第三話 曽我兄弟と鳩山兄弟

安元二年(1176)曽我五郎・十郎の父河津三郎祐泰は伊豆奥野で行われた狩の帰途、頼朝の寵臣工藤祐経の邪弓により暗殺された。
背景には所領争いがあったという。祐泰の妻満江御前は身辺の平穏を望み、我が子に仇討ちの志を捨てさせようとするも、兄弟の父への思慕と、仇祐経に対する憎しみは強かった。
建久四年(1193)五月二十八日、時の将軍源頼朝が行った“富士の巻き狩”の陣屋で曽我五郎・十郎の兄弟は父の仇、工藤祐経を討ち、宿念の思いを果たした。
しかして、十郎はその場で討たれ、五郎は自刃を望むも祐経の遺児により討たれた。
陰暦五月二十八日に降る雨を「虎が涙」といい、十郎の恋人「虎御前」の流した涙であるという。

平成十二年六月二十五日、衆議院選挙の夜、東京二区、現職の通産大臣 深谷隆志は思いもかけぬ落選に驚愕した。
深谷隆志は二十年以上前から同じ選挙区で宿敵の鳩山邦夫と鎬を削ってきた。
今回は老獪な自民党野中幹事長の策略により、鳩山邦夫は東京比例二位に回され、深谷の応援に奔走した。深谷が当選を確信し、早々と祝賀会の予約までしたのも無理はない。
鳩山邦夫は平成十一年の東京都知事選に民主党から出馬するも石原慎太郎に阻まれ、あえなく落選。その後より兄 鳩山由紀夫民主党代表に反旗を翻し、自民党の広告塔として 兄由紀夫をカメレオンと評して攻撃した。
兄の鳩山由紀夫も弟一人操縦出来ない器量なのであろうか。
曽我兄弟と鳩山兄弟、あまりにもかけ離れた存在である。

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