すのものの「いろいろ」(その163)

きょうの補筆箇所

2007-01-22 (1) 02:27:03 +0900

「弦楽四重奏」を「〜よんじゅうそう」って言ってるやつもいそうだな

声楽曲について「四声」とあったらそれは 「しせい」と読むのだとばかり思っていたが、 「よんせい」と読むのを先日聞いた。そこから、ふと。

付)中国語のあれは当然「しせい」だろうな。

2007-01-22 (1) 01:49:56 +0900

朝日新聞>「旧暦読本」の書評は非常に不適切

21日づけ大阪本社版読書面に掲載された、 岡田芳朗著「旧暦読本」の書評。

旧暦(太陰太陽暦)とは、月の満ち欠けで日と月を数えるシステムで、 明治期の改暦まで長く使用されていた。 七夕や名月などは旧暦の日付で行うほうが雰囲気に合うし、 釣りや漁業など海に関しては、旧暦の知識が不可欠という。 どうやって暦をつくるかという仕組みから、 江戸期、各地にできた地方暦の特色、二十四節気って?……などなど、 旧暦の基本知識を網羅し、暦の楽しさを伝える。 今後5年分の新暦・旧暦対応カレンダーが巻末に。 ちなみに今日は12月3日だ。(創元社・2100円)

短いので全文を引用してしまったが、これだけの中に、不適切な点が非常に多い。

前に書いた《「旧暦+二十四節気」よりはそれと“同等”な「新暦+月齢」のほうを選ぶ》 も参照されたい。 また、 旧暦は、 東京天文台のサイトから情報を得ることで簡単に計算できる。

これらの不適切な点がこの本そのものに由来するならこの本の著者は旧暦をよく理解していないと思うし、 そうではなくて評者が持ち込んでしまったものなら、評者はこの本をよく読めていないと思う。 なお、この書評には評者名が書かれていない。

2007-01-22 (1) 01:46:43 +0900

TVアニメ「サザエさん」で駅名を「お茶の水」としていた

きのう放送分。 サザエが道で男性に「お茶の…」と声をかけられ、 「あなたとお茶を飲む気などありません」と断ると相手は 「オチャノミズに行く道を尋ねただけです」と答える、という、 原作者長谷川町子の四コマ漫画にもあるネタなのだが、 そこで、駅のホームにある駅名の看板を模した絵が画面に出た。 駅名であることがわからない視聴者のことを考えてだろう。 しかし、そこには「お茶の水」と書いてあった。 隣の駅は水道橋と秋葉原となっていたと思う。(神田ではなくて。)

駅名は「御茶ノ水」。「お茶の水」なのは女子大学と 「鉄腕アトム」に出てくる博士の名前である。

2007-01-22 (1) 01:39:41 +0900

「パックス・なんとかーナ」という語を考えてみた

「なんとかーナ」にはアメリカーナとかロマーナのような形容詞がはいるが、 考えているものの形容詞形がわからなかったり、 何と言っていいかよくわからなかったりしたときには 「パックス・なんとかーナ」と言ってしまおう、というもの。 「なんとか」が a で終わることを利用しただけ。

付)pax の -a- は長いので、正しくは「パークス」だろう。

2007-01-22 (1) 01:24:09 +0900

朝日新聞「パズル横丁」は答えだけでいいのか?

6日づけ大阪本社版科学面に掲載された「猪突猛進」という問題。

市松模様にカーペットがはられた広い部屋を、 イノシシがどのマスも一度だけ通って、通り抜けます。 常に直進し、壁にぶつかると適当に向きを変えます。 たとえば図左のような3×3=9マスの部屋は、 2回壁にぶつかるだけで抜けられます。

+--------+--------+--------+
0                          |
                           |
                           1
+        +        +        +
|                          |
|                          |
|                          |
2        +        +        +
|
|
|                          3
+--------+--------+--------+

さて、 図右のような4×4=16マスの部屋を通り抜けるには最低何回壁にぶつかる必要があるでしょうか。 回数と道筋を答えてください。

+--------+--------+--------+--------+
                                    |
    IN                              |
                                    |
+        +        +        +        +
|                                   |
|                                   |
|                                   |
+        +        +        +        +
|                                   |
|                                   |
|                                   |
+        +        +        +        +
|
|                             OUT
|
+--------+--------+--------+--------+

このあとに「作・植松峰幸」とある。 (図の位置は変更した。また、第一の図には斜めに通り道が書いてあるが、 それはここには書けないので、数字で示した。 実際には、これらを小さい順につないだ線が書かれている。)

20日づけに掲載された解答例は

+--------+--1-----+--------+-----3--+
                                    |
0                                   |
                                    |
+        +        +        +        +
|                                   |
|                                   |
|                                   |
+        +        +        +        +
|                                   |
|                                   |
|                                   |
+        +        +        +        +
|
|                                   5
|
+--2-----+--------+-----4--+--------+
で、答えは「4回」。 格子点(ここでは図全体の中央の点)を通った場合にその “両側”のマスはどちらも通ったことにならない、 というルールは問題文には書かれていなかった。 それはともかく、3回以下でできない理由が全く述べられていないのが気になる。

+--------+--------+--------+--------+
                                    |
                                    #
                                    |
+        +        +        +        +
|                                   |
|                                   |
|                                   |
+        +        +        +        +
|                                   |
|                                   |
|                                   |
+        +        +        +        +
|
|                             OUT
|
+----#---+--------+--------+--------+
この図の「#」どうしをつないだ線分は七つものマスを通る。 3回ぶつかれば4つの線分が生まれるから、 通るマスの数だけからは、すぐには矛盾が出てこない。

付)実は、問題文中の 「(どのマスも)一度だけ」をしばらく見落としていた。 この条件から、線分どうしが交わらないことがわかり、 少しは考えやすくなると思うが……。

付)新聞に載った解答例はそれなりに意外な通り方で、 そこからあらためて問題を見直してみたのだが、4回ぶつかってよく、 かつ、辺の上を通るだけではマスを通ったとみなさないなら、

+--------+--------+--------+--------+
                                    |
0                                   
                                    |
+        +        +        +        1
|                                   |
|                                   |
|                                   |
2        +        +        +        3
|                                   |
|                                   |
|                                   |
4        +        +        +        +
|
|                                   5
|
+--------+--------+--------+--------+
という、かなり自明な通り道があるのだった。 頂点を通ってもマスを通ったことにならないなら、 辺を通ってもいいような気がする。

2007-01-22 (1) 01:17:59 +0900

セ氏の温度の差を書くとき、単位は℃でいいのかな?

確か今週の前半に、 NHKの午後七時のニュースの終わり近くの天気予報を見ていたら、 最低気温だか最高気温だかの平年との差を「−2℃」のように表現していた。 「−2℃」はセ氏の氷点下二度を表す記号だと思うのだが。

又。 セ氏と絶対温度とは“原点”が違うだけで「一度」の大きさは同じなので、 絶対温度の差も「−2℃」のように記してよい?

2007-01-20 (6) 03:19:47 +0900

対数関数をその底で微分することってめったにないよね?

logax を x で微分することは高等学校で学ぶが、 a で微分することはめったにない。どうなるんだっけ?

……と一瞬思った私はおばか。

2007-01-20 (6) 02:26:59 +0900

どうしてヘロデは三博士にだまされたと思い込んだのか?

之にあはば我に告げよ」(マタイ 2,8)と命じたのだから、 帰ってこなかったらまずは会えなかったと思うのが普通ではなかろうか?

2007-01-20 (6) 02:24:17 +0900

朝日俳壇>聖夜劇になぜ「魔法使ひ」が登場するんだろう?

15日づけ朝日新聞大阪本社版掲載の、 高松市の白根純子さんの《聖夜劇魔法使ひを熱演す》。 magi を誤訳したのではないかとちょっと不安。

なお、 選者の大串章氏は《「魔法使ひを熱演す」る、というのが面白い。 子供の頃のよい思い出になるだろう》と書いている。 子どもと限定する理由は? おとなは演ずることも見ることもしない?

2007-01-20 (6) 02:18:36 +0900

終戦直後の漢字制限(など)とフランス語を国語にという主張

15日づけ朝日新聞大阪本社版の、朝日字体の廃止をまとめた面。

1946年に内閣告示された当用漢字表は、 やさしい国語表記の実現を目指し、 漢字に一定の使用枠を設けるものでした。 ある新聞が「漢字を廃止せよ」と社説で主張し、 小説の神様・志賀直哉も「フランス語を国語に」と書いた時代です。

「フランス語を国語に」という主張は「やさしい国語表記」とは関係ない。 (後者の「国語」が日本語の意味である場合に限り。) 言語とそれを書き表す文字との素朴な混同である。 筆者が混同していなくても、読者に混同をひきおこす、うまくない書き方であろう。 「編集担当 三浦昭彦」と署名あり。

付) フランス語を採用するが表記には漢字を使う、ってアイディアは……、 なかっただろうな。

2007-01-20 (6) 02:09:05 +0900

いわゆる朝日字体は、どうしてあれでわかると思われたんだろう?

たとえば、「老獪」の「獪」をけものへんに「会」と書く。 その字を見た人が「会」の旧字体を知っていれば、 もしかしたら「老獪」の「獪」ではあるまいかと気づく、 と思って作ったのだろうか。 そうだとすれば、新旧両字体を知らないと朝日字体はわからない。

あるいは、その字を使って「老〓」と書き、 「ろうかい」とふりがなを振っておけば、読者が自然にそう覚えると思った?

2007-01-20 (6) 01:59:33 +0900

文語訳聖書 1980 年以前版>引照の記号は「イロハ〜ヱヒモセス」をくり返す

イロハを全部使い切っているページはないかと思い、 最初からめくっていったら創世記 14,17-16.4 の、20-21 ページがそうだった。 イロハ…ヱヒモセスの次はまたイロハに戻る。 新約なら、マルコ 8,14-9,8 の 84-85 ページ。

ついでに。なぜか「ヰ」は「井」で代用している。

2007-01-20 (6) 00:18:47 +0900

文語訳聖書 1980 年以前版>マタイ2ページ目の引照下半分は活字が小さい

なぜだろう? 修正のあと? 8行で組まれているのは上半分と同じなので、 詰め込むためではない。 手元の本では、書名を表す活字がつぶれて読めないところもある。 (内容から推測できるが。)

2007-01-20 (6) 00:13:42 +0900

岩波版「福音書」、(数回目の)読了

今年にはいった時点で、ヨハネの途中だった。

2007-01-20 (6) 00:11:12 +0900

サイゼリヤのセットおつまみチーズパスタは「ワイングラス」が付いてくる

単品で頼めば「グラスワイン」なのだが、 このセットに組み込まれているのは「ワイングラス」。 たぶんメニューを作った人のミスだと思う。 注文時に「白ワイングラス」とメニュー通りに伝えたら、 「白グラスワインですね」と言い直された。 (注文時にセットの内容を言ったのは、赤でもいいことになっているからである。)

2007-01-19 (5) 00:46:01 +0900

対向車までどれだけの距離があったら右折してよいのか

「対向車がその速度のまま走ってきたとして、 そこにくるまでに右折してしまえる距離」 だと思っていたのだが、 右折車が途中で故障などにより止まってしまったら、 そこに対向車がぶつかってしまう。 対向車が非常に慎重なら、右折車が目の前を通り過ぎる間、 それより手前で停まれるようスピードを落として走ることになろう。 だから、「対向車が、 その速度からブレーキをかけて手前で止まれるような距離にある間に右折してしまえる距離」 のような気もしてきた。 後者のほうが長いのは明らかである。

きょう、バスに乗って前を見ていて気づいたことである。 (バスは直進する側だった。)

だから、直進する側から見ると、 「もしもあの右折車が止まってしまったら自分も止まらなきゃ」 と考えてスピードを落とすべきなのか、 「このままのスピードで行ってもあの車は右折しきってしまうだろう」 と考えてスピードを落とさず走り続けてもいいのか。

2007-01-18 (4) 02:25:05 +0900

「一方通行」「一時給付金」はTコードで基本の右手→左手打ち

本文ナシ

2007-01-18 (4) 00:19:21 +0900

久しぶりにサイト「セットポジション」を再訪

きょう、仕事の息抜きに「指名打者」を Google で検索していて、 《野球>「延長戦にはいったら後攻が有利」ということはないらしい》 で紹介したサイト「セットポジション」を再発見。 (アドレスは http://set333.net/ に変わったようだ。)

ほかに、 「権藤、権藤、雨、権藤」は本当にあったのか調べたページなど。

自分のサイトが何ページあるかをトップに書いているのもなるほどと思った。 何キロバイトあるか書くのもいいかも。 画像ファイルは除いて。

2007-01-14 (0) 00:38:36 +0900

墓参り中に襲われ、「ここがお前の墓場になるのだ」と言われたらどうする?

「はい、そうですね。いつか」と答える。 そのお墓に自分も死後ははいることになっている場合の話。

2007-01-13 (6) 23:50:43 +0900

NHKフランス語会話>十二月 18 日(月曜日)放送分

前半は 《NHKフランス語会話>六月 19 日(月曜日)放送分》 も参照のこと。

一つ目のキーフレーズを紹介したあと。 「まずさっそく発音してみましょう」って、 「まず」と「さっそく」がダブってないかな?

前に書いた、先生が机の上を見ていた件。 その前に、先生はカメラと違うほうを見ておられる。 これも、うつっていないと思われたからだろう。

発音練習のコーナー。 ミカエルさんの後ろの電光掲示板を見ていたら、 「...」を一文字分にまとめた文字が流れていた。 そういう“活字”もあるんだ。

neige の下に発音記号 [ε] が出たが、 ei の真下ではなく(一つ目の)e の真下だった。 désolé では真ん中あたりの下に [e] と出たから、 必ずしもその音を表すつづり字の下に出すというわけではないが。

ミカエルさんに「雪」(実は紙吹雪)をかけるところ。 ジェニファーさんが楽しそう。

前に書いた、「先生の髪がはっきり分けてあった」のところ。 ミカエルさんが話しているのに合わせて、 先生の目が右にきゅっと一度動いて戻る。

否定命令文の作り方の説明のところと、 次の ce の説明のところで、指をもじもじと動かしておられる。なぜ?

字幕。ce(cet) と書くと、ce または cecet だと思う人がいないとも限らないな。 désolé(e) の場合は最後の e がついたりつかなかったりなんだから。 それに合わせれば ce(t) となりそうだが、これでは何かが違うような気がする。 ce/cet とする?

quatre-vingts を「四 × 二十」と説明しておられたが、 掛け算の順序まで考えるなら「二十 × 四」かも知れない。 少なくとも、小学生にはそう教えなければなるまい。

音楽コーナー。 おっさんが日本語をしゃべった。 最後にはおっさんの投げキッスがあった。よかった。

そのまま終わったので、ミカエルさんのラリアットはなし。 トマトのかごを持って手を振る先生もなし。

付)字幕の「1ユーロ49」はそのままだった。

2007-01-13 (6) 21:16:44 +0900

帰りのバスで後ろを見たら、どこが窓でどこが壁だかわからなかった話

何日か前の、帰りのバスでのこと。 振り返って後ろを見たら、窓が真っ白で、外は何も見えない。 雪のせいかな、と思ってよく見たら、 窓だと思ったそこは何かの機械 --- 行き先を表示する装置だったかもしれない --- の裏側で、白く塗られていたのだった。 その回りの、壁だと思っていた真っ黒な部分が窓で、 そこから黒い空が見えていた。

2007-01-13 (6) 21:08:30 +0900

朝日新聞「パズル横丁」>白黒でジャンケン --- 問題の意味がやや不明確

2006年12月23日づけ朝日新聞大阪本社版科学面「パズル横丁」は 「白黒でジャンケン」。問題文を、前半の導入部を除いて引用する。

さて、問題です。 同じようにグー、チョキ、パーの何を出すかが、確率3分の1ずつで決まるように、 サイコロのような立方体を面ごとに白か黒かで塗り分けたいと思います。 ひとつの面だけを見ると、真っ黒か真っ白です。 これを1回振ったとき、立方体全体の見え方が三つのパターンになるようにします。

どう塗り分ければ、よいでしょうか。

このあとに「作・岩井政佳」と署名がある。

おもしろそうだなと思ったが、 「立方体全体の見え方」の意味がわからなかった。 真横とか真上のような特殊な方向以外の方向から見れば、 互いに隣り合った三つの面だけが見える。 その三つの面の色の組のことを言っているのかな、と思ったのだが、 それ以上は考えなかった。

きょうづけの同紙に答えが載った。 丸囲みの数字を番号つき箇条書きに変えて、引用する。

立方体の隣り合う2面を黒に、 残りの4面を白に塗る。 この場合、黒い面が

  1. 上面と側面にくる
  2. 二つとも側面にくる
  3. 一つだけ側面にくる(もう一つは下面)、
という見え方がそれぞれ確率3分の1で起こります。 白と黒が逆でも可です。

私の解釈は違っていたわけだ。 下面以外の五つの面の色を見てよいわけだから、 下面の色もわかることに注意しよう。

ところで、ほかに解がないかどうかがふれられていない。 パズルに応募する際の答えとしては書かなくても正解とされるのだろうが、 数学屋としては気になる。考えてみた。

黒で塗る面の数で分類しよう。 白と黒を入れ換えても同じことだから、 1、2、3の三つの場合を考えればよい。 (0は明らかに不適切。)

1のとき。

の三種類で、これはだめ。

2のとき。 隣り合う二面を黒に塗るのが、出題者の用意した正解であった。 残るのは向かい合った二面を黒に塗るやり方だが、

の二種類で、これはだめ。

3のとき。 必ず、少なくとも二面は隣り合う。 互いに隣り合った三面を黒に塗ると、 残りの三面も互いに隣り合っている。

でだめ。 向かい合った二面と、その間の四面のうちの一面を黒で塗ると、 で、このままでは四つのパターンになってしまうが、同じことを と分類すれば、確率は 1/3 ずつである。 問題文にある「三つのパターン」になっているとも思える。 もしそうなら、これも回答であろう。

付) 2の裏が5になっている普通のサイコロの、 2と5、それに4を黒く塗ることにする。 すると、上の三つの場合分けは、 「2か5」「3か4」「1か6」にあたる。 (ちなみに、2、4、 5はブランデンブルク協奏曲の中でフルートが用いられているものの番号である。)

付) 立方体には対称性があるが、 ここでは、塗り分けもこめた対称性が問題になってくるわけだ。

付) 白と黒は区別できると仮定されているわけだが、 どちらが白でどちらが黒か判別できるのかどうか、 が問題文でははっきりしない。 出題者の用意した解答では、できなくても大丈夫である。 上面と同じ色が側面に

  1. 1つ、
  2. 2つ、
  3. 3つ
あることで区別できるから。 私のあげたやり方はそうなっていない。 次項はこの話にやや関連する。

2007-01-13 (6) 20:32:30 +0900

「荒鷲隊」と「あらわ(な)肢体」とは同音だな

2006年11月12日づけ朝日新聞大阪本社版「写真が語る戦争」に 《日本軍航空隊の呼称「荒鷲隊」(あらわしたい)をもじって 「わらわし隊」と名付け》とある。

「表したい」も同音。

2007-01-13 (6) 20:25:48 +0900

アヒトペルって Google であまりヒットしないな

日本語のページは4件。 サムエル下 17,23 にあるように、自殺した人物である。

付)問題:聖書の中で自殺した人物を全てあげよ。

2007-01-13 (6) 03:11:56 +0900

「アルトの声:クリスタ・ルートヴィヒ」の「パルジファル」があったら…

…かなりぜいたくな感じがするだろうな。 ショルティ盤の「パルジファル」でホッターがティトゥレルを歌っているように、 往年の名歌手を小さな役で出すとぜいたくな感じがするのだが。 もう引退した(と思う)から絶対歌わないか。 それに、あまりに役が小さすぎるか。

2007-01-13 (6) 03:06:55 +0900

「当たり」がある福袋は富くじに該当しないのか?

そういう福袋の広告をこのお正月に見たような記憶がある。 当たると、かなりいいものがはいっているのである。 富くじを勝手に作って売ることは違法である。 それと同じことにならないか? 福袋と称すればいい? 現金が当たらなければいい?

2007-01-13 (6) 02:46:43 +0900

朝日新聞>なぜ「Today, Where did you visit?」の W は大文字なのか

9日づけ大阪本社版社会面「留学 シニアもGO」に、 《「Today, Where did you visit?(今日はどこを訪ねたの)」》とある。 日本人(と思われる男性)が 《観光から戻った外国人旅行者に英語で語りかけた》内容なので、 Where を大文字で始めたのはこれを書いた記者だろう。 なぜそうしたのか、わからない。 「鈴木裕」と署名あり。

なお、次にあがっていた《「Oh, Todaiji(東大寺ですか)」》 には終止符も感嘆符もないことに注意。

2007-01-13 (6) 02:37:58 +0900

朝日新聞>常用漢字外の漢字の、独自に“新字体”を作っていたやめるそうだ

9日づけ朝日新聞大阪本社版第一面によると、15日から、 常用漢字以外の漢字の字体が一部変わるそうだ。 例として、 「区鳥」(を一字にした文字)が「區鳥」(を一字にした文字)に、 「シ寿」(を一字にした文字)が「シ壽」(を一字にした文字) に変えるのがあがっている。 従来、朝日新聞は旧字体から新字体への字体の変更を当用漢字以外の漢字にも apply してきたが、それをやめる、ということだ。

これらは本来の字体に戻すほうがいいように思えるが、 「鯖」のつくりや「餅」のへんは、 「清」のつくりや「飲」のへんと全く同じほうがいいと思う。 「瀞」と「静」なども。

2007-01-13 (6) 02:22:25 +0900

死体損壊には被害者はいるのか?

いるとしたら生前にその死体だった人だろうが、 法律上、死者は被害者になりえるのだろうか?

2007-01-13 (6) 00:51:56 +0900

きょうの補筆箇所

2007-01-09 (2) 01:58:26 +0900

日曜日(7日)・月曜日(8日、成人の日)の日記

最初の予定では日曜日に街中へ出かけ、月曜日は仕事に行くつもりだった。 実際には日曜日は大風で、危険を感じたので家にいた。 午前4時ごろまでごそごそ。

月曜日。床の中でぐずぐずしていた。 11時30分から12時まで、英会話番組の録音。 そのあと起きて、また少し寝て、 出かけるためにラジカセをコンセントから抜こうとし、 折り曲げられたかけぶとんの上に手をついたら、 その間に寝床の中でながめていた「トリスタンとイゾルデ 前奏曲と愛の死」 のスコアがはいっていて、ぐしゃっとつぶしてしまった。;_;

その後、歩いて街中へ。 手袋をしてくればよかったと後悔した。 空気は冷たくなかったが、傘の柄が冷えて、傘を持っているほうの手が冷たかった。

香林坊大和8階についたら15時ちょうど。 銀座天一のランチが終わる時刻だ。それに伴い、 ウェイトレスさんがランチメニューのショーウィンドウの照明を消すなどしていた。 年末年始には見かけなかった、顔見知りの人で、あいさつされた。 そのあと、 オーケストラ奏者の譜面台みたいな形をした一般のメニューの位置を変えていたが、 それを置く際、脚の部分をぞうりを履いた足で踏んでいたのでちょっと驚いた。 (そういうことをするタイプの人だとは思っていなかったので。)

某店で昼食。 NHKテレビ「フランス語会話」までまだ8時間あったので、 「寝酒を飲んでも、翌朝、目が覚めれば酔っていない。それと同じ」 と考えてビールをとろうかと思ったが、 「月曜日は飲まない」と決めた以上、飲んではいけない、 ここは先生に“操”を立てよう、と考えて思いとどまった。 (別にテレビの中の先生にわかるはずはないのだが。)

食事をしたらなんだか眠くなってきた。 天一の前のイス(ロハ台)で休む。一瞬、眠ってしまったようだ。

帰ろうかと思ったが、どうも調子がよくない。 そのあたりをぶらぶらする。

地下の海苔売り場に行ったら、いつもの倍の大きさの缶があった。 缶の色は金で、新海苔とか書いてある。それにしようかとも思ったが、 いつもの店員さんに中がどうなっているか聞いたら、 いつものと同じだそうだ。 いつものサイズでも最後のほうは少し味が落ちてくるので、やめた。 いつものを買った。

歩いて帰る。なんだか頭というか目が痛くなってきた。 「フランス語会話」までもつか心配したが、もった。 もったから前項が書けたのだ。

風邪気味なのかも知れない。でもこれから風呂にはいる。 はいって悪化すればあすは仕事に行けないかもしれない。 でも、はいらないとあしたは外出できないから、 治る可能性に賭けてはいるべきだろう。

2007-01-09 (2) 00:20:20 +0900

NHKフランス語会話>一月 08 日(月曜日)放送分(速報)

(再放送を除けば)新年になって初めての放送なので、 後半の新作部分ではもしかして先生は振り袖姿!? と期待したが、違った。

2007-01-09 (2) 00:13:36 +0900

きょうの補筆箇所

2007-01-08 (1) 03:04:44 +0900

大きな二枚の餅の間にはさまれて餅ごと焼かれたら熱いだろうな

正月にお餅を焼いていたら手が熱く、イザヤの殉教の伝説が思い出されて。

2007-01-08 (1) 02:57:54 +0900

歴史的かなづかい回文>「一休み。ミスや問ひ」(ひとやすみみすやとひ)

全体では、はっきりした意味はない。

2007-01-08 (1) 02:44:12 +0900

回文>「ぷッ。そいつ、イソップ?」

「ぷッ」は吹き出した音。

旧カナということにし、 「不死王、ぐぷっ。そいつ、イソップ寓話集?」 (ふしわうぐぷっそいついそっぷぐうわしふ)とするとより長くなるが、苦しい。 「不死王」は不死であるとたたえられた王のこと、 「ぐぷっ」は擬音語。

2007-01-08 (1) 02:43:11 +0900

回文>「釜煎り、今か?」(かまいりいまか)

公開処刑が始まるのを待っている野次馬のセリフ。

2007-01-08 (1) 02:41:40 +0900

回文>「鴨川で我がモカ」(かもがわでわがもか)

鴨川近くの喫茶店にコーヒー豆をキープしているのか。

2007-01-08 (1) 02:38:18 +0900

回文>「志村・グラムシ」(しむらぐらむし)

連名で論文を書いた、と。

2007-01-08 (1) 02:33:39 +0900

回文>「互いに見交わす / すわ、神に鋳型」

かなで書けば「たがいにみかわすすわかみにいがた」。 「すわ」は感動詞。

「互いに見交わす / 若見、新潟」(たがいにみかわすわかみにいがた) ともできるか。若見さんは新潟、と。

2007-01-08 (1) 02:31:19 +0900

回文>「ケロヨンよろけ」

ケロヨンは昔テレビでやっていたカエルの形をしたキャラクタ。 確か着ぐるみに人がはいって演じていたと思う。 それがよろけた、という意味。

2007-01-08 (1) 02:29:03 +0900

ちょいズル回文>「『年男? ことぉし?』と」(としおとこことおしと)

ちょっとずるいのは、 「お」と小書きの「ぉ」を同じとみなしている点において、である。 俺が年男? 今年? ととぼけている様子。

2007-01-08 (1) 02:26:25 +0900

回文・架空駅名>「京王御池」(けいおうおいけ)

京王線が京都まで延びた、と。

2007-01-08 (1) 02:21:54 +0900

回文>「海抜、発売か」(かいばつはつばいか)

よく意味が通らない。

2007-01-08 (1) 02:20:33 +0900

回文>「住まいが買う / うかがいます」(すまいがかううかがいます)

このままでは前半の意味が通らない。 「『住まいが、か?』『うかがいます』」と問答にするか。

2007-01-08 (1) 02:16:42 +0900

「変わってくる」だけでなく、どう変わるかも説明できたほうがよいのだが

NHKフランス語会話>十一月 27 日(月曜日)放送分》 に書いた 《allemand が女性形 allemande になると「音も変わります」と説明された。 私は「d を発音するようになる」と思っていたが》に関連して。

私も教師なので、この番組を見るのはフランス語をおさらいするためだけでなく、 自分が数学を教える際の参考にもしようと思ってもいるのだが、 私の考えは 「もしもどういうふうに変わるのか簡単に説明できるなら、 単に『変わる』だけでなく、それを説明するほうがよい」というものであった。

以前、NHKラジオ「英会話レッツスピーク」の岩村圭南先生が、 ある単語について、「アクセントの位置に気をつけて」と注意しておられた。 同じくNHKラジオ「ビジネス英会話」の杉田敏先生は、似た局面で 「アクセントは第*音節にあります」と言っておられた。 後者のほうが情報量は多いから、そのような言い方ができる局面では、 そちらのほうが望ましい。

私は、 allemand と allemande の発音の違いを語末の d を読むか読まないかの違いだと間違って思い込んでいた。 だったら「d を発音するようになります」のほうが情報量が多いから望ましい、 と考えていたわけだが、そうではなく、 その前の母音の長さも変わってくるのだった。

私がフランス語を独学し始めたとき、一番気になったのは 「この子音字は発音するのか?」ということだった。 だから、そんなふうに考えてしまったのかもしれない。

付) ン十年ぶりに、ふと思い出したのだが、大学生だったときのこと。 2年後期になって“クラス替え”が行われたのだが、 初めて一緒のクラスになった女子学生が cœur を sœur のように発音したのでものすごくがっかりしてしまい、 前のクラスのほうがずっとよかった、と思ったのだった。 子音字は発音するかどうかだけが問題ではない、という例である。:-)

付) 数学の例を一つ。 「この正方行列を対角化せよ」という問題と、 「この正規行列をユニタリ行列で対角化せよ」 という問題の解法を比較しているとしよう。 このとき、「やり方が違ってくる」だけでなく 「固有ベクトルの直交化が必要になる」と言ったほうがよい。 ただし、言うことで煩雑になったり、不正確な言い方になったりするなら、 言わないほうがいいかもしれない。 冒頭に書いた allemand と allemande はその例であろう。

2007-01-08 (1) 01:51:11 +0900

外国語の四つの季節名の訳語は機械的に「春夏秋冬」でいいのか?

昨年十二月 04 日のNHKテレビ「フランス語会話」を見ていて思ったのだが、 四つの季節名を持つ外国語の場合、いつでも「春夏秋冬」と訳していいのだろうか。

フランス語の場合はほぼ問題ないと思うが、 気候がまるで日本と違う地域の言語の場合、順に訳語をあてはめてしまうと 「春」と訳しても日本語の「春」とは全然違う、ということもありえるわけだ。 昔、確かラジオのロシア語講座で、 「彼女といると夏のようだ」という訳文に出会った。 日本語でいうと「春のようだ」にあたるらしい。気持ちがよい、の意味。

2007-01-08 (1) 01:36:54 +0900

「一般に AB ≠ BA である」と「一般には AB = BA でない」とは違うのか

後者は「常に AB = BA とは限らない」という意味になろう。 つまり、「ある A, B に対しては AB ≠ BA である」、と。 前者は「常に AB ≠ BA である」の意味になるかな? 「一般に AB = BA である」なら「常に」の意味だが。

2007-01-07 (0) 23:08:11 +0900

新聞折り込み広告のトイレ用ミニ風水画のチラシをトイレに貼ろうかと考えた

本当にこの絵にそんな力があるのなら、 このチラシの写真を切り抜いて貼っても効果があるかと思ったのだが。

私がチラシを作る側なら、 「この広告の写真を切り抜いて貼っても効果はない」 と思わせるような何かを織り込むだろう。 (この広告には“絵の一部に金箔を使用している”と書いてある。 そうでないと効果がないと断り書きを入れる手もありそうだ。 この広告にはもちろん金箔は使われていないから。 あとはサイズかな。原寸大でないと効き目がないと書く。)

付)私は風水を信じてはいない。 ただ、おもしろいので考えてみたもの。

2007-01-07 (0) 22:46:50 +0900

お正月の間、玄関の扉の裏に貼っていた、おせちの広告をはがした

B4ぐらいのサイズで、真ん中に大きく「迎春」と書いてあり、 回りにおせちの写真がいくつも載っているもの。 なかなかよかった。

2007-01-07 (0) 22:44:54 +0900

ローエングリン>一年間エルザといたら子どもが生まれると思ってたのかな?

どーでもいいんだが。

2007-01-07 (0) 22:31:34 +0900

神々のたそがれ>ギービヒ家では「ワルキューレ」第一幕が演じられていた…

…ってのはどうかな? 序幕と間奏が終わり、 第一幕の幕が開くとグンター、グートルーネ、 ハーゲンの三人が舞台上にいることになっている。 落語には、芝居があまりに好きなもので、 芝居のまねをしないと気がすまない若旦那とかが出てくるが、 それと同じように、彼らは「ワルキューレ」第一幕ごっこをしていた、 というのはどうかな?  グンターとグートルーネとが近親相姦に近い関係であったという演出があるようだが、 ってところから考えたもの。

2007-01-07 (0) 22:28:24 +0900

それともうひとつ。 「ニーベルングの指環」全体が完成する前に、 「ラインの黄金」と「ワルキューレ」だけが単独で上演された、 というのも踏まえている。

2007-01-18 (4) 19:27:34 +0900

ギービヒ家の三人は「ラインの黄金」「ワルキューレ」 を見たので続きが待ち遠しく、そこで「ワルキューレ」第一幕ごっこをしていた、 というわけ。

2007-01-23 (2) 01:46:55 +0900

ラインの黄金>フロー:ドンナー=ジークフリート:グンター、はどうかな?

フローとドンナーは兄弟ということになっていたと思う。 演出上、よくわからない何かがあるのだが、 それは「神々のたそがれ」 で義兄弟の契りを結ぶジークフリートとグンターを見るとようやくわかる、 というもの。

2007-01-07 (0) 22:26:33 +0900

「ミイラ取りがミイラになった」は「ごみ取りがごみになった」と同じか

私は普通「ちりとり」と呼ぶが、「ごみ取り」という言い方もあるらしい。

ごみ取りも、壊れればごみになるだろう。 「ミイラ取りがミイラになった」もそれと同じか、というのである。

2007-01-07 (0) 22:25:47 +0900

NHKフランス語会話>十二月 11 日(月曜日)放送分

元日に放送がなかったこともあり、先生とはちょっとごぶさたしてしまった。 生で番組を見るのとビデオを見るのとを合わせても、二週間ぶりかな?

前半については 《NHKフランス語会話>六月 12 日(月曜日)放送分》 も参照のこと。

「これは携帯電話です」 をミカエルさんがフランス語で言ったあと先生にカメラが切り換わると、 先生は(カメラでなく)やや画面の左を見ておられる。

Avec Ananda を見るため集まってくるとき、 フランツさんは直前の練習問題で使った framboises を口に運んでいる。 こういうところでちょこっとふざけるのがかわいいな。

その Avec Ananda はユダヤ人街なんだけど、 去年六月に放送されたころ、 私はユダヤ人みたいにしようと思ってヒゲをはやしていたんだっけ。 結局、うまく伸びず、 《水泳に備えてひげを剃ったら顔の形が変わっていた》 に書いたように剃ってしまったのだった。

Ananda さんはそこで売っている食べ物の名前を知らず、 ファラフェルという名前は店員から教わるという設定だが、 「Alors un falafel, s'il vous plaît.」 と男性名詞であることがわかったのはなぜだろう、 と今回、生で見たとき疑問に思ってしまったが、 テキストを見たら、 その前に店員が「qu'on appelle le falafel」と言っているのだった。 この le を聞き取っていたわけだ。 もしも母音字や無音の h で始まる名詞だったらわからなかったのかな?

「Qu'est-ce que vous vendez dans ce magasin?」の説明の中の、 「Qu'est-ce que のあとに主語と動詞を続けると」のところ。 「主語と動詞を」に合わせて二度、先生は首をちょこっと振られ、 また同時に、「主語と」に合わせて、 手前に出ている半透明な部分のかげで左の人差し指をちょこっと動かしておられる。

前にあった、あまりうけなかった芝居 (《NHKフランス語会話>六月 12 日(月曜日)放送分》 の最終段落参照)はなくて、 後半約9分が「フランス風物詩」。 アコーディオンの Daniel Colin さんとギターの Dominique Cravic さんがゲストだ。 いつもとは異なり、フランツさんが司会をしている。 ジェニファーさんはジーパンにさっぱりした感じのシャツ。 それに、髪を長く自然に垂らして、少女みたいにかわいらしい。 (ミカエルさんの描写は省略。)

曲目は「パリの空の下」。 それから「Passion」。これは受難の意味ではないらしい。 そして最後は「ホワイトクリスマス」。 そのまま番組はおしまいで、いつもの、夜景のエンディングもなかった。

「フランス風物詩」なのに先生が出なくてがっかり。 フランツさんが“クリスマスなのでサプライズ云々”と言ったときには 「もしかしてマリアに扮して登場される?!」と思ったりもしたのだが。

付) faire の活用形 faites が出てきたが、最初これに出会ったとき、 二人称複数の形なのに -z で終わっていないので驚いたっけ。

付) ジェニファーさんの髪型を「自然に垂らして」と書いたが、 どうもそうではないようだ。 まず適当なところで髪を左右に分ける。 次に、その“上”というか“手前”の部分を、残りの下、 うなじの上で束ねているのではあるまいか。 そして、残りの毛を左右二つに分けて肩の前に垂らしている。 私はそう推測した。 (残りの下でなく上で束ねれば、クワイ=ガン・ジンのようになる。)

付) どこかで、先生が「le ではなくエル・アポストロフの形」とおっしゃっておられた。 le は単語を発音したのに対し、エル・アポストロフはつづり字を言ったわけだ。 一貫性を持たせるなら 「エル・ウーではなくエル・アポストロフの形」あるいは 「エル・ウーの le ではなくエル・アポストロフの l' の形」 などとなるのではあるまいか。

2007-01-07 (0) 22:25:28 +0900

「カナルキュルチュール」と、 間に「・」を入れない表記が字幕に使われていたように思う。 一月8日の放送分で「カナル・キュルチュール」という字幕を見たら、 それとの対照で「カナがずいぶん並んでいるな」と感じたことを思い出したが、 この回の分に上書きしつつ録画していたのでもう確かめることはできない。

2007-01-09 (2) 00:07:37 +0900

回文>「いしる・グミ、見苦しい」(いしるぐみみぐるしい)

全体では意味はない。

2007-01-07 (0) 20:13:23 +0900

回文>「いま、塩をおしまい」(いましおをおしまい)

いま、塩をしまってしまいなさい、と言っているのである。

2007-01-07 (0) 20:09:55 +0900

歴史的かなづかい回文>「ヘラクレス、こすれ、食らへ」

本文ナシ

2007-01-07 (0) 20:09:55 +0900

回文>「まさしく薬師様」(まさしくやくしさま)

本文ナシ

2007-01-07 (0) 20:05:33 +0900

ローマ字回文>Urekake ni Makatu, Takamine Kakeru

漢字かなまじり文で書けば「売れかけに磨羯、高峯駆」。 「磨羯(まかつ)」は十二宮の一つである磨羯宮。 「高峯駆(たかみね・かける)」は、 《朝日新聞>遺体は「何切れに切断」でなく「何カ所を切断」と報道する》 に書いた事件の被害者の、女優としての芸名だそうである。

この名前をインターネット上のニュースで初めて見た直後に Google で検索したところ、 見つかったのは3件のみで、1件めは本人によるブログ --- 閉鎖されていたが、キャッシュは見ることができた --- だったから、 「売れかけ」の女優だったと言っていいだろう。 そして、事件当時も、いまも、太陽は「磨羯宮」にある。

ローマ字で書いてここまで逆に“読める”姓名は少ないと思うので、 記しておくことにした。

2007-01-07 (0) 17:54:21 +0900

四段動詞「罷る(まかる)」に、古語としての用法だが、「死ぬ」の意味がある。 その過去形は「まかった」。 「あっ」はローマ字での書き方は決まっておらず、 「a'」とするのが一つのやり方だが、 語の中では次の子音字を重ねるので、それを語をまたぐときにも適用してしまうと、 「Urekake ni makatta, at, Takamine Kakeru」 (売れかけにまかった、あっ、高峯駆)が回文になる。

2010-07-11 (0) 01:36:28 +0900

回文>「花子よ粉は?」(はなこよこなは)

本文ナシ

2007-01-07 (0) 17:51:53 +0900

回文>「肉まん撒くに」(にくまんまくに)

舞台の上から役者が客席に食べ物を撒くことがある。それ。

2007-01-07 (0) 17:50:16 +0900

回文>「険しい仕分け」(けわしいしわけ)

本文ナシ

2007-01-07 (0) 17:48:57 +0900

「クラインの尿瓶」って考えてるやついないかな

「クラインの壷」は「クラインの瓶」ともいう。 英語では Klein bottle だから、そのほうが近いかも。

そこで考えてみた、単なるナンセンス。

2007-01-07 (0) 16:45:41 +0900

英語に大過去ってあったっけ?

2006年11月29日づけ朝日新聞大阪本社版「文化総合」面の、 「大阪市大の石田佐恵子助教授(社会学)」による、 ドラマ「芋たこなんきん」の評。

英語には「過去よりさらに前に起こったこと」 を表す時制「過去完了形」があるが、 「芋たこ」は過去完了形のドラマである。 昭和40年代という「過去」を舞台とし、 さらに町子の回想(昭和初期から戦中)という「大過去」にさかのぼる。 この時制は、過去のある時点を基準にして、 それ以前の行為がどのように影響していたかを説明するための表現だ》 とある。 この「過去完了」「大過去」は文法用語を転用したもので、 実際に全てのセリフや語りにそのような時制が用いられているわけではないと思う。 (「大阪弁」としか書かれていないが、 このドラマには日本語が用いられているはず。 評の後半ではこの比喩がずっと続くが、意味するところは 《「芋たこ」では、37歳の町子の結婚前後を軸に、 折々に子ども時代を回想する》ということ。 英語の文法用語は借りてきただけで、深い意味はないように思われる。)

英語にも「大過去」があったかな、と気になったので辞書を見たところ、 past perfect, pluperfect の訳語らしい。 意味するところは「過去完了」と変わらない。

付) フランス語では plus-que-parfait で、この s は発音するんだ。

2007-01-07 (0) 01:50:56 +0900

朝日新聞>「べーカー」の誤植がまた。(「べ」はひらがな)

2006年12月1日づけ大阪本社版国際面 『「シリア・イラン関与を」』に二度、「べーカー」という誤植が見える。 「べ」がひらがななのだ。正しくは「ベーカー」。

2007-01-07 (0) 01:48:16 +0900

朝日新聞>きのうのラジオ面「ビジネス英会話」には「再」マークがなかった

ふだんは火・木・土は前日の放送と同じものが流れるため、 再放送を意味する「再」のマークがつく。 しかし、今週は木曜日(4日)から放送が始まったため、 三日とも新しいものが放送された。 それに合わせて、「再」マークはなしだ。

「英会話入門」と「英会話上級」は、土曜日は再放送だった。 (木曜日の再放送はなかった?)

2007-01-07 (0) 01:35:16 +0900

「台湾新幹線」を九州新幹線が台湾まで延びたと思う人はいないか

それなら途中沖縄を通るはず?

2007-01-07 (0) 01:33:47 +0900

トイレに飾る風水油絵は、便器やふたにはりつけてはいけないのか

壁にかけることもタンクの上に置くこともできるというふれこみだが、 うちはどちらもできない。 便器のふたや便器そのものにはりつけていいなら可能だが、 もともと風水には興味がないので関係ない。

油絵でなくシールのようなものならもっと簡単だろう。 便器の内側に貼ったりするのはできないものか。 (それでも興味ないから買わないけど。)

2007-01-07 (0) 01:17:40 +0900

「厄年」は「躍動し」に通じるから実は縁起がよい、なーんちゃって。

本文ナシ

2007-01-06 (6) 21:13:59 +0900

きょうの補筆箇所

2007-01-06 (6) 03:00:04 +0900

回文>「寄席のぼり・リボ載せよ」(よせのぼりりぼのせよ)

寄席のぼりってのは、よく知らないが、 NHK「ラジオ名人寄席」の最初で玉置宏が言う決まり文句に出てくる。 リボはリボ払いの略。

全体では意味はない。

2007-01-06 (6) 02:51:38 +0900

クイズ>「ひきふり・ふりにげ・ひきにげ」の中でやってはいけないのは?

「弾き振り」はバイオリンなどを弾きながら楽団の指揮をすること。 「振り逃げ」は野球用語。 「轢き逃げ」は犯罪になる。

「ひき」「ふり」「にげ」 の組み合わせで三つの動詞ができるのがちょっとおもしろいな、と思って。

2007-01-06 (6) 02:48:59 +0900

回文>「圭南・岩村、ラム・ワイン無いけ?」

全部かなで書けば「けいなんいわむらラムワインないけ」。 圭南・岩村はNHKラジオ「英会話レッツスピーク」 を担当しておられる岩村圭南先生のお名前を名・姓の順に言ったもの。 ラムとワインは酒の名で、 最後の「け」はここ金沢の方言で「か」の代わりに使うもの。 でも、「ないか」の意味で「ないけ」というのは、学生はときどき使うものの、 “正しい”金沢弁ではないような気がする。

全体で意味はない。人名を逆に言ってみたら、というだけのもの。

2007-01-06 (6) 02:44:26 +0900

朝日新聞>遺体は「何切れに切断」でなく「何カ所を切断」と報道する

5日づけ大阪本社版社会面「妹の遺体切断 兄逮捕」に 《……の遺体を頭部や両肩、腹部など十数カ所にわたって切断した疑い》 とある。

いままで、 このような事件は「遺体を*つに切断」のように報道されると思っていたが、 そうではなく、切断した箇所の数で報道するようだ。 ほかのメディアも同様だった。

旧約聖書「士師記」19,29「その家に着いたとき、 刀を執り、めかけを捕えて、そのからだを十二切れに断ち切り」 が私の頭にはあったのかもしれない。 この直後には「それをイスラエルの全領域にあまねく送った」が続く。 イスラエルの十二部族と数を合わせるため、 ここは十二切れでなければならないのであろう。

なお、人体はほぼ単連結なので、n カ所で切断すれば n+1 切れになる。

付)上に引用した記事の見出しは五七五になっている。

2007-01-06 (6) 02:32:56 +0900

男性が再婚相手の女性の子を虐待するのは民法のせい、との主張はないのか

夫婦の同居義務は民法に書かれているが、 それをやめて通い婚を復活させれば、 子と一緒にいる時間が減って虐待も起こりにくくなるのではあるまいか、 と主張している人はいないものか。

2007-01-06 (6) 02:26:44 +0900

「ローマ人の物語」の広告における「多民族」と「多神教」

1日づけ朝日新聞に掲載された、新潮社の、塩野七生「ローマ人の物語」の広告。

ローマは、宗教や肌の色の違いをも超えて、 多くの人々が共存共栄を謳歌した多民族で多神教の帝国だった。 その帝国の基礎にあったのは、「寛容の精神」であり、 「開放性の気質」である。

いまなお地域紛争が絶えず、「非寛容」がまかり通る混迷の時代の21世紀にあって、 ローマ人の知恵から学ぶべきものは多いにちがいない。

「多民族」は多くの民族がいることなので主語ローマと合うが、 「多神教」はある宗教が複数の神を認めることであるから、合わない。 多くの人が多神教を信じていた、ということか。 すっきり理解できないのでしばらく考えていたのだが、 もしかして、 「多神教」ではなく「多宗教」と言いたいのではないか、と気がついた。 それならローマと合うし、寛容・非寛容の話ともうまくつながる。

NHKテレビ「フランス語会話」で聞いたところによると、 現在のフランスにはイスラム教徒がかなりいる。 カトリックに次いで第2位で、プロテスタントが第3位と言っていたと思う。 仮にそこまでだけを考えるとすると、 フランスは「多宗教」の国ということになるが、 「多神教」であるわけではない。

2007-01-06 (6) 02:23:00 +0900

一月2日・3日の日記

2日。体調があまりよくなかった。 12時台のラジオ名人寄席再放送を聞き、少し眠る。 やっぱり、歩いて街中へ。 無料開放の兼六園を少々歩いて、お目当ての香林坊大和へ。 きょうが初売りなのだが、 知っているお店の人で着物姿だったのは8階「銀座天一」 のウェイトレスさんだけだった。 (ちなみに、その人はいつも和服姿。) 残念。 全体に、晴れ着を着る店員さんは減ったようだ。昔はかなり見かけたのだが。

お腹が空いてきたが時刻が中途半端なので、お店にははいらず。 地下で「味煎」210g 入りを 504 円で売っていたので買う。 海苔売り場のいつもの店員さんにあいさつしてから、 お酒売り場でヱビス〈黒〉と琥珀ヱビスの 350ml 缶を買う。

外に出たら暗くなっていた。雨がぱらついている。 中央公園で立ったまま傘をさしてビールを飲む。 缶の口はトイレの洗面所で洗った。 ベンチのてすりに缶を置き、 腕にかけた袋から味煎を取り出してつまみにする。 一缶のつもりが、二缶とも飲んでしまった。 味煎は8割ぐらい食べたか。 ほとんど人は通らなかった。

歩いて帰る。家に着いたら頭痛がしてきた。

3日。体調がよくないので、一日じゅう家でごろごろしていた。

7時半から9時40分まで、実写版「ちびまる子ちゃん」の再放送。 目が覚めたので、途中から、起きているような眠っているようなで、見ていた。 いやにCMが長い。 もしも第2弾のほうだったら、 ビデオに撮りそこなったエンディングをよく見ようと思ったのだが、 どうも第1弾のほうだったようだ。

12時台はラジオ名人寄席。

19時から21時、 NHKニューイヤーオペラコンサートを教育テレビとFMで見聞きする。 お目当てはもちろん藤村実穂子である。最後、トリだった。 曲は「カルメン」から「ハバネラ」。ワーグナーでないので残念だが、 すごい。格が違うって感じ。貫禄もあるし。 聞きながら、「ああ、この人の『大地の歌』を聞いてみたい!」と思ったので、 放送終了後、 Google で検索してみたが、コンサート評はあるものの、CD はないようだった。

2007-01-06 (6) 00:51:58 +0900

太陰太陽暦で毎年同じ日に花を咲かせるサクラがあれば、それは極めて珍しい

きょうのNHKラジオ「英会話入門」で、 小泉八雲原作の「うばざくら」をやっていた。 (テキストを買わずに聞いているだけなので、 「うばざくら」はこの文字づかいは合っているかどうか、わからない。)

話の終わりは、254年間にわたって、 毎年二月16日にそのサクラが花を咲かせたというものなのだが、 旧暦が使われていた時代の話であることを思うと、 これは極めて珍しいできごと、ということになる。 旧暦の特定の日付は、新暦から見れば約一カ月の範囲を動くからである。 (《「旧暦の季節感」には常に一カ月のあいまいさがある》 参照。)

遠山顕先生を含めて、出演者は気づいておられないようだったが。 もっと前の、素朴な太陽暦が使われていた時代の物語なのか!?

2007-01-04 (4) 22:08:55 +0900

岩波文庫創刊時の新聞広告のコピーが朝日新聞に載っていた

1日づけ。

回りの広告もおもしろい。 くみとり式便所だった時代に、 煙突のようなものの先についたものがくるくる回って換気するのがあったが、 それ。「便所排具」というらしい。

「読書子に寄す」は、いまの岩波文庫に載っているものと比べると、 文字づかいだけでなく、読点も違う。(今のほうが多い。)

約百頁を単位として星一つを以てそれを現はし、 ★一つ毎に二十銭の定価です」としたあと 「★★或は★★★★は、夫々二百頁或は四百頁の本一冊なる事を示し、 百頁の本二冊或は四冊ではないのです。 ★七つ位」までは一冊に纏るつもりです」と説明している。

2007-01-02 (2) 02:24:12 +0900

四十年前の元日は日曜日だったんだよな / ウルトラマン見た記憶があるから

実家では昼すぎからゆっくりと初もうでに行く習慣があった。 絶対にウルトラマンまでに帰るんだと両親に訴えた記憶がある。

2007-01-02 (2) 01:53:55 +0900

去年のバイロイト「オランダ人」に出た歌手名「ヤーッコ・リュヘネン」

2006年12月29日づけ朝日新聞大阪本社版テレビ面の、 19時30分からのバイロイト音楽祭 2006「さまよえるオランダ人」 のところにそう表記されている。 長音符に促音が続くところが珍しい。放送でもそのように発音されていた。

2007-01-02 (2) 00:56:35 +0900

「トリスタン」最後の和音はオーボエの Dis 音が前からつながっているが

その1.これは全体の理念的な調である(と言われるが私にはわからない) E-dur の導音であり、 それが最後の最後で一瞬、それだけで奏されることには深い意味があると思うのだが、 それについて言及しているのを読んだことはないし、 手元のピアノスコアではそのことは無視されている。 (ピアノではこんなに長く単音を伸ばすことはできないのかもしれないが。)

その2.このオーボエが一本でなく二本のユニゾンであることに、 つい先日、気がついた。

その3.もしも第一オーボエのみタイ、第二オーボエはタイなし、 だったら楽譜はどう書けばよいのか? 全音符を二つずつ書き、 タイを上のみ(i.e. 下に開いたカッコのように)つければよいのか?

2007-01-02 (2) 00:35:31 +0900

「トリスタン」最後の和音にイングリッシュホルンが加わらないのはなぜ?

それ以外の全楽器が和音を奏するのに。

2007-01-02 (2) 00:31:07 +0900

「トリスタン」最後の和音で F 管のホルンが B(実音 Es)なのはなぜ?

最後は H-dur だから、意味するところは Dis のはすで、 だったら Ais と記譜するべきではないかと思ったのだが、これでは読みが浅いのか。 それとも、単に奏者になじみのより深い(であろう)B を選んだだけか。

2007-01-02 (2) 00:21:59 +0900

元日の日記

きのうは午前4時まで起きていたので、目覚めたのは昼前だった。

郵便受けまで年賀状を取りにゆく。 お雑煮などをいただいたあと、12時台は「ラジオ名人寄席」の再放送を聞く。 年賀状は、返事を書いただけでなく、住所録の整理まで済ませてしまった。 (受け取ったことを示すマークをつけ、 住所などの変更があった場合は修正するだけだが、 いつも、何カ月もこれをせずに机上にほったらかしにしていたのだった。)

返事を投函にゆく。 雪は少し残っていたので、ところどころ、歩くのに注意が必要だった。 晴れているので、かなり気温が下がったようだ。 雪の上を吹いてくる風が冷たい。 少しおなかが空いていたので、サイゼリヤへ寄ることも考えたが、 そうすれば飲んでしまうのは明白。 きょうは月曜日で、 月曜日は酒は飲まずに「フランス語会話」を見ると決めていたから、 サイフは持たずに出かけた。 (きょうは「フランス語会話」の放送はないが、約束は約束。)

19時20分からは「ラジオ名人寄席」。 途中、食事の間はラジカセで録音しておいた。あした聞こっと。

ことしはなんでも早めにやってしまうよう心がけるつもりだ。 三日坊主になるのも早めにならなければよいが。

2007-01-02 (2) 00:18:23 +0900

もちを焼きながら讃美歌 411 番を歌ったことも記しておこう。 「あたらしい年は」の歌詞が出てくる。

2007-01-08 (1) 02:59:37 +0900

時差があることを忘れている書き込みを見かけるが

「あけましておめでとう」の書き込みが昨年のタイムスタンプで、 それに対し「フライングだ」とのコメントがついている掲示板を見た。 国内にも時差があるアメリカ合衆国のような国なら、 ずっと前から時差のことは認識されているんだろうが。

ことしはヨーロッパ出張中の知人とメールをやりとりしたので、 こっちからの「よいお年を」に対し、直後に向こうから「おめでとう」が返ってきた。

2007-01-01 (1) 18:21:27 +0900


すのもの Sunomono