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◆母と娘のヨーロッパ見てある記◆

  2月28日(木)晴れ 時々くもり

ベルリンの壁を見る
久々に朝から晴れの天気だ。しかし昨日のこともあるので、(昨日は突然の雨雲の到来とともに猛烈な風が吹き、土砂降り雨が15分ほど続き、黒雲が 通り過ぎると何事もなく晴れ上がった)ベルリンというかドイツの天気は当てにならない。

7:00起床。8:00朝食。9時前に出発する。きょうはベルリン市内観光2日目。主に旧東ベルリンの方をまわる予定だ。ペンションのすぐ近くにSバーン(近郊電車) のsavignyplats(サヴィーン広場駅)があるのでそれを利用することにして、そこから6つ目の駅まで乗る。旧東ベルリン地域の駅だ。日本のように改札口はないので、直接 ホームへ行って、自動発券機で目的地までの切符を買う。この切符を買う機械を使いこなすのが難題で、最初の都市パリでは何度トライしても買えなくてずい分てこずっ たりしたが、いろんな国の国鉄や地下鉄に乗るうちに切符を買う要領がだいぶんつかめてきた。

日本と違って、ヨーロッパの発券機は、パソコンのモニターのような画面上の文字などを指でを選択していって買う仕組みだ。銀行のATMの操作に似ている。最初の 画面にはたいてい独、仏、英など4〜5ヶ国の国旗がイラストで出ていて、言語が選べる。私たちはまずイギリスの旗(英語表示)ボタンを押した。次の画面で行きたい駅 の含まれるゾーン(エリア)を選び、次に往復か片道かを選択し、次に大人何枚というように枚数を指示し、最後に表示された料金を入れると切符が出てくる。だいたいこう いう手順で買うことができることを、経験上学んだ。娘と二人がかりで画面を見ながら片道2.1ユーロの切符を2枚買った。切符を見ると、買った時間が刻印されていて、 有効時間1時間というような意味のことが書いてある。どういうこと?とあまり理解できないまま来た電車に乗った。

駅は通勤の人々で込み合っていたが、電車の中は思ったよりすいていた。二人掛けの椅子が向かい合った席に座っていると、途中から日本人女性らしい方が乗ってこられ て、お互い日本人とわかって話をした。ピアノの勉強のため5年前からドイツ在住とのこと。ベルリン大聖堂のパイプオルガンはすばらしくて、時々演奏していているので 運がよければ無料で聴けるかもと教えてもらった。

電車の進行方向からいえば右手がベルリンの中心部だと、観光のアドバイスもしてもらった。建築中の新駅の横を通る時、もう何年も工事しているのに全然完成しない、と なかなか厳しい評価だった。彼女は私たちより1つ手前の駅で下車。降りるまでとうとう切符の検札らしきものは無かった。ということは無賃でもバレないということになるのに と思うが、心配無用。車内にはあちこちに「不正乗車は罰金100ユーロ!!」みたいな警告文が目立つように張ってある。乗客の自己責任に委ねているのだろう。

電車を降りると、私たちの手には無傷の切符が残った。ということは1時間以内ならまたこの切符を使って何度も電車に乗れるということになる。検札も必ずはないようだし、 寛大とも思えるけれど、こういうシステムにはそれなりの理由があるのかもしれない。私たちはこのあと歩いて市内を見学するので、まだ使える切符とは思っても結局は 使えない。切符は記念に持って帰ることにする。

目的の駅で降りて、広い通りにでるとそこはリンデン通りで、青空をバックに中空に丸っこい球のようなものをくっつけたテレビ塔が見えた。その手前のほうには修復中の 教会が見える。地図を見るとマリエン教会とある。ということは森鴎外の小説「舞姫」に出てくる教会と思われた。そこから少し歩くと、まもなくベルリン大聖堂が見えてきた。 そのあまりの壮大さにしばし目を奪われる。

テレビ塔とマリエン教会
ベルリンのテレビ塔
ベルリン大聖堂
ベルリン大聖堂
大聖堂のドーム(天井)部分
ベルリン大聖堂ドーム
入場料を払って中へ。美しい! なんともいえない荘厳な雰囲気! しかしベルリン大聖堂の歴史を写真でたどる部屋に入ると、この大聖堂が第二次世界大戦中に爆撃 を受けて、見るも痛ましい瓦礫の山となっている写真が展示してあり、衝撃を受けた。白黒写真であることが、いっそうその破壊のすさまじさを物語る。特に中央のドーム 部分は完全に破壊されてぽっかり天井に穴があき、壊滅的な損傷を受けている。写真を見ているだけで、胸が痛くなるようだった。

外の修復がほぼ済んだのがわずか十年位前で、さらに内部の修復が続けられやっと最近内外とも甦ったようである。天井ドームを見上げると、確かにまだ一部に工事用の シートで覆われた部分があった。聖堂内に設置されたパイプオルガンが堂々と素晴らしいいでたちで、燦然と輝いていた。音を聞いてみたいと思ったが、演奏会は週末に あっているらしく今日は聴けないことがわかった。残念だけどしかたがない。

ベルリン大聖堂内部
大理石とステンドグラスの美の競演
荘厳なパイプオルガン
パイプオルガン
ギャラリー・ラファイエット 内部すり鉢状の吹き抜け?
そこからリンデン通りをさらに西方面へ進み、フンボルト大学に着いた。しかしその建物はどうみても大学というより宮殿のようにゴージャスだった。溜息をついて見ていると、 バギーに赤ちゃんを乗せたお母さんと友人らしい女性が建物をバックに互いに写真を撮り合っていた。そして私たちを見つけると、撮って!というようにカメラを手渡された。 もちろん!とOKして、3人を撮ってあげた。きれいに撮れているといいけれど。

フンボルト大学を過ぎたところから左折して、今度は南の方角へ。しばらく行くと娘が見たいと希望していた有名な建築家の設計によるファッションビルに到着。「ギャラリー・ ラファイエット」という名のそのビルの中に入って、3〜4階分をぶち抜いて造られた黄金色のすり鉢型の特異な造形を見る。

そこからさらに南下すると、東西ベルリンに分断されていた頃の名残りである検問所のあった、チャーリー・チェックポイントへ着く。小さな検問所の前には土のうが当時の ままに置かれている。すぐ横には「壁博物館」もあって、ベルリンの壁の破片やいろいろな写真が展示してあった。

チャーリー・チェックポイント詰所と土のうが見える ベルリンの壁跡保存されている部分 保存されているベルリンの壁旧東側から見た壁跡
チャーリー・チェックポイントから今度は西方向へ少し歩くと、ベルリンの壁の一部が、まだ生々しく残っている地域へ来た。一部に壊そうとした跡の穴があいたまま、 200メートルくらいが当時のまま保存されていた。その周辺では旧東ドイツ時代の古い建物を壊したのか空き地も多いが、あちこちで新しい建物を建築中で、大規模な 開発地域になっているようだ。東西ドイツ統一後、首都がこのベルリンに戻ってきたこともあり、この歴史的な大都市はドイツの顔として今後まだまだ発展を続けるのだろう。

その再開発地域の中心にあるポツダム広場もいたるところでまだ工事中だったが、工事現場の横には「壁」の一部も無造作に残っていた。ポツダム広場のシンポル的な 建物でもあるソニーセンターの中に入って、 いろいろな角度から写真を撮ったが、建物全体の規模が大きすぎて部分的にしか撮れなかった。そこを裏手へ抜けると、ベルリン・フィルの本拠地であるフィルハーモ ニーの建物へ出た。カラヤンなどかずかずの名指揮者による名演奏が行われたクラシック音楽の殿堂だ。ヴァイオリニストの五嶋みどりさんがクラウディオ・アバド 指揮でベルリンフィルと共演したのもこの建物かと、感慨深かった。建物の外周をぐるりとまわる。

ソニーセンター内部巨大なSONYセンター フィルハーモニーベルリンフィルの本拠地 森鴎外記念館入口2階部分が記念館
ここは広大な庭であるティーアガルテンに隣接していて、つまり道路を挟んだ西側一帯は、とてつもなく広い林というか森というか緑地帯になっている。 ティーアガルテンの外周をめぐるように歩いて、ブランデンブルク門へと行く。ところがブランデンブルク門は改修中で、全体がすっぽり幕で覆われていた。しかし門をくぐり 抜けて通っている道路の部分は、トンネル状になっていて、バスやタクシーが自由に通り抜けていた。かつてこの門の前にも「壁」があって東西を分断していた所だ。テレ ビで見た1989年ベルリンの壁崩壊の歴史的なあの日様子を思い出して、胸がジンとした。覆い幕には実物大のブランデンブルク門の写真がプリントされていたが、何だか 写真を撮るのも躊躇してしまって結局写さなかった。

ベルリンの壁
東西を隔てていたベルリンの壁とブランデンブルク門
西ドイツ側から(絵葉書)

ブランデンブルク門を右手にして立つと、正面にはドイツ連邦議会議事堂が国旗を翻していた。建物の中央部にはドームが新しくできていると娘がいうので、それを見るため 林の中を通って、議事堂の正面へ行った。正面前の広大な土地は、工事中で、どうやら庭(緑地)となるらしい。この場所はティーアガルテンの東はしに位置しているので、 とにかく道は広いし、緑は多いし、建物の敷地が広大なので周囲が建てこむこともない。首都にふさわしい堂々としたいでたちだ。ティーアガルテンはベルリンの中心部に 東西に4キロメートル、南北に1キロメートルほどもある広大な緑のオアシスだ。

議事堂から東に少し行ってシュプレー川にかかる橋を渡り、北の方角に歩いてて森鴎外記念館へ向かった。雑な地図しかなかったので見つかるか不安だったが、角の 建物の1階に習字の展示をしてあったので、すぐにそれらしいと気がついて出入口のプレートを見ると、やっぱり記念館のある建物だった。12:30着。しかも案内板には 14:00閉館と書いてあったので、早く着いてよかったとホッとする。ウロウロしていたら、見損なうところだった。

案内に従って2階へあがって呼び鈴を押すと、日本人の若い女性が出てきて、館内の説明を手際よくしてくれた。そのとき「いらっしゃい!」とにこやかに迎えてくださった 女性がいた。インターネットであらかじめ調べていた時に知った専任のヴェーバーさんだ。ここを訪問する日本人が必ずお世話になる方だ。記念館の一番奥の部屋は 鴎外が実際に住んでいた部屋を当時のままに再現してあった。ほかに図書室、資料室など自由に見ることができた。鴎外関連の資料もかなり揃っていて、鴎外の作品 と文体が好きな私は、ここまで来れたことにとても幸せな気分だった。

鴎外の下宿部屋1
復元された鴎外の下宿・入口から見たところ
鴎外の下宿部屋2
机と本棚とストーブ(絵葉書より)

鴎外の部屋のデスク上には記帳ノートがあり、訪問した日本人の名前と感想がびっしり。やはりここに来るのはほとんど日本人のようだ。鴎外はドイツではあまり知られて いないのだろう。しかしフンボルト大学の付属施設として、大切にしかも入場料無料で運営されているのを知って、嬉しかった。私も「鴎外先生、とうとうベルリンへ会いに きました・・」と日付と名前・住所を書いた。

資料室は広くて、最近の日本の新聞がおいてあった。娘も私も日本の活字と情報に飢えていたので、1時間くらいそこでゆっくり読ませてもらった。記念の絵葉書を買い、 お礼のカンパ少々を寄付箱に入れて、スタッフの方々にお礼をいって出る。

一応きょうの目的地は全部行ったことになった。割と早く終った。お昼がまだだったので、最寄のフリードリッヒ駅構内のお店で昼食。そこからSバーンでツォー駅へ戻った。 ホームの発券機で切符を買って電車に乗り込んでしばらくしたとき、男性が急に大声で何かわめくように言いながら電車の通路を歩いて行った。何だろうと驚いて見ると、 その男性はまた私たちの車輌の後部に戻り、再びこちらへ歩いてきた。しかしよく見ると、みな切符を出してその人に見せている。あ、これが検札なのかと私たちもあわ ててポケットから切符を出した。

屈強なその男性は不愛想で普通の服装をしていて、一見乗客に見える。しかしその男性はさっと身分証明書のようなものを乗客に提示して、鋭い目つきですばやく切符 を点検してまわっていた。さっき大声で歩い ていたのは、きっと「ただいまより切符を拝見します」と予告して歩いていたのだろう。検札は必ずやるのではなく、抜き打ちでランダムにやるようだ。一見寛大に思えるが、 不正が発覚したら厳しそうだ。だから運がよければ無賃乗車もできるかもしれないが、見つかったら当然高い罰金が課せられる。ここで切符の1時間有効の意味がわ かった。改札のパンチを入れない代わりに、同じ切符を1日に何度も使えなくするために1時間で無効になるのだろうと。

ドイツに限らずフランスでもイタリアでも日本のような改札はなく、車内での検札が普通だ。イタリアでは、切符には日付はなく、乗るときにホームに設置された機械に 切符を差し込んで、日付をパンチして乗車する決まりになっている。これをしないで乗ると、車内で検札の時に罰金を徴収されるらしい。

地下鉄はたいてい自動改札機を設置してあるが、若い男性など長い足でひょいと 改札機を飛び越えて、平気で無賃乗車している姿を何度も見かけた。そういうロスは当然計算して、なおかつ改札口に係員を置かないのは多分コスト(人件費)の問題 だろうと思う。各駅に係員を配置して無賃乗車を防ぐ方法より、自己申告で乗車させて、普通の格好をした職員が抜き打ち的に検札して不正乗車に罰金を科す ほうが、ずっとコスト的にはよいということだろうと思われる。改札にかかる人件費の額より、運よく発覚を逃れた無賃乗車の額のほうがうんど安いという判断なのだろう。

ツォー駅前のバス乗り場で、明日のテーゲル空港行きのバス停を確認して、近くのデパートなどをのんびり見てまわる。娘はノースリーブのシャツを買う。少し早かったが 夕食の買い物をして4:40頃、ペンションに戻る。ベルリンは物価が安いように感じた。

今日の会計:合計  109.63ユーロ
 ペンション        66.5
 Sバーン切符代    8.4(2人分)
 ベルリン大聖堂    6.2(2人分)
 森鴎外記念館     5
 シャツ          12
 昼・夕食等       11.53


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