福井晴敏 06 | ||
6ステイン |
ね? 短い小説だって書けるんです
書店で福井さん自筆のポップを見かけたのは、本作を買う前のこと。まるで自分に対して言っているかのようで、苦笑してしまった。よし、それなら読んでみようじゃないか。こうして『Twelve Y.O.』以来の福井作品を手に取ることにした。
いつか『亡国のイージス』を読もうと思っているうちに、『終戦のローレライ』が刊行された。両作品とも大ヒットを記録し、映画化が進行しているのは周知の通りである。それでもなかなか触手が動かなかった。遅読の僕にとっては、あの長さがネックだったのだ。よほど惚れ込んだ作家であっても、超大作を読み通すにはエネルギーを要する。
結論から言うと本作は面白かった。同時に、やはり福井晴敏は長編の作家なのだと強く思った。僕が勝手に想像するに、これらの短編作品で福井さんは書きたいことの半分も書けていないのではないだろうか。
ネタからして長編向きだ。存在を秘匿された組織、市ヶ谷―防衛庁情報局。主なキャストはここに所属する工作員。彼らの任務の背景にあるのは、国益という名の汚れたパワーゲーム。「市ヶ谷」はデビュー作『Twelve Y.O.』から登場していたが、あのくらいの標準的長さでも背景がわかりにくいと感じたのは感想に書いた通りである。
それでも本作を面白いと感じ、多少なりとも感情移入できたのは、各編の主人公たちが組織に抗い、人としての存在意義を自問していたからに他ならない。普通の精神力、体力では務まらない裏の仕事。上層部同士の利害など与り知らぬこと…のはずではなかったか。何のために? 義憤? 贖罪? ただの自己満足?
書きたいことを思う存分書いたのが『亡国のイージス』であり、『終戦のローレライ』なのだろう。次の長編が刊行される前に、重い腰を上げたいものだが、はてさて…。