聞いたことがないので、考えてみた。
ジークフリートが殺されそうになったとき、 それに気づいた兵士の一人がジークフリートを突き飛ばすが、 代わりにハーゲンの槍がささって瀕死の重傷を負う。 ジークフリートは、 身代わりになってくれた無名の兵士の最期を慰めるため、 歌を歌い続けるのである。 葬送行進曲のときはジークフリートも一緒に彼の遺体を運ぶ。
しかし、ギービヒ家に遺体が運ばれてきたときには、 遺体は(生きている)ジークフリートと入れ替わっている。 だからジークフリートの手があがるのは不思議でもなんでもない。 事情をしらないハーゲンは驚くわけだが、 最後にはみんな和解する ---- 待てよ、殺されたグンターはどうなる?
2002-12-31 (2) 02:22:02 +0900
万年筆は人それぞれ力の入れ方などにくせがあるから、 他人にはあまり使わせないほうがいい、 と言われるが、 右手と左手で一つのペンを使ってもいいものだろうか。
2002-12-31 (2) 02:09:42 +0900
本文ナシ
2002-12-30 (1) 03:28:39 +0900
29 日から 30 日にかけて NHK-FM で放送された今年のバイロイト音楽祭の 《ジークフリート》のハンマーをヴォーカルスコアと比べてみた。 途中までは「今年はミスが少ないな」と思っていたが、 なんとミーメが飛び出した箇所があった。ここはどう“採点”するか迷うところ。 ジークフリートはクリスティアン・フランツ、 ミーメはグレアム・クラーク。
zornig sprühst du mir Funken の -ken に重ねるのが落ちていた。 そのあとの Heaihohohohoho! の一つめと三つめの -ho- に重ねるのも。 その次の三つめの Hahei! は打たないのに打っていた。 (二、三、四拍目と次の小節の一拍目を打っていた。)
ミーメのセリフの dem Fafner fiel の Fafner のところは二つ打つはずが二つめが脱落。 八分音符になってからは、 lachen の小節の頭で四分音符を打って終わるはずがその小節も八分で六つ打ち、 次の小節は休みなのに頭で四分音符(らしきもの)を打っている。
またジークフリートの歌に戻って、 kalt und hart, wie du の小節は三拍めに一つだけ打つはずが 一拍めと四拍めに打っている。
またミーメの歌になって、 Alberich selbst の前は付点音符を含む 6/8 拍子のあとに八分音符四つの小節が一つあるが、 6/8 拍子のところの打ち方がなんか変。 八分になるのが一小節早く、本来八分の小節は頭に一つ叩くのみ。
その先では、ミーメの Der verachtete Zwerg, was wird er geehrt! の歌が二小節早く出てしまっている。 オーケストラはそのまま進んだが、 ハンマーはあわててミーメに合わせようとしたようである。 -ehrt! の小節はタンタタタ、次は休み、次はタンタンタタ、次は休み、 その次はタンタタウンタで、ここのウンタでミーメの次の Zu dem が出る。 早すぎたミーメに合わせるならタンタタウンタと打つべきところ、 ミーメはここで二小節遅らせてオーケストラに合わせようとしたので歌が出ない。 なんと、ここでハンマーはウンタのタを打っていない! Zu が出なかったことでとっさに判断したのだろうか。
Held の小節はタンタタタタタをタンタタタ、 Nicken の小節はタンタタをタンタと間違っている。 Welt のところからは八分休符に続いて八分で十五回打つはずだが、 最初の休符も打って七つでやめたようである。
2002-12-30 (1) 03:10:39 +0900
本文ナシ
2002-12-30 (1) 00:39:18 +0900
本文ナシ
2002-12-29 (0) 23:16:53 +0900
本文ナシ
2002-12-29 (0) 23:00:32 +0900
「ささやきの名人」 というのは耳元でささやいて相手をその気にさせてしまう人のこと。
2002-12-29 (0) 22:57:25 +0900
体長 20 〜 30 センチぐらいあるだろうか。 ちょっとしか映らないし、怪獣と違って視聴者の記憶にも残らないが、 あれを見せることで生物が巨大化しているかもしれないと思わせるわけだから、 重要な小道具である。
2002-12-29 (0) 21:55:12 +0900
外国の事故の報道で「日本人はいない模様です」と言うことがあるが、 これを「日本人がいなければそれでいいのか?」と批判する人があるようだ。 事故のニュースには
もしも後者の機能を否定するなら、被害者の名前はいっさい報道しない、 ということも考えられる。 被害者への連絡は個別に行なうべきだ、などと考えて。
2002-12-29 (0) 21:29:22 +0900
たいていの人がとしをとるのは誕生日の前日の 0 時である。 でも、このときに「おめでとう」を言う人はそれほど多くない。 それなのになぜ新年は元日 0 時に「おめでとう」を言う人があんなに多いのか?
付:二月 29 日生まれの人は平年には誕生日がこないが、 それでも二月 28 日にはとしをとる。
2002-12-29 (0) 21:11:05 +0900
いまFMで放送しているが、最後には 「あしたは《ジークフリート》をお送りいたします」ではなく 「次回は〜」のように言う。 再放送はないはずなので再放送時にも使える無難な言い方をしているわけでもないし、 と思ったが、放送が終わるときには日付が変わっていて、 実は“今夜は”になるからであった。
2002-12-29 (0) 21:03:19 +0900
それがどうした>自分
「限定怪人」というのは限定発売の怪人のフィギュアとか。
2002-12-29 (0) 19:49:08 +0900
エスペラントには、愛称を作る接尾辞がある。 男性名なら -^cj, 女性名なら -nj だそうだ。 (-^cj の ^c は実際には c の上に ^ がついた文字である。)
最初に聞いたとき、愛称の作り方まで決められているなんて不自然だ、 と感じたが、自然言語でも決められていることは多い、と気がついた。 日本語では最初のほうの音に必要なら長音・促音を加えて「ちゃん」をつけるとか。
2002-12-29 (0) 19:44:45 +0900
デパートの館内放送を聞いてそう心配した。 あるいは、携帯灰皿を持っているからと売り場で吸われたら。
「灰皿の備え付けてあるところで」と言えばそれらの心配はなくなる。
2002-12-29 (0) 19:35:31 +0900
27 日夜放送の「ラインの黄金」の第四場、ドンナーが雷を起こすところ。 最初の「ヘダー」が弱く、かつ「ヘダ」のように短く終わってしまったので、 一瞬、早く出過ぎたのかと思ってしまったが、 あまりよく聴いていなかったのでくわしくはわからない。
2002-12-28 (6) 02:11:14 +0900
エディントンのイプシロンは εijk という記号で表わされる。 i, j, k は 1, 2, 3 のどれかであり、その値は
これをC言語のマクロでエレガントに書いてみたい。
小手調べにクロネッカーのデルタを書いてみると、これは簡単だ。
#include <stdio.h> #define d(X,Y) ((X)==(Y)) int main() { int i, j; for (i=1; i<=3; i++) { for (j=1; j<=3; j++) { printf(" %d", d(i,j)); } putchar('\n'); } }
エディントンのイプシロンでは、引数は 1, 2, 3 しかありえないものと仮定しよう。 すると、 i ^ j ^ k が 0 になることと i, j, k が互いに異なることとは同値になる。 これで 0 になるかどうかを調べたあと符号を決める、というのが次のマクロである。
#include <stdio.h> #define e(X,Y,Z) ((X)^(Y)^(Z) ? 0 : ((X)-(Y)+3) % 3 == 1 ? -1 : 1) int main() { int i, j, k; for (i=1; i<=3; i++) { for (j=1; j<=3; j++) { for (k=1; k<=3; k++) { printf(" ε(%d%d%d) = %2d", i, j, k, e(i,j,k)); } putchar('\n'); } } return 0; }3 で割るのはエレガントでないので、別のを考えてみた。 三つの不等式「i < j」「j < k」「k < i」 のうち成り立つものの数の偶奇で置換の符号が決まることを利用している。
#define e(X,Y,Z) ((X)^(Y)^(Z) ? 0 : (X)<(Y)^(Y)<(Z)^(Z)<(X) ? -1 : 1)
0 かどうかも一緒に決めてしまおうというのなら
#define e(X,Y,Z) (((X)-(Y))*((Y)-(Z))*((Z)-(X)) / 2)も考えられる。 (i-j)(j-k)(k-i) は i, j, k のうち二つが一致すれば 0 になるし、 そうでなければ ±2 になる。 (「/ 2」の代わりに「>> 1」と書いてはいけない。 負の数の表現は処理系依存だからである。)
論理演算子だけで書ければ美しいのだが……。
2002-12-28 (6) 01:51:02 +0900
付)エディントンのイプシロンが出てくるようなプログラムでは、 ほかの部分でもかなり時間のかかる計算をしているだろうから、 最後のぐらいで十分に簡潔な気もしてきた。
付) 2 で割らないでおいて、 二倍の εijk を定義したと思うのもいいかも。2002-12-29 (0) 19:53:50 +0900
奥村さんの「いろいろ」を見ていて気づいたのだが、 <a href=" ... "> ... </a> は <s> ... </s> や <del> ... </del> で囲まれていても、そこをクリックすれば飛べる。 これは「リンクしている」というのだろうか、 「リンクしていない」というのだろうか。
実際にやってみるとこんな感じ。
リンク禁止のページにリンクするときに使えないだろうか?逆に <a href=" ... "> ... </a> の間に <s> ... </s> や <del> ... </del> を入れたり、 <a href=" ... "> ... <s> ... </a> ... </s> のようにしたりすることもできるようだが、 文法的に正しいかどうかはわからない。
2002-12-28 (5) 01:15:40 +0900
「ウルトラマン」最終回、ウルトラマンから分離され、 ゾフィーの持ってきた命の一つをもらったハヤタはウルトラマンと一心同体だったときの記憶を失ってしまうが、 ウルトラマンが自分の都合で記憶を消したとは考えたくない。 ゾフィーから命をもらった者は誰でも死んだときからそのときまでの記憶を失う、 と考えてみたらどうだろう? ウルトラマンはゼットンに倒されてからゾフィーに命をもらうまでのごく短い時間の記憶を失うことになるが……。
2002-12-27 (5) 21:51:02 +0900
前は「あさひ」という名前だったが、 北陸新幹線の「あさま」とまぎらわしいので最近「とき」に変わった。
「ときがゆけばおさないきみもおとなになるときづかないまま
」は、
ほんとは「時がゆけば」なんだろうけど、
メロディーのせいで「トキがゆけば」に聞こえる。
とき号が出ていったら幼い君が突然おとなになったりして。
「おさない」を「長内」という人名と考えることもできるか。 「トキが行けば、長内、君も大人になると気づかないまま」。 これじゃなんだかわからないか。
2002-12-27 (5) 21:03:48 +0900
ふと、
こういうページを見つけた。
「松山商工会議所/松山まつり/野球拳おどり」というページである。
このページによると、野球拳というのは踊りをベースにした宴会芸であって、
《最後にアンパイア(庄屋)、受ける(狐)、打つ(鉄砲)という”キツネ拳”
が行われていた
》
そうだ。
このような“変則的”なじゃんけんはほかにも聞いたことがあるような気がする。
2002-12-27 (5) 01:32:25 +0900
第三幕では彼は全く歌わない。 ローエングリンを襲い、殺されるだけである。
2002-12-27 (5) 01:01:56 +0900
聞いたけどわからなかった。情けない。
2002-12-27 (5) 00:45:13 +0900
15 日の放送分にノリスケさんとのお見合いのサザエさんたちによる回想があり、 そこではタイコさんは「イリエさん」と呼ばれた年配の男性に連れられていた。
2002-12-27 (5) 00:44:20 +0900
ワカメに遠慮して、 あの部屋にはいるときは必ず外から声をかけてからにしていたと思っていたが。 こないだの日曜日の放送分。
2002-12-27 (5) 00:39:41 +0900
意味なし。
2002-12-27 (5) 00:37:49 +0900
たとえ日本人には聞き分けられなくとも、 原語の va と ba は「ヴァ」「バ」と書き分けよう、という意見があるが、 だったら中国語の ta と da --- どちらも日本人には「タ」と聞こえることが多い --- を書き分ける方法も考えねばならないのではないか。 「タ゜」「タ」とか。これだと pa と ba は「パ゜」「パ」となってすごく変か。
要するに私は「ヴァ」「バ」の書き分けには賛成でないのだが、 そのくせ「ヴォータン」を「ボータン」と書かれるといやだったりする。
2002-12-27 (5) 00:35:22 +0900
芝居で赤穂浪士がふとんのぬくもりを確かめて 「まだ遠くへは逃げていない」と言うシーンを見ると、 もしも吉良側がこういう策略をして上野介の逃げる時間を稼いでいるのだとしたらどうなっただろうか、 と思ってしまう。
2002-12-27 (5) 00:25:17 +0900
本文ナシ
2002-12-27 (5) 00:20:28 +0900
本文ナシ
2002-12-27 (5) 00:17:56 +0900
元日の 0 時を中心とする時間帯に「おめでとうコール」や「おめでとうメール」 が集中するので発信を制限などするそうだが、 0 時になったら新年と決めるのがいけないのではないか。 「新年がくるのは初日の出のあと」とすれば、 日の出の時刻は各地で少しずつ違うから、集中が避けられると思う。
ユダヤ教の行事は日没をもって始まるそうなので、 決して不可能ではあるまい。
素朴に考えても、真っ暗な闇の中で、時計がある時刻を指したからといって 「新年おめでとう」を言い合うのは変なものだと思う。
2002-12-27 (5) 00:13:12 +0900
元日の 0 時を中心とする時間帯に「おめでとうコール」や「おめでとうメール」 が集中するので発信を制限などするそうだが、 日本全国で同じ時刻に新年を迎えるからいけないのではないか。 おおみそかの 21 時ごろから夏時間ならぬ新年時間にはいり、 各地域ごとに別々のタイムゾーンを使うようにする。 そうすればいっときに日本中で集中することがない。
ってのはもちろんダメだな。
2002-12-27 (5) 00:05:41 +0900
それとも着ぐるみを切って撮影したのか。 バルタン星人は飛行用の人形だったような気がするが、レッドキングは?
ウルトラセブンでは、 ガンダーが首を切られてから数歩歩いて倒れたような気がする。
2002-12-27 (5) 00:00:22 +0900
それとも、髪に見える黒い部分がおおいになっていて、実は一つだったのか?
2002-12-26 (4) 23:53:05 +0900
呼吸用に口にスリットがあるところから見ると。
2002-12-26 (4) 23:52:03 +0900
写真を見てもよくわからない。
2002-12-26 (4) 23:49:38 +0900
これを「にじゅうしじかん」と読むと変。
2002-12-26 (4) 23:47:42 +0900
本文ナシ
2002-12-26 (4) 23:44:47 +0900
本文ナシ
2002-12-26 (4) 23:40:34 +0900
そのことを忘れて旧暦はよかったと思うのは誤りである。
2002-12-26 (4) 23:39:14 +0900
本文ナシ
2002-12-26 (4) 23:37:21 +0900
…という話を読んだことがある。 ポスターに「*月*日に『***』というお店を開きます」と書くと その日以降は「開きました」に改めなければ古くなってしまうが、 「オープン」ならそのままで OK, というのである。
2002-12-26 (4) 23:33:35 +0900
…という話を読んだことがある。 だから「*月*日オープン」をよく見かけるのだ、というのである。
「開く」という和語がありながら使われないのが残念である。
2002-12-26 (4) 23:28:18 +0900
26日づけ大阪本社版トップ記事である。 読んで感じたことを、矛盾するものもありそうだが、並べてみる。
外来語は、こう訳そう》が変。 外来語は外国の言葉が日本語にはいったものなのだから、もう訳す必要がないはず。 「外来語はこう言い換えよう」ならわかるが。
……カタカナ言葉が続出し、小泉首相が「町内会の人たちは分かるのか」 と怒った》とあるが、 太平洋戦争終了時に 12 歳だった人は中学校から英語を習って育ったはずだ。 その人たちは現在 69 歳である。 町内会の主力メンバーはそれより若い人がかなりを占めると思われる。
2002-12-26 (4) 23:22:17 +0900
ちょっと前の朝日新聞のどこかの投書で、 未成年者喫煙防止法をなくし、 その代わりに小学校から喫煙の害を教えるようにしたらどうか、 というのを読んだ。 未成年者でタバコを吸う者の中にはそれで大人ぶっているつもりの者もあるだろうから、 何歳でも吸えることにすればかえって未成年の喫煙は減るというのである。
私はタバコを吸って大人ぶろうと思ったことはないが、 香辛料でならあるのを思い出した。 それまでわさびなしで食べていたそばに山のようにわさびを入れて食べた時期があったっけ……。
2002-12-26 (4) 22:49:46 +0900
「鳴らないよう」は「低高高高高低」、 「成らないよう」は「低高低低低低」であってるだろうか。 確か「はくたか号」でのこと。
2002-12-26 (4) 22:44:32 +0900
ウルトラマンで科学特捜隊という組織をおいたのは、 ウルトラQで特定の民間人が次々に怪獣と遭遇するのは不自然と考えられたからだそうだが、 私はあまりそうは感じていなかった。
その理由は、確かに彼ら三人はよく怪獣に出会うが、 そのことに回りの人間が言及しないからではないだろうか。 「ああ、いつも怪獣に出会う方たちですね」 などと言うセリフが毎回のように出れば、 確かに不自然なものになっていただろう。 彼らと怪獣との出会いを視聴者は知っているが、 あの世界の人は必ずしもよくは知らないのである。
一方、 ウルトラセブンのウルトラ警備隊はあの世界の子どもたちにもよく知られていたようで、 ポインターが停まるとあっという間に子どもたちに囲まれていた。 ウルトラ警備隊やウルトラセブンの活躍はあの世界の人たちにも知られていたのだろうか。 その場合でも、 二子山がスライドしてウルトラホーク1号が発進することなどは伏せられていたはずだ。
2002-12-26 (4) 22:35:27 +0900
この二匹の着ぐるみは役者が二人はいる。 どちらも荒垣輝雄と清野幸弘が演じたとムックなどに出ているが、 どの役者がどちらにはいったのだろうか?
ドドンゴは馬型なので、荒垣が前足だろうか。 ペスターは口をマペット方式で動かしたというので、 荒垣は利き手が口にくる側にはいったのではないかと想像するが……。
(文中敬称略)
2002-12-26 (4) 21:57:45 +0900
「地底超特急西へ」に出てくる「INAZUMA 号」は前傾デザインを基調としている。 つまり、車両は横から見ると
__________ \ \ \__ ___ __\ 前← ○ ○ →後ろのような形をしているのである。(実際にはここまで傾いてはいないけれど。)
では、終点の北九州駅についたあと、帰りの上り列車はどうなるのか。 普通の列車のように進行方向が変わるだけでは、 今度は“後傾”デザインになってしまう。 だからおそらく、 列車全体の向きを逆転させるのだろうが、 駅には列車全体を載せる転車台を置くだけの広さはないようである。 そうなると、駅を通り過ぎた先に、 そのまま前進するとUターンして上りホームに至るような、 特別な線路が用意されているしかないのではないか。
もしそうなら、 人工生命M1号に乗っ取られて暴走する機関車を車止めで止めるのではなく、 その線路を経由して上り線に誘導することはできなかっただろうか?
付:模型のほうが実物大のセットよりも傾きが急。:-)
2002-12-26 (4) 20:14:06 +0900
本文ナシ
2002-12-26 (4) 19:18:12 +0900
出張先から携帯電話で massangeana 氏の 「いろいろ」 を読んだ。
これを見て急に柿の種が食べたくなり、赴任先に戻ってからコンビニへ。 一軒めには柿の種はなく、類似品のみ。 もう一軒のほうにあった。ふつうの商品になんでもかんでもクリスマス用のラッピングをして売っている。 クッキーやキャンデーでは驚かないが, 柿の種をクリスマス用のケースに入れて「Holiday Party Tray」 という名で売っているのはさすがに予想外だった。
2002-12-24 (2) 21:45:08 +0900
べんとうを買いにはいった東京駅の大丸に
「大人こそ、サンタを信じましょ
」
というコピーの書かれたポスターが貼ってあって、
ふと浮かんだのがタイトルに書いたフレーズ。
(実はあとで“推敲”したけど。:-))
ポスターのコピーははっきりとは覚えてこなかったので、 列車の中から携帯電話で google を検索したが見つからず。 こちらに着いてからパソコンで調べてみたらここにあった。 画像になっているからひっかからないのだった。 このセールが25日までだからこのページも25日までかも。
2002-12-24 (2) 21:36:32 +0900
紅白歌合戦の曲目が決まった、という記事に中島みゆきも当然出ていたが、 最後にまた「【中島みゆき】」と書いてあったのでびっくり。 しばし考えてみたら、記者の署名だった。
インターネット上ではここ。
2002-12-20 (5) 00:17:06 +0900
女性の名前だと思っていたので、 google で検索すれば「本当に女性かな?」 などとうわさ話をしている掲示板でもひっかかるんじゃないかと調べてみたが全然なし。 BIGLOBE のページが 4 件に、 全然関係ない創作上の人物と思われるのが 2 件。
人名じゃなくて「編集長」 みたいな役職名なのだろうか? そう思って読んでみるとそれでも意味が通じる。
2002-12-20 (5) 00:11:36 +0900
google で調べるといろいろある。 定冠詞 la がついていることが多い。 複数にしているページもある。 しかし、 塔が三つあるのではなく三本の棒を使って一つの塔を別の位置に移動するゲーム、 と考えるべきなのであろう。 「le tour de Hanoi」としているページもあるが、 ハノイ旅行のページもあるから、間違いと決めつけることはできない。
2002-12-18 (3) 19:21:09 +0900
ハノイの塔のルールについては既知とする。
問題. 円盤たちは三つの棒のどれかに、 より大きいものがより下にくるようにささっている。 この状態から始めてルールに沿って円盤を動かし、 指定された棒に全ての棒がささっているようにできるか? できるとしたら、 ステップ数が最小の解は unique か?
ゴールとして指定された棒を、以下では「目的の棒」と呼ぶ。
命題. 円盤が N 枚であれば、高々 2N-1 ステップで終了する。 ステップ数が最小の解は unique である。 最初に全ての円盤が目的の棒以外の棒の一本にささっていれば 2N-1 ステップが必要である。
証明. 円盤を小さいほうから順に円盤 0, 円盤 1, 円盤 2, ... と名づける。 三本の棒は棒 0, 棒 1, 棒 2 と呼ぶ。
数学的帰納法で証明する。 N = 1 のときは命題は正しい。 N まで証明されたとし、N+1 の場合を証明する。
円盤 N のささっている棒が目的の棒でなければ、
次に、円盤 N が二度以上動く解はステップ数最小の解でないことを示そう。
もしも円盤 N が最初に棒 x から棒 y へ動き、 二度めに棒 y から棒 x へ動いたとしよう。 最初に動いたときにも二度めに動いたときにも円盤 0 から円盤 N-1 までは第三の棒 z にあったので、 円盤 N が最初に動いたステップから二度めに動いたステップまでは省けたことになる。 これはステップ数が最小であったことに反する。
次に、二度めに動くときは第三の棒 z へ移ったとしよう。 するとそのときには円盤 0 から円盤 N-1 までは棒 x にあったことになる。 その間に円盤 0 から円盤 N-1 は棒 z から棒 x に移った。 帰納法の仮定により、これには 2N-1 ステップを要する。 よって、二度めに円盤 N が動いたステップまでで少なくとも 2N+1 ステップかかっている。 われわれはここまでを高々 2N ステップで実現できる。 帰納法の仮定により円盤 0 から円盤 N-1 までを 2N-1 ステップ以下で棒 y に移せるので、 それに続いて円盤 N を棒 z へ直接動かせばよいのである。 これも、ステップ数が最小であったことに反する。
ステップ数最小の解が unique であることを示そう。
円盤 N が目的の棒にあれば、 ステップ数最小の解では円盤 N は動かないのだから、 円盤が N-1 枚の場合に帰着する。 そうでない場合、 ステップ数最小の解では円盤 N は最初にあった棒から目的の棒へ、ただ一度だけ動く。 その前の操作と、その後の操作は、帰納法の仮定によりそれぞれ unique である。 よって、全体は unique である。
最初に全ての円盤が目的の棒以外の棒の一本にささっていた場合には、 円盤 N を動かすことになる。 帰納法の仮定により、 その前の操作にもその後の操作にもちょうど 2N-1 ステップずつが必要となる。 よって全体では 2N+1-1 ステップが必要となる。 [証明了]
次は、この原理に基くCプログラムである。 円盤の初期位置はコマンドライン引数で決まるのでコメントを参照のこと。 引数をつけなければ全ての円盤は棒 0 にささっているとして開始されるので普通のハノイの塔になる。
#include <stdio.h> #include <stdlib.h> #include <string.h> #include <ctype.h> #include <time.h> #define N 16 /* 円盤の枚数 */ void init(int argc, char* argv[]); void print(void); void move(int i, char to); char a[N]; /* 各円盤の位置。これと N がグローバル“変数”*/ int main(int argc, char* argv[]) { init(argc, argv); print(); move(N-1, 2 - N % 2); /* 移動先の棒は N が奇数なら 1, 偶数なら 2 */ return 0; } /* 各円盤の位置を初期化。どう初期化するかはプログラム中のコメントを参照 */ void init(int argc, char* argv[]) { int i; if (argc >= 2) { /* コマンドライン引数ありの場合 */ if (isdigit(argv[1][0])) { /* 一字めが数字ならその列で初期化 */ if (strlen(argv[1]) != N) { puts("引数が不適切です."); exit(1); } for (i = 0; i < N; i++) { switch(argv[1][i]) { case '0': a[i] = 0; break; case '1': a[i] = 1; break; case '2': a[i] = 2; break; case '\0': default: puts("引数が不適切です."); exit(1); } } } else { /* そうでなければ乱数で初期化 */ srand((int)time(NULL)); for (i = 0; i < N; i++) { a[i] = rand() % 3; } } } else { /* コマンドライン引数なしの場合 */ for (i = 0; i < N; i++) { a[i] = 0; /* 全て 0 で初期化 */ } } } /* 各円盤の位置を印字 */ void print(void) { int i; for (i = 0; i < N; i++) { putchar(a[i] + '0'); } putchar('\n'); } /* 円盤 0 から円盤 i までを棒 to へ移動。i < 0 なら何もしない */ void move(int i, char to) { if (i < 0) { return; } if (a[i] != to) { /* 円盤 i が棒 to になければ、それより上の円盤を */ move(i-1, (0 + 1 + 2) - (to + a[i])); /* 第三の棒へ退避する */ a[i] = to; print(); /* それから円盤 i を棒 to へ移動する */ } move(i-1, to); /* 円盤 i より上の円盤を棒 to へ移動する */ }
付:ステップ数が最小である解では
付:通常のハノイの塔の説明では、 円盤 N が二度動いたらステップ数が最小ではない、 いうことがはっきりとは述べられてないような気がする。
2002-12-17 (2) 20:54:53 +0900
上の print() を 《ハノイの塔>奇数(resp. 偶数)番目の円盤どうしが隣り合うことはない (2003-02-10 (1) 02:10:16 +0900)》の print() で置き換えると、 円盤の番号の偶奇で色分けして出力される。 最初は(一般には)偶奇が互い違いでなかったものが、 だんだんに互い違いになってくるのがわかっておもしろい。
2003-02-10 (1) 21:29:47 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-09 (2) 01:39:18 +0900
本文ナシ
2002-12-17 (2) 02:02:29 +0900
google で検索してみると、「スネークブッシュ」というのは植物の名前らしい。
2002-12-17 (2) 01:57:03 +0900
左右に一人ずつはいっているわけだから。 ウルトラマンにまっぷたつにちぎられて、 首のないほう、あるほう、それぞれ別々の断末魔、 なんてのも見てみたかった。 悪趣味か。
2002-12-17 (2) 00:51:42 +0900
《ハノイの塔>ある段階での円盤の配置から“次の一手”を簡単に知る方法 (2002-12-06 (5) 23:40:33 +0900)》 で証明したように、最小ステップ数の解は
子どもに説明するなら、 三本の棒の間に順番をつけておき、 「最初はこの棒 (2) の先を左手でつかむ。 するとこの棒は円盤が出し入れできなくなるから、 ほかの二本の棒の間で円盤を動かす。 次はこの棒 (1) をつかんで同じことをやる。 その次はこの棒 (0), それが済んだらこの棒 (2) に戻る……」 と教えればよさそうだ。
Cプログラムで書いた一例を示す。
#include <stdio.h> #define N 16 /* 円盤の枚数 */ int main() { int i; char x; char a[N+1]; /* 円盤の位置 */ for (i = 0; i < N; i++) { /* 初期化 */ a[i] = '0'; } a[N] = '\0'; x = '2'; puts(a); while (1) { for (i = 0; a[i] == x; i++) { /* 動かすべき円盤をさがす */ ; } if (i == N) { /* ないとき、終了 */ break; } a[i] = ('0' + '1' + '2') - (a[i] + x); /* 円盤を移動 */ puts(a); x = x == '0' ? '2' : x-1; /* '2' -> '1' -> '0' -> '2' -> ... */ } return 0; }
次に、途中状態を見せられたときに“次の一手”を知る方法を考えよう。 《ハノイの塔>n ステップ後の各円盤の位置を n によらない計算量で計算する (2002-05-07 (2) 23:57:03 +0900)》 に書いたように、円盤 i は
次のCプログラムでは、 (-1)i+1 の代わりに i が偶数のとき 2, 奇数のとき 1 をかけて足している。
#include <stdio.h> #define N 16 /* 円盤の枚数 */ int move(char* a, int size); int main() { int i; char a[N]; /* 円盤の位置 */ for (i = 0; i < N; i++) { /* 初期化 */ a[i] = 0; } do { for (i = 0; i < N; i++) { /* 印字しては */ putchar(a[i] + '0'); } putchar('\n'); } while (move(a, N)); /* 移動を試みる */ return 0; } int move(char* a, int size) { int i, x, sgn; /* mod 3 なので sgn は 1 または 2 とする */ for (x = 2, sgn = 2, i = 0; i < size; i++, sgn ^= 3) { /* 棒を選ぶ */ x += sgn * a[i]; } x %= 3; for (i = 0; i < size && a[i] == x; i++) { /* 動かすべき円盤をさがす */ ; } if (i == size) { /* ないとき、終了 */ return 0; } else { /* あるとき、円盤を移動 */ a[i] = (0 + 1 + 2) - (a[i] + x); return 1; } }
2002-12-17 (2) 00:37:03 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-09 (2) 01:42:23 +0900
「尾根井さん」とか「お寧さん」とか。
2002-12-17 (2) 00:21:40 +0900
(7/4)2 = 49/16 は 48/16 = 3 に近く、 (12/7)2 = 144/49 は 147/49 = 3 に近いことを利用して書いてみた、 25 × 15 の文字盤の絵である。
■・・・・・・■ ■ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ■ ■ ・ ・ ・ ■ ・ ■ ■ ■ ■ ■ ■
10 時や 2 時は思ったより下にくる。 実際にはもう少し上になるが、 7 / 31/2 = 4.041... だから約 1% である。
11 時や 1 時ももう少し上だが、 7 × 31/2 = 12.124 ... だからやはり約 1% である。
注)
■■ ■■が正方形に見えるようにブラウザ・フォントを調節してからご覧になってください。
2002-12-15 (0) 00:59:02 +0900
付) 9 時と 10 時の距離 : 9 時と 11 時の距離 = tan 30° : tan 60° = 1 : 3 だから、 どちらも約 1 % なのは偶然ではないのだった。
2002-12-16 (1) 19:20:18 +0900
ムーンフェイズの代わりになりそうだ。
2002-12-15 (0) 00:13:02 +0900
岩波版旧約聖書「エレミヤ書」の訳者は関根清三氏。
20.3 を見ると「マーゴール・ミッサービーブ
」と音写しそのあとに
「〔恐ろしいことが周りから〕
」とつけ加えている。
google で見つかったのは読売新聞の書評のようだ。小説だろうか。
magor-missabib なら google でたくさんみつかる。
2002-12-15 (0) 00:05:09 +0900
ここ金沢でその年の最初のまとまった雪が降ると、 雪だるまを作ったり雪合戦をしたりする学生が現れる一方、 しらっとした目でそれを見ている学生もいる。 前者はたいてい、雪のない太平洋側からきた学生である。 そうやって雪に浮かれることを「雪浮かれ」と呼んでみた。
google で検索しても出てないみたいのでここに「新語宣言」しておこっと。
2002-12-14 (6) 23:32:04 +0900
14日づけ朝日新聞大阪本社版の中のほうに出ていた、 文部科学省の学力調査問題の一例。
次の対話を完成するために、【 】内に与えられた語句をならべかえて、 ( )内に入る文を作り、それを書きなさい。 ただし、与えられた語句には一つだけ余分なものがあり、 また文頭に来るものも小文字になっています。
A: Happy birthday! This is for you. ( ). B: Thank you.【don't hope I it like you'll】
正解は I hope you'll like it だが、 「文頭に来るものも小文字になっています」は正しいだろうか。
2002-12-14 (6) 21:38:56 +0900
きょう14日づけの朝日新聞大阪本社版 be の b1 面の下に 「ゴールド・ヴェルサーチ」という腕時計の広告が出ているが、 写真を見たとたん、気分が悪くなるのを感じた。 それは、 長針がほぼ2時を指しているのに短針が10時の少し手前を指しているからだった。 やや縦長なので、 デザインの都合で「時」のマークの位置をずらしてあるのであろう。
URI は http://www.iei.co.jp である。
2002-12-14 (6) 19:40:28 +0900
きょう14日づけの朝日新聞大阪本社版オピニオン面に、 米大使館員アレン・グリーンバーグ氏の 《忠臣蔵 / 行事は「真の12月14日」に》が載っている。 旧暦の 12 月 14 日の事件なのにきょうで 300 年としてよいのか、という意見である。 なお、末尾に「原文は英語」と断り書きがある。
だが、ではいつを“本当の”討ち入り 300 年とするのかには
討ち入りの日は真の12月14日(来年の1月16日)に戻されるべきだ》 と書いているので、後者の考えであろう。 《
14日という日付には本来、「満月直前の月」 (a waxing moon) という暗示的な意味もうかがえる》 と言っているのとも合うようである。 (手元の Filofax のダイアリーでは 2003 年 1 月 18 日が満月になっている。)
一方、筆者は
《18世紀半ばにグレゴリオ暦を採用した米国では、
それ以前の出生者は誕生日の日付を変えた。
しかし、ジョージ・ワシントンやトマス・ジェファーソンの墓石には、
歴史的意味を残すため、旧式、新式双方の誕生日の日付が刻まれている
》
とも説く。
この場合は前者の意味であろう。もしも後者の意味であるなら、
ユリウス暦とグレゴリウス暦とのずれは 400 年に 3 日ずつ増してゆくから、
これからも 400 年に 3 度、「新式の誕生日」を刻みなおさねばならなくなる。
そのほかに筆者は
《旧ソ連の10月革命の祝賀行事は今の11月に行われていた。
「10月」という旧暦での呼称は残しつつ、
記念日は旧暦を新暦に置き換えた日としていたのだ
》
としているが、これはどちらの意味であろうか。
「旧暦を新暦に置き換えた日」という言い方からは、前者であるように思える。
後者の意味だとしたら、
2100 年はユリウス暦ではうるう年だがグレゴリウス暦では平年なので、
そこで日付が一日ずれるはずである。
ほかにイスラム暦の例もあげているが、 イスラム暦はいまも現役で使われているので問題はない。
最後のほうで
《史実の重要性を損なわぬために、日本も暦の併用を検討すべきではないか
》
と言っているので、やはり後者であろうか。
だとすると、
米国や旧ソ連の例をあげた意味が薄れるだろう。
それに、もしもユリウス暦を“併用”したら、
季節感はどんどんずれてゆく。
これでは、
前半で日本の旧暦と新暦との混同から季節感がずれていることを嘆いていたのと矛盾する。
よくわからない。
付:討ち入りの日付は広辞苑第五版で「赤穂義士」をひいて調べた。
付:日本における旧暦から新暦への改暦は太陰太陽暦から太陽暦への改暦だが、 ユリウス暦からグレゴリウス暦への改暦は太陽暦の間での改暦である。 よって、同じ改暦でも性格が異なる、と説明することはできようが、 だったら説明しなければわかるまい。
付:広辞苑第五版で「暦法」をひくと、 日本のいわゆる旧暦も一つではなかったことがわかる。 このうちのどの暦だと思って現在にまで延長するかも考えねばならない (かもしれない)。
2002-12-14 (6) 19:10:42 +0900
「太陽太陰暦」と書いていたのを「太陰太陽暦」に改めた。 間違って記憶していたものである。
2003-01-27 (1) 00:30:01 +0900
前者はウィザードリィ用語(かもしれない)。
2002-12-14 (6) 18:02:25 +0900
三つの顔を持つ頭部がNGとなって顔を切り換えるシーンをカットしたため、 ダダに三つの顔があることがわかりにくかった。 全身にあれだけインパクトのある怪物が出たら、 小さい子どもは顔まで見ていないのである。
別の方法で三つの顔があることを視聴者にアピールできなかっただろうか? ムラマツ隊長がダダと闘いながら科特隊本部にダダの映像を送り、 本部で解析の結果、三匹いるらしいとわかるとか。 三匹の写真を並べるとか、 モニターに三つの顔が並んで写るとかすれば子どもにもわかりやすい。
2002-12-14 (6) 17:58:21 +0900
最終回でウルトラマンとハヤタは切り離され、 ハヤタはウルトラマンだったときの記憶を失ったようなセリフを口にする。 ウルトラマンが記憶を消した、という説が有力なようである。
私は、本放送を見たときには幼くてよくはわからなかったが、 脚本を書いた人の間で設定がくい違っていただけだ、と感じていたようである。 初めから記憶を消すつもりだったなら、 ウルトラマンは第一回でハヤタに謝罪したり「一心同体になる」 と説明する必要はなかったのではないか。 どうせ覚えていないのだから。
いまになってよく考えてみると、 ウルトラマンはハヤタが死を迎えるまでハヤタと一心同体でいるつもりだったのでは、 と思われる。 ハヤタの死の直前に自らをハヤタから切り離すのか、 あるいはハヤタの肉体の死とともにウルトラマンも死ぬつもりだったのかはわからないが。 それが、都合でハヤタと切り離されねばならなくなったため、 しかたなくハヤタの記憶を消したのであろう。
エルザとローエングリンの悲劇が思い出されるところである。
あれ、 ゾフィーから命をもらったウルトラマンはなぜM78星雲に帰るんだっけ? ハヤタには命を与えず、それまでどおり一心同体でいたらどうなのだろう。 もらった命では人間と一心同体ではいられない、というような設定があるのだろうか?
2002-12-14 (6) 17:46:29 +0900
キングジョーは「頭・腕部」「胸部」「腰部」「脚部」 の四つの物体に分かれて空を飛ぶが、 最後にやられて倒れると「頭・腕部」からペダン星人の円盤が逃げ出してくる。
それよりも、「頭・腕部」そのものが円盤であるほうが、 映像の面ではおもしろかったのではあるまいか。 腹部をやられると「頭・腕部」が離脱・逃走しようとし、 頭と腕を失ったキングジョーは数歩あるいて倒れる ---。
2002-12-14 (6) 17:27:36 +0900
普通の怪獣の約十倍の体重があるのだから、 海に落とせばぶくぶくと沈んでいって一件落着だったのではあるまいか。
そもそも海に落ちてきたらどうなっていたのだろう。
2002-12-14 (6) 17:19:16 +0900
三つの顔を切り換えるシーン用に作った頭部の写真がムックなどに出ているが、 これはNGとなり、作品中では切り換えシーンはなかった。 そのため、一匹で三つの顔を使い分けている、 という肝心な点が視聴者にわかりにくかったと思う。
2002-12-14 (6) 17:11:35 +0900
ダダも「奴は一人だったのか!」と言ったりして。
2002-12-14 (6) 17:00:05 +0900
2021-06-15 (2) 20:42:09 +0900
写真を元に右・左を議論する場合、写真が裏返しだったらそれでおしまいである。 引き伸ばしたものだけしかないと、裏焼きである可能性があるのだが、 ネガがあれば縁の文字を見ればどちらが表かわかるはずだ。 と思ったが、裏向きに撮れるカメラだったり、 長巻きフィルムから切り分けてパトローネに入れるときに裏向きにされていたり、 ということはないのだろうか。
文字の書かれたものと一緒に写っていれば問題ないのだが。
2002-12-14 (6) 16:52:13 +0900
一つの頭に三つの顔がついているわけで、その順番が気になる。
「大ウルトラマン図鑑」(ホビージャパン、1996 年)を見ると、 粘土原形の写真は一枚で、そこにはBとCの横顔が写っている。 それから作ったNG頭部のスナップは三枚に三つの顔が別々に写っているだけなのだが、 BとCにはちょうど頭の反対側にあたるところのAの顔のふたのすみが写っている。
これらから推理すると、 頭の上から見たときに反時計回りにA、B、Cの順についているようである。
なお、 「ウルトラセブンベストブック」(竹書房、1993 年) の巻末に掲載された粘土原形の写真は上のとそっくりなので同じものだと思っていたが、 よく見ると別物でCとAの横顔が写っている。
2002-12-14 (6) 16:31:09 +0900
ウルトラマン関連の商品を売る店があるが、 子供向けのものが多いようで、大人の購買意欲をそそるものは少ない。
ムックなどに、NGになったダダの頭部の写真が載っていることがある。 一つの頭部に 120 度ずつずれた方向を向いた三つの顔がついており、 作品中で顔を切りかえるシーンがはいるはずだった、というのである。 それの元となった粘土原形の写真もある。
この原形を元に金属製の文鎮を作ったらどうだろうか。 売れそうな気がするのだが。
2002-12-14 (6) 16:18:17 +0900
12日づけ大阪本社版「カレー事件判決骨子」の最初の段に
《被告の実兄方で保管されていたA〜Cの三つの缶及びタッパー内の亜ヒ酸(D)
並びに被告の旧宅のガレージから押収されたミルク缶内の亜ヒ酸粉末5点(E)、
被告方から押収されたプラスチック製小物入れ付着の亜ヒ酸(F)
及び夏祭り会場から押収された青色紙コップ付着の亜ヒ酸(G)
並びに東鍋中の亜ヒ酸(I)結晶について異同識別鑑定した
》
とあるのだが、なぜ「H」がないのであろうか?
2002-12-14 (6) 01:49:03 +0900
12日づけ大阪本社版「天声人語」はトップ記事
「林真須美被告に死刑」に関連するものだった。
《真実は須(すべから)く美しい。そんな被告の名前とは違って
》
とあるが、「須く」ときたら「べし」
で結ぶのではなかったか? と思って広辞苑第五版を見たら「多くの場合」
となっていた。
それはそれで勉強になったからいいのだが、 この名前の由来は筆者の考えたものなのだろうか、 それとも被告本人あるいはその周辺の人が言ったことなのだろうか。 google で検索してみたが、後者である証拠は見つからなかった。
2002-12-14 (6) 01:40:30 +0900
12日づけ大阪本社版第一面トップ
「林真須美被告に死刑」の見出しに《「激高」否定
》とある。
2002-12-14 (6) 01:31:30 +0900
12日づけ大阪本社版第一面トップ 「林真須美被告に死刑」の中に 「ヒ素」「亜ヒ酸」という表記が出てくる。 最近はこのような「混ぜ書き」は避ける方針ではなかったのか?
2002-12-14 (6) 01:29:26 +0900
聖書講義の中の文語訳聖書からの引用も「ヱレミヤ」でなく「エレミヤ」としている。 「ヱホバ」はそのままである。
2002-12-14 (6) 01:26:45 +0900
岩波文庫解説総目録によれば、 ゲーテの「若きウェルテルの悩み」が最初に岩波文庫にはいったときは 「若いヱ゛ルテルの悩み」だったそうである。 ちなみに作者名はギョエテと表記されている。
この「ヱ゛」がどんな外来音を表わすつもりだったかは、 広辞苑第五版の本文も見てもわからない。 「ヱ゛」=「ヴェ」は日本語の音にはなっていないという見方もあるので、 以下では代わりに「ヱ」=「ウェ」について考えることにしよう。
もしも「ヱルテル」という表記を見たとして、 「ゑ」をひけば平安中期まで we だったとは書いてあるが、 明治以降に外来音「ウェ」を表わしていたことがある、とは書いてないのである。 (ただし付録の「外来語の表記」には「ヱルテル」という用例が出ている。)
「かなとオトの関係はわかっている人だけが使う辞書だから不要」というなら、 「う」などにオトの説明が出ているのは余分となろう。 (それでいて「ティ」や「ヴァ」は出ていない。)
更に、 もしも載せるなら「ヱ」は「イェ」と読まれていたこともある、 と書く必要があるかもしれない。
2002-12-14 (6) 01:05:12 +0900
「ヱレミヤ」という文語訳の表記はこんなに少ないものか。
文語訳の電子テキスト化をめざすページもひっかかる。
2002-12-13 (5) 20:58:35 +0900
後者がどういう意味かは考えていない。:-)
2002-12-13 (5) 20:57:09 +0900
ヱビスビールの「ヱビス」はローマ字で YEBISU だが、 ヱの表わしていたとされる音は we であって ye ではない。
ヱを ye とした理由は 「かなづかいが全く乱れてしまい、ヱがヤ行エ段のカナだと思われていた」 からだと読んだ記憶がある。
ほかに、英語では Jeremiah とつづるエレミヤが「ヱレミヤ」と書かれるなど。
ついでに。 歴史的かなづかいは「えびす」であって「ゑびす」ではない。 「ゑびす」は「恵比須」という文字につられたものであろう。
2002-12-13 (5) 20:50:24 +0900
広辞苑は古文でしか使われない語でも現代かなづかいでひくのだが、 「ゐ」「ゑ」の部には「ゐ」「ゑ」だけが載っていて、 これらの表わすオトとかなの由来が説明されている。
現代かなづかいで書いた文章の中で 『「ゐ」の字は……』のように「ゐ」の字を使うことはあるが、 それなら『「λ」の字は……』と言うこともあるのだし、 変体仮名はなぜ載せないか、ということにもなりそうだ。
あまり深く考えず、昔は使われていた文字だから、ということで入れたのか。 見出し語に歴史的かなづかいを添えているから、 その説明のために載せたと考える? だったら巻頭の凡例の中で説明すればいい……。
前の版を見てみたら、「ゐ」「ゑ」を載せるのは第四版からである。
2002-12-13 (5) 20:37:22 +0900
「泣く子と地頭には勝てぬ」というが。
道端でいい家のおぼっちゃんみたいな子が泣いて、おつきの者が困っている。 それを見た村人がかげで 「『泣く子と地頭には勝てぬ』というからなあ。 ところで、こんどくる地頭様(←っていうのかな)はどんなお方じゃろう?」 と話している。 数日後、新しい地頭に呼び出されて村人が役場にゆくと、 あの泣いていた子が新しい地頭だったとわかる ---。
2002-12-13 (5) 20:22:21 +0900
「泣く子と地頭には勝てぬ」というが。
この話、前に書いたと思ったが書いてなかったようだ。
2002-12-13 (5) 20:16:49 +0900
「天地人」って言うもんね。
2002-12-13 (5) 19:33:35 +0900
英語では違う言い方をする。
2002-12-13 (5) 19:32:36 +0900
2002-12-13 (5) 19:23:09 +0900
ガリレオの時代にはカトリック教会は天動説を認めていなかったが、 地球が丸いことは認めていたのではなかったか。 そうでないと地球の回りを太陽が回ると考えることができないだろう。 ダンテの「神曲」でも地球は丸いと考えられている。
しかし、 旧約聖書では地球が丸いと考えられてはいないように思える。
ということは、 聖書に基づかない世界観を認めないわけではないが天動説は認めなかった、 ということか。
新約聖書の地球観はどうだったっけ。
2002-12-12 (4) 19:53:54 +0900
《google で「整えさせられなければ」は 0 件 / これは“最も長い”語の一つ (2002-12-11 (3) 00:56:03 +0900)》を読まれた massangeana 氏がより長い例「整えたがらせられなければ」を教えてくださった。 「たがる」をどうするかは考えていなかった。 それは、分かち書きについて考えていたころメインに使っていた岩波国語辞典第三版の 「助動詞活用表」に載っていなかったからである。:-)
同氏がほかにあげられた「印象づける」「お上品ぶる」 のような複合語を使う例については、長い名詞を探して --- あるいは作って --- くればいくらでも長くできるので、除外することにしていた。 なお、これらは「印象」「お上品」の独立性が高いので 「insyô-zukeru」「ozyôhin-buru」のように書くことも考えられる。
ところで、 同辞典の「たがる」の説明によれば、この語は助動詞 「(さ)せる」「(ら)れる」の連用形にもつく。 ということは「整えたがらせたがる」も可?
カゼなので寝ていなければならない三女が「起きたがる」、 それは次女がかまって「起きたがらせる」からで、 彼女らの母親は「妹を起きたがらせたがるんじゃないよ」と次女をしかる、 そして夫に 「長女が次女をして三女を起きたがらせたがらせているのでは」 と語る、……。
この調子でゆけばいくらでも長くできる?
2002-12-12 (4) 03:02:03 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-09 (2) 01:47:58 +0900
そういう言葉はないと思うけど、 「空気中」を「空気じゅう」と読めば「空気全体の」という意味になってしまう。 (用例:「空気じゅうの酸素」)
広辞苑第五版には「世界中」も「空気中」も見出しには出ていない。 (「世界中」は「じゅう」の用例としてあがってはいるが。)
「〜じゅう」か「〜ちゅう」か、 個々の単語ごとに子どものころから耳で聞いて覚えてきた、 ということになるのだろうか。
2002-12-11 (3) 23:26:29 +0900