すのものの「いろいろ」(その164)

「司馬氏も休まず槌うつ響き」だと思ってるやつはいないか

文部省唱歌「村の鍛冶屋」の冒頭である。手元の本では 「暫時(しばし)もやまずに槌うつ響(ひびき)」となっているが、 私は「休まず」と習ったように記憶している。

2007-02-20 (2) 00:45:08 +0900

NHKフランス語会話>一月 29 日(月曜日)放送分

前の週の分を思ったより早く見終えたので、 続けてもうひとつ見てしまうことにした。

この回は、広島県・西条の旅館で見たのだった。 なぜかNHK教育だけ電波状態が悪く、また、 翌日に控えていた仕事が気になっていたため、あまり集中できなかった。 先生、ごめんなさい。

前半については 《NHKフランス語会話>七月 24 日(月曜日)放送分》 を参照。

冒頭で、 先週ミカエルさんが犬の服を買いたいと言っていたという話をしていたが、 これはエンディングの中でであり、 前回放送分ではカットされていた。 この後期は、前期に放送されたものを再構成して放送しているためである。 意味がわからない人があったかも。

フランツさんジェニファーさんは練習問題で似顔絵が出ることがあるが、 先生とミカエルさんは出ないのでは? 先生の似顔絵、あったらほしいな。

そんなことを考えていたら、一瞬、今回の先生があの「モナ=リザ」に見えた。

後半のカナル・キュルチュールは、インタビューではなく、お一人で話すだけ。 ああいうのもいいな、と思ったが、 テキストではインタビューの形になっている。 印刷後に構成を変更したのだろう。

2007-02-19 (1) 22:07:07 +0900

NHKフランス語会話>一月 22 日(月曜日)放送分

前半については 《NHKフランス語会話>七月 17 日(月曜日)放送分》 を参照。

スケッチを見た直後、 「一つ目のキーフレーズを〜」 というミカエルさんのセリフに字幕がなかった。 (「二つ目のキーフレーズを聞いてみましょう」を見たら、 最近、一つ目小僧について調べたことを思い出し、 「一つ目のキーフレーズを聞いてみましょう」と言った途端に 一つ目小僧が登場してキーフレーズを言ったら面白いだろうな、 と思って巻き戻してみたもの。 ところで、「一つ目」は放送では使わないと決まっている用語だったりしないよね?)

練習問題の際に右上にCGで出る、 カウントダウンのための色のついた球だが、 「カラータイマー」と呼べばいいんだ! ウルトラマンのが3分間をはかるのに対し、 これはたったの3秒だが。

付) 前期には「カタカナの『エ』」のような言い方が気になったが、 後期にはこの言い方、あったっけ? (《NHKフランス語会話>七月 17 日(月曜日)放送分》 の「付」を参照。)

2007-02-19 (1) 20:29:48 +0900

ぐちゃぐちゃな字のメモで読めないと思ったら酔って帰った日のものだった

ノートブックに「よしこさん……」と書いてあるのだが、 字がぐちゃぐちゃで全く読めない。 (「よしこさん」は、私のふたり言に登場するキャラクターの一人。)

ほかには日付が判読可能で、 《缶ビール 500 ml * 2 + 350 ml * 2 飲んで帰って夕食とったら酔いつぶれた》 に書いた、昨年十二月 08 日のものとわかった。 酔って書いたのが原因だろう。

そう言えば、ものすごくくだらないことを思いついて、 ダイニングキッチンにござを敷いてその上に寝そべって書いたような記憶が……。

2007-02-19 (1) 19:30:19 +0900

やったっ! 来年度もNHK「フランス語会話」は杉山利恵子先生だっ!

きょう、3月号のテキストを買って知った。 レギュラー4人は不変で、それに生徒役の俳優さんが加わるみたい。

放送は水曜日に変更になるそうで、 私の禁酒日もそれに伴って変わります。

それにしても、このテキスト、ほとんど読んでないなあ……。

2007-02-19 (1) 19:05:11 +0900

さきほどの「中国語会話」の後半を、 生徒役が出るということはこんな感じになるのかな、 と思いつつ見ていたのだが、 「今日の方程式」という言い方は恥ずかしいから、 「フランス語会話」では絶対にまねしないでほしい。 (「今日の公式」ぐらいの意味で使っているようだ。)

付)生徒役が出ることと「方程式」とは(直接には)なんの関係もない。

2007-02-20 (2) 00:34:05 +0900

「坂間・柘植ご両家」だと「逆まつげ」と同音だ

「坂間ツゲ」という名の人がいるかもしれない。

2007-02-19 (1) 19:01:34 +0900

かかとから血が出た〜

書斎で、積んである雑誌 ASCII に左足のかかとをぶつけた。 ちょっと皮がむけただけに見えたが、思ったよりも血が出た。 もう止まったが。

2007-02-17 (6) 23:49:08 +0900

日曜日は家にいたので忘れていたが、 きょう、靴をはいて出かけたらまだ痛かった。 職場に着いてから靴下を見たら血がついていた。

2007-02-19 (1) 19:02:26 +0900

スター・ウォーズ>ライトセーバーがハリネズミみたいに生えた奴がいたら

ころがれば何でも切れてしまう。おそろしい。

が、床が切れて下の階に落ちてしまうかも。

2007-02-15 (4) 00:26:41 +0900

「お年頃」を「落とし頃」だと思っている人はいないか

本文ナシ

2007-02-15 (4) 00:19:58 +0900

「末永く幸せに暮らしましたとさ」は何年以上幸せに暮らした場合に使えるか

子どもに昔話をしてやって、 「おじいさんとおばあさんは末永く幸せに暮らしましたとさ」 と終わったとする。 そこで子どもから「『末永く』って何年ぐらい?」と質問されたとしよう。 「うーん、おじいさんおばあさんだから、五年ぐらいかな、 三年、二年かもしれない」などと適当に答えると、 「商品の広告で『末永くご愛用いただけます』ってのも五年ぐらいなの?」 と突っ込まれるかもしれない。

最近、急に心配になってきた。

2007-02-15 (4) 00:13:17 +0900

軽く謝る際の「失礼!」の意味は若い人に正しく伝わっているか

自分と同じ年代か自分よりも若い人に対し 「済みません」よりもやや軽く謝る場合に使うものであろう。 肩が触れ合ったりした場合に。 これを「お前は失礼なやつだな!」ととらえられると、 誤解からケンカになることも考えられる。

最近、急に心配になってきた。

2007-02-15 (4) 00:10:00 +0900

「『方程式』の大衆化に功績」を理由に長嶋茂雄氏に数学会が賞を出さないか

「勝利の方程式」と言う際、 長嶋氏がどういうものをイメージしていたかは定かでない。

2007-02-15 (4) 00:02:54 +0900

マス目をうねうねとくねらせたいのだが / フラクタルみたいに

たとえばこんな感じ。

+−−+ +−−+
|  | |  |
|  +−+  |
+−+   +−+
  |   |
+−+   +−+
|  +−+  |
|  | |  |
+−−+ +−−+
本当にやりたいのはマス目なので、下のような感じになる。
■■■■ ■■■■
■  ■ ■  ■
■  ■■■  ■
■■■   ■■■
  ■   ■
■■■   ■■■
■  ■■■  ■
■  ■ ■  ■
■■■■ ■■■■
これを、もっと細かくうねうねさせるには? もちろん、 なるべく簡単な計算で実現できるようにしたい。

2007-02-14 (3) 22:44:18 +0900

TVアニメ「ちびまる子ちゃん」でたまちゃんがめがねを拭くシーンが!

こないだの日曜日に放送された分。 30分で一つの話で、だらだらとやっていたが、 たった一つよかったのは、 たまちゃんが(たぶん)ハンカチでめがねを拭くシーン。 初めて見たような気がする。

2007-02-13 (2) 01:57:47 +0900

NHKフランス語会話>一月 16 日(月曜日)放送分

前半については 《NHKフランス語会話>七月 10 日(月曜日)放送分》 を参照。 字幕の l'ouvrir は直っていたような気がするがチェックし忘れた。

Pause-Café はなしで、後半の Canal Culture が7分強。

その、後半の新作部分はガレット・デ・ロワ。

ジェニファーさんが(髪型のせいもあって)いつもよりさらにきれいだ。

ミカエルさんの字幕に l'Epihanie とあったのは l'Epiphanie の間違い。 (より正確には l'Épiphanie だが、 このアクサンは大文字についているから省略してよろしい。)

ミカエルさんの字幕で「イエス」となるべきところが「キリスト」となっていた。

ミカエルさんがガレットを切り分けているとき、 先生は「待ちきれないわ〜」という表情。 その後、配られたガレットを召し上がる際、 けっこうお口を大きく開けられたり、ぽろりとかけらを落とされたり。 先生の意外な側面が見られた。

フェーヴはフランツさんが当たり。 「見つかった」という瞬間に、ビデオがつぎはぎされていた。 だって、 手づかみにして食べていたガレットを持つ手が右手から左手に変わったんだもん。 口から出したフェーヴが大写しになるところでも。 全然クリームとかがついてないし、 直前には指で左右からはさんでいたのが前後からに変わっていたし、 つないだことが見え見え。 (でも先生のぽろりはカットしなかったのね。)

フランツさんが王さまになったわけだが、 女王さまに選ばれた先生の、 銀紙の王冠をかぶせてもらうときのうれしそうな表情がとってもよかった。

その後、もう一度四人で乾杯をするのだが、 先生はジェニファーさんとグラスをぶつけるのを忘れて飲み始めそうになる。

そこでおしまいになったので、以前のエンディングはなかった。

付)よく考えてみたら、 四人でガレットを一つまるごと食べたわけじゃないから、 フェーヴが残りにはいっているという可能性もあったわけだ。

付)先生がはいておられたのはハイソックスのようにも見えたが、ブーツであろう。

2007-02-12 (1) 22:32:57 +0900

出張にコンサイス英和・和英辞典を持っていたのだが英文を書く役には立たず

ちょっと前の出張では、 英語で講演する可能性が高かったので OHP シートと話す原稿を英文で用意し、 講演前にホテルで加筆・修正をする場合に備えてコンサイス英和・和英辞典を持っていったのだが、 和英の部は、用例が載っていないのでほとんど役に立たなかった。

ひいてみて、 使い慣れている単語が訳語に載っていて、 「ああ、あれを使えばいいのか!」なんて場合には役に立つのであろうが。

P.-S. 結局、講演は日本語で行ないました。 ほかの人もそうだったので。

2007-02-12 (1) 18:59:36 +0900

漢語の途中なのに鼻濁音化せずに発音しているガ行の音があるな

先日、「美顔(びがん)」を鼻濁音化せずに発音している自分に驚いた。 そこからほかの例も観察してみた。

「依願」は鼻濁音化するが「胃がん」はしない。 「企業」はするが「起業」はしない。 「始業」はするが「嗣業」はしない。 無意識のうちに言い分けているのだろうか。

いずれも、その前が一音節であるという共通点がある。 ただ、病気の名前の「がん(癌)」は常に鼻濁音化しないような気も。

しろうとの自己観察だから、あまり正確ではないかもしれないが。

2007-02-11 (0) 01:18:20 +0900

「ベートーベン」と耳で聞いて「〜便」だと思わないのは…

…、ベートーベンが有名だからだろう。 そうでなければ、下痢便とかの一種かと思うかも。

2007-02-11 (0) 01:16:54 +0900

二段ベッドはあれで「一つ」と数えるのか?

本文ナシ

2007-02-10 (6) 23:55:07 +0900

超実数体の空でない部分集合は有界であっても上限をもつとは限らないんだ

無限小実数全体の集合 A の上限がもしあったとする。 それは正の数である。 もしもそれが無限小実数なら、その二倍が A に属するから矛盾。 もしもそれが無限小実数でないなら、その半分も A の上界だから矛盾。

2007-02-10 (6) 23:46:43 +0900

ウルトラマン「来たのは誰だ」とウルトラセブン「あなたはだあれ?」の関係

前者に博士役で登場した中山昭二が後者でキリヤマ隊長を演じ、 後者にサラリーマン役で登場した小林昭二は前者でムラマツ隊長を演じていた。 そして、タイトルに「誰=だれ」を含む、という共通点がある。

あれ、あの二人、ファーストネームは同じだったの?

2007-02-09 (5) 21:08:01 +0900

若女将にしては老けているなと思ったら「若尾華美」という名前だったりして

本文ナシ

2007-02-09 (5) 19:39:28 +0900

回文>「気まずうて渦巻き」(きまずうてうずまき)

本文ナシ

2007-02-09 (5) 19:38:46 +0900

「他の思想」と「楽しそう」とはカナで書くと同じだな

授業の一環でいろいろな思想について分担して調べることになった、なーんて状態。

2007-02-09 (5) 19:37:18 +0900

「宇治茶かな」と思ったら「ほうじ茶」の「ほ」が隠れていた、なんてことは

……ないかな。

2007-02-09 (5) 19:36:04 +0900

帰りにサイゼリヤに寄る。

本文ナシ

2007-02-09 (5) 19:34:20 +0900

タイトルの後半と本文を削除しました。 「本文ナシ」はいま入れたものです。

2007-05-24 (4) 00:34:24 +0900

回文>「三匹の機敏さ」(さんびきのきびんさ)

ブーフーウーのことではないであろう。 (いま「部ー付ー右ー」と変換されたぞ。)

2007-02-09 (5) 19:33:25 +0900

学校の「社会奉仕体験活動」だけど、「労働体験活動」とは違うのかな

1月24日づけ朝日新聞大阪本社版総合面 「指導要領の改訂 / 伝統や宗教重視 / 中教審部会が素案」。

道徳については「内容、形式両面にわたる見直し」 とし、高校での社会奉仕体験活動が例示された》とあるのを見て。

奉仕とは無償で何かをすることだが、 学校で行なわせようという奉仕では、 その何かは労働あるいは勤労であることが多い。 だったら、 奉仕体験でなく労働体験あるいは勤労体験と言えばよいのではあるまいか。 体験なのだから、 無償のことも、あるいはお金を払って行なうこともありえるわけで、 わざわざ奉仕ということもないだろう。

2007-02-09 (5) 01:22:28 +0900

さまざまな宗教に関する知識を学ぶことを「宗教教育」と呼ぶのか……。

1月24日づけ朝日新聞大阪本社版総合面 「指導要領の改訂 / 伝統や宗教重視 / 中教審部会が素案」。

宗教教育では、 中学校の社会で世界各地の宗教の特色や役割に関する指導の充実を目指す》 とあるので驚いた。 こういうのは「宗教教育」とは呼ばないと思っていたからだ。 (特定の宗教への信仰を前提とし、 信仰を持ち、深めるための助けを行なうのが宗教教育だと私は思う。)

2007-02-09 (5) 01:18:08 +0900

同じ市外局番でも市内通話にならない、ってのが今ごろ問題になるなんて

1月24日づけ朝日新聞大阪本社版総合面 『同じ市外局番省略すると―― / 現在使われておりません / NTTに総務省「改善を」』。

「相手先が転居したのではないか」などと利用者に誤解を与えるおそれがあり、 同省は「市外局番からもう一度おかけ直しください」 とアナウンスを改めるよう要請した》とのこと。

ここ金沢市の(いわゆる)市外局番は以前は 0762 だったが、 何年か前に 076 になり、2 は市内局番の頭に移動した。 その結果、富山市の市外局番も 076 で同じになった。 その際、年賀状などに市外局番をどう書けば、 同じ市外局番で市内通話にならないエリアがあること伝えられるのか、 香林坊アトリオ4階のNTTで尋ねてみたが、 質問の意味を理解できないようだった。 (「東京 03-XXX-XXXX」のようにいう言い方があったので、 「金沢 076-XXX-XXXX」と書くことで 「富山 076-XXX-XXXX」と区別できないかな、と思っていたのだった。)

金沢に友だちが遊びにくる際、 前日は富山に泊まってそこから電話をかけてくることがありえる。 そういう場合、このことをしっかり教えておかなければならないのだ。

又。 市内通話の扱いになる番号でも市外局番から回してよいなら、 「必ず市外局番からダイヤルしましょう」のように宣伝する方法もあろう。 携帯電話からの場合は必ず市外局番から押すのだから。

2007-02-09 (5) 01:05:29 +0900

漢字の字画の細かな書き分けは、要・不要を誰かがきちんと示さないと

1月19日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「対談」は「IT時代の漢字」。 京都大大学院教授の阿辻哲次さんと早稲田大文学学術院教授の野村雅昭さんの対談だ。

その中で、阿辻氏がこんな話を紹介している。 《はねる・はねないをうるさくいう先生がいますね。 地面から生えている「木」は根があってはねるが、 材木に加工されると根がなくなるから木ヘンははねないと教える。 そんなのは詭弁で、はねる木ヘンはいくらでも実例がある。 はねたらバツでは、子供たちは手が縮こまってしまいますよ》。

確かにこれは“お笑い”に近いのだが、 現場で指導する身になってみれば、 「どこまで手本の特徴をまねすればいいのか」の基準がないと困るだろう。 「羊」の横棒三本の長短はつきつめれば“どうでもいい”が、 「未」「末」の横棒の長短は文字の区別に重大な役割を果たすのでそうはゆかない。 漢字のように字種の多い文字体系の場合、 注意が必要なものと不要なものとを、 体系の全体をわかっている人がきちんとまとめて示すしかないだろう。

漢字にくわしい人が、 それをせずにただ笑い話で済ますのでは責任を果たしていないと私は思う。

例:常用漢字しか知らなければ、 「日」のまん中の横棒は右の縦棒についてもつかなくてもよい。 しかし、「曰く」の「曰」を知ってしまうと、 これとの区別が必要な局面では、必ずつけなければならないことになろう。 (それ以外の書き分け方があるならそれでもいいのだが。)

付) 漢字は字種が多いことを考えると、 子どもに「どちらでもよい」と教えるのはむずかしいかもしれない。 「出る・出ない」「はねる・はねない」はとにかくどちらかに決め、 小学校ではその通り書かせるほうが効率がいいのではあるまいか。

2007-02-09 (5) 00:45:16 +0900

朝日新聞「愛国心」世論調査の結果

1月25日づけ大阪本社版掲載。

「愛国心は学校で教えるべきものだと思いますか」という設問があったそうだ。 同面によると、 《昨年暮れ、教育基本法が改正され、「愛国心」条項が新設された。 「伝統と文化を尊重し、我が国と郷土を愛する態度を養う」ことが 「教育の目標」になった》そうだが、 それとこの質問とは趣旨が異なる。 この質問は、 「愛国心とは何か、どういうものか」を学校で教えるべきだと思うか、 という意味にもとれるからである。

たとえば、 「銃は学校で教えるべきものだと思いますか」と尋ねられたら、 「スポーツとしての射撃ならいいだろう」とか、 「銃がどんなものか知らないと、銃を使った犯罪に正しく対処できないだろう。 映画の主人公がよくやっているように、 発砲されてから弾の軌跡を見て身をかわせばよいと誤解するかもしれない。 だから、やっぱり教えるべきだ」 などと考えることはありえる。 しかし、そう考えた人が「日本人も一人一人が銃を持つべきだ」 と考えるかどうかは別の話である。

「仮に外国の軍隊が攻めてきたら、あなたは戦いますか。逃げますか。 降参しますか」も無意味な質問だと思う。 どのくらい勝ち目があるのかがわからないと、答えようがない。 全く勝ち目がないなら降参するしかないだろう。 少しのあいだ持ちこたえれば、 仮に自分は命を落としてもそのうち助けがきて家族たちは助かる、 とわかっていれば戦う人もいるだろう。 私なら「預言者に耳を傾ける」としか答えられそうにない。

また、 外国の軍隊が日本の市民を守るために攻撃してくることも、 全くありえないわけではない。 この場合の「戦う」はその軍隊と力を合わせて戦うことになるのだろうか。

この質問よりは、 「仮に日本が共産化したら、あなたは亡命しますか」 という質問のほうがまだ現実味があるような気がしなくもない。

2007-02-08 (4) 23:51:31 +0900

朝日新聞>「漢字とつきあう」6回目を読んで

2日づけ大阪本社版総合面掲載。 『「渡ナベ」さん全部で18通り』と見出しがあり、 その18種類が載っている。見たこともない字もあるが、それらには

など、いろいろなレベルのものがある。

2007-02-08 (4) 23:45:22 +0900

朝日新聞「パズル横丁」はまた理由なしに解答をあげている

問題は2006年11月11日づけ大阪本社版科学面掲載。

ハヤオとオソオの2人が沖の小島で遊んでいます。 向かいの海岸に泳いで帰るとハヤオは30分、オソオは45分かかります。 どちらがこいでも15分で帰れるゴムボートがありますが、 1人しか乗れません。 島から海岸に2人とも帰り着くにはもっとも早くて何分でしょうか。 海は静かで人もボートも流されません。

このあとに「作・小谷善行」と署名がある。

実は、もう一つ、条件をつける必要がある。 それは、「ボートはこぎ手がいなくなったらすぐに静止する」である。 そうでないと、一人はボートで、一人は泳いで同時にスタートし、 ある時点でボートを反転させてすぐに海に飛び込む、という手があるのだ。 ボートがそのまま逆に進めば、泳いでスタートしたほうは、 ボートがその場で静止してしまう場合よりも早くボートに乗ることができる。

答えは2006年11月25日づけ同紙同面に載った。

25分で帰れる。やり方はいくつもありますが、例をあげます。

まずオソオがボートに乗り、ハヤオは泳ぐ。 ボートが3分の2まで来たところで(10分たった時)、 オソオはボートを降り、残りを15分かけて泳ぐ。 ハヤオは3分の2来たところで(20分たった時)、 オソオが置いていったボートに乗り、 残った3分の1を5分でこいで帰る。

定性的にこれと同じタイプの解ではこれしかないことは、 旅人算か一次方程式の簡単な練習問題だが、 これより早く帰れるやり方がないことを示さないと、科学としては意味がない。

付) 引用が大部分になってしまった。暇があったら証明をつけたい。

2007-02-08 (4) 23:38:40 +0900

次の仮定のもとで、証明できたと思う。

仮定:時間軸を有限個の区間に区切れば、 そのうちのどの一つでも、ハヤオもオソオも、 「泳いで進んでいる」「ボートに乗って進んでいる」 「静止している」のどれかであるようにできる。

(そうでないやり方には、たとえば次のようなものがある。 新聞に載った解答例の時間をそれぞれ 1/k にしてみると、 1/k 倍の時間で、スタートからゴールまでの 1/k だけ行くことになる。 これを、元の解答を 1/k に「縮小」したやり方と呼び、 元の解答はこれを k 倍に「拡大」したやり方と呼ぶことにしよう。 1/2 に縮小してしまうとゴールまでたどりつかないが、 1/2 に縮小したものを二つつなげればゴールまで到達する。 ここで、コースの中央からゴールに向かって、 1/4, 1/8, 1/16, 1/32, ... に縮小したものをつなげてゆけばゴールに到達する。 コースの中央からスタートへ向かって逆に 1/4, 1/8, 1/16, 1/32, ... に縮小したものをつなげてゆけばスタートに到達する。 これらをすべて合わせればスタートからゴールまで到達できるが、 この解では二人はボートに無限回乗り降りすることになる。)

さて、上の仮定の元で、最短の解があったとしよう。

この最短の解には、 時刻 0 に出発したハヤオとオソオがそれ以降で最初に同一地点にいるような時刻 t0 が存在する。 そうでないとすれば、初めのうち、 ハヤオとオソオは共に出発地点で静止しているしかない。 それが最短の解でないことは明らかである。

時刻 0 には二人は同じ位置にいるし、 時刻 t0 でも二人は同じ時刻にいる。 この間の二人の平均速度を考えると、 それは解そのものの平均速度に等しくなければならない。 そうでないとしたら、より速いか、より遅いかである。 より速い場合、そのやり方を全体に拡大すればより速い解が得られる。 より遅い場合、それ以降のやり方を全体に拡大すればより速い解が得られる。 いずれにせよ、矛盾である。

この時刻 0 から時刻 t0 までを全体に拡大したものも最短の解だから、 「二人はスタートとゴールでしか出会わない」 と仮定してよいことがわかる。 さらに、「その間では常にハヤオがオソオよりゴール寄りにいる」と仮定してよい。 そうでなかったら、二人の動きのグラフを平面上で 180 度回転させればよい。

また、ボートは最後ゴールに到達すると仮定してよい。 そうでなかったら、 ハヤオとオソオのどちらかが最後にボートを捨てたことになるが、 そこでボートを捨てずに最後まで乗ってくればよいのである。 (最短の解と仮定しているから、 そうやっても時間の短縮にはならない。)

スタートからゴールまでの区間を、 「ハヤオがボートに乗って通った」か 「オソオがボートに乗って通った」かで有限個の区間に分ける。 ボートはスタートからゴールまで運ばれたから、 これらの区間の和集合はスタートからゴールまで全体となる。

ここで、 「オソオがボートに乗って通った」区間の直後に 「ハヤオがボートに乗って通った」区間があると矛盾である。 なぜなら、 その境目でオソオがボートを捨てた時点よりもあとにハヤオがボートに乗り込んだことになり、 「常にハヤオがオソオよりゴール寄りにいた」という仮定に反するからである。

よって、ボートはある地点までハヤオによって運ばれ、 そこからはオソオによって運ばれたことがわかった。 このあとは、 静止しているのは時間のムダであることが比較的容易に証明できて、 解答に至ると思う。

付) 戻るのが無意味であることも、おそらく示せると思う。 ぼんやり考えていると、先にボートで行ったハヤオが、 オソオのために少し戻ってボートを置いていったら早くなりそうな気がするが、 その場合、 ボートを置いてゆく地点を最初に通ったときにボートを捨てれば同じことになる、 といった調子で。

付) 最短の解の存在は仮定してしまったが、よかったのかな?

2007-02-20 (2) 02:12:16 +0900

春日部市は昔は「粕壁」だったそうだ / 見た目の印象がだいぶ違うな

7日づけ朝日新聞大阪本社版第一面「折々のうた」(大岡信)で知った。 前にもこの欄で見た記憶がある。 オトは同じだが、「粕壁」より「春日部」のほうが上品に見える。 (粕はおいしいし、壁は大切なものだが、それでもやっぱり。)

2007-02-08 (4) 23:23:48 +0900

「うまくまいて逃げてきた」って「蒔く」「播く」「撒く」だったのね

前項に関連して、広辞苑第五版をひいて知った。 ずっと、「巻く」だとばかり思っていた。アクセントが違うじゃん!

2007-02-08 (4) 22:56:04 +0900

丸谷才一氏の、「植木に水をあげる/やる」を「水をまく」と言い換える提案

6日づけ朝日新聞大阪本社版文化総合面、丸谷才一氏の「袖のボタン」 は《文化審議会国語分科会の「敬語の指針」(答申)》。

「植木に水をやる/あげる」の議論では、丸谷氏が 《たとえ過半数が「植木に水をあげる」と言おうと、 それは困った語法である。 言葉は保守的な趣味を大事にしながら、 新しい事態に適応してゆかなければならない》 と書くのは想定の範囲内である。

しかし、 《ついでに言い添えれば、 わたしとしては、 「植木に水をまく」と言えばいいと思っている》 とあったのには激しく驚いた。 この「まく」は「撒く」だろう。 「〜に水をまく」の「〜に」はまく範囲を示すのであって、 まく対象は示さない、と私は思う。 たとえば、「庭に水をまく」とは言うが、 「庭の木に水をまく」とは絶対に言わない。

さらに、 《「赤ちゃんにお乳をやる」「お乳をあげる」にしたって、 「お乳を飲ませる」にすれば無難なはずだ》とあるが、 赤ちゃんが泣いているときに 「さっきお乳をやらなかったからだ」「あげなかったからだ」と言う場合があろう。 これを「さっきお乳を飲ませなかったからだ」とは言いにくいのではあるまいか。

私案だが、植木に対しては「水やりをする」があると思う。

付) 《「やる」は卑俗でぞんざいと感じている》人が若い世代で増えているのは、 性行為をさす適切な語がなく、 この“代動詞”がその役目を果たさせられているからだと思う。

2007-02-08 (4) 22:48:18 +0900

朝日新聞>縦書き本文の中に横書き日本語を混ぜることもできるんだ

6日づけ大阪本社版文化総合面、丸谷才一氏の「袖のボタン」。 《敬語は日本独特のもので、他の国語にはないと思っている人がいる。 もちろん誤解。 たとえば英語圏の空港でタクシーに乗る。 “Could you go to ホテル名地名 please?” と言うほうが、 “Go to ホテル名地名”よりも運転手の機嫌がいいし、 上品な客だと思われるはずだ》 の、下線は私が引いたもので、 全体が縦書きで書かれている中で、横書きで書かれた文字を示す。 新聞独自のやや縦につぶれた文字ときちんと並んでいるので、 横につぶれた独自の文字なのであろう。

全文をこれで横に組んだらどうだろう?

付) 引用部分最初の「日本独特」は「日本語独特」ではないかと思うが、原文にこうある。

付) 「ホテル名地名」と一続きに書かれた理由は不明。

2007-02-08 (4) 22:40:56 +0900

朝日新聞>首相の昭恵夫人ってみんな顔を知ってると思ってるんだろうか?

3日づけ大阪本社版「政治・総合」面「昭恵夫人、今度はもてなす番」。 写真に 《首相官邸で中国の女性団体 「中華全国婦女連合会」の趙少華副主席の訪問を受けた》 との説明があるが、 二人の女性が握手をしているところで、 どちらが昭恵夫人なのかが私にはわからない。

2007-02-08 (4) 22:33:21 +0900

朝日新聞>「漢字とつきあう」7回目を読んで

3日づけ大阪本社版総合面、「漢字とつきあう」の7回目。

「卵・玉子・たまご・タマゴ」。日本語には様々な書き方がある》。 春遍雀来(ハルペンジャック)さん曰く、 《「日本語はかなりメチャクチャです。 『空き缶』の書き方は11種。 先進国の言語で、これほど異表記があり、情報伝達が難しいのはない》。 そうだとすると、ローマ字書きのわかちがきがいろいろあっても、 そんなのは大したことない、となりそうだ。よかった。 (「空き缶」は akikan だろうが、 「高等学校」には kôtôgakkô か kôtô gakkô か、 はたまた kôtô-gakkô か、という議論があった。 名詞の語頭を大文字で書くか、までいれると Kôtô Gakkô, Kôtô gakkô, KôtôGakkô, Kôtô-Gakkô なども。)

漢字なしでやっていけないと見る理由に、同音異義語に加え、 《「爆睡」「嫌煙権」など漢字の造語力も無視できない》 と述べておられるようだ。 私もそう思う反面、 「漢字を使っていなかったらこれらの新語は作られなかったのか」 「造語するような新しい概念はどのくらいの頻度で登場するのか」 「一般人が造語して日本語は“乱れない”のか」 「漢字を使わない、たとえば英語の造語法をまねたらどうなるか」 などとも考えてしまうのだった。

論客として活躍する書家で京都精華大教授、石川九楊さん》は 《日本語は、会話でも頭の中で漢字や仮名に変換して理解する》 と主張しておられるようだが、これは真実なのだろうか? もし真実だとすると、 日本人が英語が苦手な原因がこれだったりしないだろうか?

2007-02-08 (4) 22:16:11 +0900

「聖書の誤植」を見てみて、いかに自分が細かい人間だったかに驚いた

けさ「聖書の誤植」に一部加筆した際のこと。 もう、ここまで細かくものを見る力は残っていないのではあるまいか。 この私には。

2007-02-08 (4) 22:12:45 +0900

朝日新聞>「今世紀末4℃上昇も」と見出しに書いている / 「4度」じゃなく

3日づけ大阪本社版トップ記事。 やや小さめな見出しは「循環型社会実現でも1.8℃」。 それに対し、本文はすべて「度」である。

2007-02-08 (4) 22:08:38 +0900

“枕詞”の、次にくる固有名詞を思い出させてくれる力のありがたみを実感

キャンパス内で、以前よくお世話になった事務の女性とすれ違ったが、 名前を思い出せなかった。 しばらく考えて、 自分の頭の中では彼女のことは「**の……」をつけて呼んでいたことを思い出した。 「**」は女性の体形を男性の目から見て表現することばで、 ここに書くのは不適切だと思うので書かないが、 それを頭の中で思い出したとたん、「**の〜さん!」と、 名前を思い出すことができたのである。

ギリシアの古典で、 特に意味はないのに人名の前に 「〜の」をつけるのは暗記を容易にするためだと読んだことがあるが、 それを身をもって実感したわけだ。

付)それを「枕詞」と読んでいいのかどうかは忘れた。

2007-02-07 (3) 19:39:47 +0900

森永製菓(株)「苺の季節ケーキ」原材料名に「苺コンフィチュール」とある

森永製菓(株)の「苺の季節ケーキ」の箱に書かれた原材料名の中に 「苺コンフィチュール(砂糖、苺)」とある。 フランス語でジャムを意味する confiture からきていると思うが、 ジャムという語があるのにわざわざこれを使う意図は?

2007-02-07 (3) 19:34:53 +0900

伊藤小梅さんの姓名をひっくり返した「コウメ・イトウ」は「公明党」と同じ

実際の発音はちょっと違う。 こういう名前の人物が実在するかどうかは知らない。

2007-02-07 (3) 19:33:06 +0900

「多古・牛木ご両家」だと「たこうしき ご両家」みたい

実際の発音はちょっと違うが。

2007-02-07 (3) 19:31:26 +0900

板井野(いたいの)さんが実在すると「板井野、板井野、飛んでけ」になる

普通は「痛いの、痛いの、飛んでけ」である。

2007-02-07 (3) 19:30:37 +0900

「捨てたくない」を「もったいない」と偽ってはいけない

何となく「捨てたくない」ものはあるものだ。 それを、「もったいない」と自分に偽ってとっておいてはいけない。 「捨てたくないからとっておくんだ」と正直に言わねばならない。

2007-02-06 (2) 03:24:14 +0900

十二音音階で演歌を書こうとかって考えている人、いないかな

どうして演歌はああいう調子ばっかりなんだろう?

2007-02-06 (2) 03:23:31 +0900

「登下校」は鼻濁音にならないと思う。鼻濁音なら「峠行」だろう

そういう語があったなら、の話だが。

2007-02-06 (2) 03:22:29 +0900

「子ウニ」という語があればカナでは「高二」と同じだがローマ字では…

… kouni と kôni である。

2007-02-06 (2) 03:20:35 +0900

「小鬼」と「高二」は音が似ているがローマ字では kooni と kôni

本文ナシ

2007-02-06 (2) 03:18:55 +0900

「音楽の捧げ物」と言おうとして「音楽の供え物」と言ってしまった

本文ナシ

2007-02-06 (2) 03:17:23 +0900

ウルトラQに二度登場した怪獣はウルトラマン「怪獣無法地帯」に登場した

ペギラ→チャンドラー、ガラモン→ピグモン。

2007-02-06 (2) 03:14:46 +0900

きょうの補筆箇所

2007-02-06 (2) 03:14:04 +0900

回文>「寺請制度・伊勢家裏手」(てらうけせいどいせけうらて)

意味はない。

2007-02-06 (2) 03:03:00 +0900

回文>「寝ようよ、ね」(ねようよね)

眠くなってきた。

2007-02-06 (2) 03:02:18 +0900

回文>「波止場とは?」(はとばとは)

本文ナシ

2007-02-06 (2) 03:00:44 +0900

回文>「我がうな丼・ドナウ川」(わがうなどんどなうがわ)

私のうな丼はドナウ川を流れていってしまった、というような意味。

2007-02-06 (2) 02:59:35 +0900

ロンド回文>「代打の代打」(だいだのだいだ)

これは、よく聞く言い方がロンド形式(ABACABA) と同じ文字の並び方になっているというだけのもの。 前半と後半で同じ語をくり返すから、回文としては価値が高くないと思う。

2007-02-06 (2) 02:57:50 +0900

回文>「千曲甘口」(ちくまあまくち)

意味は考えていない。 「千曲」という名の酒でもあれば意味がつく。

2007-02-06 (2) 02:57:03 +0900

回文>「紙のおむつ包む小野美香」(かみのおむつつつむおのみか)

意味なし。小野美香は人名のつもり。

2007-02-06 (2) 02:55:59 +0900

回文>「雉は待つ爪弾き」(きじはまつつまはじき)

意味なし。

2007-02-06 (2) 02:55:17 +0900

回文>「水雷ライス」(すいらいらいす)

意味なし。

2007-02-06 (2) 02:54:45 +0900

回文>「配達隊は?」(はいたつたいは)

「配達、大破」も考えたが。

2007-02-06 (2) 02:53:53 +0900

回文>「かわいいな。いい和歌」(かわいいないいわか)

本文ナシ

2007-02-06 (2) 02:52:52 +0900

回文>「圭さん、院さ行け!」(けいさんいんさいけ)

圭さんに、大学院に行くよう、方言ですすめている。

2007-02-06 (2) 02:51:43 +0900

回文>「考え言え、眼科!」(かんがえいえがんか)

眼科医に呼びかけているもの。

2007-02-06 (2) 02:50:53 +0900

回文>「やかん頭よ、また案かや」(やかんあたまよまたあんかや)

やかん頭の男がまた案を出そうとしたのに対し。

2007-02-06 (2) 02:49:26 +0900

回文>「白菜をイサクは」(はくさいをいさくは)

本文ナシ

2007-02-06 (2) 02:48:49 +0900

回文>「金山、慙愧」(きんざんざんき)

本文ナシ

2007-02-06 (2) 02:47:47 +0900

「東海林太郎」と「生じたろう」ってカナで書くと同じだな

本文ナシ

2007-02-06 (2) 02:46:55 +0900

東海林太郎のパロディーキャラで「ふすま次郎」とかって考えてるやつ…

…いるだろうな。

2007-02-06 (2) 02:46:06 +0900

回文>「何この音? 男にな」(なにこのおとおのこにな)

本文ナシ

2007-02-06 (2) 02:45:17 +0900

回文>「朽ち果てたの? 立て、八区」(くちはてたのたてはちく)

本文ナシ

2007-02-06 (2) 02:44:00 +0900

回文>「眠れないの? 否、レムね」(ねむれないのいなれむね)

レムはレム睡眠。

2007-02-06 (2) 02:42:57 +0900

ローマ字回文・架空人名>imoti hitomi(井餅ひとみ)

そんな名前あるか?

2007-02-06 (2) 02:40:23 +0900

回文>「倉塚、滑落」(くらつかかつらく)

倉塚は姓。

2007-02-06 (2) 02:38:30 +0900

回文>「ネス湖に越すね」(ねすこにこすね)

本文ナシ

2007-02-06 (2) 02:37:35 +0900

回文>「よかれ。これかよ」

本文ナシ

2007-02-06 (2) 02:36:53 +0900

回文>「焦るコルセア」(あせるこるせあ)

corsair が何を焦っていたのかは定かでない。

2007-02-06 (2) 02:31:11 +0900

回文>「ミノタウロス蝋頼み」(みのたうろすろうたのみ)

蝋を頼んで何をするつもりなのかは知らない。

2007-02-06 (2) 02:30:00 +0900

回文>「灯火・笞」(ともしびしもと)

意味はない。

2007-02-06 (2) 02:26:14 +0900

回文>「遠し、足音」(とおしあしおと)

ほとんど意味はない。

2007-02-06 (2) 01:20:31 +0900

回文>「訂正急いて」(ていせいせいて)

本文ナシ

2007-02-05 (1) 23:08:26 +0900

「零下140度の対決」のあのアンヌ隊員の声で起こしてくれる目覚まし時計…

…って作れないかな? ついでに頬をぱしぱしと叩いてくれるとなおよい。

「ウルトラセブン」ネタでした。念のため。

先日、 普通の目覚し時計で目を覚ましたものの、 また眠ってしまいそうで、 「起きて! 眠ったらおしまいよ!」 とアンヌ隊員の口まねをしながら自分の頬を叩いて必死で起きたときに思いついたもの。

2007-02-05 (1) 23:04:53 +0900

回文>「お尻燃え、盛り塩」(おしりもえもりしお)

全体では意味はない。

2007-02-05 (1) 23:01:08 +0900

NHKフランス語会話>一月 09 日(月曜日)放送分

前半については 《NHKフランス語会話>七月 03 日(月曜日)放送分》 も参照。それと 《NHKフランス語会話>一月 08 日(月曜日)放送分(速報)》 も。

オープニングの le dîner が la dîner になっていた間違いは、 直っていた。

「鳥の赤ワイン煮込み」は「鶏の〜」に、 「サプライズ・パーティー」は「サプライズパーティー」に、 直っていたようだ。

スケッチの字幕。 一度目に見たときは「このサプライズパーティーは私のアイデアよ」だったが、 二度目は「アイディアよ」になっていた。

もう一度 Avec Ananda を見ようというジェニファーさんのセリフ。 字幕では最後に「アナンダ!」とあったが、その呼びかけはなかった。 半年前にはあったが今回はカットされた?

「序数詞を言ってみましょう」という字幕。 前はなかったよね? このコーナーをほかの週からここへ持ってきたため? 画面は
1er/1èrepremier(première)
2edeuxième/second(e)
...
のようになっていて、 premier と première が別の語だということがややわかりにくいのは 前に書いた ce(cet) などと同じ。 また、premier と première は両方読まれたが、 seconde は読まれず。

Pause-Café で先生が 「セーヌ川やサン・マルタン運河などが流れている」 とおっしゃっておられたが、運河ってのも流れているものなんだっけ?

「サン・マルタン」「サンマルタン」の不統一も直ったようだ。 フランツさんはまっ赤なシャツで、ソファーと同じ色だから、 まるで保護色。

新作部分の詩の朗読。 作者について解説するミカエルさんの字幕に 「シュールレアリスム」「シュルレアリスト」と出た。 母音の長短が違うが、これは日本語の慣習?

この作者はアウシュビッツで悲劇的な最期を遂げたそうだが、 それを聞く先生の表情はいままで見たことのないものだった。

moelle って [mwal] と発音するのかー。知らなかった。

今回も「また来週」があったが、台本通りなのか、言い方が普通で、 あまり「萌え」なかった。 (《NHKフランス語会話>十二月 04 日(月曜日)放送分》 参照。)

半年前には、 ミカエルさんがぬいぐるみの犬で先生にちょっかいを出すエンディングがあったが、 今回はなし。

2007-02-05 (1) 20:29:03 +0900

「目隠し将棋」では盲人用の将棋盤と駒を使ってよい?

ある意味で前項の続き。

「目隠し将棋」というのは言い換えの結果生まれた語。 目の見える人には目隠しをするのはハンディキャップになるのに対し。 目の見えない人には全くハンディキャップにならない。 目隠しはするが盲人用の将棋盤と駒 --- そういうの、あるよね? --- は使ってよい、 というルールだと、 それに慣れている目の不自由な人がはるかに有利なような……。

2007-02-05 (1) 20:22:58 +0900

「スイカ割りは盲人差別」という意見があるそうだ / 福笑いも?

目の見えない人が困っているのを笑うのと同じだから、 というような考えかららしい。 そう言われるとそんな気もしてくる。 福笑いも?

そういえば、 昨年だかのお正月の「サザエさん」に福笑いが出てきたが、 遊び方が全然違っていたような。別のゲームだったかな?

2007-02-05 (1) 00:39:32 +0900

「ジークフリート」第3幕第2場に黒こげ死体をいくつも出したら

炎を越えようとして命を落とした若者たちの遺体という設定である。

2007-02-03 (6) 11:26:17 +0900

最近、身体があるって感じがあまりしない / もしかして死んでるのか?

昔だったらもっと

ってところかな。 オビ=ワン・ケノービみたいに肉体が消滅し “霊”だけの存在になってしまったのでは、と心配になったりする。

寒さを感じなくなった、ってのもあったか。

2007-02-03 (6) 01:15:17 +0900

きょうの補筆箇所

2007-01-23 (2) 03:18:46 +0900

朝日新聞>今年になってはじめて、郷富佐子氏の署名入り記事を読んだような

名前を見ないので、何かあったのかと気になっていたが、 22日づけ大阪本社版総合面「ひと」に「文・写真 郷 富佐子」とあって安心した。

取り上げられているのは世界エスペラント協会長のレナート・コルセッティさん。 《「デジタル」をどう訳すか。 国際補助語エスペラントの世界でいま、 大議論となっている。 音を優先して「ディギターラ」がいい。 いや、 「数(ツィフェーロ)」を変化させた「ツィフェレーツァ」 にしてはどうか――》。 きちんと正確に音写されている。

辞書をひいてみた。 digitala は digitalo(ジギタリス)の形容詞に紛れる点が弱点かも。 cifero が数で、-ec- は性質を意味する接尾辞。 確かフランス語では numérique だから、 numera とする方法もあると思うが……。

新渡戸稲造がエスペランティストだったというのも初めて知った。

2007-01-23 (2) 02:40:31 +0900

「青年団」というのは単に青年一般の集まりじゃなくって神道系の団体?

こないだの日曜日19時すぎに、 NHKテレビのニュースを見ていたら、 カラオケ店の火事のニュースをやっていた。 亡くなった人の一人は青年団で活躍していたと言っていたが、 「だんじり」だったか、「祭」「太鼓」だったか忘れたが、 宗教行事に関連する団体であるように言っていたのが意外だった。 私はその地域の青年一般が所属する組織だとばかり思っていたが、 神道系の団体だったのだ。

私が通っていた教会には、 「青年部」というような名前の組織があった。 それはその教会の青年部ということであって、広く一般に青年を集めた組織ではない。 それと同じことなのだろう。知らなかった。

付) Wikipedia の「青年団」も、そのような記述だった。

2007-01-23 (2) 02:38:49 +0900

朝日新聞>「犠牲者をまつる」「墓石に手を合わせていた」とあるけれど

2006年12月12日づけ大阪本社版国際面「アジアの街角」は光州の1回目。 《犠牲者をまつる郊外の国立5・18墓地。 市内のキリスト教会から来た文興子さん(62)ら女性6人が墓石に手を合わせていた》 とあるのだが、 写真を見るかぎり、「手を合わせて」いるようには見えない。 左右の手を握り合ってはいるが、キリスト教の祈りのように見える。 「犠牲者をまつ」っているのかどうかも不明。 キリスト教式ならまつらないと思うが。

そのあとに続く 《「民主化のために亡くなった方々の冥福を祈りたくて》 の「冥福」も気になる。

「文と写真 高槻忠尚」と署名あり。

2007-01-23 (2) 02:32:03 +0900

岩波文庫のカタログに「正字旧かな」などと書かれている時代があったっけ

「新字新かな」への切り換え期。 ある時期から載らなくなった。 いまでも復刊は昔の文字のままのはず。

2007-01-23 (2) 02:28:41 +0900

「正書法」を「正字」と勝手に結びつけて考えちゃってる人、いないかな

正字で書く方法、とかね。

2007-01-23 (2) 02:27:34 +0900

左加群を主として考えるのは西洋語の発想なのかも

five apples のように数が左にくるから。 日本語ならリンゴが5つのように数が右にくる。縦書きなら下か。

2007-01-23 (2) 02:25:16 +0900

白チョークで丸を書くとき、塗りつぶしたほうは白丸? それとも黒丸?

黒板に白チョークで書いているとき、 丸を書いて塗りつぶしたのと塗りつぶさないののどちらが教科書の黒丸にあたるのかが、 書いている人と見ている人との間で通じなくなる、 ということがあるのだった。

朝日新聞「パズル横丁」>白黒でジャンケン --- 問題の意味がやや不明確》 の、どちらが白でどちらが黒か区別できるのか、という話にちょっと関連。

2007-01-23 (2) 02:21:56 +0900

白黒フィルムのネガをうまく光にかざすことでポジ像を見る技術があったっけ

反射の具合によっては、白と黒が逆転し、ポジ像が見えるのである。 これができると、焼く前に焼くべきネガがわかって便利だった。

朝日新聞「パズル横丁」>白黒でジャンケン --- 問題の意味がやや不明確》 の、どちらが白でどちらが黒か区別できるのか、という話にちょっと関連。

2007-01-23 (2) 02:18:37 +0900

いまの日本は「平民独裁」?

マルクス主義でいうところの「プロレタリア独裁」は独裁政治の意味ではなく、 プロレタリア階級が政権を握るという意味だが、 そこでふと思ったのは、いまの日本では法律上、平民と皇族の区別があり、 政治に参加できるのは平民だけと決まっている。 だったら「平民独裁」と言えるのかな、と考えてみたもの。

「平民」がマルクス主義で言うところの階級でないことはわかっているが。

2007-01-23 (2) 02:13:01 +0900

「昔話した」は「むかしばなしした」か「むかしはなした」か

名詞のときも「話し」と「し」をおくることにすれば、 前者のみ「昔話しした」となってこの問題は解決するが、 よく考えないと、ほかでおかしな点がでてくるかもしれない。

2007-01-23 (2) 02:10:57 +0900

昨年十二月5日の「ちびまる子ちゃんアニメからドラマまで……」見たっけ

ちょっと古い話だが、これを見た、というだけの話である。 フジ系で、19時から20時54分まで。出張先で見た。

新作部分はすべて実写ドラマで、まる子がお父さんと釣り堀にいるシーンと、 花輪君の家の忘年会という設定でクラスのみんなが集まっているシーン。 そこに、前に放送されたものの再放送がはさまってゆく。

非常に残念なことに、たまちゃんは「こられない」という設定で登場しなかった。 役者のスケジュールが合わなかったのか。

2007-01-23 (2) 02:00:37 +0900

NHKフランス語会話>十二月 25 日(月曜日)放送分

前半については 《NHKフランス語会話>六月 26 日(月曜日)放送分》 も参照。

冒頭のわざとらしい芝居のあと、 Ananda の出る画面のほうを向く際、 先生はからだを180度以上まわしておられる。 反対向きに回るほうが近いのに。 カメラに背中を見せないようにとのご配慮か。

前に書いた発音コーナーの字幕「今日の1つ目の音は [si] の音です。 celui-ci に含まれている ci の音ですね」の後半が、 「celui-ci に含まれている [si] の発音ですね」に変わっていた。

Avec Ananda での店員のセリフは字幕では 「Vous aimez quel type de vin?」だが、 「Vous aimez quel style de vin?」と聞こえる。 テキストを見たらそうなっていた。

前に書いた Avec Ananda の字幕のアポストロフの形は直っていたみたい。

celle-ci と celle-là を 「『こっちの』『あっちの』」と説明されるところで、 からだを微妙に左右に揺らしておられる。 その直後は首を左右に二回傾けて。

「近いほうと遠いほうなどの区別をしっかりつける必要がないときには、 会話では là の形がよく使われます」のあと、 腰を左右に小さく振っておられるように見える。 (映しているのは正面から。念のため。)

Pause-Café のコーナー冒頭は、何度も巻き戻して、見た。

「以上、Pause-Café のコーナーでした」 といつものようにお上品に終わったあと、 ミカエルさんとフランツさんがワインの栓を抜こうとする。 「え、開けちゃうの? そんなの聞いてないわよ!」 といった表情であわててミカエルさんを見る先生のお芝居が、 前にも思ったけど、なかなかよかった。 (先生のお芝居はいまいちだというのが私の意見だが、ここはうまいと思う。)

後半の新作部分はインタビュー。難解だった。 そのまま終わるので、四人が戻ってきてのエンディングはなし。

2007-01-22 (1) 22:15:34 +0900

披露宴のスピーチでは過去の恋愛話は避けよと言われるが、新郎新婦間のも?

新郎がむかし同僚のなんとかさんに交際を申し込んだにべもなく断られ、 みたいな過去の恋愛話は、たとえみんなにとって過去の話になっていたとしても、 やはり避けたほうが無難である。そういうアドバイスを述べた本を見たことがある。

では、新郎新婦、二人の間の過去の恋愛話はどうなのであろうか? たとえば、 あるときちょっとつきあっていた時期があったんだけどそのときはこういうわけで別れて、 みたいなの。

本項は、「過去の恋愛話」にこれが含まれるかどうか、に興味があるので書いた。 話すのが適当かどうかは(いまの私には)どうでもよい。

2007-01-22 (1) 20:44:09 +0900

「入試」と「乳歯」って、カナで書くと同じだ

受験生について「誰それは、まだ入試が残っていたかな」と言ったのに、 「まだ乳歯が残っていたかな」と解釈し、 「何ばかなこと言っているんですか、とっくに全部永久歯ですよ」 なんて答える人はいないか。

2007-01-22 (1) 19:41:57 +0900

新たなる希望>ビームを止めに行くオビ=ワンは銃を持っていくべきだった?

ファルコンがデス・スターに吸い込まれたあと、 ベイダーがオビ=ワンのフォースを感じて、彼がきていることを知るシーンがある。 オビ=ワンも、ベイダーの存在を感知したであろう。 吸引ビームのスイッチを切りに行ったオビ=ワンは帰りにベイダーに遭遇し、 そこで「スター・ウォーズ」のシリーズ上、初のライトセーバー戦となるわけだが、 旧三部作だけを見ていたときは、 オビ=ワンは銃を使うことを潔しとせず、 ライトセーバーだけで戦うことをほこりにしているのだと思っていた。

しかし、III で、彼はグリーバスを銃で倒していた。 決して銃を使わないというわけではないのだ。 その後、アナキンがどのように改造されてベイダーになっているのか、 オビ=ワンにも未知の部分があったであろう。 もしかしたら、 サイボーグ化の影響で、 剣で弾丸をはね返す能力が失われているかもしれない。 とりあえず、撃ってみてはどうか。 たとえば、自分の剣を構えた上でベイダー目がけて撃ってみて、 ベイダーがそれを跳ね返してきたら再度跳ね返してあさっての方向にやってしまい、 それから銃を捨てて剣で戦う、というやり方がありえたのではあるまいか。

だから、オビ=ワンは帝国軍兵士から奪った銃を持って行くべきだったのでは、 というのが私の説である。

付) 銃を持たずに行ったのはルークにフォースと剣のみで戦う姿を見せるため、 という解釈もあろう。 そうだとしても、どこかで帝国軍兵士から銃を奪えばよい。 その際には、殺す必要はない。 フォースで心を操って、銃を渡させればよいのである。

付) そう考えると、自分であそこまで行かなくても、 適当な兵士を操って止めに行かせればよかったんじゃないの、って気もする。

2007-01-22 (1) 19:39:38 +0900

ジェダイの復讐>瀕死のベイダーはオビ=ワンの生死を尋ねそうなものだが

オビ=ワンが IV でフォースと一体化し、 V 以降では“霊”となってルークの前に姿を現したことを観客は知っている。 しかし、ベイダーは、オビ=ワンが上着を残して消えたことしか知らないわけだ。 テレポートなどの術で姿を消し、実は生きていると考えても不思議はない。 ジェダイの心を取り戻したあの時点で、 オビ=ワンは生きているのか、生きていたらオビ=ワンによろしく、 などと言ってもいいような気が。ヨーダに対しても。

2007-01-22 (1) 02:27:52 +0900


すのもの Sunomono