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◆母と娘のヨーロッパ見てある記◆

  3月5日(火)くもり 時々 晴れ

ヨーロッパ旅行最後の滞在日
きょうは各自の行きたい所へ行くことにして、私はロンドン漱石記念館、娘はTate現代美術館、2人の共通ではシャーロック・ホームズ博物館ということになった。 朝9時過ぎに出発。9時30分から使える地下鉄やバスが1日乗り放題の One Day Travelcard を利用することにして、1、2ゾーンの範囲内で使えるカードを一人4.1ポンド で2枚購入。平日は9時30分からしか使えないのは、通勤ラッシュと観光客が重ならないようにするための工夫だろう。

さっそくそのカードを使って地下鉄に乗り、サザーク駅下車。テムズ河畔に建つTate(テート)現代美術館へ。開館して間もなくの時間についたが、ちょうどアンディー・ ウォーホール展をやっていたので、ラッキーだった。2人で18ポンド払って2階の展示室へ。まず部屋が25もある現代美術のフロアをみて、3階のウォーホール展会場へ。

美術館には地元の中・高生の団体や日本の高校の修学旅行生や、世界中から若者が続々集まってきているという感じだった。もちろん年配の方も多く、昼近くにはだん だん人が増えてきた。私たちが見てまわった頃には、まだ入館者もそれほど多くはなかったので、ゆっくり見ることができた。とにかく大きい美術館だ。

美術館の横にはテムズ川が流れていて、その川むこうのまっすぐ北方面にはセント・ポール大聖堂が美術館の方を向いて建っている。その両者を結ぶように、テムズ川 には歩行者専用のミレニアム・ヴィレッジができていたので、その橋を渡ってむこう岸へ行き、地下鉄に乗って、さらに西方面にあるシャーロック・ホームズ博物館へ行った。

地下鉄のベイカー・ストリート駅で下車すると、まずロウ人形で有名なマダム・タッソー蝋人形館があるが、こちらは長蛇の列で見学者が多いので私たちはパスした。 駅から5分ほどでベーカー街221B番地のシャーロック・ホームズ博物館へ到着。シャルロッテの服装をした可愛い女性が出迎えてくれた。間口の狭い、3階建ての家 だったけど、ホームズ関係の調度品や、事件のワンシーンを再現した等身大の人形などが展示してあって、けっこう面白かった。ここにも日本人が多く訪れているよう だった。

ロンドンはシーズン・オフとはいえ、3月に入ったこともあるのかさすがに観光客が多い。日本人のカップルや、女子学生グループ、男子学生のグループ、それに制服姿の 高校生の団体。修学旅行といえば、Tate美術館では女子高の団体が来ていたし、どこかの通りでは別の高校の団体とすれ違った。韓国人学生の15人ほどのグループも 地下鉄で見かけた。若い人たちが、大いに世界を動き回っているのを感じた。

午後は夏目漱石の記念館へ行く予定なので、昨日から何度も館長さんに電話しているが、まだ通じていない。手持ちの観光マップを隅々まで見ても、漱石記念館はどこ にも見当たらない。住所は知人に正確に教えてもらっているが、なにしろそれでは場所がわからない。ロンドンにくれば簡単にわかるだろうと思って、手抜きをしていた のがここにきてひびいてきた。

もう残り時間が少ないので困り果てて、最後の手段として、ピカデリーサーカス近くにあるJ○Bプラザを訪ねる。住所を見せて、具体的な場所と交通手段を知りたいと お願いすると、係りの日本人女性スタッフが気持ちよく詳しい地図で調べてくださった。

ロンドン漱石記念館は、私たちの持っていた観光マップの範囲外にあって、ウィンブルドン方面の南の位置にあることがわかった。どうりで、いくら地図を探してものって いないわけだ。電話をしても通じないことを言うと、市内局番が3ケタから最近4ケタに変わったので、そのせいでしょうとのこと。市内局番の頭に7をつければいいと教えて いただいた。どうりで電話の通じない訳もわかった。

最寄り駅と周辺道路の通りの名前の入った地図をコピーしてくださったので、お礼を言って出る。途中漱石記念館に電話したが、またしても出ない。仕方がないので、 とにかく行ってみることにして、さっそく地下鉄に乗った。途中で乗り換え、約1時間で、目的の建物ザ・チェイス80Bに着いた。

ところが入り口のプレートを見ると、何と火曜日は休館日となっている。残念。どうりで電話が通じなかったわけだ。館長の恒松さんと連絡できていなかったので、結局 会うこともできなかったが、仕方がない。もっと早くに連絡がついていれば、何とかして昨日にでも来たのにと残念でならない。でもとにかく目的地までたどり着いたのだ から、半分は満足しなければ・・。
漱石記念館のある建物ロンドン漱石記念館 漱石が自転車乗りをしたコモンクラパム・コモン(公園)
地下鉄駅クラパム・コモンを出ると、すぐの所には広大な公園があり、漱石がロンドンで最後に下宿していたザ・チェイスは公園からも近い。番地を確認しながら 歩いていくと漱石記念館が見つかった。漱石の下宿先だった81b番地は向かいの建物だ。 その通りは静かな住宅地で、しかも道の両側には構えの大きな立派な家が、ズラリと並んでいた。住宅の駐車スペースには高級乗用車が2台ずつ並んでいて、 裕福な人々の住む住宅街のようだ。

漱石が下宿していたのは100年前なので、この住宅街は何とずっとそれ以前からあったことになる。当時はもっと新しい住宅地だったはずのここを毎日歩いていた 漱石の目 には、英国の風景や人々はどのように映っていたのだろうかと興味がわいた。もう一度調べてみたいものだと思った。

漱石も幾度となく歩いたであろうコモン公園をとおり抜け、駅近くへ引き返す。カフェがあったので、ケーキと紅茶をいただく。甘かったけど、ティーはおいしかった。 帰る頃、隣の席に日本人男性(学生?)2人づれが座った。私と娘はその後の計画を話し合って、最後の夜だから、ちゃんとしたレストランで食事しようと決め、「○○の 歩き方」に載っていた韓国料理店「Kaya」を候補にあげて、地下鉄に乗った。私は最後だからイギリスの郷土料理を食べたいと思ったが、娘が「まずい」と自信を持って 主張するので、私のほうが譲歩した。

ピカデリー・サーカス駅で降りて、ぶらぶらウィンドウ・ショッピング。超有名ブランドのお店の並ぶ通りを見て回りながら、Kayaまで行く。5時頃にお店に着いたが開店は6時と 書いてある。道路側が全面ガラス張りになっていて、店内が見渡せた。入りやすそうな雰囲気だったので、ここに決めて開店までお土産屋さんをまわった。

6:00過ぎに再びKayaへ。一番乗りで店に入った。私たちが入って間もなく、アメリカ人の新婚さんが入り、そのあともけっこう客足が続いた。韓国料理店とはいっても、 もう心は日本モードになっていて、緑茶や熱いオシボリも出て、嬉しかった。久々の熱い緑茶が体に沁みた。牛肉と野菜の炒め物、ほうれん草ともやしのサラダ、 チャーハン、チゲ、ビールを注文。量は多くはなかったが、どの料理もとてもおいしかった。

ヨーロッパ旅行最後の日はおいしい晩餐をいただき、よい旅の締めくくりと なった。今回はミュージカルも演奏会も全然見ないままだったのが心残りだけど、次の楽しみにして、またきっとロンドンに来るぞと密かに心に誓った。

*帰国後に調べた所では、クラパム・コモンのコモンとは正確には「公有地」の意味で、公園(パーク)ほどには美しく整備されていないのだという。たしかにだだっ広い 芝生にプラタナスやニレやカエデなどの大木が適当な間隔で生い茂り、ところどころに木製のベンチ(ロハ台)がおいてあった。漱石の「自転車日記」には、この コモンで自転車のりの練習をしたり、散策したことが描かれています。

ついでに書くと、クラパム・コモンから漱石の下宿のあったチェイス通りにかけての一帯は、郊外の住宅地として17世紀にはもう発展していた地域だそうです。 道路際には赤いポストがありましたが、何とそれはヴィクトリア朝の古物だそうです。イギリスの中古の家とは築400年くらいをいうそうです。

今日の会計:合計 144.03ポンド
 B&B        40
 1日乗車券      8.2(2人分)
 ウォーホール展 18(2人分)
 シャーロック・ホームズ博物館 12(2人分)
 ケーキ・茶     5.7
 昼夕食等      40.64
 おみやげ      19.49
※当時のレートで1ポンド=約190円


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