山口雅也 21


キッド・ピストルズの最低の帰還


2008/06/06

 前作『キッド・ピストルズの慢心』から約13年。待望のシリーズ復活作に冠せられたタイトルは『キッド・ピストルズの最低の帰還』。このタイトルは『シャーロック・ホームズの帰還』をパクったと思われるが、山口雅也流の照れ隠しに他ならない。

 全5編中、「アリバイの泡」と「鼠が耳をすますとき」だけ初出時期が古く、1995年となっている。この点について、キッドとピンクが新しい冒険譚の発表をさぼっていたので、山口さんが重い腰を上げてもう3編を書き上げた、と言い訳しているのはご愛嬌。

 「誰が駒鳥(コック・ロビン)を殺そうが」は、『妄想』に収録の各編に通じるものがある。弓道を極めんとする駒鳥(ロビン)卿は、根底に流れる禅の思想に悩む。悩みぬいた末に卿がとった行動を、妄想と切り捨てるのは簡単だ。事件そのものは合理的に説明されるが、キッドは背景を見逃さない。これぞ山口流にして、キッドの復活に相応しい。

 容疑者が三つ子というややこしいシチュエーションの「アリバイの泡」。鍵はタイトル通り「泡」とだけ言っておく。キッドは文系かと思ったら理系でもあるのか。

 自分自身の先入観に気づかされる「教祖と七人の女房と七袋の中の猫」。どちらが加害者で、どちらが被害者なのか。正義とは何なのか。このシリーズには珍しい大がかりなトリックがバカミスっぽさを醸し出しているが、キッドが粋な計らいを見せる。

 これはさすがにどうなんだろう…「鼠が耳をすます時」。科学的にこういう事例はあるのか? キッドを心酔させた《三匹の盲目の鼠》の演奏は聴いてみたい。

 「超子供たちの安息日」は、これまた山口流ミステリの真髄。舞台は超能力を持つ子供たちが集められた研究施設。作品世界の構築に偽装は一切ない。だからあくまでフェアなのだ。子供たちを実験対象としか見ない大人の、何たる身勝手なことか。

 新作と旧作が違和感なく並ぶ。つくづく懐が深いシリーズだ。祝復活!



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