すのものの「いろいろ」(その15)

DQII のベリアルにパルプンテでハングしたのと Wiz#1 の Maelific 暴走とは

……関係あり?  これが起こるのはファミコン版のドラゴンクエスト II。 単にパルプンテを唱えるだけではなく、 ベリアルのいるマスに特定の方向からはいらなければ起こらなかったような気もする。 Maelific 暴走は、国産パソコン版の Wiz#1 で起こったといわれる現象。 私は見たことがない。 どちらも、最終ボスキャラを除けば最強のモンスターがからんでいるのが共通。

2000-11-15 (3) 22:21:20 +0900

「アバドのファンだから bgcolor = #ABBAD0 にしている」って人いないかな

こんな色です。実際に背景色として使えそう。ちょっと濃いかな。

2000-11-15 (3) 03:56:00 +0900

タイトルの #ABBAD0 は二重引用符で囲んでいたが、 エスケープするのを忘れていた。 しかし、エスケープすると私が設けている字数制限を越える。 そこで、二重引用符そのものをはずしてしまった。 そして、等号とくっついて見にくくなるのを避けるため、スペースをいれた。 まとめれば

と変えた。 また、TABLE に /TD, /TR タグを補った。

2004-05-02 (0) 15:16:50 +0900

行方不明者は遺体が発見されると「絶望」と言われなくなるのはなぜ?

山や海で行方不明になり、生存の可能性がほとんどなくなった場合に 「絶望」と言われることがあるが、 遺体が発見されると「絶望」と言われなくなるのはなぜか?

完全に希望がなくなった状態は「絶望」と言わない?

……ということは、 「絶望」だからといって希望が完全になくなったわけではないわけか?

2000-11-13 (1) 03:12:00 +0900

更新記録 --- 「すのものの自作壁紙」にバックグラウンドをつける

奥村さんの「いろいろ」で取り上げられていたのを見て、 「すのものの自作壁紙」 に置いてある方眼紙の壁紙を改変して HTML のバックグラウンドにも使えるような色の薄いものを作ろうと思ったが、 どのくらいの濃さにしたらいいかは個人的な好みがあってむずかしそう。 というわけで、一つ適当に作ったものをそのページのバックグラウンドにして “こんなふうにでも使ってください”ということにした。 こうやってバックグラウンドにする案は家族からも出ていたのだが。

2000-11-13 (1) 03:04:00 +0900

「聖書の略号」を作ってみて、途中であまり意味がないことに気づいた

あれを作り始めたのは、 聖書からの引用を行なう際に 「賽66.24」「Is 66.24」などと書けば簡潔だと考えたからなのだが、 「イザヤ 66.24」と書いてもそれほど字数は増えない。 略号を使うのは引照などで少しでも字数を減らしたい場合だろう。 「テサロニケ人への第二の手紙」などは長いので少し短くしたくもなるが。

しかし、「使徒行伝」が「文語訳」「口語訳」「共同訳」「新共同訳」 ですべて略号が違うとは……。 (順に「徒」「行」「使徒」「使」。)

2000-11-11 (6) 02:42:23 +0900

更新記録 --- 「聖書の略号」にアルファベットによる略号が加わる

本文ナシ。

2000-11-11 (6) 02:29:00 +0900

去年は Y2K で流れた大晦日から元日にかけての催し物が今年は増えそうだ

「オーケストラ・アンサンブル金沢」は「カウントダウン・コンサート」 と銘打って 12 月 31 日 22 時から 1 月 1 日 1 時までコンサートを開く。 昨年も同じような計画を立てたがいわゆる 2000 年問題で取りやめた、 ときいたことがある。 よそでもそうやって企画が流れたところが多くあっただろう。 今年はその“リベンジ”もあって、このような催し物が多くなるような気がする。

2000-11-11 (6) 02:00:00 +0900

更新記録 --- 最初のページの簡潔な自己紹介に筆を加える

最初のページに

「すのもの」は私がパソコン通信 PC-VAN で使っているハンドル(仮の名前)です。 使いだした日は定かではありませんが、90 年 02 月 01 日には使っていた記録があります。

とあったのを

「すのもの」はパソコン通信 PC-VAN で私(ID ZEM97513) が使っていたハンドル(仮の名前)です。 使いだした日は定かではありませんが、 1990 年 02 月 01 日には使っていた記録があります。 なお、PC-VAN でこの ID を使っていた「すのもの」のホームページはここと 「すのもののホームページ入り口」 以外には存在しません。

と加筆修正。

2000-11-11 (6) 01:51:00 +0900

2000-11-05 (0) の日記 --- Pボタンがはいらないマシンでバーチャ3を

ダイエーのおもちゃ売り場わきのゲームコーナーに 「バーチャファイター3」があるのを発見。 しかも2ゲーム 100 円だ。 つられてやってしまったが、 なんとPボタンがはいったりはいらなかったり。 よほど古い機械のようだ。

「1」の時代からのマイキャラであるウルフを選んだのだが、 ジャイアントスイングも当然出たり出なかったり。 Gボタンははいるわけだから、 投げるかと思うところでガードする。 あっさり3ステージ目あたりで負けてしまった。 しかたなく、なんとなく、もう1ゲームは葵ちゃんを。 選んでから、下段回し蹴りならPボタンが不要だ、と気づいた。 ひたすら「↓K+G」を連発。 それがなんと、8ステージまでクリアし、 デュラルとの対決となってしまった。 対デュラル戦も結構うまく行き、CPUと2ポイントずつ取って最終セットへ。 「もしもこれで勝ってしまったら今までいろいろな技を出して苦労していたのはなんだったんだ?!」 と思ったところで3ポイント目を取られてゲームオーバー。 うちへ帰ってから攻略本で調べたら 葵ちゃんの「↓K+G」は「草薙」というのだった。

ちなみに、 サターン版の「1」はサラでプレイ中。 自分の髪型に合わせてウルフ→ラウ→サラと変わっている。 そのうち全部剃ってデュラルにしようか(笑)。

2000-11-06 (1) 03:14:05 +0900

クイズ>これはなんでしょう?

ソースファイルを見ないであててください。

2000-11-05 (0) 14:10:30 +0900

一部修正を施したが、 修正内容を書くと答えがわかってしまうかも知れないので、 コメントとして記すことにした。

2004-05-02 (0) 15:05:54 +0900

<OBJECT> ... </OBJECT> を使うとページ内に別ページが置ける

HTML には C の #include みたいなものはないのかな、 とずっと探していたのだが、 OBJECT というのが見つかった。 これを利用すると、 HTML 文書の中に HTML 文書を置くことができる。

こんな感じ。 この中に URI とかメールアドレスを書いて各ページの一番下に置けば、 どのページを見た人にもそれらが見えて、 サーバが変わったときの変更も簡単、 と思ったのだが、対応していないブラウザがあるようだ。 なお、自分自身を置いたページを読み込もうとするとブラウザがハングする。

2000-11-01 (3) 02:20:45 +0900

更新記録:「聖書の略号」、一応完成

表の上での一行はソースでも一行にだらだらと書いていたが、 それを改め、一項目一行として、コメントを入れた。 入れすぎてロードに時間がかかるかもしれない。

この作業は AWK とかでもできるのかもしれないが、 素朴に vz エディタで行なった。 「多く学べば体疲る」(伝道之書 12.12)

2000-11-01 (3) 02:11:40 +0900

更新記録:自作壁紙のページを作る

何を思ったか、 きのうきょうと数枚の壁紙を自作した。 それらを記録とともにまとめて 「すのものの自作壁紙」に。

2000-10-30 (1) 02:43:00 +0900

新しいエルサレム(黙示録第 21 章)には死がないから、自殺は不可能か?

悲しみも嘆きも労苦もないから自殺する必要はない? でもそれでは息がつまりそうな気がする。

2000-10-27 (5) 03:06:10 +0900

仮に西暦が“正しい”としても今年はキリスト降誕 2000 年ではないはずだ

仮に西暦が“正しく”イエスの誕生の年を 1 年としているとしても、 まだ 1999 年しか経っていない。

2000-10-27 (5) 03:00:24 +0900

(仮称)「聖書の略号」[“暗号”ではありません]のページを作り始める

突然、前からやりたいと思っていた、 「聖書の略号」のページを作り始めた。 いろいろな聖書における、各書の略号を集めようと思うのだ。

まずは文語訳だが、字体もなるべくそのまま、と思うと結構疲れる。

2000-10-26 (4) 01:45:35 +0900

「水にはいっても溺れない」と違って「火にはいっても焼けない」は死ぬかも

これこれをすれば 「水にはいっても溺れない、火にはいっても焼けない」 などとよく言うが、 前者は「死なない」と言っているのに対し後者は 「死なない」かどうかは何も言っていない。 死ぬことは死ぬけれど焼けない、のかも知れない。

もしそうだとすると火葬できなくて困るかも。

2000-10-25 (3) 02:24:47 +0900

ヨハネ伝>復活のラザロは腐敗が始まっていたのだろうか?

ヨハネ伝第11章。 マルタは「主よ、彼ははや臭し、四日を経たればなり」 と言うが、「布にて足と手とを巻かれたるまま出て来る」 と記されたラザロはそのとき腐敗が始まっていたのだろうか?

いろいろ考えてみた。

などなど。

2000-10-25 (3) 02:17:42 +0900

サムエル後書第9章のメピボセテと八犬伝第百四回の上甘理墨之介弘世の類似

前の為政者の子孫である点のみならず、 どちらも「あしなへ」と記されているところまで共通している。

2000-10-25 (3) 01:36:25 +0900

「日本式ローマ字」は「にほんしき〜」でなく「にっぽんしき〜」らしい

massangeana 氏の「いろいろ」に 《日本式ローマ字は「にっぽんしきろーまじ」と読むのだと思っていたが》 という話が出ていた。 私は「にほんしき」だと信じて疑ったこともなかった。 「日本式家屋」が「にほんしき〜」だからだろうか。

田丸卓郎「ローマ字國字論」(復刊、1980, 岩波書店) にローマ字で書かれていないかとぱらぱら見たが見あたらず。 この「運動の記念碑的著作」(同書の新聞広告より)なのだが。 田丸卓郎「ローマ字文の研究」(第九版、1981, 日本のローマ字社) の付録 Kantanna Bunpô-zibiki を見たら -siki(式)のところに「nipponsikino Tudurikata.」 という例文があがっていたから、 多分「にっぽんしき」が“本家”なのだろう。

では服部四郎氏の「新日本式ローマ字」はなんと読む? 私はどうしても「しんにほんしき」と読んでしまう。 NHKでやっていた「新日本紀行」の影響だろうか?

2000-10-25 (3) 00:17:06 +0900

最近またバッハの無伴奏チェロ組曲を聞いているが第6番は聞いた記憶が薄い

Prélude が途中からバグパイプの音楽に聞こえてきた(笑)。

2000-10-24 (2) 02:23:48 +0900

2000-10-17 (2) の日記 --- 「修羅覇王靠華山」「崩撃雲身双虎掌」が出せた

未明、 FIGHTERS MEGAMiX のトレーニングモードでアキラの 「修羅覇王靠華山」「独歩頂膝」「崩撃雲身双虎掌」が出せた。 「独歩〜」は前にも出たが、あとの二つは初めてだ。 「崩撃〜」は最後の「↓←or→P」を入れたつもりはないのに出た。 コントローラがへたっているせいかも知れない。 バーチャ1ではデュラルで心意把を出そうとするとジャイアントスイングが出たりするぐらいだから。

2000-10-24 (2) 02:23:01 +0900

文語訳>読んでいて誤植でないか気になってしかたがない

なまじ複数の版をもっているためだ。 内容に集中できない。 愚かなことだ。

2000-10-23 (1) 22:55:47 +0900

金沢の公共交通の実験 --- バス+歩行者天国、パーク・アンド・ライド

先週の日曜日の話。

石川県都市計画課、金沢市交通政策課を 「お問い合わせ先」にしたチラシ 「出かけよう、まちへ! 考えよう、バスの魅力!」 には「香林坊〜片町」の「バス+歩行者天国」は 「15日(日)」の「11:00 〜 18:00」と書かれていたが、 実際には17時すぎに「歩行者は歩道にあがるように」 との注意がラウドスピーカーから流れていた。 歩行者天国の部分に出ていた出店をかたづけるための自動車がはいるためらしい。 この「〜 18:00」は歩行者に対してではなく、 自動車の運転者に対して「その時刻までは通れませんよ」という意味だったのか。

同じチラシには「パーク・アンド・ライド」のモニター利用者募集も出ていた。 これは町中へ向かう自家用車の人に郊外の駐車場でバスに乗り換えてもらうものだが、 今回は実験のためか「駐車場無料」のうえ 「往復のバス回数券(片道 270 円券 2 枚)を無料進呈」だそうだ。 その駐車場のごく近くに住んでいて自家用車をもっている人は、 自家用車を駐車場に“預けに”行けばバス回数券がもらえたわけだ。 しかもこの実験は10日(火)から15日(日)までの6日間もあった。 うまく使えば一週間、無料で町中まで通えた人もあったかも知れない。 (「駐車場位置図」を見ると、駐車場の外にバス停が書かれているので、 車を預けたら必ずバスに乗らねばならない、ということではなかったのかも知れない。 もしそうなら、一人が預けて回数券をもらってバスには乗らずにすぐに車を出し、 また別の一人がその車を預けて回数券をもらう、とすれば、 運転免許をもっている家族の分だけ回数券をもらうこともできたのか?!)

注) 石川県都市計画課、金沢市交通政策課の“ホームページ”として http://www.pref.ishikawa.jphttp://www.city.kanazawa.ishikawa.jp があがっていたが、 アドレスからもわかる通り、これらは石川県と金沢市のページである。 そこからリンクをたどってゆくとこれらの課にたどりつける(のかも知れない)。

2000-10-23 (1) 22:33:38 +0900

日本人はどんな英単語の発音を誤りやすいか、はどんどん変化する

先日、ちょっと前に録音したラジオの英会話を聞いていたら、 virtual の発音が「バーチャル」にならないように、 と言っていた。 (後半は「チュアル」のように発音するのが正しい。)

「バーチャル」が広辞苑に載ったのは第五版からだから、 日本語にはいったのは比較的新しいと言ってよいだろう。 それまでは「バーチャル」につられて virtual の発音を誤ることはありえなかったわけだ。 英語を教える人は、新語に敏感であり続けなければならないだろう。 また、反対に、若い人が知らないような古いことばを注意しても意味がない。

2000-10-23 (1) 22:16:16 +0900

TVアニメ「ちびまる子ちゃん」中のカレンダーの休日は当時に合わせてある

TVアニメ「ちびまる子ちゃん」 で部屋にかかっているカレンダーは必ず放映月のものだ。 しかし、描かれているのが二十年ほど前の世界であるためか、 22日放映分で写ったカレンダーは9日ではなく10日が赤くなっていた。

2000-10-23 (1) 21:45:53 +0900

zoo を「ぞお」と読んで「象」のことだと思っている人はいないだろうか?

確かに zoo には象がいることが多いけれど。

2000-10-23 (1) 21:37:53 +0900

かな入力にめげて、別マシンでTコード入力しフロッピーで運んでいる

全部のキーをフルに使う「かな入力」にはつらいものがあるので、 PC-9801VX でTコード入力をし、フロッピーで Win95 マシンに運ぶことにした。 矢内原先生の文章の引用の途中からそうしている。

2000-10-23 (1) 03:05:31 +0900

ヨハネ 11.9 で「十二時」あるいは「十二時間」あるのは昼? 一日?

文語訳は「一日は十二時(じふにとき)あるならずや」、 口語訳は「一日には十二時間あるではないか」、 新共同訳は「昼間は十二時間あるではないか」。

United Bible Societies のギリシア語新約聖書の巻末付録 Dictionary で「時」「時間」の原語 ho:ra を見たら“日の出から日の入りまでの十二分の一”と書いてあって納得。 これが正しければ文語訳と口語訳の「一日」は誤訳だ。 英訳の the day につられたか?

実は、調べてみるまで、 「もしかしたら当時は一日を十二に分けていて、 文語訳の『時』というのはいまの『時間』とは違うものでは?」 と思っていた。 前に「文語訳は共観福音書とヨハネ福音書とで時刻の訳しかたが違う?」 (2000-06-14 (3) 00:27:44 +0900 づけ) に書いたようにヨハネ伝の訳文だけが原文の時刻制度をそのまま残しているのは、 もしかしてこことの関連? と思ったが違ったわけだ。

1.39 《時は第十時ごろなりき》に「今の午後四時頃ならん」、 4.6 《時は第六時頃なりき》に「今の正午頃ならん」、 4.52 《昨日(きのふ)の第七時に》に「今の午後一時頃ならん」、 19.14 《時は第六時ごろなりき》に「今の正午頃ならん」 と訳注がついていることから考えればわかることだった。

いやしかし。 広辞苑第五版で「一日」をひくと 「朝から夕までの間」という意味も出ている。 「一日一夜」という語を「一昼夜」と説明してあるのはこの意味なのかも知れないが、 用例がないのでいつごろの用法かはわからない。 岩波古語辞典では「一日一夜」に同じく「一昼夜」という説明をつけ、 源氏物語「御法」の巻の用例が出ている。 現代語では「一日」にこの用法はあるまい、 と思ったら、新明解国語辞典第五版、岩波国語辞典第四版には出ていた。 しかし、昼だけが活動できる時間だった時代の名残りとも思える。

2000-10-23 (1) 02:43:17 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-10 (3) 00:57:54 +0900

「天皇を中心とする神の国」発言と矢内原忠雄先生の「日本の傷を医す者」

例の「天皇を中心とする神の国」発言について聞いたとき、 矢内原忠雄先生の書かれた文章の一節を思った。 しかし、出典が思い出せなくて、ここに書けなかったのだが、 やっと見つかった。 「日本の傷を医す者」(キリスト者の信仰 V「民族と平和」岩波書店 1982) の「六」であった。

私は訴へます。 私は天皇に訴へます、 陛下よどうぞ聖書をお学び下さい。 基督教の聖書の真理を学んで下さい。 之は陛下の御悲しみと御苦しみとを医す薬であります、力でございます。 そして日本の国民に希望を与へて、 今日の苦難の中から再び復興する力を与へるものは、 此の聖書の真理でございます。

(中略)

聖書をお学びになれば、 陛下御自身の御心が平和を得、 希望を得、 勇気を得、 頼り所を得られます。 陛下に洗礼を御受けなさいとか教会にお出でなさいとか、 そんな事を私申すのではありません。 陛下を基督教徒にしようといふのではありません。 けれども聖書を学んで頂きたい。 それがやがて国の復興の模範となり、 基礎となるのであります。 遠き昔伝はつたところの仏教を日本の皇室が信ぜられて、 どれほど美しい果を結んだか。 そのために日本の国体は少しも汚れないのみならず、 如何に美しい果を日本の歴史の上に結んだか。 神が陛下に聖書をお学びになる絶好の機会を、 今提供してをられるのであります。

そしてこのあと、《私は日本国民に訴へます》と文章は続く。

2000-10-23 (1) 00:35:43 +0900

文語訳 1982 年版>民数紀略 22.30 「バラムにこたへて否と言ふ」は誤植

1980 年以前の版にあるように 「バラムこたへて否と言ふ」が正しいと思われる。

2000-10-22 (0) 03:49:08 +0900

ユーザ core がいるマシンを発見。コアダンプしたらちょっと恐い感じ

本文ナシ。

2000-10-22 (0) 02:53:15 +0900

電波時計の誤差は 10 万年に 1 秒というけれど、何に対して?

私が「時計が合っている」というのはNHKラジオの時報に対してだ。 ラジオの時報が合っているかどうかの議論は、 普通の生活をしている人には無意味だろう。 だから、NHKの時報が電波時計と同じ時計をもとにしているなら、 より正確な時間に対してずれがあろうがなかろうが、 それでいいのである。

ある時点から別の時点までの時間がどれだけかを正確に知りたい人には、 電波時計は必ずしも向かない。 うるう秒を勝手に修正してしまう(だろう)からである。 今までに挿入されたうるう秒の総和を表示するモード、 あるいはうるう秒をいれない何とか時刻を表示するモードがあればよいが、 そんな情報も電波に乗ってやってくるんだったっけ?

2000-10-22 (0) 02:27:38 +0900

文語訳>民数紀略 16.40 などの「外人」は「ほかの人」の意味

「外人」にはもともとは「外国人」の意味はない、 と中学高校のとき漢文の先生に教わったっけ。

2000-10-22 (0) 02:08:10 +0900

1984 年版文語訳>詩篇 137.3 「そわ」は「そは」の誤植だろう

ちょっと恥ずかしい誤植と言えるかもしれない。

2000-10-22 (0) 01:55:31 +0900

MS-IME97 でかな入力するとちょっとヘン

この MS-IME97 で変換キー(=スペースバー)を3回押すと下に候補が出るが、 番号で選ぶとその「かな」も入力されてしまう。 たとえば「3」で選ぶと「あ」も入力されてしまうのだ。 テンキーで選べばいいようだが。

2000-10-22 (0) 01:47:43 +0900

かなの長音符は「¥」キー --- ここまで小指が伸びた女子学生を思い出す

かな入力の長音符は「¥」キーだ。 遠い。 ローマ字入力の「−」ですら遠すぎると思っていたのに。

「¥」キーと言えば、 「J」 に人差し指を置いたままでここまで小指を届かせて打っていた女子学生がいたっけ。

2000-10-22 (0) 01:39:16 +0900

1984 年版文語訳>詩篇 136.20 「パシャンの王」は誤植だろう

1980 年以前版、1982 年版は「バシヤンのわう」だ。 「わう」は「王」の字音かなづかい。念のため。

2000-10-22 (0) 00:52:36 +0900

かな入力なのにローマ字入力につられて「ん」を「んん」と打ってしまうくせ

ローマ字入力で「ん」を nn で入力するのでついてしまったくせだ。 こんなにも「いんちきローマ字」に毒されている。

2000-10-22 (0) 00:45:20 +0900

1984 年版「新約聖書詩篇つき」>各詩篇の第 1 節の節番号が篇番号の上

普通、第 1 節の節番号は章番号あるいは篇番号の下にくる。 ちょっと変。 この版は節ごとに改行しているので、 1980 年以前版における欄外の節番号見出しのようなつもりなのではあるまいか?

2000-10-22 (0) 00:30:16 +0900

文語訳>詩篇 83.9 の「キション」は「ョ」が小書きか?

1982 年版は「キシヨン」、 1980 年以前版、1984 年版は「キション」だ。 文語訳は原則として小書きを使わないようなのでちょっと不思議。

2000-10-22 (0) 00:22:22 +0900

文語訳>マタイ伝 13.30 「我かる者に」の「かる」は意味がとれるか?

前後関係から「刈る」の意味であるとわかるが、 なぜ漢字で書かれていないのだろう?

口語訳マタイ伝 6.26 「空の鳥を見るがよい。 まくことも、刈ることもせず」 の「まく」に漢字があててないのですぐには意味がとれない、 と批判していた作家がいたように記憶していたものだから。

2000-10-22 (0) 00:13:25 +0900

「癒し系(いやしけい)」と「いや重け(いやしけ)」は音が似ている

後者は万葉集最後の歌の一部。

2000-10-21 (6) 23:58:58 +0900

いま突然、かな入力をしてみようと思いたった

「学校」を gakkou と打つような「いんちきローマ字」 に手が慣れてしまうのはいやだと思っていたので。

(いわゆる)日本語入力をするときだけ 「カナ」キーを押さなくてはいけないのかと思ったらさにあらず。 「MS-IME97 のプロパティ」で入力方式を「かな」にしておけばよいのだった。

なぜか、トップだけ、ひとつ隣のキーを押してしまうのは、 むかし梅棹忠夫「知的生産の技術」 を読んでカナタイプを練習したときのなごりだろう。 そのときは6までが左手、7からが右手という分担にしていたからだ。 もう20年も前のことだが、かろうじて覚えている。 「タテイスカンナニラ」 「チトシハキクマノリレ」 と唱えて覚えているのだから邪道ではあるが。

2000-10-21 (6) 23:27:58 +0900

神尾睦(かみお・むつ)という名前の人はいないだろうか?

「紙おむつ」と同じ音。

2000-10-21 (6) 22:58:58 +0900

「コイン洗車」というのはコインで車を洗うんだったりして

ウィザードリィに出てくるクリーピングコインとかで。

2000-10-21 (6) 22:28:49 +0900

文語訳>1982 年版ルカ伝 1.72 は「を垂れ」に修正の跡あり

「我らの先祖に憐憫(あはれみ)を垂れ」の「を垂れ」。

2000-10-21 (6) 22:25:59 +0900

政府のウェブページのどこかで来年の祝日を調べられないか?

本文ナシ。

2000-10-21 (6) 22:23:29 +0900

文語訳>1984 年版新約「ペテロ後書」第 2 章第 5 節末の句点は読点の誤り

1982 年版も句点だが、 2000 年版ではなおっている。 「来らせ」の「らせ」から少し右に寄っているのが修正の跡であろう。

2000-10-21 (6) 22:16:40 +0900

2001 年 filofax diary は日本の祝日を誤って記載している

2001 年 filofax diary 添付の日本の祝日シールに関する誤り三つ」 は「2000-09-17 (0) 03:32:00 +0900」づけで書いたが、 それだけではなく、実は祝日そのものが違っているのだった。 「成人の日」「体育の日」が移動祝日になったことが忘れられている。 これはひどい。 日本語シールを添付した(と思われる) 日本総代理店 ドッドウェルマーケティング株式会社 は本体の英文を読まずに、 あるいは読めずに作業をしたと思われてもしかたあるまい。

2000-10-21 (6) 22:08:06 +0900

上のリンクはいまはった。 もともとは a href タグをおいていなかった。

2004-05-02 (0) 14:56:46 +0900

ピンボールは見立てだから、意外と日本人は得意かもしれない

ピンボールは、結局のところはボールをどこそこに「通す」とか「入れる」とか 「当てる」とかしかないのを、 何かに見立てているわけだ。 例えばこのホールに入れることをもって犠牲を捧げることに見立てる、とか。

だから、案外、 小さな山を富士山に見立てるとか言っている日本人には得意な分野なのかも知れない。

2000-10-21 (6) 21:49:58 +0900

ものを書けば書くだけ死後にごみを遺すこと

私が世を去ったあとには、この「いろいろ」も含めて、 書き散らしたものがたくさん残るだろう。 なんてばかげたことを書いていたんだ、と言われるかもしれない。 ちょっと前には、文字の読み書きはできず、 「朝から晩までそれはよく働く人だった」 という印象だけを残して死んでいった人たちが大勢がいるだろう。 その人たちのほうがよりよいものを遺していったといえるのかもしれない。

2000-10-21 (6) 21:45:14 +0900

シュルツ氏の字体を生かしたフォントをコンピュータに搭載できないか?

スヌーピーの漫画は、絵もさることながら、 シュルツ氏の手書き文字の味わいがとても素的だった。 あの字体を生かしたフォントをコンピュータに搭載できないものだろうか? もちろん、欧文以外はむずかしいだろうが。

2000-10-21 (6) 21:39:50 +0900

「根こそぎ」を「猫削ぎ」とカン違いしている人はいないだろうか?

本文ナシ。

2000-10-21 (6) 21:30:18 +0900

聖書の言葉の印刷されたものは普通に捨ててよいようだ

日本聖書協会の封筒には聖書の言葉が印刷されていたりする。 お経の場合はやたらに捨ててはいけないとかいう人もいるようだが、 聖書の場合はそういうことはないようだ。

2000-10-21 (6) 21:28:58 +0900

プロ野球界では「現代の野球」を「近代野球」と言うようである

「近代」より「現代」のほうが新しい時代を指すのが普通だが、 プロ野球に関しては「現代の野球」を「近代野球」というようである。

2000-10-21 (6) 21:26:46 +0900

日本シリーズ>オープニングの「君が代」は法律よりも長三度、高かった

今回はソプラノ歌手の無伴奏独唱だったが、 録画して手元の電子キーボードと比べて調べてみると、 「国旗及び国歌に関する法律」で決まっているのより長三度高かった。 法律では主音はニのところを嬰ヘで歌っていた。

2000-10-21 (6) 21:13:54 +0900

野球中継で単なる大逆転を「大変なことになりました」というのはやめて

ラジオの野球中継を聞いていると、他球場の途中経過を 「**球場は大変なことになりました」と告げるアナウンサがあるが、 続きを聞いてみると単に予想外の大逆転が起こっただけのことがほとんどである。 なにも大変なことではないではないか。 ルールどおりプレイを続けていて起こったことなのだから。

「大変なこと」という言葉は、 両チームの選手が大乱闘になって試合が続けられなくなったとか、 スタンドが壊れてお客が怪我をしたとか、 そのくらい大変な場合だけに使ってほしいものだ。

2000-10-21 (6) 21:05:00 +0900

2000-10-17 (2) の日記 --- 「いろいろ」ネタにした新聞をリサイクルへ

《すのものの「いろいろ「成人向け)」》およびその目次ページを作る。 本文はまだない。

「いろいろ」ネタにした新聞はしばらくはとっておく。 「読み違いでは?」などと指摘された場合のためにである。 それが少したまりすぎていたので捨てる、もとい、リサイクルへ。 その際にまた見つけたネタもある。 そのうち書く予定の「ユダヤ教の神学生」など。

2000-10-18 (3) 02:45:39 +0900

訂正>朝日新聞>「坂道を転がるように失速した」はおかしくないか?

前の 2000-10-10 (2) 02:05:35 +0900 づけのを書いたときは 「失速」を一般的に「速度を失う」の意味だと思いこんでいました。 本当は飛行機の用語です。 (そこにも補足をしておきました。)

2000-10-18 (3) 02:38:00 +0900

上のリンクはいまはった。 もともとは a href タグをおいていなかった。

2004-05-02 (0) 14:50:49 +0900

続・「細工は流々仕上げを御覧(ごろう)じろ」の前半の意味を誤解していた

前に 2000-09-15 (5) 00:33:38 +0900 づけで書いたのに補足。

「流々」を「一流」とかと誤解していたのだろうか。

2000-10-18 (3) 02:34:35 +0900

上のリンクはいまはった。 もともとは a href タグをおいていなかった。

2004-05-02 (0) 14:48:54 +0900

続・「巖丈志摩」という塾の不思議な新聞広告

前に 2000-08-26 (6) 02:15:48 +0900 づけで書いたのに補足。

これで「がんじょうじま」と読ませるらしいが、 「志摩(しま)」が連濁で「じま」となることって、あるのだろうか? 私だったら「がんじょう・しま」と区切って読んでしまうな。

2000-10-18 (3) 02:29:10 +0900

上のリンクはいまはった。 もともとは a href タグをおいていなかった。

2004-05-02 (0) 14:46:31 +0900

「ダブルの白衣」って二人羽織みたいなもの?

先日、職場の生協の入り口の、実験用白衣を売っているワゴンの前で。 一人の女子学生が「この白衣、『シングル』って書いてあるけど『ダブル』もあるの? それって二人羽織みたいなもの?」 と、仲間の女子学生たちにすばらしい天然ボケをかませていた。

「二人羽織(ににんばおり)」は広辞苑第五版には出てないや。

2000-10-16 (1) 23:50:00 +0900

ビニル vs ビニール --- 「ビニル」は化学用語だったのか

小学校のときの理科の教科書がビニールのことを 「ビニル」と書いていておかしいなと思ったものだが、 広辞苑第五版によると「ビニル」は化学用語だった。

2000-10-16 (1) 00:43:40 +0900

革しおり>台紙つきのビニール袋にはいったのは買わないほうがよいようだ

革製のしおり集めもちょっとした趣味にしているのだが、 台紙つきのビニール袋にはいって売られているものは買わないほうがよいようだ。 裏側がどうなっているか見えないから。 表はきれいでも裏はちょっと、というのがときどきある。

2000-10-16 (1) 00:42:30 +0900

うちの Win95 マシンの“文字化け”、一部なおる

Outlook Express の 「ツール」「オプション」「読み取り」「フォント」で 「日本語」の「プロポーショナルフォント」を「MS ゴシック」から 「MS Pゴシック」や 「FA ゴシック」にしたらメールツールの字化けは直った。 が、メモ帳は化けたまま。

「コントロールパネル」の「フォント」を見たら、 やはり「MS ゴシック」の 12 ポイントが化けているようだ。

2000-10-16 (1) 00:39:00 +0900

24時制は「文語」で12時制は「口語」である

宅配便のテレビコマーシャルを見ていたら、 お客が配達時間帯を「2時から4時」 と口頭で指定しているのに対し業者は「14時から16時」 に印をつけていた。 (記憶で書いているので細かい点は違うかも知れないが。)

『24時制は「文語」で12時制は「口語」である』 とも言えるのではあるまいか。

私はメモや掲示はすべて24時制で書くが、 口で言うときは12時制で言うことが多いようだ。

2000-10-15 (0) 14:55:20 +0900

冗談>数詞改革試案 --- 「万垓」「億垓」「兆垓」「京垓」「垓垓」を導入

「一」「十」「百」「千」の次は「万」にそれらがついて 「一万」「十万」「百万」「千万」となり、 次は「億」の前について 「一億」「十億」「百億」「千億」となる。 「億」の次は「兆」、その次は「京」、その次は「垓(がい)」……、 と続く。 これらをずっと覚えておかなくてはならない。 「10 の何乗」と言う方法もあるけれど。

「万」は 10 の 4 乗、 「億」は 10 の 8 乗、 「兆」は 10 の 12 乗、 「京」は 10 の 16 乗、 「垓」は「10 の 20 乗」である。 今はそんな言い方はないが、もしも仮に 「万垓」で「10 の 24 乗」を、 「億垓」で「10 の 28 乗」を、 「兆垓」で「10 の 32 乗」を、 「京垓」で「10 の 36 乗」を、 「垓垓」で「10 の 40 乗」を現すと決めたらどうだろうか? ほんとうは別の名前があって覚えなければならないところを、 「垓」までの数詞の組み合わせで済む。 この先は 「万垓垓」で「10 の 44 乗」を、 「億垓垓」で「10 の 48 乗」を、 「兆垓垓」で「10 の 52 乗」を、 「京垓垓」で「10 の 56 乗」を、 「垓垓垓」で「10 の 60 乗」。 「万垓垓垓」で「10 の 64 乗」を、 「億垓垓垓」で「10 の 68 乗」を、 と決めてゆく。 「垓垓垓垓垓」は「10 の 100 乗」だ。 「無量大数」が 10 の 68 乗あるいは 10 の 88 乗だそうだから、 こんな数はめったに出てこないだろう。 少々長い名前だが無茶ではないと思う。 いくら長くなってもいいというのなら、これでいくらでも続けられる。

「垓」という字はなじみがない、というなら 「京」までを使うことにし、 「京京京京京」で「10 の 80 乗」となる。

西欧語でも同じようにできるはずだ。

……っていい考えだと思ったんだけど、 大きな数詞を覚えていないときに 「一京の一京倍」 とかいうのと同じこと。

それから、 このやり方で大きな数を「言える」のは確かだけれど、 そうやって「言った」数が間違いなく一通りに解釈できるだろうか? 多分 OK だと思うけれど。 文字列から数に変換するプログラムを書いてみせればベスト。

さらに言えば。 「垓」なんて見たことない。 こんな大きな数はまず出てこないんじゃないかな? だからいまのままで困らない。

2000-10-10 (2) 03:44:15 +0900

清酒大関 「美空ひばりメモリアル 愛蔵ボトル コレクション」の新聞広告

1日づけ朝日新聞大阪本社版家庭面の下に 「清酒大関」(これが会社名だろうか?)の 「美空ひばりメモリアル 愛蔵ボトル コレクション」の広告が出ている。 確か前にも見て、 明らかに未成年のころの写真がラベルに使われているので「おや」 と思ったものだが、 この広告にはやや小さめの字で 《HIBARI Memorial Collection では、 美空ひばりさんの 20 歳以前の写真使用していますが、 本商品は未成年を対象にしたものではありません》 とある。 「写真使用していますが」は普通は「を」をいれて 「写真を使用していますが」とするところではないか?

そのあとには 《世紀の大きな節目に 13 回忌をお迎えになる美空ひばりさんを偲び、 偉大な生涯をたどるという主旨に基づいたものであり、 その必要上からの使用であることを、予めお断りいたします》 と続くが、 「世紀の大きな節目に 13 回忌をお迎えになる」 のが未成年時代の写真を使うこととどう関係するのかわからない。

別にいいけど。

2000-10-10 (2) 02:43:40 +0900

死刑廃止問題>終身刑は死刑より残虐か?

4日づけ朝日新聞大阪本社版社会面に 『終身刑導入/「慎重に検討」/政府が答弁書』 という記事が。 《政府は(中略)答弁書で 「死刑を緩慢に執行するようなもので、 長期間の服役によって受刑者の人格が完全に破壊されてしまうなど、 死刑よりも残虐だという意見もあり、 慎重な検討が必要だ」との見解を明らかにした》 とある。

判決は「死刑または終身刑」として受刑者に選ばせたらどうか、 というのは前に書いたような気がする。 ほかに、終身刑をすでに導入している国の例はどうなのだろうかとか、 死刑制度で問題になっているのは残虐性だけでなく裁判が間違っていたとあとからわかった場合の問題もあるとか、 もしも残虐ならそのほうが抑止力になるのではないかとか考えたが、 ある人と話していて気づいた点: もしそうなら死刑判決を下してから何年も執行しないのは 「死刑を緩慢に執行するようなもの」で残虐なのではないか?

2000-10-10 (2) 02:28:35 +0900

年齢のとなえ方>朝日新聞>「八日が誕生日の小久保は二十九歳」

8日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面のダイエー優勝関連の記事 「松中 柱に打ち勝った」に 《八日が誕生日の小久保は二十九歳》とある。 「セーフ アウト」には 《八日の二十九歳の誕生日を自ら祝い》 とあるから優勝を決めた七日の試合の時点で法律上は二十九歳。 そう考えて書いたのか、 単に8日づけ新聞に載るからそう書いたのか。

2000-10-10 (2) 02:13:30 +0900

朝日新聞>「坂道を転がるように失速した」はおかしくないか?

9日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面 「関西3球団 ミレニアムの迷走」(上)の中に 《(前略)阪神はさらにひどく、 四月に首位に立ったものの、 坂道を転がるように失速した》とある。 普通は、坂道を転がると加速するように思えるが、 ここでは坂道を上へ転がっていたので、重力の影響で失速したものと思われる (なーんちゃって)。

2000-10-10 (2) 02:05:35 +0900

上の文章を書いたときには 「失速」を一般的に「速度を失う」の意味だと思いこんでいました。 本当は飛行機の用語です。

2000-10-18 (3) 02:38:00 +0900

文語訳>詩篇第 141 篇第 5 節から第 7 節は意味がよくとれない

King James Version とほぼ一致するようだ。 口語訳、新共同訳、みんな違う。 と思ったら、 岩波版の注によれば「おそらく原文の破損」。

2000-10-10 (2) 01:21:00 +0900

ケースに独英仏語で「リブレットつき」と書いてあるが歌詞対訳は独英のみ

ブーレーズ盤のベルク「ルル」(輸入盤)。 あらすじなどは英独仏語で書いてあるのに。 仏語訳はあっても読まないから関係ないが。

2000-10-10 (2) 01:09:30 +0900

日本国憲法の条文のうち、現在となっては時代遅れのもの

終わりのほうの経過規定など。当たり前か。

2000-10-10 (2) 01:05:30 +0900

「門構え」を略して書くと「問」が「同」に似てしまう

漢字を手書きするとき、 くずし字の書けない私は活字体のとおりに写すのだが、 門構え(「門」)だけは

+--|--+
|     |
|     |
のように書いていたことがあった。 これは多くの人がやっていることだと思う。

しかし、 こうすると「問」が「同」と似てしまう欠点がある。 これを見誤ったのか、 「問題」を「同題」とした誤植が 雑誌「文庫」(岩波書店)の 1960 年 9 月号 9 ページ中段に見つかった。

新字になってから「字」と「学」が似た字体になったため 「文字」と「文学」が見わけにくい、という話は読んだことがある。 それと似ている。

2000-10-10 (2) 00:38:55 +0900

Beethoven 第九>第二楽章のトリオではトロンボーンが加わる、という説明

ベートーベンの交響曲第9番の楽器編成について、 “第一楽章はこれこれ”と書いたあとで 「第二楽章のトリオでは3本のトロンボーンが加わる」 と説明することがあるが、 だったら「第二楽章のトリオではティンパニは休む」 もつけ加えないと。

そう思って、ほんとにこう書いてあるのをさがしたが見あたらず。

2000-10-08 (0) 02:38:00 +0900

日本語辞書>「気の利いた」が出ていない

「気」のところに「気が利く」は出ており、 「気が利いた〜」という例文もあがっているが 「気の利いた〜」という言い方が載っていない。 広辞苑第五版も新明解国語辞典第五版も。

2000-10-08 (0) 02:31:00 +0900

FIGHTERS MEGAMiX>パイ・カゲ・サラ・ジャッキー・リオンは壁に登れる

バイパースには壁に登れるキャラが多いが、 パイも登れることに今ごろ気がついた。 壁の上から CPU キャラに飛燕鷹蹴を当てたりするととっても楽しい。 バーチャキャラでは軽量級だけが登れるのか? と思ったがジャッキーも。 個人的にはウルフも登れて欲しかった。

2000-10-08 (0) 02:24:00 +0900

改元があると暦や占いの本は作り直し?

「平成13年版」という暦や占いの本を本屋などで見かけるようになったが、 「昭和64年版」というのは平成元年にも有効だったのだろうか? また、有効かどうかはどのくらい一般に知られているのだろうか?

2000-10-08 (0) 02:06:00 +0900

改元があると新年になる?

昭和から平成に改元されたとき、 「年が改まった」と考えたのか「あけましておめでとうございます」 と書いている人を見たような気がする。 呼び名が変わっただけなので、それはおかしいと思う。

2000-10-08 (0) 02:02:00 +0900

学生による授業評価は、授業終了後何年か経ってからやると結果が違うかも

数学のように後で習う科目が前の科目の知識を前提としている場合、 誰が講義してもあまり面白くない、 下積みのような科目ができてしまうことがある。 その授業の終了直後に学生に授業評価させて“正しい”評価がなされるには、 学生が先の科目のことまで知っていなければならない。 そういう大学ばかりではないので、 2年の科目を3年終了時あるいは4年終了時にもういちど評価させるとか……。

2000-10-08 (0) 01:53:00 +0900

こち亀>「違法駐車0!」というポスターが出てきたが、「0!」は1では?

10月1日放送の、カラスと対決する話。 ストーリーとは関係なく、ちらっと写る。

2000-10-08 (0) 01:44:00 +0900

「エリア別」と「エリサベツ」は音が似ている

エリサベツはバプテスマのヨハネの母親の名前。

2000-10-08 (0) 01:43:00 +0900

「ローマ字」とはラテン字母のことか、それで日本語を書くやり方のことか

massangeana 氏の10月2日づけ 「いろいろ」 で、 新聞などは「ローマ字で日本人の名前を書くときに姓を先に書く」 といっているが国語審議会の試案を読むと本当は 「英文の中に日本人の名前を書くときは」 といいたかったのではないか、という指摘がなされている。

前から気になっていたことだが、 「ローマ字」という言葉には「ラテン字母」という意味と、 それで日本語を書くやり方、という二つの意味がある。 広辞苑第五版、 岩波国語辞典第四版は後者は載せていないが、 新明解国語辞典第五版は載せている。

私は後者のことを単に「ローマ字」とは呼ばないよう注意しているつもりだ。 これらの混同の歴史も調べてみると興味深いかも知れない。

2000-10-04 (3) 01:52:00 +0900

日本放送協会はなぜ「日放協」とか略されずに「NHK」になった?

ずいぶん昔から「NHK」と言われているようだが、 「こんな横文字はわけがわからないよ」 なんて言われたりしなかったのだろうか?

2000-10-04 (3) 01:10:00 +0900

「上半身裸の男」だと下半身は何かを着ていたように思えるのはなぜ?

本文ナシ。

2000-10-04 (3) 01:07:30 +0900

Win95 のマウスの設定の「右きき用」「左きき用」はおかしくない?

問題はマウスを右手で使うか左手で使うかだけであって、 きき手とは関係ないだろう。

もちろん、右手用に設定しておいて左手で使うのが使いやすい、 なんてこともあるだろうがそれはおいておくとしても。

2000-10-04 (3) 01:06:00 +0900

プロ野球>「9回終わって同点」は先攻のビジターチームの勝ちとしては?

野球というのは、元々は時間制限のないゲームだったのだと思う。 勝負がつくまでいつまでも延長戦をするのだ。 これと「遠くへボールを飛ばせば飛ばすほど評価される」 というのが野球をアメリカらしいスポーツにしていると思うのだが、 お金をとって試合を見せるプロ野球の場合、 いつまでも延長戦をするのは不可能だろう。

それで十何年か前にふと思ったのだが、 「9回終わって同点」だったら先攻の勝ち、と 決めておいたらどうだろう? 一年間に100試合以上を行ない、 先攻と後攻はほぼ半々になるように決められているから、 これで不公平はない。

後攻の勝ちと決めてもいいのだが、 先攻はビジターチームなので応援が少ないことが多く、 後攻のホームチームは球場に慣れている、 と考えるとこのほうが自然なハンディキャップといえるだろう。 また、 同点は後攻の勝ちと決めると、 9回表を終わって同点の場合、 従来は行なわれた9回裏の攻防なしで後攻の勝ちとなってしまい、 お客さんが「損した」と感じるかも知れない。

このルールだと、 2点を追っての9回裏の攻撃で満塁となった場合、 セカンドランナーまでは生還しても先攻の勝ちだが、 ファーストランナーが帰ると後攻のサヨナラ勝ちとなる。 「同点のランナー」というのはなくなるのでセオリーが変わってくるわけだ。 (それがいいかつまらないかはよく考えていない。)

そのほかにも、 完全試合をやったのに「負け投手」になるケースとかが出てくる……。

2000-10-04 (3) 01:03:03 +0900

朝日スポーツ面>もう可能性はゼロなのに「ハムV絶望」はヘンでは?

10月2日の朝日新聞大阪本社版スポーツ面に 「ハムV絶望」という小さな記事。 本文には《かすかに残っていた優勝の望みが消えた》 とあるが、 可能性がゼロになったのかそれとも非常に低くなったという意味なのか不明。

計算してみると、ダイエーが残り試合を全敗し、 日本ハムが全勝したとしても優勝できない。 そういうときに「絶望」というだろうか?

2000-10-04 (3) 00:48:00 +0900

朝日スポーツ面>《いいんですか?」。》の「?」と「。」のダブリ

10月2日の朝日新聞大阪本社版スポーツ面 「鳥越サヨナラ打」に 《こう返した。「決めていいんですか?」。とぼけてみせたが》 とある。 疑問符、カギカッコ閉じ、句点と並んでいいものだろうか?

2000-10-04 (3) 00:42:05 +0900

金銭の授受を逆にした“逆宝くじ”は期待値ではもうかるはずだが

10月2日の朝日新聞大阪本社版にロトシックスとかいう宝くじの広告が出ている。 1口200円だそうだ。 「1億円アタリのポーズ」 「1億円ハズレのポーズ」 という写真とイラストの合成が出ているが、 「1億円ハズレ」といったって1億円すってしまうわけではあるまい。

この宝くじの広告は京都のバスの中でも見たのだが、 そのとき“逆宝くじ”というのを考えついた。 普通の宝くじは何百円か出して買い、 当たれば上は一億円ぐらいもらえるのだろうか。 はずれれば何ももらえないだけのことだ。 このお金の受け渡しを反対にする。 つまり、“買う”ときに何百円かがもらえる。 で、一番の大当たりの人は一億円払わなければならない。 「こんなの誰がやる?」と思うかも知れないが、 普通の宝くじでは賞金の期待値は買うときの値段より低くなっている。 だから期待値でいえば買う人は損をする。 よって、この“逆宝くじ”は買う人が得をするのだ。

でも、こんなの当たっても誰が申し出るものか、 と言うだろうけど、 “買う”ときに住所氏名を明かさなければ買えず、 当たって逃げれば指名手配になってしまう、とかすれば。

2000-10-04 (3) 00:37:26 +0900

朝日社説>《かもめは鴎、鴎もかもめ》は中島みゆきの曲にひっかけてある?

10月2日の朝日新聞大阪本社版社説の見出し。 一つめの「鴎」の左半分は「區」、 二つめの「鴎」の左半分は「区」だったのだが、 JIS はこの二つを区別しないので上では同じ漢字をいれてある。 “合字”で表現すれば《かもめは區鳥、区鳥もかもめ》。

これは中島みゆきのアルバム「御色なおし」の最終曲「かもめはかもめ」 にひっかけた見出しなのだろうか?

2000-10-04 (3) 00:24:55 +0900

1982 年版文語訳>ルカ 11.42 「芸香(うんこう)」の「芸」の字体は細め

……に見える。 ちなみに、この字は「芸術」の「芸」とは別の字だが、 JIS では別のコードがあてられていない。

2000-10-02 (1) 02:25:00 +0900

文語訳>ルカ 8.43, 45 の注は本文と文字づかいが違っている

1980 年以前版、1982 年版は同じように違っている。 1984 年版は前者のみ違っている。

2000-10-02 (1) 02:10:00 +0900

1982 年版文語訳>ルカ 17.37 の注の文末に句点がない

《或は「……」と訳す》のタイプの注には最後に句点をつける方針のようだが、 ここは落ちている。

2000-10-02 (1) 02:05:00 +0900

1982 年版文語訳>ルカ 21.10 の段落がえの字下げが足りない

この版では二字下げることになっているが、 一字しか下がっていない。

2000-10-02 (1) 02:03:00 +0900

広辞苑第五版>「チャコ」は「チョーク」のなまりだったのか……

charcoal かとも思っていた。

2000-10-02 (1) 02:00:00 +0900

広辞苑第五版>「ちかまわり」という語が実際にあるとは

「とおまわり」からふざけて作った語だと思っていた。

2000-10-02 (1) 01:58:00 +0900

新共同訳>詩編104.26>レビヤタンのお刺身が海の中を泳いでいる?

《舟がそこを行き交い/お造りになったレビヤタンもそこに戯れる》 の「お造り」は決してお刺身のことではない。 24 節で呼びかけた「主」が「お造りになった」のである。

口語訳は 《そこに舟が走り、あなたが造られたレビヤタンはその中に戯れる》。

2000-10-02 (1) 01:56:00 +0900

文語訳>詩篇第 119 篇の「ツァデー」はかなり特殊な音では?

ほかに「ツァ」「ツェ」「ツォ」などが使われている箇所はないと思うのだが。 King James Version でも TZADDI と、あまりほかでは見ない TZ- を使っているのと関係するか?

2000-10-02 (1) 01:43:00 +0900

文語訳>詩篇第 119 篇の「ラメテ」はなぜ「ラメデ」と濁らない?

口語訳、新共同訳は「ラメド」と濁る。 そのほうが元の発音に近いと思う。 うちにある4つの版全てで確かめたので誤植ではあるまい。 ヘブル語の入門書を見ると、 最後の子音は二つ前の「ヨーデ」の最後の子音と同じ。

文語訳は実は重訳のようなもの、 という人もいるので King James Version を見たが LAMED となっている。 ウルガタには詩篇は二つの訳が載っているが、 LAMED と LAMETH だ。 後者のような表記を見て、最後が有声か無声かわからなくて、 ということも考えられる。

「ラメデ」が日本語として発音しにくい、ということはあるまい。 「でたらめで」などの例があるから。

2000-10-02 (1) 01:39:00 +0900

国勢調査>記入例の世帯を見るといろいろ考えてしまう

世帯主の統計秋子さんは今月で58歳。 夫とは死別した。 ここには20年以上住んでいる。 娘の夏美さん(28歳)およびその夫の国勢春彦さん(30歳)と同居。 この二人が現在の住所に住んでいるのは1年以上5年未満であり、 夏美さんは5年前にはいまの場所に住んでいた。 最終学歴が短大・高専なので、 5年前の23歳のときにはすでに仕事についていたと思われる。 春彦さんは5年前には別の場所(○○県△△市)にいたそうなので、 夏美さんが家を出たのは結婚のためかも知れない。 そしてこの5年間の間に父親が死去したため、 母親の秋子さんとまた一緒に暮し始めた、と考えられなくもない。 また、春彦さん夏美さんにはこの9月に男の子が生まれているが、 名前はまだない(© 夏目漱石)。 住居は持ち家。 5階建ての共同住宅だからマンションだろうか。 その4階に住んでいる。 間取り図を見ると、 3畳の台所、10畳の居間・食堂のほかに4.5畳、 6畳、8畳の三部屋がある。 もしも秋子さんの夫の位牌がおいてあるとしたら、それはどの部屋であろうか。 そもそも方位も書いてないし、どこが誰の部屋かなどはわかりようがないか。 秋子さんの仕事は学習教材小売で、先週は30時間働いた。 春彦さんはタコ焼製造小売の有限会社「夢屋」を経営しており、 先週は56時間働いた。 その勤務先は、彼が5年前に住んでいたのと同じ 「○○県△△市」の、「××区」にあるらしい。 通勤手段は自転車と鉄道。 あまり近くはない感じがする。

以上を総合すると、 夏美さんは「××区」で会社をやっていた春彦さんと結婚。 しばらくはその近くに住んでいたが、 夏美さんの父親が死去したため母親が強く同居を希望した。 春彦さんは職場から遠くなってしまったが、 それでもがんばって働いている……、 というような事情が想像される。

(もっとほかのことを考えろ>自分)

付) 「××区」の「×」は掛け算の記号だ。 これを「バツ」に流用してよいものか?>自分

2000-10-02 (1) 01:13:00 +0900

国勢調査>事業例を見ると農業を行なう会社はないみたい

前から思っているのだが、 農業を行なう会社ってのはないのだろうか? 工場で働くのと同じように決められた時刻に出勤し、 会社が決めた通りに農作業をして決まった時刻に帰る。 遅くまで働いた日は残業手当が出る。 そういう会社でだったら農業をやってみたいと思う若者も多いのではあるまいか。

国勢調査の「事業・仕事の書き方の例」 にあがっていないからといって「ない」と決まったわけではあるまいが。

2000-10-02 (1) 00:20:00 +0900

国勢調査>「5年前どこに住んでいましたか」の回答不要ケースの不思議二つ

「5年前(平成7年10月1日)にはどこに住んでいましたか」 という質問には 「平成7年10月1日以降に生まれた人及び現在の場所に5年以上住んでいる人については記入する必要はありません」 と注がついている。 この質問は5年前の10月1日に生まれた人に対しては意味があるのに、答えなくていいのはなぜだろう?

また、 おそらく日単位で数えるので、 5年前の10月2日から現在の場所に住んでいる人は、 調査日の10月1日で5年となる。 5年前の10月1日には違う場所に住んでいたのに、答えなくていいわけだ。 これも不思議。

2000-10-02 (1) 00:16:00 +0900

国勢調査>「命名前」という名前の人はいないと仮定されているのか?

「まだ名前を付けていない新生児」は氏名欄に「命名前」と書くことになっているが、 こういう名前の人がいないことは確かなのだろうか? 名前は統計には使われないから、どうでもいいのか。

2000-10-01 (0) 23:45:00 +0900

国勢調査>「配偶者の有無」欄の「届出の有無に関係なく記入してください」

最初は『内縁とか事実婚の場合も「配偶者あり」を選んでください』 の意味だと思ったが、 「有無」に関係なく「有無」を答えるんだから4通りの可能性がある。 届け出はしてあるけど家庭内離婚中、 とかの場合は「離別」を選ぶことになるんだろう。

2000-10-01 (0) 23:30:00 +0900

広辞苑第五版>「本体 2900 円+税」のような「本体」の用法が出ていない

以前の「税抜き」「税別」に代わって最近用いられるもの。 「付録は別にして」とかいう意味ではない。

新明解国語辞典第五版には載っている。

2000-10-01 (0) 23:23:00 +0900

「オノ・ヨーコ」vs「オノ・ヨウコ」

ジョン・レノンの奥さんの名前は普通前者のように書く。 後者のように書くと別の人みたいだ。

「ようこ」がカタカナ書きで「ヨーコ」になった例。

(ここでは、姓と名の間に「・」を打つかどうかの問題にはふれない。)

2000-10-01 (0) 23:18:00 +0900

2000-09-29 (5) の日記 --- 泳ぎ納め/草刈りは欠席/メモ帳 文字化け

生協で、 前にコダックへ焼き増しに出したらなくなってしまったネガシート入れの封筒は出てきましたかと尋ねたら、 新しいのを二つ、書類受けに入れておきました、とのことだった。 それでは何にもならないのに。 問題はそこに書いた(かもしれない)メモが失われたことだ。

もう、郵便局に年賀状のポスターが貼ってあった。 12月20日までに出すと「平成13年」 という文字列を含む消印を押されてしまうそうだ。 押してから改元があっても、どうにもならないらしい。

プールに泳ぎに行く。 某学部の中庭の、鉄格子の間からはえていた草はなくなっていた。 全学の草刈り週間で刈られてしまったのだろうか。 プール入口に、今年は泳ぎにきた人が名前を書くノートが置いてある。 もう涼しいせいか、前回行ったときからあまり名前が書かれていない。 水も少し冷たく感じた。 京都では歩いてもなんともなかったが、泳いでみると右ひざの調子はよくない。 平泳ぎの際、痛くないような足の使い方を工夫してみた。 そのほうが少し速く泳げるようだ。 アブだかハチだかが水面に浮いていた。 まだ動いているのでおそるおそる水ごと外へ出してやった。 すのこの上でほんの数秒だけばたばたしていたが、飛んでいった。

きょうは恒例となっている教室総出の草刈りだが、これは欠席。 しゃがみこんで鎌でちまちま刈っている間を、 刃のついた歯車がエンジンで回る機械が通るんだから恐ろしい。 ほかのスタッフは数学者だから指の一本や二本なくなったってペンとチョークさえ持てればそれで構わないのかも知れないが、 こっちは一本でも指をなくしたら“御奉公”(=コンピュータのインストラクタ) ができなくなってしまう。 以前、しかるべき長に改善案を話したら、 秋の草刈りの際にみんなに相談してみましょうとのことだったが、 今回はそういう話は全くはなかった。 会議を休んでしまったことがあったのでそこで否決されたのかもしれない。

実習の準備は全くできず。 まだアカウントもこない。 申し込んだのが遅かったのだからしかたないが。

歩いて帰る。 日が短くなった。まっ暗だ。

Win95 のメモ帳と Outlook Express だけが文字化けする。 全部の文字ではなく、一部だけ。 「あいうえおかきくけこ」が「あクうえ言かき決け的」と化ける。 原因不明。 しかたがないのでこの「いろいろ」も DOS 窓の中で Vz を使って書いている。

2000-09-30 (6) 02:39:45 +0900

ローマ字>「ん」は大文字 N を使って「ナ行」と書き分けられないか?

ひとに説明できるほど勉強してはいないが、 「ん」は「ナ行」の子音とは別の音素、ということらしい。 だから「ほんや」を hon'ya とするのは適当でなく、 hoñya のようにしてはどうか、 と服部四郎先生は書いておられた。

しかし、この「ñ」という文字はいつでも使えるとは限らない。 メールの From に書くには ISO-8859-1 などで MIME 化しなければならないが、 そのうえで本文を iso-2022-jp で書くと送信を拒否するメーラがあるので困る。 日本語をラテン字母で書くにあたっては、 なるべくアルファベットだけを使うほうが望ましい。

「ん」は語頭には立たないから、 「語中の N は『ん』」と決めることも可能ではないか。 hoNbako は「ほんばこ」、 Nakano は「なかの」(固有名詞)。 「んあかの」ということはありえない。

(『「ん」は語頭には立たない』はちょっとウソで、 kakanai n datte 「書かないんだって」のような例はある。 これを kakanai N datte とするかどうかは別に考える。 「ほん」は hon で「ほんばこ」は hoNbako でもよい。 また、アフリカの人名で「ン」で始まるものがあったと思う。 その人が日本名として「ン………」とつけた場合にどうするか……。)

2000-09-24 (0) 00:43:56 +0900

……と考えて(公開はせずに)数日寝かせておいたが、 大文字小文字の使い分けには(ある程度) 普遍的なルールがあるのでそれで音素を書き分けようとするのは無謀だろう、 と悟った。

2000-09-30 (6) 02:12:40 +0900

トライアスロンの「トライ」はギリシア語から? ラテン語から?

1999年11月4日づけ朝日新聞(大阪本社版) 『五輪の「新しい仲間」』。 トライアスロンの説明に 《ラテン語の「3=トライ」と、競技を意味する「アスロン」の合成語》 とある。 同じような説明を最近も見た。

COD は「tri- after decathlon」と語源を説明。 tri- は「L & Gk ...」と、どちらとも明記していない。 decathlon, heptathlon, pentathlon の deca-, hepta-, penta- はギリシア語起源、 biathlon の bi- はラテン語起源だ。 (heptathlon は COD には載っていなかったが。)

「十種競技」「七種競技」「五種競技」 のように“訳される”ものはギリシア語起源、 「トライアスロン」「バイアスロン」 のように“カタカナ書き”されるものはラテン語起源?

P.S. 朝日新聞には、「アスロン」 がギリシア語だということははっきり書いてほしかった。 これではラテン語と読めてしまう。 ……と思ったのだが、athleta というラテン語の単語があるので、 ラテン語を語源としている可能性がなくもない……。

2000-09-19 (2) 01:54:10 +0900

朝日新聞>《中が透けて見える透明のシェーカー》

1999年11月5日づけ朝日新聞(大阪本社版)経済面 「気分はバーテン 自分でシェイク/居酒屋チェーンで展開 若者に人気」 にこういう句があった。

2000-09-19 (2) 01:33:02 +0900

これは、「中が透けて見える」と「透明の」で意味がダブってないか、 という意味で書きつけておいたものである(と思う)。

2004-05-02 (0) 14:36:00 +0900

岩波文庫の漱石もので小宮豊隆の解説が読めなくなったのはさびしい

1990 年ごろの改版で消えたようだ。 まとめて岩波文庫の一冊にならないものだろうか。

2000-09-18 (1) 00:23:41 +0900

円周率を 3.14 とする際の誤差は 0.05%

小学校の算数で円周率を約 3 と教えるようになるなんてとんでもない、 という話はあちこちで聞くが、 3.14 と教えるにしたって近似である。 しかし、(3.14159265359 - 3.14) / 3.14 * 100 = 0.05072145190446 だから、 この近似の誤差は約 0.05% にすぎない。 1 メートルの 0.05% は 0.5 ミリメートルであることを考えると、 ここまでの精度が要求されることは日常生活ではまずあるまい。 直径をここまでの精度で計ることは不可能だから、 それに円周率を掛けて円周の長さを出すにも円周率の精度はこのくらいで十分だ。

2000-09-18 (1) 00:09:12 +0900

2001 年 filofax diary 添付の日本の祝日シールに関する誤り三つ

ファイロファックスでは、 2001年度のダイアリーより、 従来のバイブルサイズのみに印刷されていた祝祭日表記を廃止し、 すべてのサイズにこの日本の祝祭日シールを添付ささていただくことになりました。 お手数ですが、 下記のシールをはがして該当する日にちに貼ってご使用ください。

まず第一に、「2001年度」は「2001年」の誤り。

それから、「祝祭日」という言葉が誤り。 シールに記されているのは「国民の祝日に関する法律」で決められた 「国民の祝日」および同法律で決められた(いわゆる) 「振替休日」(=国民の祝日が日曜日にあたった場合の翌月曜日) および (いわゆる) 「国民の休日」(=前日および翌日が国民の祝日にあたる日で[以下略]) だけである。 「祝祭日」というのは旧制の用語(広辞苑第五版参照)。

次に「従来のバイブルサイズのみに印刷されていた祝祭日表記」が誤り。 2000 年のバイブルサイズ「一週間2ページ 日曜―土曜」 は 2001 年版同様、日本の祝日は「丸囲みのJマーク」で表示されるのみ。 日本の祝日を漢字かなまじりで表示していたのは 1999 年版までだ。

なんだか力抜けてるなあ。 システム手帳ブームは終わった、ということか。

付1) 結局、日本の祝日はフランスの祝日なみの扱い、 ということらしい。 7月14日はフランスでは大事な日だったと思うが、 「丸囲みのFマーク」があるのみ。

付2) そのダイアリーにはいっていた紙に書いてあった URL:

後者は、 「もしこのページが読めたのであれば、 Apache ウェブサーバのインストールがこの計算機で無事に終了したことを意味します」 とか書いてあるページが出てくるのでとっても不安。

付3) 昨年のいまごろ書いた「いろいろ」も参照のこと。

2000-09-17 (0) 03:32:00 +0900


すのもの Sunomono