いくら投手ががんばっても、得点しなければ勝てないのだから。 だから、一種の「言葉のあや」なのだろう。
2003-08-21 (4) 21:17:15 +0900
PC 用の光学マウスを始めて買ったとき、 常時光りっぱなしなのに驚いた。
赤く光っているところに指を当てると、 骨のあるはずのところまで赤く見える。 小指などは一番先の関節より先はすべて赤く見えるほどだ。
だから、「血が透けて見えている」なんてのは大ウソなんだろうな。
2003-08-21 (4) 19:46:08 +0900
実習室のように同じマシンがずらーっと並んでいるところでは、 ロックスクリーンをかけて席をはずした間にキーボードを隣のと入れ換えられても、 気がつかないのではないか。 ロックスクリーンにはいろいろな種類があるだろうが、 マウスを動かすとパスワード入力画面が出るタイプの場合、 ディスプレイの前に置いてあったキーボードを信じて、 そこにパスワードを打ってしまう可能性が大きいような気がする。 それが実は隣のマシンにつながっていれば、 そこからパスワードを盗まれてしまう。 隣の席の悪人は、親切なふりをして 「どこかおかしいから事務室へ行って相談してきたら?」などと言い、 その間にキーボードを元に戻して置くのである。
と考えてみたが、 実はすぐに気づくように設計されていたりするんだよな……。
例えば、ロックスクリーン解除のためのパスワード入力の前に、 あるキーを押すことを必須にしておけば --- と言うか、押さないとパスワード入力画面にならないようにしておけばよい。
Windows では怪しいと思ったら Ctrl+Alt+Delete を押せばよい、 と聞いたことがある。 上に書いたのは linux の話。
2003-08-21 (4) 19:40:45 +0900
20日づけ朝日新聞大阪本社版文化総合面「ゼロサン時評」は、 演劇評論家の梁木靖弘氏の《「微分」して見えるもの》。 値そのものよりも変化が大切、というような議論かな、と思って読み始めたのだが。
途中から引用する。
《高級車だからといって、特別目を引くわけではない。
美女もそうだ。バブル的に増殖する「積分」は、
相当ハイレベルでもあたりまえにしか見えない。
いまは「微分」の時代である。
ほんの小さな違いを、これでもかと細分化していくほうがおもしろい
》。
本来の「積分」「微分」の意味とは全然違うのだが、
演劇評論家ならしかたがないか、と一瞬思った。
しかし、冒頭に
《勤務先の短大まで、高速道路を使って1時間かかる
》
とあるのを見て
「こんな風に言葉に勝手な意味を与えて講義するんじゃ、
学生はたまらないよなあ」と同情してしまった。
付)英語の differentiate には「微分する」のほかに 「詳細に区別する」の意味もあるから、 英語でなら一種の言葉遊びになっていると言える。 ただ、「積分する」にあたる integrate には、 著者がここで使っているような意味 --- どういう意味で使っているのかよくわからないのだが --- があるようには思えない。
2003-08-21 (4) 02:33:38 +0900
20日づけ大阪本社版「天声人語」。
《ユダヤ教の聖職者とイスラム教の指導者が並んで立っている。
くつろいだ様子に見える。
実際2人は親しい間柄で、英国での両社会の融和を推進してきた。
2人の大きな写真をあしらった英フィナンシャル・タイムズ紙の記事を読みながら、
日本のある狂言を思い浮かべた
》。
それが「宗論」である。
岩波文庫「能狂言(下)」の冒頭に収められているので読んでみたが、
ここに紹介されているのと細部まで同じかどうかはわからなかった。
「狂言 宗論 日蓮」で google を検索すると 14 件見つかり、
そのいくつかのページで紹介されているあらすじは岩波文庫のとほぼ同じだった。
一言で言うと、二人の僧侶を茶化しているだけで、
彼らは全く「宗論」をしてはいないのである。
《宗派は違っても根は同じなのだ、と笑いのうちに締めくくる
》
とは私には思えない。
《ユダヤ教とイスラム教の指導者の話に戻れば、
二つの宗教はこれまで相手を知らなすぎた、
互いを知れば知るほど両者に類似点の多いことがわかってくる、という。
こちらもいわば同根である
》。
相手を知ることは大切だし、
どちらも一神教であるから、類似点も多いであろう。
「同根」であることも確かである。
しかし、類似点がなかったら、同根でなかったら、 信仰する者たちの間には争いが絶えないのか。 「君の信じている教えとこの教えには類似点があるのだから、 同根なのだから、この教えに改宗しなさい」という話にならないか、 という不安もある。
2003-08-21 (4) 02:14:20 +0900
一部では旧暦が日本の四季に合ったすばらしいものであるかのように言われているが、 旧暦は中国の暦であるため季節感が日本とずれているし、 太陽の運行と月の運行の両方を取り入れるためかなり複雑なことをしている。 その前には素朴は自然暦があったらしい。 それは、現行の太陽暦とそれほど変わらないものだったと思う。 冬至などがほぼ毎年同じ日にくる、という意味で。
google で「自然暦」を検索してみると、 いろいろな意味で使われているようだ。
2003-08-20 (3) 22:57:15 +0900
《畳の敷き方>続・広さによらず、四枚が一点で接しないように敷けるのか? (2003-08-19 (2) 01:56:35 +0900)》で 7×10 は敷き方がわからなかった。 ここでは敷くのが不可能であることを示す。
これよりも面積の小さい反例があれば、 短辺の長さは 8 以下である。 前項でわかったことから 8×8 は OK であり、 8×9 はこれよりも面積が大きい。 短辺の長さが 6 以下なら OK であること、 7×7, 7×8, 7×9 が OK であることも前項で見た。 よって、これが最小の反例であることがわかる。 なお、以下の部分は前項とは独立に読める。
縦が 7, 横が 10 とする。 左の端の敷き方で分類して考えよう。 例えば
+−−−+ | | +−+−+ | | | | | | +−+ | | | | | | +−+−+ | | +−−−+ | | +−−−+と敷いた場合、上から読んで 1, 2, 2, 1, 1 と呼ぶことにする。
2 が 0 個、1 個の場合、 それぞれ 1 は 7 個、5 個である。 これらの場合、必ず 1 が 3 個以上ならぶ。 そこは
+−−−+ | | +−−−+ ← | | +−−−+ ← | | +−−−+となり、 この右に畳を置こうとすると矢印の指している角のどちらかで四枚の畳が出会ってしまいアウトである。
2 が 2 個の場合は 1 が 3 個であるが、 対称性を考えれば
1, 2, 1, 2, 1 を考える。
+−−−+ | | +−+−+ | | | | | | +−+−+ | | +−+−+ | | | | | | +−+−+ | | +−−−+からスタートである。
+−−−+−+ | | | +−+−+2| | | | | | |1+−+ | | | | +−+−+3| | | | +−+−+−+ | | | | |1| | | | +−+−+ | | +−−−+このように1を敷くと順に2、3が必須で、 これで3の下が敷けなくなりアウトである。
+−−−+ | | +−+−+−+−+ | | 1 | | | +−−−+3| | | 1 | | +−+−+−+−+ | | | +−+−+2| | | | | | |1+−+ | | | +−+−+ | | +−−−+これもアウト。
+−−−+−−−+−+ | | 2 | | +−+−+−+−+6| | | 1 | | | | +−−−+3+−+ | | 1 | | | +−+−+−+−+7| | | 4 | | +−+−+−+−+−+ | | 1 | | | +−−−+5| | | 1 | | +−+−+−+−+ | | +−−−+これもアウトである。
1, 1, 2, 1, 2 を考える。
+−−−+−+ | | | +−−−+1+−+ | | | | +−+−+−+4| | | 2 | | | +−−−+−+ | | 3 | +−+−+−+ | | +−+−+ | | | | | | +−+これでアウト。
1, 1, 2, 2, 1 を考える。
+−−−+−+ | | | +−−−+1+−+ | | | | +−+−+−+6| | | 2 | | | +−+−+−+ | | | | +−+3|5| | | | | | +−+−+ | | 4 | +−+−+−+ | | +−−−+これでアウト。
1, 2, 1, 1, 2 を考える。
+−−−+ | | +−+−+ | | | | | | +−+−+−+ | | | +−−−+1| | | | +−+−+−+−+ | | 2 | | | +−−−+4| | | 3 | | +−+−−−+−+でアウト。
以上で、2 が 2 個の場合はアウトとわかった。
2 が 3 個の場合、
1, 2, 2, 2 のとき、
+−−−+−−−+−−−+ | | 3 | 9 | +−+−+−+−+−+−+ | | 2 | 8 | | +−+−+−+−+ | | | 6 | +−+1+−+−+ | | | | | +−+5| | | | | +−+1+−+−+ | | | 7 | | +−+−+−+−+ | | 4 | A | +−+−−−+−−−+ここで二つの可能性がある。一つは
+−−−+−−−+−−−+−+ | | | | | +−+−+−+−+−+−+7+−+ | | | | | | | | +−+−+−+−+4+−+B+−+ | | | | | | | | | +−+ +−+−+2+−+8+−+E| | | | | | | | | | | | +−+ |1+−+5+−+C+−+−+ | | | | | | | | | F | +−+ +−+−+3+−+9+−+−+−+ | | | | | | | D | | +−+−+−+−+6+−+−+−+−+ | | | | | A | G | +−+−−−+−−−+−+−−−+−−−+でアウトである。F,Gの右の端が部屋の端であることに注意されたい。 もうひとつは
+−−−+−−−+−−−+−−−+−+ | | | | 9 | | +−+−+−+−+−+−+−+−+D| | | | | 5 | | | | +−+−+−+−+−+−+A+−+ | | | | 2 | | | | +−+ +−+−+−+−+7+−+E+−+ | | | | 1 | | | | | | | +−+ +−−−+4+−+B+−+H| | | | | 1 | | | | | | +−+ +−+−+−+−+8+−+F+−+ | | | | 3 | | | | | +−+−+−+−+−+−+C+−+−+ | | | | 6 | | G | +−+−−−+−−−+−−−+−+−−−+でアウトである。 (余談であるが、7×7, 7×8, 7×9 はこの敷き方を途中で打ち切ればよい。)
2, 1, 2, 2 のとき、
+−+ | | | | | | +−+−+ | | +−+−+−+ | | 2 | | +−+−+ | | | +−+1| | | | | +−+−+ | | 3 | +−+−−−+ここで二つの可能性がある。一つは
+−+−−−+−+ | | 6 | | | +−−−+7+−+ | | 5 | | | +−+−+−+−+8| | | 4 | | +−+−+−+−+−+ | | | | | +−+−+2| | | | | | +−+ |1+−+ | | | | | | +−+−+3| | | | | +−+−−−+−+でアウト。もう一つは
+−+−−−+−+ | | 6 | | | +−−−+7+−+ | | 5 | | | +−+−+−+−+8+−+ | | 4 | | | +−+−+−+−+−+9| | | | 3 | | | +−+−+−+−+−+ | | | 1 | | +−+ +−−−+2| | | | 1 | | | +−+−+−+−+ | | | +−+−−−+でアウト。
2003-08-20 (3) 00:12:30 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-25 (4) 02:38:34 +0900
岩波文庫で「若菜」を読み返しているのだが、 女三宮の母の「藤壷」は例の藤壷とは別人だそうだ。 しかし、少し読み進むと紫上の父と女三宮の母とは異母兄妹だそうで、 ってことは例の藤壷とも異母姉妹? (父親は先帝。)
阿部秋生校訂「完本源氏物語」(小学館) の巻末系図は第一部、第二部、第三部で別々だが、 式部卿宮の姉妹として第一部では「藤壷中宮」が、 第二部では「藤壷女御」が載っているので、 ぼんやり見ていると同一人物と思い込む可能性がある。 後者と冷泉院の間に親子の関係の線が引かれていないことに注意せねば。 (この系図はときどき親子の線が抜けているが、 ここは位置関係からして印刷ミスではない。)
2003-08-19 (2) 02:13:55 +0900
「人間と同じで心があるのだから、参政権もあって当然」 との主張はもっともに思える。
2003-08-19 (2) 02:00:40 +0900
《畳の敷き方>広さによらず、四枚が一点で接しないように敷けるのか? (2003-07-30 (3) 23:36:45 +0900)》の続きである。 縦の長さによって分類して考えてみた。 結論は、縦の長さがどれだけであっても、 横が十分に長ければ OK である。
縦が 1 のときは、
+−−−+ | | +−−−+を横に並べればよい。 横が奇数のときは
+−+ | | +−+をどこかに入れる。
縦が 2 のときは、
+−+ | | | | | | +−+を横に並べればよい。
縦が 3 のときは、
+−−−+−+−+ | | | | +−+−+ | | | | | | | | | +−+−+ | | | | +−+−+−−−+を横に並べてゆく。横幅が 4 で割り切れないときはそこで打ち切ればよい。
縦が 4 のときは、
+−−−+−+ | | | +−+−+ | | | | | | | +−+ | | | | +−+−+ | | | | +−−−+−+を横に並べてゆく。横幅が 3 で割って 2 余る場合はそこで打ち切る。 1 余る場合は、上のパターンを右から並べていって適当なところで打ち切ればよい。
一般の場合を考えるため、縦を 10 としてみよう。 左の端を下図のように敷いたとする。
+−+ | | | | | | +−+ | | | | | | +−+ | | | | | | +−+ | | | | | | +−+ | | | | | | +−+すると、順に、次のようにならざるを得ないように思える。
+−+−−−+ | | | | +−+−+ | | | +−+ | | | | | +−+ | | | +−+ | | | | | +−+ | | | +−+ | | | | | +−+ | | | +−+ | | | | | +−+−+ | | | +−+−−−+
+−+−−−+ | | | | +−+−+−+ | | | | +−+ +−+−+ | | | | | +−+ | | | | | +−+ +−+ | | | | | +−+ | | | | | +−+ +−+ | | | | | +−+ | | | | | +−+ +−+−+ | | | | | +−+−+−+ | | | +−+−−−+
+−+−−−+ | | | | +−+−+−+ | | | | +−+ +−+−+−+ | | | | | | +−+ +−+−+ | | | | | +−+ +−+ | | | | | | | +−+ +−+ | | | | | +−+ +−+ | | | | | | | +−+ +−+−+ | | | | | +−+ +−+−+−+ | | | | | +−+−+−+ | | | +−+−−−+
+−+−−−+ | | | | +−+−+−+ | | | | +−+ +−+−+−+ | | | | | | +−+ +−+−+−+ | | | | | | +−+ +−+ +−+−+ | | | | | | | +−+ +−+ | | | | | | | +−+ +−+ +−+−+ | | | | | | | +−+ +−+−+−+ | | | | | +−+ +−+−+−+ | | | | | +−+−+−+ | | | +−+−−−+
+−+−−−+ +−+−−−+ | | | | | | | +−+−+−+ | +−+−+−+ | | | | | | | | +−+ +−+−+−+ +−+ +−+−+−+ | | | | | | | | | | | +−+ +−+−+−+ | +−+ +−+−+−+ | | | | | | | | | | | | +−+ +−+ +−+−+ +−+ +−+ +−+−+−+ | | | | | | | | | | | | | | | +−+ +−+ | | または | +−+ +−+ +−−−+ | | | | | | | | | | | | | | +−+ +−+ +−+−+ +−+ +−+ +−+−+−+ | | | | | | | | | | | | | +−+ +−+−+−+ | +−+ +−+−+−+ | | | | | | | | | | +−+ +−+−+−+ +−+ +−+−+−+ | | | | | | | | | +−+−+−+ | +−+−+−+ | | | | | | +−+−−−+ +−+−−−+完成すると
+−+−−−+−−−+−−−+−−−+−+ +−+−−−+−−−+−−−+−−−+−−−+−+ | | | | | | | | | | | | | | | | +−+−+−+−+−+−+−+−+ | | +−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+ | | | | | | | | | | | | | | | | | | +−+ +−+−+−+−+−+−+ +−+ +−+ +−+−+−+−+−+−+−+−+ +−+ | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | +−+ +−+−+−+−+ +−+ | | +−+ +−+−+−+−+−+−+ +−+ | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | +−+ +−+ +−+−+ +−+ +−+ +−+ +−+ +−+−+−+−+ +−+ +−+ | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | +−+ +−+ | +−+ +−+ | または | +−+ +−+ +−−−+ +−+ +−+ | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | +−+ +−+ +−+−+ +−+ +−+ +−+ +−+ +−+−+−+−+ +−+ +−+ | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | +−+ +−+−+−+−+ +−+ | | +−+ +−+−+−+−+−+−+ +−+ | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | +−+ +−+−+−+−+−+−+ +−+ +−+ +−+−+−+−+−+−+−+−+ +−+ | | | | | | | | | | | | | | | | | | +−+−+−+−+−+−+−+−+ | | +−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+ | | | | | | | | | | | | | | | | +−+−−−+−−−+−−−+−−−+−+ +−+−−−+−−−+−−−+−−−+−−−+−+となる。横はそれぞれ 10 と 12 である。 どちらも、右の端の一列を取り除くと左右の端が
+− −+ | | | −+ | | +− | | | | −+ | | +− | | | | −+ | | +− | | | | −+ | | +− | | | | −+ | | +− −+となり、横につなげてゆくことができる。 そして、そうやってつなげていった結果の右端に(さきほど取り除いた) 畳を縦に並べることができるし、 左端を取り除くこともできる。 以上から、縦が 2k のとき、横が (2k-1)x + (2k+1)y + ε(x と y は負でない整数、ε は 0 か ±1) のものは OK となる。 gcd(2k-1, 2k+1) = gcd(2, 2k+1) = 1 より、 横幅が十分大きければ OK であることがわかる。
(自然数 a と b が互いに素であるとき、 負でない整数 x と y を動かせば ax + by はある数以上の自然数全てを動く。 これは Shell ソートを支える原理の一つであった。 なお、上の左側の図は 10×10 であり、 90° だけ回したものを横に並べた 10×20 も横に並べてゆけるが、 20 = 9 + 11 だからこれは考えなくてよい。)
縦が奇数の場合、 上の図の下端に細長く畳を敷き足したものを考えると、 縦が 2k+1, 横がそれぞれ 2k と 2k+2 となる。 このまま並べることはできないが、一つ置きに上下を逆にすれば可能である。 また、左右どちらかの端に縦一列に細長く敷き足すことが可能である。 よって、横が 2kx + (2k+2)y + ε(x と y は負でない整数、ε は 0 か 1) は OK となる。 gcd(2k, 2k+2) = 2 より 2kx + (2k+2)y は十分大きな偶数全てを動き、 2kx + (2k+2)y + ε は十分大きな自然数全てを動く。
以上の一般論から、 縦が 5, 6, 7 の場合を考えてみよう。
その前に、上ですでに紹介した 「自然数 a と b が互いに素であるとき、 負でない整数 x と y を動かせば ax + by はある数 d 以上のすべての自然数を動く」 の証明と、d = ab でよいことを見ておこう。 Chinese remainder theorem は既知とする。 xy 平面上に ax + by = d (d は自然数)のグラフを書く。 このグラフは d = ab のとき
| \| ・a |\ | \ | \ b −+−−−・−− | \となり、d が大きくなるとより上に移動する。 このグラフ上には、x 座標でみて b おきに格子点が存在する。 よって、d がこれ以上のときは必ず第一象限またはその境界上に格子点を持つ。 (経験上は d = (a-1)(b-1) が best possible のようである。 (a-1)(b-1) - 1がダメな例は 1 = 2×(-1) + 3×1 = 2×2 + 3×(-1) など。)
縦が 5 の場合を考える。 横が 4x + 6y + ε(x と y は負でない整数、ε は 0 か 1)で実現できればよいのだった。 6 以上の整数は 2x + 3y(x と y は負でない整数)として表わせるから、 12 以上の偶数は 4x + 6y(x と y は負でない整数)として表わせる。 よって 12 以上なら OK である。 それ未満の偶数は
縦が 6 の場合。 横が 5x + 7y + ε(x と y は負でない整数、ε は 0 か ±1) で実現できればよい。 35 以上の整数は OK である。それ未満の自然数は
縦が 7 の場合。 横が 6x + 8y + ε(x と y は負でない整数、ε は 0 か 1)で実現できればよいのだった。 12 以上の整数は 3x + 4y(x と y は負でない整数)として表わせるから、 24 以上の偶数は 6x + 8y(x と y は負でない整数)として表わせる。 よって 24 以上なら OK である。 それ未満の偶数は
付)一辺が奇数の正方形の場合、
+−−−+−−−+−−−+−+ | | | | | +−+−+−+−+−+−+ | | | | | | | | +−+−+−+−+ +−+ | | | | | | | +−+ +−+−+ +−+ | | | | | | | | | | +−+ +−+−+ +−+ | | | | | | | +−+ +−+−+−+−+ | | | | | | | | +−+−+−+−+−+−+ | | | | | +−+−−−+−−−+−−−+のように敷くことも可能である。
付)部屋が長方形でない場合には、敷けないことがある。 たとえば次の左図。
+−+−+−+−+−+ +−+−+−+−+−+ | | | | | | |#| |#| |#| +−+−+−+−+−+ +−+−+−+−+−+ | | | | | |#| |#| | +−+−+−+−+−+ +−+−+−+−+−+ | | | | | | |#| |#| |#| +−+−+−+−+−+ +−+−+−+−+−+ | | | | | | | |#| |#| | +−+−+−+−+−+ +−+−+−+−+−+ | | | | | | |#| |#| |#| +−+−+−+−+−+ +−+−+−+−+−+右図のように市松に塗ってみれば黒が 13, 白が 11 なので不可能とすぐにわかる。
付)畳のへりを描くよりも、 下のように頂点を辺で結んだ絵を描くほうが楽かもしれない。
+−−−+−+ |●―○|●| ●―○ ● +−+−+|| | |○|●|○| ○ ● ○ ||||+−+ | | |●|○|●| ● ○ ● +−+−+|| | |○―●|○| ○―● ○ +−−−+−+
+−−−+−+ |●―○|●| ●―○ ● +−+−+|| | |○|●|○| ○ ● ○ ||+−+−+ | |●|○―●| ● ○―● +−+−−−+禁じられている、四枚の畳が一点で出会う場合は、
● | ○ ●―○ ○―● ○ | ●のように、隣り合った四頂点が一つも結ばれていない場合、となる。
2003-08-19 (2) 01:56:35 +0900
付) ほんの少し証明を見直すだけで、 d = (a-1)(b-1) が best possible であることが言えた。 すなわち、 「自然数 a と b が互いに素であるとき、 (a-1)(b-1) 以上の任意の自然数 d に対し、 負でない整数 x と y とが存在して d = ax+by となる。 d = (a-1)(b-1)-1 についてはそうなるような x, y は存在しない」が言える。
Chinese remainder theorem は既知とする。 xy 平面上に ax + by = d (d は自然数)のグラフを書く。 d = (a-1)(b-1)-1 のとき、 このグラフは直線 x = -1, 直線 y = -1 とそれぞれA(-1, a-1), B(b-1, -1) で交わり、 d が大きくなるとより上に移動する。
: | \: | ・A| :\| : ・ : |\ : | \ : |O \ −+−+−−−・−−− : | \ B ‥・‥+‥‥‥‥‥・‥ : | \ : | \このグラフ上には、x 座標でみて b おきに格子点が存在する。 よって、d = (a-1)(b-1)-1 のときはこのグラフは { (x, y) | x > -1 かつ y > -1 } の範囲の格子点を通らず、 d がそれよりも大きいときはこの範囲の格子点を通る。 この範囲の格子点は 「{ (x, y) | x >= 0 かつ y >= 0 } の格子点」 と言っても同じである。
2003-08-22 (5) 02:09:05 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-25 (4) 02:40:30 +0900
…選択肢はないのだろうか?
2003-08-18 (1) 18:55:20 +0900
「なんか、こう、胸苦しいような気持ちがしました」のように、 単語を思いつくまでの時間稼ぎに使う「こう」は、 新明解国語辞典第五版にも載っている。 しかし最近、英語の kind of のように単に冗語として挿入されている例が多いような気がする。
2003-08-18 (1) 18:53:18 +0900
通勤路からちょっとはずれたところに三階建ての寮があるのだが、 道に面した側に外階段をつけようとして三階から出たところの“踊り場” だけつけて終わってしまった、みたいな感じになっている。 よって、Wiz#4 の地上三階の隠し部屋のようにも見える。 そこの前を通るたびに「mythril glove」「shiny gauntlet」とつぶやく私であった。
# 最初まちがって maintenance cap と言ってたやつ>自分
2003-08-18 (1) 02:13:54 +0900
いま愛用のボールペンがこれだ。 最初はオレンジ色のを買い、 気に入ったのでインクが切れたときのためにリフィルを買おうかと思い、 「それよりも」と考え直して青色のを買った。 それから白を買って、 これで全部そろえたと思っていたら黒もあったのか……。 それはさておき。
Wiz#4 に出てくる三本の剣になぞらえて、適当に持ち替えている。 あれにも四本目があったっけ……。
2003-08-18 (1) 01:56:49 +0900
いっとき、 逆さにしても書けるボールペンと言えば Fisher Space Pen だけだった。 買ってみたのだが、重くてあまり書きやすくない。 月面では重力が小さいので、このくらい重くてちょうどよいのかも知れない。
……ってのは冗談。
2003-08-18 (1) 01:37:25 +0900
プログレッシブ和英第2版。 逆に訳せば「(誰それの)墓を訪れる」だ。
2003-08-18 (1) 01:29:49 +0900
17日づけ大阪本社版社会面
「イラク戦争 残された妻と子」。
本文には
《この4カ月、残された母子3人で毎日のように墓に参る
》
とあるが、写真には
《夫の墓の前にたたずむ、美雪さんと2人の子どもたち
》
とある。
その墓は芝生の中にあり、
埋め込まれた約数十センチメートル四方の石の上面だけが見えている。
回りには星条旗と花。
遺された奥さんは沖縄生まれだそうで、 どのような信仰を持っているのかはわからない。 しかし、 祖先崇拝を思わせる「参る」よりも「たたずむ」が適当と思われる光景である。
2003-08-18 (1) 01:22:19 +0900
17日づけ朝日新聞大阪本社版「夏の読書特集」の赤江瀑さんの文章。
オスカー・ワイルド「サロメ」の登場人物について
《幽閉の若い預言者ヨカナーン(イエスの弟子ヨハネ)
》
と紹介している。
バプテスマのヨハネだとばかり思っていた。
2003-08-18 (1) 01:09:55 +0900
24日づけ読書面に訂正がでていた。
17日付「夏の読書特集」の、赤江瀑氏の原稿「妖美」の中で、 「幽閉の若い預言者ヨカナーン(イエスの弟子ヨハネ)」とあるのは 「幽閉の若い預言者ヨカナーン(洗礼者ヨハネ)」の誤りでした。 訂正します。
これじゃ誰の誤りかわからないじゃないの。
2003-08-27 (4) 01:37:05 +0900
ハードディスク内でデータのバックアップをとり、 しばらく作業したあと、 バックアップがバックアップであることを忘れて、 データとバックアップをまとめてデータだと思い込んでバックアップをとり、 とくり返してゆくと、 データは倍々と増えてゆく。 迷惑。
2003-08-18 (1) 01:02:46 +0900
先週の土曜日放送分で、 ロボットは死なないで壊れるだけ、ということを(人間が)言っていた。
すると、 やたらと頻繁に自分のバックアップをとろうとするロボットがいたりしないだろうか? バックアップをとっておけば、 完全に破壊されてもそこからまた“生き返る”ことができるのだから。
戦いに出かけるアトムにお茶の水博士が 「出かける前にバックアップをとっておきなさい」 と命じたりして。
2003-08-18 (1) 00:59:30 +0900
前回・前々回の「鉄腕アトム」は強いロボットがいくつも出てきてボカスカ戦って、 殺伐としているなあと思ったのだが、 ふと、昔やっていた「科学忍者隊ガッチャマン」を思い出した。 あの番組では、 悪いやつらは毎回毎回いろいろなものを作って悪さをするが、 最後は作ったものをすべて破壊されてしまう。 あれだけの経済力があったら、 あんな悪さをしないで経済的に世界を支配するほうが賢くないか、 と思ったものだった。
ロボットがより強いロボットを作る、という話は新しかったが、 そうじゃなくて何か別の方法で(未完)。
2003-08-18 (1) 00:55:22 +0900
16日づけ朝日新聞大阪本社版社会面
「戦没者追悼施設建設 中曽根氏が反対表明」によれば、
中曽根元首相が
《「靖国神社は明治以来の国民的追悼施設で、今でも変わらない
》
と述べたそうだ。
これを読んでそれでそう思ったわけ。
2003-08-18 (1) 00:47:27 +0900
ある人が「自然数全体の集合 N と区間との間の全単射を作った」 と言ってきたら、 もれている実数を一つでも見つけてやればいいわけだが、 もれが一つだけだと「それを一番目にもってきてあとは一つずつずらす」 などと反論される恐れがある。 その対応からも同様にもれが見つかるのだが、 「そうやって無限にくり返していった極限をとれば……」 などとわけのわからないことを言われる可能性もあり。
次のように考えてみよう。
自然数列で、どの数も無限個あらわれるものをとる。 例えば 1, 1, 2, 1, 2, 3, 1, 2, 3, 4, 1, 2, 3, 4, 5, ... でよい。 この例でいうと、新しく作る無限小数は
……って、 元の対角線論法よりずっと複雑で、 これじゃ理解してもらえないじゃないのさ。:-)
付) ここまで書いてから気がついたのだが、 普通の対角線論法で「奇数なら 0, 偶数なら 1」とするところを 「奇数なら 0 か 2, 偶数なら 1 か 3」とすれば、 2N (←非可算集合) と一対一に対応するだけの新しい数が作れることになる。 これでいいんだった。^^;
2003-08-17 (0) 21:48:38 +0900
TM は Turing Machine の略。
n 桁目の数字を決定する TM が存在するような無限小数だけを考えることにする。 そのような数のうち区間 [0, 1[ に含まれるものは可算個だから、 自然数全体の集合との間の全単射が作れるはずだが、 そこから対角線論法を使うとそこにない小数が作れる。 しかし、 そこに並んでいる数を全部まとめて universal TM で扱うことにすれば、 そのもれていた数の n 桁目の数字を決定する TM が存在することになる。 ということはその数はそこに並んでいるはずだ。
おかしいな、と思っていたのだが、 その全単射が TM では実現できないのだろう。 そうなら、 そこに並んでいる数をまとめて universal TM で扱うことはできなくなり、 矛盾は生じない。
注)「まとめて universal TM で扱う」とは、 並んでいる TM は一台の universal TM で代用できることを利用し、 m 番目の小数の n 桁目の数字を計算するような TM を実現することを指す。 このような TM が存在するというのが、 「その全単射が TM で実現できる」の意味である。
付) 自然数全体の集合と有理数全体の集合との間の全単射は TM で実現できる。
2003-08-17 (0) 21:30:52 +0900
本日放送分。
ミサイルにやられた2号だが、 「ポッドを捨てる」 「基地が近くなったところでバージルは脱出し、2号は海中から回収する」 などのことは考えなかったのだろうか? 着陸時にもかなり危険があるように見えた。
この部分は前置きだが、 しっかり見せ場があり、子どもも退屈しなかったのではあるまいか。
2003-08-17 (0) 21:26:23 +0900
前編、特に工事現場のシーンがかなり退屈。 子どもだと飽きるかもしれない。
そもそも、 会社の利益のための無茶な行動が事故の原因であり、 国際救助隊は結果的に特定の会社の利益になることをしてやった、とも言える。 ああいうのが当たり前になると 「いざとなったら国際救助隊を呼べばよいから」 と無茶な計画で工事・作業をする会社が続出するような。
2003-08-17 (0) 21:22:55 +0900
八月10日放送分。持病の頭痛が起きてかなり苦しかったが、 2号の6番ポッドに後部ハッチがあることが見える唯一の回、 ということでがんばって見た。 気になった点いくつか。
モノレール。 前編にも出たが、後編ではトンネル内で停止するシーンがあってはっきり映った。 窓枠などが前に傾いたデザインである。 これはウルトラQ「地底超特急西へ」のイナズマ号に影響を与えたか?
サンダーバードのメンバーは、 民間機などが持っているのよりもはるかにすぐれた通信機を持っている。 今回の話は、 それでも通信できないような、 全長何十キロもあるトンネルの中が舞台であることがミソ、 ということがなかなか伝わってこなかった。 (途中でミンミンのセリフでわかるのだが。)
モノレールはぶら下がり式であるため、 トンネルの床には特別なものは置かれていない。 また、トンネルの入り口には柵などはないように見えた。 バージルたちの乗った車はなんの苦労もなくトンネルに進入したようだ。 となると、 「一般の自動車が、 モノレールのトンネルであることに気づかず中にはいってしまった!」 という事故のほうがよっぽど起こりやすいような……。 パーカーも、外の道を行くのでなく、 ペネロープの乗ったモノレールのあとを追ってトンネル内を走ればよかったかも。
ペネロープは縛りつけられていたはしご(?)ごと、 救出時に2メートルほど落下したが、 あれで怪我はしないのだろうか? 4番ポッドごと数十メートル上空から海面に落とされても平気だった4号 --- というかゴードンと同じく、タフなんだろうか?
(確か前編に) モノレールから突き落とされた車掌がまだ生きていて、 助けを求めてふらふらになりながら歩くシーンがあった。 ボレンダー博士やジェレミー卿は、 悪人の口から車掌を突き落としたことを聞かされていたので知っているはず。 国際救助隊は、彼は救助しなくてもよいのだろうか?
最後のカフェのシーン。 アランはペネロープにジュースを飲まないのと言われていた。 設定ではアランは 2007 年生まれの 19 歳。 その点を考慮しているのだろうか。 他の回で、 父親、それにスコットとバージルは喫煙するシーンがあったように思う。
最後のパリのカフェのシーンが、 ペネロープたちの救出からどれだけ経っているのかよくわからなかったが、 私はその夜のような気がした。 もしそうなら、 秘密基地からミンミンはどうやってやってきたのだろう? その前、救出作戦中に、秘密基地でスコットが父親に「1号で行かせてください」 と申し出るが 「2時間もかかるのだから間に合わない」とたしなめられるシーンがあった。 逆に言えば、2時間あれば基地からパリ周辺まで飛べるのであろう。 今回のアランはトンネルの外で番をするだけで、 活躍はほとんどなかった。 自分もトンネルの中にはいると言って父親に止められるシーンはあったが。 「よくがまんした」というごほうびに、 父親が1号でミンミンをパリまで送らせたのではないかと思ったのだが……。 ウルトラセブン「北へ還れ!」の最後で、 キリヤマがフルハシに北海道上空のパトロールを命じるシーンが思い出された。
2003-08-17 (0) 21:19:06 +0900
八月10日放送分は季節がお盆であることを前提にした話だったが、 東京のお盆は(新暦の)七月なので、 放送日と内容とがずれていることになる。
話の中での日付を確認しようとビデオをくり返し見たが、
季節がわかるシーンは両津の実家で母親がお盆のしたくをしているシーンのみ。
ここで母親が父親に
「ぐずぐずしてたらもう秋になっちまうよ
」
というセリフがあった。
私が東京にいたときの経験では、
お盆は夏の始まりだったので、
「もう秋になってしまう」と思ったことはないが、
年齢とともに月日の経つスピードが速く思えるようになるのが普通だから、
結局のところはよくわからない。
視聴者が「東京のお盆も(新暦の)八月」 と思い込まないことを願うのみである。
付) 両津の曽祖父は嘉永6年の生まれと自分で言っていたことになっていた。 これは 1853 年にあたる。 (中川が“いま生きていたら 160 歳ぐらい”と言っていたのはやや不正確。)
曽祖父は両津の父親とは顔見知りだったから、 亡くなってから 70 年は経っていないのではあるまいか。 この世には亡くなる直前の姿で戻ってくるのだとすると、 80 歳すぎまで生きていたようで、それなら計算が合う。
すると、 1927 年の銀座線部分開通(浅草―上野)は知っていたのではと思われる。 (銀座から浅草まで両津と曽祖父がどうやって移動したかは描かれていなかったが、 銀座線を使ったのではないかと想像される。)
ただ、そうなると、信号機の見方を知らないとか、 そういった点がアナクロニズムのような気も……。 そもそも、話の中では幕末と明治(時代)の人みたいに描かれていたが、 大正時代、昭和時代も生きているのよね……。
2003-08-17 (0) 20:42:10 +0900
+---+---+---+---+---+ | | | | | | +---+---+---+---+---+ | x | | | | | +---+---+---+---+---+ | | | | | | +---+---+---+---+---+ | | | | | | +---+---+---+---+---+ | | | | | | +---+---+---+---+---+上の図の、勝手なマスからスタートし、上下左右のマスに移動しつつ、 すべてのマスを一度ずつ通れ。ただし、「x」のマスは通ってはいけない、 というものである。 当時は「解がないことを証明する」なんてことは思いもよらなかった。 このパズルのことはずーっと忘れていたが、何年か前に思い出して考えてみたら、 実に簡単だった。
+---+---+---+---+---+ |###| |###| |###| +---+---+---+---+---+ | x |###| |###| | +---+---+---+---+---+ |###| |###| |###| +---+---+---+---+---+ | |###| |###| | +---+---+---+---+---+ |###| |###| |###| +---+---+---+---+---+のように市松に塗り分けてみれば、黒が 13 マス、白が 11 マスとなり、 ルールに従って移動するとしたら黒いマスと白いマスを交互に通るから、 不可能であることはすぐわかる。
一回り小さな
+---+---+---+ |###| |###| +---+---+---+ | x |###| | +---+---+---+ |###| |###| +---+---+---+でも同様だが、これだとダメなことは比較的すぐにしらみつぶしでわかってしまう。
2003-08-16 (6) 23:50:55 +0900
たぶん間違いなく「にびー」と読ませるつもりだったと思うが、 私は冗談で「にべーた」と呼んでいた。
でも、字形じゃほとんど区別できないのに、 どうしてラテン字母ってことになっちゃうんだろう?
2003-08-16 (6) 23:37:04 +0900
例えば、けさの大阪本社版。 国際面で「米朝」の文字を見ても「アメリカ合衆国と北朝鮮のことだな」 と思うから驚かないが、 第一面だと「桂米朝に何かあったのか!?」と心配になってしまう。
2003-08-16 (6) 23:25:41 +0900
もちろん、SSH も使えるようにした。
今回のウイルス騒ぎでふだん TeraTerm を使っていた職場のマシンが使えなくなり、 やっとインストールしたというお粗末。
(いままでずっと Windows 付属の telnet を使っていました。 それだと mule が使えなくて……。)
奥村さんのページにはお世話になりました。 (リンク切れもあったけど。)
2003-08-16 (6) 02:23:30 +0900
三犠打はないだろうから絶対破られないよな……。
2003-08-16 (6) 02:09:28 +0900
目をつぶって頭を垂れている人、 目をつぶっているが頭を垂れていない人、 目をつぶっていない人、がそれぞれ同数ぐらい映ったような気がした。
でも、 「どうして玉音放送の流れた時刻に黙祷するんだろう?」 という疑問が出ないのはなぜだろう?
2003-08-16 (6) 02:01:55 +0900
一瞬悩んだが、 「集合 A と B との間に一対一対応がある」とは 「A と B との直積集合のベキ集合 2A×B の元のうち
(よって、 「あると仮定し、その一つをとれば……」と議論を進めて矛盾を出せばよい。 それに対し 「写像の取り方がまずかったから全単射にならなかっただけで、 もっとうまくとれば全単射になる可能性を否定できない」 という反論は成立しない。)
2003-08-16 (6) 01:55:52 +0900
四月ごろ、大学教育のあり方についての講演会を聞きに行った際、 「これからは大衆化を通り越してユニバーサル化の時代だ」との話が出たが、 “なんで「普遍」だの「宇宙」だのがここに出てくるんだ? もしかして、 昔の「レジャーランド化」が「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン化」 になったのか? でも、固有名詞を出すのはまずいよな……” などといろいろ考えてしまった。
2003-08-16 (6) 01:35:25 +0900
…、日本では体制そのものが崩れたのではなかった、という違いもあるが、 民衆ではなく、指導者には略奪に近い行為があったのではないか。
ちょっと前に朝日新聞の投書で読んだのは、 金属を供出せよと言われて泣く泣く出した仏具(か何か)を、 戦後ある偉い人のところで見たがどうしようもなかった、というもの。
松代大本営 --- だったかどうか記憶が確かでないが --- のために用意された木材を戦後誰かが私物化したのでは、 という話も読んだ記憶がある。 (google で「松代大本営 木材」を検索すると、 それらしき話の載っているページが初めのほうに複数見つかる。)
2003-08-16 (6) 01:18:45 +0900
パスワードを打つ音はふつうの人にはカタカタカタカタ……としか聞こえないが、 キーごとに音は微妙に違うかもしれない。 すべてのキーの音を聞き分けられる人がいたら、 パスワードを聞き取ることが可能だ。
コンソールの前である人が急死し、 パスワードがわからなくなってしまう。 「誰か、 さっきパスワードを打っていたところを見ていないか」とあたりを探すが、 そこにいたのは一人の盲人だけだった。 あきらめかかるが、 実はその盲人はすべてのキーの音を聞き分けられるほど聴覚が発達しており、 パスワードを聞き取っていた、 なーんてお話はどうかな?
「人が死ぬお話はいや」というなら、 ある人が設定したばかりのパスワードを忘れてしまう、 という話にするか。
2003-08-15 (5) 19:11:53 +0900
「見違える」は「見違えるほどきれいになる」などの用法がある。
2003-08-15 (5) 01:19:05 +0900
…答えると「だったら奥さんのためにぜひこの商品をお求めなさい」 とくるキャッチセールスかもしれないと思うから適当にあしらっておく、 のと同じで(以下略)。
2003-08-15 (5) 01:12:25 +0900
「X を空でない集合とするとき、 X から X のベキ集合 2X への全単射は存在しない」 の証明を次のように書くと、 肝心のところが「S の定義より」となっていて、 読む人がよく考えない限りわからない。
証明: 全単射 f : X -> 2X が存在したとする。 S = { xεX | xεf(x) でない } とおく。 f(s) = S となる sεX がただ一つ存在する。 sεf(s) と仮定すると S の定義より sεf(s) でないことになり矛盾。 sεf(s) でないと仮定すると S の定義より sεf(s) となり矛盾。 この矛盾は最初に全単射 f が存在すると仮定したためである。 よってそのような f は存在しない。
次のように、S に属するための条件に名前をつけたらどうだろう?
証明: 全単射 f : X -> 2X が存在したとする。 S = { xεX | P(x) } とおく。ただし、ここで P(x) は「xεf(x) でない」である。 f(s) = S となる sεX がただ一つ存在する。 sεf(s) と仮定すると P(s) は偽。 よって S の定義より sεf(s) でないことになり矛盾。 sεf(s) でないと仮定すると P(s) は真。よって S の定義より sεf(s) となり矛盾。 この矛盾は最初に全単射 f が存在すると仮定したためである。 よってそのような f は存在しない。
付)この証明も対角線論法と呼ばれることがある。 元祖・対角線論法は 「自然数全体の集合と {0, 1} の無限列との間の全単射は存在しない」 を示すのに使われるが、各無限列を 自然数の部分集合 { n | その無限列の第 n 番目は 1 } とみなせば、 対角線を見て作る無限列が S に当たるのだった。
付) 「すべての集合の集合 Ω」を考えると、 「Σ = { SεΩ | SεS でない } が ΣεΣ をみたすと仮定すれば定義から ΣεΣ でなく、 ΣεΣ でないと仮定すると定義から ΣεΣ となって矛盾」だが、 ここでも同様の工夫ができよう。
2003-08-15 (5) 00:50:10 +0900
拙作タイピング練習プログラムの、 最初の日の練習文は
er ui df jkの文字だけからなっている。 さんざん考えて作ったはずだが、 あとになって「ああ、こんな単語も使えたんだ!」と思いつくことがある。 kireru (キレる)もそうだ。 前に作った文章と組み合わせれば eki de kireru riji fuufu(駅でキレる理事夫婦)なんてのもできる。 短すぎるし、内容からも間違いなく不採用だけど。
ほかに、 iji de(意地で)とか kureru(くれる)とか rireki(履歴)とか、まだまだある。
2003-08-15 (5) 00:11:20 +0900
職場のほかの人の PC の調子を見てあげていて、 最後に「これでよし」 とリブートしたらまっ青な画面にマウスカーソルだけが出て止まってしまった。 Ctrl+C を押すとブザーが鳴るのでキーボードは生きているが、 Ctrl+Alt+Delete は効かない。 やむをえず電源ボタンを押して電源を切ろうとしたが、 「スタンバイ云々」という文字が一瞬見えて停止する。 もう一度ボタンを押すとスタンバイ状態から回復している様子である。 これでは電源が切れないではないか!
数回これをくり返し、 さらに「もしかして待っていると先に進むかも」と青い画面のまま待ってみたがダメ。
マニュアルをさがしたり参考書を見たりして一時間ぐらい経ってから、 「スタンバイ状態で電源コードをコンセントから抜けばそのうち電源が切れるんじゃないか」 と気づく。 その通りだった。 電源コードが抜けているのに気づかないで 「スイッチがはいらない」と悩むことがあるが、その逆をやってしまったわけだ。
2003-08-15 (5) 00:03:21 +0900
本文ナシ
2003-08-14 (4) 01:57:07 +0900
これは、すぐ前(=すぐ下)に書いたように、 開き方によって右手用にも左手用にもなる扇子があったとして、 その開き方で絵柄が変わったらおもしろいだろう、というのである。
2004-07-05 (1) 21:15:33 +0900
本文ナシ
2003-08-14 (4) 01:56:30 +0900
本文ナシ
2003-08-14 (4) 01:55:33 +0900
「おし」も「めし」も知っている語だったのに対し、 「しべ」は知らない語だったからであろう。
2003-08-14 (4) 01:52:10 +0900
岩波国語辞典第三版は「見世物的な職業レスリング」。 広辞苑第五版は「興行として行う職業レスリング」。
付)新明解国語辞典第五版にはさんだ紙に書きつけていた気づいた点を、 きょうまとめてここに書いた。
2003-08-13 (3) 23:47:31 +0900
じゃあなんなんだ。
2003-08-13 (3) 23:41:41 +0900
「〔口頭〕「求められる」の圧縮形。〔数学者などが多く使用する〕
」
とあるが、
「求める:求まる=深める:深まる」ではないだろうか? そうなら、
「深まる」が普通の語であるように、
「求まる」も普通の語として扱っていいように思う。
2003-08-13 (3) 23:39:08 +0900
「ゲイ」を引くと「ゲイボーイ」が用例としてあがっている。
その「服装・身のこなしが女性的な青年
」という説明は変では。
2003-08-13 (3) 23:33:36 +0900
男性について言う場合が載ってないのはなんだか変。
「俗に、やさしさを持ち合わせない、たくましい女性の意にも用いるのは
」
とある。
2003-08-13 (3) 23:30:31 +0900
その前で説明された本来の意味をどう広げたらそのあとの
「出来るなら他人、特に外国人などに見せたくない、
社会構造の裏面を指す
」になるのかわからない。
2003-08-13 (3) 23:25:53 +0900
…そんなに定量的に決まっているものなのだろうか。
2003-08-13 (3) 23:21:31 +0900
…「『引用』の意味がわかっていない!」と言われるかも知れない。
注)タイトルに引用したのは定義の全文ではない。念のため。
2003-08-13 (3) 23:18:08 +0900
逆に人物が辺で関係が頂点でもいいのだが……。
射影幾何学の双対原理が思い浮かんだりする。
2003-08-13 (3) 23:14:21 +0900
「教壇」をひくと「―に立つ」を
「教員になって、人の子を教える
」と説明している。
「人の子」って、犬の子やブタの子を教えるわけはないし、
キリスト教でいうところの「人の子」でもないだろうし、……。
「教員になる」「教員として教える」じゃいけないの?
2003-08-13 (3) 23:10:50 +0900
「男女三人の間に結ばれる、複雑な恋愛関係
」。
これだと、
その三人のうちの同性である二人の間にも恋愛関係があるかのように読める。
岩波国語辞典第三版、広辞苑第五版もほぼ同様。
2003-08-13 (3) 23:07:04 +0900
本文ナシ
2003-08-13 (3) 22:57:26 +0900
「女性がそろそろ太り始めや成人病の事などを気にするようになる時期
」
とあるが。
2003-08-13 (3) 22:54:33 +0900
少し年齢が上すぎないか。
2003-08-13 (3) 22:48:56 +0900
新明解国語辞典第五版では、「〜の意の老人語」と説明されている語がいくつかある。 (「老人語」をひけば例があがっている。)
しかし、「寒暖計」は「温度計の意の老人語」とは説明されていない。 私はそうだと思っていたのだが。
2003-08-13 (3) 22:44:04 +0900
数日前のニュース。 わきから指摘があったらしく、すぐに言いなおしていたが。 原稿にはふりがなはないのだろうか?
2003-08-13 (3) 22:35:34 +0900
「頭 金谷は サハラ」だろうか。金谷さんの頭はサハラ砂漠のように不毛、とか。
付)
あかさ たなは まやら わとなっている、というだけのこと。
2003-08-13 (3) 22:30:19 +0900
今年の新暦八月 28 日は朔である。このことを何らかの方法で知ったとしよう。 以前、massangeana さんが作ってくださった表によると、 この日が旧暦の 1 日に当たるのは八月でしかあり得ない。 よって、その日は旧暦八月 1 日とわかる。
このようにしていつでもわかるだろうか? 八月 26 日は旧閏七月と旧八月の両方の 1 日の可能性があるから、 それ一日だけではわからない。 しかし、一年分の朔のデータがあったら、どうだろう?
付)そのデータと、二十四節気のデータがあればわかる、 と聞いたことがある。(日付だけでなく時分まで必要だったかもしれない。)
2003-08-13 (3) 21:42:55 +0900
元号と十干十二支を組み合わせて年を呼ぶことがある。 それの類似。
「月齢いくつの日」と書いたが、(旧暦の)「日」のつもりである。 厳密には違うのだった。
2003-08-13 (3) 21:32:29 +0900
《旧暦は平均すれば新暦から「一カ月と十日遅れ」でだいたい合っているか? (2002-06-25 (2) 01:40:28 +0900)》で、 「平均化された旧暦」なるものを考えた。 旧暦は平均すると新暦より一カ月と一週間ないし十日だけ遅れている。 「月」はそれで言い、「日」は旧暦(ほぼ月齢)で言う、というのはダメかな?
試しにそれで言ってみると、 今年の新暦八月 28 日は「七月」で、本当は旧暦の八月 1 日だから 「七月 1 日」となる。そんなところから七月が始まるはずはないからダメか。 (massangeana 氏の計算によれば閏七月は最も遅いとき 26 日に始まる。)
それに、「七月 10 日」の翌日が「八月 11 日」になったりする。
2003-08-13 (3) 21:25:52 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-25 (4) 02:47:23 +0900
新暦では年と(朔から次の朔まで、という意味での)月とは独立にめぐるが、 それは日付と週が独立なのと同じで、別に問題ないのではないか。
旧暦(太陰太陽暦) が複雑なやり方で閏月を置くことで年と月のめぐりを両立させていることを、 あまり過大に評価することもないのではないかと思ったので記したもの。
2003-08-13 (3) 21:12:13 +0900
どういうしくみで動いていて、 国民はどのようなことを期待できるか、その代わりどのような義務が生じるか、など。 あるいは、国家が機能しなくなるとどうなるか、も。 そのうえで「これは大切にしなくては」と感じれば自然に愛国心が芽生えると思う。
サムエル前書第 8 章が、ちょっと思い出されるところ。
2003-08-13 (3) 20:55:29 +0900
「黙祷」について、 岩波国語辞典第三版は「無言のまま祈りを捧げること」、 広辞苑第五版は「無言のまま、心の中で祈祷すること」と説明しているが、 新明解国語辞典第五版は「〔死んだ人の安らかな眠りを願って〕 無言のまま、しばらく目をつぶること」としている。 ずいぶん違う。
これに関連して、新聞か何かの笑い話のコーナーで 「君、さっき、黙祷していなかったね」 「え、君はどうしてそれがわかったの」 というのを読んでしばらく意味がわからなかったことを思い出す。
なお、「祷」の字は「示壽」を一字にした字だが、 「ネ寿」に見えるフォントもあるようだ。
2003-08-13 (3) 20:37:37 +0900