さんたちと3人でCARグラフィックを立ち上げました。この時の小林さんたちの思いは 「自分たちが読みたいような雑誌を作ろう」 ということだったそうで、これこそが私が1965年ころに初めてCARグラフィックを見た時に 「他の雑誌とは違う」 と明確に感じた最大の理由だと思います。

 小林さんは大学在学中から英国の自動車雑誌であるAUTOCARを読んで自動車評論の基礎を学んだそうですが、当時は今でこそ当たり前になったオーナードライバーの立場に立っての評論というものはなかったわけですから、これには多くの人が 「他とは違う」 と感じたのも無理はないでしょう。

 徳大寺さんも序文のなかで 「それまで読んだことのない文章、そして聞いたことのないようなクルマの名前」、「とにかく私にとっては、小林さんによって自動車の世界が開かれたといっても過言じゃないでしょう」 と書いていますが、正に日本の自動車評論の基礎は小林さん一人によって作られたものです。それもたいへん高いレベルでですね。やっぱり本物を知っていると言うことは偉大なことなんですね。私なんかも自動車に関する考え方の骨格はCARグラフィックを読んで小林さんから学んだものです。

 この本を読んで初めて知ったことは沢山ありますが、特に驚くことはロードインプレッションと言う言葉を最初に日本で使用したのが小林さんであろうことは薄々見当がつきますが、0-400m加速と言う形態を考えたのもこの方とは驚きました。英国ではSS1/4マイルだったものを小林さんが日本で分かりやすいように0-400mとして計測したんだそうです。そのほかにもこの本には書いてありませんが、たとえば「ファントゥドライブ」とか「バリューフォアマネー」などという言葉を最初に自動車雑誌で使ったのも小林さんではないかと思います。

 

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