わんだふるはうす R134を行く

由比ガ浜

横須賀から大磯まで、湘南の海岸沿いを東西に走る国道。それがルート134号線。湘南でサーフィンする人なら必ず通るこの道路を、2005年のゴールデンウィーク〜秋にかけて、ワンダフルハウスが走破しました。このコーナーでは、滑川から稲村ガ崎までご案内いたします。


滑川
滑川交差点に到着しました。鎌倉の中心路である若宮大路はここから始まり、右折すると鶴岡八幡宮まで一直線で行けます。鎌倉の町の中心部を流れる滑川は、上流からいくつも名前が変わります。上流では胡桃川(くるみがわ)といい、滑川(なめりがわ)と呼ぶのは浄妙寺の前からで、文覚上人邸跡付近で座禅川(ざぜんがわ)、その下流の小町付近で夷堂川(えびすどうがわ)、延命寺付近では炭売川(すみうりがわ)、河口付近では閻魔川(えんまがわ)と呼ばれ、流れに沿ってそれぞれの地域(十二所、浄明寺、二階堂、小町、大町、材木座)で名を変えています。いくつも名前が変わるのはそこに住む人との関わりが大きかったからで、鎌倉時代は物資輸送にとても便利な川でした。ワンダフルハウスは左の写真の前方に見える由比ガ浜地下駐車場に車を入れて海岸を散策することにしました。
若宮大路に沿って流れる滑川が海に注ぐ。この滑川をはさんで西(写真右)側が由比ガ浜、東(写真左)側が材木座海岸。ここで毎年8月第2火曜日に鎌倉花火大会が催されます。夕闇に包まれ始めた19時から花火が打ち上がり、見物は水中花火。高速船から水中に投げ込まれた花火が海上で半円状に花開きます。花火と砂浜までの距離がとても近いんです。 由比ヶ浜は、滑川をはさんで材木座海岸の西に伸びる約900mの弓形ビーチ。鎌倉時代には前浜と呼ばれ、武芸や馬術の鍛錬の場になっていました。また、鎌倉幕府を開いた当時、源義経と静御前の間に生まれた子供をこの浜に置き去りにしたという哀しい逸話も残っています。
海浜公園前
右手にある海浜公園は、以前、海浜ホテル(昭和20年に火災で焼失)があった場所です。明治20年に海浜院として創設され、皇族や華族、政財界の重鎮、外国人らの間に海浜における保養、療養の思想を浸透させることを目的として造られた保養施設(サナトリウム)でした。ここから日本の海水浴文化が根付いたのです。 海浜公園前の砂浜で凧上げ(カイト)をするカップル。素敵なカップルでした。
サーフショップ「Rave」と「SEEDLESS」。’60〜’70年代のアメリカンロックが流れる「シードレス」は、カリフォルニアのビーチタウンっぽいムードです。この辺が由比ガ浜のサーフポイント。左のサーファーの頭上に飯島トンネルが見えます。
由比ガ浜4丁目
由比ガ浜4丁目交差点で、右側を見ると、ドイツ家庭料理「SEA CASTLE」の看板が目に入ってきました。ドイツといえば立川ユリさん(^‐^)ユリさんが’60〜’70年代に横浜・山下町のドイツ料理店「ハンサ」で食べていた”カスラ”というドイツ料理や、酸っぱいキャベツがあるかもしれません。ワンダフルハウスはこちらでドイツ料理をいただくことにしました。
SEA CASTLE
ベルリン出身のドイツ人夫婦が1957年に開業。ドイツのロマンチック街道沿いにありそうな感じのレストランです。
年配のドイツ人マダムが、由比ガ浜の見える特等席に案内してくださいました。メニューを見ると、コース料理の中に「Kasseler」の文字が。実際には「カッセラー」と発音するのが正しいようです。マダムにお聞きしたら「ザウアークラウト」(直訳すると酸っぱいキャベツ)もコースに含まれているということで、Kasseler(ローストポーク)をコースで注文しました。スープ、サラダ、パン、コーヒー付きで2310円。ビールのお好きな方には、ドイツの黒ビール「ケストリッツアー・シュヴェルツビアー」(735円)もお勧めします。 ふと天井を見上げると、古い雑誌が店の四方の壁一面に飾られていました。アンアン、週刊サンケイ(現在のSPA!)、JJ、ミセス、メンズクラブ、るるぶ…etc。ほとんど1960〜70年代前半の物で、表紙と店の紹介記事の切り抜きを額に納めてあります。ワンダフルハウスは立ち上がって1冊1冊を丁寧に眺め、スープをサーブしに来たマダムに「素晴らしいコレクションですね」と褒めると、マダムは、意外にも日本語ペラペラで「あなたは、まだ生まれていない」(^‐^;)「最近はテレビやラジオ(の取材)が多くて、形として残らない」と嘆いていました。店に飾ってあるのは、ごく一部で、まだまだ沢山の雑誌で紹介されたそうです。
ドイツ料理は、フランス料理やイタリア料理のように前菜から始める必要はないようです。スープの次に黒パンとザウアークラウトが運ばれてきました。ザワークラウトは、千切りキャベツを塩水や香辛料と共に塩漬けにして乳酸醗酵されたもの。中欧や北欧では、冬の野菜が取れない季節の大事な野菜補給源となっています。ビタミンC、ビタミンA、カリウム、カルシウムなど多くの栄養を含んでいるのに低カロリーなのです。正直言って、酸っぱい味が好きではないワンダフルハウスには苦手な味でした。しかし、20年以上に渡って金子系ファッションのファンである私は、「これがユリさんが子供の頃にドイツで食べていた料理なのか」と少し感動し、美味しくいただくことができました。 これがKasselerです。豚の燻製ロース肉を、スープや白ワインで煮込んだ料理。中部ドイツのカッセルという町の料理で、このカッセルという町はメルヘン街道にあり、グリム兄弟の故郷として有名です。お肉から程好いスモークの香りが出てさっぱりしたお味で 、とても美味しかったです(^Q^)ただ、つけ合わせのじゃがいもの量が多くて、満腹になり、デザートを注文することが出来ませんでした。食後に、コーヒーを飲みながらVAIO Type Uを取り出し、ワンダフルハウス図書館で、アンアンに掲載された金子さんとユリさんのファッションページやハンサの写真をマダムに見せると、「ハンザじゃないの!」と34年前の写真に驚いていました。「ハンザは20年くらい前になくなった」とのこと。マダムはユリさんのことは知らなかったようですが、’70年頃に妹さんが横浜のサンモール学園に在学していたそうです。ユリさんの後輩ですね。マダムはVAIO Type Uを気に入ってくれたようでした。「いいおもちゃ持ってるじゃないの。本を集める楽しみもあるしね」と。ワンダフルハウスは「私はハンサの酸っぱいキャベツとカスラを食べるのが夢でしたが、今日この店で夢をかなえることができました。来て良かった」と挨拶すると、マダムは「OK! またいらっしゃい」再会を約束して店を後にしました。
R134へ戻るとすぐに、個性的なカフェ&バーが3軒連なるエリアが出現します。まずは、オイスターバー「COCOMO」。ココモは、北海道、宮城、シアトル、ニュージーランドなど産地でカキが選べて、1ピースづつ注文できます。 続いてオーガニック&ヘンプスタイルカフェ「麻心(まごころ)」。八穀の一つである麻の実粉を使った料理やスイーツを味わえます。店内はアロマオイルが焚かれ、天然素材の家具、麻布がかけられたテーブルや椅子など徹底したナチュラル志向。アフリカの民族音楽が流れるスピーカーさえも天然素材。なんと瓢箪でできています。麻のジャケットを着て行きたい店です。
最後は「DAISY’S CAFE」。デイジーズカフェは、1960年代アメリカ東海岸をイメージした、オールドホームスタイルカフェ。潮風に晒され続けて剥げかけた白ペンキが実にいい雰囲気。外から見ると狭そうですが、中に入ると広く感じます。 鎌倉大仏のある高徳院(こうとくいん)に行くには、右の細い道から。
坂ノ下
坂ノ下を過ぎると海岸線に沿うように道も左にカーブします。 対岸には逗子マリーナが。
ヨーロピアン・スタイルの格調高いインテリアに彩られた全室オーシャンビューのアーバンリゾートホテル「鎌倉パークホテル」。 アジアンフレンチレストラン「VENUS CAFE」。坂ノ下の網元から直接届いた魚を使った料理がお薦め。店内はロフトもテラスもDJブースもあって、ゆったりとくつろげます。
鎌倉市海浜公園プール(市民プール)を過ぎると、右側に山が見えてきます。道は今度は右にカーブ。 前方に海に突き出た稲村ヶ崎が見えてきました。

稲村ガ崎

鎌倉の海を由比ガ浜と七里ガ浜とに分ける小高い岬が稲村ガ崎。崎の形が稲束の堆積に似てるというのが名前の由来。 1333(元弘3)年5月22日、鎌倉幕府は、ここからから進入された新田義貞軍によって滅亡したのです。新田義貞は、一族を集めて討幕の挙兵をし、極楽寺切り通しからの鎌倉攻めを無理と判断。稲村ヶ崎の海岸に黄金の太刀を投げ入れて、海神に祈ると、みるみるうちに潮が引き始め、この海岸線を新田義貞率いる6万の軍制が由比ガ浜方面に打ち寄せました。幕府軍の善戦及ばず、最後の執権となった第14代・北条高時は滑川付近にあった北条家の菩提寺・東勝寺で自害し、鎌倉幕府は滅亡しました。 鎌倉は三方が山に囲まれ、一方が海に面している天然の要塞でしたが、稲村ヶ崎からの進入を許したことによって、北条家にとっては逆に退路を失う結果となったのです。この道路が開通するまで、稲村ガ崎は交通の難所でした。R134のこの部分は、山を切り開いて造った道であることがわかります。この山を通り抜けると江ノ島が見えてきます。

↓稲村が崎公園前へ↓

戻る