ぼくのキラキラ星

07年8月15日


ぼくのキラキラ星

中沖満

グランプリ出版

1983.10

 
中沖満さんの「ぼくのキラキラ星」は最初世文社からの発売で確か1979年ころ(?)に読みましたが、それを友人に貸したところ行方不明となり、その後グランプリ出版から再発行されたものを最近入手して再び読んでみました。

中沖満さんについて私が初めて知ったのは70年代のカーグラフィックです。
そのころカーグラフィックにはオートバイを愛好する編集者で作った水曜日クラブというのがあり毎月活動状況を誌面で報告してました。その中にわたびきの塗装名人として中沖満さんが登場しました。

その後「ぼくのキラキラ星」を読んだんですが、この本は中沖満さんが幼少のころのオートバイの思い出から実際にオートバイを取得し、あちらこちらにツーリングした思い出を書いたものです。キラキラ星とは中沖満さんがあこがれたオートバイと友人のことですね。

最初に手に入れたのがデンスケことDSK。次がライナーTW、続いてヤマハYDS1に続くヤマハ車、そして紀一と博FRP研究所でスペシャルにしヨシムラの親父さんがチューンしたCB500スペシャル。

良くこれだけ詳しく覚えているなというほど詳しくツーリングのことが書いてありますが、恐らくそのつど日記に書いていたんでしょうね。中沖さんはとにかく走らせることが好きだったみたいでこの点私は共感を覚えました。

昭和30年代の白バイの話や藤沢トンビの話、あるいは神楽坂モーターサイクルクラブの話など面白い話がたくさん書いてあります。中沖さんは文章がうまいですね。そうそう、オートバイ乗りってそうなんだよね、ということがたくさん書いてあります。

ドリームSAのサイドカーで曲がり切れなかった話などは、いつかはサイドカーに乗ってやろうという私の思いを強くさせました。

最後の辺りに浅間ミーティングクラブ誕生のいきさつが書いてあります。これによるとわたびきの前に停めてあった中沖さんのCB500スペシャルを星野温泉の星野嘉苗さんがたまたま見て中沖満さんと知り合いとなり、「バイクの博物館を作りたい」という話になったそうです。

その後星野嘉助社長が展示館建設に協力することとなり、それなら星野嘉助社長の話を直接聞くツーリングをしよう、と実行したのが1975年の第1回浅間ミーティングだそうです。(正式には第1回浅間ツーリング)

その後いろいろあって中沖満さんは第5回を最後に星野嘉苗さん秋元紀一さんと別れて星野温泉ホテルの庇護も離れて1989年に浅間記念館が完成したわけですね。
オートバイファンなら一度は訪れて見たいオートバイの聖地です。

なお星野嘉苗さんは星野温泉ホテルの敷地内にいち早く二輪自動車資料館を作りましたが、これは今年8月で閉館の予定だそうで現在署名活動をしているそうです。何でも「代替わり」でそうなったとか。私が設立間もないころに訪れたときに資料館の前で無心に子供用バイクを走らせてた子供がいましたが、あの子供が新社長なんでしょうか。

中沖満さんの本はほかに「力道山のロールスロイス」も読んでいます。これは中沖満さんが塗装職人として接したいろいろな車のことを書いたものでこれも面白かったです。
中沖さんはこの中で趣味として乗るならケイターハム・スーパーセブンがいいと書いています。これも私にとっては印象的でした。
中沖満さんについてはスポークホイール誌でも触れています。

中沖満さんは昨日お亡くなりになったそうです。中沖満さんも夜空に輝くキラキラ星になったんですね。ご冥福をお祈りしたいと思います。

 
力道山のロールスロイス

中沖満

山海堂

1982.6

   

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