TAKEKO [ホームへ戻る] 【メール】

◆母と娘のヨーロッパ見てある記◆

  2月21日(木)くもり のち雨・雪 

雨と雪のザルツブルク
昨夜は二人とも列車の旅で疲れてしまって、夕食と洗濯の後はそのまま寝込んでしまっていた。目が覚めると午前4時。 時計のタイマーを5時半にセットして 寝る。朝、起きてシャワーを浴びた。洗濯物はスチームのおかげですっかり乾いていた。昨日買っていたパンと飲み 物で朝食をとり、荷造り。7時にはペンションを出る。 朝早いので、部屋の鍵と1階の鍵2本は、指定された所へ置いて出た。

5分もしないうちに駅につき、列車のホームを確認するとウィーン行きは4番線だった。ペンションから駅までの道は、 通勤や通学の人々でいっぱい。しかし、車はほとんど 通っていない。昨日までのローマの喧騒とは対照的に、静かで落ち着いた、しかし活気のある朝の風景だ。町を歩 いていると、信号も守られているし、歩道は広いし、 路上駐車もほどんどなく、建物も新しいので、日本の街角を歩いているような気さえしてきた。

駅のホームも全然散らかっていないし、インスブルックの街全体がとても清潔な印象だ。インスブルックからザルツ ブルクにいたる列車のルートは、景勝ルートと ガイドブックに書いてあったが、左右にアルプスの山々が白く連なり、そのふもとには白壁とオレンジ屋根のかわ いい外観の家が並んでいて、確かに絵のような風景だ。

8:45頃よりみぞれのようなものが降り出した。外の風景は、なだらかな緑色の丘陵地に木々が所々かたまって 生い茂り、点々と民家もある。さながらアルプスの 少女ハイジの世界だ。車窓から見る限り、畑はよく手入れされているものの、川や湖にはほとんど人間の手が 加えられていないように見える。それに看板というものが 見当たらない。自然の風景が自然のままに、ただそこに置かれている。絵のような、とはこういう風景をいうのであろうか。

ローマでは、街のいたるところに大看板があって、それも女性の下着姿の広告がやたらに目に付いたものだが・・・。 パリとローマは、街並みも、古い建物 が市の中心部を形成しているところも、道路の両脇が駐車場を兼ねているところも、言葉の発音もつづりも何となく 似通っていた。それに比べると、ドイツ語圏オーストリア に入ると、明らかに街の雰囲気からガラリと変わり、言葉は勿論、文化の違いも肌で感じる。そんなことを考えてい るうちに、9:30ザルツブルク到着。

ザルツァッハ川と旧市街地川向うの旧市街地をのぞむ モーツァルトの生家モーツァルト生家 看板がユニークな旧市街地商店街ユニークで楽しいお店の看板
ザルツブルクは半日だけの予定なので、駅のコインロッカーを探してスーツケースを預け、身軽になっていざ出発。ところが歩き出して間もなく、また雨になった。又しても傘の お世話に。ちょうど私たちの前を遠足か見学らしい生徒達の集団が歩いていたので、ついて行くことにした。ガードをくぐって十数分でミラベル宮殿へ到着。ここは サウンド・オブ・ミュージックの舞台となったお屋敷だ。宮殿内には入らず、庭園の外側からまわって川べりに出て、歩行者用の細い橋を渡って、旧市街地へと足を踏み 入れた。そこからものの数分、細い路地を入った所にモーツァルトの生家はあった。2人で10ユーロ払って、中の展示物を見る。モーツァルトの手紙や楽器や自筆の 楽譜や、写真などが多数あった。ここにこれただけでも、ザルツブルクへ来た甲斐があったというものだ。11時になり、丘の上のホーエンザルツブルク城を目指す。

大聖堂のあるレジデンス広場から、その奥に進んでケーブルカーに乗ろうとしたら、シーズンオフのためか、何とケーブルカーの発着所は工事の真っ最中で 運転を休止していた。かといって歩いて登る時間はないので、サウンド・オブ・ミュージックのマリアのいたノンベルク修道院の屋根が見えてきたところで、再び橋を渡り、 新市街地側へ戻った。

この頃から、私たちの背後から追いかけてくるように真っ黒な雲が足早に近づいてきたと思うや、猛烈に風雨が強くなった。私たちの行く手の方から横なぐりにみぞれが 叩きつけ、やがてそれは雪に変わり、約15分くらい空は黒雲に覆われ猛烈な吹雪が続いた。私たちの傘も折れそうで、ズボンには雪が張り付き、とうとう歩けなくなって 雨宿りならぬ雪宿りした。私も娘も体の前半分は雪だらけになっている。寒いし、こんな中を無理して歩くことはなかったと反省。小康状態になったので再び歩き出し、 ミラベル宮殿に着いたあたりからやっと風がおさまり小雪に変わったが、とても寒い。持っていたマフラーと手袋がありがたかった。

12時過ぎには駅に着いたので、カフェに入り、サンドイッチと熱いコーヒーで昼食。予定より少し早い13:10発のIC(インターシティー)でウィーンを目指す。私たちの 乗った列車は、ザルツブルクとウィーン西駅間を走っているらしく、つまり始発列車だったので、予約の入っていないコンパートメントを探して入り、日記を書いている。 そういえばザルツブルク市内で日本円3万円を両替したら、手数料9.8%も取られ、212ユーロくらいにしかならなかった。今までで一番高い手数料だ!さすが観光地と いうか、とても損した気分だ。

16:40ウィーン西駅着。外はまたしても雨。まずあさって乗る列車の予約をする。追加料金6.8ユーロ。次にさっそく宿探しだ。駅構内を出ようとしたところで、年とったおじさ んが「チープホテル、テンユーロ。チープホテル、テンユーロ」と私たちをめがけて寄ってきた。安宿を10ユーロの手数料で紹介すると言っているのだ。確かに安宿を今 から探す所だけど、10ユーロの手数料は高い。それに第一私たちの姿を見るやチープ・チープと連呼するのが気に食わない。「自分達で探します、フン!」と 思い切り日本語で言って、横向いて、おじさんを無視してスーツケースを引っ張って歩いた。

旧市街地に向かってしばらく歩き、ペンションアンナの看板を見つけ、さっそく行ってみる。頑丈な出入り口を入って、2階の受付へ娘が行く。朝食つきで72.6 ユーロとのこと。ちょっと予算オーバーなので、次を探す。まだ5時半なのにそろそろ暗くなってきた。ホテルのありそうな通りを勘で歩く。次のホテルは食事なしで70 ユーロ、朝食付で84ユーロとのこと。ここも諦めてまた表通りに出て、キョロキョロと“ホテル”の看板を探す。すっかり暗くなった通りにはきれいな商店が並び、人通り も多く、パリを思わせる外観のビルが目に付く。華やかな通りだ。

と、表通りから少し入った路地に、娘がペンションと書いた看板を見つけた。中に入ると、巾の広いらせん階段がぐるぐると上へ続き、リフトはどうやら故障中。 建物全体がとても古い。娘が階段を登って行って、3度目の交渉。呼び鈴の音や話し声が下まで響いてきた。シャワー・トイレなしで、39ユーロと安いけど、どうしようと、 娘が降りてきた。もう暗くなってしまったし、あまり宿泊客もなさそうだから部屋を見せてもらうことに。再度娘が階段を登っていく。しばらくして、部屋は悪くないし, 廊下の突き当たりにある共同のトイレもシャワーも男女別になっていて、シャワー室には鍵もかかるとのことで、ここに決めることにする。

40代くらいの背の高いオーナーは感じのいい人で、39ユーロ2泊分を前払いして1階入り口の鍵と部屋の鍵を貰った。ところがさらにオーナーが言うには、私のパス ポートを預かり、最後に鍵と引き換えにパスポートを返すという。代金は前払いしたのにとどうして?と思って聞くと、ここはそういう決まりだからというようなこととその 理由ををドイツ語でいろいろ話してくれたが、詳しくは理解できなかった。

ここは3階に廊下を挟んで17室くらいある家族経営らしいペンションだけど、私たちが今まで泊 まった中でも一番安い。ホテル代が高いといわれるウィーンでこの値段なので、シーズン中はバックパッカ―の利用が多いのだろう。そして、多分鍵を渡して、数日泊 まった挙句に鍵を持ったまま宿泊客にドロンと逃げられる、という苦い経験が何度もあるのかもしれない。パスポートの件はその自衛策なのだろう。私たちは前払いした のにと不満だったが、言葉が通じないのでオーナーを信じて従うことにした。パスポートなしで外国の町を歩くのは不安だったが、念のためにパスポートのコピーを 身につけて持っているので、まあいいか。

身軽になって、さっそくまた街へ出て、夕食の買出しをする。パン3個、ケーキ1個、ジュース2個、水1本買って、9.64ユーロだった。イタリアより物価が安いようだ。お店の 売り子さんもとてもフレンドリーで、気持ちよく買い物ができた。食事の後、娘と交代でシャワーを浴びた。お湯の出もたっぷり。トイレは最新の設備で、真っ白のピカピカ で気持が良かった。部屋の洗面台で洗濯。それにしてもシーズンオフとはいえ、このペンションには私たちのほかには一組が宿泊しているようだけで、気味が悪いくらい シンとしていた。

今日の会計:合計   76.09ユーロ
 ホテル代       39
 モーツァルト生家  10(2人分)
 絵葉書         1.45
 コインロッカー     2.5
 タウンマップ      0.7
 昼・夕食代・飲料  15.64
 列車予約料       6.8(2人分)


2月20日へ戻る> <日程表へ戻る> <2月22日へ進む