すのものの「いろいろ」(その93)

「醸し出していた」と「鴨志田、していた」は同音だ

本文ナシ

2004-06-14 (1) 20:42:28 +0900

漢字かなまじり文のまま回文になってる、ってのも考えられるか……。

メールで教えて下さった方がありました。

「英和と和英」ってのは私がいま作った超・くだらないサンプルです。

ほかに「子規と規子」(しきとのりこ)とか。

「上から読んでも『山本山』、下から読んでも『山本山』」の「山本山」もそうか。

2004-06-14 (1) 20:26:57 +0900

回文(断片)>「マシの江ノ島」(ましのえのしま)

本文ナシ

2004-06-13 (0) 22:33:07 +0900

回文>「鎌倉 クマか」(かまくらくまか)

本文ナシ

2004-06-13 (0) 22:32:35 +0900

回文>「死後の五指」(しごのごし)・「五指の私語」(ごしのしご)

本文ナシ

2004-06-13 (0) 22:23:45 +0900

回文>「市議の義姉」(しぎのぎし)・「技師の試技」(ぎしのしぎ)

本文ナシ

2004-06-13 (0) 22:22:39 +0900

回文>「たいやき焼いた」(たいやきやいた)

これも誰か書いていそうだ。 「たけやぶやけた」と同じぐらいポピュラーになっていてもよさそうだが、 聞いた記憶がない。 「たい焼き」と「焼いた」で「焼く」が並ぶから価値が低いか。

「タイヤを焼いた」(たいやをやいた)ともできる。 (実際にタイヤを焼くのは、 有毒ガスが出そうですからやめたほうがよいでしょう。)

2004-06-13 (0) 22:19:23 +0900

回文>「湾で いたいけな携帯電話」(わんでいたいけなけいたいでんわ)

誰か書いていそうな気がするけど。

2004-06-13 (0) 22:17:43 +0900

回文>「闇の魚に匂宮」(やみのうおににおうのみや)

本文ナシ

付)「臭う飲み屋」なんて変換するなよ……。> MS-IME97

2004-06-13 (0) 22:16:05 +0900

「闇の魚に臭う飲み屋」ってのも悪くないか。

2004-10-14 (4) 21:42:44 +0900

回文>「一ノ宮 闇の地位」(いちのみややみのちい)

本文ナシ

2004-06-13 (0) 22:15:27 +0900

回文>「還暦 切れんか」(かんれききれんか)

本文ナシ

2004-06-13 (0) 22:14:40 +0900

回文>「古希 富貴子」(こきふきこ)

富貴子は人名。

2004-06-13 (0) 22:13:37 +0900

回文>「村田たらむ」(むらたたらむ)

本文ナシ

2004-06-13 (0) 22:13:05 +0900

回文>「飢餓は絵はがき」(きがはえはがき)

本文ナシ

2004-06-13 (0) 22:12:08 +0900

回文>「動きの記号」(うごきのきごう)

本文ナシ

2004-06-13 (0) 22:11:29 +0900

回文>「叱咤が達し」(しったがたっし)

本文ナシ

2004-06-13 (0) 22:10:48 +0900

回文>「除菌 虚辞」(じょきんきょじ)

意味なし。

2004-06-13 (0) 22:09:45 +0900

回文>「高橋は肩」(たかはしはかた)

本文ナシ

2004-06-13 (0) 22:08:58 +0900

NHKフランス語講座>六月 10 日(木)分

「語句の発音と意味」で heureux を「幸せな人」としているが、 本文では des heureux となっているから「幸せな人々」ということか。

復習 3 は c の文字の読み方に注意して単語を発音するもの。 「これは復習です」とおっしゃっておられたが、だって「復習 3」じゃないの。 ……ってことじゃなくて、先週以前にやったことですが、の意味だろう。

ここの説明の中の「ス」「ク」も母音を伴っていた。 《NHKフランス語講座>六月 8 日(火)分》 の b の文字の読み方のところを参照。

ここで ç も一緒に扱われるのがちょっと意外。 別の文字だと思っていたから。 それから、先生の説明には h が続いて ch となる場合と語末の場合がなかった。

復習 2 と 3 の問題文は 「b」と「c」の文字が違うだけなのに行末の位置がかなり違う。 また、単語は二行に組まれているが、その間隔も違う。

Paris à travers la littérature の訳文の行頭がそろっていない。 生年と没年とをつなぐダッシュが短くてハイフンみたいだ。 先週はちゃんとしていたのに。 (来週分も短い。)

付) Paris à travers la littérature でモンテスキューの「ペルシア人の手紙」の一節を読んだが、 これ、岩波文庫をもっているはずだよなあ。どこにしまったかなあ。

付) 全然関係ないんだけど、フランス人が英語の初歩で a pen を習ったら、 発音が à peine に似ていると思わないだろうか?

2004-06-13 (0) 21:56:23 +0900

付) 語末に c がくる場合、 次の単語がどの文字で始まっているかに関係なく [k] の発音になったと思う。 そのような語の例として、辞書で形容詞 chic を見つけた。 この語は名詞の前にも置かれるそうだから、 次にくる単語の最初の文字としてはすべての文字が考えられるだろう。

2004-06-17 (4) 00:44:32 +0900

語末の c は発音しないこともあるのだった。 きのうの応用編に出てきた「porc」がその例になっている。

2004-06-19 (6) 12:21:50 +0900

回文>「桜島 マジ 楽さ」(さくらじままじらくさ)

本文ナシ

2004-06-13 (0) 21:00:35 +0900

回文>「落胤イクラ」(らくいんいくら)

イクラは「サザエさん」に出てくるノリスケ・タイコ夫妻の長男(の名)。

2004-06-13 (0) 20:59:56 +0900

国語辞典の定義は必ず循環していることの証明

昔パソ通時代に書いたらちょっとうけたのでここにも記しておこう。

あまりよくできていない国語辞典である単語をひいたら、 載っていた定義は別の単語に言い換えただけであり、 その単語をひいたら元の単語に言い換えてあって、 結局のところ意味がわからなかった、という話を聞いたことがある。

しかし、厳密に言えば、どの国語辞典も定義は循環しているはずである。 そのことを示すには、 新品の辞書を買ってきて次の操作を行なうことを考えてみるとよい。

  1. 適当な単語をひき、その単語に傍線などのマークをつける。
  2. 次に、その単語の定義の中から適当な語を選び、それをその辞書でひく。 これをくり返す。
辞書に載っている単語は有限だから、 そのうち、マークした単語を再度ひくことになるか、 その辞書に載っていない単語が定義に使われていることになる。---

岩波国語辞典第三版で試してみよう。

  1. すのもの(酢の物):魚肉・野菜などを……。
  2. やさい(野菜):畑に作って……。
  3. はたけ(畑):野菜・果物などを……。
「野菜」の意味を知るには「畑」の意味を知らねばならず、 「畑」の意味を知るには「野菜」の意味を知らねばならないことがわかった。 (ただし、これは単純な言い換えではないので、 最初にあげたできのよくない国語辞典とは話が異なる。)

一発で循環させるには、助詞をひくとよい。 「を」を使わないで「を」を定義できるだろうか?

付)新品の辞書を使うのは、 古本だと元の持ち主がマークをつけているかも知れないから、 というだけのことである。

2004-06-13 (0) 17:36:50 +0900

「〜を〜と名付ける」「〜に〜と名付ける」はどちらが正しいのか

外国語だと「*和辞典」 をひけばどの格を目的語にとるかなどが載っていることが多いが、 日本語だとかえって。

国語辞典で他動詞としてあるから「〜を」と考えてよいのだろうか。 岩波国語辞典第三版には「他動詞」は出ていないや。

プログレッシブ和英中辞典第二版には「〜を」の例が二つ載っている。 やっぱり「〜を」か。

2004-06-13 (0) 17:18:00 +0900

西垣知佳子先生>英語リスニング入門(一月 1 日分)

昨年十月の Unit 1 の六本分が続けて再放送された。 最初に男性アナウンサーが 「英語リスニング入門。 年末年始ベストセレクションです。 きょうはテレビニュースです」と言ったあとでテーマ曲が流れる。

十月 6, 7 日分。 冒頭の「前期は」と「松坂先生・バウワーズ先生と一緒に〜」 との間で録音をつないでいるようだ。 「前期は」だけが年末年始用にとり足された分、という気がする。 ほんの少しだけ、声が低く、暗い感じである。 《西垣知佳子先生> いきなり「後期の〜が始まりました」で驚いた》参照。 なお、《西垣知佳子先生> 二人同時に語る部分をよく聞くと意外とお声は低い?》 に書いた部分はなかった。

しかし、そのあとを聞いてみると、 西垣先生特有のぶつ切り日本語が続くので、 ここも元々そうなっていたのかも知れない。 (十二月放送分では、あのぶつ切り日本語は消えてしまっていた。 あ〜、昔はよかったな〜。)

(テキストでは「バワーズ」先生なのだが、 西垣先生が「バウワーズ先生」とおっしゃっておられるので、 上ではそう写した。)

十月 8, 9 日分。 「では、テキストの写真を見て、Part 1 の内容を思い出してから、 今回学習する、ニュースを聞きましょう」とおっしゃっておられるが、 どこまでが Part 1 なのかはこのあとを聞いてみないとわからない。

十月 10, 11 日分では 「それでは、テキストの写真を見て、ニュースの内容を思い出してから、 今回学習する、Part 2 を聞きましょう」となっていたので、 台本を読み間違えられたのかも知れない。

Part 2 の Listen for Details 1 はテキストでは 「上演されますか」となっているが、ヒントをおっしゃったところでは 「上映されるか」になっているような気がする。 また、テキストでは「数字に注意して聞き取りましょう」となっているが、 聞き取りなんだから数字は変。 「数詞に注意して〜」だろう。 なお、答え合わせの際には「上演」が 1 と 2 に出てきたが、 どちらも zjo:'en のように切って発音されていた。 本放送でもそうだったかな?

十月 13, 14 日分。 冒頭の「今回は、ニュースの Part 3 の内容を」の「Part 3」が日本語式発音の 「パートスリー」になっているような気がする。 (西垣先生の「part three」の発音は日本語の「パートスリー」 とはかなり違って聞こえる。たとえば、Review Expressions のところではっきり英語式に発音しておられるのと比べてみると。)

「それでは、テキストの写真を見て、Part 3 の内容を思い出してから、 今回学習するニュースを聞きましょう」の「Part 3」の発音も同様。 なお、Part 1 のときとは異なり、ここではこれで正しいことに注意。 すでに Part 2 までの学習を済ませているので、 残りが Part 3 とわかっているからだ。

Review Expressions で「いまだに上演されている」とおっしゃったが、 この「上演」の発音も上と同様。

十月 15, 16 日分。 テキストに「英文と訳文は30〜33ページに掲載されています」 とあるが実際は32〜35ページ。

十月 17, 18 日分。 答えをうながされた西垣先生のお答え。 Odd One Out が「Yes.」、 Stage Fright が「Sure.」、 Famous People in History はなし。 Photo Focus と Thinking Cap Corner はサンドラさんが答えをおっしゃった。

Stage Fright では西垣先生が「b. Shakespeare」のように答えを読まれたが、 Famous People in History では西垣先生が「a.」、 サンドラさんが「Mahatma Gandhi」、のように分担しておっしゃっていた。

Thinking Cap Corner で「熟考」を「じゅくこう」と発音されていた。

2004-06-12 (6) 23:07:02 +0900

ローマ字書き「文語訳 詩篇」に 117, 133, 150 を追加

ちょっと前に作り始めたローマ字書き「文語訳 詩篇」。 第 6 篇までアップロードしていたが、 短めのものばかり三篇、追加した。

スタイルも少々変えた。

URI は秘密です。

2004-06-12 (6) 22:20:05 +0900

回文>「明かりとリカア」(あかりとりかあ)

「リカア」は「リカー」の古風な表記。 「モオツアルト」みたいな。

2004-06-12 (6) 20:08:04 +0900

文語訳ヨブ記>「憂愁」を「うれへ」「うれひ」と二通りに読ませている

10,1 と 11,16 である。

岩波版では別の語をあてている。 原語が異なるのだろうと想像される。

2004-06-12 (6) 16:55:43 +0900

現行の著作権法だと、絵画の所有者が複製を刊行する意欲をなくさないか

奥村さんのゲストブックで少し前に議論したのだが、 絵画などを複製したことでは、新たな著作権は発生しない。 すなわち、元の絵の著作権が切れていたら、 その複製 --- 写真にとって本にしたものなどを含む --- を入手した人がそれからさらにコピーして公開・再配布することは自由らしい。

現在、複製するといえばほとんどがデジタル化であろう。 デジタルデータは原理的にはいくらでもコピーが可能で、 コピーしても画質が低下しない。

よって、いまの著作権法のままでは、 コンピュータやネットワークの性能があがるにつれて、 自分の所有する絵画の複製物を売ってもうけることがむずかしくなる。 例えば、CD-ROM にして売り出した場合、 そのデジタルデータをコピーして再配布することは自由だからだ。 (デジタルデータに細工をしてコピーできなくする方法もあるらしいが。)

私が心配するのは、そのことで、 絵画の所有者が複製物を売り出そうという意欲を失うことだ。 「見たければ私のところへ来なさい、入場料を払えば見せてあげます。 ただし写真撮影はいっさいお断り」 というようなことになってしまわないだろうか。 (信仰の対象となっている遺物にはこんな扱いのものがある。)

私の考えている理想は、優れた絵画は公(おおやけ)が所有し、 実物を公開するのはもちろん、 そのときどきで最高の技術をもって複製を刊行する、というものだ。 どちらも、無料か、実費程度の値段とする。 複製を作る費用は公のお金でまかなうべきである。 また、その複製のコピーは自由とする。

それはすぐにはできないとして、 いままでは、 複製を公開したあとしばらくは所有者はその複製の売り上げでもうけることができ、 それにより、 新しい複製技術ができるたびに新しい複製が売り出されていたのだと思う。 たとえば、カラーでの複製が可能になればカラーの複製を売り出す、のように。 これが、デジタル技術によって止まってしまうとしたら、 それは残念なことなのではあるまいか。

付)確か、ルーブル美術館では写真撮影も模写も自由だったと思う。

2004-06-12 (6) 16:49:44 +0900

「夜 つめを切ると親の死に目に会えない」と信じている人が極地に行くと…

…半年間つめを切れないことにならないか。

極地に行こうとしている子をこうやって止める親もいるかも。

2004-06-12 (6) 16:37:17 +0900

年老いた親に「越冬隊員として南極へゆくかもしれない」と話し、 しばらくの沈黙のあと、 「お前、半年間、爪を切らないつもりかい?」と聞き返されたら、 私だったら決心がにぶるかもしれない。

2005-04-24 (0) 11:52:15 +0900

爪やすりを持っていって削ればいい、か。

2006-10-19 (4) 02:04:17 +0900

回文>「住まいがね / 願います」(すまいがねねがいます)

「回文」と書いたが、全体で意味が通るわけではない。

「願いますまいがね」(ねがいますまいがね) という言い方はあるだろうか? あるなら、 一字短いが、こっちは意味をなすことになる。

2004-06-12 (6) 16:32:28 +0900

回文>「金村 ラムネか」「金村ら胸か」(かねむららむねか)

NHKラジオの野球中継で「カネムラ」 という名前を聞いてすぐに前者が思い浮かんだ。

後者の「胸」は「胸の病」(広辞苑第五版)の意味。 結核が恐ろしい病気だった時代に育った人に聞いた話だが、 ちょっと胸の具合が気になるとすぐに「胸か!?」と考えてしまったそうだ。

(今でも結核は恐ろしい病気です。油断はしないようにしましょう。)

2004-06-12 (6) 13:16:52 +0900

回文>「エイズ癒え」(えいずいえ)

本文ナシ

2004-06-12 (6) 13:16:29 +0900

更新記録 / ほか

このページの <title> と <h1> で「その93」を「その92」 と誤っていたのを直した。

《NHKフランス語講座>六月 9 日(水)分》の一部を手直しするため、 アップロード直後に削除した。 いま見えているこのページは、訂正後、再度アップロードされたものである。

2004-06-10 (4) 23:53:29 +0900

「春風」「秋風」に対し“夏”は「夏風邪」なのはなぜか…

…などとつまらないことを考えているのがいけないのか、なかなか治らん……。

2004-06-10 (4) 23:37:40 +0900

NHKフランス語講座>六月 9 日(水)分

pouvoir は助動詞だと思っていた。

repas を「もともと s で終わっている名詞なので単数でも s があります」 と説明された。この「もともと」は「単数でも」の意。

「きょうの表現」の「ありがたいのですが」の「が」がどちらも鼻濁音だった。

「きょうのポイント」に pouvoir の現在形の人称変化が出ている。 今回も発音記号はないが、 語幹の母音の違いについて 1 分 40 秒にわたってくわしく説明があり、 発音練習も多めだった。 peux/peut と peuvent で母音が違うんだったか……。

この三つの母音はフランス人には全く別の音、とのことだった。 私みたいに [ø] と [œ] とを適当に発音していると、 フランス人には、私が

を聞いたときのように聞こえるのだろうか。

関係ないけど、pourvoir という動詞もあったな……。

練習 3 は「聞きましょう」、 練習 4 は「聞いてみましょう」。 この違いは?

練習 4 の porte は門のことだと思っていたら「ドア」と訳された。 そうか、その意味のほうが普通なのか……。

付) おさらいしていて気づいたのだが、 「Est-ce que vous pouvez venir vous aussi?」の 「vous aussi」の説明はあったかな? この vous は人称代名詞の強勢形だと思うが……。 もしも主語を tu にするなら 「Est-ce que tu peux venir toi aussi?」?

2004-06-10 (4) 23:35:27 +0900

回文>「カラスらか」

「カラス」は人名。

2004-06-09 (3) 23:46:48 +0900

回文>「のどか殿」(のどかどの)

「のどか」は人名。

2004-06-09 (3) 23:46:34 +0900

サンダーバード>「クラブロッガーの暴走」(前編・後編)

レストランの主サンチョスの顔のてかり方がなんともいえない味を出している。

ああいう重要な任務につくときは同じ料理を食べちゃいけないんじゃないかなあ。

製品を後ろの自動車に落とすための装置。 でかたが「湖底の秘宝」の回のフッドのトラックとなんとなく似ている。

クラブロッガーは途中から予定のコースをそれてしまう。 木を切りながら進むんだから、切り株が残りそうなもので、 そこを踏んで走るからには上下にかなり揺れそうな気がするが、 全然揺れていない。

原語ではペネロープがパーカーにつがせるのは sherry だが、 吹き替えではワインになっている。

クラブロッガーの車輪のうちのいくつかはよく回っていない。

現場に降下する1号の脚は車輪になっているが、着陸時はそり。

ペネロープに活躍させたいのはわかるけど、あのやり方は荒っぽいよなあ。 クラブロッガー本部(?) から会社に連絡して止め方を教えてもらえば済むことなのに。

2号が脚を伸ばし、3番ポッドが現れるシーンで、 2号の前脚が映っていないことに注意。 斜め前から写しているにもかかわらず脚はポッドに隠れている。 すなわち、前後の脚の間をポッドが動いてゆく、 基地内のあの映像とあっていないのである。 (これは有名な事実だが。)

ブレインズは2号の中では私服だがジェット・クレーン車では探検服(?)。 いつ着替えた?

モノレールは止められたブレインズもこれは止められないのか……。 中にはいれたんだからコースを変えてぐるぐる回るようにするとか。 (プログラムされていたコースをはずれた原因がそもそもわからないが。)

基地で、ミンミンがジェフにコーヒーをすすめるシーン。 トレーに乗っているのはコーヒーポットだけのようだ。 前回、スコットがミンミンに頼んだときはミルクも乗っていたと思う。 ジェフはブラック派か。 (ポットは透明なので中の液体の色がわかる。)

そこへジョンからの連絡がはいる。 その間にコーヒーを注ぐミンミン。 斜め後ろから映っているが、 ポットは見えるものの、彼女の手は身体のかげになって見えない。 実際にはスタッフが注いでいるのであろう。 ミンミンそのものを人間が演じているという可能性も考えたが、なさそうだ。 (ミンミンのファンである私は何度も巻き戻して見てしまった。)

しかし、しゃべらせた原子炉の止め方を、 いったんペネロープが録音、録音機を投げてパーカーに渡し、 パーカーが再生して5号のジョンに送り、 5号からバージルへ送るとはまだるっこしい。

最後に抜いていた燃料って原子炉の?

原子炉を止めるまで走行が止まらない、ってのもわからない。 自動車はエンジンかけたまま止まれるだろ?

燃料排出用のパイプをつないだ時点でバージルとブレインズは脱出してよいのでは?  燃料がなくなるまで待って飛ぶ理由がわからない。

アランとゴードンが全く出てこない。 バージルとブレインズがクラブロッガーにはいるため、 本来は移動司令室にいるはずのスコットがジェット・クレーン車を運転したほど、 人手が足りない。 なぜ一緒に行かなかったのか?

最終的にクラブロッガーが出てしまった崖の上とダムとの位置関係が、 クラブロッガーが落ちるまでよくわからない。 いったんわかってから、 巻き戻してクラブロッガーの位置を示すパネルを見ればわかるのだが。

特殊な装置でキャタピラを破壊し進行を止める、などということはできなかったのか。

最後のシーン。寝ている間に起きた事件が朝起きたら朝刊に載っていた、 ということはあるのだろうか? 都市部だったらありえるか。

事件の原因を作ったサンチョス、 道端で倒れていた交通事故を起こした人、 彼らはどうなってしまったのだろう? 気になる。

2004-06-09 (3) 23:43:45 +0900

「実際にはスタッフが注いでいるであろう」 を 「実際にはスタッフが注いでいるのであろう」 に訂正した。

2004-06-12 (6) 13:55:53 +0900

サンダーバードが到着したのは村が破壊されたあと、ダムに至る前だ。 その間の地域がどのようなところかは描かれなかったが、 “何も事件はなかった”というところから考えて、 人の住んでいない地域だったのだろう。

最後、崖から落ちて大破するクラブロッガーを見て、 確かスコットが“燃料が残っていたらあんなものじゃすまなかった”とつぶやくが、 この中間の地帯でクラブロッガーを爆破してしまうことは考えなかったのだろうか。 大爆発を起こしても大丈夫と思われる地点を選び、遠隔操作で爆弾に点火する。

あるいは、原子炉を止めようとするのでなく、 走行したまま燃料を抜いて燃料切れで止まるようにはできなかったか。

付) もう一つ考えたのは、巨大なルームランナー(確か ®)を地面におき、 クラブロッガーに燃料がなくなるまで、 あるいは止め方がわかるまで、その上を走らせるというもの。

2004-06-17 (4) 23:23:25 +0900

「スタンダード和仏辞典」を久しぶりにながめている

大学の授業で和文仏訳があったので買ったのだと記憶している。 その後ほとんど使っていなかったが、久しぶりに出してながめている。

いまでこそ仏和辞典も和仏辞典も数多く出ているが、 当時はこれがほとんど唯一のものだった。 序を読むと、執筆の苦労が想像される。 《現代日本語の語義を正確に説明し、 その用例を精密・的確に記載した国語辞典が乏しいうえ》 という話は著者の一人から授業の際に聞き、 そのときは何のことかよくわからなかったのを記憶しているが、 現在では解決されているのだろうか。

けさ未明に書いた話に関連して「無理」をひいてみると、 この辞典では「不可能な」が最初にきている。

2004-06-08 (2) 23:22:06 +0900

回文>「嘉納のか」(かのうのか)

嘉納は姓。

2004-06-08 (2) 23:04:50 +0900

回文>「簿記の規模」(ぼきのきぼ)

本文ナシ

2004-06-08 (2) 23:04:18 +0900

回文>「ロキの岐路」(ろきのきろ)

本文ナシ

2004-06-08 (2) 23:03:40 +0900

回文>「水圧 アイス」(すいあつあいす)

本文ナシ

2004-06-08 (2) 23:02:32 +0900

回文>「外圧 愛が」(がいあつあいが)

本文ナシ

2004-06-08 (2) 23:00:53 +0900

回文>「弾圧案だ」(だんあつあんだ)

本文ナシ

2004-06-08 (2) 23:00:12 +0900

回文>「抑圧 悪よ」(よくあつあくよ)

本文ナシ

2004-06-08 (2) 22:59:24 +0900

回文>「カストロ トスカ」「カストリ トスカ」

意味なし。

2004-06-08 (2) 22:57:53 +0900

「停滞 te:tai」と「手痛い teitai」はかなで書けば「ていたい」で同じ

本文ナシ

2004-06-08 (2) 22:56:59 +0900

回文>「ロドリゲス 下痢 泥」(ろどりげすげりどろ)

意味なし。

2004-06-08 (2) 22:56:23 +0900

NHK フランス語講座で Patricia Kaas のHôtel Normandy を聴いたのか

本を整理していたら、1998 年度前半の NHK フランス語講座のテキストが出てきた。 杉山利恵子先生、Michaël Ferrier さんのコンビの(確か)最初の年。

そのときは「今月の歌」があったのだが、6月は Patricia Kaas の«Hôtel Normandy» だった。

私はそのあと個人的にいろいろあって、 ふだんはクラシックしか聞かないのに、 この曲を含むアルバムを買った。 そのことは 《パトリシア・カースのアルバム 「永遠に愛する人へ」を入手》に書いたが、 それはボーナストラック「Juste une chanson」が中島みゆき「かもめの歌」 のフランス語版だからで、この曲のことは忘れていた。 (どこかで聞いた曲だなとは思ったが、 “元は英語の歌で英語の講座で聞いた”と思っていたのかも知れない。)

テキストによれば彼女は 1966 年生まれだからひのえうま。 CD の解説書によれば 4 月 6 日生まれのおひつじ座。 (それがどうした。)

辞書をひきながら CD の歌詞を読んだが、 テキストにあった要約とどうも結びつかない。

2004-06-08 (2) 22:50:10 +0900

回文>「殺意? いつさ。」(さついいつさ)

本文ナシ

2004-06-08 (2) 22:46:56 +0900

回文>「さっきの喫茶」(さっきのきっさ)

本文ナシ

2004-06-08 (2) 22:46:21 +0900

NHKフランス語講座>六月 8 日(火)分

きょうは「講師の杉山利恵子です」の「ぎ」が鼻濁音だった。

obtenir の発音について。 「b の文字はここではプと発音します」のようにおっしゃったが、 この「プ」は明らかに母音を伴っていた。 綴り字の読み方のコーナーでも同様。

diplôme はテキストでは「免状」だが先生は「お免状です」とおっしゃった。 小さいときに何かで「お免状」をいただいた経験があるとみた。 (子どものころ覚えた言い方は大きくなってからもぽっと出ることがある。)

スキットの意味の説明でも、 テキストに「免状」とあるところを「お免状」と言っておられた。

フランスのお正月の話で、ミカエルさんは s'embrasser という動詞を使われた。 私は「互いに抱き合う」の意味だと思って聞いていたが、 先生は「キスをし合う」と説明された。 (辞書を見れば両方の意味があることがわかる。)

ミカエルさんに続いて動詞の活用を言うところで、 私はすでにもう知っているわけだから、先に言うようにしているが、 つい elle があることを忘れて nous ... と言ってしまう。

付)「Bonne année!」が出てきたが、これを聞いて 「フランス人って正月に『盆』っていうのか」と思った人もいるだろうな。

付)綴り字の読み方に hôpital が出てきた。 これに定冠詞がついて L'Hôpital となったのが「ロピタルの定理」 の「ロピタル」である。 理系の学生の多くは大学受験のときにこの定理を覚える。 高校の範囲外なのであるが、 もしも求め方のわからない極限が出たときに備えてである。 そこで、 理系の学生をもったフランス語の先生はこの単語が出てきたときにこれがあの 「ロピタル」ですと話すとうけるかもしれない、といつも思うのだ。

2004-06-08 (2) 22:33:15 +0900

「ルート 2 は無理数」の証明に「約分してないだけ」と反論されたら

有理数だったとして背理法で示すのが普通だろうが、 分母も分子も偶数であることが示されたところで 「約分してないだけです。約分すれば矛盾はなくなります」 と反論されたらどう説明するか?

(そうやって約分してゆくといまに分母か分子が 1 になって矛盾するのだが、 それがわかる相手ならこんな反論してこないよな〜。)

対角線論法と 「最大の自然数は存在しない」の証明に同じように“反論”する》参照。

2004-06-08 (2) 01:43:15 +0900

「無理だ」は、日本の禁句にせえへんか》ってあぶなくないか

公共広告機構の広告でときどき出ている。 例えば2月22日づけ朝日新聞大阪本社版、「Weekly 教育」の面。

無理だと思ったら何も始まらない。あなたのチャレンジが日本を変える。 やらなきゃ! 日本》とあり、 日本遠隔制御(株)の今村博昭さんが 《「無理だ」は、日本の禁句にせえへんか》と述べている。

この「無理だ」は「困難だ」という意味であろうが、 岩波国語辞典第三版、新明解国語辞典第五版ではその意味は読み取れない。 広辞苑第五版には最後に載っている。 本来の意味は「道理のないこと」だろう。

どうも、私には、「ルート 2 を分数で表わしてみろ」「無理です」 「『無理だ』と言うな、やってみろ」と言われているような気がしてしまうのである。

2004-06-08 (2) 01:36:13 +0900

朝日新聞>「ぺイオフ」という誤植 --- 「ぺ」がひらがな

2003年10月22日づけ大阪本社版「シンポジウム 金融ビッグバンがもたらしたもの」のページ。

2004-06-08 (2) 01:04:24 +0900

電子辞書と違って紙の辞書はひく過程でほかの単語も目にはいる

6日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「声」の 「未知の単語と出会う楽しみ」。15 歳の中学生の投書。

両者の長所をあげつつ、そういう理由で紙の辞書が好きだ、としている。

電子辞書と紙の辞書の比較は興味があるので、 投書欄で目にしたらメモするようにしている。

電子辞書派がこれに“反論”するなら、 単語のつづりを入力してゆく間にあたかも紙の辞書をめくっているかのように目的の単語以外の語も表示されるようにする、とか。

2004-06-08 (2) 00:59:18 +0900

門がないのに門限があるのはおかしくないか?

いまどき、門のあるうちはそうはあるまい。

2004-06-08 (2) 00:49:46 +0900

最初に avec から「アベック」を作った人の心理はどんなものだったのか?

フランス語がわからなかったのでフランス語が話されているのを聞いて前置詞の avec を男女の二人連れの意味に間違えた、ということは考えにくい。

気の聞いた言い方を思いついたと考えて使ったんだろうか。 あるいは、フランス語のわかるものはほとんどおるまいと思って 「フランス語ではアベックというのだ」とウソをついた?

2004-06-08 (2) 00:45:44 +0900

ケヤキの木の真下に立って見上げたら葉の裏ばかりが見えた

つまり、葉の表側が空を向いているわけだ。当たり前だけど。

2004-06-08 (2) 00:41:52 +0900

回文>「南アにアンナ」(なんあにあんな)

本文ナシ

2004-06-07 (1) 22:30:57 +0900

回文>「花袋がいたか」(かたいがいたか)

本文ナシ

2004-06-07 (1) 22:28:12 +0900

回文>「家内の田舎」(かないのいなか)

これは誰か書いているだろうな。

2004-06-07 (1) 22:27:36 +0900

回文>「祐子の香油」(ゆうこのこうゆ)

本文ナシ

2004-06-07 (1) 22:27:25 +0900

回文>「予定? いてよ!」(よていいてよ)

本文ナシ

2004-06-07 (1) 22:22:45 +0900

NHKフランス語講座>六月 7 日(月)分

今週のスキットのタイトル和訳は「ユミ招待される」。 「ユミ、招待される」ではない?

ミカエルさんの qu'est-ce que の発音だが、 明らかに最後の que の母音を発音しておられる。 テキストの発音記号は [k] で終わっているが、 辞書によるとこのあとにあいまい母音がくる発音もある。 そちらで発音されている、ということか。

rester は英語の rest とは関係ない? それはともかく、 意味を間違えないようにせねば。

「きょうのポイント」に 「<aller + 不定詞>」「<aller + 不定詞>」のカッコの不統一が。

きょう出てきた近接未来形の例文を「〜しに行く」と誤解することはなさそうだが、 Leçon 29 で習った 「Elle va acheter des timbres.」は近接未来形ともとれそうだ。

先生も qu'est-ce que の最後にあいまい母音をつけて発音しておられる。

フランスの大学生は授業のノートをとるときボールペンを使うことが多い、 日本では鉛筆を使うことが多いようだ、とのことだったが、 この「鉛筆」にはいわゆるシャープペンシルも含まれるのだろう。 私の体験ではシャープペンシルが圧倒的に多い。

練習 3 は空欄に que または qu'est-ce que を入れよ、というもの。 その最後の問題は実は qu'est-ce qu' がはいる。 次の語が母音で始まっているためである。 練習にはこういうフェイントは有効だが、 競争試験でこういうのを出すとまずいだろう。 あ、それに、文頭だから Qu'est-ce qu' となるんだ。

2004-06-07 (1) 22:13:01 +0900

回文>「私意 恋し」(しいこいし)

本文ナシ

2004-06-07 (1) 01:36:39 +0900

回文>「桜田 堕落さ」(さくらだだらくさ)

本文ナシ

2004-06-07 (1) 01:35:55 +0900

回文>「代官嗅いだ」(だいかんかいだ)

何を、ですって? はなぐすりではないでしょうか。

2004-06-07 (1) 01:34:15 +0900

回文>「依願 存外」(いがんぞんがい)

本文ナシ

2004-06-07 (1) 01:33:18 +0900

朝日新聞>戦前の日本の「テロ」といまの「テロ」は意味が違うのに

4月15日づけ大阪本社版オピニオン面 「日本@世界」の筆者は船橋洋一氏。「本社コラムニスト」とある。

テロリストに屈してしまえば、 日本はその程度の国だと受け止められ、 将来、 日本国民はテロの餌食となり続けるだろう。 そもそも、テロと十分に戦わず、戦えず、自らの民主化の芽 (大正デモクラシー)をつぶしてしまったのが戦前の日本だった。 テロを憎み、それと戦うことの大切さを私たちは学んだはずだ》。

さっき書いた 《昔の落語で「テロ=暗殺」 と言っているのを聞きはっとした》参照。

昔の「テロ」は暗殺と言いかえられるが、いまのはそうではない。 同じことばで言い表せるから、という議論なのかもしれないが、 危うい論法だと思う。

2004-06-07 (1) 01:07:14 +0900

「聖書からの引用というのはウソ」と言うけど後半はかなり類似している……

2003年10月23日づけ大阪本社版文化総合面、 『タランティーノ監督6年ぶり新作「キル・ビル」/ 「B級」の集大成のナットク』。

米国在住のコラムニスト町山智浩さんは、 米メディアがタランティーノ作品をいつもひどく誤読していると鋭くツッコミを入れ、 読者を挑発する》と書いているのは朝日の記者か。

タランティーノは続く「パルプ・フィクション」(94年) でアカデミー脚本賞を受賞した。 特に高く評価されたのは、殺し屋が裏切り者を処刑する前に読み上げるセリフだ。

「旧約聖書エゼキエル書25章17節にいい言葉がある。 心正しき者の歩む道は心悪しき者の利己と暴虐に阻まれる。 ……我が復讐がなされる時、汝は我を神だと知るべし」

多くの批評家がこのセリフに監督の意外な信仰心、倫理、 贖罪というテーマを読み取った。 ところが実はこんな文章は聖書のどこにも存在しない。 実はこれ、千葉真一主演のカラテ映画「ボディーガード牙」(73年・東映) の、アメリカ公開版に配給会社が勝手につけた序文の引用なのだ。 筆者がタランティーノに直接会って、それを指摘すると、 彼はイタズラがバレた子供のように 「でも、みんな聖書の引用だと信じてたよ」と舌を出した。

エゼキエル書に第 25 章があることは知っている。 でも何節まであったかは覚えていないので、聖書にあたってみた。 こういういたずらをするとき、実在する章・節番号にはしない、 という流儀の人もいるからだ。

この章・節は実在し、その後半は 《我(わが)仇(あだ) を彼らに復(かへ)す時に彼らは我のヱホバなるを知(しる)べし》 (文語訳)となっている。 この類似は偶然というわけ?

2004-06-07 (1) 01:00:17 +0900

はっきり書くのを忘れた。 長く引用したほうの文章は町山智浩氏によるものである。

2004-06-07 (1) 22:25:22 +0900

朝日新聞>「へルシア緑茶」という誤植 --- 「へ」がひらがな

2003年10月23日づけ大阪本社版経済面「ヘルシア緑茶 / 来春全国展開」に 《5月に発売した特定保健用食品の飲料「へルシア緑茶」のヒットや》と。

2004-06-07 (1) 00:34:25 +0900

仏前にタバコは供えなかったかな

日本では、仏前に生前好んだものを供えることがあるが、 タバコはどうだったかな、と思って。

2004-06-07 (1) 00:31:49 +0900

回文(断片)>「水田たたずみ」(みずたたたずみ)

水田は人名と思っても、普通名詞と思ってもよい。

2004-06-07 (1) 00:30:44 +0900

フランス語>リエゾンするかどうかは何を見たらわかるようになる?

ここは必ずする、ここはしてもしなくてもよい、 ここはしてはいけない(et と次にくる名詞など)を完全に知りたい。 何を見たらよいだろう?

文法書を見れば、という結論になろうか。

2004-06-07 (1) 00:28:33 +0900

回文>「つきまとひ・人まきつ」(つきまとひひとまきつ)

歴史的かなづかいによる。 前半はつきまとう側。後半はつきまとわれる側、と意味の上で対になっている。

2004-06-07 (1) 00:22:54 +0900

回文>「つきまとい・糸巻きつ」(つきまといいとまきつ)

つきまとって糸を巻いた、と。

2004-06-07 (1) 00:20:59 +0900

立体版・山小屋の怪談

最初に「山小屋の怪談」についておさらいしておこう。 雪山で五人の大学生のパーティーが道に迷った。 夕方、かろうじて山小屋にたどりついたが、 そのうちの一人は力つき、息たえた。 四人は彼/彼女の遺体を小屋のまん中に置き、 正方形をした小屋の四隅にへたり込んだ。 このまま眠り込むと凍死してしまうが、休まないと体力が回復しない。 そこで、彼ら/彼女らは次のようなことを考えた。 まずリーダーが、壁に背をつけて右へ右へと進んで行き、 次の隅まできたらそこにいる仲間を起こして、自分はそこで眠る。 いま起こされた仲間は同様に右へ進み、また次の仲間を起こす。 まもなく山小屋は真の闇に包まれた。 その中で彼ら/彼女らはこうやって交代で眠りながら朝を迎え、 救援隊に無事助け出された。しかし、あとになって彼ら/彼女らはぞっとした。

絵を描いて考えてみよう。

+−−−−−+
|D   C|
|     |
|  E  |
|     |
|A   B|
+−−−−−+
これが最初の状態。Aがリーダー、Eが力つきた仲間である。 このあと、下の図の左から右へと移り変わってゆく。
+−−−−−+ +−−−−−+ +−−−−−+ +−−−−−+
|D   C| |D   C| |D ←CB| |C   B|
|     | |     | |     | |D    |
|  E  | |  E ↑| |  E  | |↓ E  |
|     | |    B| |     | |     |
| A→ B| |    A| |    A| |    A|
+−−−−−+ +−−−−−+ +−−−−−+ +−−−−−+
しかし、Dが最初にAのいた隅にきたとき、そこには誰もいないはずなのである。 闇の中でDが起こしたのはいったい誰だったのか? ---

復習はこのくらいにし、これの立体版を考えよう。 無重力の宇宙で、九人の大学生が立方体の山小屋にたどりついた。 一人が力つき、中央に置かれることも同じ。 八人は八つの隅にへたり込む。 立方体の“上の面”・“下の面”でそれぞれ上と同じことをするというアイディアは、 力つきたのが一人であることから不可である。 (一人の人間の霊は一箇所にしか出られないとする。)

もう一つの版は、 線状の宇宙人十三人がたどりつく、というもの。 彼らは立方体の山小屋の各辺にへばりつく。 そして、一方の端を支点とし、壁に沿って回るのである。

ここまでしか考えていなくてすみません。

2004-06-07 (1) 00:10:54 +0900

「『誰々と何々しました』という言い方」の「誰々」「何々」って複数?

外国語の文法事項を説明しているときなどに使う言いまわしだが、 おそらく、複数ではないと思う。

「誰と何しました」だと疑問文みたいだから、と生まれたものか。

もしそうなら、 《a boy whom I met yesterday を 「少年誰に私はきのう会った」と訳したら?》に応用できないか。 「誰」でなく少し違った言い方をするなど。

2004-06-07 (1) 00:00:26 +0900

「ビール1打」「ビール半打」をビールびんで頭を打つのかと思ったやつの話

そういうやつがいた、というだけの話。 スポーツの大会の賞品だったと思う。 「1打」は一回打つと言うから、 「半打」は半回打つのかと思ったら、 びんを割って半分にしてから打つからもっと痛いだろうと言っていたっけ。

注意:絶対にやってみてはいけません。

付:手書きの時代には「ダース」を「打」と書けば時間の短縮になったが、 カナ漢字変換で入力するには「ダース」のほうが誤変換がないだけ早い。 チューニングによってももちろん違うけど。

2004-06-06 (0) 23:53:17 +0900

水を飲むとばてるとして、プロとアマでは飲むかどうかの判断が違うのでは

一週間ぐらい前だろうか、 MRO ラジオのプロ野球中継を聞いていたら、 解説者の元・広島カープの川口和久氏が、水を飲むとばてると言っていた。 ピッチャーが完投したかマウンドを次のピッチャーに譲るかして、 ベンチに下がってうまそうに水を飲んでいる、というところでである。 飲むとばてるから試合に出ている間はあまり飲めない、 よって、こういった場面になって初めて十分に飲むことができ、 それはとってもおいしいんだ、というような話だったと思う。

ふと心配したのは、 中学生・高校生が「水を飲むとばてる」と言われて飲まずに練習し、 水分の不足で最悪の場合、死に至る、という事故のことである。 練習中はどんどん水を飲ませなければいけない、 というのが最近の傾向だと思う。

しかし、川口氏の発言は決してこれと矛盾しない。 アマチュアが練習している際には、仮にばてるとしても、 飲みたい水は飲むべきである。 それでばてたら、彼/彼女の体力はそこまでだったというだけのこと。 よく休んで、回復してからまた練習すればいい。 プロはそうは行かないのだろう。 水を飲みたいが、ここで水を飲んだら最終回のマウンドには立てない。 飲まずにがまんすれば完投も可能、と思ったら飲まないのがプロなのだと思う。

確か衣笠選手は骨折しても試合に出場し続けたが、 これもプロとアマでは全く考え方が違って当然だ。

2004-06-06 (0) 23:46:37 +0900

牛歩戦術が成り立つための条件をいまの日本は満たしていないのでは

牛歩戦術が成り立つには、 それを見た野党の支持者が国会にデモなどを行なうことはもちろん、 与党の支持者たちも 「確かにこれでは議事の進め方がおかしかった。 このまま与党を支持し続けるわけにはゆかないかも」 と考えることが必要だろう。 場合によっては、与党議員の中からも 「この議事の進め方では支持が離れてゆくから執行部を止めねば」 という声があがるぐらいでないと。

有権者が「私はとにかく**党支持だ。あとは議会の多数決」 と決めてかかっている状態では牛歩戦術をやったって意味がないと思うのだが。

2004-06-06 (0) 23:39:07 +0900

生きている竹の幹(?)も乾いているのだと思っていた

数日前、職場の片隅にある竹やぶで竹の幹(?)にさわってみたところ、 しっとりしているので驚いた。 竹製品はもちろん乾燥している。そのことから、 生きているときも、幹(?)の部分は乾いているのだと誤って思い込んでいた。

それ以来、さわれそうなところに竹が生えているとさわってみる、 変な人になってしまった。

2004-06-06 (0) 23:32:28 +0900

昔の落語で「テロ=暗殺」と言っているのを聞きはっとした

さっきやっていたNHK「ラジオ名人寄席」で九代目桂文治 (「昭和五十三年三月八日」に八十六歳で没)の 「岸さん」(「昭和四十九年」録音)が放送されたが、 その中にこういうところがあってはっとした。

「だから、新しいことばはこのとおり体裁のいいことば。 まだ体裁のいいことばがありますよ。テロってことば。ありゃ暗殺ですよ」

戦前の「テロ」は言いかえるとしたらこう言いかえるのが一番だろう。

今週から「こち亀」を生で見てこっちを録音することにしたので、 テープを巻き戻してきちんと書き取ることができた。

2004-06-06 (0) 21:31:35 +0900

「禁煙なんか簡単だ。私は既に何十回も禁煙した」というジョークについて

これがおもしろいのは、 「何十回も禁煙した」から「何十回も禁煙の誓いを破った」のだと推測し、 実は禁煙の難しさを物語っている、と理解するからである。 実際にこう発言した人がいたら、おそらく、その通りであろう。

でも、必ずしもそうとは限らない。 例えば、禁煙には成功したが、 人体実験を行なう必要から再度喫煙を開始した、などということが考えられる。

2004-06-06 (0) 17:03:37 +0900

日本国憲法第百条「この憲法はいついつから施行する」っておかしくないか

最初の文章だけをきちんと引用すれば 「この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、 これを施行する」である。

その1. 憲法は施行されて始めて効力を発揮する。 だから、施行の日までこの条文は効力を発揮しない。 施行の日がくれば施行されているんだから、意味がない。

その2. 「から施行する」だと、 「施行する」は継続を表わす概念だということにならないか。 一般には「昭和二十二年五月三日施行」などと、 開始を表わす概念のように扱われている。

2004-06-06 (0) 15:11:11 +0900

貴族院は参議院に受け継がれたんじゃなくて「なくなった」のだった

日本国憲法の第百条から第百三条を読み直してみて、気がついた。 衆議院議員は、 旧憲法最後の議員たちがそのまま新憲法における最初の議員になったんだよね?

2004-06-06 (0) 15:04:20 +0900

「家族が死ねば年賀状を書かずにすむ」という動機で起きた事件はないのか

本文ナシ

2004-06-06 (0) 14:29:36 +0900

「改憲反対」「護憲」じゃなく「日本国憲法を支持します」と言ったらどうか

なんとなく思っただけ。

2004-06-06 (0) 13:46:20 +0900

「日本国憲法には時代遅れの条文がある」。○か×か? --- そりゃ○だけど

ある政党が「護憲」の立場から “(今後も)日本国憲法の全条文を忠実に守るようにする” あるいは(政府に)“守らせる”と言っているのを見た記憶がある。

しかし、 第百条から第百三条までからなる最後の第十一章「補則」 は移行措置を定めたものなので、今後は適用されることがないと思う。

(「思う」と書いたのは、最後の第百三条の最後の文章 「但し、この憲法によつて、 後任者が選挙又は任命されたときは、当然その地位を失ふ」 とあるのは、 「もう失ったんだから不要」とも思えるし、 「今になって 『おれは日本国憲法施行のとき**だったんだからいまも**だ』 と言い張る人が出てくるといけないからずっとおいておかなければならない」 とも思えるからである。)

だから上の某政党の主張を“時代遅れ”“ナンセンス” とこき下ろすこともできるわけで。

言いたかったことは「『時代遅れの条文があるから』だけでは改正理由にならない」 ということである。

付)移行措置を定めた条文は施行後、自動的に無効となる、 というような決め方をした法律はないのかな?

2004-06-06 (0) 13:41:53 +0900

西垣知佳子先生>英語リスニング入門(昨年十二月 26, 27, 29, 30 日分)

答えをうながされたときの西垣先生のお返事。 Plus Alpha と Lost and Found が「Yes」。 ほかはなし。

New Year's Celebrations の説明で、 サンドラさんは North America と言われたが、西垣先生は「アメリカやカナダ」 と言っておられた。意味の上では妥当だと思うが、 メキシコは North America にはいらない?

例題 「What happens in many places during the last minute of the year?」を 「一年の最後の瞬間」と説明されたが、「最後の一分?」

ここの選択肢の語頭の位置がそろっていないのは気になる。

Lost and Found. 「それが表わす品物をテキストの四角に入れてください」とのことだったが、 「それが表わす品物の名前を〜」だろう。 クロスワード風パズルなのだから。

EARRING は、答えはこれだろうとわかったが、 埋めるところの二文字目が A になっているのを見て 「違った」と思い込んでしまった。情けない。

サンドラさんが mitten を無くさないようひもで結ぶ、という話をされ、 西垣先生が私も子どものころそうしていた、今は my daughter がそうしている、 と英語で話された。 彼女についての話は、前の年度もそうだったけど、英語でしかなさらない。 (というわけで、ここでも、 英語が全くわからない人にはわからない書き方をしておいた。)

Lasting Wisdom の解説。 「いやーな態度にはいやーな態度で答えるものだ」 の「いやーな」の言い方に妙に感情がこもっていておかしかった。 ぐうーっとイントネーションが下がって上がる。 ほんとうにいやそう。

付) 29, 30 日も同じ内容の放送だと気づかなかったようで、 そちらも録音してあったものだから、 二回聞いてしまった。 (再放送とされていても一部手直しがある場合もあり --- いまの場合、 今年最後の放送ということで西垣先生からのメッセージが追加されているなど ---、 それで録音したのかもしれない。 とも思ったが、「ビジネス英会話」の録音から判断して、 そうではないようだ。 「ビジネス英会話」は、29 日(月)に 22, 23 日分を、 30 日(火)に 24, 25 日分を再放送した。 しかし、私は後者しか録音していない。 どうやら、通常通り、月曜日と火曜日とは同内容と思い込んでいたようだ。)

付) New Year's Celebrations の例題に countdown とあったので 《うるう秒があるとイギリスでのカウントダウンはフライングの可能性あり》 を思い出した。

2004-06-06 (0) 13:22:30 +0900

サイが「はて?」と首をかしげて「さいはて」、と思っている人はいないか

本文ナシ

2004-06-06 (0) 12:18:59 +0900

銃で撃たれる危険性を心配しなくていい世の中って、いいよなあ

ベランダからぼんやり外をながめていたら、農作業をしている人が見えた。 このあたりはほとんどが宅地となってしまったが、 それでも少しは農地が残っている。 自宅用に野菜や果物を作っているのだと思われる。

ふと、物騒なことを考えてしまった。 私が悪い領主で、私のいるところがそのお城であり、 ここからおもしろ半分にその人を銃で撃ったら、 当たるだろうか? そう考えて、 それを判断するための材料を全く持ち合わせていないことに気がついた。 すなわち、銃で撃って当てることができるのはどのくらいの距離までなのか、 私は全然知らないのである。

もしもこの距離でその人を撃って当たるなら、 逆にその人の付近から私を撃って倒すこともできるはずである。 私が悪い領主なら、私を倒そうとする人たちがいても不思議はない。

こういうことを全く考えずに生きてゆけるって幸せなんだなあ、 とふと感じた。 空襲にあった世代だと、 「あの高さだと撃ってきても当たらない」 などということを覚えさせられた、あるいは知らず知らずのうちに覚えた、 と聞いたことがあるので。

2004-06-06 (0) 12:17:51 +0900

毎日の日の出を 6 時とする私の冗談夏時間と昔の不定時法との違い

いまの季節は昼が長い。 昔の不定時法だと朝食と昼食、昼食と夕食の間の時間が長くなるが、 私の冗談夏時間だと、あくまでも時計に従って生活するから、 この時間は年間を通じて一定である。(変えてもいいけど。)

2004-06-06 (0) 01:14:02 +0900

日の出が一年でもっとも早い季節になった / 夏時間の宣伝にはいい季節かも

1999 年版理科年表によると六月 6 日から 22 日までの東京の日の出は 4 時 25 分で、これは一年を通じてもっとも早い。 その間、日の入りはどんどん遅くなってゆくので、 昼の長さもまだのびてゆく。 (ただしこのデータは分の桁までの精度である。)

まだエアコンをいれるほど暑くはないので、 早く起きれば照明の分だけ電気が節約できる。 夏時間の宣伝にはいい季節である。 (エアコンをいれる季節になったら、 なるべくエアコンをいれる時間が短くなるように生活するのが省エネであろう。)

私が冗談で提案した、毎日 6 時に日が昇るように毎日時計をずらす夏時間だと、 時計を 1 時間 35 分早めていることになるから、 日の入りが 20 時 35 分ぐらいになる。 小さな子どもがいる家庭では、 夕食を明るいうちに済ませ、明るいうちに寝かすことになる?

2004-06-06 (0) 01:06:48 +0900

「押そう」は osô, 「襲う」は osou が普通と思われる

私は実際にそう発音しわけているようだが、 それが適当かどうかはわからない。

2004-06-06 (0) 00:57:49 +0900

更新記録>「その92」が大きすぎることに気づき一部を「その93」に移動

いったんアップロードしてから移すのは初めてかも。 正子直前にアップロードしたばかりだと思うので、 たぶんそれほどの混乱は起こさないであろう。

2004-06-06 (0) 00:56:31 +0900

金沢大学付近のバス路線が変わった

先日いってみたら、以前とは路線が少し違っていた。 前は、最後は道に沿ってまっすぐ走って大学についたが、 途中でΩ状に迂回して新しい建物の近くを通る。 下りのバスがそこへはいってゆく道はまるで山間部へ遠足にいったときのようである。 そしてロータリーにはいり、「金沢大学自然研前」という停留所にとまる。 「自然研」は「自然科学研究科」の略らしい。

バスの中で聞いた話。 このバス停で降りる客がおらず、かつ乗る客がいないとき --- 歩いても十数分で終点なので、 乗る客がいることはまずないと思われる --- は、ロータリーにはいらず、直進してしまうことがあるそうだ。 「ロータリーにはいりかけてから降車ブザーを押そうと思っていた」 と文句を言う客がいたら、運転手は 「もうすでに回った、 お前はロータリーを出てからいちゃもんをつけているんだ」 と言い張るのではあるまいか、とのことだった。 バスがロータリーを出たところははいったところよりもやや戻った地点になるので、 こう言い張ることは可能である。

そのバス停で降りて、帰りのバスの時刻表を見たが、 朝の10時ごろまでは上りのバスがない。 聞くところによると、その間はΩ状に迂回せずまっすぐに走るので、 ここは通らないのだそうだ。 だったら、 「この時間帯は上りのバスはこのバス停を通りませんので**からご乗車ください」 と張り紙でもして地図もつけておきそうなものだ。

帰りは「金沢大学自然研前」の一つ手前の、「金沢大学中央」から乗った。 ここは前からあるバス停である。 発車してすぐ、バスは左に曲がり、大学の建物を左手に見ながら走るのだが、 これも聞いた話。 ここは制限時速20キロメートルの標識が出ているのに、 バスは50キロぐらい出して走るのだそうである。 私は自動車の運転はできないので標識の見方はよく分からないが、 赤い丸の中に20と書かれたのが立っていた。 また、バスは普通の道と同じぐらいのスピードを出していた。

「金沢大学自然研前」から元のバス通りに戻るところ --- 上で「下りのバスがそこへはいってゆく道」と書いたところ --- はくねくねと曲がっていて、バス酔いしそうだ。 小学生のころを思い出した。

2004-06-06 (0) 00:46:48 +0900

正確な時計を持っていてもそれで相手に対抗できることは少ない

ちょっと前に懐中時計のページをネットサーフィンしていたとき、 「一日に腕時計が 20 秒程度進んだり遅れたりして困る人がどれだけいるのか」 というようなことを書いているページを見た。 メカニカルウォッチこそ時計である、という人はまだまだ多いようだ。

そこでふと思ったのだが、私がクオーツ式腕時計を見て 「おい、15 秒早いぜ」などと対抗できる相手はいるのだろうか?

金沢のバスの運転手は無理である。時計の見方を知らない者もいるらしい。 数分早くても平気で発車することがある。 授業開始・終了のチャイムは数十秒ずれているがどうしようもない。 会議は遅れて始まらないほうが珍しい。 (忙しい人がいるのはわかるが。)

ということで、ほとんど意味がない。 クオーツ式腕時計が役に立つのは、 NHKラジオの語学番組を聞いたり録音したりするときぐらいのものである。 それでもやっぱり時計は正確なほうが好きだ。

2004-06-06 (0) 00:24:27 +0900

秒針を合わせていない機械式腕時計もついくせで秒針から見てしまう

いまは秒針は合わせていない。 秒針停止機能があるから秒針も合わせることは可能なのだが、 どうせ日に数秒はずれるので、あまり意味がないからだ。 だから分針が目盛りのどこを指しているかを見るべきなのだが、 クオーツ式の別の腕時計を見るときのくせで、 つい秒針から見てしまうようだ。

(そっちの時計も、常に秒針を見るわけではない。 おおざっぱな時間がわかればいいときは時針と分針を見るだけである。 だから、正確な時刻を知りたいのに機械式腕時計のほうを見るのがいけない、 ということになるだろう。)

時計の時針分針を秒針とは無関係に合わせてみる》 参照。

2004-06-06 (0) 00:09:35 +0900

英語リスニング入門>彼ら四人は高田馬場まできてるのかぁ

連絡してくれれば迎えに行くのに。みずくさいぞ、ロバート。 ……ってのは今年度のNHKラジオ「英語リスニング入門」のストーリーの話。 (←単語ダブってないか>自分)

三年間、前期はあの四人の物語なので、 なんだか実在の友だちのような気がしてきている。

きょう、録音する際に聞いたもの。 ふだんはフランス語に続けて録音したりして全く聞いていないことが多い。

2004-06-05 (6) 23:39:21 +0900

西垣知佳子先生>英語リスニング入門(昨年十二月 24, 25 日分)

Part 1 の「defense mechanism for you」を 「あなた(=デイビッド)に対して私(=ケリー)が持っている防衛機制」 と誤解していた。 その前の部分が聞き取れていなかったためだ。 英文スクリプトは先生の言いつけどおり最終回まで見ないようにしているので、 誤解しっぱなしで何度も聞いている、ということがあるわけだ。

Part 3 の Kelly のせりふ 「Those won't work in this case.」 の最初の部分は何度聞いてもこうは聞こえない。

2004-06-05 (6) 23:17:00 +0900

フランス語の psychique の発音は「プシシック」なのかぁ

昨年十二月 22, 23 日放送分の「英語リスニング入門」に psychic という単語が出てきた。 そこで、フランス語でこれにあたる単語は、 と辞書を探して、psychique を見つけた。 ただしこちらは形容詞なので本当に対応しているのかどうかはわからない。 “形のうえで似ているだけ”としておこう。

psychologie の -ch- は [k] と発音されるので、 これも [psikik] だと思っていたら違った。 psychisme も同様。

付) 《西垣知佳子先生>英語リスニング入門(昨年十二月 22, 23 日分)》 はありません。書くことを思いつかなかったので。

2004-06-05 (6) 23:15:47 +0900


すのもの Sunomono