すのものの「いろいろ」(その28)

「次」と「次ぎ」の“誤変換”をときどき見かける

「次に説明します」は「次」だが、 「AはBに次ぎ」は「次ぎ」。 ときどき見かける。

2001-05-16 (3) 01:33:25 +0900

「お話し」と「お話」の“誤変換”をときどき見かける

「その件についておはなししていたとき」は 「お+動詞の連用形+して」だから「お話しして」だろう。 「お分けしていたとき」「お売りしていたとき」と同じ。

子どもが親などに「おはなしして」と言うときは 「おはなしをして」の「を」が落ちたものだから「お話して」だろう。

「私が以外に思ったことは」のような「誤変換」 とは違うかもしれないが、ときどき見かける。

2001-05-16 (3) 01:30:28 +0900

2001-05-15 (2) の日記 --- 久しぶりに「いろいろ」を更新

別のことに熱中していて、 約一カ月間、「いろいろ」の更新が止まっていた。 4 月 30 日づけのものは、 書きかけたのはその日だが公開はきょうになる。

メールをくださったかた、反応が遅れてすみません。

2001-05-16 (3) 01:18:03 +0900

野球>「1回と3分の0で降板」は「2回に一死も取れずに〜」の意味らしい

《「先発投手は1回と3分の0で降板」は 「2回に一死も取れずに〜」の意味? (2001-04-14 (6) 01:31:10 +0900)》 について、その通りだ、と教えてくださったかたがありました。 ありがとうございます。

ラジオやテレビで野球中継を楽しんで、 このような降板のしかたがあったら翌日の各紙を見てみます。

2001-05-16 (3) 01:16:03 +0900

上のリンクはいまはった。 もとは a href タグをおいていなかったのだ。

2004-05-12 (3) 20:40:01 +0900

各家庭に電波時計を配布すれば「毎日6時が日の出」に時計をずらすのも可能

冗談提案として、 夏時間のかわりに毎日6時が日の出になるよう毎日時計をずらしたらどうか、 と書いたが、 電波時計を各家庭に無料配布し、 夜中に電波で時計をずらしてしまえば不可能ではないと思う。

SONY から電波時計搭載のデジタルクロックラジオが 8000 円で出ている。 2000 年 11 月のカタログに出ている ICF-C255RC だ。 TV の音声や FM を受信する機能を省けば、 5000 円以下でできるのではないか。 国が日本中の世帯数だけまとめて注文すれば更に安くなるだろう。

2001-05-15 (2) 23:56:18 +0900

時計に年間の日の出・日の入り時刻を記憶させて「不定時法に帰ろう」

今の時計はアナログ式にせよデジタル式にせよ、 いろいろなデータを内蔵できるはずだ。 年間の日の出・日の入り時刻を記憶させておいて、 なんらかの方法で「不定時法」を表示させたら、 それなりの使い道があるのではあるまいか。

例えば、毎日、日の出の時刻に目覚ましを鳴らして起きるようにする、とか。 キャッチフレーズは「不定時法に帰ろう」。

本当に昼と夜の一分の長さが違うとめんどうなことが起こるので、 「毎日6時が日の出になるよう時計をずらす」 「毎日18時が日の入りになるよう時計をずらす」 ぐらいが適当かもしれない。

2001-05-15 (2) 23:46:10 +0900

時計を毎日ずらす夏時間は「うるう分」を導入すれば時刻の記録に混乱がない

東京では日の出の時刻の変化は一日あたり(確か)二分以下である。 そこで、日の出が毎日(例えば)6時になるように夜中に時計をずらしたら、 現行の夏時間と違って一度に一時間ずれないから健康への影響が少ないのでは、 と前に考えたことがあった。

この案には、それだけでなく、同じ呼び名の時刻が二つできない、 というメリットもあるのだった。 理科年表によると 1999 年 9 月 23 日の東京の日の出は 5 時 29 分、 その前日は 5 時 28 分である。 よって、9 月 23 日の(例えば)3 時ごろに時計の針を 1 分戻すことになる。 それを 「3 時 00 分から 01 分までの一分間が二度あった」 と考えるのではなく、 「2 時 59 分の一分後が 2 時 60 分で、そのさらに一分後に 3 時 00 分になった」 と考えるのである。 デジタル時計などはこのように表示するように改造する。 時刻の記録の上ではいわば「うるう分」がはいったわけだ。 春には「2 時 58 分の一分後が 3 時 00 分」というようなことになる。

(上の提案では一分単位で時計をずらす、とした。 もっと細かくずらしてもいいけれど、このくらいでいいのではあるまいか。)

(この提案は一応考えて理屈は通してあるつもりですが、あくまでも冗談です。)

2001-05-15 (2) 23:40:50 +0900

「降水確率は*%の見込みです」は「確率」と「見込み」がダブってないか?

先日、NHKラジオでニュースを聞いていたら 「きょうの最高気温は*℃の見込みです」 「きょう*時から*時までの降水確率は*%の見込みです」 などと言っていた。

後者はどこかおかしくないだろうか。 「見込み」を立てた結果が「降水確率*%」だからだ。 あるいは、きょうが終わってみれば前者は「最高気温は*℃だった」 となって終わるのに対し後者は「降水確率が*%だった」とはならないから、 と言ってもよい。 きょうが終われば降水はあったかなかったかのどちらかで、 *%というような結果には終わらない。

「降水確率は*%です」が適切だと思う。

(「降水確率は*%の見込みです」を使わねばならない状況を強いて考えれば、 「あす出されるあさっての降水確率は*%の見込みです」 があろうか。 いや、これは 「現時点であさっての降水確率は*%です」 と同じか。 頭が混乱してきたのでやめ。)

2001-05-15 (2) 23:18:19 +0900

「魔道士」(まどうし)を「窓」+「牛」と解釈している人はいないだろうか

本文ナシ

2001-05-15 (2) 23:06:27 +0900

「思想史」(しそうし)を「紫蘇」+「牛」と解釈している人は……

いないだろうな。

2001-05-15 (2) 23:04:13 +0900

「根こそぎ」を「猫」+「削ぎ」と解釈している人はいないだろうか

本文ナシ

2001-05-15 (2) 23:03:34 +0900

ドラクエ VI の特技「みかわしきゃく」は「三河支局」と音が似ている

本文ナシ

2001-04-30 (1) 19:49:12 +0900

「2歳と1歳の娘」は二人だが「2歳と6カ月の娘」は何人なのかわからない

「2歳の娘と6カ月の娘」で二人なのかも知れないし 「2歳6カ月の娘」が一人なのかも知れない。

2001-04-30 (1) 19:47:53 +0900

「紙の上のインクの染みに過ぎない手紙に心などこもるものだろうか?」

「手紙は手書きのほうが心がこもる」 「いやワープロでも同じだ」の議論があるが、 そういう場に文字の読めない人がいて 「紙の上のインクの染みにどうして心がこもるんですか」 と発言したら?

2001-04-30 (1) 19:44:43 +0900

葵の紋のコンタクトレンズをしていたら「その紋所は目にはいってます」

水戸黄門一行に 「この紋所が目にはいらぬか」と言われたとき、 もしも葵の紋のついたコンタクトレンズをしていたら 「その紋所は目にはいってます」と答えられる。

2001-04-30 (1) 19:36:24 +0900

ドラクエシリーズはだんだん表現がわかりやすくなっているけれど

昔のドラクエでは、 町は地図そのものだったといっていいと思う。 例えば、第一作でメルキドの神殿のすぐ北にあった屋根の下の庭園などは、 “地図”から光景を想像して理解するまでに少し時間がかかったものだ。 それがいつからか斜め見下ろしのようになって、わかりやすくなった。 イベントも、昔は画面では表現されず、 セリフなどから想像するものが多かったように思う。 例えば II でムーンブルクの城が襲われる光景など。 わかりやすくなることはいいことなのだけど、 地図や言葉から想像する楽しみは減ってきたような。

ドラクエ VII はまだやっていないので、 以上は VI までをプレイしての感想である。

2001-04-30 (1) 19:30:33 +0900

写真有限論・顔有限論・CD 有限論>「これらの総数は有限である」

俳句はおよそ十七文字からなるので、 その総数は有限である。 よって、いつか俳句は行き詰まる、というのが 「俳句有限論」、 西洋音楽のメロディーは限られた種類の音 --- ピアノのキーを考えればよい --- を並べるだけだからその総数は有限である。 よっていつかメロディーは尽きる、というのが 「メロディー有限論」 である。 (後者はともかく、前者が冗談であることは言うまでもあるまい。 有限とはいえ総数があまりに多いので行き詰まりは考えられない。)

それに対し、 絵画や写真のような“アナログ的”な芸術には限りがない、 と今までは思っていたが、 最近はそれらもデジタル化されてしまう。 例えばあるサイズ以下の jpeg ファイルの総数は有限だ。 よってそのようなファイルに変換されうる写真の総数も有限である。

これの応用として、 「顔有限論」もできる。 常識からして、ある上限が存在してどんな人でもそのサイズ以下の jpeg ファイル化された顔写真で本人であることが確認できると言ってよいだろう。 ということは顔の種類の総数には上限がある!

それをいうなら、CD の出始めのころすでに 「CD 有限論」があってもよかったのであった。 デジタルデータとしてみた CD の種類も有限だから。

2001-04-30 (1) 18:39:50 +0900

「嬰児の変死体」は「嬰」「変」を含む/「本位」をも含む短文は作れないか

シャープが「嬰」、フラットが「変」だが、 「嬰児の変死体」はその両者を含んでいる。 さらにナチュラルの訳語「本位」も含んだ短文は作れないだろうか?

2001-04-30 (1) 01:19:20 +0900

第一楽章がリディア旋法で書かれている曲は呼び名に「**調」をつけない?

ベートーベンの弦楽四重奏曲第15番は第三楽章がリディア旋法だが、 もしも第一楽章がそうだったら 「弦楽四重奏曲第*番*長調」あるいは「*短調」 のようには呼べなかったのだろうか。

それとも、 調号だけ見て、適当に(=間違って)呼ばれていただろうか。 バッハの曲にそういうのがあったような気がする。

2001-04-30 (1) 01:17:53 +0900

朝日新聞>「収賄容疑の元警視自殺」の元警視の内ポケットは普通人の四倍?

きょうの大阪本社版トップ記事だが、 《 墓にかけられた背広の内ポケットから、 A4判のノート1冊が見つかった。 約40ページにわたって黒のボールペンで書きこみがあり 》 とあるのが目を引いた。 A4判のノートが背広の内ポケットにはいるものだろうか。 自分のスーツで試してみたが、 A4判の紙は縦に二つに折れば一応はいる。 ただし、上半分はポケットから飛び出てしまう。 40 ページということは両面に書いたとしても 20 枚だ。 それ以上の厚さのノートを折り曲げていれたということなのか、 それとも内ポケットが異常に大きかったのか。

社会面の関係記事にも同様の表現が見られる。

2001-04-19 (4) 23:18:50 +0900

録音日が二日間に渡るライブCD>演奏会は一度? それとも二度?

ラトル&ウィーン・フィルのマーラー 「交響曲第9番」はR.シュトラウスの「メタモルフォーゼン」 を合わせて収めCD2枚だが、録音日が 「4-5 December 1993」「19-20 April 1997」となっている。 ライブ録音だそうだ。 どちらの曲も二日間に渡って同じ曲目で演奏会を行ない、 編集を経てできあがったものだと思っていたが、 正子(しょうし)をまたぐ一回のコンサートの録音だった、 という可能性はないのだろうか?

ほかに、 一回だけの演奏会とその前日の練習の録音を編集したもの、 などという可能性ももちろんある。

2001-04-19 (4) 23:07:00 +0900

万葉集に見える枕詞「やすみしし」は“休んでいる獅子”じゃないのか……

きょう辞書をひいて初めて知った。

2001-04-19 (4) 02:19:00 +0900

朝日新聞>ダッシュに切れ目があったりなかったり

17日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 『「静かに見守って」/ 雅子さま 懐妊の可能性/ 正式発表まだ時間/ 東宮大夫会見』。 記者の質問は段落を変え二文字分のダッシュで始まる。 そのダッシュだが、 最初の二つは真ん中に切れ目があるのに対しほかのにはない。

2001-04-18 (3) 03:05:55 +0900

某党総裁選>役所に「入場ハガキがこない」と申し出る人はいないだろうか?

朝日新聞には某党の総裁選の記事が一般の選挙並みにでている。 街頭演説の写真までも載っている。 カン違いして市役所に 「*党総裁選の入場ハガキがまだこないんですけど」 と問い合わせてしまう人はいないだろうか。

2001-04-16 (1) 23:00:00 +0900

南半球で家を選ぶときは太陽がどちらに出るか注意が必要

朝日新聞日曜版にニュージーランドで家を買う話が出ていたが、 こっちが北半球から来たばかりとみると 「南向きだから日当たりがいいですよ」 とか言ってだますやつはいないのだろうか。

又。 「西日が強くないかい?」 「ここじゃ日は西から上るんですから大丈夫です」

2001-04-16 (1) 21:19:49 +0900

「いわせてもらお」は歴史的かなづかいではどう書くか

前半が「いはせて」は明らか。 「もらおう」だったら「もらはう」もわかるが、 これを「もらは」で切ったらなんだかわからないだろう。

2001-04-15 (0) 23:36:02 +0900

袖珍本の国語辞典には付録がほとんどないし歴史的かなづかいも載っていない

デイリーコンサイスなどを見てみたが、付録がほとんどない。 動詞の活用などがわからないと不安。 歴史的かなづかいが載っていないのも不満。

2001-04-15 (0) 23:31:45 +0900

「家々」「人々」は複数ではない

生協の書籍部で岩波国語辞典第六版を手にとって付録を見ようとしたら、 ちょうど目に入りました。 たくさんある家のうち二軒だけに旗が立っているときに 「家々に旗が」と言わないだろう、 と言われればその通りです。 手元の第三版にも。「語構成概説」の中です。

2001-04-15 (0) 23:31:03 +0900

朝日新聞>日曜版「いわせてもらお」に「お手手」という表記が見える

1日づけ大阪版、最後のに出ています。

2001-04-15 (0) 23:17:45 +0900

石川テレビ「スーパーニュース」>「地下を電車が走る」がニュース?

3月28日づけ朝日新聞テレビ面(石川版)で、 石川テレビ午後 5 時 54 分からの「スーパーニュース」の欄に 「地下を電車が走る」と書いてある。 翌29日づけ同紙石川面によると 北陸鉄道浅野川線の北鉄金沢−七ツ屋間が地下化され、 北鉄金沢駅が北陸三県で初の地下駅となったのだが、 それがそんなに珍しいのだろうか。 東京じゃ 1927 年から走っているのに。

2001-04-15 (0) 23:03:25 +0900

「いづ」は現代かなづかいでは「いづ」? 「いず」?

13日づけ朝日新聞大阪本社版 「柳瀬尚紀の猫舌三昧」 に 《 石(いわ)走る垂水(たるみ)の上の早蕨(さわらび)の萌(も)え出(いづ)る春になりにけるかも(万葉集) 》 が引用されている。 巻八冒頭の歌だ。 「いわ」とふりがながあるから現代かなづかいだろうか。 「いづ」は現代語としては辞書に載っていないが、 岩波文庫解説総目録は 有島武郎の小説を「生まれいずる悩み」 としている。 広辞苑第五版は「いず」で引くが、 「いづる」が出典なしの例の中に見える。 おそらく現代語の用法の例ということであろう。

2001-04-15 (0) 22:46:08 +0900

朝日新聞>裁判官が「命令形で話すのでえらそう」とはどういう意味か?

14日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 「大学生、裁判官を採点」に 《 「命令形で話すのでえらそう」(徳島地裁) 》 とあった。

命令形とは 「書け」(四段)「着ろ/着よ」(上一段)「与えろ/与えよ」(下一段) 「来い」(カ変)「しろ/せよ」(サ変) 「せろ/せよ」(助動詞「せる」) 「れろ/れよ」(助動詞「れる」) 「ませ/まし」(助動詞「ます」) などの形であるが、普通の会話では 「書いてください」「書きなさい」のように言うのであまり使われない。

普通の人が 「書いてください」「書きなさい」と言うところで 命令形「書け」を使うという意味なのか、 それとも終止形などを使うべきところでも命令形を使う (例えば「私はきょう仕事に行け」と言う) の意味なのかよくわからなかった。

普通「あの人は未然形で話すので……」とか言わないし。 まさか単に「命令口調で話す」ということではないだろう。

2001-04-15 (0) 22:26:30 +0900

国賓の主催行事を欠席するほどなら、すし屋から出前をとればよかったのに…

3月29日づけ朝日新聞大阪本社版政治面 『「腰痛があり やむをえず欠席」/首相 記者団にキレる』。 《来日中のノルウェー国王が二十七日夜に主催したレセプションを欠席して若手議員とすし店に行ったことを報じられたことが、 気に障ったらしい》。

しかし、 代わりにすし店に行ったことについては 「公邸に戻っても飯もないし、 若い諸君がごちそうしますと言うから 『一時間だけだぞ』 とすし屋に行っただけ。 礼を失したことでありますか」。

これを読んだとき、 「からだの具合が悪くてそんな大切な行事を休まなくちゃならないほどなら、 出前をとればよかったのに」 と思ってしまった。 『東京・赤坂のすし店「浜寿司」』(28日づけ同紙政治面) はうちの近くの「すし屋」とは違って出前をしないかもしれないし、 公邸に出前をとってはいけませんという規則があるのかもしれないが、 やはりからだが一番大切だ。 若手議員がすしを買ってきて公邸で食べるとか、 なんとか出前をとるとか、できなかったものだろうか。

2001-04-14 (6) 02:13:32 +0900

野球>試合に出ている投手が指名打者の代走に出ることは許されるのか?

むかし買った 1980 年の「公認野球規則」が出てきたので、 指名打者のところを読み返してみた。 試合に出ている投手が指名打者に代わって打撃できるとあるが、 試合に出ている投手が指名打者に代わって走者となることは許されるのだろうか。 指名打者が死球退場になったが交代の選手がもういない、 というような状況では、投手を代走に送るしかない。 これができないとすると、選手が9人残っているのに負け、がありうるわけだ。

2001-04-14 (6) 02:06:20 +0900

野球>試合に出ている投手が指名打者に代わって打撃できるとは知らなかった

むかし買った 1980 年の「公認野球規則」が出てきたので、 指名打者のところを読み返してみた。 指名打者に関するルールは、いちおう理解しているつもりだった。 が、試合に出ている投手が指名打者に代わって打撃できるとは知らなかった。 この場合、その時点で指名打者の役割は消滅するとあるが、 指名打者の代打で出たものは以後指名打者となるとあるので、 “代打”ではなく“代わって打撃をする” という扱いになるのではないかと思われる。 朝日新聞の野球欄では

[指] 凸山
 打  凹谷
ではなく
[指] 凸山
 投  凹谷
となるのだろうか。

2001-04-14 (6) 01:48:44 +0900

Official Rules 2000 Edition の 6.10 で上の原文を見ると「pinch hit」という動詞が使われている。 だから、単に「代打」になりそうである。 それまで投手として試合に出ていたのに「代打」?

2002-08-20 (2) 00:53:15 +0900

もしも

[指] 凸山
 打  凹谷
となるのだとしたら、そのあとも投げ続ければ
[指] 凸山
 打投凹谷
となりそうだ。

2003-07-20 (0) 16:51:40 +0900

野球>指名打者なしのルールは仮定して指名打者ルールを簡潔に説明するには

むかし買った 1980 年の「公認野球規則」が出てきたので、 指名打者のところを読み返してみた。 もう少し書き方を工夫してわかりやすくできないか、と思っていたからだ。 指名打者なしのルールは理解されているとして、 最も簡潔な書き方で指名打者のルールを説明する方法を考えてみるのは興味深い。

2001-04-14 (6) 01:39:23 +0900

「先発投手は1回と3分の0で降板」は「2回に一死も取れずに〜」の意味?

そう思われる言い方をNHKラジオのアナウンサがしていた。 2回の初めから次の投手がマウンドに立った場合は 「1回」と言われるのかもしれない。 「朝日新聞>投球回数の「1 0/3」は 「1」とどう違うのか? (2000-09-07 (4) 23:56:21 +0900)」参照。

2001-04-14 (6) 01:31:10 +0900

上のリンクはいまはった。 もとは a href タグを置いていなかったのだ。

2004-05-12 (3) 20:40:45 +0900

冗談提案>朝日新聞>囲碁欄に十六進表記を採用したら?

十六進表記で使われる 0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, A, B, C, D, E, F の二文字を 一文字分にまとめた“活字”を作れば、 FF (=255) 手まではそれで済む。 それより多くかかることはどのくらいあるのだろうか。 その場合も、下から3ケタ目は 1 だからあまり幅をとらない。

2001-04-13 (5) 00:49:52 +0900

「ずぶろく」と「ズブロッカ」(お酒の名前)は音が似ている……

が無関係であろう。

2001-04-13 (5) 00:46:22 +0900

部首の順序もアルファベットと同じように歌で覚えればよい?

よく、 きらきら星のメロディーで英語のアルファベットを覚えるが、 私はギリシア語やヘブライ語もそれで覚えた。 「アルパ、ベータ、ガンマ、デルタ、エプシロン、ゼータ、エータ」とか 「アレフ、ベース、ギメル、ダレス、ヘー、ワウ、ザイン」とか歌うわけである。 この要領で部首の順序も覚えられないだろうか。 部首の名前を調べることが先決か。

2001-04-12 (4) 01:53:44 +0900

「雹(ひょう)」って音読みじゃなかったのか……

「包」が音符で「ヒョウ」は変わった音、 とか漢和辞典には書いてあるんじゃないかと思っていた。

2001-04-12 (4) 01:47:55 +0900

現代かなづかいが“問題”になるのは「おおばんぶるまい」ぐらい?

現代かなづかいでは、 『「十」は「とう」でなく「とお」』 というような基本的なものを別とすれば、 問題になるのは「おおばんぶるまい」ぐらいだろうか。 「大盤振舞」と書くので「おおばん〜」とされることが多いが元々は 「椀飯(わうばん)〜」だから「おうばん〜」が正しい、とも言える。 すでに「大盤振舞」という語に変化している、 と考えれば「おおばん」だが。

2001-04-12 (4) 01:46:25 +0900

歴史的かなづかいでは「やおい」はどう書くのか? 「やおひ」?

語源を考えて書くことになろうが、 わからない場合はどうなるのだろうか。 最初に書いた人が「やおひ」と書けばそうなっていた、 というようなものなのだろうか。

2001-04-12 (4) 01:43:25 +0900

1917 年の改訳の前の文語訳新約聖書は入手可能だろうか?

本文ナシ

2001-04-12 (4) 01:41:55 +0900

「讃美歌」564 の主の祈りは文語訳とは一致しない。改訳前の訳からなのか?

本文ナシ

2001-04-12 (4) 01:39:00 +0900

文語訳聖書の書名の「書」の字の読み>旧約は「しょ」で新約は「ふみ」?

「イザヤ書」は「〜しょ」、 「ロマ人への書」は「〜ふみ」。 なんとなく不統一。 新約が改訳であるためか?

2001-04-12 (4) 01:36:05 +0900

文語訳新約聖書>「コリント人への前の書」の「前」「書」はなんと読む?

いくつかの書簡の最初のほうに「書(ふみ)を……贈る」などとあるから 「書」は「ふみ」であろう。 「前」は「まへ」か「さき」か。 使徒行伝 1.1 に「前(まへ)の書(ふみ)」とあるから「まへ」かも。 では「コリント人への後の書」はどう読むのだろうか?

2001-04-12 (4) 01:27:15 +0900

文語訳旧約聖書>書名の漢字で訓読みするのは「伝道之書」の「之」だけ?

本文ナシ

2001-04-11 (3) 19:29:59 +0900

最初に聖書を読んだとき節番号を注の番号とカン違いしてさんざん探した

その章の最後、その書の最後、本の最後、といろいろ探してしまった。:-)

2001-04-11 (3) 19:28:15 +0900

文語訳聖書>「士師記」「サムエル前書」などの書名はどう読むのか?

文語訳聖書「士師記」を昨夜読了したが、 この書名はどう読む、あるいは読ませるつもりなのだろうか。 本文中では「士師」はすべて「さばきづかさ」と読ませていたようだから 「さばきづかさき」とも考えられるが、 「士師」は漢訳聖書から借用した語だそうなのでやはり 「ししき」が正解だろうか。

そう思ってみると「サムエル前書」の「前書」も読み方が不明だ。 「まえがき」と思った人はいないだろうか。 「サムエル後書」が「あとがき」で、 じゃあ本文はどこにあるんだ、と思った人もないとはいえまい。

付)口語訳、新共同訳は書名に「ししき」とふりがながある。

2001-04-10 (2) 19:50:38 +0900

新聞が縮刷版の存在に触れないのは販売店のサービスを配慮してのことか?

新聞の縮刷版なるものの存在は知られていない・知られたくないのであろうか (2001-02-10 (6) 01:24:43 +0900)」 について。 もしかしたら、新聞の販売店への遠慮かも知れない。 いつだったか、どの新聞の販売店だったかも忘れたが、 “お子さんの生まれた日の新聞 (朝刊第一面のコピー、休刊日の場合は翌日)をお届けします” というサービスをやっていた。 縮刷版の存在を知っていれば、 図書館へ行ってコピーを取るだけだ。

2001-04-10 (2) 01:08:36 +0900

上のリンクはいまはった。 元は a href タグをおいていなかったのだ。

2004-05-12 (3) 20:29:06 +0900

北陸新幹線が全線開通したら名古屋と北陸地方を結ぶ特急はなくなる?

3月6日づけ朝日新聞大阪本社版社会面「検証」は北陸新幹線。 もしフル規格で完成すると金沢−大阪は1時間20分だそうだ。 ということは、 名古屋−金沢は東海道新幹線でいったん大阪に出て北陸新幹線に乗り換えるほうが、 約3時間かかる現行の在来線特急より早いだろう。 しかも、在来線は第三セクター方式になるという。

2001-04-09 (1) 01:02:53 +0900

「だれでもいいから人を殺そうと思った」なら自分を殺したら、という疑問

2000年9月18日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 「金づち襲撃中3生逮捕」。 《少年は「だれでもいいから人を殺そうと思った》 とのことだが、 ほんとうにだれでもいいなら自分を殺せば、 少なくとも他人には迷惑がかからなかったのではあるまいか。 暗黙のうちに 「自分は死にたくない」という気持ちが仮定されているのだろうか。 そう思いつつ最後まで読むと 《少年はその際、 「人を殺して自分も死のうとしたが、 死にきれなかった」と話したという》 とある。 やっぱり自分を殺せば“一石二鳥”だったのではあるまいか。

……と考えるのは誤りで、 「だれでもいいから人を」は 「だれでもいいから私以外の人を」の意味である、 と考えるべきなのだろう。

又。 「だれでもいいから手伝ってくれ」と言われて 「自分で自分を手伝えば?」と答える。

2001-04-09 (1) 00:53:16 +0900

漢和辞典>部首番号のようなものを共通に決められないか?

新字源はかなり使い込んだので、 いっときはいくつかの部首はページ数を覚えていたほどだった。 そのページ数は辞典が改訂されたり別の漢和辞典に乗り換えたりすると意味がなくなってしまう。

漢和辞典共通の「部首番号」のようなものを決められないだろうか。 例えば三画の部首には「3-1」「3-2」のように通し番号を振る。 その通し番号を各ページの欄外に印刷しておくのだ。

部首の順序を頭に入れておけば済むことか?

2001-04-09 (1) 00:42:25 +0900

埼玉県志木市が「障害者」を「障がい者」と表記

……するように改めた、 という記事が3日づけ朝日新聞大阪本社版社会面に。 《「害」は「公害」「被害」などに使われてイメージが悪いという考え方に基づく》 そうだ。

「障碍」が本来の表記であり同音の漢字による書き換えには反対だから、 という考え方ではないわけだ。

「障」もいいイメージじゃないと思うのだが、 「保障」の一語で挽回してるんだろうか。 だったら「要害」という語もあるか。

2001-04-09 (1) 00:27:05 +0900

朝日新聞地方面>「旧制金沢第2中学校」と算用数字を使って表記

3日づけ朝日新聞大阪本社版第2石川面「いしかわ百年百話」 に「旧制金沢第2中学校」という表記が見える。 おそらくは「第二中学校」が当時の表記だろう。 「旧制四高」も「旧制4高」と書かれるんだろうか。 なんかやだな。

2001-04-09 (1) 00:22:01 +0900

「おてて」は漢字で「お手々」と書いてよいのか?

3日づけ朝日新聞大阪本社版「ほがらか」面、 田辺聖子「ゆくも帰るも浪花の夕凪」に 《私はワープロ・パソコンを使わず、お手々で書いている》 とあるのが目にとまった。

私の感覚では、 「々」は「山々」「人々」「国々」のように複数形の場合のみに使う。 「おてて」は「手」の幼児語であって複数ではない。 「そっちのおててを出しなさい」と言っても全くおかしくないから。 《お手々で書いている》を見ると両手で書いているように感じてしまう。

新明解第五版は漢字表記を「御手」とする。 広辞苑第五版は漢字表記なしだ。

ここまで考えて、「蝶々」は単数でもこう書くことに気づいた。 だから「お手々」でもおかしくはないのだ。 ただ、あまりそうは書かない、ということだろう。

2001-04-09 (1) 00:16:28 +0900

朝日新聞>囲碁欄は3ケタの算用数字を一文字分にした“活字”を使っている

4月から3ケタの算用数字を一字ずつ縦に組むようになって不気味だ、 という話は前に書いた。 きょう(厳密にはきのう)気がついたのだが、 囲碁の欄では3ケタを一文字分にまとめた“活字”も使われている。 「黒123は……」というように。

2001-04-09 (1) 00:03:18 +0900

参院選比例区 非拘束名簿式>「当選→辞任→3年後立候補」もOKなのか?

去年の秋だったかに導入が決まった参院選比例区の非拘束名簿式だが、 たくさんの票を集められるタレント候補などが当選し、 すぐ辞任し、3年後にまた立候補して票を集める、 というのも可能なのだろうか。

2001-04-08 (0) 23:23:40 +0900

文語訳聖書>節番号を除いて引用すると固有名詞がくっついてしまわないか?

たとえば歴代志略上の冒頭は 《 1アダム、セツ、エノス  2ケナン、マハラレル、ヤレド  3エノク、メトセラ、ラメク  4ノア、セム、ハム、ヤペテ 》 と節の中では固有名詞を区切るのに読点を用いているが 節末には何もない。 よって、節番号なしで引用する場合には 《 アダム、セツ、エノス ケナン、マハラレル、ヤレド エノク、メトセラ、ラメク ノア、セム、ハム、ヤペテ 》 のようにくっついてしまうことも考えられる。 どう考えればよいのだろうか。

2001-04-08 (0) 19:38:43 +0900

インターネット誕生以前のページを“捏造”して置いておく

全然更新されてない時代遅れのページを紹介しているのを昔見たことがあるが、 インターネットのできる前のページを“捏造”して置いてるところもあるんだろうな、 うけ狙いで。

2001-04-08 (0) 19:30:48 +0900

先の丸いエンピツで書くときは無意識のうちに細く書ける箇所を選んでいる?

私は右利きだが、左手でも字が書けるように練習している、 という話は前に書いたと思う。

練習の際は、いらない紙とエンピツを使う。 エンピツはもったいないので先をとがらせない。 右手ならこれでもきちんとした字が書ける。 ところが、先日、 エンピツをきちんと削って左手で書いてみたら急にきれいに書けて、 ちょっと驚いた。 その理由を考えてみた。 右手で書くときは、 書き始めて「先が丸くなっている」とわかった瞬間、 細くきれいに書ける角度を指が選んでエンピツを回しているのに対し、 左手はまだそのレベルに達していないのではあるまいか。

2001-04-08 (0) 14:18:16 +0900

ホームページの顔写真>alt=... で「吹き出し」ができる

自分の顔写真をホームページに載せるとき <IMG src="myportrait.jpg" alt="邪魔なんだよ、そのマウスカーソル"> とするとマウスカーソルが写真にかかると 「邪魔なんだよ、そのマウスカーソル」 と出るわけか。ブラウザによっては。 「見たなぁ〜」とかいろいろできそうだ。

2001-04-08 (0) 13:43:15 +0900

歴史的かなづかいのままローマ字化したテキストの初心者向け工夫

「教え」の歴史的かなづかいは「をしへ」だが、 これを wosihe のようにローマ字で書いたら初心者にも読みやすいテキストができるかもしれない。 ここでは、発音しない w と h をイタリックで示してみた。 ほかに、omohazu のように w になる h を示す記号とかも必要。

2001-04-07 (6) 02:24:12 +0900

ヱビスビールオリジナルブックマーカーの「お取り扱いのご注意」

三月下旬に「恵比寿麦酒記念館」に行ったら あの恵比寿様の絵のついたクリップ状のブックマーカーがレジにあった。 値段がついてないのでおかしいなと思ってながめていたら、 買った人にくれるのだった。 適当なものを買って入手した。

「本や手帳のしおりとしてお使いください。 また、メモクリップとしてもお使いいただけます」 とのことだが、 そのすぐ下の 「お取り扱いのご注意」には 「しおりの用途以外に使用しないでください」 とある。 メモクリップとしては使っていいのかいけないのか……。

2001-04-07 (6) 02:13:04 +0900

落語はフィクション>「〜というばかばかしいお話」とか言って強調する例

ちょっと前にラジオでやっていた落語 --- 確か「さのやま」という題だった --- は相撲取りが相手に同情して八百長をする話だが、 最後に「〜というばかばかしいお話」 とか言ってフィクションであることを強調していた(ように思えた)。

2001-04-07 (6) 02:04:42 +0900

法律に「二秒以上〜してはならない」とあったら 2.0 秒はセーフ?

運転者はカーナビを二秒以上見続けてはいけない、 と法律で決まったと読んだような気がするが、 これが事実に反していても、 以下の話には関係ない。 もしもそうだとして、 測定の結果「2.0 秒」という結論が出たら有罪になるのだろうか。 真の値は 1.95 秒以上 2.05 秒未満だから二秒を越えている確率は 1/2, よって刑事事件なら無罪、 民事事件なら半分程度、が妥当に思えるが、 「2.0 秒は二秒以上だから有罪」とされてしまうような気もする。

2001-04-07 (6) 01:58:16 +0900

国民が自国の過去を学ぶのに耐えられないとなると貴族院の復活がでてくる?

国民が自国の過去を学ぶのに耐えられないとなると、 昔の貴族院のような、 国民が選挙で選ぶのではない、 しかるべき見識 --- 自国の過去に関する知識を含む --- を持った人たちを “誰か”が選出してその人たちに政治特に外交を任せないといけない、 という話になってくるのではないだろうか?

2001-04-07 (6) 01:21:03 +0900

ヨシュア記の「ヱブス人」と日本語の「ヱビス」とは関係ないだろうか?

ないだろうな。

2001-04-07 (6) 01:13:45 +0900

“従軍慰安婦”を中学の教科書に載せないなら別に学ぶ機会を設けるべきだ

“中学生には早すぎる”のなら、 選挙権を行使できる年齢になるまでの間にどこかで教えるべきだと思う。 国民主権の国では外交にも (間接的にではあるが) 国民一人一人が責任を持たなければならない。 “高校生になら教えられる”のなら、高校の必修科目で教えればよい。 高校へ進学しなかった者に対しては市町村などが機会を設けるようにする。

付)日本の教科書で勉強するのは日本国籍を持つ者だけではないが、 上の議論はその点を省いて簡略化した。

付) “従軍慰安婦”が史実に基づいていないのなら当然教科書からも削除すべきである。 私は元資料に当たる力も時間もないのでその点についてはなんとも言えない。

2001-04-07 (6) 01:12:33 +0900

2穴パンチの間隔は両目の間隔に等しいので金具で目を突くと両眼同時失明も

何年ぶりかに、2穴パンチをつかってみた。 コピーの余りや入らない書類を綴じて計算用紙にするのだ。 ふと思いついて、穴を開けた紙を顔に近づけてのぞいてみると、 両方の目で向こうが見える。 つまり、パンチ穴の間隔は私の両目の間隔とほぼ同じなのだ。 ということは、 もしも綴じ金具を起こした状態のところに転んだりして目を突くと、 両眼同時に失明することもありえるわけだ。

2001-04-05 (4) 01:31:15 +0900

中学高校で初等幾何を教えるのはよいことだと思うが、入試に出るとなると…

私自身は、私立の中高一貫校で中学一年のときに初等幾何を教わった。 とてもよかったと感じている。 しかし、今の試験制度のままで中学高校に初等幾何を入れたら入試が大変だと思う。

まず第一に、 出題する側が大変だ。 ベクトルや微積分などの問題は数値を変えれば一つの問題からいくらでも問題が作れる、 というのは高等学校で非常勤をしていたときの感想である。 それに対し、初等幾何の問題は使いまわしがききにくい。 よって、年を経るごとに難問奇問にならざるをえないような気がしてならない。

次に、受験生が大変だ。 初等幾何の証明問題は、 気がつけば簡単、気がつかなければ手も足もでない、 ということが多い。 入試で確実に点を取るためにはかなり 「パターンを覚える」ことが必要になってくると思う。 一人で何日も考えて補助線の引き方を思いついたときの喜びは大きい。 一方、補助線の引き方のパターンを覚えても意味がない。

それから、採点者が大変だ。 「△ABCと△ADEにおいてAB=DE、BC=EAだから……」 のような答案を読むには答案に書かれた図 --- もしあればだが --- をなぞるか、自分で書いてなぞるかしなければまず不可能だ。 式があっているかどうかは、慣れてくればかなり速く判断できる。 そういう問題に比べると、初等幾何の採点は疲れがはなはだしい。 (これは模試の採点のアルバイトをしたときに感じたことかもしれない。)

「めんどうだからと入試が避けたら、 結局は生徒は勉強しないのではないだろうか?」 と思われるのはもっともだ。 だからこそ、 入試のことを気にしなくて済む、 中高一貫校で中学一年のときに習ったのがよかったと思うのだ。

(入試を受ける前に資格試験みたいなものがあれば、 そこに極めて基礎的な問題を出すことには意味があるだろう。 やってきていれば間違いなく合格できるレベルの。)

2001-04-05 (4) 01:17:27 +0900

人名に「ゞ」などは使えるのだろうか? 「すゞ子」とか

本文ナシ

2001-04-05 (4) 00:47:25 +0900

人名に「々」が使えることはどこで決まっているのだろう?

常用漢字でも人名用漢字でもないはずだが 「奈々」とか「菜々」とか (あるいは「奈々子」とか「菜々子」とか) という名前は実在する。

2001-04-05 (4) 00:47:05 +0900

wardrobe の発音は「ワードローブ」ではなく「ウォードローブ」

「ワードローブ」 は広辞苑第五版や新明解第五版が見出しに立てるほどポピュラーになったが、 warp を「ワープ」、 warning を「ワーニング」というのと同じだったのか。 「ワーニング」はともかく、 「ワードローブ」と「ワープ」は日本語にすでに定着している。

ジーニアス(第一版)はこれら三つの単語に「発音注意」をつけていない。 warp が「ワープ」の元の単語とは気がつかないからかもしれない。

2001-04-05 (4) 00:33:33 +0900

新明解第五版>外来語の説明に付された「日本での特用」の意味

「ワンマン」を見ると、他の人の意見を聞かない、というような意味について 「日本での特用」と説明している。 日本語の使われる地域がほとんど日本だけであることを考えると、 これはおそらく 「もとの英語 one-man にはない、 借用されて日本語にはいった『ワンマン』だけの特用」という意味なのだろう。

2001-04-05 (4) 00:28:15 +0900

文語訳聖書>詩篇 33.19「饑饉(としうゑ)」とは何か?

1980 年版(引照附)を見ると詩篇 37.19 を見よとの印がついている。 そこには「饑饉(うゑどし)」なる語が。 欽定訳は famine と the days of famine だ。 「とし」「どし」は「年」だろうか?

2001-04-05 (4) 00:11:48 +0900

もしもマタイ伝冒頭が関係代名詞でつながっていたら

欽定訳では Abraham begat Isaac; and Isaac begat Jacob; and Jacob begat ... となっているが、 これを Abraham begat Isaac; who begat Jacob; who begat ... としたら短くなるのではないか。

ギリシア語原文がそうなってないから勝手に変えるのはだめだけど、 いったい何重の関係代名詞節になるのだろう?

2001-04-03 (2) 23:53:00 +0900

「ジーザス」に対応する間投詞は「ゴータマ」? 「シッダールタ」?

ROM男さんが「ゴータマ」を「豪玉!」 という文字つきで推薦(?)してくださいました。 ただ、調べてみたらこれは姓で、名は「シッダールタ」だそうです。 「ゴータマ」は英語の Goddamn と音が似ているような気も……。

2001-04-03 (2) 23:24:20 +0900

「E電」の「E」も「電子……」の意味だと将来誤解されないだろうか?

本文ナシ

2001-04-03 (2) 23:18:00 +0900

「eテキスト」のほかに「eペーパー」というのももうあるみたいです

教えてくださったかたがありました。 サーチエンジンでさがしてみてください。

2001-04-03 (2) 23:16:50 +0900

もしも満年齢導入の際に「〜年」などの新しい言い方を工夫していたら

日本では昔は数えで年を数えており、 満年齢が使われるようになったのは最近のはずだ。 満年齢を導入する際にその単位としてそれまでの数えの「〜歳」 をそのまま使うのでなく、 何か新しい言い方を工夫していたらどうだっただろうか。 たとえば「(満)2歳」は「2年」というとかしていたら 「3歳だけど2年」とか。 これは「2年生」と間違うおそれがあるからうまくないが。

2001-04-03 (2) 22:57:56 +0900

「満 8 歳だが数えで九つ」と言い分けるとして数えの 11 歳以上は?

「満 8 歳だが数えで九つ」のように満と数えで言い分けを工夫したら? (2001-03-22 (4) 01:46:53 +0900)』 について、「11 以上のときはどうするのですか?」という質問をいただいた。 じつはよく考えていなかった。 「満 10 歳」と「とおあまりひとつ」とか。 これじゃ土佐日記の日付みたいか。:-)

2001-04-03 (2) 22:51:52 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-09 (2) 01:27:24 +0900

高校野球>延長戦は「表裏裏表表裏裏表……」と行なったら?

延長戦にはいると先攻後攻の有利不利が出てくるような気がする。 プロ野球のように先攻後攻を取りかえて何度も戦うならそれでもよいが、 高校野球のように一度きりの場合は何か対策を考えてもいいのではないか。

例えば 10回は「裏」「表」の順に行ない、 11回は「表」「裏」、 12回は「裏」「表」 ……と、一回ごとに「表」「裏」を逆順にしたらどうだろうか。 9回の裏に続いて10回の裏が行われるが、 当然一度“チェンジ”になるので攻撃は途切れる。 つまり、 9回裏の3アウト目が宣告された時点で塁に残った走者は残塁扱いとなり、 10回裏は走者なしで始まる。

投手は6人アウトにするまでマウンドを降りられないから疲れがたまるか。

2001-04-03 (2) 22:44:11 +0900

トーナメント戦で“最弱”のものをも決めるにはどうしたらよいか

高校野球のようなトーナメント戦は次のような原理に従っていると考えられよう。 各チームはそれぞれ数値化可能な“強さ”という量を持っている。 その値は大会の間じゅう一定であり、どの二つのチームをとっても同じでない。 二つのチームが対戦するとき、その数値の大きいほうが勝つ。 最強のチームはどの試合でも負けないから優勝するはずである。 優勝するチームはただ一つだから、優勝したチームは最強のチームである ---。

ところで、“最弱”のチームをも決めるにはどうしたらよいか。 高校野球でそのようなことをするのにはもちろん反対であるが。

いくらでも時間があるなら、 “最強”を決める今のような“表”トーナメントの終了後に “最弱”を決めるもう一つの“裏”トーナメントを行なえばよい。 しかしできれば“表”トーナメントを生かして、 なるべく少ない試合数で済ませたい。

“表”トーナメントが下図のようなきれいな組み合わせの場合には、 第一戦で負けたチームだけが“裏”トーナメントに進み、 この取り組み表にしたがって戦えばよい。

A ---+
     +---+
B ---+   |
         +---+
C ---+   |   |
     +---+   |
D ---+       |
             +---
E ---+       |
     +---+   |
F ---+   |   |
         +---+
G ---+   |
     +---+
H ---+

しかし、下図のような形の場合にはどうなるだろうか。

A ---+
     +---+
B ---+   |
         +---
         |
C -------+
A が B に勝てば B は最弱である可能性があるから“裏”トーナメントに進む。 次に C が A に勝てば C は最弱ではないから、これで B が最弱と決まる。 A が C に勝てば B と C は最弱の座を賭けて対戦することになる。 最初に B が A に勝った場合も同様。 よって“裏”トーナメントは次のどちらかになる。
A ---+                   A ---+
     +---+                    +---
B ---+   |               B ---+
         +---
         |
C -------+

ここから少し考えると、次のような案が浮かぶ。 “裏”トーナメントも、“表”と同じ組み合わせで行なう。 ただし、 “表”の第一戦(一回戦とは限らない)で勝ったチームは出場を辞退する ---。

付)出場を辞退したチームと当たるチームは無条件で先へ進む。 それを“不戦勝”というべきか“不戦敗”というべきかはよくわからない。:-)

2001-04-03 (2) 22:04:45 +0900

4月1日改正少年法施行でこの3月は“駆け込み少年犯罪”を心配していたが

特に報道されるような事件はなかったようで、よかった。 “近ごろの少年は‘自分は罰せられない’とわかって事件を起こしている” という声も以前あったのでこの3月末は特に気にしていたのだ。

2001-04-03 (2) 02:20:33 +0900

バーチャ 3tb はクリアまでのステージ数を減らしていたら?

どこかで読んだのだが、 三本先取の設定の場合、 「3」では1ステージ3セットでストレート勝ちしてプレイしていた人も、 「3tb」では味方の3キャラを全部だそうと5セットずつやるので時間がかかって回転が悪かった、 とのことだ。

「3tb」は「3」よりもクリアまでのステージ数を減らしていたらどうだったろうか。 「3」が3×8=24セットに対し 「3tb」は5×5=25セットとか。 これじゃ客に評判が悪いか。

2001-04-03 (2) 01:36:00 +0900

欽定訳には shall call his name Immanuel という言い方もあるのか

メサイアの歌詞を見ていて気がついた。 Is 7.14 である。 shall call him Immanuel ならわかるが。

2001-04-03 (2) 01:27:55 +0900

コンピュータに関するメモをそのマシンでとることのよい点・悪い点

コンピュータに対しどんな作業をしたかのメモをそのマシンでもとれるようになった。 マルチタスクが常識になったおかげであり、 カット&ペーストを利用すれば記録の間違いが減らせるが、 頻繁にウィンドウを切り替えたりすることで肝心の作業の能率が上がらないこともある。 紙のメモもまだ捨てたもんじゃない。

2001-04-03 (2) 01:14:57 +0900

朝日新聞>字が大きくなったついでに算用数字がやたら増えた

ちょっと前に紙面で予告されていたように思うが、 字が大きくなったついでに算用数字が増えた。 2日づけ大阪本社版一面の縦書きの本文からひろうと 「3年」「4日」「01年度」「00年」「32兆円」「90年代」 「9時15分」など。 2ケタ以下のものは一文字に組んである。 いずれも、3月までは漢数字で書かれていたものばかりだ。

「二〇〇一年度」を「01年度」に変えるのは、 話し言葉にも変化をもたらす。 これはいったい何と読めばいいのか。 3ケタ以上の場合、 「1980年度」(これは社会面の例) を一字ずつ縦書きにするのは慣れていないせいか不気味だ。 テレビ面の「水戸黄門」あらすじの中の 「2代藩主」「5代将軍」は行きすぎのような気がする。

算用数字は便利だが、 縦書きの中に無理に混ぜるのは伝統を損なうと思う。 むしろ、横組みにすることを考えたほうがいいのではないか。 文芸欄のようなところは縦組みを守るとしても。

付)国際面のミロシェビッチ氏逮捕の記事の 「前大統領逮捕までの3日間」は横組みで、 “全角”と“半角”の数字が混在して見苦しい。

2001-04-03 (2) 00:23:30 +0900

広辞苑第二版の「さまよえる〜」は漢字等による表記が「さまよへる」だ

「さまよえるオランダじん」が【さまよへる和蘭人】、 「さまよえるユダヤじん」が【さまよへる猶太人】。 何かのはずみで歴史的かなづかいが混入した?

2001-04-02 (1) 23:53:52 +0900

石坂浩二の「水戸黄門」と「帰ってきたウルトラマン」の類似

きょうから石坂浩二の「水戸黄門」が始まったが、 クライマックスで印籠を出さないなんて、 ベーターカプセルもウルトラアイもなしに変身する 「帰ってきたウルトラマン」 みたいだなと思った。

2001-04-02 (1) 23:48:05 +0900

「違いない」は「違わない」とも「違いがない」とも違うのか

広辞苑第五版は単独に見出しとして立てている。

2001-04-02 (1) 23:13:22 +0900

申命記>食べてよい獣の二条件をきちんととらえて丁寧に説明している

申命記 14.3-8 に、食べてよい獣について述べてある。 「蹄(ひづめ)の分(わか)れ割れて二つの蹄を成せる反蒭(にれはむ)獣」 (14.6) という「PかつQ」の形の条件だが、 そのあとに“PとQのうち次はだめ”として例をあげ、 これは“PだけどQでない”からだめ、 これは“QだけどPでない”からだめ、 とわざわざ説明してある。

最初見たときはなんでわざわざ、と思ったが、 2000 年以上前に「PかつQ」を「PまたはQ」と区別してきちんと理解し、 親切に説明していることには驚くべきだろう。 ただし、生物学的には、 あげてある例には正しくないものが含まれていると聞いたことがある。

2001-04-02 (1) 23:00:29 +0900

「一郎」を「一Ρ」とか「一ρ」とかと書く「ΑΒΓ文体」はいかが?

本文ナシ

2001-04-02 (1) 22:54:18 +0900

ザカリヤが「その名はヨハネなり」と記した書き板はどこへいったのか?

ルカ 1.63。 こう書いたとたん彼はまた口がきけるようになるので書き板は不要になったわけだ。 年老いてから生まれた息子の命名というお祝いごとにこの喜びも重なり、 その書き板はどこかに紛れ込んでしまったのではあるまいか。 そうだとすると、そう書かれたままの書き板が今もどこかにあるのでは?

2001-04-02 (1) 22:31:53 +0900

「取税人」がカレーライスを食っているような気がするときがあるわけ

《なにゆゑ汝らは取税人・罪人らと共に飲食するか》(ルカ 5.30) を読むと彼らがカレーライスを食べているような気がするときがあるのはなぜか、 と考えていたら、 「取税」→「取悦」→「酒悦」 と頭の中が暴走していることに気がついた。

2001-04-02 (1) 21:25:40 +0900

一日遅れの April fool>「きょうからテレカがパスネットとして使用可に」

携帯電話の普及で使われる機会の減ってきたテレホンカードがパスネットとして使えたら便利だなあ、 と先日東京へ行ったときに思ったのでした。:-)

(こういうウソは、 聞かされた本人が実際に試すとまわりの人にも迷惑を及ぼすので、 エイプリルフール向きではありません。)

2001-04-02 (1) 21:17:28 +0900

文語訳聖書のふりがな>「二人」と「三人」

申命記 17.6 は「二人」に「ににん」、 「三人」に「さんにん」とふりがなをふっているが 19.15 では「二人」は「ふたり」で、 「三人」は「人」に「にん」とふるだけだ。

2001-04-01 (0) 02:35:30 +0900

文語訳聖書のふりがな>「十代」にはあり、「三代」はなし

申命記 23.3 の「十代」には「じふだい」とふりがながあるが 23.8 の「三代」は「代」に「だい」とふるのみ。

2001-04-01 (0) 02:30:15 +0900

文語訳聖書のふりがな>「十日」にはあり、「十四日」はなし

ヨシュア記 4.19 の「十日」には「とをか」とふりがながあるが 5.10 の「十四日」は「日」に「か」とふるのみ。

2001-04-01 (0) 02:14:55 +0900

文語訳聖書のふりがな>申命記 32.30 は「千人」にふりがながある

民数紀略の人数を数えるところでは「千」にはふりがなをふっていない。

2001-04-01 (0) 02:12:40 +0900

「ブッダ」は固有名詞ではないのだった

英語の間投詞 Jesus にならって日本語も「ブッダ」という間投詞を作ったら (2001-02-17 (6) 23:21:38 +0900)」と書いたが、 「ブッダ」は固有名詞ではないのだった。

2001-04-01 (0) 01:58:07 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-09 (2) 01:30:10 +0900

黙示録 1.12>声を見ようとする

《われ振反りて我に語る声を見んとし》(文語訳) ってちょっと不思議。 新共同訳は《声の主を》。

2001-04-01 (0) 01:24:24 +0900

文語訳ユダ書 19>《彼らは分裂をなし》ってスモールグールみたいなもの?

そんなわきゃないよな。

2001-04-01 (0) 01:15:25 +0900

旧約聖書の時代に乗り物酔いはあったのか?

《酒にあらで酔ひたるもの》(イザヤ 51.21)のような表現があるが、 当時、乗り物酔いはあったのだろうか。 自動車はないが船はあるから船酔いはあったかもしれない。 “馬車酔い”もあったかも?

2001-04-01 (0) 01:11:50 +0900

「ティシュベ人エリヤ」だと「ティシュ部」でティシュ作りの人みたい

新共同訳「列王記上」17.1 に 《ギレアドの住民である、ティシュベ人エリヤはアハブに言った》 とあるのを見て前から思っていた。

いかん、日本語入力システムが変に学習してしまった……。

2001-04-01 (0) 01:11:04 +0900

現金書留で御霊前>「あるいはお花に換えて」とすればキリスト教でも OK ?

遠くてやむなく葬礼に参加できない場合、 現金書留で御霊前をお送りすることがある。 その際は 「先生のお好きだったお品に換えて御霊前にお供えください」 などと手紙に書くが、 相手によってはこの表現はまずい。 食べ物や飲み物を死者に供えることをしない宗教もあるからだ。 そういう人は日本では少数なのでこう書いてあっても気にせずお花に換えて飾るだろうが、 「先生のお好きだったお品あるいはお花に換えて」 とする書き方もあろう。 お花を禁止している宗教もあるかもしれないけど、 だったら現金書留で御霊前を受け取ることを拒否する宗教もあるかもしれない。

2001-04-01 (0) 00:52:08 +0900

文語訳新約聖書>ペテロ後書 1.4 の訳注は翻訳上の技術的な注では?

《是おのれの栄光と徳とをもて召し給へる者を我ら知るに因りてなり。 4その栄光と徳とによりて我らに貴き大なる約束を賜へり》 の「その」のあたりに 《原語「此等のものによりて」とあり》 との訳注がついている。 これをつけだしたら「イエス」に《原語「彼」とあり》 という訳注だらけになってしまうだろう。

翻訳に対する考えがまちまちの人が集まって翻訳してしまったような気がする。

2001-04-01 (0) 00:39:40 +0900

片方がHBで反対側が2Bとかいうエンピツはないものか?

片方が赤で反対側が青のはあるのに。

2001-04-01 (0) 00:23:27 +0900

東横線「元住吉」駅は急行停車駅でないが「元住吉行き」の急行がある!

考えずに乗って考えずに終点で降りて次の電車に乗り継いだが、 その急行が元住吉に停車したのは正しかったのか、 あとで考え出したら頭が混乱してきた。 そこで次の急行に乗り継ぐことはできないから、 うっかり乗ってよくアナウンスを聞いていないと、 目の前を次の急行に通過されることがあるのではあるまいか。 私が乗ったのは旧ダイヤの下りだったが、 3月28日からの新ダイヤでもあるようだ。

2001-04-01 (0) 00:05:25 +0900

「新宿」のほかに「新宿新宿」という名の駅があったら

「新宿、新宿」と繰りかえしているのか 「新宿新宿」と言っているのかわかりにくいだろう。

新宿駅で「新宿、新宿です」とアナウンスしているのを聞いて。

2001-03-31 (6) 23:26:48 +0900

慶応大学理工学部の食堂で「席取り禁止」ステッカーに相撲取りの絵

……が描いてあり、 その上に禁止を表わす赤の輪に斜め45度の赤い線が引いてあった。 これは列に並ぶ前にカバンで席を確保する「席取り」を禁止するもので、 「席取り」と「関取」とかけたしゃれのつもりだろうが、 特定の職業の人を排除することにならないだろうか?

2001-03-31 (6) 23:23:16 +0900

相撲にならってプロレスもある宗教の祭祀だとしてみたら?

なんとなくそう思っただけ。

2001-03-31 (6) 23:19:29 +0900

広尾駅を出たところの順心女子学園の看板の変遷

先週、 地下鉄日比谷線広尾駅の六本木駅寄り出口を出たところで、 「歩道橋を利用しましょう」 という順心女子学園中学校高等学校と麻布警察署の連名の看板を見た。 前よりもかなりトーンダウンしたようだ。

ちなみに、1996-03-06 には 「順心女子学園生徒は(高校2・3年生は除く)/ かならず歩道橋を渡りなさい/ 順心女子学園生活指導部 麻布警察署」 と、1996-09-18 には 「順心女子学園生徒は 高校3年生を除く/ かならず歩道橋を渡りなさい/ 順心女子学園生活指導部 麻布警察署」 とあった。 これじゃ、 広尾駅で降りた生徒が道の手前側に用事があるときも渡らなくちゃならない。 歩道橋を渡れという指示が体力作りを目指したものならそれでもよいかもしれないが。

2001-03-31 (6) 23:06:28 +0900

さわって読み取る懐中時計と携帯電話のマナーボタン

昔、人のうちに呼ばれたときに懐中時計を見ると 「早く帰りたいな」の意味になって失礼なので、 ポケットにいれたまま針にさわって読み取れるようになっていたと聞いたことがあるが、 携帯電話のマナーボタンがちょっとそれに似ているかもしれない。

2001-03-31 (6) 22:48:33 +0900

「**に住まう」と見ると新かなの「スマウ」か旧かなの「スモー」か迷う

最近の住宅の広告では「**に住まう」がはやりなのかもしれないが、 現代かなづかいで sumau と書いたつもりなのか歴史的かなづかいで sumô と書いたつもりなのか考えさせられてしまう。

2001-03-31 (6) 22:37:47 +0900

「ソメイヨシノ」を「ソメーヨシノ」と発音しているアナウンサーがあるが

語源は「染井吉野」ではないか。

2001-03-31 (6) 22:33:58 +0900

「靴を脱いでください」とあるところで「これは靴下です」と言い張ったら?

「これは靴下です、私は靴ははかずに靴下だけで歩いてきたのです」 と言い張ったらどうするか。

「足にはいているもののうち、一番上の一つをおとりください」 と書いておくのが正しい?

2001-03-31 (6) 22:28:33 +0900

「靴を脱いでください」とあるところで裸足できた人はどうするのだろうか?

神社仏閣などで「靴を脱いでお上がりください」というところがあるが、 裸足でそこまできた人はどうするのだろうか。

履き物をはいていたらそれを取れ、 ということならそのままで構わない。 泥を持ち込まないために靴を脱げというのならそのまま上がられては困る。

2001-03-31 (6) 22:24:20 +0900

田子の浦付近で新幹線の窓からみた「ゆ」の字は「田子の浦湯」?

先週、新幹線で田子の浦のあたりを通ったとき 『万葉集の「田子の浦ゆ」の形と 百人一首の「田子の浦に」の形とではどちらがいいだろうか」 と考えていたら 大きな字で「ゆ」と書いてあるのが目にはいってびっくりした。 銭湯の看板だったのではあるまいか。

2001-03-31 (6) 22:21:09 +0900

大阪を「オサ」とするJR内部の略称は空港名の三文字コードと似てないか?

何年か前、金沢駅のホームで駅員用の時刻表のようなものを見ていたら 「オサ・ナコ・マイ」と書いてあり、 しばらく考えて「大阪・名古屋・米原」のことだと気がついた。 福井方面に向かう長距離列車の主な終着駅である。 (ここまでは記憶で書いているのでもしかしたら間違いがあるかもしれない。)

最近気がついたことは、 これらが空港名の三文字のアルファベットによる略称と似てないか、 ということだ。

2001-03-31 (6) 22:13:43 +0900

万葉集>「夏借」で「なつかし」と読むそうだが「なつかり」ではないのか?

岩波文庫「新訓万葉集上巻」33 ページには 「夏借」で「なつかし」と読むと書いてある。 何十年もの間これで納得していたが、 これでは「なつかり」ではないかと気がついた。 しかし、 岩波古語辞典によれば「貸し」と「借り」は他動詞形と自動詞形の関係だそうだから、 これでいいのだろう。

2001-03-31 (6) 22:07:19 +0900

「漆人(うるしびと)」というモンスターを考えてみた

べちゃーっと抱きつかれると全身かぶれてしまう。

一週間ほど前、大和デパートで「漆人展」というのをやっていたので思いついた。

2001-03-31 (6) 21:54:51 +0900

「エン」などの漢字音を一字に詰め込んだ特別な活字を作ったらどうか

新聞は「センチ」とか「キロ」とかを一文字に詰め込んだ特別の字を使っている。 それにならって「エン」を一文字に詰め込んだ字を作り、 「義捐金」を「義援金」と書き換える代わりに「義〓金」 (「〓」は実際にはその字)としたらどうだろうか。

「爬虫類」の「爬」のように読みがカナ一文字のものはカナをそのまま使って 「ハ虫類」とすればよい。

2001-03-31 (6) 21:46:33 +0900

文語訳聖書>旧約は「おもんばかる」で新約は「おもんぱかる」?

申命記 32.29 とピリピ 2.20 を比較せよ。

2001-03-31 (6) 21:33:45 +0900

「大学ポテト」とは呼ぶが「カレッジポテト」とは呼ばないのか?

デパートで、 昔の大学芋が「大学ポテト」という名で売られていたのを思い出して。

2001-03-31 (6) 21:30:38 +0900

文語訳聖書>中黒「・」は前の語の後ろにつくと考えるのか……

文語訳聖書ガラテヤ書 5.20 と 21 の境目が 《分離・異端・21猜忌・酔酒》 となっていることからそう思った。 それまで、 「中黒」という名前から前後二つの言葉の中間の黒い点、 と思い込んでいたのが間違いだったかも。 そうではなくて正方形の真ん中の黒い点?

2001-03-31 (6) 21:23:43 +0900

オバデヤ書、ピレモン書などは一章からなるのかそれとも章分けがないのか

日本聖書協会の聖書の目次では章数を1とするが、 引用の際には「ピレモン 10」とするのが普通であって 「ピレモン 1.10」とはしない。

『章の数は1だから「ピレモン 1.10」が正しいがスペースの節約のため 「ピレモン 10」と書く』と説明するのが最も適当かも知れない。

2001-03-31 (6) 19:42:30 +0900

交読文 詩篇第 16 篇>「他神」はなぜ「あだしがみ」と濁って読む?

文語訳聖書 1980 年(以前)版、1982 年版、1984 年版、 2000 年版にはいずれも「あだしかみ」とふりがながある。

きのうの夜に文語訳を読んでいて、 頭に残っていた交読文との違いに気がついた。

交読文は讃美歌のうしろに収録されている。

2001-03-31 (6) 11:40:18 +0900

「沖田」と「起きた」を誤解する状況を考えてみた

沖田という姓の人ともう一人(例えば鈴木さん)が寝ている。 鈴木が目覚めたのに気づいた第三の人が 「起きた?」と聞くと「沖田?」と言われたのかと思った鈴木が 「いや、鈴木だ」と答える。

2001-03-31 (6) 11:24:18 +0900


すのもの Sunomono