70万歩の旅~巡礼の路を歩くⅣ-① 2018・08・29~09・22

 5年前、癌を患った知人が『巡礼の道』を歩いたということを知り、《自分も歩いてみよう》と思った。元来歩くことは好き
であったし、時に近場の山へハイキングに行ったりはしていたが、約10kgのリュックを背に、毎日20km以上も歩くこと
には不安があった。フランス好きの自分にとっては、出発地は当然パリ。かと言って一度にスペインの西の果てまで
歩くことは体力的に不可能と考え、4回に分けて行くことにした。
 そして今回、4回目としてスペイン・ブルゴスからサンチャゴ・デ・コンポステーラまで歩いた。《大聖堂》に着いた時、
『歩いた!』と言って、両腕を上げてひとりで叫んだ。喜びが込み上げてきたことは忘れられない。ただ、同時に多くの
人々の支えがあってこそ『歩けた』とも思った。自分のこの愚行を理解して送り出してくれた家内には勿論のこと、4回
に亘って歩いた時に出会った世界中の多くの方たち、応援してくれた多くの友人、知人の方々の支えがあってこそ歩き
通せたと思う。感謝の気持ちが湧き上がった。
 素晴らしい大自然、迫力のある景色、失敗やドジを含めたさまざまな体験、美味しい食べ物、勿論ワイン、一齣一齣
が鮮明に思い出される。しかし、最高の思い出は何と言っても人々との出会いである。それは私の掛け替えのない宝物
となった。
出会い、ふれ合い『旅は人なり』
 第4回目の旅を報告致します。お付き合いください。

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1回目:パリ⇒リモージュ    2014.8.7~9.1   歩行日数:25日間 
472.4km 706,517歩(万歩計)
2回目:リモージュ⇒オルテズ 2016.8.6~8.29
  歩行日数:24日間 493.3km 725,063歩
3回目:オルテズ⇒ブルゴス  2017.8.21~9.11 歩行日数:22日間 
382.8km 589,078歩
4回目:ブルゴス⇒サンチャゴ・デ・コンポステーラ 2018.8.29~9.22 歩行日数:25日間 
500.4km 733,699歩
(今回)
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8月26日(日)名古屋・セントレア7h50⇒8h50羽田10h40⇒16h15パリ・シャルル・ド・ゴール   泊
8月27日(月)パリ9h48⇒14h35エンダイヤ(フランス)⇒15h30サンセバスチャン(スペイン)   泊
8月28日(火)サンセバスチャン8h57⇒11h54ブルゴス(スペイン)                  泊

    
    《ブルゴス大聖堂:世界遺産》

 『巡礼の路を歩く』3回目の昨年はブルゴスまで歩いているので、今回はここからのスタート。時間があったので、
ミラフローレ修道院と王立ラス・ウェルガス修道院に行ってみた。両方とも見事な祭壇があり圧倒されたが、
ミラフローレ修道院には行ってみて初めて知ったのだが、巡礼の祖・聖ブルーノが祀ってあった。今回の私に
とっては時を得た、また、意味のある訪問となった。《巡礼の路を歩く》旅の安全を祈願した。


《ミラフローレ修道院の見事な祭壇》               《聖ブルーノと貝のモニュメントがあった》

=巡礼の路を歩く旅:第1日目=
8月29日(水)快晴 Burgos(ブルゴス)7h35---Tardajos--12h45Hornillos del Camino  23.1km 33,859歩  Albergue泊
 未だ夜の明けていない午前7時、ホテルを出てブルゴス大聖堂の裏手にある公営Alb.(アルベルゲ:巡礼者専用宿)の
前のBarで朝食を取った。昨年私の旅の最後の夜、カミーノ(巡礼者)友達のケヴィンたちが送別会をやってくれた思い出
のBarである。
クロワッサンとカフェコンレッチェ(ミルク入りコーヒー)、バナナ1本、8.5€だった。食べ始めた処に日本人
らしい独りの若者が入ってきた。話を聞いてみると、北海道の学生さんで《親には3日で根を上げて帰って来る》と言われ
ているので《帰れないんです》と。彼はもう既に、サン・ジャン・ピエー・ド・ポーから10日間、3分の1近くを歩いているの
だから、《大丈夫!》と言って励まし、私は先に出発した。

 

 《去年ここでケヴィンと別れたなあ》と思いながら、ようやく明けてきた空に浮かぶ大聖堂に向かって、旅の安全をお願い
した。1時間程歩いたブルゴスの街外れにベンチがあったので一休みすることにした。後ろ向きに座っていた私は、肩を
ポンッ!と叩かれた。振り向くと《ブエン・カミーノ!私はシンシナティから来たんだけど、君はどこから?》中年の元気な
男性だった。《日本人です。
AKiと言います。スペイン語では、《ここ》のことを《Aqui》(アキ)と言うでしょ。同じです。で、
あなたは?》《私は
USスカート!》《エッ?スカート?》と言いながら、腰のところで三角を作ると、彼は笑いながら
《Yes!スカート!》どうも違っているらしいが、私には《スカート》としか聞こえなかった。以後、彼のことを《スカート》と
呼ぶことにした。

 暫くすると、今度は2人の女性が声を掛けてくれた。《ブエン、カミーノ!》 これは巡礼者同士の気軽な挨拶で、
《こんにちは!》とか《元気?》とか。いつでも、どこでも《ブエン・カミーノ!》 私が先に名乗ると、《私たちは韓国人で、
私はサンスウ、彼女はティムよ》《エッ?サンスウ?日本では小学校で習う
mathematics(数学)のことをサンスウ
というが、あなたは
mathematicsが得意か?》と冗談に言うと、少し驚き、笑いながら否定していた。発音は
違うようだが彼女のことも《
サンスウ》と呼ぶことにした。


 
《東京からの若い女性に囲まれ・・・・》

 =遮るものがないメセタの大地を歩く=
 
途中でウロウロしていた若い2人の女性に声を掛けると、《東京から来ました。昨日ブルゴスに着いて、今日は出来るだけ
遠くまで歩きたいんです。何処まで行けるでしょうか?》《私に聞かれても??》 歩きながら話を聞いてみると、ガイドブックも
持っていないし、どの村にアルベルゲがあるか、アルベルゲにはどうしたら泊まれるのか。ともかく、《スマホを持っているから
何とかなるだろう》ということで東京を飛び出してきたような感じだった。私は少々心配になり、30分程一緒に歩き、お節介に
も基本的なことをレクチャアした。無謀だと思ったが、正直《若者って良いなあ》とも思った。また、5年前私が最初に歩いた時、
途中で出遭ったマルセーユのご夫婦が歩き方について懇切丁寧にレクチャアしてくれたことを思い出していた。他人のことは
言えない、あの時彼らは私を見て、《危なっかしいなあ!》と思っていたに違いないとも思った。



《峠を越えると眼下にオルニージョス・デル・カミーノの村が見えた》

 最初に泊まる予定のAlb.(巡礼専用宿)は、事前にしっかり調べておいたので直ぐに分かった。大変評判の良いAlb.で、
泊まれる人数も20名。小さなAlb.でおかみさんが作ってくれる夕食のパエジャに人気があった。早く入らないと満杯になる
かもしれないと思ったが、午後1時前に着くと一番乗りだった。

 スペインの2時半頃から4時半か5時頃までは暑くて外に出られないので土地の人もお昼寝(シエスタ)をする。多くの店も
閉めてしまう。私も午前中歩いた身体を休めるために、毎日シエスタをした。
 5時半頃村の中心の市役所前広場に出てみた。2人の男性がBarの外でコーヒーとワインを飲んでいた。どうやらフランス
人らしかった。私から声を掛けて同席させてもらった。トゥールーズから来たという。一人はフランソワ、もう一人はホーヴェイ
と名乗った。フランソワはもう何回も巡礼の路を歩いているベテランだった。ホーヴェイの綴りにはどうやらRの文字が含まれ
ている。私はRの発音ができない。大げさに発音すると、《なぜできないんだ》と言って笑われた。


 午後7時、待ちに待った夕食。パエジャである。ただ、どうしたことか泊り客はドイツの学生さん、ヤナと私の2人。大きな
平鍋にエビや貝など沢山の具材が乗った豪華なパエジャを期待していただけに、気分が少しトーンダウンしてしまった。
それでもマダム手作りの料理は美味しかった。また、泊り客が2人というのも以外だった。おかげで、10人部屋に私一人
で寝ることができた。


  
《市役所前広場にはBarや公営アルベルゲがある》

=巡礼の路を歩く旅:第2日目=
8月30日(木)快晴:Hornillos del Camino7h20--Hontanas--12h50Castrojeriz(カストロヘリス) 21.7km 33,859歩 Albergue泊
 
  
  
《住民60人程の小さな美しい村オンタナス》

 
結局昨夜は1人1部屋ということでホテル並み、たっぷり10時間は寝た。マダムが用意してくれていた朝食を
一人で食べ、午前7時20分に出発。少々寒さを感じながら静かに町並みを歩く。カミーノもいない。他のAlb.に
泊まったカミーノはもう早く出発してしまったのか、まだこれからなのか、と思いながら歩く。村を出ると再びメセタ
の広大な大地が目に飛び込んで来た。

 約2時間半程歩いて、小さな峠を越えるとオンタナスの村に着いた。村の入り口にBarが見えたので休もうと
考えているところに、後ろから《
AKi!》と声が聞こえた。《USスカート!》 ブルゴスの街を出たところで声を
掛けてくれたスカートだった。《Barで一休みしよう》と彼を誘った。
 Barには、ブルゴスのBarで少しだけ話をした台湾の男性と、北海道の学生さん(マサ君)もいた。私たちはBarの
外の椅子に座って休んだ。私は桃を一つ買って皮さらかぶりついた。果汁が口の中にジュワ~!と広がった。
うめ~!思わず口にした。《ところで、USAの何処に住んでいるのですか?》《オハイオ州のシンシナティです。》
《エッ、オハイオ?オハイオ州のトリードには3回行ったことがありますヨ。》《何故?》 自分は元教員で、勤めて
いた学校とトリードの学校が姉妹校であることなどを話すと、お互いに急に近しくなった気がして、《暫くの間一緒
に歩こう。》ということになった。

 
《サン・アントンの修道院跡》                       《山の頂上に城が見える:カストロヘリスの入り口》

 カストロへリスの少し手前にあるサン・アントンの修道院は廃墟と化していた。14世紀には既に廃墟になっていたらしい。
《もう、600年も前からこの状態で建っているのか。》と思うと、何か寂しさを覚えた。サン・アントンから30分も歩けば
《カストロヘリスのAlb.に着けるだろう。》と思っていたが、その考えは少し甘く、実際に着いたのは1時間後の午後1時
前だった。

 まずは昼飯!ということで、Alb.のすぐ近くの《Taberna》(食堂)に入った。私は鶏肉、スカートはパエジャを食べた。
パエジャは結構美味しかったらしい。《スカート、
タベルナ(Taberna)というのは、日本語では食べてはいけない、
D'ont eat ということ。私たちは、今、食べてはいけないところで食べている??》と私が冗談交じりに言うと、
彼は《面白いことをいう男だなあ》と言うような顔で私を見ていた。
 《あんたの住んでいるところはオハイオだろ? オハイオ《おはよう》は日本語では《Good morning》という意味
なんだ。》というと《エ~ッ??》驚いていた。


     
     《裏山の頂上から見たカストロヘリスの村:スカート撮影》

 今日のアルベルゲも何故か泊りはスカートと2人。6時半からの夕食は少々寂しかった。でも、お母さんが作って
くれた料理、ボイルされた鶏ももとサラダは美味しかった。また、食後2000年前からあるというワイン蔵を見せて
くれたが神秘的でもあり、歴史を十分に感じることができた。ホスピタレイロ(管理人)のマダムやダンナさんも大変
親切でフレンドリーだし、三ツ星ものの素晴らしいAlb.だった。これから歩かれる方には自信を持って推薦できる
Alb.です。 Alb. Ultrela(2食付23€)

 
《アルベルゲの地下には、約2000年前のワイン蔵があり、見学させてくれた》


                                                               つづく