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2月9日(金)曇りのち雨、一時どしゃぶり
パリジェンヌは黒の装い 約35分でノルド駅(北駅)到着。空はどんより曇り、冷え込んでいる。まず宿探しだ。日本を出発前に安宿のリストはバッチリ作ってある。パリの一番候 補はアポロホテルだ。ノルド駅と約200m離れた東駅の中間くらいにあるはずだけど、探せど探せどない。ぐるぐる回っているうち、アランホテルがあった。 確か誰かの旅行記に出ていた、星なしのホテルの名前だ。リストにはあげていなかったが、窓ガラス越しに覗くと食堂のテーブルが見える。見るからに庶民的 だ。ドアを押して、入ってみる。
ボンジュール!と明るい声を掛けてくれたのは、窓口の気のいいおば様だった。こちらの条件を言うと、手際よくトイレ・バス・シャワー付きと無しの空
き部屋の料金を紙に書いてくれた。全部付いて一番高い部屋を見せてもらい、それに決める。朝食も付いて1泊59ユーロ。3泊分を前払いする。観光用のシティ
ー・マップをもらって、畳半畳くらいの小さなリフトで5階の部屋に上がり、荷物を置く。ホテル探しを始めてもう1時間もたっていた。一休みして、地図上で
ルートを決めてさっそく行動開始。12:20分にホテルを出る。
ポンピドーセンター、アラブ現代研究所、アメリカンセンター、カルティエ邸などは、現代建築史上特筆すべきものがあるとの娘の解説で、見るべきポイント を教えてもらって外観を見学。アメリカンセンターは閉鎖されていた。テロ事件の影響だろうか。アラブ現代研究所のあたりから降り出した雨は、時おり激しく なり、1本の折りたたみ傘しかない私たちは、たびたび雨宿りしながらの移動だ。でも、パリの人たちは、少々の雨では傘はささないようだ。かなり降っていても、 平気で歩いている人が多い。傘を持つのが嫌なのだろうか?
「カフェ・ドゥ・マゴ」へ行くのは私の希望だ。このカフェはバルザックも出入りしていたという昔から、パリの画家や作家たちの溜まり場であったらしい。ア メリカから大勢の若者達が移り住んでいたという1920年代、ヘミングウェイもその一人で、彼の小説にはこのカフェでジェームス・ジョイスと酒を酌み交わして、 親交を深めたことなどが描かれている。知る人ぞ知る有名なカフェなのだ。 サンジェルマン・デュ・プレ教会を眺めながらドゥ・マゴでゆっくりコーヒーを飲むことを楽しみに、せっせと雨の中を歩いてたどりついたのに、ドゥ・マゴ は客でいっぱいだった。念のためにドアをあけて中を見渡したが、広い店内は満席状態。雨のせいもあってか、みな悠然とティー・タイムを楽しんでいる。歩道 にせり出すように並んだ椅子とテーブルが、雨に打たれているのが恨めしい。残念だけど、カフェの写真を撮って諦める。 セーヌ川を渡ってまっすぐホテルの方角へ北上しながら、街並みや人々の様子を観察する。フランス人女性は小柄かと思っていたが、パリジェンヌは長身だ。 細身でショート丈の黒の防寒ジャケット、黒のパンツ姿が圧倒的に多い。道行く女性の8割くらいは、上下とも黒で決めていた。金髪やそれに近い髪の色と白い 肌には、黒がとっても似合う。首に巻いたマフラーの色が、アクセントになっていて、化粧は薄めのナチュラル・メーク。 でも、ざっとみて道行く人の3割くらいは黒人で、その多さに驚いてしまった。場所によっては、半数くらい占めている感じだ。ふとアメリカの街を歩いている ような錯覚に陥る。フランスはかつてアフリカに多くの植民地を有していたので、その地域からの移民が多いのだろう。 アランホテルの近くで中華の総菜屋さんを発見! 夕食用にチャーハンや春巻き、チキンなど量り売りで買う。アツアツに温めてくれた。ホテルに戻って、や っと濡れそぼった服から解放された。歩いたルートを計算すると、何と16kmくらいあった。どうりで足が疲れたはずだ。夜、洗濯。暖房のスチームの上やまわり に洗濯物を広げて就寝。
今日の会計:合計 99.2ユーロ |