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2 楽しさとイライラ
子どもを見ているとかわいいし、飽きないし、さわると柔らかくて
癒される感じがする人が多いと思います。
笑顔を返してくれたときなどは、うれしくなりますし、子どもといるだけで、
ほんわかした幸せな気分になることがあります。
また、子どもたちは言葉の裏の意味など考えませんし、
「常識」というもので自分の感じ方や考え方に制限を与えたりはしません。
そのような純真で独創的な子どもたちと一緒に何かをしたり考えたりすることは、
思わぬ発見のある、ワクワクするような経験です。
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しかし、子どもは結構気まぐれですし、要求ばかりしてきます。
子どもの世話というのは、自分の意志や欲求というよりも、
子どもの都合で動かざるを得ないようなところがあります。
夜眠れなかったり、昼間もずっと目が離せなかったり、ずっと抱いていなければ
ならないこともありますので、肉体的にも疲れることです。
そのようなときにイライラしたり不満を感じたりするのは、ごく当たり前の
反応なのだと思います。
また、いつまでも子どもが泣いたりするときには、どうしていいのかわからず
混乱してしまったり、自分が責められているような気持ちになったりして、
自分も泣きたくなったり、泣いてしまったり、逆に怒ってしまったりもするでしょう。
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それでもわたしたちは、そのときそのときに、子どものためになるべく
よりよいことをしてあげたいと思い、そのための努力をしています。
そしてそのように努力をするがゆえに、さまざまなことで罪悪感を感じたり
不安になったり、気持ちがゆれたりするのでしょう。
そのうえ、まわりの人たちから、甘やかしているとか厳しすぎるとかいろいろと
干渉され、不安がつのったり、イライラしたりすることもあるかもしれません。
自分がうまくやれていないと落ち込み、子どもを傷つけてしまったのではないかと
心配になり、子どもの寝顔に「ごめんね」と謝ったことがある人は、
多いのではないでしょうか。
ときには子どもから逃げ出したいと思ったとしても、
それは間違っているんだと感じて、逃げたいと思ってしまった自分にまた、
罪悪感をもってしまうこともあります。
そして、そのような毎日を送り続けながら、まわりから遮断された、
狭い世界でしか生きられていないような気持ちになったり、
自分だけ、まわりの社会や友だちから取り残されたような気持ちに
なることもあります。
そんなとき、わたしたちは、焦ったり悲しくなったり、不満に思ったり
怒りがわいてきたりするのでしょう。
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そしてしだいに、子どもを愛したいとか、子どもにやさしくしたいと思っても、
それが難しくなってしまうこともあるようです。
自分が子どもの頃、親から愛情をもらったという実感がない場合、
子どもに愛情を注ぎたいと思っていても、具体的にどうしたらいいのか
わからないこともあります。
また、なんらかの背景があって、自分ひとりだけで精一杯だと感じているとき、
自分より弱い者を守り、その世話をしなければならない育児というものは、
自分をなお一層追いつめ、窮地に立たせるようなものに感じることもあるでしょう。
そのようなとき、育児というものに怒りや憤りの気持ちがわいてくることも
あるのだと思います。
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このように、わたしたちは子どもを育てながら、不安や不満、イライラ、
焦り、罪悪感など、いろいろな気持ちを感じています。
そんな気持ちを、率直に話ができる、安心できる場をもつことが、
とても大切なことだと思います。