すのものの「いろいろ」(その95)

回文>「隣家薬屋リスク管理」(りんかくすりやりすくかんり)

前に書いた「隣家の管理」と「薬とリスク」の組み合わせだが、 隣家が薬屋なのでリスク管理が必要、と具体的な意味をもってくるので。

(実際に隣家が薬屋だとリスクがあるのかはどうかは知りません。)

2004-06-30 (3) 22:58:56 +0900

最初に冬至を含む月を十一月と決めるメリット

中気を二つ含む月は四百年に十回ちょっとしかこないが、 現在は、それらは冬至の前後にくる。 よって、そのあたりの月の名前の決め方が例外的になる。

最初に冬至を含む月を十一月と決めるやり方のメリットは、 問題が起こりそうなあたりのどまん中に 「この月が十一月だ!」とはっきり決まった月があるため、 名前が一通りに決まることがある、ということである。

でも、うまい話ばかりではない。 十一月を動かしたほうが合理的に見えても、 最初に固定してしまったため動かせない場合がある。 2033 年がその例になっていたのだった。

2004-06-30 (3) 22:53:57 +0900

旧暦>1600-5599 年の、旧暦のひと月に二つ含まれる中気の分布

massangeana 氏の表から、手作業で、 旧暦のひと月に二つ含まれる中気をまとめてみた。

たとえば、 1600 年から 1999 年までの間に霜降と小雪が同じ月に含まれることが一度だけある、 という意味である。

霜降
小雪
小雪
冬至
冬至
大寒
大寒
雨水
雨水
春分
春分
穀雨
1600-1999 116300 11(10)
2000-2399 053310 12(09)
2400-2799 034520 14(13)
2800-3199 016320 12(09)
3200-3599 013430 11(10)
3600-3999 032530 13(09)
4000-4399 004532 14(11)
4400-4799 003351 12(10)
4800-5199 001434 12(11)
5200-5599 002353 13(12)

(「計」のカッコ内は半年以内に起こるものを一つと数えた場合の数である。)

もしかして、何かと同じで、 分布のピークは 2000 年あたり一年の 12 分の 1 ずつずれてゆく?

ピークがだんだんにずれてはゆくものの必ず一年のうちの半年だけに起こるなら、 《旧暦> 中気を二つ含む月の前後における閏月の入れ方の案(その3)》 の後半 --- 「又」のあと --- に書いたやり方がずっと使える。

慣習となっているやり方では最初に冬至を含む月を十一月と決めるが、 上の表のようにずれていって半年ずれると、 最初に夏至を含む月を五月と決めるのと同じことになってしまう!

2004-06-30 (3) 22:39:24 +0900

NHKフランス語講座>六月 29 日(火)分

encore は日本語にはいって「アンコール」になったんだと思うけど、 この講座ではあまりそういうコメントはなされないようだ。

je veux bien は「いただきます」だが、 食事を始めるときのあいさつではないのだ。 また、以前、je veux ... は直接的すぎるので子どもがこう言うと親が je voudrais ... と言い直させるとの説明があったと記憶しているが、 この言い方ならいいわけか。bien を忘れないように、との注意が 「きょうの表現」であった。

assaisonné は「味をつけた」ではなく「味をつけられた」では?

ミカエルさんの「Non, merci.」は最後にドイツ語の ich の ch のような音が聞こえる。 aux États-Unis, des États-Unis も。

「きょうのポイント」。 「国にも、男性名詞、女性名詞がありますが、その違いによって、 前置詞や冠詞の使い方にも違いが出てくることがあります」。 最初の「が」は鼻濁音、次は鼻濁音でなかった。 「違い」は一つめが鼻濁音、二つめは鼻濁音でなかった。 その次の「が」は鼻濁音でなく、最後の「が」は鼻濁音。

先生は「酒」「お肉」とおっしゃったが、 私なら「お酒」「肉」だな。 saké は e にアクサンがつくところが普通のローマ字つづりと違う。

2004-06-30 (3) 02:55:58 +0900

フランス語の辞書の動詞の活用番号と数学書の定義・定理の番号について

28 日(月)の NHK フランス語講座で動詞の活用番号の話が出ていたので思い出したのだが、 フランス語の辞書を一冊しか持っていない初学者はあれをどの辞書にも共通な、 普遍的な番号だと思い込むことがある。

私が大学一年生を相手に数学の授業をするときには必ず言うのだが、 「定義や定理の番号はこの教科書の中で区別するためのものですから、 覚える必要はありません。 もちろん、大事な定義や定理の内容は覚えなければいけません」。

2004-06-30 (3) 02:14:02 +0900

NHKフランス語講座>六月 28 日(月)分

「C'est délicieux, ces brochettes.」 の実質的な主語は ces brochettes だから女性複数だが、 形式的な主語 c' (= ce) が単数だから動詞は est と単数形、 おまけに形容詞 délicieux も男性単数形、と理解していいのかな。 男性名詞か女性名詞かがわからないとき、 形容詞の複数形がわからないとき、この手が使えるか。

「きょうのポイント」。 appeler などの動詞を 「ウーエル動詞の特殊形」 「ウーエル動詞ではあるので語尾の変化はすでに学んだ通りです」 と説明された。 「動詞の終わり方が e プラス子音プラスウーエル」の「動詞の終わり方」 は不定詞の語尾付近のことだろう。 また、e はフランス語式に字母名をおっしゃったが最後の「ウーエル」 は日本語式だったのが興味深かった。

なぜ j'appele× とならないかのミカエルさんの説明。 「parce que avec ces deux «e» qui se suivent, ce n'est pas très facile à prononcer, ...」 とおっしゃったと思う。 «e» と書いたが、e の字母名のことか、 音(オト)のことかはわからなかった。 字母だとしたら e が二つ並んでいるわけではないから合わないし、 音(オト)だとしたら最後の e は発音しないからやはり合わない。 結局、よくわからなかった。 先生も、 「フランス語の音の並び方というしくみに合わず」 とやや漠然とした言い方をされた。

先生は、appeler が j'appelle になることを、日本語の比喩

で説明しておられた。 しかし、「食べる」が下一段(弱変化)であるのに対し 「書く」「行く」は五段(強変化)なので、あまり適切でないかもしれない。 -er 動詞と -ir 動詞とが違うのと同じぐらい違うような気もするからである。 ここでは「食べる」の代わりに五段動詞「話す」を出せばよかったと思う。 と、より近くなる。

不定詞 appeler のまん中の e は発音するのかどうかわからなかった。 先生もミカエルさんもあいまい母音に発音されているようだが、 前に《NHKフランス語講座> 六月 16 日(水)分》 にも書いたように、昔は発音しないように習ったと思う。 acheter は前後の子音がともに無声音なので、 あいまい母音が発音されていることがよりはっきりわかる。

これがあいまい母音だとしたら、j'appele× がありえないことは、あいまい母音+子音で終わる語がないことからわかるが、 母音がないのだとしたら、ありえなくはないのではないか。 triple, quadruple のように [-ple] で終わる語はある。 その前の母音が a の例を思いつかなかったが。 私は、とにかくこういう音になるのだからこういうつづり字になるのだ、 と理解していた(がつづり字をしっかり覚えていたわけではない。)

「-ger で終わっている動詞」の -ger は「ジェ」のように読まれたが、 「-cer で終わっている動詞」は 「c, e, r で終わっている動詞」と字母名で読まれた。 これは -sser で終わっている動詞(passer など) が含まれてしまわないためだろう。

付) いま復習しつつ本項を見直していて気がついたことをいくつか記す。 テープはもう上書きしてしまったので聞き返すことはできない。

不定詞 préférer が je préfère になるのは 母音が [e] から [ε] に変わるためだと理解しているが、 説明はあったかな? 一方、 envoyer が j'envoie になるのは、 もしも j'envoye× だと、 母音にはさまれた y は ii と同等で、 最後の e を発音しないからあとの i が余ってしまうため、 で正しい?

「きょうのポイント」で、 “elle のときの動詞の形は il と同じだから省略” というような内容のことをおっしゃっておられたが、 elle と elles, il と ils は同音である。 両方まとめておっしゃられたのかな? おっしゃったのは一度だけだと思うけど。

練習 2 に Où が出てきたのでまた思い出したこと。 この講座では ou は出てきたかいな?

2004-06-30 (3) 02:11:07 +0900

朝日新聞>「留学生のパフォーマンスは中国では許されない」って

2003年11月1日づけ大阪本社版社会面 「邦人学生の寸劇に抗議デモ / 中国・西安」。 《中国外務省の(中略)は31日、 日本大使館の(中略)を同省に呼び、 「留学生のパフォーマンスは中国では許されない」 と述べた》とあるが、 留学生がパフォーマンスすることが許されないのではなく、 その留学生のそのパフォーマンスが許されない、という意味であろう。

最近よく見かける、一般の名詞を“代名詞”代わりに使う用法と思われる。

代案: 「彼らのパフォーマンスは中国では許されない」あるいは 「あのパフォーマンスは中国では許されない」。

2004-06-30 (3) 01:43:01 +0900

朝日新聞>「子ども産まない」ってずっとお腹に入れていることじゃないのか

29日づけ大阪本社版第一面「紙面から」に 《「子ども産まない」私の選択》とあり。

2004-06-30 (3) 01:36:55 +0900

「たんす預金(貯金)」とはどういう意味か?

子どものころ、郵便局か銀行のチラシに 「たんす預金はつまりません」とあるのを見て、 母に尋ねたのを覚えている。 「たんす貯金〜」だったかも知れない。 それ以来、たんすにお金をしまっておくこと、の意味だと思い込んでいたが、 へそくり、すなわち家族などに知られないようにしまってあるお金、 の意味で使っているのではと思われる例を最近インターネットで見て、 急に不安になった。

しかし、手元の国語辞典には、広辞苑も含めて、この言い方は載っていなかった。

2004-06-30 (3) 00:41:05 +0900

旧暦を使っていたら「七月下旬の暑さとなるでしょう」はどう言うのか?

「大暑のころの暑さとなるでしょう」?

新暦もプラスマイナス一二日程度だが季節に対してずれるので、 このような言い方のほうが正確かもしれないが、普通はしない。

2004-06-29 (2) 23:29:12 +0900

「暦の上では立春」でなく「太陽黄経 315 度、立春」と言ったら?

ラジオやテレビのアナウンサーが 「きょうは暦の上では立春です」と言ったりするが、 この言い方だと「旧暦の立春か、だから現実にはまだ寒いんだ」 と誤解されたりする。

「きょうは太陽黄経 315 度、立春です」 と言えばなんだか科学的な雰囲気があるし、 少しきちんと考える習慣のある人には、 これが旧暦新暦に関係ない概念であることがわかるのではないか。

2004-06-29 (2) 23:27:02 +0900

二十四節気の定義は普遍的なものだが個々の名称は日本には合っていない

実家がお寺からもらった昔の暦のうち、古いものが本棚にあったので、 久しぶりに出して見てみた。 ひと月一ページ、一日一行だが、 二十四節気はそれを含む日の次に一行をとって目立つように記されている。 中気には日の出・日の入りの時刻が、 残りには何やら占いに関連していると思われる事項が書き込まれている。

よくわかっていなかったころは、 こういうのを見て非科学的な時代遅れなものだと思っていたが、 そうではない。

2004-06-29 (2) 23:17:06 +0900

当用(常用)漢字「音訓表」でなくすべての語の書き表し方を示していたら

当用漢字・常用漢字はまずそれに含まれる字を示し、 それからそれぞれの文字の音訓をあげている。 もしも「小」に「お」がないと「おがわ」を「小川」と書けなくなるのだが、 それでは「おがわ」をどう書くのかわからない。 「お川」なのか「おがわ」なのか。

そうではなく、 これらの文字を使って「『おがわ』は『小川』と書く」など、 大きな辞書にある語すべてについて書き方を示していたらどうだったか。 「爬虫類」は「は虫類」と書くのか「ハ虫類」と書くのか、などもそれならわかる。

音訓表を作った人たちの考えていたことは、

ということなのだろうか。

これでは、 「当用漢字の範囲内で書こうと思ったら、 辞書をひいて当用漢字以外の漢字表記を知り、 それが当用漢字にはいっていないと理解して初めて書けることになる」 と批判されそうだ。

2004-06-29 (2) 22:53:05 +0900

NHK ビジネス英会話>一月 19, 20 日分で修正ミス(?)がそのまま流れた

Question for Context の途中で、田中宏昌先生が 「つまり」と言ったところで “地の話し方”になり「ここ直していいかな」。 普通に戻って「ビニエットではですね……ん、スキット……あ、コンテキストでは」。 この「コンテキスト」にはアシスタントの Ruth Ann Rees さんの声も重なっている。 “地の話し方”で「ごめんなさい」。

ここは“録音を止めて直そうか” という内輪の会話がそのまま放送に乗って流されてしまったもの、 と思われる。

そういうこともあると思うな。

2004-06-29 (2) 22:40:07 +0900

最近の若い人たちはよく笑う --- 相づちを打つような感覚なのかも

飲食店などで若い人たちの近くに座ると、 にぎやかにけたたましく笑うので閉口することがある。 話の内容が聞こえてくることがあるが、 特におかしいと思えないところでも笑っている。

われわれが会話の途中で相づちを打つのと同じ感覚なのかもしれない。

2004-06-29 (2) 21:07:21 +0900

「聞くはいっときの恥」と考えることがそもそも間違いではあるまいか

聞くことは決して恥ではない。

2004-06-29 (2) 20:06:21 +0900

旧暦>中気を二つ含む月の前後における閏月の入れ方の案(その3)

前と同じ案なのだが、「その2」はだらだら書いたので短くまとめておく。

  1. 夏至を含む月を五月とする。
  2. ある五月と次の五月との間に十一の月があるときは閏月は置かない。
  3. ある五月と次の五月との間に十二の月があるときは、 そのうちで中気の含まない月の一つを閏月とする。 中気を含まない月が二つ以上ある場合、

例を示すため、 《2033 年の旧暦について》 にあげた表に最後の二行のデータを加え、一部を変更して再掲する。 本来含むはずの中気を含まない月には (*) の印をつけた。

朔の日付その日からつぎの朔までにある中気私案
5/286/21 夏至五月
6/277/22 大暑六月
7/268/23 処暑七月
8/25(なし)閏七月
9/239/23 秋分八月
10/2310/23 霜降九月
11/2211/22 小雪, 12/21 冬至十月
12/22(なし)十一月(*)
1/201/20 大寒, 2/18 雨水十二月
2/19(なし)一月(*)
3/203/20 春分二月
4/194/20 穀雨三月
5/185/21 小満四月
6/166/21 夏至五月

ここで、 「冬至と雨水にそれぞれ一行下へずれてもらえばずれが 2 で最小」 と考えるとわかりやすい。 実際には月の名前がずれるだけで中気そのものがずれるわけではないが。

又。

こうも言えると思う。 ある月まで月の名前を決めようと思ったら、 その十二カ月先まで決めるとして、 「閏月でない月であって、本来含むべき中気を含んでいない月」 の数を最小にするように決めよ。

「十二カ月先まで決めるとして」というのは、次のような例があるからである。 (massangeana 氏の表から引用。)

3081/5/31 5 (1) 6/20 夏至
3081/6/29 6 (1) 7/21 大暑
3081/7/28 7 (1) 8/22 処暑
3081/8/27 8 (1) 9/22 秋分
3081/9/25 9 (1) 10/23 霜降
3081/10/24 10 (1) 11/22 小雪
3081/11/23 ? (0)
3081/12/22 ? (2) 12/22 冬至 1/20 大寒
3082/1/21 ? (1) 2/19 雨水
3082/2/20 ? (1) 3/20 春分
3082/3/21 ? (0)
3082/4/20 3 (1) 4/20 穀雨
3082/5/20 4 (1) 5/20 小満
3082/6/18 5 (1) 6/20 夏至
11/23 からの月まで、名前を決めるとしよう。 この月よりあとは決めなくてよいのなら、閏十月とするのが最小となる。 しかし、もっと先まで決めるなら、この月を十一月とするほうが小さくなる。

こっちを定義にしておいて、 それを実現するには最初に書いたように夏至で一年ごとに区切るとわかりやすい、 としたほうがよかったか?

付)結局だらだら書いてしまったか。でも、最初の定義だけなら短いぞ。

付)タイピング練習プログラムの採点の問題とちょっと似ている。 エラーを最小にするように対応させろ、というのだから。

付)タイトルの「閏月の入れ方」は適切でなかったかも。 閏月をどれだけ置くかは決まっていて、あとは呼び名の問題だから。

2004-06-29 (2) 02:53:04 +0900

「平成元年」と書かれたの年賀状が鑑定され、旧正月に出したものと判明…

…するというお話はどうかな。「黒後家蜘蛛の会」みたいな感じで。

最初は「元年の年賀状があるわけない」 「あの年は年賀状も『自粛』した人が多かった」 などと話が進むが、 最後に給仕が 「○○さまは旧暦のお正月に年賀状を出しておられたのではございますまいか」 と気づき、 massangeana 氏の朔と中気の表を見て確認する。

1989 年二月 6 日が旧暦の新年である。 すでに一月 8 日に昭和から平成へ改元されているので「昭和 64 年」とは書けない。 だから「平成元年」と書いたわけである。

旧暦で年賀状を書く人もいるんだ / 平成元年はどうしたのだろう?》、 あるいはさらにさかのぼって 《1989 年の旧正月は、 元号では何年の正月だったのか? 平成元年?》 の二番煎じ。 でも、正確な日付がわかったので。

2004-06-29 (2) 02:04:13 +0900

元号「平成」が始まった 1989 年一月 8 日は旧暦十二月 1 日だったのか

massangeana 氏の表で気づき、偶然手元に残っていたその年の暦で確認した。

新元号が一日から始まったのは単なる偶然かな。

2004-06-29 (2) 01:40:57 +0900

北鉄バス>年末年始は日祝日ダイヤで運行、ただし「一部の路線を除く」

最近、バス停に 「年末年始12/30〜1/3 日祝日ダイヤで運行致します。 (※ 一部の路線を除く)」とのステッカーが貼られた。

しかし、 自分がいま乗ろうとしている路線がそれにあたるかどうかは、 バス停ではわからないしくみのようだ。

(年末年始が近づいたらそれを貼り出すというなら、 いまからステッカーを貼っておく必要はなかろう。)

2004-06-28 (1) 20:06:40 +0900

「おおスザンナ」と「おおずさんな」は似ていないか

漢字を使えば「おお杜撰な」。

2004-06-28 (1) 01:07:17 +0900

「茶飲み友だち」はあるが「湯飲み友だち」は聞かない

本文ナシ

2004-06-27 (0) 20:45:22 +0900

背景と文字とで同系統の色を使う

実習で学生にホームページを作らせている。 背景と文字に色をつける方法を教えたら、同系統の色にした学生がいた。 私は、対照的な色を使うものだと思い込んでいたので、 ちょっと驚いた。

以下に、サンプルをつける。 ([...] の中は地の色と字の色。)

This is a pen.
これはペンです。

[ffdddd/aa0000]
This is a pen.
これはペンです。

[ddffdd/00aa00]
This is a pen.
これはペンです。

[ddddff/0000aa]
This is a pen.
これはペンです。

[ddffff/0000aa]
This is a pen.
これはペンです。

[ffddff/aa00aa]
This is a pen.
これはペンです。

[ffffdd/aaaa00]

なかなかきれいであるが、人によっては読みにくく感じるかもしれない。

付) 上の色は機械的に決めたもの。 吟味すればもっとよくなるかも。

2004-06-27 (0) 20:35:07 +0900

「アブラムシ」と「アブラム氏」は同音

本文ナシ

2004-06-27 (0) 20:33:21 +0900

西垣知佳子先生>千葉大のホームページを更新 / 写真も新しいものに!

ここ。 六月 14 日の更新だ。

トップページの写真はページに組み込む際に小さくしてあるもので、 実際には三倍以上の大きさがある!

以前からだが、授業の連絡用のページにはパスワードが設定されている。 授業の際に一つの文字列を履修者全員に伝えるのだろう。 誰かがもらしてしまえばおしまいだが、 とりあえず全くの他人には見られないようにしておきたい、 ということなら、うまい工夫であると思う。 なお、パスワードとなっているが、 実際には「打ち込んだ文字列 + .html」を http://www.e.chiba-u.jp/%7Egaki/renraku/ のあとに付加したページにジャンプするようになっている。 つまり、ページ名を伏せてあるのと同じことである。 よって、password と打ち込むとそのページ password.html に戻ってくる!

(どういうしくみか調べるため、 二三回、デタラメな語を入れて試しました。 西垣先生、ごめんなさい。)

2004-06-27 (0) 00:27:33 +0900

カバンに腕時計用のウォッチポケットがついていたら便利かも

普通「ウォッチポケット」と言えば服についているポケットで、 懐中時計を入れるものである。 でも、カバンに腕時計用のウォッチポケットがついていたら便利ではなかろうか。

中学入学の際に買ってもらった学生カバンは、 中学高校時代はほとんど使わなかった。 それ自身が重いところへ六時間分の教科書・ ノートを入れて手に持つのはつらかったからだ。 大学で専門課程に進んでから、ふと、その学生カバンを出して使ってみた。 数学科の場合、一日一科目で、講義と演習のノートを一冊ずつ、 それに筆記用具と演習問題のプリントなどを持つだけだ。 それだけなら入れてもそれほど重くない。

そのうち、学生カバンのポケットに腕時計を入れてしまうことを思いついた。 内部の間仕切りの上の端がファスナーで開き、 そこが浅いポケットになっていた。 そのころ使っていた腕時計は平らにのばせるようなベルトだったので、 のばしてそのポケットに入れてしまう。 普段の通学では、ほとんど時計を見る必要がない。 きょうは帰りにちょっとより道でもしようかというときだけ、 そこから腕時計を出して腕にはめるのである。

こんなポケットのついたカバンにはなかなかお目にかかれない。 ある程度じょうぶな素材でないとぶつけたときに時計がいたむだろうし。

付) 普通のポケットウォッチでなく腕時計を持ちたいのは、 必要なときに腕にはめられる強みがあるからである。

2004-06-26 (6) 23:37:01 +0900

2004 年一月のNHK「英語リスニング入門」は“再放送”から始まった!

テキストには 「1 月 4 日(日)は 1 月 11 日(日)と同じ内容を放送します」とあり、 11 日(日)はいつも通り、 5, 6 日(月・火)、7, 8 日(水・木)、9, 10 日(金・土) の三本をまとめて再放送。 ということは、4 日(日)には、その週にこれから放送される番組の “再放送”が流されたことになる!

付)1, 2, 3 日は年末年始の特別番組。 しかし、持病の偏頭痛に悩まされ、聞けなかったのだった……。

付)「ビジネス英会話」も同様に再放送から始まった。

2004-06-26 (6) 23:24:04 +0900

NHK「英会話レッツスピーク」最後の Tune in again の g が“鼻濁音化”

……しているような気がしてならない。岩村圭南先生。

いまはこの番組は聞いていないのだが、 そのあとの「ビジネス英会話」を聞くため --- 厳密には録音するため ---、 最後の部分だけ聞くことになる。 一日おきに聞いているわけだが、毎回、気になる。

2004-06-26 (6) 22:54:33 +0900

西垣知佳子先生>英語リスニング入門(一月 18, 19 日分)

Learn Expressions の「そう言われてみると」の最後になぜか力がはいっていた。

Listen for Gist の説明。 1 の「今月の場面の状況にあうイラストを a) 〜 c) の中から選んでください」 というところの c は日本語式の「シー」になっていた。 そのあと、それぞれのイラストを確認するところでの c の発音は英語式だった。 2 でも英語式だった。

(これはこっちがあっていてこっちは間違っている、 と揚げ足取りをしているのではない。 そうではなくて、 日本語の中でアルファベット名がどう読まれるか、 どう発音されるかに興味があるためである。 たとえば、英語によるフランス語入門の番組があったとする。 練習問題に (a), (b), (c) などとあった場合、 これらは英語の字母名で読まれるのだろうか? それともフランス語?)

2004-06-26 (6) 22:49:04 +0900

落語「厩火事」でお殿様が“皿、皿、皿”と叫んだが奥さんは去らなかった…

NHKラジオ「真打ち競演」で落語「厩火事」を聞いて、思いついた話。

話の中に出てくる麹町の“さるお殿様”は 奥さんが皿を割ったとたん「皿、皿、皿!」とやってきたのだが、 本来の筋書きとは異なり、奥さんは実家に帰ろうとしなかった。

なぜだろう? と思ったら、奥さんの名前が Sarah だった。---

2004-06-26 (6) 22:09:14 +0900

西垣知佳子先生>英語リスニング入門(一月 16, 17 日分)

Odd One Out のルールの説明で 「summer は特別な日や曜日を示すことばではないからです」とおっしゃったが、 「ないからです」のアクセントが標準語と違う。 「ヒマワリです」と同じ「低高低低低低」になっていた。 (標準語は「タンポポです」と同じ「高低低低低低」。)

サンドラさんに正解を言うよううながされた西垣先生の相づち。 Odd One Out が「Certainly.」、 Submarine Stats と What Do You Do? が「Yes.」。

2004-06-26 (6) 18:51:48 +0900

皇位継承>天皇が、最初の子が胎内にいる間に「崩じた」場合(その2)

皇位継承>弟のいる天皇が、 最初の子が胎内にいる間に「崩じた」場合は?》 で述べた問題は、次のように継承ルールを変えることでも解決できる。

女性にも皇位継承権を認めた場合、 両親ともに継承権がある子の継承順位は?》で、 次のように整理した。

現行の皇室典範の決める継承順序は、次のように言い換えられる。 ある時点で、皇位継承権のある者を継承順位の順に一列に並べる。 それ以降、このリスト内の人に男子が誕生したら、 次の規則に従ってこのリストに挿入する。 (亡くなってもこの列からは削除しない。 亡くなったというマークをつけるだけである。)

このリストの中で、生存している者のうち、最も前にいる者が天皇となり、 その次から数えて何番目かが皇位継承順位となる。

最後の「生存している者のうち、最も前にいる者が天皇となり」は

の二つの意味だったが、 二つめの意味には解釈しないことにするのである。

すると、弟のいる天皇が、最初の子が胎内にいる間に「崩じた」場合、 弟が皇位を継承するが、その子が産まれて男子だった場合、 その子は現に天皇である弟よりもリストの上では前にくることになる。

(現天皇の“継承順位”は、前の解釈では第 0 位と思うことが可能だった。 こんどの解釈では、次の系図で、兄の子 aa は第 -1 位であると定義する。

---+-- [a] ---+-- aa(-1)
   |
   +-- b(0) --+-- ba(2)
              +-- bb(3)
(b が現天皇であり、 カッコ内の数が継承順位。大カッコで囲まれているのは故人。)

その子 aa に男子が生まれればその子が第 -1 位となり、 第 -1 位だった aa は第 -2 位にくりあがる。

---+-- [a] ---+-- aa(-2) --+-- aaa(-1)
   |
   +-- b(0) --+-- ba(1)
              +-- bb(2)
もしこの状況で天皇 b が「崩じた」場合、 最も継承順位の若い、兄の子 aa が継承するので、 みんな継承順位の数が“増える”。 つまり、こうなるのである。
---+-- [a] ---+-- aa(0) --+-- aaa(1)
   |
   +-- [b] ---+-- ba(2)
              +-- bb(3)
普通は皇位継承に伴って増えることはないのであるが、 別に矛盾は起こらないから問題ないだろう。

ただ、天皇の長男でありながら皇太子ではない、という状況が生ずる。 上の二つめの系図での ba がそのような例である。 b の即位後、aa が男子であることが判明するまでは数カ月である。 判明した時点で“継承者は aa である”とはっきりさせておけば問題は生じない?)

付) aa が誕生した時点で aa は b から皇位を継承する、というやり方も考えられる。 つまり、自分よりも継承順位の高い者が現れたら、 生きていても皇位を譲る、というルールである。

2004-06-26 (6) 15:19:25 +0900

旧暦>特定の日と翌年のその日の日にちだけから閏月の位置を決めたらどうか

夏至から次の夏至まで十二カ月の場合、 その間に中気を二つ含む月はない》における考察から、 次のような決め方を思いついた。

ある年と、その翌年とで、同じ季節にあると思われる日をとる。 たとえば冬至。 その日を含む月には、今年も来年も、同じ名前をつける。

その日付 --- 旧暦の月の中での日にち --- は、 翌年のほうが約 11 日あとか約 18-19 日前である。 前者のときは、いま名前をつけた二つの月の間の月の数は十一で、 閏月をおく必要はない。 後者の場合は閏月をおく必要があり、それをどこにおくかが問題なのであった。

中気を含まない月を閏月に、というアイディアに基く場合、 一般的には、 最初にとった今年の“その日”が月末に近いほど、 早い時期におかれることになる。 月末から遠いほど --- その場合は翌年の“その日”が 1 日に近いことになる ---、 閏月は遅い時期にはいる。

だったら、逆に、これで閏月をおく位置を決めるのはどうだろうか?

正確な計算はいまの私にはできないが、 閏月をおく必要がある場合、最初にとった今年の“その日”は、 月末から数えて 1 日目から 12 日目までにくるのではあるまいか。 その日付をもとに、

を閏月とするのである。 (12 カ月後の次の月が、翌年の“その日”を含む月であることに注意。 また、もしも月末から 13 日目かそれより前にくることがあったとしても、 その場合も 12 カ月後の月にするなどと適当に決めてしまうことは可能である。)

これだと、中気を全く無視していることになるが、 簡単であるというメリットはある。 上の決め方では翌年の“その日”の日付を無視しているが、 それを計算にいれてもよい。

2004-06-26 (6) 14:47:00 +0900

夏至から次の夏至まで十二カ月の場合、その間に中気を二つ含む月はない

massangeana 氏に質問し回答をいただいてから、 自分でも簡単に証明できることに気づいたのだが、 夏至から次の夏至まで十二カ月の場合、 その間に中気を二つ含む月はないのだった。

証明:今年の夏至から来年の夏至まで十二カ月だとする。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日 日
とひと月分の日付を並べて書いておく。 今年と翌年の夏至の日付にあたるところに印をつけると、 365.25 - 29.5 * 12 = 11.25 だから、 約 11 日だけ、翌年の夏至のほうが右にくる。

(十三カ月あった場合は、来年の夏至のほうが 29 - 11.25 = 17.75 日あるいは 30 - 11.25 = 18.75 日だけ左になる。)

さらに、今年の夏至から来年の夏至までの中気の日付をすべて書き込んでゆく。 すると、印はだんだん右に移動してゆくだろう。 秋分から穀雨にかけては止まったり戻ったりすることがあるが、 それは今年の夏至の日付と来年の夏至の日付の中間付近であって、 1 日よりも前になって右端から出てきたり、 みそかよりも後になって左端から出てきたりすることはない。 このことは中気を二つ含む月もなければ中気を含まない月もないことを意味する。 [Q.E.D.]

付) 《旧暦> 中気のときの月齢はどう変わってゆく? / 中気や朔の間隔は?》 で、1999 年の「理科年表」を元に同年の中気のときの月齢を計算した。 それらの値をグラフにすると、次のようになる。

--8----9---10---11---12---13---14---15--

 [05]       [06]      [07]   [08]
                                [09]
                                  [10]
                                 [11]
                                [12]
                               [01]
                                 [02]
                                      [03]     [04]      [05]

                          --2----3----4----5----6----7----8--
1999 年の夏至から冬至までのデータを元にプロットしたのが [05] から [11] である。これは上の目盛りで読む。 その前年の冬至(推測)から 1999 年の夏至までが [11] から [05] である。これは下の目盛りで読む。 上下の目盛りは、1999 年の冬至の月齢と 1998 年の冬至の月齢(推測)とが重なるようにしてある。

注)最後の二行は一つにまとめて次のようにできるんだけど、 なんとなく上の曲線が気に入ったのでそのままにしておいた。

--8----9---10---11---12---13---14---15--

 [05]       [06]      [07]   [08]
                                [09]
                                  [10]
                                 [11]
                                [12]
                               [01]
                                 [02] [03]     [04]      [05]

                          --2----3----4----5----6----7----8--

2004-06-26 (6) 14:12:44 +0900

付) 上のグラフは横を半分に縮めてあった。 元のサイズのグラフは以下の通り。

--08--------09--------10--------11--------12--------13--------14--------15--

 [05]                  [06]                [07]          [08]   [09]
                                                                   [10]
                                                                 [11]
                                                              [12]
                                                             [01]
                                                                 [02]       [03]             [04]                [05]

                                                    --02--------03--------04--------05--------06--------07--------08--

2004-06-26 (6) 20:15:32 +0900

「かまわぬ」の輪が歯車になっていると鎌と合わせてどこかの国旗のようだ

鎌が農業を、歯車が工業を表わす。

2004-06-26 (6) 00:33:20 +0900

回文>「空振り・リブラか」(からぶりりぶらか)

リブラは Libra である。

2004-06-25 (5) 19:37:14 +0900

回文>「近鉄・天気」(きんてつてんき)

本文ナシ

2004-06-25 (5) 19:34:29 +0900

回文>「摩耶と的山」(まやとまとやま)

「麻耶トマト山」なんてのも。

2004-06-25 (5) 19:33:20 +0900

回文>「死なねえ根無し」(しなねえねなし)

本文ナシ

2004-06-25 (5) 19:28:38 +0900

「氷見・蔦医院」と「秘密隊員」はカナで書けばどちらも「ひみつたいいん」

氷見は富山県にある市の名前。蔦は姓という設定。

2004-06-25 (5) 19:26:56 +0900

まぜ書きの語には振り漢字をつけたら?

私は「ホ乳類」「メイ王星」 のようなまぜ書きを積極的に使おうと主張しているのだが、 最近は新聞などはまぜ書きを避け、漢字で書いてふりがなをつけているようである。 読めない人にも配慮しよう、というのだろう。 しかし、ふりがなは字が小さいので、 虫めがねのお世話にならねばならない人もいるだろう。

では、「ホ乳類」と書いて「ホ」に「哺」 の字を振ったらどうだろう? 「ホ乳類」を主たる表記とし、 漢字が気になってしかたがない人には振り漢字を見てもらう。 小さな字になるだろうが、どうしても漢字を知りたい人にだけ見てもらうんだから。

2004-06-25 (5) 00:43:39 +0900

耳で聞くときは平気なのに「まぜ書き」だと気になるのはなぜ?

私は「ホ乳類」「メイ王星」 のようなまぜ書きを積極的に使おうと主張しているのだが、 きのう新聞で「先べん」を見たら妙に気になり、 しばらく考えて“ああ、あの「先鞭」か!”とわかってから先に進んだ。

耳で聞くときは平気なのに、「まぜ書き」 だと気になるのはなぜだろう? 単に見慣れていないからか?

“「さきべん」かも知れない”と考えた?

2004-06-25 (5) 00:37:39 +0900

小5・小6対象の予備校夏期講座の算数の応用問題が読み取れなかった話

数日前、新聞の折り込み広告ではいってきた、 佐鳴予備校の小5・小6夏期講座生徒受付中のチラシから。

たかし君と陽子さんの2人が、分速500mで走るバスに乗って家に帰る。 2人の家は、A停留所とB停留所の間にあり、停留所の間は3000m離れている。

たかし君はA停留所でバスを降り、家へ歩いて帰った。

陽子さんは、家を通りこしてB停留所まで行き、 そこでバスを降りて家へ歩いて帰った。 すると、2人は同時に家に着いた。 2人の歩く速さを分速80mとするとき、 2人の家はA停留所から何mの距離にあるだろうか?  停留所での乗り降りの時間は考えないものとする。

私は解答を見てようやくわかったのですが、 二人が同じ家に帰るってこと、すぐに読み取れました?

付)二人が同じバスに乗って帰ること、 バスの通る道にそって歩くことは仮定されているのだろうな。

付)A停留所とB停留所の間にバス停があるのかないのかはわからないが、 あれば陽子さんはそこで降りるような気がする。 6分、3000メートルとは、ずいぶん離れている。 途中にバス停を新設するよう求めたほうがいいと思うぞ。 バス通りに面しているのにB停留所で降りてから15分45秒も歩くなんて。

2004-06-25 (5) 00:28:08 +0900

「ふて石」という語があったらカナで書くと“ふていし”、「不定詞」と同じ

「ふて」は「ふて寝」の「ふて」とか。

2004-06-25 (5) 00:07:25 +0900

NHKフランス語講座>六月 24 日(木)分

yakitori も tempura も複数の s がつくのか。

「on が主語のとき、代名動詞の se の部分は同じ se です」とおっしゃったのは、 「私たちは」の意味であっても nous にならない、ということだろう。 しかし、気になってしまった。 主語が三人称のときの se と不定詞の se は同じもの?

今週は、ミカエルさんが 「Au revoir. À la semaine prochaine.」 とおっしゃったあと、テーマ音楽が始まるまでに 「Je vous souhaite un bon dimanche.」と言うだけの時間があった。 それだけ。

2004-06-25 (5) 00:03:59 +0900

ラインの黄金>アルベリヒの姿は観客の目から消えなくてもよいのだ

ミーメの目から消えれば、それでよいのである。 観客にはアルベリヒが見えているが、ミーメには見えないようで、 アルベリヒのいるほうへ逃げたり、 いないほうへ向かって腕を上げて打たれまいとしている、 などという演技をすればよい。

映画で透明人間を描くときにいない相手と格闘して見せることがあるが、 いわばその反対。

歌舞伎のだんまりにもちょっと似ているか。

2004-06-24 (4) 22:10:53 +0900

旧暦の月名は中気で決まる。二十四節気のうち使われない残りがもったいない

ある月が春分を含めば二月であるが、 その約半月前の啓蟄を含むときと半月後の清明を含むときとで名前を変える。

穀雨を含む月を「穀雨月」と呼ぶという案にならう場合、 その月が立夏も含めば「立夏月」とも呼ぶ。 こうしておくと、二十四節気を含まない月はないので、閏月がなくて済む。

真剣に考えてはいないのだけど。

2004-06-24 (4) 22:01:43 +0900

旧暦の月の名>数でなく「霜降月」「穀雨月」のように呼んだら?

旧暦の月の名は原則としてその月に含まれる中気の名で決まる。 ごくまれにではあるが中気を二つ含む月があるので、 その規則は若干、複雑である。

では、もう数で何月と呼ぶのをやめて、 霜降を含む月は「霜降月」、穀雨を含む月は「穀雨月」と呼んだらどうか。 中気を含まないのが閏月であるが、それは「閏・穀雨月」のように呼ぶ。 二つの中気を含んでしまったら 「小雪冬至月」のように二つの中気の名をつなげて呼ぶ。 二つ別々の月と間違われないようにする必要があるが。

なんだかフランスの革命暦の月の名みたいだ。

2004-06-24 (4) 21:52:37 +0900

この案は、 何月何日と日付が決まっている行事の順序がおかしくなってしまうのでだめだ。 たとえば、 小雪を含む月の下旬のある日に決まっている行事と、 冬至を含む月の上旬のある日に決まっている行事があったとする。 ふだんは前者が先にくる。 しかし、「小雪冬至月」になってしまう年には、後者が先にきてしまう。 massangeana 氏のご指摘による。

これをなんとか避けさえすれば、 新暦と間違われないというメリットがあるのではないか。 たとえば、「旧暦十一月」 と書いておいても引用がくり返されるうちににうっかり 「旧暦」が落ち、新暦十一月と誤解されることがある。 「霜月」も、新暦の十一月の意味で使われることもある。 「冬至月」ならそれがなくていいかも。

と思ったのだが、「霜降月(しもふりづき)」は旧暦十一月の異称で、 中気の一つ「霜降(そうこう)」とは関係ない。 霜降は新暦十月 24 日ごろで、その日を含む月が旧暦九月になるのだった。

それと、この命名法を使うと、ますます 「中気(あるいは二十四節気)は旧暦の概念」との誤解が広まりかねない。

付) では、旧暦の二月 20 日と閏二月 10 日を記念する行事を毎年行なうとしたら、 いつやるのか? 閏二月がない年は後者も二月 10 日に行なう? そのときは、 後者のほうが先にくる。でも、 閏二月があるときは閏二月 10 日に行なうことにすると、 そのときはそっちが後になる。 旧暦はこういうのには向かない、ということか。 (新暦では二月 29 日の一日だけなのであまり問題にならない。)

2004-06-26 (6) 00:39:30 +0900

旧暦>中気を二つ含む月の前後における閏月の入れ方の案(その2)

旧暦> 中気を二つ含む月の前後における閏月の入れ方の案》の続きである。

massangeana 氏が六月 23 日分で上の案を批評してくださった。

この案にはふたつ問題があるとおもう。 ひとつめは, 暦で月名を計算するときには朔・中気の瞬間そのものでなく, 朔をふくむ日・中気をふくむ日が問題になる (もっとも没日を考慮する暦法では時刻が問題になるが) のに, 計算にそれが考慮されていないこと。 もうひとつは最初の前提として 「秋分を含む月からみて翌年の春分を含む月は六カ月後か七カ月後である」 と書いてあるが, 5か月後のばあいもあること。

前に

と書いたのも間違いで、 「霜降・小雪」、「雨水・春分」も同一月になることがあるとのことだ。 私はにわか勉強のため、基礎的な事実からして間違えていたわけだ。

旧暦の月の名前の決め方には、次の三つのルールがある。

  1. 中気を一つだけ含む月は、含む中気の名前から名前を決める。
  2. 中気を含まない月は、原則として前の月の閏月とする。
  3. 中気を二つ含む月は、……。
この「……」をどうするかが、いま問題になっていることである。 私は、春分から秋分までは、上の 1 と 2 のルールだけでゆけると思っていた。 だからそこは固定したうえで、秋分から翌年の春分までで 3 を処理するようルールを決めればいいのではないか、と考えていたのだ。

それは間違いだったが、 だったらもう少し範囲を広げた上で同じようなルールを設けて処理できないか。 しかし、あやふやな基礎の上に推測でそれをやっても意味がないだろう。 そこで、別の言い方でまとめ直してみることにした。 範囲は「夏至から翌年の夏至まで」と極端に広げてしまうことにする。

次の命題はたぶん正しいと思う。 「夏至を含む月と次の夏至を含む月の間に中気を二つ含む月があるならば、 少なくともそれと同じ数だけの中気を含まない月がある」。 夏至から次の夏至までは太陽暦の一年の長さにほぼ等しいだろうが、 それは 12.3... 朔望月だから、月でいえば十二カ月後あるいは十三カ月後になる。 よって、間にある月は十一か十二。そこに十一の中気がはいっているのだから、 こうなるはずである。

上で箇条書きした規則の 2 で、 中気を含まない月は原則として前の月の閏月とする、 と書いた。 しかし、中には、“真の”閏月ではなく、 中気を含まない月ができたためにできた“みかけ上の”閏月もあると思う。 そういう閏月は中気を二つ含む月 --- 負の閏月と言えるかもしれない --- とキャンセルしてしまえばよいのである。 上に書いた命題が真であるならば、 中気を二つ含む月があったらその近くにキャンセルする相手たるべき “みかけ上の”閏月が必ず存在する。 (どれが“真の”閏月でどれが“みかけ上の”閏月か、 という議論には科学的な意味はないと思うが。)

あとは、キャンセルする相手の決め方だけの問題である。 近いほうでキャンセルするのを第一の原則とし、 それで決まらないときは「前で」「後ろで」 のどちらかと前もってきめておけばよいのではあるまいか。

massangeana 氏があげてくださった例は 2033-2034 年、2147-2148 年、2204-2205 年、1699-1700 年であるが、 すべてこれで処理できる。 (中の二つには「前で」「後ろで」の選択の余地がある。)

付) このやり方だと、夏至が暦を決める上での基準点となる。 普通は冬至から決めてゆくので、それとは正反対だ。 上に書いたことが正しければ、 中気を二つ含む月があったとしても夏至から次の夏至までの間で処理できるから、 その期間の暦をまとめて作ることになる。

2004-06-24 (4) 21:44:50 +0900

最後の「キャンセルする相手の決め方だけの問題である」と書いたところ。 相手を決める必要はなかった。 どれがキャンセルしないで残るかだけを決めればよい。 それが閏月となる。

だから、上の 2 と 3 を合わせたルールはこうなる。 夏至から次の夏至まで13カ月ある場合、 どの月を閏月としたら中気と月の名とのずれが最小になるかを調べ、 その月を閏月とせよ。 (最小を与える解が複数ある時の決め方は別に定めておく。)

2004-06-24 (4) 23:12:31 +0900

NHKフランス語講座>六月 23 日(水)分

「語句の発音と意味」で、 「私たちはお互いに理解し合う」の「お互い」が鼻濁音になっていた。

十の言語名を習ったが、 これはNHKのテレビ・ラジオで講座を放送しているものと一致するようだ。

代名動詞が「互いに〜する」の意味になる場合、主語は複数だとのことだったが、 on ということはないのだろうか?

se téléphoner はクラウン仏和には載っていない。 téléphoner が他動詞の場合は教える内容を目的語にとる。 se comprendre とは事情が違う? se をひいたら納得した。

2004-06-24 (4) 02:21:55 +0900

旧暦>中気を二つ含む月の前後における閏月の入れ方の案

2033 年の旧暦について》 に書いたことを一般化してみた。

旧暦> 中気のときの月齢はどう変わってゆく? / 中気や朔の間隔は?》 でざっと計算して、次がわかっている。

これを元に、すべてのパターンを調べつくしてしまえばよい。

秋分を含む月からみて翌年の春分を含む月は六カ月後か七カ月後であることがわかる。

Case 1) 六カ月後の場合、閏月を入れる必要はない。 前者を八月、後者を二月として、問題なく月の名前が決まる。 ただし、本来の月でない月に含まれる中気が存在する可能性がある。

Case 2) 七カ月後の場合を考える。 間にある月は六カ月であり、その中に五つの中気が含まれている。

Case 2-a) 二つの中気を含む月がなければ、ただ一つの月が中気を含んでいないから、 その月を閏月とすればよい。

残ったのは、二つの中気を含む月がある場合である。 そのような月は一つあるか二つあるかである。

Case 2-b-1) 二つの中気を含む月が一つの場合。 中気を含まない月が二つある。 近いほうで処理することにする。つまり、遠いほうを閏月とする。 同じだけ離れているときのルールは別に決めておく。

などが考えられる。

Case 2-b-2) 二つの中気を含む月が二つの場合。 これらの月に含まれている二つの中気は「小雪と冬至」「大寒と雨水」に限る。 中気を含まない月が三つあるが、 二つの中気を含む月の間に中気を含まない月がただ一つはいっていることは、 冬至と大寒の間の日数を考えてみればすぐわかる。

間の六カ月のうち連続した三カ月が判明したので、残りは三カ月である。 これらのうち、連続した二カ月が中気を含まないことはありえない。 よって、中気を含まない二つの月は連続してはいない。 それらが、間に中気を一つ含む月を一つだけはさんでいることもありえない。 よって、中気を含まない月は上で判明した連続した三カ月の前と後に一つずつある。 大寒と雨水を含む月の翌々月が春分を含む月であることは、 そうでないと仮定するといままでの考察に矛盾することからわかる。

以上から、次の表の甲乙どちらかのパターンしかないことがわかった。

確定している
月の名
含む中気
八月秋分
霜降なし
なし霜降
小雪・冬至
なし
大寒・雨水
なし
二月春分

とにかくこれしかないのだから、適当にルールを決めておけばよい。 しかし、それじゃあんまりなので、もう少し考えてみた。 中気を含まない月を閏月にする案だけをまとめると次のようになる。

確定している
月の名
含む中気ABC 含む中気ABC
秋分八月 秋分八月
霜降九月 なし閏八月九月
なし閏九月十月 霜降九月十月
小雪・冬至十月十一月 小雪・冬至十月十一月
なし十一月閏十一月十二月 なし十一月閏十一月十二月
大寒・雨水十二月一月 大寒・雨水十二月一月
なし一月閏一月 なし一月閏一月
春分二月 春分二月
減点 222 233

「減点」と書いたのは、本来の月にない中気の数である。 甲はどれでも同じ。 乙では、A だけが 2 で残りは 3 なので、A がよさそうである。

2004-06-23 (3) 23:31:40 +0900

付) Case 2-a-1, Case 2-a-2 と書いていたのを Case 2-b-1, Case 2-b-2 に改めた。

付) 上の Case 2-b-1 に

と書いたが、何と何の間隔かを書かなかったので、以下に補う。

もしもある月に「大寒と雨水」が含まれ、 その前と後の月は中気を含まないとする。 このとき、 前の月を十二月、その月を一月、次の月を閏一月とすると、 本来なら十二月に含まれるはずの大寒が一月に含まれることになる。 それが何時間何分何秒だけ一月にずれ込んだかを計算する。 一方、 前の月を閏十一月、その月を十二月、次の月を一月とすると、 本来なら一月に含まれる雨水が十二月に含まれることになる。 このずれも計算し、小さいほうを採用する。 つまり、 「月の初めの瞬間から大寒までの時間」と「雨水から月の終わりの瞬間までの時間」 を計算し、前者が小さければ第一の案を、 後者が小さければ第二の案を採用する。

Case 2-b-2 にもこのアイディアは応用できる。 甲の場合、

を計算し、比較することになろう。

2004-06-24 (4) 00:55:09 +0900

次の表は、左二列は massangeana 氏のページからの引用である。 (ただし、</th> などの閉じタグを補うなど、改めた部分がある。)

2204年-2205年(10/24=閏9月朔)
朔の日付その日からつぎの朔までにある中気旧暦の月
8/269/23 秋分八月八月八月
9/2410/23 霜降九月九月九月
10/24(なし)閏九月十月十月
11/2211/22 小雪十月十一月十一月
12/2212/22 冬至, 1/20 大寒十一月十二月閏十一月
1/212/19 雨水十二月一月十二月
2/20(なし)一月閏一月一月
3/213/21 春分二月二月二月
減点2減点2減点4

右の列は私が補ったもの。 この三案の中で、冬至が十一月にくるのは最初のものだけである。 冬至をほかよりも重んじるなら、これを採用することになろう。

これは上の Case 2-b-1 にあたるが、 “この Case では常に「冬至を十一月に」だけで閏月の入れ方を unique にできる”とは言えないのではあるまいか。 上の表で、冬至だけが前の月に属している場合など。 実際にそういうことが起こるのかどうかは、 おそらく、本項のような粗雑な計算ではわからないだろうけれど。

2004-06-24 (4) 01:36:52 +0900

北半球の夏至を南半球では冬至というんだっけ? 赤道上では?

22日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「極夜 五話 その3」冒頭に 「21 日は南半球の冬至」とある。 確かに、北半球の冬至のような季節になるが、 でも、こうして呼んでしまうと、赤道上では何と呼ぶことになるんだろう?

赤道を含む国のカレンダーにどう書かれているか、気になる。 「一年中暑いからあまり意味がないのでは」とも考えたが、そうではない。 南中時の太陽が最も北によるのがこの日だから、 やはり暦に記しておきたくなるだろう。 北向きの窓からはいる太陽光の量は、この日に最大となるはずだ。

英語では summer solstice と winter solstice なので、 日本語でも「至」と言えばいいのか。

付)もしかして、赤道上では夏至と冬至がもっとも“涼しい”日?  太陽が南中したときの高度がもっとも低いんだから。 一年に暑さの極大・極小が二度ずつくる?

付)北半球の秋分を南半球では春分と呼ぶ? もしそうなら、 復活日が九月か十月にきてしまわないか? 北半球に合わせているのだとしたら、 復活日の定義の「春分」は「北半球の春分」としないといけないのでは。

付)天文学や暦の話をする際に、 北半球と南半球とで春分・夏至・秋分・冬至が逆だと、 混乱はないだろうか? たとえば旧暦は春分から太陽黄経で 30°ずつはかっていった日を元に作るが、 南半球では半年ずれるのが“正しい”旧暦ということにならないか?

そうではなくて、春分は学術用語であって地球全体で同じ瞬間を指すとし、 南半球で生活する人には“季節が逆になっている”と思ってもらう?

「夏至」をやめて「北〜」という名前にすればよいか。 太陽が最も北へよるわけだから。 「冬至」は「南〜」でよいが、春分・秋分は?

2004-06-23 (3) 02:18:28 +0900

理科年表では、 太陽の視黄経が 90°になる時刻が夏至と定義されている。 やはり、最初の「21 日は南半球の冬至」はそれに合わない。 これが許されるなら 「お釈迦様のクリスマス」も許されるような気がする。 《「四月八日はお釈迦様のクリスマス」というコピーを考えたことがある》 参照。

アナウンサーとかは「暦の上では夏至ですがこれから冬本番」のように言う?

2005-05-27 (5) 23:39:14 +0900


すのもの Sunomono